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古代ローマは海洋国家?

1 ::04/04/07 18:40
ローマ史を学んでいて分からないことがある。ローマは地中海の海上交易
で維持されてた。NHKによると、ローマ商人は紅海経由でインドやベトナム
とも取引してた。ローマは本質的に海洋国家だったのだ。ではなぜカエサルは
その本分を忘れ、ガリアやゲルマニアといった内陸に手をだしたのか?
当時のガリアやゲルマニアは東方に比べるとはるかに後進地域で
交易の果実より、軍事負担が大きいと考えるが。アルプス越えた
理由を教えてくれ

2 :世界@名無史さん:04/04/07 18:44
ni


3 :名無し:04/04/07 19:03
やはり、カエサルの売名では?あるいは権力維持に外征が必要だった
ということか?

4 :第20軍団兵:04/04/07 21:37
>1 氏の前提ではガリアは貧乏で進出する価値のないことが前提になっているが、
その前提ではギリシア人がマッシリアを植民市として建設し、長期にわたって存続できたのかが説明できない。
ガリアは貧しいと認識が間違いだと思う。


5 ::04/04/07 21:41
そうでしょうか。私が言いたいのは、軍事行動のコスト、リスクを正当化
するほど、ゲルマニアやガリアは魅力的かつ豊かな地であったのか
ということです。ローマがカエサル以前に、この地域を植民地化しようとした
ことはなかったように思います。つまり、この行動はカエサルの個人的
パーソナリティに負うところが大きいのではということ。豊かさや文明度で言えば
目をむけるべきは、あきらかにエジプトやオリエントでしょう。

6 :第20軍団兵:04/04/07 22:49
ガリアは金属資源の生産でずっと以前から知られていて、特に鎖帷子はBC300年頃から作り始められ、
これはローマ等よりも古い、また、ギリシア人との交易では、ギリシア人たちが黒絵、赤絵の高級陶器に対して
「鮭」と呼ばれた鉄の塊を輸出していた。
ガリアはいわゆる「文明的」な土地ではなかったが、十分に豊かな土地だったと思う。

共和制期のローマ人は、同盟者を守るという大義名分がないといまいち積極的に兵を動かせない傾向があるから、
口実もなくエジプト、オリエント諸国に兵を向けるのは難しい。第3次マケドニア戦争もギリシアの侵略者を排除する
という口実だったし、当時オリエント諸国とエジプトはローマの同盟者になっていなかったっけ?

7 :世界@名無史さん:04/04/07 23:53
カルタゴの制圧以降、地中海域はローマの経済的紐帯とはなれ
軍事的舞台としての役割は終えたということではないのかな。
実際共和政時代には海賊行為も徹底して取り締まられたようだし、
安定した環地中海世界に軍事展開するよりは未開地ガリアのほうが
植民運動を起こしやすかったのでは。
穀物の生産・交易拠点でもある友好国エジプトにわざわざ対立してまで
侵攻する必要性も感じないけど。

8 ::04/04/07 23:54
では、ガリア戦役について、「同盟者を守る」という大義はあったのでしょうか?
寡聞にして知らないのですが・・・大義名分はさておき、戦争を起こす本当の理由は
軍事コストと経済便益で考えるべきです。ガリアやゲルマニアが本当にその価値が
あったのか疑問なのです。ここから先は私の個人的推測であすが、カエサルのガリア
戦役の本質は、秀吉の朝鮮出兵、ナポレオンのロシア遠征と同じく、成り上がり者
が自己の権力維持には軍事力の拡大再生産が必要で、それには未開地を開く必要
があったというきわめて個人的動機に触発されてのものではないかと。カエサル以前
と以降でローマは本質的に変化します。その最大の理由は内陸部に手をだしたためです。
海洋国家としての本分を忘れて。これはローマが崩壊する根本原因でもあります。」
すなわち、カエサルはローマの戦略を海洋重視から内陸経営にシフトさせ、そのため
陸軍の迅速な派遣の必要から帝政を生むんです。すなわち海洋国家貿易体制の質的
変化を生んだんです。いかがでしょうか。

9 :世界@名無史さん:04/04/08 00:05
国家の二大要目

経済と安全保障

あんぜんほしょうとはなにか? 考えたまえ。

10 ::04/04/08 00:07
ガリアやゲルマニアとローマの間に深刻な安全保障上の問題はあったの?

11 :世界@名無史さん:04/04/08 00:13
安全保障

味方と思うか敵と思うか

信頼できるか

強いか弱いかはあまり問題ではない

弱くても不気味な奴は容赦しない

12 :世界@名無史さん:04/04/08 00:16
訳分からん言葉をガルガル喋るヤシらはキモかったってことかw

13 ::04/04/08 00:17
要するに未開なガリア人は将来の危険だから早めに制圧、支配しておこうということ?
それだったら、防衛ラインは無限に前方展開するはず。ガリアやゲルマニア以外にも。

14 :世界@名無史さん:04/04/08 00:17

その通りw

15 :世界@名無史さん:04/04/08 00:24
 自然の要害というものがある。
ライン川とか。サハラ砂漠とか。ローマの国力も無限ではない。
そういう判断で、ブレーキがかかる。帝政の初期にはそうなった。

16 ::04/04/08 00:25
いまいち納得できない。そういう理由で戦役をこした例は世界史上
あまりないのでは?さらに、ガリア人やゲルマニア人をローマが軍人其の他で
雇っていたことと矛盾しない?

17 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/04/08 00:27
>>1
>ローマ商人は紅海経由でインドやベトナムとも取引してた。
そりゃカエサル後の帝政期、エジプトをGETしてからだろ。時代が倒錯してないか?

>>8
とりあえずここでローマ史講座ぶち上げる気はないので、ガリア戦記とは言わんから
せめて塩婆の本ぐらい読んでからそういう長文は書き上げてくれ。
事実関係の誤謬が多すぎて指摘する気にもなれん。

18 ::04/04/08 00:27
アルプスも守り安い自然の要害でないの?あえてそれを超えて遠征した本当の
理由をしりたい。

19 :世界@名無史さん:04/04/08 00:31
ハンニバルを知らんのか?

20 ::04/04/08 00:33
ガリア軍がハンニバルのように攻めてくるという脅威があったのか?

21 :世界@名無史さん:04/04/08 00:37
七って城スレにいた六の親戚?

22 ::04/04/08 00:38
違います

23 :世界@名無史さん:04/04/08 00:39
>>13
陸地は有限だし、北極海を越えるのは非常に困難だし、それ以前に、北極圏の
土地は積極的に支配するほど人口が密になったことは無いし、自ずと限界が
出てくるよ


24 :世界@名無史さん:04/04/08 00:41
>>16に対して。
予防戦争という言葉がある。
将来の危険の種を、いま摘み取っておこうという「正義の戦争」だ。

ソビエトは、なぜアフガンに侵攻したのか。
アメリカは、なぜイラクを叩くのか。

大国が小国を攻める時の口実は、たいていは予防戦争ではないか?

25 ::04/04/08 00:48
予防戦争の例ならイスラエルの中東戦争がいいと思いますが、私がいいたかったのは
それとガリア全土の制圧を同列に論じていいのかということです。そこまでの安保上の
危機感をローマがガリアに対して持っていたのかということ。ただ言葉がわからない
きもいというだけでの遠征ではないような・・・

26 ::04/04/08 00:56
更に、本当に予防戦争なら、なぜ元老院はその最中にポンペイウスしかけてカエサル
つぶそうとしたのか?この戦争がカエサルの個人的野心、動機に基づいていたとすれば
つじつま合いますが・・・
間違ってたら教えてください

27 :世界@名無史さん:04/04/08 00:59
ローマってまだ王政で小さい都市国家だった頃にガリア人に攻められてるから
ガリア人の脅威はローマ人が常に感じていたと思うし、カエサルに近い時代でも
今度はゲルマン人がアルプスを越えて侵入して来てマリウスに撃退されたことがあったと思うが。

28 :第20軍団兵:04/04/08 01:05
七氏はそもそも「ガリア戦記」を読んだのかな?「ガリア戦記」2章7(文庫本で17ページ目) に
ヘルウェティイ族が属州ガリアを通過しようとしたから。と理由は書いてあるし、それにいたる経緯はそれ以前に書いてある
(1章、ガリアについては除く)

外国勢力が自国領土を通過する事は普通許されないと思うのは漏れだけでしょうか?
それに、"カエサルがガリアをこえた"って、ガリア総督は赴任したときからガリアをこえているし、最初の迎撃は「属州ガリア駐屯1個軍団と、
属州でかき集めた補助軍団」を準備したって書いてないか?「ガリア戦記」2章8に。

"アルプスは天然の要害"確かにそうだけど、ヘルウェティイ族はアルプスに住んでいて彼らがガリアに降りてくるんですけど。

"カエサルが成り上がり" これも意味不明、カエサルは先祖はウェヌスにつながる名門ユリウス氏族の出で、
政治的にはマリウスにつながる民衆派、経歴も最高神祇官&プロコンスル、成り上がりというならば、むしろキケロでは?

29 ::04/04/08 01:05
日本史においても文永の役後朝鮮出兵が検討され、却下されました。外征のリスクを考えてのことでしょう。
外征するにはリスクともないます。実際ガリア側もいいところまでいってます。
ローマとして国運を賭すだけの価値、脅威があったのか?また、そうならなぜ
元老院はカエサルつぶそうとしたのか・・・

30 ::04/04/08 01:12
毛並みではなく、権力を集中させ、護民官担っていく過程を成り上がりと表現しました。
ガリア戦記は元老院へのレポートですよね。彼の本音、元老院を無力化し
独裁しく動機は書いてませんよ。私はそこが知りたいんです。

31 ::04/04/08 01:35
質問を変えます。ローマがガリアやゲルマニアには手を出さずアルプスを要塞化
し、ガリア人やゲルマン人の侵入を防ぎつつ、地中海の制海権を握り、地中海と東方の交易に国力を傾けていれば、
もう少し寿命が延びたのではと思う次第です。間違ってますかね、この戦略。


32 :第20軍団兵:04/04/08 01:42
ローマはそもそもガリア戦争に国運なんかかけていません。「ガリア戦記」が書かれた動機は選挙用のプロタガンダなのだけど、
極力真実をつづったから古典となりえた。(ウソをついても関係者は事実を知っているから逆効果だって事情もある)
なんでプロパガンダが必要か?といえば属州総督の職域にガリア遠征なんて事は入っていないから。越権行為。
ガリア戦争は途中から事情が変わってきて防衛戦争とはいえなくなってくるから。それをカバーしたのが3頭政治家によって
開かれたルッカ会議、ガリア遠征も終わるころには3頭体制も崩れるので、ルビコンを渡り「ガリア戦記」を書くことになる。
閥族派がカエサルをつぶそうとしたのは、執政官時代にカエサルがユリウス土地法を通過させた民衆派のリーダーだから。

おーい。高校の世界史の勉強はやったのかーい?
グラックス兄弟-->マリウス対スッラ、-->閥族派対民衆派の党争ってのは世界史の定番問題だったと思うんだけど。

(リア工ならこの時期はまだ習ってないだろうから仕方ないかも)

33 :第20軍団兵:04/04/08 02:13
なーんかIFスレじみてきた。(IFスレはおなかいっぱい)

ウァルスが敗北するまでローマの遠征とゲルマニア方面への拡大は続き、ローマその後300年続きますよね、
それがローマの衰退とどう続くのかが私には理解できません。その論理で行くとダルマティア、パンノニアへ
の拡大もしないほうが良いということになるし。

スレの趣旨からいうと、考えるべきところはそこじゃなく、何でローマ帝国はブリタンニア統治に手を出したか?
ではないの、ローマが地中海海洋国家なら、わざわざドーバーを越えてブリタンニアに行く必要はなかった。

