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★古代ギリシア・ローマ何でも質問室★

1 :Vita in VIno:03/08/08 09:17
専門的なスレはありますが、これから西洋古代のことを知りたい!
という人のために、このスレを立ててみました。
どんな疑問でも、遠慮なくどうぞ! 語りたい方も大歓迎です。

660 :世界@名無史さん:04/05/13 17:43
ポンペイウスって家族名がないかわいそうな人だったんだ・・・

661 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/13 19:21
家族名というか「氏族名」。
ポンペイウスは貴族でなくて平民だったってことでいいのかな。

662 :世界@名無史さん:04/05/13 19:32
ガイウス・ユリウス・カエサル
名前・氏族名・家族名
だろ?
グナエウス・ポンペイウス・ストラボ・マグヌス
名前・氏族名・あだ名・あだ名
なら欠けてるのは家族名じゃないの?

663 :世界@名無史さん:04/05/13 23:59
>>661
貴族の本家筋なんだろ。

664 :世界@名無史さん:04/05/14 00:01
>>659
「やぶにらみ」じゃなかったっけ?

665 :世界@名無史さん:04/05/14 05:41
ポンペイウスって滅亡した都市ポンペイとゆかりあるの?

666 :世界@名無史さん:04/05/14 08:39
Pompeiusはnomenであって、cognomenではない。
Gnaeusはpraenomen。
ラテン語で書けばPompeiusは日本語訳での「家族名」ではなく
「氏族名」の方であることは一目瞭然でしょ
cognomenはもともと身体的特徴を始めとするあだ名であることが多い。
praenomenから派生したものもあるけどね(e.g. Marcus→Marcellus)

>> 664
元はギリシア語

>> 665
「ない」という理解が一般的

667 :世界@名無史さん:04/05/14 09:05
>>664
正解。

668 :世界@名無史さん:04/05/14 10:11
652 名前:世界@名無史さん sage :04/05/12 (水) 21:14
普通ローマ人の呼び方は姓で呼びますよね?スッラとかクラッススとかカエサルとかスキピオとか
でもポンペイウスだけ貴族家門名で呼ばれるのは何故ですか?

もともとの質問はこれだよなw

669 :世界@名無史さん:04/05/14 12:26
現代人(同時代人およびその後の古代ローマ人ではない)が簡便かつ判別可能な
呼び方をしているだけで理由はないと思う。
超有名どころでない場合だと、nomen+cognomenで略すのが一般的だとは思うけど。
スキピオは超有名どころが2人いるから、Scipio AfricanusとScipio Aemilianus、
とcognomen+agnomenで略すのが一般的。
古代ローマの作品を原著で読むとCiceroは後者の方をAfricanusと書いていたりするし、
同時代人は皇帝をみんなCaesarとだけ書いていることが多いから注意が必要。

670 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/14 19:23
色々調べた結果の推測だけど、「ストラボン」はこの頃には家名になっていたと思う。
この辺>>661も修正しないといけないのだが、ポンペイウスの家系は大地主というから、
マリウスと違って「普通の平民」ということは考えにくい。
塩婆の本では説明なしで「グナエウス・ポンペイウス・ストラボン」と書いてあった。

で、>>652だけど、
多分本人が「ポンペイウス・マーニュス」と呼ばれるようになったことと
関係があると思う。本当は「ストラボン・マーニュス」でもいいんだろうけど、
「ポンペイウス・マーニュス」の方が格が上というか、「ポンペイウス一門を
代表する偉大な人物」というふうに思われたんでないかと。
で、「マーニュス」という称号を抜いても「ポンペイウス」と呼ばれ続けたんだろうと思う。

671 :世界@名無史さん:04/05/14 21:43
>>670
> 「ストラボン」はこの頃には家名になっていたと思う。
悪いけど、なっていない。

> 塩婆の本では説明なしで「グナエウス・ポンペイウス・ストラボン」と書いてあった。
根拠にならないし、塩婆本人の誤解もあるだろうね。

672 :世界@名無史さん:04/05/14 22:13
>>670
> 多分本人が「ポンペイウス・マーニュス」と呼ばれるようになったことと
> 関係があると思う。本当は「ストラボン・マーニュス」でもいいんだろうけど、
> 「ポンペイウス・マーニュス」の方が格が上というか、「ポンペイウス一門を
> 代表する偉大な人物」というふうに思われたんでないかと。
違うだろうね。プルタルコスが面白いことを書いているようだよ。
ttp://www.free-definition.com/Pompey.html

673 :世界@名無史さん:04/05/15 01:23
えーと、要するにポンペイウスは「氏族名」で、ストラボとマグヌスは「添え名」で
「家族名」はないor「添え名」が「家族名」化もしていないということでいいの?

