5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ベルリンの歴史

1 :名無史ちゃんVon Sekai:04/02/02 11:12
いろいろあったね。

2 :1:04/02/02 11:16
カール・リープクネヒトの碑があるのか?
>http://www.bmkberlin.com/Berlin/LiebknechtDenkm/Karl-Liebknecht-Denkmal.htm

3 :世界@名無史さん:04/02/03 22:50
Shönholz

4 :種村季弘:04/02/07 12:40
うわっ。なんかツボにくるスレタイトルだな。
ベルリンの魅力は、プロイセンの王都、ドイツの帝都として古典的な
力強さによって建設されながら、2度の敗戦(WW1、WW2)によって挫折を
味わったとこだな。

誇るべき国家の中心が、なしくずしにキャバレエや浮浪者やスパイや軍隊や
外国人や芸人や性的変質者に占領されて、退廃と綱紀粛正で揺れ動いたところが
20世紀ベルリンの魅力だなぁ

5 :世界@名無史さん:04/02/07 12:55
今でも(西)ベルリンにはDQNが多いの?

6 :世界@名無史さん:04/02/07 18:57
4ヶ国で管理したので、各々空港を持ったので4つあったんですね。
ベルリン封鎖の時の空輸はすごかったんでしょう。

7 :世界@名無史さん:04/02/11 23:30
あの立地になぜできたのかも知りたいところ。

8 :世界@名無史さん:04/02/12 00:10
約1年間、延べ20万機、最大1日1400機の補給とは
あまりすご過ぎて想像しにくい。

9 :世界@名無史さん:04/02/22 20:56
邦正美著「ベルリン物語」 朝日選書 1993年
著者は1936年から45年までベルリンに滞在。ベルリン陥落を
実体験した。ドイツに比べれば日本は沖縄を除けば、内地が戦場に
なってない。別スレもあるけれど、ドイツは大変だったね。ソ連兵に
徹底的にやられちゃってる。満州と違うと思ったのは、ソ連側が自分達
もドイツにやられてるからお返しという意識もあったようだけれど、日本は
ソ連をやってないのに。

10 :世界@名無史さん:04/02/23 10:21
>>6
ルフト・ブリュッケ→ミルクから、石炭まで。
テーゲラー・ゼーやマリエンドルフ付近の、小さな畑では、ベルリン市民の
台所はとてもとても、賄いきれなかった。燃料の薪が不足して、あちこちで
街路樹が切り倒された。


11 :世界@名無史さん:04/02/23 14:24
ベルリンでペロリン

12 :世界@名無史さん:04/02/23 14:33
>>4
ご本人ですか?
その昔、大学4年のとき、某大学で先生の講義を履修しておきながら、
ただの一回も出席せずにDくらったものです。

忙しかったとはいえ、失礼を致しました。。


先生がご担当された太陽のベルリン特集、今でも手元にとっております。

13 :世界@名無史さん:04/02/23 15:23
ベルリンの壁があったところには日本から持ってきた桜で桜並木つくっている歩行者専用道路がある

14 :世界@名無史さん:04/02/23 15:30
ベルリンの壁は、万里の長城みたいに観光名所として残せばよかったのに。

15 :世界@名無史さん:04/02/23 15:40
ベルリンに限らず、ドイツの都市ってあんまり交通渋滞しない印象があるなあ
アウトバーン様々ですか?

16 :世界@名無史さん:04/02/23 16:00
ドイツでは環境保護のため車通勤は避けて公共機関の利用がすすめられている

17 :世界@名無史さん:04/02/23 18:32
あとは日本よりも職住近接とか、
都心部へ車をいれさせないとか。

人口や車の台数が日本よりもずっと疎らなんではないでしょうかね?