あるいは、ローマの海洋国家化がいつ、どのように始まったかとかね。

あと、あらかじめ警告しておくと、例のNHKの番組の質はひどく悪い。いまさらなにいってんだというのが感想。
エリュトラー海案内記が発見されたと、得々と言っていたが、あれは日本語約が刊行されたのが1946年、村上センセ
のお仕事。
例の商船は1972年に発見されたものだし、金鉱山の話とか、ハイハイという感じだった。

34 :世界@名無史さん:04/04/08 12:37
>> 1
ガリア全体の富は推定するより他はありませんが、カエサル自身は金持ちになったという
事実はあります。

第20軍団兵殿
> 閥族派対民衆派
カエサルの時代をこの切り分けだけで済ませることが出来るのか非常に疑問です。
スッラの孫娘、ポンペイアと何故に結婚したのか? などなど「カエサル=民衆派リーダー」と
決めつけるのは短絡過ぎると思うのですが。

35 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/04/08 15:33
まずガリア戦記読んで、ちょっと年代混乱してるから順番きっちり把握して。
>>32
取りあえず、カエサルがルビコン川超えたのはガリア戦記書いた数年後だから。
誤解されるような書き方しないでくれ。ポンペイウスとの戦いは内乱記だ。


36 ::04/04/08 21:26
私の仮説は、ガリア戦役は「借金まみれのカエサルの蓄財と、選挙活動、
更には元老院の無実化と権力のカエサル個人への集中のための長期外征
の必要というカエサルの個人的動機によって起こされた。ローマがガリア
やゲルマニアには手を出さず、ハンニバルの戦訓からアルプスを要塞化
し、ガリア人やゲルマン人の侵入を防ぎつつ、地中海の制海権を握り、
地中海と東方の交易に国力を傾けていれば、 もう少し寿命が延びたの
ではと。」ということです。



37 ::04/04/08 21:27
ローマ全体にとってみれば、これ以降の内陸部展開は、長大な防衛線維持、長期の外征
といった軍事負担や蛮族流入による社会不安、混乱増大のマイナスの方が、属州からの
税収や交易の利得よりはるかに大きいのではなかったか。

さらに、「ローマその後300年続きますよね」とのことですが、実質的には 5賢帝の
末期頃から各地での反乱が始まり、ゲルマン人を始め属州からの流入民を巻き込んで
の軍人皇帝の動乱時代を迎えます。 軍人皇帝を最後に制したディオクレティアヌス
はダルマティア兵出身です。 背景として212年、カラカラ帝がアントニヌス勅令
で市民権(市民権を与えたのはそうしないと属州を抑えきれないほどローマの支配が
緩んでいた証拠)を全属州に拡大したため、ガリア、ゲルマニアその他からの人の流入
や蜂起があったのです。
私はこの212年こそが、実質的にローマの終わりではないかとさえ思ってます。その最大の理由はゲルマン人をはじめ、蛮族の流入です。


38 ::04/04/08 21:28
結果として首都をコンスタンちノープルに移さざるを得ないとこまで追い込まれました。
同じ理由で、ダルマティアやダキアなどにも拡大すべきで 無かったと思います。
ブリタニアについてはガリアをとるための、必要上、やむをえずとったんじゃないですか。
木材の供給源として、あるいは、下記URLによるとガリアの後背地を抑え、ガリア人の
逃げ込み先を封じるために。大した産業も無いブリタニア駐留は明らかにコスト割れし、赤字だったと思います。
http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/roman/provinc/britania.html

要するに、ガリア戦役は250年後のローマの衰退の引き金を引いたと考えるのです。
ガリア戦役とその後のゲルマニア、ダルマティア、ダキア等への侵攻がなければ、
蛮族への市民権拡大から人の流入もなく、 ローマの東西分割もなかったように
思えるし、延命できたのではということです。
これは、旧ソ連が崩壊していく過程と非常に似てます。ランドパワー崩壊のあるパターンに嵌ったのです。


39 ::04/04/08 21:30
この問題は、現在の世界情勢に通じる命題を含んでます。
つまり、戦前の日本の大陸政策、ナチスの東方政策、EU
の東欧拡大、そして現在のアメリカの中東戦争、中国の
内陸部支配はすべて、「大陸内陸部への展開」なのですが
それがどういう結果をもたらすかの最初の例がガリア戦役です。
これによってローマがどう変質したかを見極めることは今後の
世界情勢を読み解く鍵なのです。私は全て失敗すると思ってますが。



40 ::04/04/08 21:35
世界史版のみなさん。どうか建設的批評お願いします。国際情勢を読み解くの
にローマに関する知識が必要です。

41 :世界@名無史さん:04/04/08 21:56
シャルル・ダンジュー、ミカエル8世、スレイマン一世、フェリペ二世、ムッソリーニ
みな地中海を内海にしようとして失敗した。


42 :世界@名無史さん:04/04/08 22:06
>>39
中国は内部崩壊?

43 ::04/04/08 22:37
中国は間違いなく内部崩壊します。農民や内陸部と沿岸部の格差が一定水準
超えると崩壊モードです。歴史的にそうでした。すでに地方の農民が
北京や上海で職よこせでもやってます。黄巾の乱みたいになるのは
時間の問題です。オリンピックまでは政府も糊塗するでしょうが、もう
画しけれなくなるのは時間の問題です。
参考「中国は誇大宣伝の危険国 」
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/160331.htm

44 :世界@名無史さん:04/04/08 23:24
>>36
カエサルの個人的動機であれば、ガリア制圧後に感謝祭を決議する
ようなことはないだろうし、ガリア戦記なぞ書いても受けないだろう。
凱旋式をするのさえはばかられるのではないか?

アルプスの要塞化に関しては、万里の長城やマジノ線などの要塞線の
費用対効果を考えれば、ガリア制圧→属州化よりも国力の浪費は大きい
のではないかと思えるし、ゲルマン人の侵攻をより容易に防げたとは思えない。
だから寿命が延びるというのには賛成できない。

内陸部展開の是非については、中世のベネチアなどを考え合わせても良い
のではないだろうか。一言で言えばベネチアは地中海の女王でありえても、
覇権国家たり得なかったし、永続もしなかった。
なお内陸部展開の利得については税収や交易の利得などとともに、人的物的
資源や軍事的効果なども考えるべきだろう。2世紀までにはガリアは相当優秀な
属州と評価できたと言えるのではないか。

ローマの終焉についてはいろいろ見方が有るだろうが、個人的にはローマ法的
秩序が失われた4世紀初頭頃と考えたい。
>最大の理由はゲルマン人をはじめ、蛮族の流入です。
はよくわからない。蛮族の流入がローマ帝国の否定という形になったのは、
ゴート族あたりからではないのだろうか。


っていうか、ローマは本質的に海洋国家なのか?

45 :世界@名無史さん:04/04/08 23:30
>>40
では質問するが、
ガリア及びゲルマニアがローマに与えたであろうダメージは、
カエサルが外征していた場合と外征しなかった場合ではどれぐらい違うか試算してみたのか?

首都ローマはカエサル以前に蛮族によって一時壊滅状態にまでされているんだが。
日本史の朝鮮征伐などと同様に考えている時点ですでにお前の仮説はナンセンスなんだよ。

蛮族の侵入を完全に押さえる為にはアルプスを要塞化した防衛「線」などではとても足りない。
「線」は一ヶ所を破られればそこから崩れるからだ。
もし作るとすれば、それこそ中国の万里の長城のようなものを作らなければならなかっただろう。
そんなものを作るコストはお前の理屈では採算取れるぐらいなのか?(プ

防衛線はこれを幾重にも重ねた防衛「網」を作ることでカバーできる。
それがカエサルのガリア遠征の意味だ。
カエサルはただ単にガリアを征服したのではない。
進軍と同時に街道網を整備し、要所に拠点を築いて防衛網とし、
ローマの安全を保障したのだ。
もちろん、そのままでは際限がなくなるので、天然の要害であるドナウ川、ライン川を
防衛最前線にしたわけだ。
しかも街道網は軍事利用だけでなく交易道路としても使用可能だから、
その後のガリアの経済発展に貢献したのはいくらお前がバカでも理解できるだろ?


首都を落とされる危険をほったらかしにして、交易による発展も糞もない。
お前の「仮説」とやらは危機管理不在の平和ボケ知障がほざくタワ言にしか過ぎんと断言する。

46 ::04/04/08 23:53
ガリア制圧後感謝祭や凱旋式をやるのと、カエサルの個人的動機というのは矛盾
しない。一応の戦勝であれば、当然それぐらいやるでしょう。ガリア戦記は自己の
戦役正当化のための元老院へのレポートだからうけるうけないというのは違うと思う。

マジノ線と紀元前のアルプスを同列に論じられるか疑問がある。マジノ線は戦車の出現
で無力化されたから。また、ベネチアの衰退はオスマン朝に交易ルートを押さえられたから
その意味でローマがエジプト落として東方との海上交易ルートを確保したのは戦略的に妥当
とみる。蛮族流入は上述のカラカラ帝の頃から始まっており、軍人皇帝の時代は実質的に
蛮族間の権力争いと考えれば、すでにローマは死んでることにならんでしょうか。

47 ::04/04/08 23:59
45
試算できるほど情報がないから、ここでみんなの意見を聞いているんだ。
「防衛線はこれを幾重にも重ねた防衛「網」でカバーできる」というけど
その網(面)を長期間カバーするコストは無視できるの?そのコストと
アルプスの隘路を拠点防衛するコストでは後者が低いと思うが。

そして、史実ではガリア戦役では蛮族の流入を止められず、結局属州へ
の市民権拡大からかえって、蛮族のローマへの流入を生んだ。そしてこ
いつらがローマにトドメさしたと考えるが。間違ってますか?この見方。

48 :第20軍団兵:04/04/09 08:08
>35
國原吉之助訳の「ガリア戦記」(1994)の解説によると
"BC50頃に3ヶ月程度で書かれた"という説を最有力なものとして採用してますね。

私もこれと同じ意見ということで

>34
それはもっともです。カティリナ事件や、ミトリダテス戦争、海賊鎮圧等、
当時のローマにとって重要な事件は数多くありますからね。
しかし、3頭政治家の一角としてのカエサルは、数人の護民官を手中にしていることからも
実働部隊のクロディウスをリモート操作できるという点からも「民衆派政治家」といえるのではないでしょうか?

