5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

古代ローマ帝国の軍隊を語るスレ

1 :グラディエーター:03/03/05 20:10
よくPCゲームに出てきますが、あのデカイ盾と探検持った兵士。
アレすごいかっこいい。

2 :世界@名無史さん:03/03/05 20:15
http://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/roman.html
ローマ軍に関しての短い説明が載ってます。
本当かどうかは知らないけれど。

3 :世界@名無史さん:03/03/05 20:18
> デカイ盾
あの長方形の盾はローマ軍団兵の象徴。
属州の補助兵の盾は円形、楕円、菱型、下が丸かったり、尖ったいわゆる盾型のもの。
ヨーロッパ貴族の紋章は盾のデザインから生まれてるが、もともとはローマ軍団の補助
兵の盾のデザインだったんだな。

4 :世界@名無史さん:03/03/05 20:27
防備は盾と甲冑とマント、武器は投槍と短剣ですな。
あれは重装歩兵に分類されるんでしょうか。

5 :世界@名無史さん:03/03/05 20:35
ローマ軍の投槍ってすごくない?

すごく細くて、1度しか使えない。敵に刺さると体内で折れる。
地面に刺さっても、折れちゃうから敵は投げ返せない。最強。
良く考えたものだね。

6 :世界@名無史さん:03/03/05 22:53
http://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/bc2.html
>2と同じサイトだが、戦闘方法や構成など。

7 :世界@名無史さん:03/03/05 23:42
>>5
槍の単価が知りたいな。

それだけ威力があって、なおかつ使い捨てだったとすると、よほどコストパフォーマンスが
よくないと使いようがないよね。

8 :世界@名無史さん:03/03/05 23:49
>>2 >>6
んーと、紀元前2世紀のローマ軍は、映画でよく見るスタイルとちょと違って
いたはず。
具体的には、盾が長方形じゃなくて円形というか卵型で、甲冑も鎖帷子タイプ
だから、帝政期のイメージとはだいぶ違ってる。
共和制時代のローマ軍の装備はこんな感じね。
ttp://images-jp.amazon.com/images/P/4883178331.09.LZZZZZZZ.jpg

9 :世界@名無史さん:03/03/06 00:53
>>7
かなり安いんじゃないかなあ?本体は再利用可能だし、切っ先も戦闘後に
回収すれば再利用は可能若しくは鉄に戻して再生産が可能。ゲルマン・
ケルト(ゴウル)・スラヴ・アラブ・ユダヤのような野蛮人には再利用が
出来ない。

オマケ
ttp://www.fiu.edu/~eltonh/warfare/units.html

10 :世界@名無史さん:03/03/06 01:18
短剣を持ち始めるのはスキピオ・アフリカヌスがスペイン原住民の
使っていた短剣を導入してからだよね?

11 :世界@名無史さん:03/03/06 01:21
>>10
それ以前からあった。
スキピオは従来のものを改良して規格を統一しただけ。

12 :世界@名無史さん:03/03/06 01:51
ここの10スレ後に軍事板から某研究者降臨の予感が…。

13 :グラディエーター:03/03/06 17:11
>>12、誰だよ、それ。

14 :世界@名無史さん:03/03/06 17:25
小学生の時に読んだ漫画世界の歴史の
ローマ兵の鎧に萌えてはや幾年。

ロリカ・セグメンタタこそ最高の甲冑!

15 :世界@名無史さん:03/03/06 20:45
>>13
あなたは幸せな人だ・・・

16 :世界@名無史さん:03/03/06 23:22
>>13
そんな事言ってるとマジに某研が出て来るぞ。ヤシが3度の飯より好きなのは
レールガンじゃなくて中世か古代ローマ話しと睨んでいる。軍板の七人の侍
スレは後半からは某研ワンマンショーになったし。

17 :世界@名無史さん:03/03/07 16:31
そーゆうこと言ってるとほんとに出てくるよ、ふれないほうがいいとおもう

18 :AIRSHIP:03/03/07 16:57
ローマ帝国の鎧は現在オーダーメイド出来ます。 ブラック・ホールに出ているヴァ
イス・ブラウ・レジデンスという処が扱ってます。
ロリカ・スクワマータ、ロリカ・セグメンタータ,ロリカ・ハーマータ,盾,歩兵用
の短剣,騎兵用の長剣がインターネット販売されています。 勿論,兜も一般兵様と
センチュリオン様の物,インペリアル・ガード様の物も扱っています。
何人かマニアが買っていますから,銀座のハロウイーン・パレードでローマ軍団を遣
って見たいですね。 グラヂエーターの鎧も扱っていましたから,スパルタカスごっ
こも遣りたいですね。

19 :世界@名無史さん:03/03/07 16:59
>>4
そう、あれが重装歩兵ですよ。

>>9
ゲルマン、ガリア、スラブはともかく、ユダヤを野蛮人と呼んじゃうのはチト
乱暴では?

20 :某研信者:03/03/07 17:58
まあ軍板に此処へのリンクが貼られていた訳だが
求める者には与えられず嫌う者にのみ与えられる某研殿ゆえ
このスレに来る可能性は低いのではないか

21 :某研究者:03/03/07 21:06
まあローマのプレートメールも
http://www.thearma.org/Videos/NTCvids/testingbladesandmaterials.htm
上を見る限り片手剣の打撃でさえ中世のプレートアーマーが大きく凹んでいるなら
重さ1kgのグラディウスでの打撃でもアウトと言う事だろうか
(矢張り鎖帷子も上のサイトで見た様に簡単に切断される訳だろうか)
ダキア人のファルクス(これは日本の長巻の様な物だが)を
止める為に腕にもプレートを施したかなり重装備の兵士も存在したが
これもまともにファルクスを受ければ無意味である訳だろうか
(盾毎ファルクスで粉砕される危険も有るだろうが
 グラディウスは何とか防げるだろうか)

22 :某研究者:03/03/07 21:10
ナポレオン等の胸甲兵がサーベルを鎧の上から受けても
かなり厳しく鎧は余り役に立たず
(銃に対しても鎧の表面で潰れた銃弾が傷口を広げるだけに
 終わる懸念も有る訳だろうか)
上体の動きを制限するのみに終わる懸念も有る訳だろうか

23 :某研究者:03/03/07 21:14
>もともとはローマ軍団の補助
>兵の盾のデザインだったんだな。

まあこれをバイキングが真似て其れを更に
十字軍が真似たと言う事なのだろうか(苦笑

24 :世界@名無史さん:03/03/07 21:18
某研キタ――――――――――――――――!!!

25 :某研究者:03/03/07 21:19
兎も角関節の動きを制限する様な中世のプレートアーマーの様な鎧を着たら
上のビデオを見る限り却って有害である様な気もするが


26 :世界@名無史さん:03/03/07 21:31
別にいいじゃん。

27 :LEXIUS:03/03/07 21:52
とりあえず、グラディエータとかベン・ハー、スパルタカスを見れば
良いのでは?

28 :某研究者:03/03/07 22:07
まあ上のビデオを見る限り
鎧等を増やすより
兵の人数と防弾装備・飛び道具の数を増やした方が
良いだろうか(笑

29 :LEXIUS:03/03/07 22:09
タイタスも付け加えるが、ちょっと微妙だな

30 :某研信者:03/03/08 01:51
うひゃあ、先導してしもたか?
個人的には嫌いじゃないんだが、迷惑だったらスマソ

31 :世界@名無史さん:03/03/08 10:58
>>30
ていうかこの人誰よ?なにしゃべってるのかわからないんだけど。

32 :世界@名無史さん:03/03/08 16:44
>>31
そういうもんだから

軍板でよさげなスレタイと思って入ってみたら
某研の独演会でした(´Д`;

33 :世界@名無史さん:03/03/08 19:11
この板ではあまり見かけない語り口だが、軍事板では有名なコテハン
なのだろうか
しかし、古代ローマの補助兵の盾からフランク王国の騎士の盾へと考
えるのではなく、バイキングの円形盾を経由させている理由がよく理
解できないのだが
バイキングの盾には特に色彩や図が描かれていたとも思えないのだが

34 :waiwai:03/03/08 19:14
http://asamade.net/cgi-bin/kado_g/pc_i_j_ez-index.cgi

ミツクスジュ−チュ

コギャル〜わりきり恋愛
女性多数訪問してます!
女性の方も訪問してね△

特に女性の方におすすめ”


http://asamade.net/web/

出会い系ビジネスに参加しませんか

35 :世界@名無史さん:03/03/08 19:22
そもそも、ローマ軍団の優越性は、訓練された集団としての戦闘力そのもの
や軍団を支える兵站、土木技術などを含む総合力によるもので、兵士の装備
も共和制期にの個人負担であった頃であれば、周辺蛮族の装備と比較して優
越していただろうが、特に決定的な要素ではないだろう。

36 :某研究者:03/03/08 19:32
>バイキングの円形盾を経由させている理由がよく理
>解できないのだが

まあバイキングにもカイトシールドが有った筈だが
確かこの盾を十字軍が模倣したのではないのか

37 :グラディエーター:03/03/09 02:53
そういえばEidosからすごいローマ軍のゲーム(PC)でましたよ。
ちょっと覗いてみてください。純度100%のローマ軍RTSです。
http://www.praetoriansgame.com/


38 :世界@名無史さん:03/03/09 10:19
某研は、軍板、世界史板、武道板、など不特定多数の、板に出没する有名なドキュンです皆、相手しなくていいよ!
某研呼んだ奴!迷惑じゃないだと!この変態ヤロウ!!

39 :いやいや:03/03/09 10:42
まぁ中世騎士のカイトシールドの起源がバイキングの盾の模倣にある
という指摘は根拠のあることのようなので、十分に有益ではないのか

指摘を受けて調べてみたが、俗にバイキングシールドと呼ばれる円形
で中心部に取手がある形式の盾の下方を延長し、腰のあたりで持った
場合に、下端が地面につくようにした涙滴型のものがカイトシールド
の元祖のようで、これが模倣されたということらしい。
紋章の起源は11世紀頃のカイトシールドへの識別文様や彩色なので、
そのベースとなった中世騎士の盾の形態に影響を与えたのは、ローマ
帝国の属州兵やその後継としてのフランク王国のものではなく、バイ
キングの盾ということのようだ。

40 :世界@名無史さん:03/03/09 15:18
あのへースティングの戦い(1066)で有名なハスカールとは、
バイキングと関係あるのだろうか。あやつらはいったい何系民族なので
あろうか。その辺が知りたい。

41 :世界@名無史さん:03/03/09 15:53
まあ、株板でも猊下を拝見するわけだが(苦笑

42 :某研信者:03/03/10 01:49
>>38失礼
まあ多数の板を巡回するのは名無しにも珍しい事ではなく
コテハンにも居ない訳ではないのだろうが
ただリンクを貼ったのは私ではなくその点よく読んで頂きたい(苦笑
また彼の考察と文体は電波だろうが矢張りDQNと言うには当てはまらないのではないのか

43 :世界@名無史さん:03/03/10 14:43
某研究者さん、このスレに紛争を持ち込むんだったら出て逝ってね。
まぁ、いいや。せっかくだからローマ帝国軍のこと、もっと語って
逝ってよ。


44 :世界@名無史さん:03/03/10 14:48
某研究者は文体がうっとおしいだけで
荒らしたりとか迷惑なことをやるわけじゃないから
居てもいいやんか

45 :ハサミは使いようかな:03/03/10 15:03
いや意外と悪質な瞬間あるよ。
ふだんは攻撃性や対人接触拒否する温厚なヒッキーなんだけど、
過去に何回か、「やめてくれ〜」てまともな論者が悲鳴上げてるとき、
あのコピペにちかい電波の連貼りしてスレ潰されたことも。

ただ追い出したら追い出したでスレが寂しくなるのも事実。
彼がいると素人さんも気軽に、1行レスができて、スレ参加者が多くなるんだ
よね。

46 :グラディエーター:03/03/10 18:20
>>44,45
それなら、某研究者にいてもらうとしますか。

47 :世界@名無史さん:03/03/10 22:01
コホルテス・エクイタータ

48 :グラディエーター:03/03/10 23:07
>>47
何ですか、それ?


49 :グラディエーター:03/03/11 00:15
アレクサンドリア王→ハンニバル→スキピオと受け継がれ、
戦術的にローマ軍は強くなった。
一昨日の敵は昨日の先生で、今日の自分ですね。
ローマってすごいね。

50 :某研究者:03/03/11 22:02
>アレクサンドリア王→ハンニバル→スキピオと受け継がれ、
>戦術的にローマ軍は強くなった。

まあしかしアレクサンダーからハンニバルが何を学んだのか知らないのだが
マケドニアの長槍騎兵と言うのは
ペルシャの投げ槍騎兵を相手にせぬ程強かった筈だが
ローマでは何故投げ槍騎兵のみが残ったのだろうか
矢張り長槍を使う様なファランクスもハンニバルには受け継がれていたのかと言う事だが
ハンニバルはギリシャやマケドニアの様なファランクスでは無く
ローマのレギオンと同様のやや散開している隊形を
用いていた訳なのだろうか
(まあしかしレギオンはローマでは無くハンニバルが考えたと言う事は無いのだろうか)

51 :某研究者:03/03/11 22:06
ハンニバルからスキピオが学んだのも何かは知らないが
矢張りヌミディア騎兵を敵の背後に突撃させると言う事位なのだろうか

52 :AIRSHIP:03/03/11 22:44
ローマやヌミディアの騎兵を語るには、鐙が存在していなかった事が重要だと
思います。 槍を持っての突撃では、蔵の腰当を高くした程度では落馬の危険
性が大きいと思われます。 槍は、第一撃によって敵の体内に残る確率が高い
と思われます。 残ったとしても、第二撃、三撃に、拠って失われる事が多い
と推察されますので、長剣(ハピタ)による擦れ違い様の斬撃が有効と推察し
ます。 
縦走歩兵の集団には、訓練を積まないと方向転換に時間が懸りますので、騎兵
集団の方陣後方への突撃は、非常に有効な戦術で有ると云う事は、アレクサン
ダー大王の当時から友好であった事が史書に載っています。

53 :世界@名無史さん:03/03/11 23:02
ようするに包囲殲滅戦法をどう展開していくか、ってことですな。
>>52氏のいう通り、鐙もなかったから、歩兵が主力になるしね。

54 :某研究者:03/03/11 23:38
>長剣(ハピタ)による擦れ違い様の斬撃が有効と推察し
>ます。 

まあこれでは相打ちの可能性も高いし
マケドニアの長槍騎兵相手では投げ槍を外せば
長槍で一方的にやられると言う可能性も
有る訳だろうが投げ槍と言うのは
馬に近距離からでも当たらない物なのだろうか

歩兵に対しては盾が有るので騎兵の投げ槍は余り有効では
無い訳だろうか

55 :某研究者:03/03/11 23:55
ローマ歩兵も初期には長槍を使っていた様だが
後で機動力を重視した為か投げ槍に変化している様だが

56 :某研究者:03/03/12 00:09
まあコホルト(大隊)戦術以上の物がローマ帝国に有ったのかと言う事だが
他国の軍隊はマニプレス(中隊)戦術さえ無かったと言う事なのだろうか
(矢張り中世の軍隊やテルシオ等未だファランクス止まりで有った訳であり
 フリードリヒの斜行戦術も厚みは無いだろうがファランクスの斜線陣に過ぎず
 ナポレオンの戦術がマニプレスやコホルト戦術と同等の物で
 有った訳だろうか)

57 :某研究者:03/03/12 00:12
まあしかし騎兵を防ぐ為の中空の方陣の様な物は
ナポレオン以前にも有ったのだろうか
(諸葛の八陣がこれに近い物だろうが
 方陣の内部は完全な中空では無かっただろうか)

58 :某研究者:03/03/12 00:14
東ローマ帝国は投射兵器にピルムでは無く
より多く持てるダートを使っていたと言うが
これはピルムより小型であるし盾を貫ける物なのだろうか
(貫けぬとすれば牽制用・或いは対騎兵用の物なのだろうか)

59 :某研究者:03/03/12 00:21
カルタゴ軍はピルムは余り使っていなかったとの情報も有るが
どうなのだろうか
(矢張り長槍でローマ歩兵の剣を用いての近接戦
 或いは騎兵の投げ槍に対抗出来たのかだろうが)

60 :某研究者:03/03/13 11:46
ザマではカルタゴの象兵がローマ歩兵の側面から突入したとの意見も有る様だが
以後は象兵が側面から突入して来た場合でも
ローマ軍は対処出来たのだろうか

61 :某研究者:03/03/13 11:58
上失礼ザマでは無くカンネーの間違いだが
矢張りカンネーではマニプレスの厚みを増した事と
騎兵が敗れた事が敗因だろうが
仮にマニプレスを薄くしてカルタゴ軍を逆に包囲したとしても
騎兵にやられていた訳だろうか
(これを防ぐには中空の方陣の様な物を取るしか無いだろうが
 陣形の横幅が無くなり敵歩兵に包囲された可能性も高いだろうか)



62 :某研究者:03/03/13 12:01
>陣形の横幅が無くなり敵歩兵に包囲された可能性も高いだろうか)

まあ歩兵が後退するスペースが有るなら
密集隊形よりまともに戦えはするだろうが
(物量もローマの方が多いので勝てぬ迄も
 負けはしない可能性は有るだろうか)
しかし騎兵に方陣内部に突入されたらアウトだろうし
歩兵は何列かに分ける必要は有るだろうか

63 :某研究者:03/03/13 12:09
ローマ騎兵はヌミディア騎兵には勝てないなら
騎兵は中空の方陣の内部に入れて歩兵の陣形に穴が空いた所に
迅速に援護に行ける様にすれば良いだろうが

しかしローマ側はカンネーで
騎兵対騎兵の戦いではヌミディア騎兵の存在等で
勝ち目が無いと考えていたので無ければ
マニプレスの厚みを薄くし陣の横幅を広げ敵歩兵を包囲する事は兎も角
騎兵に対抗する為の中空の方陣(これは近世でも使われた戦法だが)や
騎兵を方陣の内部に入れる等と言う事を行うのは困難である訳だろうか

64 :某研究者:03/03/13 12:18
まあ後は象を方陣内部に乱入されて
背後を突かれれば対処出来るのかと言う問題は有るだろうが
カンネーでは象は居なかったとの意見も有るだろうか


65 :出会い系ビジネス他所とは違います:03/03/13 12:23
http://asamade.net/cgi-bin/kado_g/pc_i_j_ez-index.cgi
ミツクスジュ−チュ
コギャル〜わりきり恋愛
女性多数訪問してます!
女性の方も訪問してね△

特に女性の方におすすめ”

http://asamade.net/web/
出会い系ビジネスに参加しませんか
HP作成費¥0で製作いたします。
毎月の利用料金は下記です!
後は貴方の成功報酬です・・


66 :某研究者:03/03/13 12:28
>カンネーでは象は居なかったとの意見も有るだろうか

まあしかし騎兵や歩兵のピルム・或いはバリスタやカタパルトで
象は阻止出来ないのだろうか 

67 :山崎渉:03/03/13 12:41
(^^)

68 :世界@名無史さん:03/03/13 18:00
素朴な疑問
行軍中、象のエサとかどうしていたんだろう?
現地調達ってワケにはいかんだろう
そんなことした行った先々草木なくなるゾウーっ

69 :某研究者:03/03/13 19:25
>行軍中、象のエサとかどうしていたんだろう?