言うほどは多極分散でもないというドイツの構造を考えると。。

18 :世界@名無史さん:04/02/23 19:09
ドイツ人はすぐ「日本人オウチャクデ〜ス。ドイツ人カンキョウカンガエテマース」とかいって
10kmも20kmもチャリで移動するイメージがある。

19 :世界@名無史さん:04/02/23 22:00

統一したらあっという間にパリやロンドンを抜くような都市になるのかと思ってたけど、
全然ニュースなんかでも耳にしないね。


20 :世界@名無史さん:04/02/23 22:14
>>17
んー、でも一極集中の日本に比べれば、まだまだ分散してるかな。
人口も総面積も日本とさほど変わらないけれど、あっちは真っ平らな
ラントシャフトが多いので、土地活用がしやすいってのはあるでしょうね。


21 :世界@名無史さん:04/02/23 22:18
昔はドイツのもっと真ん中だったんでしょうか?
今ははずれ過ぎるんですかね。

22 :世界@名無史さん:04/02/23 22:26
帝政時代はほぼ真ん中。

23 :♪\(■^ム^m○)/!:04/02/23 23:37
\(^■^ ラ 【卍】もっと帝国の西の外れにしようとしたのに「陸の孤島」
にされてしまった。正直スマンかった…。

24 :世界@名無史さん:04/02/24 00:37
>>23
ワロタ


25 :世界@名無史さん:04/02/24 01:59
>>20
それ、人口比率で考えると、逆の結果になるんですよ。


26 :世界@名無史さん:04/02/24 16:35
戦後はアメリカ地区にあったテンペルホーフ空港が中心。
併合後の現在はイギリス地区にあったテーゲル空港中心。
近い将来は、ソ連地区にあったシェーネフェルト空港を拡張、整備して
ハブ空港にする計画らしい。
ポツダムの手前にガトウ空港というのがあって、ポツダム会談に臨む
チャーチルが降り立つ写真があるからこれがイギリス用か?
ベルリン4分割が決まったのはヤルタ会談ですかね?

27 :世界@名無史さん :04/02/26 17:55
「プロイセン」の語源は、キリスト教布教以前から、バルト海沿岸地方に
定住していたプルッツェンという民族に由来する。13世紀になって入植
してきたドイツ騎士団と50年にわたる戦いに敗れてキリスト教化され
ドイツ化されていった。
(他の専門スレへの予習として)

28 :世界@名無史さん:04/02/27 15:32
14世紀には「プロイセン」の名が、大量に入植してきたドイツ人居住区を
指すようになり、そこを含むドイツ騎士団の領地は、現在のポーランド北部
からバルト三国に及んだ。

29 :世界@名無史さん :04/02/28 10:15
1415年、南部ドイツ出身のホーエンツォレルン家が、皇帝により
ブランデンベルク辺境伯の地位をあたえられ、1448年にベルリンを
首都に定めた。「辺境伯」の名のとおり、ブランデンブルグ地方は帝国の
中心から遠く離れた、貧しい地方だった。それ以前のベルリンはプロイセン
とは特に関係ない、ブランデンブルグ辺境伯領内のちいさな交易都市に
すぎなかった。現在の博物館島とニコライ地区周辺で、シュプレー川の魚や
農畜産物などを扱う市場町として生まれ、バルト海とドイツ南部を結ぶ
交易都市として発展しつつあった。

30 :世界@名無史さん:04/02/29 22:38
一方、ドイツ騎士団所領だったプロイセンは、1618年「プロイセン公国」として
世俗化し、ホーエンツォレルン家が相続するブランデンブルク公国となぅた。
首都はケーニヒスベルクにあった。これによりホーエンツォレルン家は、東の
飛び地の「プロイセン公国」と、ベルリンを首都とする「ブランデンブルク
選帝侯国」という、ヨーロッパの辺境ではあるが、広大な領地を手に入れた。

31 :世界@名無史さん:04/03/01 17:27
1701年、ブランデンブルク=プロイセンは「プロイセン王国」と名乗る
ことを神聖ローマ帝国皇帝から許され、ケーニヒスベルクで戴冠式が執り
行われた。広大なブランデンブルクの方の領土は神聖ローマ帝国に属して
いたため、当初はプロイセン公国内(後の東プロイセン)でのみ「国王」の
称号を使うことを許されたにすぎなかったからである。

32 :世界@名無史さん:04/03/01 21:18
zu と vonの違い、でしたっけね。

33 :世界@名無史さん:04/03/01 21:23
……ブランデンブルク公国????