49 :世界@名無史さん:04/04/09 09:24
>>46
感謝祭は複数回、それも前代未聞の長さで行われている。
一応の戦勝に対してのものとは言えない。内乱記などのくだりを
考えても、一般市民がカエサルの戦功をめざましいものと考えて
いたのは明らかで、感謝祭もそれを背景としていると思われる。
またガリア戦記が元老院へのレポートと言うのはその刊行形態から
あり得ない。また内容的にも元老院に対する戦役正当化には当たらない
と思う。アリオウィストゥスとのやりとりや軍団の募集の記載その他が
説明できない。

ゲルマン人の侵攻は強力な騎兵を伴っている。騎兵の機動力に
対しても長大な要塞線が費用に見合った効果を上げられないのは
万里の長城でも、ローマのリーメスでも明らかである。
マジノ線が無力化されたのは戦車の出現ではなく、マジノ線に
直面する以外の戦場で勝敗が決したからである。マジノ線に戦車で
攻めかかっても撃破されて終了、だろう。

一時は地中海を制したベネチアがなぜオスマン朝に交易ルートを
奪われたのか、もし指摘の通り海洋帝国は海洋のみに注力すれば
覇権を握れるというならば、ベネチアはオスマン朝から交易ルートを
守れたのではないだろうか。

またそれほど重要な東方との交易ルート(同時代の文献や考古学的
資料からはとてもそうは思えないが)をなぜローマは真っ先に押さえ
なかったのか。カエサルに至ってもプトレマイオス朝を滅ぼさなかった
のはなぜだろうか、説明がつかないと思う。


50 :49:04/04/09 09:25
蛮族流入はエトルリア人、ケルト人を蛮族と考えれば、ローマの歴史
そのもの問題である。それが命取りになったのは、蛮族がローマ的
秩序を積極的に否定しはじめる4世紀後半以降であると思う。
それまでの蛮族はローマに同化されてしまったり、略奪して引き上げる
程度のものであった。

軍人皇帝間の争いが蛮族の権力争いであれば、なぜ5世紀の様な地中海
帝国の崩壊にならず、ローマの枠組みの中での紛争の形を取るのか理解
できない。と言うより軍人皇帝たちに民族的背景がないと思うのだが。

そもそもローマの歴史を見れば、本質的に海洋国家とは言えないと思うし、
ガリア侵攻とローマ帝国滅亡を結びつけるのも因果関係として疑問だ。
ローマが建国されたからローマが滅んだ程度にしか思えない。

51 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/04/09 11:31
同じ本持ってるが、それによると51年(ウェルキンゲトリクス戦の翌年)
公刊となっているが。
この場合、一年の差は結構大きいと思う。
一年以上あれば、カエサルのガリアでの活躍を改めて知らしめるには十分だ。

当時のカエサルについて問題なのは、領土的野心よりも、アリオウィストゥスに関する
彼自身の政治的失敗が一切触れられていないことだ。
前年、執政官だった時に、元老院を指導してアリオウィストゥスに「王」の称号を
与えたのはカエサルだ。
ガリア戦記ではアリオウィストゥスの恩知らずということで巧妙に隠されてはいるが、
称号を付与するという行為自体、その数年前にハエドゥイ族のディウィキアクスが
ローマに来た時に元老院がやった決議と、実は相当に矛盾していたと思う。
ヘルウェティイ族に関する抑止を期待していたのかも知れないが、それも
結果としてとんだ計算違いに終わっている。
アリオウィストゥスはセクアニ族の領土にいたわけだから、ヘルウェティイ族の
通行を阻止することでローマに協力する義務があったにも関わらず、それをしなかった。
ガリア人が要請せずとも、恐らくこの辺の失敗を埋め合わせるための行動は取ったろう。

個人的に、ある人間の行為の歴史的責任が問えるのは普通死後百年、せいぜい百五十年
くらいだろうと思う。「国家百年の計」ともいうし。
二百年や三百年後の歴史にまで責任を問うべきではないし、ノストラダムスでもなければ
そんな先のことまで見通すのは無理だ。二百年後のことは二百年後に生きる人間が、
その時代に応じて解決すべき問題と思う。

52 ::04/04/09 18:36
一般市民がどう考えていたかは問題ではないです。当然戦勝には大喜びするでしょう。
元老院がどう考えていたかです。問題は。カエサルを危険視したんじゃないですか。独裁
を懸念して。

ガリア戦記の意味については、私も貴見を論破するだけの情報持ってないので
なんともいえないです。ただ、元老院への報告という側面は本当になかったのでしょうか。
元老院はカエサルの意図、権限と富の集中を危険視してたはず。それに対して「自分の
意図はローマの安全保障にある、野心は無い」という主張をガリア戦記でしたんじゃないでしょうか。
そういった政治的意図で書かれたのであれば、それを鵜呑みにするのはいかがかと。軍事面は正確に描写してるでしょうが
軍事行動正当化のため、ガリアやゲルマニアを過度に野蛮に書いてるとの指摘もありますし。
本当の政治的意図は行間を読むしかないですね。そして、何よりの状況証拠はガリア戦役直後、実質的には占領行政の
最中にカエサルを解任してることです。これは元老院がカエサルの危険性(いうことを聞かない)にたいして許容できなくなった
ということではないでしょうか。さらに、カエサルはガリア長官だったからガリア制圧したんであり、他
の地域の長官ならそこを制圧したんではないでようか。



53 ::04/04/09 18:38
マジノ戦は戦車により、ベルギー突破されたから無力化されたということでは。
アルプスにおいては大軍や騎兵を行軍できる道路は限られてると思います。万里長城のような
長大な要塞など不要です。
そこを十重二十重に拠点防備すれば騎兵の猛攻にさらされ、敵のホームであり、地の利もない
ガリアの平野で防衛線引くよりは効率的ではないかという意味です。山頂から道路に向かって投石装置
を設置したりすれば効果あるし。楠正成のような戦術でもいいんです。ローマからの補給線も確保しやすいし。
そして、ローマが制海権をもってれば、アルプスに蛮族が侵入した時点で船で背後に
ローマ兵を上陸させ、後続部隊を側面からたたき、袋の鼠にし、兵糧攻めしてしまうことも可能です。
これを何度かやればローマ侵攻を考えなくなるんじゃないかと。

海軍国ならこういう戦略とるはずなんです。逆にいえば、ガリア制圧は陸軍国への転換という戦略的
大転換です。満州事変やシナ事変そしてアメリかのイラク戦争とおなじく。社会の変質をもたらします。



54 ::04/04/09 18:39
ベネチアにとってはシルクロードを封鎖されたから衰退しました。そして彼ら商人はジェノバ
やベネチアを見捨てスペイン、ポルトガルを操り大航海時代迎えます。海上交易ルートは確保しました。舞台は
スペインやポルトガルに移して。
コロンブスがいい例です。

だから、ガリアを優先したのはカエサルの個人的野心、動機の結果というのが私見です。
短期的にはガリア征服は成功し、安全保障や富の流入にはつながったと思います。
しかし、ローマ史を概観し、ガリアのみならず、ブリテンを含む欧州内陸部の征服の
メリットとデメリットを長期的にみて総合すると、やはりマイナスが大きく、結果として
蛮族流入からローマの崩壊につながったのでないないかということです。
戦前に日本の大陸植民地と同じように。


55 ::04/04/09 18:39
つまり、ガリアに始まる内陸部への展開は戦略的には誤ってるといいたいのです。
私はローマ史は詳しいわけではないですが、戦略地政学の立場でこう考えます。

カエサルがプトレマイオス朝滅ぼさなかったのはよくいわれるクレオパトラのおかげじゃないですか
しかし、結局はエジプトを落として紅海経由でインドや中国と直接交易したんじゃないですか。
要はそちらに注力した方が軍事負担も少なく利幅も大きかったのではということ。



蛮族流入はローマの歴史そのものの問題です。蛮族の軍人皇帝はローマの簒奪、
乗っ取りが目的で、破壊を意図してなかったのです。
ローマの破壊はゲルマンの民族大移動の結果でしょう。少し論点が違うと思います。


56 :49:04/04/09 20:09
> ガリア戦記の意味については(省略)

ガリア戦記を一読もしないでガリア戦記の意味を論ずるのはさすがに無理
ではないでしょうか


>マジノ戦は戦車により、ベルギー突破されたから無力化されたということでは。

は戦車云々ではなく、マジノ線以外の戦場で雌雄が決したからこそ無用だった
と言うべきでしょう。
戦車は迂回の手段、突進力を高める手段にすぎません。


>アルプスにおいては大軍や騎兵を行軍できる道路は限られてると思います(以下省略)

についてはゲームだったらそうでしょうが…
ちょっと現実を無視しすぎな気がします。


> 海軍国ならこういう戦略とるはずなんです(省略)。

残念ながらローマは終始陸軍国です。軍事編成などを考えても明らかに
海軍はオマケです。
そもそも艦船の能力の低い古代において、覇権国家としての「海軍国」は
かなり無理があると思います。

57 :49:04/04/09 20:10
>ベネチアにとっては(省略)

は意味がわかりかねますが、海軍国といえども陸上の拠点が必要で、
それを確保する能力が必要です。海軍力だけでは交易ルートは確保
できないのです。特に古代のように艦船の対地攻撃力が極めて低い
時代では。


カエサルがプトレマイオス朝滅ぼさなかったのは(省略)

は貴見のようにローマが東洋との交易を重視したならば、
エジプト制圧が優先されるはずという指摘ですので、答えに
なっていないような気がします。


>蛮族流入は(省略)
>内陸部への展開の是非

ここら辺についてはローマ史の本を一読することをおすすめします。
残念ながらローマやその周辺の社会経済史、政治史、軍事史などを無視した
結論先ありきの議論としか思えません。

58 :世界@名無史さん:04/04/09 20:11
>>52
例えおっしゃるとおりガリア戦記が元老院への意味合いがあったとして
そんなもの許せば逆にカエサルはローマの安全保障に貢献した英雄に
祭り上げる結果となり、元老院の危機感を煽る結果にしかならないですよ。
言ってる事が根本的に矛盾してます。
もともとカエサルは民衆の指示があったわけだし。
>>53
そもそもローマは海軍国じゃなく陸軍国だったと思いますけど。
というかローマが海洋国家なのか?地理的に見ればローマは半島国家
地政学的に見れば半島は内陸からの攻撃に弱い。
半島は常に内陸からの攻撃に潜在的な危機感を持たざるを得ない。
 これを防ぐには内陸部(ガリア)を早くから押さえローマ文明の
恩恵で同化を図ったのは安全保障の観点から賢明な策であれ、
単純に滅亡の遠因とはいえないです。
 後世のことを歴史で知ってるからそういうガリアを抑えたのが
滅亡の原因だ、とかいえるだけですが、単純に当時の状況を考えれば
ローマ本土であるイタリー半島の後背ガリアの獲得はローマの発展に
おける必然だと思えます。

59 :世界@名無史さん:04/04/09 20:23
>>55
おひおひ・・カエサルがプトレマイオス朝を滅ぼさなかったのは
クレオパトラのおかげじゃないよ。
どちらにしろカエサルは当時プトレマイオス朝を滅ぼせなかったし、
 当時ガリアよりエジプト攻略を優先すれば逆にカエサルの政治的生命
は危うかったろう。
 まずエジプトとは古代以来王を神の代理人ファラオとしており
プトレマイオス朝もある程度長く続いてエジプトに権威を持ってた
ちょうどWW2敗戦後GNQが天皇家を強引に根絶やしすれば
どんな反発があったか仮定で考えれば近いか、
保護国としてファラオを代理的なシンボルに間接支配したほうが
コストがかからなかった。
 クレオパトラはたまたまそのカエサルの政治的意図に巧く
合致した共犯だけで、彼女がいなくとも別の王家の人物を傀儡に
プトレマイオス朝に間接統治させたはず。

60 :世界@名無史さん:04/04/09 20:34
>>55
 まあ、それは余談としてで当時エジプトを先に攻め落とし
東洋との交易を優先?東洋との交易がローマにとって
輸入超過で金を流出させたわけだから・・・・むしろ
ローマの寿命縮めたんじゃないか?