まあ恐らく出来るだけ現地で調達して
足りない分は輸送した食糧を食べさせていたのではないのか(笑

70 :世界@名無史さん:03/03/14 19:43
象軍が通ったところの住民は象の大量の糞で憤慨したであろう

71 :世界@名無史さん:03/03/14 22:35
ゾウはもういいから、兵器の話しません?

72 :AIRSHIP:03/03/15 22:26
ローマ騎兵は、騎士階級(エクスタス〔馬・エクウス〕に乗れる者?税金を多く納め
得る者)で構成されている為、ヌミディア騎兵の様に騎馬民族が騎兵を構成していな
かった為、カンネー等の初期ハンニバル戦では、両翼の騎兵が駆逐され、亦騎兵のス
クリーンに拠って偵察の不備が敗因の多くを占めていると思われます。
アフリカの本国では、ローマはヌミディアを買収してカルタゴを攻撃させます。
〔ローマ騎兵の攻撃能力に見切りを付けたのではないでしょうか?

73 :某研究者:03/03/15 23:34
まあ只騎馬民族である筈のペルシャ騎兵が
マケドニア騎兵に負けた例も有る訳だろうが
マケドニア騎兵は騎馬民族で構成されていたと言う事なのだろうか

74 :ファシスト文学士:03/03/15 23:42
>>73
ガリア(ケルト)から騎兵をつれていったんじゃないの?
カエサルはガリア騎兵を多用したようだから・・・

75 :某研究者:03/03/16 00:20
>カエサルはガリア騎兵を多用したようだから・・・

ガリア騎兵と言うのは騎馬民族では無いだろうが
これはペルシャ騎兵より強かったのだろうか


76 :例の170:03/03/16 00:39
>>75
ペルシャの騎兵は貴族で構成され、スケイルメイルと上等な武器、馬鎧で武装している精鋭だったそうで。
鐙のない時代にこんな重武装しているなんて・・・。これではほかの騎兵を捕まえられません。

77 :某研究者:03/03/16 00:43
>ペルシャの騎兵は貴族で構成され、スケイルメイルと上等な武器、馬鎧で武装している精鋭だったそうで。
>鐙のない時代にこんな重武装しているなんて・・・

まあそうするとマケドニア騎兵が強いと言うよりペルシャ騎兵が弱いだけであり
マケドニア騎兵はヌミディア騎兵には勝てないと言う事だろうか

78 :例の170:03/03/16 00:46
大変大変!!
なんとオクタヴィアヌスまでのローマ軍の白兵戦のメインウェポンは、短剣ではなく短槍だったんだって!
カエサルなんかガリア戦記で亀甲戦術(何人かで方形に固まって、前後左右真上を盾で固める)をやっているし。
短剣じゃあ並べた盾の隙間から攻撃できないもんね。

79 :某研究者:03/03/16 00:56
>なんとオクタヴィアヌスまでのローマ軍の白兵戦のメインウェポンは、短剣ではなく短槍だったんだって!

まあそうするとピルムを投射して剣で攻撃と言うパターンは
スキピオの時は未だ確立されていなかったと言う事なのだろうか
(しかし騎兵はギリシャ時代同様投げ槍を使っていた訳だろうか)

80 :例の170:03/03/16 00:57
>>54
投げ槍の重いヤツは、わざと盾で受け止めさせ刺さらせ、その重さで盾を持てなくさせたとか。

>>72
というより、戦術の進化から、騎兵の数の不足を感じていたのでは?

>>77
マケドニア騎兵はどうも騎兵より歩兵を叩くことを考えているような・・・。
「鎚と金床」戦術。

81 :例の170:03/03/16 00:59
>>79
槍が剣に変わっただけと思われ。

82 :世界@名無史さん:03/03/16 01:00
(・∀・)イイ!!
http://chu3.k-server.org
笑いが止まりません

83 :某研究者:03/03/16 01:01
まあしかし同じ時代の歩兵や騎兵も
ピルムを持っていない物と持っている物が
存在している訳だがピルムを持っている物は散開させて
ピルムを持たない部隊の前衛に配置し
ピルムを持っていない物は割に密集して運用されていたのだろうか

84 :某研究者:03/03/16 01:05
>マケドニア騎兵はどうも騎兵より歩兵を叩くことを考えているような・・・。

まあ其れでもペルシャ騎兵よりは
強かったと言う事なのだろうか

85 :例の170:03/03/16 01:09
>>84
ヌミディア>マケドニア>ペルシャ
騎兵に強い←−→歩兵に強い
あとは数の問題でしょう。

86 :某研究者:03/03/16 01:12
>ヌミディア>マケドニア>ペルシャ
>騎兵に強い←−→歩兵に強い

長槍を持つマケドニア騎兵の方が
投げ槍を持つヌミディアやペルシャ騎兵より
歩兵に強いと言う事は無いのだろうか
(ピルムでは盾を使用不能とするのみだが
 長槍は歩兵を倒せる訳だろうか)

87 :某研究者:03/03/16 01:14
騎兵に対しては投げ槍の方が強く
馬に投げ槍を近距離から当てれば
投げ槍を持たない騎兵であれば一方的に倒せる可能性も有る訳だろうか

88 :SSBN:03/03/16 01:42
>>75
ペルシャ騎兵が重装備なのはその淵源が襲撃してくる騎馬民族の軽騎兵を追い散らすためとどっかで読んだ。

89 :某研究者:03/03/16 01:47
>ペルシャ騎兵が重装備なのはその淵源が襲撃してくる騎馬民族の軽騎兵を追い散らすためとどっかで読んだ。

まあしかし馬鎧が投げ槍に耐えられる共思えぬが
どうだろうか

90 :某研究者:03/03/16 01:48
馬鎧では槍や剣は止められず
矢を止める程度しか出来ない訳だろうか

91 :SSBN:03/03/16 01:50
>>88>>76に対してです
>>87
移動しつつ、揺れる馬上で、移動している目標へ投擲するのは困難だと思われる
>>89
私が読んだ本では、軽騎兵の弓に耐え前進することが任務であったと書いてあったと記憶している。
それに襲撃任務の軽騎兵が携帯本数の少ない投げ槍を必ずしも携帯しているとは思えない。

もうこんな時間・・・オヤスミナサイzzz

92 :某研究者:03/03/16 01:53
>移動しつつ、揺れる馬上で、移動している目標へ投擲するのは困難だと思われる

まあ只馬の足を止めて投げる・或いは下馬して投げると言う戦法を使われれば
投げ槍の無い方の騎兵は厳しいかも知れぬが


93 :世界@名無史さん:03/03/16 01:59
>某研究者
おまい株板に出没するヤシと同一人物か?

94 :世界@名無史さん:03/03/16 08:05
ローマ時代の騎兵って補助兵的役割しかなかったんじゃないの?
偵察・掠奪・撹乱・退却のしんがり・追撃などは使えそうだけど
歩兵みたいに大挙してガチンコ勝負に参加したの?

95 :例の170:03/03/16 10:11
>>94
カンナエやザマなんかは騎兵が後方に回り込み、包囲殲滅が実行されています。
主力とは成り得なくても、十分な力を持っていたでしょう。
鐙がなかったため、力一杯敵を殴れなかったのが主力になれなかった原因ですね。

96 :金魚:03/03/16 11:01
 前近代社会では、私有地には国家の役人は立ち入りできず、しかして、人口や
領地は誤魔化し放題、脱税放題。戦争は、各中小の領主が私兵を連れて参加するが、
この私兵の数も、誇張放題。これが普通。とても、数学的合理的な戦術や補給は
行えない。戦う単位が、「関羽親分とその手下達」では合理的な戦術などできない。
 しかし、ローマは、すごい。戦う単位は、人数のはっきりした第一軍団や第3大隊。
近代戦並の数学的合理的戦術が駆使できる。おそらく、前近代では、モンゴルに次いで
強い。

97 :ガイウス(仮)さんの証言:03/03/16 22:10
こないだ、海戦行ったんです。海戦。
そしたらなんかローマの軍艦が甲板に、橋みたいなのを、垂直に立てているんです。
で、ほかの兵士がそれ見て、ローマバカ、とか言っているんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、船の足並みがそろっていないくらいで油断してんじゃねーよ、ボケが。
橋だよ、橋。
なんか楽勝ムードな部隊とかもいるし。ピクニック気分か。おめでてーな。
よーしオレ大将首上げちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、先陣切らせてやるからもう戻ってくるな。
ローマとの戦ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
うっかり正面からぶつかったらいつ虐殺が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。平和ボケは、すっこんでろ。
で、やっと接舷したかと思ったら、隣の奴が、なんじゃこりゃぁ、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、新兵器に驚くなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
この世の終わりな顔して何が、橋が落ちてきた、だ。
お前は本当に驚いていたのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、楽勝って勘違いしてただけちゃうんかと。
プロの傭兵の俺から言わせてもらえば今、プロの傭兵の間での最新流行はやっぱり、
降伏、これだね。
後方で槍投げてて味方がほとんどいなくなったら降伏する。これがプロの生き延び方。
降伏ってのはローマの奴隷になる。そん代わり死なずにすむ。これ。
で、金貯めて身分を買い戻す。これ最強。
しかし運が悪いと農場で働かされ金が貯まらないという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、海にでも飛び込みなさいってこった。


98 :例の170:03/03/16 22:10
この手記は、第1次ポエニ戦役のミラッツォオ海戦(BC260)において、カルタゴ側の傭兵として従軍したガイウス(仮)さんからの証言によって筆者(例の170)が書きとったものである。
ガイウス(仮)さんは、海戦後、パレルモの新興富裕商人の家にに家内奴隷として引き取られ、来月にも身分を買い戻すという。
なお、彼の言う「橋」とは、ローマ軍が海戦の未熟さを補うために作り上げた新兵器『カラス』という物だという事が我々の調査の結果判明した。
『カラス』とは船の帆に縦に取り付けられた『r』型の橋のことで、敵艦に接近すると、帆からはずされ敵艦に向かって倒れ込み、甲板に突き刺さり固定される。そしてそれを橋にして、ローマ兵が殺到する。
この新兵器は、海戦に不慣れな兵士が陸戦のように戦えることから画期的な物だったが、やがてローマ軍の海戦への慣れと海軍力の常備化により、船の機動性を損なうことから廃棄された。

99 :例の170:03/03/16 22:12
すいません、もうしません、お願いだから殴らないで・・・。

100 :世界@名無史さん:03/03/16 22:26
いんや結構面白かったよ。他の人がどう思ってるかは知らんけど。
俺はあんまり歴史に詳しくないから、こういうのは分かりやすくて助かる。

しかし、そーか、カラスって結局廃止されたのか。
ローマが海に慣れるまでの一時凌ぎだったってことだな。

101 :世界@名無史さん:03/03/17 09:07
塩野はその欠点について何も触れないやね。
バカでかくて重いものを甲板上に据え付けたため、
復元性が極端に悪化しますた。
荒天時に相次ぐローマ艦破船の原因は、
航海経験の少なさとともに、これによる影響もありました。

102 :世界@名無史さん:03/03/17 09:23
>>101
確かに重心高くなりますね。気がつきませんでした。

103 :例の170:03/03/17 21:12
>>100
アホ文への評価サンクス。

>>101
ふむ、ラノベや漫画でガレー船にバリスタや投石機が乗せられていて、海戦でぶっ放すのをよく見ますが、現実にはそんなの攻城戦でしか使われなかったのもそのためでしょうか。

>>96
うーん、古代、前近代とひとくくりにしてしまうのはちょっと乱暴かと。
ギリシャや専制君主国ではそれなりの戦力計算もできたでしょう。
ローマ軍が優れていたのは、「ゴマカシのきかない軍の組織構造」と「戦闘意欲の高い市民兵」、「レギオン」による歩兵戦術の柔軟性、の三本柱かと私は思います。

それと>>95の補足。
鐙がない時代は、騎兵は馬の背中を太股でしっかりと挟み込まねばならず、それを戦闘中たゆまず維持するのはしっかりとした訓練が必要なため、騎兵の増強が困難だったことも。

104 :世界@名無史さん:03/03/18 02:47
鐙があったって馬上で武器を振り回したり突撃するのは大変だろうに。
それがなかった日にゃあ、
馬上で戦闘できたのは、事実上騎馬民族の連中だけだったろうな。
ヌミディアとかゲルマン出身以外で
騎兵になれた人がどれだけいたことやら。

105 :世界@名無史さん:03/03/18 08:14
>>104
あと、ガリアとエトルリアと・・・
他にはどこですかねぇ?

106 :某研究者:03/03/19 12:08
>馬上で戦闘できたのは、事実上騎馬民族の連中だけだったろうな。

鐙無しで馬上で弓を使った例も有るのだろうか
(確か鐙無しでクロスボウを中国の騎兵が
 馬上から使っていただろうか)

107 :例の170:03/03/19 12:43
冒険帰還!!

>>106
弓のほうが簡単でしょう。
踏ん張って反動に備える必要がないのだから。

108 :某研究者:03/03/19 12:59
まあどうやら漢の鐙の無い騎兵には馬上からクロスボウでは無く
弓を使用していた騎兵も居た様だが

末期のローマ兵の槍がピルムからジャベリンに成ったのは何故なのだろうか
軽装の蛮族相手にはダートが有効だったと言うが
蛮族はダートを止める盾も無かったと言う事なのだろうか
(まあしかし蛮族はピルムの様な物は使っていただろうし
 盾もかなり装備されている様に見えるが)
ダートでは騎兵を一撃で仕留めるのは無理であるから
ジャベリンを対騎兵用に携帯していたと言う事なのだろうか

109 :通りすがりの者:03/03/19 13:00
前1世紀頃からのローマ騎兵の鞍には四つの角のような突起があります。
この鞍角付の鞍を再現した研究者によれば、これを使用することで乗り手
は馬が急旋回しても振り落とされることは無くなり、馬上で剣を用いた時
にも踏ん張れるようになったそうです。
また、この鞍のために鐙の発想が遅れたとの説もあるようです。

ただし、鐙が無いと腰を浮かすことができないので、長時間の乗馬には、
向いていないでしょうが。


110 :某研究者:03/03/19 13:01
フランク族のフランキスカと言う投げる為の斧は
盾越しに敵を仕留められたと言う事は無いのだろうか
(まあ只射程はジャベリンやダートより短いだろうか)

111 :世界@名無史さん:03/03/19 19:18
古代ローマ式の甲冑ってのは何世紀くらいまで使われていたんですか?
東ローマのユスティニアヌスくらいまでですか?
それとももっと後ですか?

112 :世界@名無史さん:03/03/19 20:18
いまグラディエータ−って映画みてるんだけど、これって歴史的にどうなんですか?

凄い格好いいんですが

113 :世界@名無史さん:03/03/19 20:37
塩婆の「ローマ人の物語]T」を読めば、史実と映画の違いが説明してあるぞ。
漏れも映画を見て思ったが、森林の切れ目みたいなチマチマした見通しの悪い
戦場でゲルマン人と闘っていたが、ありゃローマ軍にとっては不利な地形だな。

114 :世界@名無史さん:03/03/19 21:06
自分もあんまり格好よすぎて、本当かな思いながら、いまビデオみてます。
ローマ軍て平原決戦専門なのでしょうか?

あとすいません。不勉強でわからないのですが。
塩婆って何ですか?

115 :世界@名無史さん:03/03/19 21:06
>>111
ローマの甲冑には、大きく分けてロリカ(鎧と言う意味であるが、革を使った浮き彫
りの有る、《筋肉や神々等を彫った物》豪華なもの、ロリカ・ハーマータ《鎖を編ん
だ物)、ロリカ・スクゥワマータ(鱗状や小判状の小型鉄板を繋ぎ合わせた物)《ナ
ウシカのクシャナが着ていたような物》、ロリカ・セグメンタータ(板状の金属板を
繋ぎ合わせた物)の種類があります。 貴方のイメージしている鎧は、どのような形
式ですか。
パレード用の甲冑には、中世でもロリカを模した物が遣われていた事が当時の絵に残
っています。

116 :世界@名無史さん:03/03/19 21:11
>>78
それはピルムに代わって装備されるようになったピラの事じゃないのか?
スキピオの時代から、ローマ歩兵のメインウェポンはグラディウスだぞ?
投槍が重いピルム2本に代わって、軽いピラ4本の装備に代わったのは確かに事実だが…。
それと、亀甲隊形は防御を固める為の隊形なのだから、攻撃できないのも当然な訳だが…。

117 :(V)o¥o(V):03/03/19 21:24
つーかローマの戦術は山岳や森林といった錯雑地形での戦闘を想定して
発展したものだからそれほど不利ではないし平原専用だったわけでもない

118 :世界@名無史さん:03/03/19 21:26
>>114
塩野七生という女性作家が、ローマ史を全15巻の予定で年に1巻づつ書い
ている。最近、とみにふけてきたので、塩野の婆さん、塩婆ということ。

ローマ軍というのは、高度に訓練され、組織的な行動がとれるところに強み
があるので、見通しのきかない狭い戦場での混戦というのは本来の戦術面で
のメリットを発揮できないとういことで、不利だと考えられるな。
グラディエーターのストーリーが史実かといえば、それはかなり違うが、映
画に出てくるローマ軍の強さとか格好の良さということなら、史実はもっと
劇的だったと言っても間違いじゃない。
むしろ、マルスク・アウレリウスが指揮した戦いはあまりぱっとしない混戦
が多かったとも言われているくらいだから、当時のローマ軍の強さは圧倒的
だったと言えるだろう。
現代のアメリカ軍の強さと、第二次大戦時のドイツ軍のファッションを合わ
せたような軍隊と考えればいい。
というか、ナチ・ドイツの敬礼や軍旗はローマ軍のものを模しているんだな。



119 :世界@名無史さん:03/03/19 21:37

ローマ軍は残忍さにおいて、13世紀のモンゴル軍や15世紀のチムール軍に匹敵しました。

包囲した都市に対しては、その抵抗を口実にして敗者の徹底的な虐殺を正当化しました。

翻って、現代。すでに抵抗する力の無かった日本に原爆を落としました。

硫黄島で、沖縄で徹底的に殺りくしました。 火炎放射器で、丸焼きにしているのです。

いつぞやの戦争映画で防空壕の中に手榴弾を投げ入れ、中で炸裂すると

同時に断末魔が聞こえると、口笛を吹いていました。

まさしく現代のローマ帝国とはアメリカのことでしょう。

特攻隊員の遺体をバラバラにして放置するだけでは物足らず、

隊員の首まで切り刻んで戦艦に船首に晒しました。

戦後、日本に乗り込んで、各地で婦女に狼藉を働き、あるいはかど交わして

後日、山中で白骨遺体として発見される事も珍しくありませんでした。

このような野蛮な行為は、抵抗せずに降伏した婦女子に対してもしばしば繰り返されたのです。

戦場で倒れた兵士を埋葬するのは義務であると考えていたギリシャ人には到底許せない行為でした。



120 :世界@名無史さん:03/03/19 21:50
まあローマ軍は確かに残忍だったね。だからどうしたって感じだがな。

しかし某ゲームのおかげかローマ軍に興味持つ人が増えたね。
一昔前ならなんじゃそら扱いだったのだが。
はっ・・むしろ塩婆のおかげか?