34 :世界@名無史さん:04/03/02 13:32
上記はタネ本は
鈴木真弓著「ベルリン=旅物語」東京書籍、からのこぴいです。
鈴木さんはドイツ人と結婚された方で、地球の歩き方のドイツ編、
オーストリア編なんかを書いてる方です。あまり本屋に見かけない
本で取り寄せで入手しました。なにを隠そう私はドイツ史の知識は
ゼロですが、5月にベルリンに遊びに行けることになったので、
全く個人的な情報収集に使わせていただいてます。公国、王国も
よく解りませんが、今自分が解らないのは、ベルリンの西すぐに
ブランデンブルクという地名があるんですが、ここがホーエンツォレルン家
とどういう関係にあるか?という点です。

35 :世界@名無史さん:04/03/03 15:55
Lehen, Lehenwesen, Fürstentum,Fürst, der Fürst der Finsternis
Adel, Adels(r), Adels-prädikat, Reich, reich

36 :世界@名無史さん:04/03/03 23:33
この紫がプロイセンらしい。
>http://www.din.or.jp/~a_ohno/Polen/Brief%20history%20of%20Poland.htm

37 :世界@名無史さん :04/03/05 00:00
現在でもブランデンブルクというのは、いろいろな意味があるらしい。
(Brandenburg an der Havel) ;ベルリンの60km西南の当地の最古の町。
Zoo駅から電車で35分、ハーフェル川とベーツ湖で3分割されている。
6世紀にスラブ人に殖民されたらしいが、江戸氏と江戸幕府のような関係で
Hohenzollern家とたいした関係はなさそうだ。
(the March of Brandenburg)というのが辺境領という意味か?
(the state of Brandenburg)現在のブランデンブルク州

38 :世界@名無史さん:04/03/05 03:19
>>37
辺境伯=Markgraf

辺境伯領=Markgraftum

英語ではMargraveが辺境伯です。


39 :世界@名無史さん:04/03/05 03:24
>>34
もう絶版みたいですが、
杉本俊多さんの「ベルリン」という現代新書の本があります。
まとまっていますので、そちらをご覧になっては?

町に興味があるのなら、あれ以上のものは今のところ見つけておりませんので。

40 :世界@名無史さん:04/03/08 15:33
朝倉書店、「世界の地理12」
ドイツの4つの地形。
  北ドイツ低地、中央高地、南ドイツ、バイエルン高原。
ドイツ語。
  高地ドイツ語が標準語、ベルリンは方言。
  フランクフルトあたりの言葉が標準語なのか?
ドイツは春が早く来る。
  これはアルプスから暖かい空気がフェーン現象として吹き降ろすため。
宗教
  プロテスタント 43%、 カトリック35%、
  イスラム     2%  ユダヤ  0.1%
  これは地方により割合が変化しそう。

41 :世界@名無史さん:04/03/08 16:41
杉本俊多著「ベルリン」講談社
  図書館にありました。非常に情報が多いので自分用に欲しいので
  古本検索しましたが全然なし。残念。
  Brandenburg an der TavelはHohenzollern家が移ってくるまで
  辺境領の首都だったらしい。
  Hohenzollen家は1539年に新教に改宗。これがないとバッハ親子が
  出入りしてブランデンブルク協奏曲を書いた説明がつかなかった。
  バロック建築というものと、新教旧教との関係は不明。
  ベルリン周囲の川は貧弱なものが多いので全国的な位置関係が
  よく書いてなくて解りにくい。ドレスデンの近くに発したスプレー川が
  ケプニック、ベルリンを通り、ポツダム南方から流れるターフェル川と
  合流してエルベ川にそそぐらしいがまだあいまい。


42 :世界@名無史さん:04/03/08 17:23
>>41
細かい事ですが、「シュプレー」ですよ。

ttp://www.rootsweb.com/~wggerman/map/brandenburg1320.htm
ttp://www.genealogienetz.de/reg/BRG/bb-map.jpg

シュプレー川はラウジッツ地方(バオツェンとか)から流れてきて、
ハーフェル川と合流してから西進して、北ベーメンから流れてきた
エルベ川と合流します。

ドレスデンの近く、と言えなくもないが。。。


おせっかいついでに、「ユグノー」については、もう調べは済んでいますか?