>蛮族流入はローマの歴史そのものの問題です
これは解るが、蛮族流入がローマ滅亡となったというより
(昔からゲルマン人は帝國に流入し、そした彼等は同化していた)
ローマ文明そのものが魅力を失い新参のゲルマン人を同化するだけの
地力を失ったのが、崩壊の転機だと考えるべきですが。

61 ::04/04/09 20:36
ご回答ありがとうございます。
「海軍はおまけ」というのはわかりますが、ポエニ戦争見ても制海権は持っていたのではないかと思ったのですが。終始陸軍国
ですか。
当時の状況を考えたらガリア制圧が必要だったとしても、結局はそれがローマ
衰亡の遠因になったといえないでしょうか。結果論といえばそれまでですが。
私が考えたアルプス防衛策、非現実的ですかねぇ?ナポレオンの時代でもアルプス超えるのは
難事業です。ここを抑えればイタリアはイギリスや日本と同じ島国としての
歴史を辿れたと思ったのですが・・・



62 ::04/04/09 20:39
「東洋との交易がローマにとって
輸入超過で金を流出させたわけだから・・・・むしろ
ローマの寿命縮めたんじゃないか?」
それはそうかもしれませんね。収支バランスで見れば常に西側赤字
だったから。

63 :世界@名無史さん:04/04/09 20:45
例えローマがガリアを攻略せずに放置してアルプス防備に
専念したとしてローマの命運は寧ろ短命になったと思います。
ガリアはゲルマンの民族流入にローマ化した属州として
恰好の緩衝地帯になりこそすれガリアがローマの足を引っ張った
という仮定にはならないと思いますけど。

64 ::04/04/09 20:59
ローマの命運は寧ろ短命になったといえるのは何故ですか。
ゲルマン人との間に緩衝地帯がないからですか。

ガリアだけを見るのではなく、ガリア戦役を端緒にし、トラヤヌス帝にいたる
拡大は総合的にローマにプラスよりマイナスをもたらしたとはいえないでしょうか。
そのマイナスの最大のものは蛮族の流入です。

65 :世界@名無史さん:04/04/09 21:20
先にのべますたが地政学的に半島国家は内陸部からの侵攻に
弱い。ガリアにローマ文明の恩恵ないまま未開の地として
放置され、後代ローマが文明の爛熟で弱体化すれば
後背ガリアを持っているより容易に蛮族流入の危険イタリーにさらされ
(なにせゲルマン+ガリアになるわけだし)
史実で言うコンスタンティノープルにより速く遷都したと思えます。

 たしかにローマ帝国の肥大化は重荷になってたのは事実だが
拡大しなかったローマなんて想像もつかないです。

66 :世界@名無史さん:04/04/09 21:49
というか自説に都合のいい材料だけ取って論じられても…。

67 ::04/04/09 22:17
ご指摘の点は理解できますが、しかし、それは例えば戦前の日本で、日本の
安全保障のためには朝鮮半島をとらなきゃいけない。朝鮮半島を維持するには満州
を確保する必要がある。満州維持のためには北支と内蒙古が必要といってるのと
同じではないかと。つまり、ガリアを維持するにはブリテンとゲルマニアを押さえないと
安定しないのです。ゲルマニアの制圧に失敗した時点でガリア征服の意味は半分失われた
といえないでしょうか。

そこまでをカエサルの責任だというつもりはないですが。

紀元一世紀頃、ローマVSガリア+ゲルマンの決戦がアルプスを挟んで行われたら
どうなっていたか興味ありますね。

68 :第20軍団兵:04/04/09 22:53
>67
はぁ?北ガリアはブリタンニア遠征が行われる前も後も安定していましたが。だからストラボンは
「割に合わぬ」ってその著書で書いてるんだろ。
クラウディウス帝の即位後の状況を少し調べてみたら?
>ゲルマニアの制圧に失敗した
上・下ゲルマニア属州って立派にあるんですが。トリアの城門は有名ですよ。
トイトブルクの森の戦いがなかったとしても、エルベ川で止まったんじゃないの?(これは塩婆の意見。多分妥当)

>ローマVSガリア+ゲルマンの決戦がアルプスを挟んで
ティベリウスとゲルマニクスの遠征は?ゲルマニクスのほうは「年代記」で読めますよ。

結論:ローマ軍は平原での会戦を好む。境界線を引くのは川で行うのが妥当と考えていた(=ローマ人らしいやり方)。以上。

69 ::04/04/09 23:13
平原での会戦を好み、境界線を引くのは川で引くのを妥当と考えていたのは史実から
そのとおりでしょうが、その用兵思想を城砦戦術にしてアルプスの隘路を封鎖し、
ローマから補給を確保すればよかったんじゃないかという仮説への反論にはなってませんね。


70 :世界@名無史さん:04/04/09 23:16
>>67
 まあ、それだけが理由じゃないと思いますが
ある意味カエサルとしてはガリアはローマ文明に同化できるが、
ゲルマニアについては個々の人間はともかくローマに懐柔するのは
事実上困難とする判断があったんでは?それにガリア以上に
魅力ないし。

 現にカエサルはガリアで毎晩十数人づつのガリアの有力者を招き
カキや貝は生で、ウナギやウツボはコショウをはじめ香辛料、蜂蜜、魚醤
を混ぜたタレをつけ蒲焼にして給仕、飲み物にはガリア人が欲しがるワイン
といった山海の珍味でもてなし、後にはガリアの有力者を元老院に入れたり
とか・・でガリアも好んでその懐柔を受け入れたから、やはり組みし易し
という判断はあったんじゃないかと。

 で日本帝国ですら、そんな判断してんですから逆を言えばローマが判断し
不思議はないでしょ。日本帝国より1000年以上前だし・・。
まっいっか泥沼だし漏れも意見偏ってるし・・。

あと冗談か本気か知りませんがカエサルが、ブリタニアを支配した理由は
表向きガリアを背後で援助するブリタニア部族の牽制だったが、
本当の理由に、かの地のカキ、真珠、毛織物、皮革、錫、鉛などの獲得で
あり、特にロンディヌム(ロンドン)近くのルトゥピアエ産のカキは
大きさと美味で天下一品であった。
その後もローマ皇帝や貴族はブリタニアのカキを愛好した。

美食家のカエサルはカキの為にブリタニアを侵攻し、今でいうスペイン
総督の頃、西岸のタルテッソスの夢想の珍味トラウツボを確保していく
為にスペインの地の蛮族を退治したとか・・冗談で言われてますが。

71 ::04/04/09 23:23
何か、アメリカの中東戦争と本質は変わらないように思えますね。
内陸に手を出すと、際限なく拡大し、一線越えると崩壊するというのは
歴史の法則ではないでしょうか。ローマについて、その一線がアルプスなのか
ライン川やドナウ川だったのかという議論はありますが・・・

72 :第20軍団兵:04/04/09 23:42
>69
はいはい、IFはおなかいっぱい。だから、「年代記」を読めば?そこに君が好きそうな事が書かれているから。幸い最初のほうだし。

さて、BC127頃の顕彰には...アレクサンドリアが占領された時、プトレマイオス・エウエルゲテス神王により恩恵を受けた
ローマ人の船主と商人たちは(中略)彼の徳と自分たちに対する恩恵ゆえにアポローン神に奉納する。
とあります。
これが、BC1C頃には逆に顕彰されるようになります。
商人たちや方形アゴラで商いをする人は、マライウスの子マライウス・ゲリッラヌスの像を、自分たちに対する彼の善行ゆえに、アポローン神、
(中略)に奉献する。彼はローマ人でデロスにおいて銀行業を営んでいた。
ローマ商人の活動はBC150年頃から活躍し、1C頃にはそれまでの顕彰する側から、される側に立場が移った。
その期間は30年(=1世代)というところでしょうか。

まず、陸軍国・海軍国の議論の前提として、ローマの海運、そしてそれを支える商業についての明確なビジョンが必要だと思うのですが、
板住人の方はどう思われます?

73 :第20軍団兵:04/04/09 23:45
>72 に補足
マライウス・ゲリッラヌスの顕彰を行ったのは様式からいって、ギリシア商人です。

74 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/04/09 23:45
というか、そもそも「ゲルマニア」ってどこからどこまで?
エルベ川まで? それともオーデル川付近まで含む?
地図上では、当時のライン川の東は全てゲルマニアだ。今のポーランド付近まで。
言っておくが、そういう風に曖昧な概念で征服してたらキリがない。
ガリアという土地には明確に境界があったから征服出来た(と宣言出来る)が、
ゲルマニアはどこまで行けば「征服した」と言えるのか。
そういう土地である以上、逆にどこかで征服を止めて
防衛中心に転じなければいけない。日本も結局それで失敗した。
カエサルがゲルマニアを征服しなかったのも、そういう意味での
泥沼を避けるためだったと言えるだろう。

75 :世界@名無史さん:04/04/09 23:46
>その後もローマ皇帝や貴族はブリタニアのカキを愛好した。

69年の皇帝ヴィテリウスとかですか。
牡蠣食いすぎて肥満になるのもなんだかな・・・

76 ::04/04/09 23:48
ローマの海運について調べてますが、以下くらいしか見当たりません
何か良い資料ありますかね。

http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi1/page011.html

77 ::04/04/09 23:52
Ryuju様
74>
私の言いたいことはまさにその点なのです。逆に言えばゲルマニア
を征服せず、ガリアを単独で支配し、ローマ化できるとふんだんでしょうか?
つまり、ゲルマニアとガリアを分割して後者だけローマ化できると・・・



78 :世界@名無史さん:04/04/10 10:04
ハウスホーファーもマハンもいない時代のローマ人に
海洋とか内陸とかの概念的な戦略をいかにして決断したかと
聞くのは無理なんじゃないかなぁ…。
鎌倉時代の刀工に最新の材料物理学をぶつけるようなもんだろ。
それに>1は「なぜ」「どうして」ローマ人がそう決断したか、と繰り返し聞くが
ローマは数百年を通じてひとりのローマ人が経営していたわけではない。
なんかそこらへんの認識のズレがあるんじゃないかとこのスレを読んでて思った。

79 ::04/04/10 12:51
おっしゃるとおりですが、私は歴史を通じて「安全保障」を口実に
した内陸部への展開はほとんどすべて失敗してるんじゃないかとの
仮説をもってるんです。現在のアメリカもそうですが。
その最初の例がガリア遠征であり、最近の例が第二次大戦のWW2
なんです。70を見て、安全保障は悪党の最後の口実という金言を思い出しました。

案外、ガリア遠征そのものがこの冗談のような理由で行われたのかも
とちょっと想像すると楽しいです。大量破壊兵器を口実に、その実石油利権
狙いみたいな・・・

80 :世界@名無史さん:04/04/10 16:10
>>79
>「安全保障」を口実にした内陸部への展開はほとんどすべて失敗してるんじゃないか

タイムスケールを百年単位で取れば、失敗していない政策・政治形態・ドグマなど
存在しないのではないでしょうか?
では、なにをもって成功と定義するか、ということになりますが。

軍人・為政者・政治家・統治者のタイムスケールで考えるなら、通常30年も「安全
保障」できれば十分ではないでしょうか?

たしかにローマ史は長いですが、ローマの為政者が100年単位で考えたかというと、
とてもそんなに長く先まで考えてはいないと思います。

ガリア遠征がそう言う壮大な意図を持って進められ、つたなく失敗したと考えるのは
ちょっと後世の視点に傾きすぎると思いますよ。

81 ::04/04/10 16:39
ガリア遠征を単独で捉えたら確かにそれは成功といえるでしょうが、トラヤヌス帝
にいたる内陸部への展開の端緒を開いたと見ればまた違った評価になるように思います。
私が思ったのは、このカエサルからトラヤヌスにいたる内陸部への展開が結果として
帝政=集権的独裁的ランドパワーを生み、社会の構造を変質させ結果として
ローマの衰亡、蛮族流入を生んだのではないかということです。

ローマを学ぶことにより、アメリカに通じる教訓を得られないか思いましてね。

82 :世界@名無史さん:04/04/10 16:55
んー、つまり「だからアメリカは失敗するんだよ」っていう政治的な主張の裏づけとして
どうしてもローマの事例が欲しいってこと?