121 :114:03/03/19 22:49
>118
ありがとうございます。明日、本屋さんでさがしてみます。
ローマ軍って凄いんですね

無知なんでこれしかレス返せないのが悲しいです(w

122 :つーか:03/03/19 23:32
>>119
あのな、ローマ軍の全盛期がいったい、いつのことだと思ってるんだね。
日本で言えば、卑弥呼の時代なんだよ。
敗者は皆殺しか奴隷にするってのが標準だった時代の話を現代に持ち込んで
どーするんだね。ローマ軍も負れば捕虜は皆殺しにあったりしている。
むしろ、敗者を属州として帝国に組み込み、市民権を与えていったローマの
寛容さが同時代の中では目立つくらいなんだがね。

123 :(V)o¥o(V) :03/03/20 00:07
属州民全員が市民権を与えられていたならともかく、被占領民の一部にしか
付与されなかった市民権は単なる占領政策の一環でローマの寛容さ故ではなかったんだが

確かに攻略した都市の住民に残虐行為を働いたのはローマだけではなかったが、
ほとんどが宗教的、政治的、軍事的な理由からで、無意味に虐殺したのは
ローマの他にほとんど類を見ない
犬や家畜まで殺しているしな・・・・

124 :世界@名無史さん:03/03/20 00:10
>>123
アッシリアや古代の中国は?

125 :(V)o¥o(V):03/03/20 00:29
古代に戦闘捕虜の殺害権はともかく非戦闘員の殺害権が兵士各個の当然の権利として
認められていた軍隊がローマのほかにあるのなら是非とも教えて貰いたい

126 :世界@名無史さん:03/03/20 01:00
>>124
だからアッシリア。

127 :世界@名無史さん:03/03/20 01:56
殺し合いを大衆娯楽にしてたような国が寛容だったって言われてもねえ。
同化政策と並行して弾圧とかもビシビシやってるし。
塩野さんの影響かな?

128 :某研究者:03/03/20 03:20
白人コンプレックスの有る人間はローマのこうした残虐行為や
白人の奴隷制・植民地支配に関しては余り語る事も無いのだろうか

129 :某研究者:03/03/20 03:22
白人コンプレックスの有る人間の良くやる
白人の一番良い部分と日本人の一番悪い部分を比較する行為は
これは不公平であろうし
矢張り白人・日本人の一番良い部分と一番悪い部分同士を
比較せねば不公平ではないのか(苦笑

130 :某研究者:03/03/20 03:29
矢張り白人コンプレックスの有る人間の視野は果たして正常かと言う事も有る訳だろうし
戦争に負けたから白人を崇めているのでは単に力に屈しただけの人間だろうし
これが果たして正義・正論等と言えるのだろうか

131 :某研究者:03/03/20 03:32
矢張り日本人より脳細胞の少ない白人等を
少なく共永久に崇め続ける事等が
進化論的に正常な状態と言えるのかと言う事だろうが(苦笑

132 :某研究者:03/03/20 03:54
>矢張り日本人より脳細胞の少ない白人等を

人種差別反対も結構だが自然=進化が白人の地球圏最終支配を
望んでいないとすれば結果はどう言う物に成るだろうか


133 :世界@名無史さん:03/03/20 04:06
キティなガイだな

134 :世界@名無史さん:03/03/22 21:01
>>125
割と普通じゃないんだ?


135 :世界@名無史さん:03/03/25 06:30
>>125
つ〜か、古代においてそんなもの制度化されている軍のほうがごく一部だと思うが?
敗者への略奪・殺戮は洋の東西を問わず日常茶飯事でしたが何か?

136 :世界@名無史さん:03/03/25 09:03
単にローマ人が法律マニアだから、わざわざ制度になってたってだけのことだ、
と思うんだが、どないだしょ。

残虐さでいうと、アッシリアの他にはモンゴルかなー。
中国でも屠城なんてよくあることだったと思う。

137 :世界@名無史さん:03/03/26 14:24
>>125
肯定も否定も無理。

>>135 >>136
軍は特に規律が全てだから、古代と思って甘く見ない方がいいかと。
虐殺に関しては同意。

138 :世界@名無史さん:03/03/26 18:13
ローマが寛容だったと主張してる香具師はどこ行ったんだ?

139 :136:03/03/28 06:36
>137

言われてみれば、きちんと決まり事がないと
分捕り品の分配でもめますわなあ。
戦争をやるくらい発達したところであれば、
そういう決まり事があってむしろ当然か。
(分捕り品ってのは非戦闘員の捕虜を妻妾にしたり
(なぐさみに殺したり奴隷にしたりってのも含むってことで4649

140 :山崎渉:03/04/17 09:57
(^^)

141 :山崎渉:03/04/20 04:48
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

142 :第20軍団兵:03/04/21 20:28
ギリシア=ローマ世界では、都市国家(ポリス)あっての市民権っていう考え方があったので"都市が滅びるとき個人も市民ではなくなる"という意識を常識として持っていた。
だからこそ、小スキピオはカルタゴの最後に感動するわけで、彼があそこで言いたかったのは「ポリスとの一体感が強いローマ市民なら、カルタゴ市民と同じように最後の1人まで戦うだろう」
と、彼らの気持ちを慮って感動しているわけです。
逆に、ポリスが滅んでも、のうのうとしているギリシア人に違和感を感じていたからこそローマ人は"ギリシア人嫌い"なわけで。


現代人の感覚で古代人を評すると、変な自己満足で終わってしまうと思うんですけど。

143 :世界@名無史さん:03/04/22 00:21
>>123
ローマだって無意味に虐殺したわけではないでしょう。
見せしめという政治的な意図があったのでは?
まあ、ローマが特別寛容だったとも思わないけど、
ローマだけが突出して残忍だったって訳でもないと思う。
ローマの場合寛容とか残虐とかではなく、
単に占領政策が巧みだったということだと思うが。

で、その巧みな占領政策を、ローマに対して好意的な目で見ると、
「寛容」なようにも見えると。

144 :世界@名無史さん:03/04/22 00:36
>>142
カルタゴが最後まで戦ったのは、降伏しても皆殺しにされると確信していたからでは?
ポリスとの一体感とかはあまり関係ないと思うが。

145 :(V)o¥o(V):03/04/22 00:44
>>143
あのカミルルスでさえ、あのスキピオでさえ反乱を恐れて
兵士の虐殺と略奪を制止できなかったのだがそのどこに政治的な意図が?
政治的な意図以前に無差別な虐殺と略奪はローマ軍の慣習だったんだが
まあ暴行され奴隷にされて生き地獄に落とされるより殺されたほうが
寛容だと感じることもあるかもしれないが

146 :世界@名無史さん:03/04/22 01:13
>>145
歯向かった相手は徹底的に破壊して、
歯向かわなかった相手にはそうはしなかったってことでしょ?
立派に政治的だと思うが。
それともローマ軍は抵抗しない相手も見境無く襲いかかったとでも?

147 :第20軍団兵:03/04/22 01:20
>144
慮ってという書き方が悪かったですね。あくまで、"小スキピオがカルタゴ人の心理を想像して"って事で。
カルタゴ人にとって、奴隷になるという事がどのような意味を持つのかは分かりませんが。

ただ、第3次ポエニ戦争開始前にカルタゴ人が都市の移転に強硬に反対したのには、何らかの意味があったとは思いますが。
(賠償金や武器の引渡しは問題がないが、土地を手放すのには神々の怒りを買う等)

148 :(V)o¥o(V):03/04/22 01:21
>>146
>それともローマ軍は抵抗しない相手も見境無く襲いかかったとでも?

抵抗しない相手も見境無く襲いかかってますが何か?
エルサレムでローマ兵がユダヤ市民に行った蛮行は政治的な理由からではない
戦闘員の殺害権のみならず非戦闘員の殺害権が慣習として存在している点で
ローマ軍の殺戮癖は農耕民族の中でも群を抜いている

149 :世界@名無史さん:03/04/22 01:28
>>148
それってユダヤが反乱起こした後の話でしょ。
だから、歯向かった相手ってことになると思うが?

無抵抗という言い方が悪かったか。
要するにローマに対して従順な国家や都市を見境無く
襲ったりはしていないでしょ?
という意味です。

150 :(V)o¥o(V):03/04/22 01:35
>>149
要するにローマに対して従順な国家や都市を見境無く
襲ったりはしていないから残虐ではないと?
いくらローマ軍でも狂人の群れではないのだが
非戦闘員への慣習的殺害権は政治的な理由とは関係ない
それに、捕虜として収容されていた市民に兵士が司令官の指示もなく
自発的に襲いかかったことのどこに政治的な意図が?

151 :第20軍団兵:03/04/22 01:55
>149
当然属州の事をいっているのでしょうが、属州統治の最終責任者が総督とされていて、不正があった場合告発でき、しかもその告発を利用して名を挙げようとしたり、総督の失脚を狙ったりする人間がローマ側にも沢山いるという事がうまく作用したのでしょうね。
古代にも戦争と交渉のルールはあったようですが「羊の頭が城壁をたたくまで」とか都市を攻略した後はその都市が神々の加護を失った事を示すために神域を破壊するとか...

>148
戦闘員とか、非戦闘員とかの発明は最近の発明だし、氏族中心で個人の人格さえあまり意識されない時代にそんな非難は的外れでは?

152 :世界@名無史さん:03/04/22 01:56
>>150
だから、
歯向かった相手は徹底的に破壊して、
歯向かわなかった相手にはそうはしなかったんでしょ?
充分政治的効果があると思うが
それに常に兵士は指揮官に従わずに略奪に走ったの?
なにやら極端な例ばかりのような気がするが。

153 :世界@名無史さん:03/04/22 02:00
>>148
で、非戦闘員の殺害権が存在していなかった他民族は非戦闘員を殺害しなかったの?

154 :世界@名無史さん:03/04/22 02:10
>>151
例えばガリアの諸部族には戦闘員と非戦闘員の明確な区分があったが何か?
時代は若干下るがローマ法でも戦闘員と非戦闘員の区別がなされていたが何か?
まあ戦闘員、非戦闘員という言い方はしていなかったがな

>>152-153
非戦闘員の殺害権の有無ではなく慣習として確立していたか否かなのだがなにやら極端だな
非ローマ民族で非戦闘員の捕虜の殺害権が無条件に認められていなかったとは一言も言ってないぞ
非戦闘員の殺害権が慣習として存在していたという点でローマは残虐だったと言ってるだけなのだから、
自分を論破したければ非ローマ民族において非戦闘員の殺害権が慣習となっている実例を挙げるか、
ローマ軍において非戦闘員の殺害権が慣習として存在していなかったかを立証すべきだ

155 :(V)o¥o(V) :03/04/22 02:12
おっと名前が消えていた
154は自分だ

156 :(V)o¥o(V):03/04/22 02:18
まあローマは占領政策自体も相当に苛烈だったがな
廃墟となった都市、消滅した言語、弾圧された社会階層等々
その発想は農耕民よりもむしろ遊牧民に近い部分も多い

157 :世界@名無史さん:03/04/22 07:39
>>154
そもそも、
非戦闘員の殺害権が存在していた=他に比べて突出して残虐
とはならないでしょ?
他の民族だってやるときゃあやってるんだから。

158 :世界@名無史さん:03/04/22 07:54
ところで、ローマにおいて非戦闘員の殺害権が慣習として存在していたってのの
ソースは何なの。

159 :世界@名無史さん:03/04/22 10:47
殺戮癖で群を抜いてて、遊牧民的なのにどうしてあんな長く続いたんでしょうね
実に不思議だ
見境無く殺戮しまくってたり遊牧民的だったら統治は長く続かないはずなんだけどね

160 :(V)o¥o(V):03/04/22 18:45
あのカミルルスでさえウエイイが廃墟になるのを制止できなかった
古代ローマでは法の保護を受けない敵の生命財産を先占によって取得することは
指揮官の禁止命令や引渡命令によって排除されない

161 :世界@名無史さん:03/04/22 20:47
>>159
同意、アッシリアの実例があるからな。

162 :世界@名無史さん:03/04/22 20:58
>>154
だからアッシリア。
当時の文書に「都市の住民達の生皮で城壁は赤く塗りつくされた」とか、「富を略奪し、住民を皆殺しにするのは勇敢なる兵士の受けるべき栄誉」てな記述も多々見られるがな。
大体、殺害権も何も指揮官による制止が無ければ、陥落した都市で略奪・殺戮が起きるってのは古代の戦争の常識だ。
殊更にローマの残虐性を強調するのもどうかとは思うが?

163 :(V)o¥o(V):03/04/22 21:26
>>162
虐殺略奪を恐怖戦略の一環として行っていたアッシリアと
兵士への報酬として黙認していたローマとは事情が異なる
指揮官の制止も何もローマ軍では反乱を恐れて制止するような真似は
難しかった
同様に都市を住民ごと磨り潰すことを常としていた軍隊として
マケドニアの東征軍がいるが、こちらのほうが反論の事例としては
適切だと思うが?

164 :世界@名無史さん:03/04/22 21:47
>>163
それは単なる詭弁。
ローマの敵対者に対する虐殺殺戮も、恐怖戦略としての意味はあった。
アッシリアのそれと何ら変わる所はないよ。
アッシリアの攻撃で事実上壊滅を免れたのはバビロンだけだと言っても過言ではない。
徹底的な殺戮と略奪が兵士の権利として認められていた以上、>>154の条件は満たしていると考えるがね?

165 :(V)o¥o(V):03/04/22 22:05
指揮官の命令で行うのと命令の如何によらず当たり前に行うことのどこが同じなのか?

166 :世界@名無史さん:03/04/22 22:12
>>165
シリア諸都市攻略の時には、指揮官の下命の前に略奪や殺戮が起こっている。
また、>>162で挙げているように、「富を略奪し、住民を皆殺しにする」のは「兵士の受けるべき栄誉」と認められていた訳だが?
これは、君の言う所の「非戦闘員の殺害権が慣習として存在していた」には含まれない訳かな?

167 :(V)o¥o(V):03/04/22 22:33
アッシリアの兵士がネブカドネザル2世の意向に反して虐殺略奪に走っていた訳ではない
それはアッシリアの敵を恐怖させる戦略的な姿勢の体現に過ぎない
指揮官の意向にかかわらず略奪行為を働くことが当たり前のローマ軍とは事情は違う
かなり前にも書いたが、政治的軍事的宗教的その他の理由で虐殺や略奪を働く軍隊は
アッシリア以外にも珍しくない

168 :(V)o¥o(V):03/04/22 22:40
まあ残虐か否かという個人的主観を主張した自分にも問題はある罠
こう修正しよう
古代においてローマ軍は兵士個人レベルで残虐行為に走る傾向や
それを許容する習慣があり、ローマ軍の軍事行動における特徴の一つでもあった

169 :世界@名無史さん:03/04/22 22:51
>>168
そうゆう傾向は古代ではローマに限らないと思うけど。
で、あなたも言っているようにローマも他の民族も虐殺や略奪を行いる訳だけれど、
他の民族のそれは政治的軍事的宗教的その他の理由があったが、
ローマのそれは無意味なものだったとあなたが思う理由が知りたい。

170 :世界@名無史さん:03/04/22 22:57
>>167
戦略的効果を狙って残虐行為をしたアッシリアと、
兵士の凶暴性の任せるままに無計画に残虐行為をしたローマで、
後者の方が圧倒的に長く安定して繁栄したというのもおかしな話だと思うが、
この辺はどう解釈しておられるのですか?

171 :世界@名無史さん:03/04/22 23:04
なんだか、ローマ軍は占領した都市を常に皆殺しにしていたかのような
印象を受ける文章だけど、ローマが占領都市で行った最も一般的な行為は
捕虜にした市民を奴隷として売り飛ばすという当時としてはありふれた行為だったと思うが?

172 :世界@名無史さん:03/04/22 23:04
>>168
了解、それならまだ納得できる。

後、細かい話で申し訳無いが、>>167の>ネブカドネザル2世 は新バビロニアの王だな。
重箱突付いてスマソ。

173 :(V)o¥o(V):03/04/22 23:14
>>169
イタリアやギリシアでローマ軍が行った残虐行為には兵士レベルでの暴力衝動によるものと見られる
事例が少なくない
特にマリウスの兵制改革以前においては無主物先占は兵役に就く際の大きな動機となっていた

>>170
軍隊の残虐行為と国家の安定や繁栄に強い因果関係が認められないだけだろ?
むしろおかしいと信じる理由をこっちが聞きたいぐらいだ
お行儀のいい軍隊を持つ国は長く安定して繁栄するとでも?

174 :(V)o¥o(V):03/04/22 23:17
>>172
>>ネブカドネザル2世 は新バビロニアの王だな。

そうだった、すまん間違えた

175 :世界@名無史さん:03/04/22 23:28
>>173
いや、残虐行為の有無ではなくて、
戦略として行ったアッシリアよりも、
何も考えずに行ったはずのローマの方が安定したってのはどうよ?
ってことなんだけど。
アッシリアの戦略として残虐行為を行う作戦は失敗したってことか?