43 :世界@名無史さん :04/03/08 23:42
ユグノーを保護したので沢山移住してきた程度の知識です。
杉本先生が広島でバウハウスの展覧会をされたようで
見たかったですね。バウハウスとあちこちに書いてあるんですが
想像が出来にくい。日本でこんなものだというのがどこかに
ないですかね。

44 :世界@名無史さん:04/03/09 16:44
スペイン継承戦争1701〜とHohenzellern家の関係は複雑だ。
バイエルンが何故かフランスと組んで、プロイセンはオーストリアに
ついて、その貸しがあったので、ブランデンブルク=プロイセンが
王国を名乗れるようになったらしい。ハプスブルクとバイエルンは
何かトラブルがあったのだろう。

45 :世界@名無史さん:04/03/09 16:58
ヨーロッパ各地でのカルヴァン派の呼称
  オランダ・・・ゴイセン
  イギリス・・・ピューリタン
  フランス・・・ユグノー
  スコットランド・・・プレスビテリアン

46 :世界@名無史さん:04/03/09 21:45
ありゃ、3月5日までバウハウス展をやってました。ざんねん。
>http://www.bauhaus.ac/

47 :@名無史さん:04/03/10 23:27
シラー著「ヴァレンシュタイン」岩波文庫、
まだ読み始め。読みやすいが細かいことを気にすると
むずかしい。フリートラント公ヴァレンシュタインと言っているが
フリートラントというのはケーニヒベルクの近所の地名らしい。
偶然だろう。

48 :世界@名無史さん:04/03/11 09:48
>47
ドイツスレでこの名前の議論がありました。

49 :世界@名無史さん:04/03/11 12:12
>>47
フリートラントってのはベーメンにある地名ですよ。
東プロイセンの方の地名は知りませんが、ドイツ語の地名にはあちこちに
同じ名前の地名があります。



ところで、何をなさりたいのですか?
コメントしようにも、なんだか独り言みたいな書き込みだし...

50 :49:04/03/12 14:12
...ふざけてカキコしているようでもなさそうなので、スタイルに
注文をつけるのはやめますね。
先ほどの書き込みは無視してください。

バウハウスの建築自体が「どんなのか」というのはわたしには
難しいですが、「インターナショナルスタイル」という事で
言えば、いくつか事例はありますよ(いくつか、っていうほど
少なくはないですが)

例えば、旧三岸好太郎アトリエとか。改変は著しいですが、
バウハウスに留学した山脇巌の作品ですから、「バウハウス」
っぽいものをお探しなら、一番適当なのではないでしょうか。

ときどき建築関係の本に出てきますので、2chで出しても大丈夫
とは思いますが、確か個人宅?なので、これ以上は書きません。

とりあえず、ネットで検索してみてください。。

51 :世界@名無史さん:04/03/12 23:11
入門編基礎知識注入、補充段階ですから当分思いつきカキコでしょう。
芸術は文章ばかりではだめでしょうから、作品集などさがしてみます。
フリートラントはこれかと思ったんですが違うようですね。
>http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/friedland.html
「ヴァレンシュタイン」の本は読み終えましたがあまりHohenzollern家
は出てきません。スエーデンとかデンマークとかの国家と比べると
些細な存在なのでしょう。

52 :49:04/03/13 01:30
そこではなく、ここです。

ttp://www.zamekfrydlant.cz/images/GetMap.jpg
こんなところです。
ベーメンの北のはずれ、ザクセン(北西)とシュレジエン(北東)に
挟まれたところです。
チェコ語ではFrydlant(フリドラント)と言います。


ttp://50.1911encyclopedia.org/F/FR/FRIEDLAND_AUSTRIA_.htm
ttp://freepages.genealogy.rootsweb.com/~susanb/friedland.htm

53 :世界@名無史さん:04/03/13 18:43
ブランデンブルクと30年戦争(末期)
1635年、皇帝とザクセン侯バイエルン侯に続いてブランデンブルク
      などもプラハ条約に参加。皇帝配下。
  36年、皇帝軍とザクセン軍はHavel川の支流のドッセ川沿岸の
      ヴィットシュトックに布陣。スウェーデン軍のバネール軍に
      打ち破られた。
  40年、フリードリッヒ・ヴィルヘルムが新ブランデンブルク選帝侯。
      帝国議会。ブランデンブルクはプラハ条約否定。他の新教諸侯も
      追随。第三勢力の先導となる。
  48年、ウエストファリア条約。
      ブランデンブルクはスウェーデンとポンメルン侯領を分け合い、
      後に獲得。ハルバーシュタット、カミン、ミンデン司教領を得る。
ネタ本は菊池良生著「戦うハプスブルク家」講談社現代新書
情報多いが専門がオーストリア文学のためか無駄に難解な修辞が多い。
30年戦争は沢山の地名が出てくるからこれを勉強してからドイツ旅行を
すると面白そうだ。