83 :世界@名無史さん:04/04/10 18:09
仮説っていうより定説って感じ?
ドイツ最高裁判所で認められてますとか何とか

84 ::04/04/10 18:48
欲しいというか、欧米人に説明するときにローマの例は分かりやすいし。
世界史の定説にできればそれそれでGoodなんですが。


85 :世界@名無史さん:04/04/10 20:00
なんだ、ほんとに政治的な結論ありきの話だったのか…

86 ::04/04/10 20:09
メルマガの題材にもローマの例が使えないかと思いましてね。

87 :世界@名無史さん:04/04/10 20:21
ひでーな、ダシに使おうってことだったのかよ。

88 ::04/04/10 20:25
だしというより、私の仮説にたいして、ローマ史の知識のある皆様のご意見を伺いたかったのですが。


89 ::04/04/10 20:34
世界史版の皆様、色々教えていただきありがとうございます。

90 :世界@名無史さん:04/04/10 20:36
ご意見も何も、ぜんぜん自説変えないじゃない。
自分の政治的な意見を裏付けるのに都合のいい答えを採取しに来たんだったら
それは普通ダシに使うって言うんじゃないの。

>>89
もー来るなよ。

91 :世界@名無史さん:04/04/10 20:46
>>84
世界史の定説じゃなくてライフスペースの定説だよ
仮説っていうからには少なくとも何らかの根拠が無くちゃいけないけど、
七の仮説(自称)は個人的な先入観だけじゃん

92 ::04/04/10 21:05
先入観ですかねぇ。根拠は世界史に私の仮説をやぶる例がないんですよ。
「攻勢終末点の認識ができない文明は滅びる」ということです。

この板の意見を見て、私も若干意見かえました。それはローマの内陸への
拡大は個人的野心だけでなく、各地の特産品を強奪するという面もあったのだ
ということがわかったんです。逆に言うと、ローマは自国の輸出産業でそれら
それら特産品を取引できず、支配し、貢納させるという形をとるしかなかった
ということでは。つまり、拡大とは経済を維持していく上で必要な行動だった
ということ。しかし、そのようなやり方は永続しないでしょう。ローマから属州
へ輸出できるものがない以上、バランスは常に赤ですから。




93 :世界@名無史さん:04/04/10 21:30
釣り師かホームラン級の○○なのか、
歴史なんだから根拠は歴史的事実になきゃ意味ないじゃん。
そもそもどこに攻勢終末点があるかなんて事前に認識できるわけ
ないじゃん。結果良ければ攻勢終末点以前だし、結果が悪ければ
攻勢終末点を越したことになるっていうだけ。
単なる結果論じゃん。

しかも
> 拡大は個人的野心だけでなく、各地の特産品を強奪するという面もあったのだ
なんて言ってる人が
>世界史に私の仮説をやぶる例がないんですよ。
なんて断言している時点で終わっトル

94 ::04/04/10 22:15
だから、歴史的事実としてローマや第二次大戦を上げてるわけです。
単なる結果論といえばそれまでですが。そこから教訓を得て現代に
生かすべきと思ってるんですが、いけませんか。

世界史に仮説をやぶる例がないというのがどうして終わってるんですか。


95 :世界@名無史さん:04/04/10 22:16
>>92

その攻勢終末点とやらを設定して万里の長城を築き上げたシナは
そこを何度も破られて滅んだ王朝数知れず、なんだが。

お前、ヴァカだな。

96 :世界@名無史さん:04/04/10 22:20
>>92
>根拠は世界史に私の仮説をやぶる例がないんですよ。

松井カズオは韓国系だ!
なぜなら、彼が韓国系であることを否定しなかったからだ。

…と電波を書き飛ばした朝鮮日報の記事を思い出した。

97 ::04/04/10 22:22
シナは攻勢終末点の引き方がまずかったということじゃないの。
そもそも、シナの地形では引きようがなかったともいえる。
ローマについてはアルプスに引けばよかったのではといってるだけ。

96意味不明

98 ::04/04/10 22:27
歴史を通じて「安全保障」を口実にした内陸部への展開はほとんどすべて失敗してるんじゃないかとの
仮説に対する反証を示すべきでしょう。

99 :世界@名無史さん:04/04/10 22:33
だから、ローマは失敗してないって
タイムスパン長く採りすぎ

100 ::04/04/10 22:35
トラヤヌス(最大版図)から軍人皇帝までをみればいかがですか。
結構短いような

101 :世界@名無史さん:04/04/10 22:41
>>100
んじゃ、その例で

1.内陸部への拡大が直接的なローマ衰退の原因である証拠
2.それ以外の要因によってローマの衰退は招かれなかったと言える論拠をいくつか

きぼん

102 ::04/04/10 22:46
1.については、直接的には212年カラカラ帝のアントニヌス勅法(帝国内の全自由民にローマ市民権を与える)
  でう。これで属州から人が流入し、かつ、軍人皇帝につながる、土着兵士の皇帝化を産んだ
  逆に言えば、蛮族に市民権を与えなければいけないほどローマの支配が衰えていた証拠。

2.それ以外の要因については、最大のものはやはりゲルマン民族大移動を生んだ気候変動です。
  しかし、これは最晩年のことですから、ローマにトドメさしたという効果ぐらいでしょう。

 

103 :世界@名無史さん:04/04/10 22:53
> だから、歴史的事実としてローマや第二次大戦を上げてるわけです。

あなたが歴史的事実として上げたものはおおむね事実ではないか、
評価がおかしいよ。
いろいろな指摘があるようだけどが、全て無視するか意味不明な反論(?)を
するだけじゃ、根拠として維持できないでしょ。
だいたい100レス位ついている中で一つたりともあなたに賛同する意見が
ない時点でおかしいことに気づくでしょ。


>そこから教訓を得て現代に
> 生かすべきと思ってるんですが、いけませんか。

いけなくはないけど、単なる結果論からどのような教訓を得て、
生かすの?
成功したあとで「攻勢終末点以内だったね」
失敗したあとになって、「あれは攻勢終末点を超えたね」
なんて言ってなんの意味があるの?


> 世界史に仮説をやぶる例がないというのがどうして終わってるんですか

なんの資料もなく、ローマの拡大の原因を100%主観的に評価しながら、
世界史云々と語るのは終わってるよ。三戦厨でもここまで酷くない。



104 :世界@名無史さん:04/04/10 22:54

> シナは攻勢終末点の引き方がまずかったということじゃないの。
> そもそも、シナの地形では引きようがなかったともいえる。
> ローマについてはアルプスに引けばよかったのではといってるだけ。

はまさに典型的な結果論。何ら歴史法則ではない。
滅んだのは攻勢終末点を誤ったから、攻勢終末点を誤ったか否かは
滅んだか否かで決まる、単なる循環論法。

そんなのだったら、「進歩に後れた文明は滅びる」とかいくらでも作れるよ

105 :世界@名無史さん:04/04/10 22:59
しかもシナでは適用できないんじゃ仮説(自称)としても破綻してるじゃん


106 ::04/04/10 23:04
シナでも適用できますよ。内陸部への展開は確実にあの国を滅ぼします。
そして、攻勢終末点を引きようがない文明は滅びるということ。シナはこれを
繰り返してます。

107 ::04/04/10 23:07
単なる循環論法ですが、その終末点を見極めることが必要という意味です
各文明固有の。

108 :第20軍団兵:04/04/10 23:25
だめだ、こりゃ。 七氏はまったく知的訓練を受けていない人種だ。素人相手に史料をまとめてお話するのは
自分の訓練になるからしばらく付き合ってみたけど、漏れはもうあきらめた。

スレタイだけは良いから、漏れも彼を見習って、ローマは海洋国家か?そうでないのか?
史料を垂れ流してオナるから、付き合いたい人は付き合って。

109 :世界@名無史さん:04/04/10 23:26
>>106
なるほど、中華文明は運命論的に滅びるわけか…
地形的に攻勢終末点が存在しないと。

でも中国の歴史を見ると征服者が中華文明に吸収され、漢民族が
ますます栄えるという経過をたどってますね。秦から見ても2200年以上
たってるのにまだ中華文明は滅びませんか?

またアルプスと中国の地形にどういう本質的相違があるんですか?
攻勢終末点たりうる普遍的な地形要素を教えてよ。


>単なる循環論法ですが、その終末点を見極めることが必要という意味です

だからどういう意味で必要なの?
盛者必衰の理とかデウス・エクス・マキーナとか、そういうのと違う必要があるの?
単なる循環論法なのに、なんで個別に終末点が成立するの?


110 ::04/04/10 23:30
攻勢終末店は地形できまります。山や川、海です。地政学に通じます。
シナは平野であり、遮蔽物ありません。ウクライナやポーランドと同じ。

イタリアはアルプスがありながらということ。

それは、今後の世界情勢を読み解くためです。
イラク戦争は間違いなくシリアやイランに飛び火します。
あの地域に攻勢終末点がチグリスやユーフラテスしかないからです。


111 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/04/10 23:33
>>92
>先入観ですかねぇ。根拠は世界史に私の仮説をやぶる例がないんですよ。
>「攻勢終末点の認識ができない文明は滅びる」ということです。
ウマイヤ朝イスラム帝国。
少なくとも、”攻勢週末点”とやらを超えていたとおぼしきガリア侵攻の失敗も
大した問題にならず。中央政府の目が行き届かずやがて支配権が失われて
いったイベリアは、後ウマイヤ朝という形で征服者の息を長らえさせる。

お前な、今までの流れを理解してるか?仮説の検証とかそういうレベルじゃないぞ?
「不勉強な>>1のためのローマ史講座」になってるのに気付かないのか?
ハッキリとお前さんの知識レベルは”仮説”なんぞ考えていいレベルじゃない。
せめて塩婆ぐらい読んでから出直せ。

112 :世界@名無史さん:04/04/10 23:37
96の皮肉がわからないようじゃなぁ。

113 :もう寝るよ:04/04/10 23:47
攻勢終末点は地形で決まるのか。
マハンとかハートランド理論とかでも斜め読みしたのか?

ただ中国のおおむねの地形くらいは把握しようぜ。
手元に歴史地図でもないか? 確認してみてくれ。
キミの悪い癖は自分の仮説(自称)に当てはめるために歴史的事実
や地形などをことごとく変形させてしまうことだ。
だから結論先ありきとか言われるんだよ。

あと地形的要素は戦略的機動に影響を与えるのは確かだが、
その影響は時代や装備兵種などによって様々だと思うぞ。
普遍的歴史法則としては通用しがたいんじゃないの?

ちなみにローマの内陸国境はライン川やドナウ川、ユーフラテス川
などで遮蔽されているわけだが。


> それは、今後の世界情勢を読み解くためです。

単なる循環論法では読み解きようがないでしょ。
攻勢終末点か否かは終わってみないとわからないんだから。

114 :第20軍団兵:04/04/10 23:49
おっと、アカン。
>108 の書き方では 七氏に付き合っている人が馬鹿みたいに読めてしまう。
>108 には"漏れに付き合いたい人は付き合って。"に変更ヨロ。

115 ::04/04/10 23:54
だから、ローマ史について、教えていただきありがとうといってます。
70なんて最高です。

2.については、直接的には212年カラカラ帝のアントニヌス勅法(帝国内の全自由民にローマ市民権を与える)
  でう。これで属州から人が流入し、かつ、軍人皇帝につながる、土着兵士の皇帝化を産んだ
  逆に言えば、蛮族に市民権を与えなければいけないほどローマの支配が衰えていた証拠。

への批判をお願いします。間違ってますか。


116 :もう一突っこみさせてくれ:04/04/11 00:00
>>115
>>70を批判する気は毛頭無いが、>>70の内容とガリアが攻勢終末点を
超えたかどうかの判断はどういう関連があるんだ?