176 :(V)o¥o(V):03/04/22 23:44
>>175
ローマ軍の残虐行為とローマの国家としての安定には
強い因果があるとは思えない
アッシリア軍の恐怖戦略が周辺国の恨みを買いまくって
アッシリア滅亡の原因となったという説もあるが、
自分には説得力は感じられない
まあアッシリアの徹底的な滅亡っぷりの遠因には
なったと思うが

177 :世界@名無史さん:03/04/22 23:45
>>173
兵役に就く際の大きな動機になっていたなら、無意味なものじゃないですよね。
そういや、>>163でも兵士への報酬にしていたと言っていおられますな。
>>123での「無意味に虐殺した」というのは、
言い間違いというか言葉のあやみたいなもんってことですか?

ところで、略奪はともかく虐殺が兵士への報酬とはずいぶん恐ろしい軍隊ですね。

178 :世界@名無史さん:03/04/22 23:50
アッシリアは残虐行為、恐怖政治をやりすぎたために、恐怖心と復讐心
にかられた周辺諸国の大同盟に滅ぼされてしまった。
翻ってローマを見ると、アッシリアほどに残虐な行為はしていなかったと思うし、
魅力的な文化もあったからね。

179 :(V)o¥o(V):03/04/22 23:59
アッシリアの滅亡の原因はスキタイ騎兵なんだが
恨みを買おうが恐れられようが軍事的に優勢ならば
滅亡することはなかっただろう


180 :世界@名無史さん:03/04/23 00:09
>>179 その点については、当時のローマ軍と周辺勢力の軍事力、
アッシリア軍と周辺勢力の軍事力の比較をすればおのずと答えは出るんじゃないの?
手元に資料がないんで、俺ははっきりしたことは言えないんだが。

181 :世界@名無史さん:03/04/23 00:26
>154
「ガリア戦記」でガリア諸部族の女、子供、老人、祭司について記述されているのは
A:2巻13、B:2巻16、28、C:6巻14、15,18、19、D:7巻14、E:7巻26F:7巻47、48G:7巻78
ガリア諸部族で戦闘員と非戦闘員の明確な区別があったというのは6巻14の部分で「ドゥルイデスは一般に戦争とは縁の無い生活を送ることになっている」
と記述されている部分のみで、Aは開戦前の話、Cはガリア社会について、B&D&Gは戦闘前に非戦闘員を切り離した話、E&Fは戦闘中のエピソード
以上の分類で注目すべきはCとB&D&Gで、ガリア人たちは戦士とそれ以外の足手まといとしか分類していないのではないですか?
また、足手まといとして処分してよいとの感覚が生まれる根拠としてCのガリア人の慣習を挙げています。
それをここで議論されているような現代的な感覚の"保護されるべき非戦闘員"と解釈するのは間違いだと思うのですけど。


182 :(V)o¥o(V):03/04/23 00:44
古代に非戦闘員が「保護されるべき」存在だったとは一言も言ってないが?

183 :(V)o¥o(V):03/04/23 00:49
議論されていたのは、非戦闘員の捕虜の殺害権が戦闘員の捕虜の殺害権と同じく
兵士個人に先天的に認められていた権利であったか否かだ

184 :世界@名無史さん:03/04/23 00:56
前もそうだったけどバルタソの話の持っていき方って行く先が
見えないよなぁ

185 :第20軍団兵:03/04/23 00:59
ローマ法については共和制時代、ポリュビオスの頃から正しい戦争/不正な戦争
との分類が始まり、キケロが(ちょうど「ガリア戦記」の頃)正しい戦争のルールを提唱していますね。
ただし、それは開戦に到るまでのルールで、いったん開戦されたら「武器の前で法は沈黙する」としてインペリウムを持った司令官の権限に属する事となったようですね。

カエサルは最終的に各部族から人質を取り忠誠を誓わせることで解決しています。
奴隷となるのは捕虜となった人間のみのようですね。
ただし、この処理を「カエサルの寛容」と取るべきで、まったく一般化できないものなのかどうかはもっと調べてみないとわかりません。

*181も私です

186 :世界@名無史さん:03/04/23 01:28
アッシリアとローマの軍隊のやってたことは、本質的に同じで、
記録の残り方が違うだけでは無いでしょうか。(ただの推測)

アッシリア人は、残虐性が政策として役に立つ時しか記録に残していなくて、
ローマ人のは、残虐性が政策として問題がある時にも記録が残っている。
だから、ローマ兵の方が自分の欲求で殺害や略奪をしたように見える、とか。

187 :第20軍団兵:03/04/23 02:30
>182
"非戦闘員"って言ったらそう言う意味になると思うんですけど...
ま、それは解釈の行き違いってことで...
当時のガリア人にとって(特に戦時に)戦争に役に立たないものは財産と同レベルで扱われるって事を言いたかった訳です。

>183
捕虜の殺害権なんて人間にはありません。明確な神託が神々から下された場合は例外ですが(それは神々が報酬の先渡しを要求したと言う事ですね)
インペリウム(軍事指揮権)を持った司令官でさえ、捕虜を含む戦利品を管理する事ができただけです。
神々に感謝を捧げ(たとえば凱旋式)軍団を解散するまでは、神々、都市ローマ、兵士の取り分は確定していないのです。
だから捕虜を勝手に殺すのは泥棒と同じ行為で、特に神々の怒りを買う恐れがあります。

さて、問題はインペリウムを持つのが皇帝1人になり、軍団の解散も無くなった帝政期、ブリタニア&ゲルマニア(恒常的)、ユダヤ反乱&ダキア遠征(突発)での戦利品の処分がどうであったかなんだけれども...

188 :(V)o¥o(V):03/04/23 03:00
それではピュロスは何故「どのような法も捕虜の生命を惜しまず刑罰を科すことを止めない」
と言ったのか?
ヴェルギリウスがその著作の中で登場人物に「貴方がその女捕虜を殺したのは戦争の法に
かなっている」と言わせているのは?
スキピオがカエサレアの捕虜を助命した際に「戦争の法に基づいて捕らえられた私の
生命財産を保障」したことを感謝されたのは何故か?
大カトーがコンスル任期中にヒスパニアを略奪してまわって得た戦利品の一部を
その場で兵士たちに分け与えたことで賞賛されたのは?
しかも兵士たちは既に自分たちの戦利品を抱えていたというのに
実際には全ての戦利品が集められた訳ではなく、
全ての捕虜がその生命を神の許しが出るまで保障されていた訳ではない
凱旋式を飾るに相応しいと判断された戦利品と捕虜を除けば
ローマ人はあまり神に気を使っていなかったようだが?
むしろローマの法の庇護の外にいる人間の生命財産に対する
ローマの扱いは極めて軽い
まあこれはローマに限ったことではないが

189 :世界@名無史さん:03/04/23 07:56
>>188
なんの反証にもなっていないように思うが?

結局、ローマ以外も残虐行為をしているし、
非戦闘員を保護したりはしていないんだから、
対した違いはないでしょう。
ローマのそれが目立つのは単純に当時ローマが軍事的に最も優勢で、
勝ち続けたからだと思う。
最初から、
ローマは他と同様に現代人から見れば残忍で寛容とは言えない、と言っていればよかったのに、
無理にローマだけを特別なものにしようとするからおかしな理論になってしまうのでは?

190 :(V)o¥o(V):03/04/23 17:55
>>189
  _, ._
( ゚ Д゚) …?
>>188はローマ軍で捕虜の殺害権の有無について言及してるだけだが?
何言ってるんだ?

191 :世界@名無史さん:03/04/23 18:51
ずーっとテーマになってる、ローマ軍の残虐性の事だと思うけど?

192 :第20軍団兵:03/04/23 19:24
>188
軍団の解散までは"管理権"(そのまま訳すとインペリウム=支配だけれども)を司令官が持っています。だからこそ従軍商人に捕虜を売って現金化したり(現金化しておいた場合、現金を奉献することになる)、
司令官=都市ローマの取り分を減らす形で捕虜の解放を行うことができると解すべきだと思います。
よって、捕虜を殺害する事は後に軍団解散後に分配するモノがなくなるという点で問題なのです。
復讐を望むあまり司令官に対して戦役後に分配される戦利品はいらないからという条件で殺害を認めさせたという例が帝政期、ゲルマニアにおいてあったようですが。当然ながらこれは例外に属することですね。

もう一つの反証として帝政期にゲルマニア人がローマ人を柔弱とした根拠に兵士が「殺戮や略奪ではなく金(=給与)のために戦う」とした点があるでしょう。遠征等で兵士にボーナスが出る場合でもそれは通貨の形で渡されたということですね。
この場合、捕虜の形で報酬を受け取っていない以上殺せませんよね。
よって、>183のように兵士に生得的に虐殺権があるという事実は認められません。

>188の各事例については改めて回答します。

193 :世界@名無史さん:03/04/23 21:28
つ〜か、前から気になってたんだが、バルタンはローマが嫌いなのか?
ローマ絡みの発言が妙に辛口のような気がするが…。

194 :(V)o¥o(V):03/04/23 21:35
古代ローマを愛して止まぬこと人後に落ちぬつもりでいるが何か?

195 :世界@名無史さん:03/04/23 21:47
>>190
捕虜を助けたら感謝されたとか、
戦利品を分けたら兵士が賞賛したとか、
殺害権とやらと関係ないじゃん。

196 :世界@名無史さん:03/04/23 22:03
非戦闘員に対する殺害権というものを強調しているが、
バルタン氏自身も言っているように古代では非戦闘員は必ずしも保護の対象ではなかった。
当然ローマ以外も非戦闘員を殺している。
ローマだけが突出して残忍だったとは言えない。
ローマ兵は指揮官の命令に従わず虐殺をして、
ローマ以外は命令によって虐殺をしたと言うが常にそうだったとは思えない。
ローマに占領されても皆殺しにならなかった都市はあるし、
捕虜は奴隷として売られる方が一般的だった。

197 :世界@名無史さん:03/04/23 22:21
古代では虐殺も略奪も一般的だったのに
なぜローマのそれだけを特別なものにしたいのか理解に苦しむ。
ローマの残虐行為が目立つのは、
単純にローマが勝者である場合が多かったからだと思うが?

あと、敵対者や反抗するものが徹底的に破壊されれば、
他の敵対者や非征服民に対して当然大きな影響を与えるはずだが、
そのことの政治的意味を頑なに否定する理由も分からない。

198 :(V)o¥o(V):03/04/23 22:57
>>196
ローマ軍が捕虜の奴隷化を虐殺より優先するのは紀元前1世紀頃以降
捕虜の奴隷化について明文化されるようになるのは1世紀頃以降
それ以前のローマ軍は奴隷化よりも虐殺が一般的でしたが何か?
それと残虐という表現は修正してるんだが何か問題でも?

>>197
ローマ軍の残虐行為だけを特別視しているのではなく、
残虐行為におけるローマ軍の特徴を述べているだけだが何か?

>当然大きな影響を与えるはずだが、

結果的にそうであればその過程や動機は問わないのか?
ウエイイを廃墟にすることはローマの戦争計画には
含まれていなかった筈だが?

199 :第20軍団兵:03/04/24 18:20
>188について改めて回答
ピュロス-->スミマセンどのピュロスかを教えてください。
ヴェルギリウス-->これも出典と引用個所をお願いします。

共和政後期のローマ戦闘後にどのような関係をとるかは
1.戦闘相手はバルバロイか否か?
2.どのような形で開戦されたか?
3.ローマは戦後敵側とどのような関係を結ぶ事を狙っていたか?
で変わります。


200 :第20軍団兵:03/04/24 18:27
>199つづき
問題になっているのはカエサリアじゃなくて、
カルタゴノヴァをスキピオ・アフリカヌスが攻略した時の事ですよね。
当時のカルタゴノヴァはカルタゴの植民市で、この都市が戦争の引き金を直接引いた訳ではなく、当然バルバロイではない。
しかもここでスキピオ・アフリカヌスの目的はスペインの諸都市を懐柔する事にある訳で、
「驚くほど温情あふれる処置」になったと。
しかし指導層はローマに送られているし、男たちの中にはガレー船漕ぎをすることになった人間もいるから、味方から非難が出るほど常識はずれな処置でも無いようですね。
同時期、ハンニバルも同盟市の捕虜の解放を行っているから、ヘレニズム世界では無償で捕虜を解放するというのは大きな外交カードとして一般的に認められていたのでは?


201 :第20軍団兵:03/04/24 18:29
>199からまだつづく
大カトーの処置については開戦した時から反乱鎮圧ということになっていましたよね。犯罪者の資産は没収というのが一般的なので、その場で分配を決めたのでは?
大カトーも対外戦争ではないからこの戦役で凱旋式を行う権利が生まれないので、あえて虐殺を行って凱旋資格を得て、後で非難されていますね。

202 :第20軍団兵:03/04/24 18:49
>188の回答続く。
凱旋式まで残っている捕虜は、特に反乱鎮圧の場合は反乱の引き金を引いた人物の場合が多いわけで、ここまで残っていると処刑される可能性が高いのでは?
ユピテル神殿で斬首ってのは犯罪者の場合とは殺される場所が違うので生贄の意味合いの方が強いですね。

神々に気を使わなかったというのはおかしいと思います。
タキトゥスの断片に
-ティトスは会議に諮って、あのような絶大な神殿を破壊して良いものかどうかを、あらかじめ討議したと言われている。(中略)「もし温存されるとローマ人の謙虚の証拠となり、倒されるとローマ人の残忍性の永久の象徴となるだろう」
(中略)ユダヤ人とキリスト信者の宗教をより徹底的に根絶やしにするためには、真っ先にこの神殿を取り壊すべきだと考えていた-
つまり、他の民族の神殿を破壊したり汚したりする行為が自分たちの評判を落とす事になるという事。
あと、神殿を壊すことが残虐だという感覚に注目ですね。


203 :世界@名無史さん:03/04/25 22:14
>>198
古代ローマには「非戦闘員に対する殺害権」なる概念があったが、
だからと言って他民族よりも突出して残虐だった訳ではないって意味ですか?
それなら確かにつっかかる理由もなくなるが。

204 :世界@名無史さん:03/04/26 00:12
>>198
ローマの残虐行為に結果的に政治的効果があったのは間違いない訳ですよね。
それなのに、ローマの指導者はその効果を意図的に利用することは全く無かったという事ですか?
他の民族はみな意図的に使っていたというのに?
にわかには信じられないんですが。
一部司令官の意図に反して兵士が暴走する例もあった、と解釈した方が自然なのでは?

それに、あらゆる場合においてローマの司令官は破壊を止めようとした訳ではないですよね。
司令官の命令によって都市を破壊した例も当然ある訳で、
そのような場合には、司令官は虐殺による他への威圧や、
略奪による兵士へのボーナスといった政治的意図を持っていたと思うんですが。
如何でしょう?

205 :第20軍団兵:03/04/26 00:20
196
シチリアの反乱とグラックス兄弟の改革の背景にラティフンディアの広がりがある以上、
自分たちがイメージするような奴隷の一般化はハンニバル戦争以後から本格化したと考えた方が良いと思うのですが。

ポエニ戦争以前はローマの方がバルバロイだった訳で、外国から奴隷を買うような力は無い。
よって当時の奴隷の供給元は拾った子供、あるいは戦争捕虜が一般的で、
だからこそ奴隷を開放して家を継がせるような事が認められていたのだと思います。

206 :第20軍団兵:03/04/26 00:50
>>204
パターンがあると思いますよ。
これまでA:ウエイィの破壊(共和制極初期)B:カルタゴノヴァの攻略(第2次ポエニ戦争)C:スペイン諸都市の反乱(内乱の1世紀直前)D:がリア戦記(内乱の1世紀)E:ユダヤの反乱(元首制)が例として挙げられましたが。
破壊or略奪の場合=A,C,E
忠誠and人質=B,D
反乱等,ローマとの間に何らかの違反行為があった場合-->破壊or略奪
責任は無いが成り行きで戦争することになった場合-->忠誠and人質

具体例について後で解説します。

>>205我ながら説明不足で訳判らん。もちょっと判るように書かんとNGですね。

207 :世界@名無史さん:03/04/26 06:18
>>206
でも、第3次ポエニ戦争の場合は「責任は無いが成り行きで戦争することに
なった場合」で「破壊or略奪」じゃないの?

まあ、ローマ的には「ローマとの間に何らかの違反行為があった」と思いたい
のかもしれないけど。

208 :世界@名無史さん:03/04/26 16:53
>>207
第3次ポエニ戦争の原因はカルタゴの講和条約違反ではなかった?

209 :世界@名無史さん:03/04/30 03:22
最初の某研は偽者っぽかったけど本物降臨してたみたいだね。

210 :世界@名無史さん:03/04/30 03:38
ウンコ喰いたいって言ってる香具師本気か?
興味本位に言ってるようだが、アレは本当に精神のネジが2、3本dでる香具師じゃないと無理。
まず、口に入れた時の臭いで吐く。臭いに耐えてもあの味、食感に耐えられず吐く。
食った後、2,3日は臭い取れないぞ
食事なんか出来やしない


211 :世界@名無史さん:03/04/30 06:02
>>210
ローマ軍は兵站が強かった

212 :世界@名無史さん:03/04/30 06:33
ローマ軍の強さの秘密はやっぱり卓越した戦術
真ん中を堅固な重装歩兵で支えて左右を身軽の騎兵で回り込んで
包囲殲滅する
ローマ人はその戦術をハンニバルから受け継ぎスキピオ=アフリカヌスが完成させた

213 :世界@名無史さん:03/04/30 06:45
ガリア戦記マンセー

214 :世界@名無史さん:03/04/30 13:57
グズ男といわれたファビウス=マクシムス萌え

215 :世界@名無史さん:03/04/30 20:34
>>207-208
第2次ポエニ戦争後10年たつと、意外にも早くカルタゴは国力を回復し、賠償金を一括で払いたいと申し出たうえに、和平条約に基づいてイタリアへの輸出を大幅に増やしていた。
その底力をおそれたローマは、ヌミディアと組んで次々とカルタゴの領地を奪い取り、無理な要求をのませた。
そしてついにはカルタゴの武器をすべて提出させた後、住民に海岸線から18キロ以上遠くへ立ち退くよう求めた。
これに対してカルタゴ住民は激しく抵抗を見せた。
ローマはこのカルタゴの抵抗を条約違反として出兵し、4年間の攻囲の末カルタゴは陥落、徹底的な破壊と殺戮を受ける事になる。

カルタゴの側に明白な責任は無く、復興の早さがローマの恐れを買った事と東方政策の硬化が第3次ポエニ戦争の原因だったと言える。
条約違反はローマが自らの正当性を示すために仕掛けられた謀略によるものでしか無いだろう。

216 :世界@名無史さん:03/04/30 22:40
>>215
なるほど、
そういうことであるなら、徹底的に破壊された理由は簡単ですな。
要するに最初から徹底的に破壊する為に戦争を仕掛けたって訳だ。

217 :世界@名無史さん:03/04/30 23:31
立ち退けば良かったんじゃない?
ローマとオスティアは18kmどころじゃ無いでしょ?