54 :世界@名無史さん:04/03/14 22:29
領邦国家、領邦等族、等族制国家などと言う時の等族に
シュテンデとかなが振ってあるのですが、このドイツ語のスペルを
教えてください。

55 :世界@名無史さん:04/03/15 00:04
ベルリンにかぎらずドイツの大学はレベルが低いらしいぞ
ベルリン大学もそれに該当す

56 :世界@名無史さん:04/03/15 01:52
>>55
誰でも好きな大学に入れるようにしたことがあったんじゃなかった?
それで授業受けるのに何年か待ったりとかアフ(ry

57 :世界@名無史さん:04/03/15 21:02
ネットやビデオ講義にすりゃいいのに(´・д・`)
試験もマークシート増やせば一斉にやれるぞ(。・_・。)ノ

58 :世界@名無史さん :04/03/15 21:26
スレタイとの関係があいまいで失礼します。
マルティン・ルター著「キリスト者の自由」岩波文庫
Von der Freiheit eines Christenmenschen.
原文は文章の見本となるような生き生きとしたドイツ語だそうだ。
おだやかに説得力のある論理が展開する。聖書からキリストの言葉を
きき、教会や聖職者という人々に惑わされてはいけないと、激しい
内容をおだやかに述べている。日本語で38ページ。
私は短い文章を書く人を尊敬する。

59 :世界@名無史さん:04/03/15 23:01
シュテンデ見つかる。
reichsunmittelbare Stande;帝国直属という意味になる。
等族という変な日本語訳語は誰が考えたのだろう?

60 :49:04/03/16 03:51
>>59

Stand シュタント:立場、場所、地位、転じて種族、血統
...つまり、ランク。

それで、等族、ということなのでしょうね。


そのStandの複数形がStaende、になります。

シュテンテと読みますが、tの後ろのaがaウムラウト(aの
上に横に並んだマル点二つ)になり、dの後ろにeがつきます
(複数形を作る時の、典型的なパターンのひとつです)。

おせっかいですが、ウムラウトが表示できない場合、
ae(aウムラウト)、oe(oウムラウト)、ue(uウムラウト)
などと書きます。


61 :49:04/03/16 03:56
ついでに、

mittle =英語のミドル。後ろのbarというのは形容詞を作る時の語尾です。

unは否定、ですよね。これも英語にもあるものです。

中間のない、で、「ライヒ(国、帝国)の中間のない」帝国直属なわけ
です。

直属という意味が最初からあるのではなく、「間にない(陪臣じゃない)」
ことを自慢げに表現するあたりが宮廷文化風に見えますね。



62 :61:04/03/16 03:57
つづりミス、
mittelですね<mittle

63 :世界@名無史さん :04/03/16 21:36
ジャン・カルヴァン著「カルヴァン小論集」岩波文庫
  (聖晩餐について)
聖晩餐については神学論争であるから、外部の人間である自分には
特に意見はない。
>http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/kowa9206.htm
上記はすばらしい解説で専門家のすごさがよく解る。
カトリックの「化体説」、ルターの「共在説」、
フルトライヒ・ツヴァングリの「象徴説」、
カルヴァンはルターとツイヴァングリ説の調停のような説らしい。
内容は別にして、カルヴァンの文章も、論理的な説得の姿勢が強い。
第1に・・第2に・・などと論文調である。
こうゆうのがエラスムスの人文主義の影響というのだろうか?
もっとも、ルターの文章は更に明快、洗練されているようにみえた。