674 :第20軍団兵:04/05/15 02:40
>>673

>ストラボとマグヌスは「添え名」で
そこはおKかと。
>「家族名」はないor「添え名」が「家族名」化もしていないということでいいの?
そこは皆さん調査中かと。

ローマ人の名前等はココが詳しい。しかし、ポンペイウスのことはないけど。
ttp://cwaweb.bai.ne.jp/~dsssm/nomina.html


675 :世界@名無史さん:04/05/15 02:55
氏族名 → なんちゃら朝臣 みたいなヤツか? 
家族名 → 徳川とか北条とか足利とか九条とか近衛とかそういうのか?

676 :世界@名無史さん:04/05/15 04:00
ローマの名乗りについて。

ttp://www.vroma.org/~bmcmanus/roman_names.html

677 :世界@名無史さん:04/05/15 04:03
ポンペイウス・マグヌスの系統は、子の代に断絶しているから、
マグヌスが家名として定着していたかどうかは微妙。
子はセクストゥス・ポンペイウス・マグヌスと呼ばれることが多いが、
これが公称かどうかも不明。
ローマ史家の光臨を待つ。

678 :世界@名無史さん:04/05/15 19:22
3世紀中盤頃から、ローマ・ギリシアの美術品(彫刻・モザイク画等)の写実性が
目だって衰退を始めた原因は何ですか?
当時、ローマ国内に急速な勢いで伝播し、かつ他宗教の彫刻を壊しまくっていたキリスト教と
何か関係があるのですか?

679 :世界@名無史さん:04/05/15 19:27
ネロって悪帝?

680 :例のにゃあにゃあ:04/05/15 20:18
>>638
最近、そのペルシア戦争原因論について面白い論文を見せてもらったニャ。
中井義明,マラトン遠征−ペルシア軍の目的と戦略−,西洋史学164,1991
古代の著作家の間ではギリシア征服が目的というのと、
ミレトス反乱にアテナイが荷担した事に対する報復とする二つの説があったみたいだニャ。
前者を主張するのがヘロトドスで後者を主張するのがプラトンだニャ。
但し、読み方によってはプラトンもヘロトドスと同意見と見る事ができるというニャ。
現代の研究者の間では、征服が目的であるとした派と、報復が目的であるとする派に分かれてるニャ。

この論文の著者はマラトン遠征の兵力が実は凄く少ない事と、
マラトン遠征時にペルシアのエレトリアに対する行動が徹底さを欠いていた点などから報復が目的と見ているニャ。

征服が目的と見る研究者の中にも、限定的な征服と報復を目的としていたとする研究者もいるニャ。
ギリシアにペルシアへの内政干渉の危険性を教え、イオニアにはギリシアの支援はあてにできない事を示すところにあったと見ているニャ。

この中井論文に従うなら、ペルシア戦争の原因はミレトスの反乱と見る事ができそうだニャ。
だけど、ミレトスの反乱と、それに続く一連のペルシアの行動の原因はなに、と言われると今は分からないニャ。
それと、他の意見は見てないからわからないニャ。

681 :世界@名無史さん:04/05/15 21:48
神聖ローマ帝国のペレストロイカ政策でバビロン捕囚された黒人奴隷が
アメリカの植民地のラインラントでレコンキスタをしたのはなんで?

682 :世界@名無史さん:04/05/15 23:46
>>680
今時「東西の激突」みたいなことを信じている研究者はいないと思う。
信じたい研究者は多いだろうけどね。ヨーロッパやギリシアのセンセたちは(苦笑
中井さんの議論はまあ常識的な所じゃない?

683 :世界@名無史さん:04/05/16 06:20
>>677
養子を迎えると、同じ家でも氏族が代わってしまうことあるだろ?