2.については、間違ってます。
モンタネッリでいいから読め

117 :世界@名無史さん:04/04/11 00:05
七は単に>>70を見て、「うはは、アメリカが石油ほしがってのと同じじゃん、やったね」とオナってるだけだろ。
>>70氏、かわいそうに。

118 ::04/04/11 00:11
117>アメリカが石油ほしがってるのと同じじゃないんかね。

119 :世界@名無史さん:04/04/11 00:11
政治的主張のために歴史の都合のいいとこだけ切り取って論拠にするなんて
「我が闘争」とおんなじじゃない。正直、歴史好きとして吐き気がするよ。

120 :117:04/04/11 00:12
問題は同じかどうかじゃない。
アメリカと同じものを探して歴史を「利用」しているあんたの態度だ。
そんな色眼鏡で見てたら、そりゃあ同じものも見つかるだろうよ。
人間は自分の見たいと思った物を見るからな。

121 ::04/04/11 00:14
「単なる循環論法では読み解きようがないでしょ。
攻勢終末点か否かは終わってみないとわからないんだから。」
ではなく、過去の歴史から攻勢終末点を事前に算出できないか
という趣旨です。ローマはあくまで一つの例ですが。そうやって出した
終末店でもって、こんごの世界を読み解くために。




122 :世界@名無史さん:04/04/11 00:17
攻勢終末点は補給能力で全然変るぞ


123 ::04/04/11 00:19
「攻勢終末点は補給能力で全然変るぞ 」
それはそうです。私がアルプス防衛説となえたのも
ローマからの補給を考えてのこと。

124 :世界@名無史さん:04/04/11 00:20
心理歴史学でも作る気か?

125 :117:04/04/11 00:20
>七
あんたの論に乗っかって、
「アメリカにとっての攻勢終末点はインダスです。アメリカはイラン、アフガン、パキスタンを制圧しなければなりません」
とも主張できる。反論できるか?

先に言いたいことがあって、それに歴史的な先例を引っ張ってくるんだったら、結局のところ何でも言えてしまう。
だから、あんたの論は説得力ゼロなんだ。

126 ::04/04/11 00:22
117サン
私がいいたいのまさにそこ。アメリカはイラクを押さえるために
シリア、イラン、アフガン、パキスタンそしてサウジを制圧
しなければならないんです。

127 ::04/04/11 00:23
そして、それは必ず失敗するという主張の論拠としてローマやWW2
の日独にみる攻勢終末点の過誤を考えてるんですが。

128 :117:04/04/11 00:23
ふむ。では、
「アメリカにとっての攻勢終末点はチグリス・ユーフラテスです。アメリカはイラン以東に手を出すべきではありません」
反論できるか?

129 :117:04/04/11 00:24
>>127
あんたの論は、攻勢終末点をちゃんと設定できればうまくいく、という主張じゃなかったのか?

130 ::04/04/11 00:24
イラクを取った時点でチグリス・ユーフラテスは攻勢終末店
ではなくなりました。残念ながら

131 :世界@名無史さん:04/04/11 00:24
そして補給能力は状況で全く変る


132 ::04/04/11 00:25
129その通り、そしてアメリカの攻勢終末店は各大陸の港
なんです。つまりシーパワーとして。

イラク戦争はこの線を越えました。だから失敗するんです。

133 :117:04/04/11 00:27
>>130
意味不明。イラクをとる前は攻勢終末点はチグリス・ユーフラテスだったと取っていいのか?

攻勢終末点、というのをちゃんと定義してくれ。
「そこまでの地域を制圧すれば国家が繁栄を続けることが出来る点」
と取ったのだが、これでいいのか。
そして、七氏の主張に沿えば、ローマの攻勢終末点はアルプスであったと?

134 :世界@名無史さん:04/04/11 00:29
政治状況によって補給能力が変化すれば攻勢週末点は変化しますが何か?


135 :117:04/04/11 00:29
>>132
……攻勢終末点は河や山脈を想定しているように思ったのだが?
バスラだけ抑えとけって意味?

136 ::04/04/11 00:30
イラクというのは、歴史的にペルシャからアラブを守る防波堤でした
アメリカがサダム支援したのもそのため。その際はチグリスが終末店
ここからイスラエルまで遮蔽物なし。

むしろ、定義は「敵対勢力を排除できる線」でしょう。
地形や補給力に左右されると思います。WW2の日独はまさにここを
見誤り失敗しました。

ローマにおいてそれはアルプスじゃないかという仮説をたてたんですが
この板の皆様には賛同いただけなかった・・・

137 :117:04/04/11 00:31
七氏はアメリカもローマも海洋国家だと主張しているにもかかわらず、
ローマにはアルプスという海から離れた山脈を攻勢終末点として主張し、
アメリカには各大陸の港湾という、水際を攻勢終末点として主張する。
おかしくないか。
補給の性能を考えれば、古代の海洋国家より現代の海洋国家の方が水際から遠くまで制圧できるのではないのか?

138 ::04/04/11 00:32
シーパワーの終末店とランドパワーのそれは異なります。
シーパワーのそれは港の支配です。アメリカはイラクを押さえるには
クエーととっていればよかったんです。バスらとれればベストですが。
全土の制圧に手を出したことが失敗です。

139 ::04/04/11 00:34
ローマは半島です。アメリカは島です。しかし、ローマがアルプス
を拠点防衛できれば、ローマは島となるのではないかという意味。
つまり、英国や米国のような戦略が考えられるということです。


140 :117:04/04/11 00:35
>>138>>137へのレスか?
ランドパワーとは何を想定しているのか?

>アメリカはイラクを押さえるには クエーととっていればよかったんです。
言い換えると、「クェートを攻勢終末点としておくべきだった」
更に言い換えると「クェートから敵対勢力を排除しておけばよかった」
つまり、イラクを押さえていない訳だが。

141 ::04/04/11 00:35
補給の性能を考えれば、古代の海洋国家より現代の海洋国家の方が水際から遠くまで制圧できるのではないのか?
この発想がイラク戦争を起こし、ごらんの泥沼です。

142 :第20軍団兵:04/04/11 00:37
>115
明らかにおかしい、何か蛮族に偏見があるみたいだけど、「アントニヌス勅令」は蛮族に及ばない。
そもそもアントニヌス勅令には
...ただ降伏者を例外としてすべての種族民が市民団の中に(ry
とある。ローマ領内の蛮族がこの降伏者の中に含まれるのは明らか。

ローマ人の外国人の考え方を示すものとして、クラウディウス帝の元老院議員の
補充に際しての演説はよく引かれるが、ほかにも小プリニウスが残した書簡に、

あるとき、私がタキトゥスと一緒に競技場に行くと、席がいっしょになった議員が尋ねてきた。
「タキトゥスさん、あなたは元来はどこのご出身ですか?」
タキトゥスはその議員に
「あなたほどの教養をお持ちでしたら、名前から想像がつかれるでしょう」
と答えた。その議員は
「タキトゥスかな?それともプリニウスかな?」
と問い返した。

*68年刊の國原センセの「タキトゥス」巻末の解説より、私の記憶を元に転写、微妙に間違っている可能性あり。
**小プリニウスはタキトゥスと一緒にされて単純に喜んでこの書簡を書いている。

このように、元老院議員の出身地を当てることが、知的ゲームとして楽しまれるほど、その出身地がばらばらになっている
状況が垣間見える。

そういえば、もっとも有名な第20軍団出身者、大将軍アグリコラもガリア出身だったな。

143 ::04/04/11 00:37
140くエーとに米軍がいると、イラクは軍事行動できないという意味
つまり抑えることができるということ。戦略的にはこれで必要十分
石油確保やイスラエル安全保障のためのイラク戦争であり、戦略的には
誤りだということ。

144 :117:04/04/11 00:37
>>139
イギリスが七氏のいう「シーパワー」で、港湾支配だけを行っていたなら、
なぜイギリスはインド全土を支配できたのか。
インドの攻勢終末点とやらは、なぜ港湾ではなかったのか。

145 :世界@名無史さん:04/04/11 00:39
>>141
>この発想がイラク戦争を起こし、ごらんの泥沼です。

こりゃ純粋にあんたの妄想にすぎんだろう。
それともブッシュの顧問に聞いたんか?

146 :世界@名無史さん:04/04/11 00:39
馬鹿だな
米国が抑えなくても同盟国が抑えりゃ問題ないんだよ
ベルリン落としたのはソ連軍
でも米国のレンドリースと西部戦線の航空優勢が無ければ無理だったろう
日本を破ったのは米潜水艦による通商破壊
B29が飛んで来なくたって日本は負けてる

147 :117:04/04/11 00:40
>>141
その発想はあなたの頭の中にしかない。

自分の想像上の論理で動いてると想像して、それに想像上の歴史的法則で否定を与えようとする。
最初から最後まで想像だけで出来ているぞ。

>>143
9.11やイスラムテロは無視か。

148 ::04/04/11 00:40
第20軍団兵様

回答ありがとうございます。もう少し教えてください。

「元老院議員の出身地を当てることが、知的ゲーム」
ということはローマが彼らに乗っ取られていっている
過程ということではないんでしょうか。逆に言えば
純粋ローマ人のローマではなくなりつつある・・・間違ってますか

149 :世界@名無史さん:04/04/11 00:41
>139
当時世界最強の陸軍を放り出して、シーパワー化して何が嬉しいわけ?

150 ::04/04/11 00:44
117インドは直轄しましたが、19世紀半ばすでに
植民地支配のコストがかかりすぎるという批判が起きてます。
シーパワーの本分は自由貿易です。インドの反省にたって英国は
日本とは開港と貿易関係にとどめました。

151 ::04/04/11 00:45
149
当時世界最強の陸軍だから使う方がよいという意味ですか?

152 :117:04/04/11 00:46
>>126
>アメリカはイラクを押さえるために
>シリア、イラン、アフガン、パキスタンそしてサウジを制圧
>しなければならないんです。
>>130
>イラクを取った時点でチグリス・ユーフラテスは攻勢終末店
>ではなくなりました。残念ながら
>>132
>129その通り、そしてアメリカの攻勢終末店は各大陸の港
>なんです。つまりシーパワーとして。

>イラク戦争はこの線を越えました。だから失敗するんです。

総合すると、「イラク戦争前はチグリスが攻勢終末点」「イラク戦争後はインダスが攻勢終末点」と言っているように聞こえるが、
これでなぜイラク戦争は失敗すると言えるのか。
インダスが攻勢終末点(そこまで制圧すれば繁栄できる点)なら、インダスまで制圧すればいい。
いや、制圧しなければならない。

153 :世界@名無史さん:04/04/11 00:46
論拠が時空を超えてあっちこっちに飛ぶなぁ…。
なんでもありのバーリトゥードかよ。

154 :117:04/04/11 00:47
>>150
批判が起きてるから何なのか。コストがかかっているから何なのか。
インドがイギリスの衰退に決定打をもたらしたのか?
インドの港湾を押さえるだけなら、大英帝国は繁栄を続けられたのか?

155 :117:04/04/11 00:48
>>153
歴史からいいとこをつまみ食いして論拠にしようとしてますから、
論拠になればどこのどの話でもいいんでしょう。

156 ::04/04/11 00:49
145
ラムズフェルどの軍事改革戦略は明らかに空母を廃止し、空軍とRMAを経た小数の陸軍で
世界中への展開を迅速に行い制圧できるというもの。イラク戦争に際しても
シンセキ参謀長は13万の兵員では到底全土制圧できないといってたが、らむ
は押し切って開戦。ごらんの有様。


157 :117:04/04/11 00:49
>>150
インドとの独占貿易で大英帝国が繁栄したことをどう説明するのか。

158 :世界@名無史さん:04/04/11 00:50
>>155
それだから「我が闘争」なんて言われちゃうんだよね。

159 :149:04/04/11 00:50
陸軍国として最強だからといってそいつを放り出しさえすれば海洋国家として最強にはなれるわけではなかろうて、という意味

100超えたあたりから訳分かんなくなってきた
もう寝よう

160 ::04/04/11 00:52
152
「インダスが攻勢終末点(そこまで制圧すれば繁栄できる点)なら、
インダスまで制圧すればいい。」

ということが現実的でないから失敗するといってます。
イラクやパキスタンすら押さえきれなくなってる。

161 :117:04/04/11 00:52
>>160
ではインダスは攻勢終末点ではないだろう?
>>126
>アメリカはイラクを押さえるために
>シリア、イラン、アフガン、パキスタンそしてサウジを制圧
>しなければならないんです。
これ嘘じゃん

162 :世界@名無史さん:04/04/11 00:52
>>156
それはラムズフェルドがシーパワーを過信していたからだと言いたいのか?
いくらなんでも飛躍しすぎじゃないのか?