218 :世界@名無史さん:03/04/30 23:44
>>217
それが最後の要求とは限らない、
結局滅びるまで追い詰められるのがせきのやま。
まあ、ハンニバルが負けた時点でカルタゴの運命はほぼ決まっていたんですよ。
カルタゴに対するローマの過敏な反応は底力を恐れたというより、
ハンニバルによる衝撃が大きすぎたからであると思う。

219 :世界@名無史さん:03/05/01 05:14
>>218
カルタゴに対する過敏な反応は同時期にギリシアの諸都市が
執拗にローマに反旗を翻したりシリアと手を結んだりしたオリエントの
身の程知らずな態度に対するストレスが原因と思う
カルタゴはとばっちりを受けた
ハンニバルの衝撃はすさまじいと思うがローマにとっては
軍隊が鍛えられた点でプラス

220 :世界@名無史さん:03/05/01 07:48
>>217
ローマ人とカルタゴ人(フェニキア人)の海対する思いは違うと思います。
海洋民族であるカルタゴが18kmも内陸に追いやられることは。
また、祖先の墓があったとかいう話もあります。

221 :世界@名無史さん:03/05/01 08:33
>軍隊が鍛えられた点でプラス

釣り?

222 :世界@名無史さん:03/05/01 20:06
バルタンのその場しのぎの反論にニヤニヤしてたんだが、彼もう来ないのかな?

223 :世界@名無史さん:03/05/01 22:41
必死だな、粘着。

224 :世界@名無史さん:03/05/02 00:47
戦争がないとき兵隊は何をやっていたのですか?

225 :世界@名無史さん:03/05/02 02:02
>>224
時代によるから何とも言えん。

226 :__:03/05/02 02:02
  ∧_∧   
 ( ・∀・)/< こんなの発見したっち♪ 
http://www.yamazaki.90.kg/hankaku/hankaku02.html
http://yamazaki.90.kg/zenkaku/index.html
http://www.yamazaki.90.kg/hankaku/hankaku08.html
http://yamazaki.90.kg/hankaku/hankaku10.html
http://www.yamazaki.90.kg/hankaku/hankaku07.html
http://yamazaki.90.kg/hankaku/hankaku03.html
http://www.yamazaki.90.kg/hankaku/hankaku05.html
http://yamazaki.90.kg/hankaku/hankaku01.html
http://www.yamazaki.90.kg/hankaku/hankaku06.html
http://yamazaki.90.kg/hankaku/hankaku04.html
http://www.yamazaki.90.kg/hankaku/hankaku09.html

227 :世界@名無史さん:03/05/02 06:57
>>224
辺境防衛

228 :世界@名無史さん:03/05/02 23:12
>>224
道路工事

229 :世界@名無史さん:03/05/03 00:29
マリウス以前は軍役は義務だったので、徴兵されたとき以外は
普通の市民生活を送ってたっぽい。

帝政期に入ってからは、広大な版図を保全するために
抑止力として前線に兵士を置いとく必要があった。
だからたとえ戦争がなくても訓練やら見張りやらで
いろいろ忙しかったのでは。そういやローマ街道はほとんど
軍団兵が敷設したんだっけ。

ま、現代の軍隊だって年がら年中戦争してるわけじゃないもんね。

230 :世界@名無史さん:03/05/03 00:53
辺境防衛、哨戒、輸送などの護衛、土木工事
帝政期はこんなとこか。

231 :というか:03/05/03 01:33
ローマ軍の特徴は、平時の厳しい訓練にあったのですから、
まず、訓練を挙げるべきでしょうね。

232 :第20軍団兵:03/05/03 01:39
鉱山労働
*元首制期

233 :第20軍団兵:03/05/03 01:43
>>232
かなり特殊な場合ですが...
その軍団司令官その功績で凱旋式を挙げ、さらにその後運河掘りをやったそうです。

234 :世界@名無史さん:03/05/03 11:30
ローマの帝政期の中ごろから平和時にも軍隊は多大な影響力を持ち始めたみたいだ
おかげで皇帝は民衆よりも兵隊の欲求を満たさなければいけなくなった
セウェルスにいたっては民衆に非道なこともしていたが軍隊を懐柔したから彼の座は安定していた
以後のローマの皇帝の理想像になった

235 :世界@名無史さん:03/05/03 11:47
初代皇帝アウグストゥスの右腕アグリッパが、戦争が終わりひとまず平和が訪れた後
兵隊の処遇のために治水工事をしたのが初めなのかな? 軍隊の平時の公共工事への貢献が評価されたのは。

236 :世界@名無史さん:03/05/03 15:35
古代ローマの軍事技術は凄いね
カエサルがラインに架けた橋とか
ヨーロッパの多くの都市の起源はローマの戦略拠点だというし

237 :世界@名無史さん:03/05/04 19:32
>>119
>>123
この話の元ネタは、J・キーガンの『戦略の歴史』ですか?

238 :世界@名無史さん:03/05/05 01:10
中国にローマ兵がいたという報道が昔あったね

239 :第20軍団兵:03/05/05 01:48
>>235
建築に詳しい奴隷の集団を組織して水道局の原型みたいなものを作っただけです。
水道は設計も施工もシビアだから、さすがに軍隊じゃなくて、企業(ただし現在の土建屋とは大いに違います)に投げました。
軍団基地はほとんど辺境だし。

しかし、軍団が橋まで自前で架けてしまうのには参りますね。

240 :世界@名無史さん:03/05/05 02:09
>>239 ローマは水道管に鉛を使っていたせいで鉛害もあったらしいね。

241 :第20軍団兵:03/05/05 02:41
>>241
鉛管工場等でならありますが(ガレノスが伝えていたと思います)
水道ではありえないですね。理由は
1.そもそも水が流しっぱなしだから。
2.水に石灰質が含まれていてそれが水道管の表面をコーティングしてしまうから
3.鉛管を使えた距離が短いから(日本でも鉛管を使っている部分がありますが問題になってないでしょう)


242 :世界@名無史さん:03/05/05 02:58
なるほどそうだったのか。感謝。

243 :世界@名無史さん:03/05/05 11:48
兵士は駐屯地・兵舎では
家族・セックスは出来たの?
売春婦だけ?

244 :世界@名無史さん:03/05/05 12:16
まさか掘り合(自粛

245 :bloom:03/05/05 12:20
http://homepage.mac.com/ayaya16/

246 :世界@名無史さん:03/05/05 13:03
>>244 スパルタじゃないんだかr(略

247 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/05/05 21:55
>>244
ローマでは兵士の結婚は禁止されていましたが、駐屯する街で、内縁の妻を作るのが慣習だったと聞きました。
40歳になって退役したら正式に籍を入れるとか。

248 :第20軍団兵:03/05/05 22:57
>>247
テバイの神聖兵団では?スパルタ人は慢性人手不足だから、結婚しなかったり、
いつまでたっても子供ができなかったりするとペナルティがあったんじゃなかったけ?

249 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/05/05 23:01
>248
テバイの神聖兵団って、おホモたちじゃなかったっけ。

250 :第20軍団兵:03/05/05 23:21
>>248
>>244へのレスです。失礼しました。

251 :第20軍団兵:03/05/06 23:08
>>247
元首制後期頃に法が改定されて、妻帯が認められたような気がするんですけど。
私の記憶違いの可能性大、どなたかご存知ありませんか?

252 :世界@名無史さん:03/05/07 02:07
グラディウス


253 :第20軍団兵:03/05/09 02:15
>>251
セプメティウス・セウェルス帝が妻帯を認めているや。自己レスでスマソ
まだ塩婆本で確認したのみだけど...

254 :「ど」の字:03/05/09 02:33
>>253
 元首制末期のセプティミウス・セヴェルス帝による法改訂までは、正式に妻帯は出来なかったようですね。
 軍団基地の外にある街で女と子供は暮らし、休みの日に基地を出た兵士と面会していたようです。
 ローマ兵は大抵現地の女性と結婚しますから、休日限定の通い婚のような形になるのでしょうか?

 正式に妻帯ということになると、現地女性との間に生まれた子供は世襲のローマ市民権保持者になる……。
 つまりセヴェルス帝の法改訂は、現地女性の子に手っ取り早く市民権を付与することになったわけか……。
 父親の軍団兵が兵役終了するまで待つことも無く……。
 もし父親と母親が離婚したり父親が死んだりしたら、その場合はどうなるのだろうか?

255 :世界@名無史さん:03/05/09 12:47
>>254
その問題はすぐに、
息子のカラカラがアントニヌス勅令で、属州の自由民に、
ローマの市民権与えたからいいんじゃないですかね。

256 :世界@名無史さん:03/05/10 05:48
基地に慰安婦は居たの?
女性が居ないと服を洗濯するものが居ないので現実問題困るはず

257 :世界@名無史さん:03/05/10 10:06
>>256
調べてから書け!

258 :世界@名無史さん:03/05/10 14:03
男には洗濯ができないものを思ってる阿呆のいるスレはここですか?

259 :「ど」の字:03/05/11 13:15
>>255
 そうだった……。
 カラカラ帝が決定的にローマ市民権の概念をブチ壊しにしてしまったんだった……。
 それでは、あまり問題にならなかったのかも。というか大問題の前に霞んでしまったかも。

 しかしセヴェルス帝とカラカラ帝の親子、ほんとにロクなことをしていないな。
 親子して多神教多民族だった頃のローマを崩壊させたようなものだ。
 せめてセヴェルス帝にヴェスパシアヌス帝レベルの器量があってくれれば……。

260 :世界@名無史さん:03/05/12 12:32
>>260
一応、兵士には絶対の人気があったというのも軍事力を背景に
支えられていた帝位だったから仕方ないんでしょうね。
「兄弟仲良く、兵士には金をやれ、それ以外は無視しろ」でしたっけ?
セヴェルスの臨終のお言葉。

261 :世界@名無史さん:03/05/13 04:59
経緯はともかく、結果としてあれ以降、ローマ軍団の「驕兵化」「悪い意味での『軍』の共同体化」が進んでしまったのは事実。

262 :某研究者:03/05/13 19:28
http://pathfind.motion.ne.jp/america.htm
まあしかし上に書いてある様なローマ弱体化の原因は
正しいのだろうか

263 :世界@名無史さん:03/05/13 22:58
>262
一部大げさに語ってる気がしますが筋はあってると思いますよ。

264 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/05/13 23:22
しかし、>>262のリンク先の
>ポンペイウスが率いてたのはローマ市民からなる、ローマの高級貴族からなる子弟の軍隊
>だったんですけれども、それに対してシーザーの方はガリア兵からなる軍隊をぶつけた。その
>結果はどうだったかというと、もう勝負にならなかったんですね。ポンペイウスの率いていた
>ローマ市民の軍隊の方ははもう弱くて弱くて、一撃でシーザーにやられてしまったんです。

こりゃないだろ。

265 :第20軍団兵:03/05/14 01:37
「岩波講座 世界史2」によると、単に兵士だけの問題ではなく。
元老院階級の人たちが軍務につかなくなり、その穴を埋める形で
騎士階級が軍務のプロという形で軍人-->総督コースを進むことになったり、
ローマ軍のアマチュアリズムが失われていった。という主張をしていますね。

あと、「兄弟なかよく」とか「セヴェルス家の家族の肖像」といったようなメンタリティがそれ以前の
ローマ人のメンタリティと変化しているように感じますね。
元首制初期のイマゲルニア(肖像の継承)とはあくまで家門の名誉であったはずで、
アットホームなローマ人というのは、なんとも変わったものだな。と...

>>264
同感、お前「内乱記」読んだのか?と小一時間...
だいたいカエサル時代のガリア同盟軍って市民権を得ることができたんだったけ?



266 :青王冠:03/05/14 07:41
>>265
確か、元老院議員を排除していったという解釈している学者も
いたような気がします。

>>264
 賛同。カエサルの軍隊をガリア人呼ばわりしないでくれ。

267 :遺伝病?:03/05/14 09:34

<アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)←脳の機能的疾患(遺伝が要因)>
http://www.ypdc.net/asuperugar.htm
http://www.autism.jp/l-02-03-aspe3.htm
http://www.geocities.co.jp/Beautycare/5917/as/
●接し方のルールがわからず無邪気に周囲の人に対して迷惑なことをしてしまうこと
がある。人を傷つけるということには鈍感です。年配の先生に向かって「おばあさん
先生おはようございます」と明るい大声で挨拶する生徒もいる。こういった言動をす
る場合にも彼らには悪意はない。
●小さな声でひとり言を言ったり、考えていることを声に出して言うことがある。
●融通が利かないことも学校生活で問題になる。時間割の変更や突然の教師の欠勤と
いう事態で不安を感じたりかんしゃくをおこしたりする。あまりに規則に厳格なため
に、遅刻した同級生に延々と注意をしたり、修学旅行などで消灯時間をかたくなに守
り、他の生徒の顰蹙をかったりすることがある。
●行動・興味・活動のパターンが貧困で反復常同的なことも自閉症の特徴である。すな
わち、日常の活動の様々な面にわたって柔軟性のないルーティン(決まった手順や日課)
を押しつける傾向、これを慣れ親しんでいる習慣や遊びのパターンだけでなく、たいてい
は新しい活動にも押しつける。そしてルーティンや個人的な環境の細部の変化(家の中の
置物や家具の移動によるなど)に対する抵抗がみられることがある。
●揺れる木の葉を見続ける子どもは興味のレパートリーが狭いとも言え、視覚的な敏感さ
があるといっても良い。
●精神遅滞を伴うものと伴わないもので大きく分かれる。100%果汁のオレンジジュー
スを思い浮かべてください。それにだんだん水を加えて薄めて行くと終いには水にごく近
くなる。一口飲んで「オレンジジュースだ!」とわかるものは自閉症、水に近いけれどな
にかオレンジの味が混じっているのがアスペや高機能・・。その濃度はさまざま。濃いオ
レンジジュースであったとしても早期の療育や周りの対応によって水に近づいていくこと
は可能。しかし間違えてはいけないのはオレンジジュースが一滴でも落ちている場合は
「純粋な水」にはなれないのです。


268 :世界@名無史さん:03/05/14 12:44
カエサル軍におけるガリア兵の扱いって
ハンニバル軍におけるガリア兵の扱いと同じようなもんなんじゃあ?

269 :世界@名無史さん:03/05/15 21:28
ローマの正規軍団にはどういう人たちが入隊したの?
アントニヌス勅令の前後で変わったということなの?
補助軍団はどうなったの?
この軍団ってローマ市民権を持たない人たちの集まりですよネ?


270 :世界@名無史さん:03/05/15 23:17
ガリアをどう捉えるかにも寄るからなあ。
というか「アルプスのこちら側のガリア」、いわゆるプロヴァンスや
イタリア北部の属州地域をどう認識するかの問題。
カエサルの第十三軍団は、確かこの地域の属州民から募集されたはず。

あと、ローマの軍制って正規軍と援軍の二本立てで、
正規軍は最初から市民権持ってる奴のみでマリウス以後は一種の傭兵、
援軍が市民権持ってない奴から集めて最後に市民権付与、って制度だったような。
いずれにしても正規軍と援軍の比率は一対一だから、これがなくなると
財政上痛いってのは変わらないんだが。


271 :世界@名無史さん:03/05/18 22:15
>> 270
アントニヌス勅令以降援軍も正規軍になったということなの?
ローマ軍団が驕兵化したのはこれが原因なの?

272 :世界@名無史さん:03/05/18 22:17
>> 241
鉛管の使用は横浜市を筆頭に日本でも問題になっていますよ。
WHOの基準を大きく上回っている場合もあるらしいっすよ。

273 :世界@名無史さん:03/05/19 00:20
一つ凄い疑問があるのですが、どうしてギリシア・ローマは今から
2000年ほども前に、民主的な制度を創設できたのでしょうか?
それにはやはりなにか必然があるのですかね?
ギリシア・ローマにおいて民主的な制度ができたのは
紀元前ですからキリスト教の影響は考えられないですよね。

ギリシアは平民男子による直接選挙が行われていて、主要な官職の
ほとんどが抽選で平民から選ばれていましたよね。
共和制ローマも、ホルテンシウス法で平民会の議決が国の最高意志に
までなりましたよね。今から2000年も前に、このように民主的な
権利意識が強く、平民の権利が守られていた国があったなんて
ほんと信じられません。日本は18世紀や19世紀の江戸時代になって
も国の最高意思決定は平民が行うなんていう発想自体全く持って
出てきませんでした。また欧米世界を除いて日本のような状況が
一般的だったと思います。

それがなぜ紀元前の世界のギリシア・ローマに突如として現れたのかほんと不思議です。
紀元前の頃には先人の優れた哲学や思想の蓄積もほとんどなかったわけなのに・・
ローマ法なんて江戸時代の法律よりも優れていたんじゃないんでしょうか?