64 :世界@名無史さん:04/03/21 00:26
エンゲルス著「ドイツ農民戦争」 岩波文庫
訳者の大内力は大内兵衛の子だそうだ。
この本の宣伝文句に「農民の革命的エネルギーとその特殊性,うらぎっていった
諸階級を明快に描きだし,農民とプロレタリアートの同盟の意義を証明している.
ドイツ史の大きな要を分析した名著.」こう書いてあるがそうなんだろうか?
農民戦争の不成功とこの本が書かれた1848年のドイツ革命の失敗の共通
原因としてドイツが英仏に比べて、農業、産業の発展段階が遅れていたと
言ってると読んだがどうだろう。充分理解できたとは思えないが、知識不足の
箇所がわかってくる。フランスの中世封建制に比べて皇帝直属というものが
あったために、地域産業を発達させるための良い封建制が出来なかったのか?
仏で自営農民が育ったのに対し、隷農制などが残ったらしい。
体僕Leibeigene 隷農Hörigeとは農奴のことか?
都市には都市貴族と市民と市民権の無い住民がいたらしい。

65 :世界@名無史さん:04/03/21 22:45
the Sorbs、ソルプ族とはなんだ?
ドイツの土着の少数民族人口6万の先祖はスラブ人だ。
5世紀にエルベ川とオーデル川の間に移住した。10世紀にゲルマン人に
征服され、中世には残酷な同化が行われ、1815年に下ソルブとして
Spreewald川と Cottbus川を中心にプロシアに、上ソルブはドレスデンの北の
Bautzenにザクセン所属に分離隔離された。ザクセンは大事に扱ったが、
プロシアは圧迫した。ナチは根絶させようとした。東ドイツの強制に抵抗し
民族性を主張した。合併後保護?観光化?しているらしい。

66 :世界@名無史さん :04/03/27 11:31
(再洗礼派とは何か?)
カトリックでは誕生後、自動的に教会で洗礼してしまうが、
それを否定し成人後本人の意思で洗礼をうけようとするもの。
小児期の洗礼は成人後、やりなおす→再洗礼
      (現在のプロテスタントの宗派)
 ルター派(ルーテル派)

 改革派
  ツヴィングリ派
  再洗礼派 (アナバプチスト)
   アーミッシュ
   ブラザレン教会
   フッター派
   メノナイト派
   会衆派教会
   バプテスト派
   カルヴァン派
 オランダ改革派教会
 長老派教会
現在の宗派と中世、近世のツヴァングリ派、再洗礼派の関係は複雑。
農民運動などでも原始共産制のようなものもあるし、領主が住民に
引きずられて形だけの宗派換えもありそう

67 :世界@名無史さん :04/03/28 20:01
66は段がずれてしまって失敗。
アーミッシュからバプチストまでが再洗礼派

68 :世界@名無史さん:04/03/28 22:26
  ユルゲン・ゼルケ著「焚かれた詩人たち」アルファベータ社、1999年
1933年1月30日、ナチス政権掌握
     2月27日、国会炎上事件
     5月30日、「非ドイツ的図書」焚書
突撃隊の征服を着た5000人の学生。
オペラ座と大学の間の焚書広場。4万人の群集。
ユダヤ人共産主義者の本が中心。
著者はナチスだけでなく戦後の東西ドイツも批判。
トーマスマンはドイツ国民に「共同責任」を要求、帰国しなかった。
焚書が文字で読むだけでなく、写真でみると改めて衝撃をうける。

69 :世界@名無史さん :04/03/29 18:25
金子民雄著「秘められたベルリン使節」中公文庫、1990年
       ヘディンのナチ・ドイツ日記
スウェーデンの中央アジア探検家のヘディンは晩年WW2下のドイツを
度々訪問した。スウェーデンはWW2の間中立の立場をとっていたが、
外交官は英仏にきがねしてドイツに接触し難かった。ドイツも英仏に
付かないよう努力していた。そのため民間人のヘディンを双方が利用した。
米国や日本は未だ参戦してない微妙な時期だ。日本を参戦させるため、
ロシア戦線の膠着情報を操作していたようだ。
ベルリンの新宮殿にフリードリッヒ大王ホールというのがあって音楽会を
している。金子氏はバルバロッサといっているが啓蒙君主の方でないか?