163 ::04/04/11 00:56
162 違います。らむがシーパワーを否定し、空軍とRMAを過信したという
ことです。

164 ::04/04/11 00:57
161要するに中東では
インダスから地中海、紅海にいたる線が終末点です。

165 :117:04/04/11 00:57
結局のところさあ、今のアメリカにとっての攻勢終末点てどこなの。
ローマや日本の場合はなんとでも言えるよ。もう終わった話だからな。
俺らには「後知恵」という強い味方がいる。
「あんなとこまで攻めるからバカなんだよ」とか言うのは簡単だ。

けど、アメリカがどこまで制圧するのが妥当で現実的かなんて、どうやって判断するのさ。
結局あんたの主観だろ。

166 :世界@名無史さん:04/04/11 00:58
学問を舐めてんじゃないのか?
思いつきの符合や都合のいい解釈で真理が導き出せると思ったら大間違いだぞ。

167 :117:04/04/11 00:58
>>161
ではアメリカはその地域を制圧すべきである、と。

168 :117:04/04/11 00:59
間違い。
>>167>>164宛て。

169 ::04/04/11 00:59
主観ももちろんありますが、イラク戦争に介入したアメリカの
終末店はインダスから地中海、紅海にいたる線だといってるんです。
そして、この線を維持するのは不可能だということ。

170 :117:04/04/11 01:04
>>169
それが意味不明だっての。
「インダス〜地中海〜紅海の線を維持すればアメリカは繁栄する」
「インダス〜地中海〜紅海の線を維持するのはアメリカには不可能」
結局のところ、アメリカに繁栄という選択肢を与える気ないだろ。
そしてそれはあんたの願望だろ。
その願望を証明するために、ローマやら日本やらのネタをつまみ出して飾って悦に入ってるだろ。
あんたの論が説得力を持たないのは、それが見え隠れしているからだ。

で、シーパワーであるイギリスがインドを制圧し、そことの「独占貿易」で繁栄した事実をどう理解するのか教えてくれ。
これでも反証を挙げたつもりなんだから。

171 :世界@名無史さん:04/04/11 01:10
>>170
>結局のところ、アメリカに繁栄という選択肢を与える気ないだろ。
>そしてそれはあんたの願望だろ。
>その願望を証明するために、ローマやら日本やらのネタをつまみ出して飾って悦に入ってるだろ。
>あんたの論が説得力を持たないのは、それが見え隠れしているからだ。

結局それに尽きるよなぁ。
反米感情のために歴史を寓意的に扱おうとしてるようにしか見えないもん。
アメリカのすべてが好きなわけじゃないが、単なる歴史の冒涜だよこりゃ。

172 ::04/04/11 01:11
「インダス〜地中海〜紅海の線を維持すればアメリカは繁栄」するなどといったことはない。
イラクに手を出した以上必然的に地中海からインダス、紅海までおさえないと安定しな
いし、それは不可能だといってる。つまり、イラク攻撃はあきらかに攻勢終末店を見誤ったんだ。

インドとの独占貿易は1860年代にイギリスが植民地政策から自由貿易政策
へとシフト(穀物法が1846年に撤廃されると、英国の内側では産業資本主義が
定着し、国際社会に対しては帝国主義が退き、グラッドストン内閣下自由主義的
な「小英国主義」が基調となった。)したことがその理由であろう。植民地直接支配
はコスト高でペイしないことをインドで学んだんだ。反乱もあるし。

173 :117:04/04/11 01:11
反論ないようだし、寝ます。

174 :117:04/04/11 01:18
>植民地直接支配はコスト高でペイしないことをインドで学んだんだ。
それもあんたの妄想でしょ。妄想で反論されてもね。
「英国で産業資本主義が定着した」のは何でだと思う?

……もういいだろ。
>>171をゆっくり読み直して、自分の論の立て方を考え直してみた方がいい。
歴史は道具じゃないし、そういう歴史の扱い方は当然ここでは嫌われる。
ここの住人はそんなことを望んでいないからだ。みんな何のかの言って歴史が好きでここに来てるんだからな。
これは、結局あんたの論が正しいかどうかの前の問題なんだよ。

175 ::04/04/11 01:25
了解しました。私は歴史を純粋に歴史として語りたいという方とは明らかに
ちがいますね。
私も歴史がすきなんですが、歴史を歴史として完結させるのではない、そこから
教訓をくみ出し、現在そして未来を見通す糧にしたいと思ってるんです。
それは、歴史を冒涜ということかもしれませんね。

お付き合いいただきありがとう。

176 :第20軍団兵:04/04/11 01:49
クラウディウス帝の演説っていうのは、
「雁首そろえている藻前らより、ずーーっと名門貴族のクラウディウス氏族だってエトルリア人なんだぞ、
今ごろになってなに言ってる、ローマに3代暮らせばローマ人。今に始まったことじゃない」
という事を史実を引いて格調高く語ったのがそれ。
ローマっていうのはは生まれじゃないってこった。

そーいや、キケロもローマ出身(ノクリムだったかな?)じゃないし、セネカ、コルブロはヒスパニア出身だったろう。確か。

177 :世界@名無史さん:04/04/11 01:53
>それは、歴史を冒涜ということかもしれませんね。

違うよ。くだらん反米妄想のダシに歴史を使うのが冒涜だっつの。
ほんっと〜に一から十まで都合のいい解釈ばっかりだったな。
逝ってよし!

178 :第20軍団兵:04/04/11 02:24
>175
あのな、教訓をくみ出すもなにも、前提が間違っていたら、教訓もなにもないんじゃないの?
普通ローマは陸軍国だって言われるけれど、海洋国家でもあるっていうことは、そうかもしれない。
なんせ、自分たちでマーレ・ノストゥルムって言っているぐらいだし。
それじゃあ、どのくらい海洋国家であったのかを明らかにしないと、海洋国家論は単なる思い付きだろ。
*↑漏れはそれをこのスレでやらせてもらう。

その作業もせずに地政学・反米論に突然移られても板住人はポカーン(゚Д゚ )だよ。
まあ、リア工ぐらいだろうからみんな生暖かく付き合ったのだけど...
(工房以上ならマジで世の中渡っていけそうにないヤバイ思考回路だ...)
まあ、前提と結論を脳内で直結するんじゃなくて、その過程を板住人が納得できる形で展開していくことが必要なことだろね。



179 :世界@名無史さん:04/04/11 02:32
>>82の看破が全て正しかったってことだな。
通読すると、このレス以降、七の論理がどんどんイってしまってるのが判る。

180 ::04/04/11 02:47
178,179
ご指摘の通りです。私の関心は現在のアメリカと世界がどうなるかの方に
あり、それを調べて行く上で、二次大戦やローマなんかに前例や教訓が
あるんじゃないかと思った次第。二次大戦についは資料豊富でなんとかなるん
ですが、ローマについては詳しくないため、この板の皆様のご意見いた
だきたかったのです。
そういう不純な動機ですので、しばらくは第20軍団兵様其の他の議論を
勉強させていただきます。時折、ぼけた突っ込みさせていただくかもしれませんが
そこは笑って許してやってください・・・


181 : ◆6hgEmzypp2 :04/04/11 03:00
>>180
歴史というものは未来を予言するものではないと肝に銘じておくべきだと思われ。
前例や教訓は今後その通りのことが「必ず」起こる事を保証しないんですよ。
はっきり言ってしまえばこの先の事がどうなるかは
それこそ歴史の神様しかご存知ではない、ぐらいに考えて
謙虚に前例や教訓と対面すべきと思います。
なぜ歴史を勉強するか?
それは私たち自身、つまり「現在」をよりよく理解するため
未来の事は未来の人々に任せましょう。

それから物事をまず決めつけてから理論を展開したいならば、
その仮説となるべき「決めつけ」をもっと鋼鉄の論理で構築しないと
「砂上の楼閣」となるだけです。


182 :第20軍団兵:04/04/11 04:10
さて、ローマ人の地中海での活動が積極的になり、BC130年頃には便宜を図ってもらう側から、
100年ごろには便宜を図る側に立場が変わった事を示すために
>72 >73
の史料を引用してみた。
では、地中海世界は、その直近ではどのような状況だったのだろうか?
まず、BC146に第3次ポエニ戦争が終結、
BC148には第4次マケドニア戦争が終結し、アカイア同盟は解体され、ギリシアの諸ポリスはローマに服属し
2年後のBC146年にはアンティゴノス朝マケドニアがローマに服属する。
同じ時期、セレウコス朝シリアは166年〜142年までマカベアの乱が起こっている(←良く知らない、詳しい人解説キボン)
プトレマイオス朝エジプトはマケドニア戦争をローマと共に戦った後、
外行的には比較的平穏な時期を迎えるようだ(お家騒動が頻発してそれどころでない?←良く知らない)

これらの出来事が商売に、そして海運にどのような影響を与えるかについては明日以降。



183 :世界@名無史さん:04/04/11 16:02
七はここにいくべきだ



http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1041433820/

184 :世界@名無史さん:04/04/12 01:57
関連過去ログ
悲惨な絶滅戦争によるカルタゴの最期 (48)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/993/993136092.html

185 :第20軍団兵:04/04/12 21:55
>182 を書き込んでいて、ふと疑問に思ったんだが、ポリスが消滅したら、ポリス間で締結していた
取り決めはどうなってしまうのだろう? 只今調べ中。

186 :例のにゃあにゃあ:04/04/13 01:15
>>182
ちょうど別スレの関係で、マカベアの乱を調べていたニャ。
聖書のマカバイ記に詳しくあったニャ。
聖書によるとユダヤの指導者ユダ・マッカビーはセレウコス朝の像部隊を何度も撃ち破り、
イスラエルをセレウコス朝から独立させたニャ。
聖書は戦いの場面で何かと像を強調してるいるニャ。
だけど、聖書を見てるとセレウコス朝はユダヤよりも東方侵攻に重点を置いてるように見えるニャ。

ポンペイウス・トログス,地中海世界史,京都大学出版会,1998,pp.386-387
ポンペイウス・トログスにもこの乱が少しだけ記録されていて、ユダヤ勢力が強力だった事が強調されてるニャ。
だけど、トログロスはユダヤの本拠をエルサレムではなくダマスカスとしているところが面白いニャ。
トログロスは乱と言うより、ユダヤ勢力にセレウコス朝の方がシリアを侵略されたといってるようにも見えるニャ。

loeb423 diodorus siculus ,harvard,1967,p279
ディオドロス・シキリウスにもあったニャ。
ポンペイウスのシリア遠征の記述のおまけとして、
ポンペイウスに対したユダヤ人の祖先達はデメトリウス一世に対して反乱を起こしてローマの元老院へ使者を送り、
ローマからユダヤの支配権を承認されたとあるニャ。
それで本拠もトログロスと同じにダマスカスとなってるニャ。

ターン,ヘレニズム文明,思索社,1987(org.ed.1952),pp.191-193
上の本でも、セレウコス朝はマカベアの乱を重要視していないと見ているニャ。
この本によるとマカベアの乱の基礎史料は聖書でいいみたいだニャ。
マッカピーはイスラエルの独立をより確かなものにするためにローマと同盟を結んだみたいだニャ。