先人による書物・文献なんて近代ならいざ知らず、紀元前の世界には
ほとんどないはずですよね、なんでそんな時代に近現代社会の起源となる
社会制度や法律体系ができたんだろう・・

274 :世界@名無史さん:03/05/19 02:44
>>273
簡単に言ってしまえば、部族社会的な所から以降で、発展方向の分岐があった、ということ。
他の地域では、集団の長への権力&権威(神格化)が進んだけれど、
ギリシャ-イタリア地域では、一種部族的な政治意識を保持したままの状態で、
一定地点で集住→先進地域の文明を受容→ポリス生活化、となったわけ。
後は必要が適応を産む形で社会制度や法律体系が創生されてゆく、と。

275 :273:03/05/19 14:26
>部族社会的な所から以降で、発展方向の分岐があった、ということ。
>他の地域では、集団の長への権力&権威(神格化)が進んだけれど、
>ギリシャ-イタリア地域では、一種部族的な政治意識を保持したままの状態で、
>一定地点で集住→先進地域の文明を受容→ポリス生活化、となったわけ。

この説明で疑問が消えました。部族社会から社会が発展するところに分岐点が
あったと。日本はその分岐点で集団長への権力&権威の集中方向へと進んで
しまったから、18〜19世紀の江戸時代後期になっても自前の民主的な思想
や民主制を求める運動なんて出てきませんでしたよね。
一方ヨーロッパは古代のギリシアやローマで一種部族的な
政治意識からの発展制度(アテネの直接民主制やローマの議会主義)
を経験しているから、国政は市民全体で決定するものだという意識が
強く、それが民主主義思想へと発展していったわけですよね。

そう考えると、部族社会から発展するときの何気ない方向性の違い
村長Aに権力を集中させてしまったか、村長Aを中心に村民も加わって
村の運営を行うようになったか、ということが18〜19世紀の頃の
社会制度&法律体系でお互いある程度の完成をみた、というわけですね。
つまり一方は部族意識を保持した社会の発展である
西欧の民主主義的な社会であり、もう一方は集団長に権力を集中させた
社会の発展である封建制としては最高にまで発展した身分制社会の江戸時代日本。

このように考えると、社会が発展していくと民主主義にむかうというのは必然
じゃない気がしてきました。日本は西欧の強烈な脅威・影響があったからこそ
西欧型の近代的な社会になったわけですが、もし西欧の影響がなくそのまま発展
していても民主主義思想なんて芽生えてこなかった気がしますね。その遠因が
部族社会から定住的な社会へと発展するときの西欧との何気ない違いによるもの
だとしたらおもしろい

276 :ネットdeDVD:03/05/19 14:29
女性客殺到!!

http://ime.nu/www.net-de-dvd.com/


277 :第20軍団兵:03/05/21 23:02
>>269
正規軍団に志願するには、
ローマ市民権を持っていること。"簡単な読み書きソロバンができること"。
過去に恥ずかしい職業に就いていないこと(cf.剣闘士等)
この基準のミソは本当の貧民はふるい落とすことができること。

ローマ軍が大敗北を喫したような時は、国家が奴隷を買い集めて「奴隷軍団」を
編成するときもあります。(共和政期に1回、元首政期に1回だったかな?)

278 :山崎渉:03/05/21 23:33
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

279 :というか:03/05/21 23:47
>>273-275
ギリシャ・ローマの民主主義を語る場合、忘れられがちなのは都市国家に
おける市民=戦士という理念的な関係です。
ギリシャにおいて完全な民主制にいたるまでには、ガレー船のこぎ手として
無産階級が従軍するという過程がありました。
国家を防衛し、勢力範囲を拡大維持する軍事力の担い手が政治の担い手
であったわけで、その意味では武士が支配者であった世界と大きな違いは
ありません。
もともとは戦車を所有する貴族階級が政治を壟断していたのが、戦力の中
心が重装歩兵となって甲冑や武器を自弁して戦士として参戦できる中産階
級が政治に参加するようになり、ペルシャなどの外敵との戦いの中で、下層
階級を含む全市民(男だけ)が政治の担い手となったのです。
ローマについては、その民主制は当初から戦士集団、ケンツリアと一体でし
た。
どうも、日本ではこの点の理解というか、政治の主体と軍事の主体が同一と
いう古代都市国家の構造への理解が足りないように思います。

280 :世界@名無史さん:03/05/22 18:42
>>273は古代ギリシア・ローマを美化しすぎ。
その「民主制」の基盤を支えていたのが奴隷制だという事を考えてない。
そこは置いておいても、近代民主主義とギリシア・ローマの「民主制」を
同一線上に並べている点は看過できない。
近代民主主義とギリシア・ローマの「民主制」において
最大の相違点は「人権」思想があるかないかに求められる。
近代民主主義においては「人権」尊重から政治体制が導かれたわけだが
古代民主制の根源は>>279が述べられている通りだ。
そこに「人権」思想が入っているはずも無く、そもそも「人権」という
概念が登場してくるのが近代という社会の一つの特徴である以上
古代に「人権」という概念は存在し得ない。
古代ギリシア・ローマにおける政治体制を「民主制」と
我々が呼ぶのは外見が近代民主制に似ているからで
古代人が民主主義だのの思想を持っていたわけではない。
>>279が逝っている通り古代においては「戦う者=政治に参加する者」
だったわけだが、それは基本的に原始祭祀社会を除けば
大抵の時代・地域に当てはまる意識だったはずだ。
時を追うに連れて段々形式化していったのも多いが。
近代民主主義における初期段階もまだ「戦う者=政治に参加する者」
という考えが濃厚に残っていたが、それを「人権」思想を掲げ
「戦う者」以外へも政治参加を広げていくのが近代民主主義の歴史だ。
古代ギリシア・ローマの「民主制」は形だけ見れば似ているかもしれないが、
「人権」という近代民主主義の根幹を成す概念が存在していない時点で
近代民主主義と同一線上に並べるとことは不可能だ。

281 :世界@名無史さん:03/05/22 22:24
>280
言っていることはよくわかる。
ただ「人権」って概念は強く強調するほど重要なものだろうか?
ローマにおいては奴隷でさえ市民になる道が開かれていたし、マリウスの改革以来、軍人は職業軍人化していたよ。
現代と50歩100歩な感じがしてる。


282 :世界@名無史さん:03/05/22 22:25
>280
というか、戦争そのもののあり方の違いでは?
多くの先進国で、女性に参政権が認められるようになったのは、
第一次大戦以降だ。
これは戦争が総力戦化・武器生産が複雑化する中で、軍需産業に多くの女性が
従事して、戦争遂行に女性の力が不可欠だと認識されたからだろう。
人権だの何だののお題目より、実際にはそういうことだと思う。
この点、近代民主主義も、戦争と参政権の問題に関しては
古代と大して違いはない。


283 :世界@名無史さん:03/05/22 22:42
たしかに「人権」なんてものはお題目にすぎないね。
古代ローマの民主制と現代民主制の違いって、強いて言えば情報技術の違いによる差異にしかすぎんと思う。

284 :世界@名無史さん:03/05/22 22:46
むしろローマなんかは情報技術が未発達にも関わらず、あれだけ広いエリアにあれだけ沢山の民族を抱えたものであるだけ、現代よりも普遍性・現実性があるんじゃないか?


285 :世界@名無史さん:03/05/22 22:48
奴隷に支えられてきた社会のほうが現代よりも普遍性・現実性があると?

286 :世界@名無史さん:03/05/22 23:16
その奴隷ってのを現代の意味で捉えるからだよ。
アメリカ合衆国の奴隷だって、主人を助けるために死地に飛び込んだ者さえいるぞ。
奴隷=ボロボロの服着て貧しい飯で鎖で繋がれて重労働、てイメージしかないのか?

ローマでは家庭教師も奴隷、家宰も奴隷、子供の遊び相手(成長後股肱の臣となる)も奴隷。

287 :世界@名無史さん:03/05/22 23:23
奴隷が主人を助けるために死地に飛び込もうがどうしようが
社会を支えている階層に参政権がない点には変わりない。
そのような社会が現代よりも普遍性・現実性があると考えるのは変。
奴隷の忠誠度など問題ではない。

288 :世界@名無史さん:03/05/22 23:30
奴隷制度はなくなっても、
奴隷みたいな境遇の人たちは一向に減らないが。


289 :世界@名無史さん:03/05/22 23:33
>>287
>>286は、DQNも含めた社会の構成員全員に参政権が約束された社会より、
選ばれた階層だけに参政権が与えられている社会のほうが普遍性現実性があると
主張したいのだと思われ
俺には同意しがたい意見だが

290 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/05/22 23:36
ギリシア・ローマの民主制って、現代民主主義より貴族制の方が遙かに近いと思う。
貴族階級が「市民」って呼ばれているだけで。

291 :世界@名無史さん:03/05/22 23:39
>>287
参政権があれば「進んでる」のか・・・

292 :世界@名無史さん:03/05/22 23:42
>>291
参政権がなければ「進んでる」のか・・・
非常に興味深い意見だ
社会を構成するある階層が政治に関与できない社会のどこが「進んでる」のか
詳しく教えてくれないかな?

293 :世界@名無史さん:03/05/22 23:45
>>291
現代の民主国家よりローマのほうが「進んでる」根拠は?

294 :世界@名無史さん:03/05/22 23:45
人権や私有財産の要請は、古代でも近世でもそう変わらんのじゃないかな。
近世以降大帝国を作り上げた国がないのは、兵器の発達にも関係ありそうだ。

295 :世界@名無史さん:03/05/22 23:48
特定の文化を進んでるとか進んでないとか言うのはエスノセントリズムじゃないのか?

しかし、レヴィ・ストロース以降文化人類学者は「未開」に対して臆病になってる気がする・・・

296 :世界@名無史さん:03/05/23 00:07
>>294
確かに私有財産に関する法はローマで飛躍的に発展している。
ナポレオン民法典から始まる近代民法の体系は
2Cのローマの法学者の著述からきているほどだ。
しかし、人権という面で言えばローマにおいてさほど重視されたとは思えん。
「ローマ市民権」や奴隷との違いという点で言えば
法が存在していたようだが近代に見られるような
いわゆる自然権的かつ自由権的「人権」はなかったと思われ。

297 :政治家にはだまされるなー!!有事法制反対!!:03/05/23 00:08
有事法制(戦争法)は必要ありません!!!

有事法制ができて、得する人たち(その理由)
1、日本政府  ―軍事的にアメリカ政府に良く思われる。市民の行動を監視し、命令どおりに従わせることができる。
2、アメリカ政府―アメリカが気に入らない国を攻撃するときに、日本に軍事的、経済的支援してもらえる。
3、政治家   ―アジアに対する軍事的支配を実現させる。愛国心をあおって、政治家としての地位を確実なものにする。
4、自衛隊   ―有りあまる武器を実戦で使うことができる。戦争ができる。

有事法制ができて、損する人たち(その理由)
1、日本国民  ―市民は日常生活における自由を制限され、財産は国家の所有物と化す。
           戦争に協力しなかったり、反対すると犯罪になり、懲役や罰金が科せられることもある。
           自分の家が軍事戦略的に邪魔なときは、没収、解体される。
           医療現場では兵士が優先的に治療され、市民は後回しにされる。
2、アジア    ―軍事大国である日本が、軍事的にアジアを威嚇することになり、アジア全体に軍事武装強化の動きが強まる。
3、世界     ―9.11以降、世界的に軍事的な緊張が高まるなか、さらに戦争やテロに依存する傾向が強まる。
4、平和にとって―話し合いによって進めてきた過去の平和外交を大きく否定することになる。

どちらでもない
1、北朝鮮   ―日本を攻撃する理由はない。戦争するための軍備も金も、資源も食糧もない。
            有事法制は北朝鮮に対して、軍事的に大きく刺激してしまうことになる。   

有事法制ができてしまうと、市民の人権や、生活の自由は大きく制限される。
有事法制は、国を守って市民を守らないものだという事を政治家が言っている。
北朝鮮は全然、戦争する気はないのだが、
北朝鮮問題を利用して、知らないに国会では、政治家や日本政府、アメリカ政府や
自衛隊などの権力者のための法律を作ろうとしています。
(武力に頼らない)本当の平和のために、市民の自由のために
有事法制は反対だ!と声を上げていきましょう!!!!!!!
もう、政治家にダマサレていてはダメ!!!!!!!!!!!!!!!!

298 :Krt:03/05/23 00:17
私はどちらかというと281氏に賛成だな。たしかに279氏(というかアリストテレス)
の言うように、前6世紀から前5世紀初めにかけて、ポリス共同体の為に戦う者が
市民としての政治的発言権を確保していった、という歴史的経緯はあるだろう。
だが一旦民主主義が確立した前5世紀以後、ソフィスト(主にゴルギアスの弟子筋)達を
中心に、いわば後付でその正統性に関する議論が積み重ねられていったことも確かなのだ。
そのなかにはアルキダマスのように、「神は全ての人を自由人として解放した。
ピュシス(自然法)は誰一人をも奴隷として作りはしなかった」(メッセニア演説)
という考えに到達する者もいたのである。これは「人権」思想とは違うものだろうか?
たとえ現実にはこのような段階にギリシャ民主主義が到達しなかったとしてもである。

それにこういう風にまず実態(例えば「民主主義」とか「議会政治」といった)が先行し、
後付で正当化の理論が出来るのが先進国の特徴であろう。近代ならイギリスがそれに近い。
まず政治理論(「人権思想」といった)があって後、それに合わせて現実の社会革命を
やるというのはむしろ「後進国」の姿なのだと思う(ヨーロッパ大陸諸国のように)。
だから280氏のように「「人権」尊重から政治体制が導かれ」なかったからというだけで
古代ギリシャの民主主義が近代のそれと全く異なるとする考えには賛成しがたい。

299 :Krt:03/05/23 00:18
また「人権思想」を基本とする近代民主主義社会においては奴隷が存在しない、
ということもないと思う。

 二十世紀ギリシャ学の最高の碩学の一人ケネス・ドーヴァーは、古代民主主義など所詮は
奴隷制に基づくものでしかない、と決めつける論者に対して、解放されることも多かった
古代の奴隷と、そういうことのあり得ないインド(自称「世界最大の民主主義国」だ)の
下級カーストに属する者の悲惨な生活の例を比較したり、あるいはまた彼自身の曾祖父が
1848年に孤児となって11歳で工場に働きに出た時、そこでは「長い一日の終わりに居眠り
しそうになると、頭(かしら)が背中一面に鞭をくれた」という実話を挙げたりして
近代民主主義社会をギリシャのそれに対して、その実態面においても無条件に優越する
ものと考えたりする驕りを戒めている(「私たちのギリシャ人」)。
 我々だってそれ以上の例を挙げられるだろう。例えば世界で始めて人権と民主主義の
理念の下に建国された国が、奴隷解放令を出したのは、その一世紀近く後のことなのだから。

だから我々も273氏のように、古代ギリシャにおいて民主主義が成立したことに対して、
本当はもっともっと驚くべきなのだと思うよ。

300 :世界@名無史さん:03/05/23 08:54
身分間の流動性があるか無いかは大きいよね。

301 :世界@名無史さん:03/05/27 19:36
>298 むう〜。ときどきお前を尊敬するぜ。

302 :山崎渉:03/05/28 15:14
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

303 :世界@名無史さん:03/06/05 00:00
age

304 :世界@名無史さん:03/06/08 17:46
ローマ法で、領有権(dominium)と
管轄権(imperium)はどうちがうんですか?

305 :世界@名無史さん:03/06/12 17:48
4世紀のローマ軍てのは、どうだったのかな。
ディオクレティアヌス、コンスタンティヌス時代には、
そこそこ持ち直しているわけでしょ。



306 :第20軍団兵:03/06/15 22:53
>306
ローマ軍団の背骨である軍団兵にも鎧を十分に支給することもできなくなっているので、ダメダメ。
鎖帷子でさえ、供給できる地方のみ装備するという駄目っぷり。ロリカ・セグメンタータ(2世紀ごろから使われ始めた板金鎧)
なんか夢また夢。

307 :世界@名無史さん:03/06/16 14:50
>>306
はあ。それって帝国全体の経済がダメになったってこと?
それとも徴税の問題なのか?

308 :世界@名無史さん:03/06/17 01:36
ユリウス=カエサルと、アウグストゥスは、どっちが至聖者?

309 :世界@名無史さん:03/06/17 03:39
どちらも違います

310 :第20軍団兵:03/06/21 01:11
>307
キリスト教の広がりと、それにより帝国そのものを存続させる気が少なくなっていったという説に(小さな) 一票

パコミウス(287頃-347)です

なんかここでいろいろ言われてるけど、パコミウスは自分でも,
世界帝国ローマ(imperium Romanum)-人間世界(ordis tettarum)のことを考えて
あげる気持ちが足りなかったなって反省してる
パコミウスが共住修道院始めたばっかりに、帝国を応援してくれてる元老院や騎士階級の
ひとたちや兵士、その他たくさんの人達に迷惑をかけてしまったこと、深く
お詫びします。

あのころ、あの隠遁生活には、クライマックスだから全員で一体となって神の国を想いたい、
地上の国(civitate terreae)もうすぐ終わっちゃうんだよ?神の国(Civitate Dei)は近づいているんだよ
財産なんて貧しき者に分け与えて、自分を捨て、神の子や使徒に習って厳しい生活を送りたい。
早くしないとアパテイアに達してる暇なんてないよ 。
って思いがほんとうは込められてたの。
文明に背を向けた生き方でそれが伝わるはずない、
それがわかんなかったパコミウスはホントばかだよね。
パコミウスは人間世界を傷つける気は全然なかった。
しかもユリアヌス帝が背教者になるなんてパコミウス自信もすごくショックで、
言葉が出ない。みんなに本当に心からあやまりたいです、
ごめんなさい。そしてこんなバカなパコミウスだけど、
これからも一緒に生活したい。みんなほんとにごめん。



311 :第20軍団兵:03/06/21 01:15
>310

×tettarum
○terrarum

312 :「ど」の字:03/06/29 19:59
>>310
 そうですねー。現世軽視でなおかつ排他的一神教たるキリスト教の広がりの影響は、大きいでしょうね。
 鉱工業生産にしても、トライアヌス帝時代に最盛期になって以降は凋落の一途ですし。
(確か、カラカラ帝以後三世紀の危機以降になると、過去とは比べられないほど低下して、もはや回復していないはず)
 ローマの公共工事にしても、セヴェルス帝の時代に最後の街道工事が行われて以降は絶えてしまいますし。

 現世でなく来世のことを重点的に考え、しかもそれを他人に薦めた(あるいは押しつけた)当時のキリスト教。
 その教えは、ローマ世界の精神的活力を削っていったんでしょうね。

 ローマはきっと、蛮族に滅ぼされたのではなく、キリスト教に滅ぼされたのでしょう。

313 :世界@名無史さん:03/06/30 21:31
>>312
アンタのいう公共工事ってどういう定義?
ディオクレティアヌスやコンスタンティヌスの浴場は
公共工事の範疇ではないんの?
新設でないと街道工事じゃないのかい?
有名どころだとコンスタンティヌスのアッピア街道修復工事があるんヨ。


314 :世界@名無史さん:03/06/30 21:39
>>312
>ローマはきっと、蛮族に滅ぼされたのではなく、キリスト教に滅ぼされたのでしょう。

現代ヨーロッパ人の中には否定する奴もいるけど、禿しく同意。

315 :第20軍団兵:03/07/01 00:01
漏れとしては、少し視点が違っていて、キリスト教&その他の新宗教が禁欲生活に憧れる
心情を生み、それが人口に悪影響をあたえた事を押したい。
どういう事かというと、近代に至るまで子供が成人するまでにその多数が死んでしまうので、
家系の維持というのは大変難しく、指導階級である元老院&騎士階級に属する家族というのは
断絶によって常に入れ替わりがあった。家系の断絶をローマ人は嫌ったので成人になっての
養子や、解放奴隷(元来は家族同然の奴隷を市民として、家の祭祀を継がせる目的で成立した」)
といったローマ独特の風習が成立していた。
この制度によって指導階級の構成員は属州へ属州へと拡大していったのだが、
(例えばローマ-->イタリア-->ガリア-->ヒスパニア)
しかし、男女ともに修道生活を送るとなると、家族の構成員のうちある程度の人間は
子供を産まないという事になるので、家族の断絶=指導階級の入れ替わりのサイクルが
これまでよりも加速し、ゲルマン人が"ローマ化"する前に指導階級の順番が回ってきてしまった。

どうでっしゃろ?