684 :世界@名無史さん:04/05/16 07:14
コルネリウス・スキピオ家の養子になったプブリウスはアエミリウス氏族パウッルス家の出。
プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アエミリアヌス・アフリカヌスを名乗る。
アエミリウス氏族出身のコルネリウス・スキピオという意味だ。
養子で氏族が変わることはない。
大体、変わってしまったら養子じゃないよ。

685 :世界@名無史さん:04/05/16 08:48
>>681
君がアフォだからでつよ。

686 :世界@名無史さん:04/05/16 21:47
「後漢書」の 大秦王安敦の使者が来朝して文物を献じたという記載が有名で、
安敦はマルクスアウレリウスのことだとされています。たまたま「晋書」西域伝を
見ていたら、大秦王から太康年間に(280ー5年)に使者が来たとの記述があります。
これっていままで日本語の書籍で見たことがありません。無視されているのは
学術的に既に「虚偽」だと決定しているからなのでしょうか?このあたりの状況を
ご存知の方おられましたらお教えください。

687 :世界@名無史さん:04/05/16 23:34
>>684
養子縁組したら、その養子先の氏族に入るんだよ。
オクタウィアヌス(アウグストゥス)がカエサルの養子になって、
ユリウス氏族に入ったように、アエミリアヌスもコルネリウス氏族に
入ったことになる。
自信もって勘違いしないように。



688 :世界@名無史さん:04/05/16 23:47
>>687
君と同じことを書いてあるんじゃないの?>>684

689 :世界@名無史さん:04/05/16 23:51
あ、わかった。
>>684
> 養子で氏族が変わることはない。
を漏れは「養子で養家の氏族が変わることはない」と読んだけど、>>687
は「養子で養子本人の氏族が変わることはない」と理解したんだな?
確かに紛らわしいな。

690 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/17 00:04
>>686
一つには、それだけだと誰が送ったか特定しにくいんでないかと。
その頃は軍人皇帝時代と言って、数年おきに皇帝が入れ替わっていて、
太康の五年間にプロブス、カルス、カリヌス、ヌメリアヌス、ディオクレティアヌスと
五人も皇帝がいる。
太康何年か分かれば少しは特定出来るんだが。

691 :第20軍団兵:04/05/17 01:03
>676
おもろいページでした。"女奴隷の解放後の名前"なんか、想像外だった。漏れ。
>686
献上した物品がギリシア・ローマ世界の物ではなく、現在のタイ・ベトナムあたりの品物だった
ということを、どっかで読んだ気がするのですが。ソースはまったく失念。

692 :世界@名無史さん:04/05/17 01:20
>>691
フツ林かどっかの朝貢だったっけね。あれをローマ世界に結びつける方が無理だと思うんだが(藁
まあ史官も色々変な国が来てよくわからん、と悲鳴を上げていたのかな。

693 :世界@名無史さん:04/05/17 01:21
そうだ、晋書の西域伝にはパクリが多いって話も聞いたことがある。
てゆうか、論文だったな、あれは。西域関係のものを調べると見つかるかも知れないよ>>686

694 :世界@名無史さん:04/05/17 09:02
>>692
一応大秦國とあったが、確かに林邑と並んでいるなあ。そんで大秦國は西海の大国で〜
みたいな説明を付けてある。

695 :世界@名無史さん:04/05/17 23:24
古代において、イタリア南部の発展の要因となった地理的事情とは
どのようなものだったのでしょうか?
教えてください。お願いします。

696 :世界@名無史さん:04/05/18 00:17
>>690・91・92・93・94の皆さん、ご返答ありがとうございます。
別経路で、『晋書』巻3帝紀3武帝の太康五年の条に記載があるとのことが判明し、
284年であることがわかりました。史書編纂上の誤りもあるかも知れませんね。
しかし、「晋書」自体ほかの史書より問題の多い書物とされているようですから。
大秦はアレキサンドリアあたりとひていされており、そのあたりの有力者が使者を出した
(安敦の方)という見方がありますが、284年のそれも同じような話かも知れません。
ところで質問を変えますと、ローマでは遠い異国に使者を出す習慣はあったのでしょうか?
中国ではかなり頻繁にペルシャやインドとの官の使者のやりとりがありますが、
ローマではどうだったのでしょうか?
#追加ですが、宋史に東ローマ王が使者を送ってきたという記述がありました。王名も記載されている
のですが、漢字変換が出ないので省略します。

697 :世界@名無史さん:04/05/18 00:54
知る限り、ローマがそのような使者を出す習慣はありません。
懸案事項を抱える相手国に使者を送ることはありますけど。
商人が中国に取り入るために王名を騙ったのではないでしょうか。

698 :世界@名無史さん:04/05/18 06:17
>>695
地中海の真中に突き出していること。
ポエニ戦役まではカルタゴが地中海最大の勢力で、その大国カルタゴと、ヨーロッパ側
で近く、また、ギリシャ方面にもアドリア海を渡ってすぐ近くにある。
ギリシャ、ヨーロッパ、北アフリカの、交通の中継地としての位置にある・