70 :世界@名無史さん :04/04/02 19:50
  ローザ・ルクセンブルク著「獄中からの手紙」
    岩波文庫140−3、秋元寿恵夫訳、1982年再出版
1916年から1918年にかけて獄中からリープクネヒトの妻への
手紙。カール・リープクネヒトも投獄されている。おそらく反戦
運動が原因か?あまり政治のことは話題にしてない。ベルリン、
ウロンケ、ブレスラウから発信。ブレスラウは当時はドイツなの
だろうか?カウツキーに宛てた書簡集もある。
この本の別訳;北郷隆五訳、青木文庫版、1952年の大内兵衛の
解説があるそうで読んでみたい。

71 :世界@名無史さん:04/04/03 18:47
ルクセンブルクはロシア領ポーランド東南部のザモシチでユダヤ人材木商の
5子として生まれる。

1915年2月〜16年2月18日
1916年7月10日〜10月の2回、バルニム街の女囚監獄
1916年10月〜17年7月までポーゼン州西北部の都市ウロンケの中央監獄。
ついでブレスラウ(ニーダーシュレージェン州の首都)の監獄に移監
18年11月10日に釈放。

19世紀末のポーランドの社会運動; 祖国の独立運動に熱心なポーランド社会党、
    もう一つはその傾向に反対するポーランド・リトアニア王国社会民主党。
    ルクセンブルクはその幹部。
ユダヤ人だということと、祖国意識が薄いのが関係あるのか?

72 :世界@名無史さん:04/04/09 23:26
>>71
左翼の人々は、通常は国家とか文化とか民族には冷淡であろうとしますよね。


73 :世界@名無史さん:04/04/10 18:07
ドイツ・全ドイツ労働者同盟(ラサール派)┓
・社会民主労働党(アイゼナーハ派)┻ドイツ社会主義労働者党
                  ↓←ビスマルクの弾圧
                 ドイツ社会民主党
                  ┣ベルンシュタインの修正主義
                  ┗スパルタクス団・独立社会民主党
「ローザ・ルクセンブルクの手紙、カールおよびルイーゼ・カウツキー宛」岩波文庫
リープクナヒトの妻にあてた書簡集は完全同志なのに対し、こちらは極左派と中間派で
しだいに離れていく関係なので微妙。雑誌編集者と寄稿家の関係でもある。種々の人達の
関係の理解がふかまる。ベルリンとはほとんど無関係。1900年ごろのドイツ、ロシア、
ポーランドの知識不足で理解が難しい。

74 :世界@名無史さん:04/04/12 22:02
NHK特派員井出重昭著「西ドイツ」日本放送協会、1970年
古本屋にあった。当時のことが現在も当てはまるのか不明。
小学校で新教旧教の希望の学校にいれる。小学校卒業後、
大学受験資格試験を受けられるギムナジウムか、マイスターを
目指す職業訓練コースを選択させる。技術革新の今日に、
その制度が残ってるのだろうか?共産党も親ナチ政党も禁止。
東ドイツを通るベルリンへの道路のことは知らなかった。

75 :世界@名無史さん:04/04/13 15:56
大内兵衛著「マルクス・エンゲルス小伝」岩波新書、1964年
二人の伝記と入門案内。二人ともまじめな勉強家の印象。
28才で「共産党宣言」を出したとはすごい。産業革命から帝国主義の
激変の時代は年寄りの権威では対応出来なかったのだろう。ドイツから
フランスに移ったのは取り締まりばかりでなく、産業革命の勃興の
ムードがあったのだろう。「共産党宣言」と「空想より科学へ」を
入門書として推薦している。

76 :世界@名無史さん :04/04/16 00:03
笹本駿二著「ライン河物語」岩波新書、1974年
ラインラントの地理と歴史。昔は地中海に注いでいたそうだ。
意外にフランスと関係が深い。著者の基礎知識もすごい。
マインツの大司教は選挙侯のトップでReichskanzler。
kanzlerは英語ではministerか?7人の選挙侯の内、4人が
ラインラント。その内3人が大司教。教会が強い。