316 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/01 01:06
>「ど」の字さん
いや、あえて漏れは「膨張を止めてしまった」故に愁落が始まった、としたい。

彼岸主義のキリスト教だって、イベリアのレコンキスタやら、エンリケ航海王子のプレステ・ジョアン国
の探索など、宗教的情熱から能動的なエネルギーが生み出されたことは多々ありました。
末期のローマ帝国自身に、無気力感・刹那主義が漂ってしまっていたため、キリスト教を受容する際に、
厭世的な思想として受け入れてしまった、というカンジかと。

>第20軍団兵
なるほど、しかし、ローマに侵入していったゲルマン人の間におけるキリスト教の普及率はどの程度
だったんでしょう。

317 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/01 01:07
げ、第20軍団兵さんに「さん」を付け忘れた。海より深く反省m(_ _)m

318 :第20軍団兵:03/07/01 14:16
>304
まず、大きな括りとして[dominium]が私法を扱い、[imperium]は公法を扱います。
[dominium]はdomus(家)から派生した言葉で一般に支配、所有権、主人権と訳されますが、
通常、取引関係とか所有権を確定させるときに頻発する言葉のです。
初学者用のローマ法辞書を引いてみた所、法律用語としてはdominium directum[本来的な所有権]
dominium duplex「2重の所有権」、dominium stum「正当な所有権」等が出てきました。
これに対し、imperiumは[命令権、職権、権力、支配権、統治権、支配領域]と訳され用語としては
imperium domi[市域における命令権]imperium infinitum[無制限な命令権]
imperium majus[上級の命令権]imperium merum[単純な命令権]imperium militiae[軍事の命令権]
等が出てきます。
双方の言葉とも"支配"というニュアンスを持ちますが、imperiumが通常政務官の権力の範囲を
定義するのに使われる言葉に対しdominusは「家」の中、あるいは「家」対「家」の関係を決めるための
言葉として使われる。という理解でしょうか。


319 :某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/07/07 17:14
まあしかしローマ騎兵がマケドニア長槍騎兵に勝てたのかと言う事だが
どうなのだろうか
ギリシャのファランクスやマケドニアファランクスを崩したのも正面からではなく
側面や後方からと言う事は無いのだろうか
(正面から歩兵投入後敵の陣形を崩して
 其処に騎兵を突入させた事も有るかも知れぬが)

320 :第20軍団兵:03/07/08 02:22
>316
キリスト教の布教の影響は、ほとんどゼロに近いと思います。
ゲルマン人の中でアタナシウス派が大きく影響を及ぼすようになったクロヴィスの改修は496年。
西方での伝道に大きな役割を果たした、ケルト系修道院の成立は7世紀。
それ以前にゲルマン人にひろがったのは単性派のアリウス派であった事です。

単性派の心性が社会にどのような影響をあたえるかという点では、
私は判断が下せるほど詳しくはないのですが。修道制を作るような隠遁への憧れは持たない印象があります。
隠遁生活への憧れは特にアタナシウス派に特に強い。
したがって、キリスト教が人口問題でゲルマン人へ影響を与えるほどの力はまだ持っていなかったと思っています。

>319
3次にわたるマケドニア戦争でローマ軍がレギオンで勝っているという事実があるわけですから、騎兵はこの件では関係ないのではないですか?

321 :「ど」の字:03/07/08 03:25
>>319-320
 ローマ騎兵は基本的に剣と盾を持つ軽装騎兵(当時は鐙が無かったからですが)です。
 数の上でも、装備でも、当時の世界では劣っていた方のはずです。
 最盛期(アレクサンドロス大王時代)のマケドニア長槍騎兵と戦っていたらまず負けていたでしょう。
 しかし、ローマと当たる頃の大王の後継者たちは、騎兵の槍を長くして機動力を損ねています。
 恐らくデカダンに陥った重装騎兵は、ローマ騎兵の側面迂回によって撃破されていったのでしょう。

 あと、某研究者さんの予測通り、ギリシャやマケドニアのファランクスは側面からローマに崩されたようです。
 ファランクスも時代が下るにつれて重装化し、機動力を損ねたことでは騎兵と変わりなかったとのことです。
 結果、マニプレス戦術を会得したローマ重装歩兵のピラにアウトレンジされ、左右に回り込まれたようです。
 ピラは、元はサムニウム族がローマ重装歩兵を破るために考案した、対重装歩兵(対大盾)兵器でした。
 盾にピラが突き刺さるとピラの金属部分は曲がり、ピラが突き刺さったままの盾を使えなくするのだそうです。
 盾を封じられた機動力のない歩兵は、スキピオ式の兵法を知るローマにとっては練習台同然だったはずです

322 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/08 12:51
>>320
なるほど、しかし修道院のルーツは、単性説のコプト教会なのではないのでしょうか。
やはり、様々な教説の中で修道院生活を憧れるようなアタナシウス派の教義を採用した
のは、やはりローマ人であり、受容されたモノ(キリスト教)自体より、受容した者(ローマ人)
にこそ問題がある気がします。

323 :某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/07/08 16:03
>ローマと当たる頃の大王の後継者たちは、騎兵の槍を長くして機動力を損ねています。

まあアレクサンダーの頃の騎兵の槍も長かっただろうが
後には更に長く成ったのだろうか
まあ近距離で馬に投げ槍を当てられれば
長槍騎兵は短槍騎兵に一方的にやられる危険も有るだろうか


>結果、マニプレス戦術を会得したローマ重装歩兵のピラにアウトレンジされ、左右に回り込まれたようです。

まあ只マケドニアやギリシャの重装騎兵の側面には騎兵や軽装歩兵が
存在した筈だが
彼等は騎兵や歩兵に排除されたと言う事なのだろうか
(これを排除出来ず共ローマ歩兵にピラを投げられて撹乱され
 其の後正面から突入されて
 ギリシャやマケドニアのファランクスは撃破されたと言う可能性も
 有るだろうか)

324 :第20軍団兵:03/07/09 02:26
>322
聖アントニウス(=修道生活の祖とされる)の生涯を散々宣伝して回ったのはアタナシウスその人なんですよ。
確かに「砂漠の隠修士」の生活はすぐれてコプト的ですが、きちんとコプト教会として分離するのは451年ですね。

>320で「キリスト教の影響がゼロ」とは、「ゲルマン人へのキリスト教の影響がゼロ」と言う意味です。紛らわしい書き方でしたスマソ。
キリスト教が勝利を収めなくても、ミトラ教等、他の密議とシンクレティアズムの宗教が変わりに勝利を収めたでしょうから、
結果は変わらなかったと思います。
つまり、そこまでは例の170氏と同意見なのですが、問題は、なぜ東側は生き残ったか?という疑問に答えられないというのが
この説の弱点ですね。

325 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/09 22:24
>>324
あー確かに東ローマはちゃんと生き残ってますよね。でもあちらもアタナシウスですし、
・・・しかしゲルマン族は侵入してないから、結局そのトリガーは引かれなかった。
押しとどめた東に活力が残っていたからか、それとも西が間抜けだったのか、ただ単に
西が不幸だったのか。

一応確認。

375・・・ゲルマン民族大移動
476・・・西ローマ帝国滅亡

101年、世代が何回も交代するのに十分ですな。説得力がありますね。

しかし395の東西分裂、本気でヤバくなった西を東が見捨てたんでしょうか(w

326 :「ど」の字:03/07/10 02:11
>>323
 ギリシャやマケドニアの軽装歩兵は矢やスリングの玉を撃っていましたから、重装歩兵にはちょっと……。
 コンポジットポウならともかくとして、当時の軽装歩兵の短弓ではなかなか殺傷力は得られなかったのでは?
 また、運用法も時代遅れで、前哨戦として歩兵の前に出て撃てるだけ撃って離脱、が当時の軽装歩兵でした。
 アテナイの知将イピクラテス(軽装歩兵運用の天才)とそのメソッドが健在だったらどうか、とも思いますが……。

327 :某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/07/10 12:51
>また、運用法も時代遅れで、前哨戦として歩兵の前に出て撃てるだけ撃って離脱、が当時の軽装歩兵でした。

軽装歩兵で自軍の重装歩兵の脆い側面や背後を防御すると言う発想は
無かったのかと言う事だが
軽装歩兵では自軍重装歩兵の側面や背後を狙う重装歩兵を正面から阻止出来ず共
背後や側面を狙うと言う方向も有ったかも知れないが
これは敵の側面や後方を防御する軽装歩兵に阻止された可能性も
有る訳だろうか
(まあ軽装歩兵では騎兵を阻止出来ぬだろうから
 騎兵同士の戦いに勝てねば騎兵に重装歩兵の側面や後方を突かれた可能性も
 有るだろうか)

側面を完全に地形で防護出来れば
騎兵が破れてさえマケドニアやギリシャのファランクス等が
ローマ歩兵に勝利した可能性も有るのだろうか
或いはピルム・バリスタ・カタパルトの投擲や機動力で正面から隊列を崩された後
騎兵を突入させられた可能性も有る訳だろうか
(或いは騎兵無しでもローマ歩兵は
 正面からマケドニアファランクスやギリシャのファランクスに
 勝利し得た可能性も有るのだろうか)

328 :第20軍団兵:03/07/11 03:33
>325
分割統治が後を引いたのかもしれませんね。ただ政治史はかなりその場、その場の決断に左右されますからね。

ローマ経済の崩壊に一票入れてみます。

何の気もなくローマへ入ると、大競技場の壁いっぱい位な大きな字で、【新金貨:ソリドゥス】と書いてある。
俺の顔を見てみんなわぁと笑った。俺は馬鹿々々しいから、【貨幣を改鋳したら可笑しいか】と聞いた。
すると市民の一人が、「然し最高価格令で物価統制は過ぎるぞな、もし」と言った。
ソリドゥスだろうがアウレウスだろうが、同じ金の鋳貨で俺が払うのに文句があるもんかと、
さっさと見世物を済ましてに帰ってきた。
しばらく経ってコロセウムに行くと【ラディアトゥスとは銀めっき也。デナリウスにあらず】と柱に書いてある。
さっきは別に腹も立たなかったが今度は癪に障った。冗談も度を越せばいたづらだ。
パントミモス(黙劇、人気はあったが悲劇のように高尚ではなかった)のようなもので、誰も誉め手はない。
プレブスは此呼吸が分からないから、どこ迄押していっても構わないという了見だろう。
荷車がすれ違う事もできない行き当たりばっかりの都に住んで、セステルティウスしか見た事がないから、
触れちらかすんだろう。憐れな奴らだ。
子供の時から、こんな教育されるから、いやにひねっこびた、植木鉢の楓見た様なプレブスができるんだ。
無邪気なら一所に笑ってもいいが、こりゃなんだ。平民の癖に乙に毒気を持ってる。
「こんないたづらが面白いか、プブリカヌス(=徴税請負人)の冗談だ。君らはプブリカヌスという意味を知ってるか」
と言ったら、
「自分がしたことを笑われて怒るのはドミヌス(専制君主)ぢゃろなかろうがな、もし」と答えた奴がある。
やな奴だ。わざわざメディオラヌムから、こんな奴を教化にきたのかと思ったら情けなくなった。

329 :世界@名無史さん:03/07/11 07:24
ローマってどれだけの戦力を保有していたのでしょうか?

330 :「ど」の字:03/07/11 10:01
>>327
 ギリシャやマケドニアのファランクスは、一度隊形を組んでしまったら分派が出来ません。
 そのあたりが、ローマのマニプレス戦術による重装歩兵との相違点です。
 ローマ歩兵が側面へ展開するのを、当然前方に展開する軽装歩兵は防御しようとしたでしょう。
 しかし、戦場で自由に部隊を分割できるローマは、分派した一部歩兵で軽装歩兵を掃討してしまった筈。

 正面での叩き合いのみに持ちこめるなら、ローマ重装歩兵はマケドニアンファランクスの敵ではありません。
 ピラは投げても突いても役に立つ武器ですが、さすがに堅牢な長槍と打ち合ったら長さと強度で負けます。
 側面を騎兵突撃から防御する地形には、ギリシャは苦労しないはずです。しかし、歩兵が入れない地形となると……。

>>329
 アウグストゥス時代の軍縮によって22個軍団。
(ライン河防衛線8、ドナウ河防衛線7、ユーフラテス河防衛線4、エジプト・アフリカ・イベリア各1、予備軍団3)
 ティベリウス〜ネロ時代に30個軍団。
(ブリタニア4、ライン河防衛線8、ドナウ河防衛線12、ユーフラテス河防衛線4、エジプト・アフリカ・イベリア各1)
 ヴェスパシアヌス〜トライアヌス時代に28個軍団。
(ブリタニア4、ライン河防衛線4、ドナウ河防衛線11、ユーフラテス河防衛線7、エジプト・アフリカ・イベリア各1)
 ハドリアヌス〜アントニウス・ピウス時代に若干リストラを兼ねた異動がありましたが28個軍団。
(ブリタニア4、ライン河防衛線4、ドナウ河防衛線10、ユーフラテス河防衛線8、エジプト・アフリカ・イベリア各1)
 戦乱の世になったマルクス・アウレリウス時代に30個軍団、そして2個軍団の増設予定がありました。
(ブリタニア4、ライン河防衛線6+予定2、ドナウ河防衛線11、ユーフラテス河防衛線7、エジプト・アフリカ・イベリア各1)
 コンモドゥスによって予定された軍拡が中止され、以降セヴェルス時代まで30個軍団は変わらず。

 28個軍団の正規兵合計が16万8千人。その他に補助兵14万人ほど、季節パートタイム兵が3万人あたりだそうです。

331 :某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/07/11 14:38
>しかし、戦場で自由に部隊を分割できるローマは、分派した一部歩兵で軽装歩兵を掃討してしまった筈。

つまりローマ軍の場合は
敵の軽装歩兵や騎兵に仮に重装歩兵の側面や後方に回り込まれ
側面や後方を防護していた味方の騎兵や軽装歩兵が撃破されても
重装歩兵を分割して側面や後方を守る事が
可能であるが
マケドニアやギリシャは無理であると言う事だろうか


>正面での叩き合いのみに持ちこめるなら、ローマ重装歩兵はマケドニアンファランクスの敵ではありません。

隊列がピルムの投擲で崩されれば
ローマ歩兵や騎兵に間に乱入される危険も有るかも知れないし
極度な密集隊形で間を素早く埋めると言う事は可能なのかと言う事だが

332 :世界@名無史さん:03/07/11 19:07
>>329
マインツ近郊に駐屯していた第4レギオンがFELIXレギオンで
イスパニア人が隊長だったそうだ。
この部隊を元にした映画が「グラディエーター」だったりする。
映画でも冒頭の戦闘シーンで「W FELIX」の軍旗が出てくる
映画自身はいい加減だし、衣装も無茶苦茶だが、戦闘シーンの参加
部隊は正しかったりします。]]も見えたはず

333 :「ど」の字:03/07/11 20:11
>>331

>>つまりローマ軍の場合は
>>敵の軽装歩兵や騎兵に仮に重装歩兵の側面や後方に回り込まれ
>>側面や後方を防護していた味方の騎兵や軽装歩兵が撃破されても
>>重装歩兵を分割して側面や後方を守る事が
>>可能であるが
>>マケドニアやギリシャは無理であると言う事だろうか

 この問いはYESです。
 ギリシャ諸国の重装歩兵は戦闘単位が縦列で指揮官が居ないため、分派抽出は不可能です。
 対するローマは指揮を執れる百人隊長に指揮された百人隊単位で固まっているので、外側なら抽出はたやすいです。

>>隊列がピルムの投擲で崩されれば
>>ローマ歩兵や騎兵に間に乱入される危険も有るかも知れないし
>>極度な密集隊形で間を素早く埋めると言う事は可能なのかと言う事だが

 この問いの答えは、相手から攻撃を受ける方向によると思われます。
 ファランクスは前後への機動性はそれなりに確保してありますが、左右へのスライドや旋回性は絶無です。
 また、ファランクスでは一つの縦列が部隊の重要単位ですので、前が欠ける形の隊列の崩れの是正は容易です。
 ですから、ピルムの投擲が前正面から行われれば、間はローマ軍に付け入りを許さないくらい素早く埋まったでしょう。
 しかし、側面からの打撃に対しては、そんなに素早く埋めることは不可能であったと思われます。
 上述の通りスライド能力も旋回性も絶無ですので、側面を取られたら正面を向くことも難しかったと思われます。

334 :世界@名無史さん:03/07/12 12:44
ローマ軍団 対 機動隊

335 :「ど」の字:03/07/12 13:31
>>334
 それは比べる対象が間違っていると思われ。
 機動隊はあくまで犯罪者を武力で排除する警察。
 ローマ重装歩兵は敵国軍を武力で排除する軍隊。
 セプティミウス・セヴェルス帝以降の崩壊期ならともかく、それまでのローマ軍に機動隊は敵し得ないでしょう。

336 :某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/07/12 14:53
>しかし、側面からの打撃に対しては、そんなに素早く埋めることは不可能であったと思われます。

まあファランクス側が側面や後方を騎兵に突かれる事の無い地形に布陣していても
歩兵が側面や後方に入れる地形ならファランクス側に勝ち目は
無いと言う事かも知れないが
歩兵も側面や後方に入れない様な地形に布陣された場合はどうかだろうが
(側面が崖や川等である場合は
 歩兵も側面には投入できぬかも知れぬが
 崖の上から石を落とす等の作戦も取り得るかも知れぬが
 山の上等に布陣されていた場合は逆に側面に石等を落とされる可能性も有るだろうし
 川も渡れるとは限らないと言う事だろうし
 仮に渡れてもカタパルトで船を攻撃されると脆い部分も有るだろうか)

337 :某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/07/12 14:59
>歩兵も側面や後方に入れない様な地形に布陣された場合はどうかだろうが