>>697
かなり遅い時代まで(16世紀後半くらい)、ヨーロッパ諸国の商人や探検家が
初到達した際に、言った先で正規の外交使節同等に扱われ(つまり僭称し)、
帰国後に事後承諾的に交わされた書状を外交条規のように扱うというような
ことは、そんなに珍しいことではなかった。
17世紀にもなると未到達地は殆どなくなるし、どの国も国内の制度も植民地に
対する方針も一貫してくるから、そういうことは少なくなる。

699 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/18 10:21
284年は一応、ディオクレティアヌス即位の年だ。
そうなると国内安定を表明するために使者を送った可能性もあるが、
多分>>698が正しいと思う。中国は「中華思想」と「朝貢貿易」の関係で、
遠方からの者をより大切にする傾向があるからね。

>>696
ローマではペルシャとは恒常的に戦闘状態。
後の話になるが、この戦争で交易ルートが不安定になるのを嫌って
アラビア半島ルートが普及し、イスラム教勃興の一因となる。


700 :世界@名無史さん:04/05/18 23:51
他スレ(キリスト教総合スレ)で、「ローマ兵は高給取りだったのか
安月給だったのか」で意見が分かれています。ご存知の方、
正解をお願いします。

701 :世界@名無史さん:04/05/19 02:27
>>697,8,9さん ありがとうございました。
正規の使者ではないとしても、ローマ圏に生存あるいは、生業を得ている
人物の可能性があり、語られた対象が「ローマ」であった可能性はある、
ということのようにおもえます。280年ころの東西世界の関心は、まだ
途切れてはいなかったとの傍証になるかと思います。というのも、
280年頃は、ローマもペルシャも安定し、しかもペルシャはクシャン朝の王にササン朝王族を
送り込んでいて、西域も晋に朝貢していた。つまり、東西大国と、シルクロードが比較的平安になり、
前後漢時代に近い状況があったと思うのです。たとえ正規の使者ではなかったにしても、
この記事はその傍証になるかと思うのです。

702 :世界@名無史さん:04/05/19 12:36
キリスト教時代は中世だから、古代スレの話題ではない

703 :世界@名無史さん:04/05/19 13:06
>>702
紀元前後ですから古代です。聖母マリアの不倫相手が
ローマ兵。それに関しての話題です。

704 :世界@名無史さん:04/05/19 14:32
ヤソ教会が吹聴する初代教会の妄想と、「聖母」なんて呼び名を捨てて出直したまい。
ここは宗教スレじゃねえっす。

705 :世界@名無史さん:04/05/19 16:41
くだらない質問ですが、カエサルって中学生でも知ってる人物ですか?
一般的には高校に入ってから習う人物でしょうか?


706 :世界@名無史さん:04/05/19 18:49
中学はおろか高校でも「第一回三頭政治。カエサル、ポンペイウス、クラッスス」としか出てこなかった気がする

707 :世界@名無史さん:04/05/19 20:20
ヴェスビオ火山ってまだ活動してるの?

708 :世界@名無史さん:04/05/20 04:46
>>701
その使節がローマの人でも支那の人でもない可能性がある。
ローマはインドとの交渉を、ローマの支配域からインドに渡航する商人に託したものだが、
ローマ人が渡航しない地域では、到達した地域でまた別の商人に託したことも有り得る。

ローマの商人がローマの国益にかなう形で東方との通商の確立を託されてインドへ赴く。
インドへ着くと、インドからも更に東に大きな国(漢・晋)があると聞く。
そこで、インドと漢や晋を行き来する商人に仲介依頼するが、ローマの商人が直接に
漢や晋に赴くこととはまた別の問題で、この仲介にあたる商人を通商の窓口・代表と
して送り込むことになる、ひいては、インドでローマの商人から漢や晋との通商交渉の
依頼を受けた者がローマの代表として振舞うということになる。
もっと複雑に、間に幾つも挟むことがあったかもしれない。

今の制度の外交になぞらえて考えると理解しがたいけれども、品物の輸出入の際に、
代理店を挟んで数珠繋ぎ的にやりとりをすることに似たものと考えると、そんなに
理解しがたいことでもないように思う。

709 :世界@名無史さん:04/05/20 11:30
中国にローマ兵が居たという記事をどこかで読んだ記憶あり。捕虜が奴隷として転売されたのか?

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