我が輩は古代史の事はよく分からないから、このていどしか調べられなかったニャ。

187 :第20軍団兵:04/04/14 00:17
>186 ありがとうございました。

やっぱ、ポリスが滅びたら、その都市の市民は消滅だよなー。そのポリスを留守にしていた商人は"外人"になるのかな?
取引相手のポリス住人が"保証人"になってくれていたら商売上の実害はそんなにないのかもしれないけど...
しかし、フェニキア人&コリントス商人は都市を失うと商業も不活発になったようだし。何が商売の足を引っ張るのだろう?(まだ調べ中)

BC2c〜1cのデロス島の状況
きわめて多くの者たちが奴隷の輸出というこの呪われた仕事に殺到した、莫大な利益となったので、
というのも彼らは簡単に捕らえられたばかりか、大規模で豊かな市場がそれほど遠くにないところにあったからである。
それはデロス島で、ここでは1日1万の奴隷を受け入れ、また送り出すことができた。こうしてこのことから諺すら生まれた。
「商人よ、港に入り荷をおろなさい、すべて売り切れるから」この原因は、*カルタゴとコリントスの破壊ののち、ローマ人が豊かになり、
多くの奴隷を使用したことにある。(中略)彼ら(=海賊)は略奪ばかりか奴隷貿易にもたずさわっていたのである。キュプロスの王も
エジプトの王も**シリア人に敵対していたので、このことで彼らに協力していた。

*ここから、ポエニ戦争(=カルタゴの崩壊)とアカイア同盟の崩壊(=コリントスの破壊)がローマ人に有利な経済状況を作り出したことがわかる。
**海賊が横行する状況で交易が順調に進むわけはないので、イタリア-セレウコス朝の交易は低調だったろうと想像できる。

188 :第20軍団兵:04/04/19 00:17
ストラボン「世界地誌」の交易についてのデロス島の記述

この島がなお一層の繁栄を見たのはコリントスがローマの手で根こそぎ破壊された結果であった。
この神域が租税免除であったのと、港が好位置にあったことが交易商人を呼び寄せ、商人たちは
この島へ移ったイタリアやギリシア本土からアジア方面へ航海する人々にとって、この島は格好の
位置にあった。さらに、島の例大祭は一種の交易行事であり、ローマにとっては他のどの地方の
人々の祭りにも増しておなじみの祭りで、これはコリントスが(交易地として)並立していた頃でもそうだった。

そして、アテナイはこの島をもらうと、神事にも交易商人にも十分気を使っていた。
ところが、ミトリダテス王の将軍たちがやってくると、この島をアテナイから離反させた僭主と一緒になって、
何もかも破壊した。その王が故国へ引き上げた後、ローマが再び島を取り戻したがその時島は無人の
地になっていた。以来今日まで島は細々と活動を続けている。島の所有者はアテナイである。


189 :第20軍団兵:04/04/19 00:30
おなじく、コリントスについての記述(1)

コリントスは交易によって裕福な市だといい、市はコリントス地峡にあって2つの港を支配し、
港は一方がアジア、他方がイタリアに接している。そして、これほど離れている両地方内の
それぞれの地域のために、商品はどちら側からでも相手の方へとたやすく交換し合えるようにしている。
(中略)
イタリアからとアジアのどちら側から来る交易商人も、マレアイ岬を目指す航路を避けて
このコリントス市へ積荷を降ろすのはまだ良いことだった。さらに、陸路ではペロポネソス地方から積み出し、
または運び込む品物に対しても、入り口を扼すこの市に税が落ちた。この状況は後々までも相変わらず続き、
しかも後になると一段と有利な材料が加わった。イストミア祭競技会もこの市で開催され、
多くの人を引き寄せたからである。



...これ以上は後日

190 :第20軍団兵:04/04/19 20:34
コリントスについての記述(1)

また、アプロディーテの神域は非常に富裕で、1000人を越す遊女が神殿奴隷として抱えていたほどだった。
男女を問わず、多くの人が、この女神にこれらの女奴隷を奉納した。その結果、この遊女群のおかげもあって、
市にはたくさんの人が群れ集まり、市は大いに潤った。船主たちは儲けをあっさり使い尽くすのが常だったし、
このため諺に言うとおり-


191 :世界@名無史さん:04/04/20 23:30
 でもぶっちゃけローマは形を変えて生き残っている。
正に『永遠のローマ』
東ローマは帝政ロシアを経てソ連邦から今のロシアまで
西ローマは今の西欧諸国の基となりEUやアメリカもその系譜。
ヒトラーもナポレオンもローマの申し子であり、
 なにより現存するキリスト教はキリスト本来の教えというより
ローマ化されたイデオロギーといってよく
ローマンカトリックや東方正教会もローマの分流。
イスラム帝国からオスマントルコ帝国も考えてみればローマの
(あるいはそれに近い)系譜に位置していて
・・・・・・・ローマ文明は全世界に影響を伸ばして息づいている。

192 :191:04/04/20 23:43
すまそ誤爆ですた。

193 :世界@名無史さん:04/04/21 00:29
既出かも知れないが、カエサルがガリアを征服した後
海洋国家気味になってきたんじゃないの?
最初は明らかに陸軍国家だし

194 :世界@名無史さん:04/04/22 01:04
ローマが海洋国家にシフトする契機はガリア征服というよりエジプト征服にありそうだね。
エジプトが食糧生産地であったことを考えると海上輸送が重要になっただろうし、シーレーン防衛の必要ができたわけで海軍も育つと。
もちろん北アフリカの征服でも同じことが言えると思うが。

195 :世界@名無史さん:04/04/26 01:23
カルタゴ滅亡後の遺民をローマの海上交易に取り込んだという線は?

196 :世界@名無史さん:04/04/26 23:51
>1
じゃなくて半島国家だったから
内陸から攻められないように
ガリアをローマの傀儡にするため侵略したんだろ。
日本が朝鮮防衛のためシナとロシア
の間に満州国つくったのと
似たようなもの。

攻撃は最大の防御というではないか。

197 :世界@名無史さん:04/04/26 23:53
>16
シナ人が
モンゴル人を嫌ってたけど
兵隊に使ったのと一緒。

198 :世界@名無史さん:04/04/26 23:54
>ガリア軍がハンニバルのように攻めてくるという脅威があったのか?
ハンニバルってガリア人を傭兵につかってたよな。ちがったけ

199 :世界@名無史さん:04/04/27 00:01
ルーマニア
イタリア
スペイン
ポルトガル
中米南米


すべて形は変わったがローマ帝国の末裔たちの国家。
ついでにカトリック教会の総本山がローマにある。
ラテン人は脈々と行き続けているし。
ローマ人の文字はローマ人とゲルマン系諸民族が受け継いで
発展させている。



帝国は今も生き続けている。

200 :世界@名無史さん:04/04/27 00:10
>なにより現存するキリスト教はキリスト本来の教えというより
>ローマ化されたイデオロギーといってよく

そのとおり。
そもそもローマが侵略根性をはたらかせて
ユダヤ人の祖国をローマが奪いつつあったとき
キリスト教が誕生した。

そもそもキリストが磔を食らったのも元はといえば
ローマ人のせい。

ユダヤ人が悪人のように言われているが
果たして真実はどうなのか。そもそも
一民族のためだけの宗教を世界宗教にしなければ
ならなくなった時の心情とはいったいどういうものなのか。
そのころ一般ユダヤ人はローマの支配を受けて
ほとんど分裂症のような状態であったはずだ。

とにかく悲しみに耐えない物語なのである。



201 :第20軍団兵:04/04/29 00:52
コリントスについて(3)

その後(*ローマのコリントス破壊以後)長い間、コリントスは荒らされたままになっていたが、
神君カエサルがこの市の地理上の便利さを見てこれを再興し、移民を送り込んだ。移民のほとんどは解放奴隷の人々だった。
移民たちは廃墟を片付け、それと同時に墓をも暴いて素焼きの浮き彫り板を大量に見つけ出し、ブロンズ容器も数多く見つけた。
そして、出土品の出来栄えの良さに驚嘆し、どの墓をも残らず探し回ったので、この種の品がたくさん出回り、高価で捌かれ、
ローマを「ネクロ・コリントス」ものでいっぱいにした。(中略)はじめのうち、これらの品は**コリントス細工のブロンズ容器と
ほとんど同じくらいの値がついたが、その後この熱狂ぶりは止まった。止まったのは焼き物類が底をついたのと、
ほとんどの品の供給が続かなかったことによる。
コリントスはいつの世にも大きく富裕な市だとされてきたし、政治と芸術工芸の両分野ともに優れた人材を供給し、とりわけこの市と
シキュリオンの両市で絵画、造型などこの種のあらゆる工芸技術が成長を遂げた...

*コリントスの破壊についてはポリュビオスが詳しいらしい。
**発掘したコリントス青銅器と取るか、その頃でも生産されていた青銅器と取るか、解釈が難しい(漏れには分かりません)
まあ、残っていたとしても大量の需要に答える事は難しい規模だったということで。

以上の資料から、
コリントス、デロスとも戦争による破壊(デロス島はミトリダテス戦争による)が行われると商業は壊滅的な打撃を蒙ることが分かる。
なぜ壊滅するのかという原因は分からないけど。

202 :第20軍団兵:04/04/29 00:55
>193
これまでの記述 >188 >189 >190 >201 はデロス、コリントスの記述なのだけれども、これに対し、
ローマの外港であるオスティアのついては,わずかこれだけの記述に過ぎない。

ラティウム地方の市で海辺にあるのはまずオスティアで、ここには港がないが、
これはティベリス川が土砂を堆積するからで、(中略)
そこで、交易船は危険を冒してまで沖合いで荒波の中に碇を降ろすことになるが、
それでも利得のほうが危険に打ち勝つ。しかも、下廻り船がたくさんあって、
船荷を受け取り代わりの積荷を運んで、交易船が川に接しないうちに早く出航できるようにさせたり、
または交易船が船荷を一部下ろして喫水を浅くした上で入港し、
ローマまで190スタディオンの間を遡行する。

盛んな取引が行われ、沖待ちをしないですむように効率的な荷揚げを可能にする
組織が存在することは覗えるけれども、オスティアが交易で名を成すを程になったとまでは
記述されていない。
なおオスティアの繁栄が絶頂に達するのはトラヤヌス港ができた後から3cいっぱいとの事。
ただ、ローマからの輸出品があるということはローマが単なる消費都市ではないということで、
注目してよいと思う。

203 :第20軍団兵:04/05/10 01:41
>194

今「地理誌」を追っているのだけれども、これによると、
アレクサンドリアについては貿易についての記述は特にない。
同じく、シリア地方の港湾についても貿易についての記述が見られない。
東方貿易の拠点については現状では良く分からない。(プリニウスを読めば分かるのかも)

とりあえず斜め読みを終えた感触では、ストラボンが貿易等の記述をしている場合、
それは特に取引が目立つ場合のようだ。よって、 >202 のレスで、"わずか"
と書いているのは誤認なので撤回します。


204 :第20軍団兵:04/05/10 02:47
>194

今の時点での漏れの予断と偏見では、大カトー(BC234-149)の頃からその動きが
始まるのではないか?と考えています。

カルタゴとコリントスの破壊は地中海世界での覇権を確立する契機となった事件ですが、
これ以前の直近の状況は、少なくともカルタゴの破壊を求めたのではないか?と。
大カトーの党派(この用語はイクナイのだけれども)は新興商人たちじゃなかったかな?(うろ覚え)
少なくともコルネリウス一門とは対立する位置にあるわけで、私的大カトーが単なるラテン国粋主義者
とはどうも考えにくい。

このアイディアには"じゃあポンペイウスの海賊討伐まで海賊がはびこるまでほっといたんだよ?"
って弱点があるのだけど。



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