77 :世界@名無史さん:04/04/16 16:46
加藤雅彦著「ライン河」岩波新書、1999年
上の本とまぎらわしいがこの本もためになる。
フランク王国の名前のなごり。フランス、フランクフルト、
フランケン(マイン川の上流)
西フランク、東フランク、中間のロタンギア。
ロタンギア、1)オランダ、ベルギー、ルクセンブルク
      2)ライン以西ラインラント
      3)フランス東部のアルザス、ロレーヌ
ドイツはローマ帝国再興を目指して労力を浪費、選帝侯システムで権力が
集中しない。
フランスはローマ教皇から独立、世襲制で権力が集中した。
ラインラントに大司教が集中したのは、東方への布教の拠点だったから。
12世紀にイタリアからアルプスを越えドイツに抜ける
ザンクトゴットハルト峠が開通。

78 :世界@名無史さん:04/04/16 22:52
ハイネ著「ハルツ紀行」岩波文庫、昭和9年、20銭
古本のくせに意外に紙の状態は良いが、埃だらけでむせる。
ゲッチンゲン大学を放校になったハイネは「ファウスト」の魔女の
集会とブロッケン現象で有名なブロッケン山に登りその紀行文。
昔の文体、文字使いで読みにくいせいもあり全く良さがわからない。
旧制の高校生が前の持ち主か?

79 :世界@名無史さん:04/04/26 16:42
タキトゥス「ゲルマーニア」岩波文庫、泉井久之助 訳
1979年に改訳。いかめしい題だが訳が良いのか読みやすい。
厚さの半分くらいは註なので実質はうすい。原作者は昔にしては良く
調べてあって驚き。
泉井久之助先生はラテン語の偉い先生らしい。知識が本に
あふれかえっている。

80 :世界@名無史さん:04/04/27 08:03
age

81 :(T■T ラ【◇】$TゝT$:04/04/30 14:28
それゆえに余は、ベルリンにとどまっていて、総統ならびに宰相の座すらもはや維持できないと確
信したとき、この場所で自発的に死を選ぶことを決意した。
《余の政治的遺言書 第一部》より


82 :世界@名無史さん:04/05/05 22:14
連休に2日間だけドイツに行ってきますた。
到着の夜。市内をバス、Uバーン、Sバーンを乗って覚える。
道が広く、緑が多い。面白みの無いビルが多い。爆撃で古い建物が
無くなった為、もともと歴史が短い、共産主義の画一化した建築が
多いなどの種々の原因のためか?壁が無いチャーリーポイントも
営利主義のよう。
ジャンダンメン広場、フランス、ドイツの向き合った大聖堂はすばらしい。

83 :世界@名無史さん:04/05/05 22:39
第1日午前、電車で60分程のオラニエンブルクにあるザクセンハウゼン
強制収容所に行く。アジア人は私一人。ドイツ人の若い人も多く熱心に
説明を読んでいる。町に戻りポツダム広場のソニービル。つまらない。
バウハウス博物館。近くで迷い道を聞く。英語の得意な人も、解らない
人もいる。売店である買い物。晩くなりポツダムへ。急行で20分位。
バスが1時間に2本!!。サンスーシ宮殿。庭もきれい。
ポツダム会談の会場は乗り換えや遅いのであきらめ。バルリンからの
バスツアーかタクシーでないときつい。郊外の高級住宅地のようだ。
日本に比べ観光でもうけようという意欲はない。

84 :世界@名無史さん:04/05/05 23:13
第2日、国際急行でベルリンからドレスデンに日帰り。
ハンブルク→ベルリン→ドレスデン→プラハ→ブタペストと3カ国を行く
その一部に乗った。当日は両国がECに加盟した日。駅前はお台場の
ような再開発。その奥のエルバ川のほとりにザクセンのツヴィンガー城や
ドレスデン城、種々の教会、巨大なオペラ劇場があり案内書がないとどれが
どれか解らない。ラファエロやフェルメールの絵があるのだがこれは日帰り
では無理。帰りの列車はプラハからのおばさんの団体が知らない言葉で
うるさい。夜(遅くまで明るい)シャルロッテンブルク宮殿に行く。庭がきれい。
町に戻り旅行の主目的の一つのCurry Wurstが食べられたのでほぼ目的達成。
日本に帰り、マイセンのみやげが無かったので怒られた。

85 :世界@名無史さん:04/05/06 23:40
>日本に比べ観光でもうけようという意欲はない。

むしろその方が観光客にはウケルと思う。

29 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)