無論この様な地形が無限に続く訳も無いだろうし
敵はここから出れないと言う問題は
有るだろうか

338 :某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/07/12 15:06
まあ仮に其の地形から出ず共
密集隊形では正面からバリスタやカタパルト・
ピルムを大量に打ち込まれれば脆いだろうし
これで隊列を崩されれば歩兵や騎兵が乱入する隙も
生まれ得るだろうし
ローマ歩兵も軽装歩兵のピルムや
バリスタ・カタパルトの攻撃を受け得るだろうが
ローマ歩兵は密集隊形ではないので
損害は軽微で済む可能性も有るだろうか
(まあ只ローマ歩兵も散開した侭では騎兵に脆いかも知れないが
 騎兵が接近したら素早く密集するかも知れぬし
 ローマ騎兵にギリシャやマケドニアの騎兵は
 勝てないと言う事だろうし
 ローマ歩兵が騎兵に突入される可能性は殆ど無いと言う事だろうか)

339 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/12 22:58
>>328
んー?これは、コンスタンティヌスの手記かなんかでしょうか。

経済の崩壊の原因を、貨幣素材の不足・流出に求めれば、禁欲的なキリスト教が、東ローマの崩壊を
押しとどめたのかも知れません。
東はミトラ・ゾロアスター教などのシンクレティズムと馴染みが深かったため、しっかりとキリスト教
とその精神が根付いた。しかし西では東方から宗教が流入することはしたが、多神教の伝統が強く、
それらが深く定着することがなかったため、享楽に溺れ続けて、結果経済破綻を招いた。
あれ?(。∀゚)

>>326
スリングの弾の威力は、強烈ですよ。打撃兵器なので、装甲した歩兵への効果は高かったと思われ。
「アナバシス」でも、ロードス島の投石兵が高く評価されていました。

340 :「ど」の字:03/07/13 00:51
>>339
 古代ギリシャでは、バリアレス諸島のスリンガーなど有名な傭兵がいたようですね。
 ローマでも、最初の頃はスリンガー兵は軽装歩兵として使われていたようです。
 しかし、そのうち廃れてしまったんですよね。
 もしかして、ローマが勃興する頃には、技術の進歩(主に盾と兜)についていけなくなったのでは?
 青銅製の鎧兜や簡素なチェインならともかくとして、鉄兜と牛の皮を貼った大盾に通用したかどうか…。

341 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/13 01:35
>>340
いや、トラヤヌス帝は、投石兵の密集隊形を試みたそうです。
むしろ、衝撃を与えてダメージを与えるという特性から、相手の装甲が厚くなればなるほど
その重要度は高まったと思います。

となれば、何故スリングが廃れたか検証しなければなりませんが、
1.弓・弩の発達
 スリングはこれ以上発達させようのない武器だが、弓や弩は、弓本体の素材を変えたり
 複数の素材を組み合わせたり、矢の鏃を変えたりするなどして、発展させることが出来た。
2.弾の重量
 矢より石や粘土弾の方が重いことは明白。
3.訓練の手間
 投石兵は、弓兵に比して組織的な訓練を要求されたという。

しかし、ローマで投石兵が廃れたっていつ頃からですか? 私の聞きかじった知識では、
ローマは弓兵より投石兵をより重んじたそうですから。

342 :「ど」の字:03/07/13 02:21
>>141
 データ、ありがとうございました。
 トライアヌス帝時代に、そういう実験があったんですか。
 トライアヌス帝時代は、ローマが装備面で最も発達した時代ですよね。
 その頃に投石兵を新編成して新戦術を求めたのは、何故だったのでしょうか?
 ダキアやゲルマン対策だったのでしょうか?

 ローマでは、軽装歩兵そのものがそもそも全く尊重されていなかったはずです。
 また、時代が下っていき、ローマが豊かになるとそれまで軽装歩兵だった階級も重装歩兵になります。
 飛び道具だけ持つ軽装歩兵は、ポエニ戦役時代にはプロレタリアの一つ上の階級のみだったはず。
 そのなかで、弓矢ではなくスリングを持つ兵士は、さらに少なかったのではないでしょうか。
 自分が漁った文献ではローマ軽装歩兵の装備の特徴はあまり書いてなかったのですが……。

 自分が読んだところでは、エトルリアの影響を多分に受けていた時代にはスリングも良く出てきましたが。
 ポエニ戦役時代にはスリング兵は相手(ハンニバルの軍)にいたことしか見れませんでした。
 その後の諸内乱期にも、スリング兵の話題は出てきません。
 記述に出て来ていないだけで、スリング兵は命脈を保っていたのでしょうか?

343 :某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/07/13 14:29
>ローマは弓兵より投石兵をより重んじたそうですから。

まあ石も矢張り投げ槍よりは数が持てるだろうし
矢では盾を貫けないだろうか
(石なら盾を持っていてもかなりの衝撃を
 与えられるだろうか)

344 :某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/07/13 15:56
>鉄兜と牛の皮を貼った大盾に通用したかどうか…。

まあ軽歩兵には通用したかも知れぬが
これは弓でも十分だろうし
盾を構えないマケドニアファランクスは兎も角
巨大な盾を持ったギリシャやローマの重装歩兵には
石が通用したのかと言う疑問は有るだろうか

345 :世界@名無史さん:03/07/14 17:57
ディオドロスは、バレアレス諸島の投石紐兵の優秀さを以下のように
記しています。勿論、彼らは投石紐兵としては別格かもしれませんが...

「戦争に従事した彼らは他の投石紐兵が放つものよりも遙かにおびただしい
 数の石を浴びせ、さらにカタパルトから、放たれたほどの威力をもっていた。
 そのため、城壁で囲まれた都市に対する強襲では、狭間や胸壁に身を隠した
 防御者をねらい打ちにすることができた。また、会戦ではいかなる防具、
 つまり楯や甲冑、兜など装備している者でもその双方をうち砕いた。さらに、
 その狙いは非常に正確で、ほとんど標的を外すことはないのである。この理由は
 彼らが幼少のころより、母親がそれを強いて、投石紐の訓練を行っていたことに
 ある。その方法は、少年のころから、投石紐を熟達するために、標的として棒に
 固定された一個のパンを狙わせ、それを打ち落とすまで与えないというやり方で
 ある。そして、見事撃ち落としたものは母親の許可を得てそれを受け取りむさぼり
 食うのである。」
と記しています。

346 :某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/07/14 18:59
>城壁で囲まれた都市に対する強襲では、狭間や胸壁に身を隠した
>防御者をねらい打ちにすることができた。

まあ弓でも狙えるだろうが
甲冑を有効に貫けるとは限らない訳だろうか

>また、会戦ではいかなる防具、
>つまり楯や甲冑、兜など装備している者でもその双方をうち砕いた。

矢張り投石兵は兵を盾越しに倒せたと
言う事なのだろうか

347 :「ど」の字:03/07/14 20:42
>>345
 スポ根漫画の元ネタにでもなりそうな教え方ですね。

>>会戦ではいかなる防具、つまり楯や甲冑、兜など装備している者でもその双方をうち砕いた
 ということは、拾った石ではなく専用の鉛玉を使っていたということですか。
 どのくらいの大きさなら、盾や兜をカチ割って相手にダメージを与えられたのでしょうか。
 詳しい資料が欲しいところですね。

348 :世界@名無史さん:03/07/14 21:31
すげーな。民明書房の世界だ

349 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/14 21:39
>「ど」の字 さん
投石兵やそれを含む軽装歩兵が、ポエニ以前からどうなっていたかは、ポエニ戦争後・マリウスの兵制
・アウグストゥス・ティベリウス・トラヤヌス時代などの資料を漁ってみないことには何とも言えませんが、

>また、時代が下っていき、ローマが豊かになるとそれまで軽装歩兵だった階級も重装歩兵になります。
投石兵は、同盟国や属州からの補助兵に頼らず、原則正規兵でまかなっていたそうです。

この二つを合わせて考えれば、投石兵の姿が見えなくなってきたのは、スリングの有用性が損なわれた
からではなく、ただなり手がいつの間にかいなくなっていたためかも知れません。

350 :某研究者:03/07/14 23:18
まあ投石兵も其れ程強い兵力なら廃れるのかと言う事だが
コストの割に役に立たなかった
或いは訓練が必要な割に金が得られなかったと言う可能性も
有る訳だろうか

351 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/14 23:31
>>342
つーかザマでローマの軽装歩兵がカルタゴ側の象兵を駆逐したし。

>>349>>342へのレスです。皆さん、脳内で補って下さい。

352 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/14 23:34
>>351
いかん、スリングと軽装歩兵がごっちゃになってる。流して下さい。

353 :世界@名無史さん:03/07/15 00:05
一応、手元のガリア戦記の記述によると、少なくともこの時代までは
投石兵は(バレアレス族による)援軍だったそうだ。
更にこの頃は、通常は軍団兵が石を投げることもなかったらしいから、
投石兵が廃れた云々は、実は帝政期になってからの変化ではないかと思う。


354 :第20軍団兵:03/07/15 01:18
いやー流れの速いスレですね(笑)
>339
貨幣&経済は私もまだまとめきれていません。
ちなみに >328 はディオクレティアヌス+コンスタンティヌス時代ですね。

さてマケドニアファランクスの崩し方ですが、BC200年以降のローマ軍のマニプルスの展開は
2m毎に1人という割合に対し、マケドニアファランクス(以後ファランクス)は0.9m毎に1人になります。
ファランクスは5列目まで槍を構えていたはずなので、計算上マニプルスの歩兵は1人で
約10本相手にしないといけないわけで、事実ピュドナの戦いでは押しまくられています。
押しまくられて戦列が凸凹になった時、あるケントゥリア(=百人隊)が乱戦に持ち込むのに成功した事と、
他の接敵していたケントゥリアが中隊毎に両側の敵兵に切りかかって行った事がファランクスを崩す
契機になりました。

凸凹を作るのにヴェレス(=軽装兵)も力を発揮したのですが、内乱記ではヴェレスの
騎兵に対する弱さが記述されています。
(続く)


355 :世界@名無史さん:03/07/15 01:28
>投石兵は兵を盾越しに倒せたと言う事なのだろうか

どうなんでしょうね? 日本史からですが、
印字打ち《武術》
投石戦闘のこと。比較的飛距離もあり、大量に投げることが可能で、
コスト的にも優れた印字打ちは、戦国期の戦争において重要な役割を
果たしたという。当時の死傷者は、一番が鉄砲、二番が槍、三番が投
石であると言われるほどである。

との事です。

356 :「ど」の字:03/07/15 01:39
>>355
 あのー……。
 日本の戦闘は、世界史の参考にはほとんどならないのではないかと。
 日本には携帯用の盾という概念が、ほとんどありませんでしたから。

 あと、日本には石を遠くに飛ばすスリングが伝わっていないんです。なんででしょう?

357 :第20軍団兵:03/07/15 02:53
内乱記の1巻70で、アフラニウスがcaetratae(軽装援軍、装備はヴェリテスとほぼ同じと思われる)
を山地の確保のために4個大隊も送り出したのですが、カエサル軍の騎兵に捕捉され、
"ほんの一瞬も持ちこたえられず全員騎兵に包囲され、両軍の見ている前で鏖殺される"
という結果に終わったようです。

野戦の際、弓兵、投石兵はハスタトゥス(第1戦列)とプリンケプス第2戦列の間に挟まれて配置されたようです。
(内乱記1巻83)



358 :世界@名無史さん:03/07/15 08:25
たしか、投石紐ようの弾丸は拳大の鉛か鉄片、重さは約0.5kgもあった
そうです。また、それが1ミナ(436g)という単位となったとも言われ
ているとか。

大英博物館で発掘された投石紐用の弾丸(石弾)を見たのですが、
確かに拳大の大きさでした。

359 :山崎 渉:03/07/15 12:27

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

360 :世界@名無史さん:03/07/17 00:39
>>356

弓矢が発達していたってのも関係あるんでは?
どっちも飛び道具だし、どうせなら狙いがつけられる方がいい。
確か中世以降のヨーロッパでも投石兵の話は余り聞かない。
擲弾兵の話はあるが、あれは爆弾投げるから目標から多少はずれても
被害は与えられそうだ。

361 :????s??s:03/07/17 00:53
がんばったあなたにご褒美サイト!
http://homepage3.nifty.com/coco-nut/

362 :世界@名無史さん:03/07/17 01:49
フルタの食玩買った人いる?
こんなのあるよ(藁

世界 勇者の肖像 GLADIATOR
http://www.furuta.co.jp/


363 :362:03/07/17 01:57
ごめんリンクこっちの方がいいや

グラディエーターのジオラマ画像
http://homepage3.nifty.com/TeamWakamatsu/

364 :なまえをいれてください:03/07/17 17:18
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。

365 :「ど」の字:03/07/17 20:45
>>360
 日本は地形の起伏が険しい温暖湿潤気候ですから、弓矢が奇形的に発達したというのはあるかもしれません。
 しかし、上記で調べてくださった方が居ましたが、スリングも達人ならかなり正確に狙えるようです。

 紀元前に発明されていたスリングですが、結局日本には伝わった形跡は無いようです。
 シルクロードを越えて運ばれなかっただけ、なのでしょうか?
 盾というものを持った歴史が全くと言って良いほど無い日本なら、スリングは恐ろしい威力を発揮したでしょうに。
(日本で大盾の密集隊形を使ったのは、自分の知るところでは京都の市街戦で足利尊氏を追い出した楠木正成のみ)

 中世以降のヨーロッパは鎧が段々重装化していったようですので、それについて行けなくなったのかも。

366 :第20軍団兵:03/07/18 01:48
>358
表面に何か書かれていませんでしたか?自分が見た本には"L.XIII(=第13軍団)"
別の面に"A"(=徴兵した地名)が書かれている物が紹介されていました。
(おそらく時期から言ってイタリアの地方でしょう)

ミナですか。うーん?上か下の単位もあわせてご紹介いただけませんか?
ローマ世界でのメジャーな単位はリブラ(=324g)ウンキア(=27g)だと思っていたので。
ちなみに1リベラ=12ウンキア


367 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/18 01:56
>>365
スリングは、日本では「投弾帯」と呼ばれるものがあります。
確かスリングが存在しない地域は、オーストラリア大陸だけのはずです。
日本で投弾帯が廃れたのは、騎乗して使えなかったからじゃないでしょうか。
あるいは、それだけ日本の弓が高度で、進化が急激だったとか。

368 :第20軍団兵:03/07/18 02:44
どうも史料を(というか内乱記)を読んでみると、BC1c頃には軽装兵というのは同盟軍
にまかされていたようで、ヴェリテスという言葉に行き当たらないのです。
投石兵&弓兵も同盟軍のようですね。
ローマ軍が重装兵に特科していった理由として、

1.弾の補給が大変な割に殺害力に欠ける(ディッラキウム戦でにおいてポンペイウス軍は1日の戦闘で30,000本
消費したのに対しカエサル軍が被った損害は20人死亡、負傷兵多数-内乱記3巻53)

2.軽装兵、弓兵、投石兵は敗走したとき大損害を受ける >357 の戦い、パルサロスの戦い(内乱記93-94)

特に2は不利な状況で軍営地に戻って相手に攻城戦を強いるという手を封じられる戦術的なまずさと、軍団兵は将軍
(後には皇帝)の支持者なのでコロコロ死なれては票が減るので政治的にまずい点を挙げられるのではないかと思われ。

傍証として、元首制期には弩兵machinatoresを独立させ、カロバリスタ(11人で操作する)をケントゥリア(=中隊)に1機、
オナゲル(攻城用-ただし直射もできるように作られていた)をコホルス(=大隊)に1機の割合で配備したようです。
いずれもこれまでの歩兵隊の間ではなく、歩兵隊の後ろから援護できるだけの射程を持っているようですね。
トラヤヌス記念柱に弓兵が見られる事から、補助軍の方では依然弓兵のニーズはあったようですが...

369 :世界@名無史さん:03/07/18 03:04
話題になっているminaは、小アジア重量・貨幣単位のでしょうか?

確かに、ギリシア・ローマ世界でも使われたとは思いますけど。

370 :「ど」の字:03/07/18 06:04
>>367
 伝わっていたのですか!
 一体、時代的にはいつ頃の資料でしょうか?

>>368
 カエサルとポンペイウスの抗争を描いた「内乱記」の時代は、古代ローマのスペシャルケースなのでは?
 カエサルもポンペイウスも、当時としては例外的な名将で、特にカエサルは騎兵運用の達人です。

 ドゥラキウムの攻防戦では、カエサル軍もポンペイウス軍も主に(急造ではあれど)構造物に拠っての戦いでした。
 それ故に損耗率が少なかったものと推定されます。

 軽装兵、弓兵、投石兵は確かに潰走し易いのですが、潰走時の被害は重装歩兵>軽装射撃兵のはず。
 重装歩兵は、一旦潰走し始めたら足が遅い分逃げられませんから……。
 騎兵に包囲されるというような事態にならなければ、生存率は軽歩兵の方が上では?
 アフラニウスの敗北もポンペイウスの敗北も、共に優れたガリア騎兵を擁するカエサル相手の敗北でした。
 同時代での類似ケースには、スレナスの軽弓騎兵一万に潰されたクラッススのパルティア遠征軍があります。
 これら全ては、機動力ある騎兵の運用に優れた軍事的指導者に敗北した例です。

371 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/18 22:36
>>342
トラヤヌスが投石兵の密集隊形を試みたのは、どうやらパルティア遠征に備えてのことのようです。

BC40,38に、執政官プブリウス=ウェンティディウス=バッススがカルラエの屈辱を果たすかのように、
小高い丘に陣取り、投石兵を中心とした軽装歩兵をもって、パルティア重装・軽装騎兵を二度とも潰走
させています。弾の重みによりダメージを与える投石は、高所の利をより生かせた事でしょう。
トラヤヌスは、このことからパルティア騎兵には軽装歩兵が有効と読み取り、それを強化しようとした
のでしょう。

遊牧民族を母体にした軽装弓騎兵軍に、農耕民族を母体とした歩兵軍が野戦で打ち勝つには、野戦築城
でなければ、強力・長大な騎乗して使えない飛び道具をもって戦うしかありませんし。


>>370
弥生時代のものが、遺物として見つかっているみたいです。
あと、平安時代の年中行事絵巻にも散見されるようです。

弥生時代後期には、長弓の普及に呼応するかのように早くも廃れてしまったようですが、その後も
年中行事などの印地打ちでしばしば使われたみたいです。
戦国時代の甲斐武田家が「水股隊」と呼ばれる投石部隊を要していた事が知られていますが、戦場で
投石をまともに運用するには、投弾帯や「飄石」というスタッフスリングの助けなくしては不可能だった
と思われます。

372 :「ど」の字:03/07/19 01:44
>>371
 詳細ありがとうございました。

 重い弩を使った野戦用の対軽騎兵(胡弓)戦術は、全周防御円陣による諸葛亮の八陣が有名ですね。
 古代ローマにも、同様の重弩使用の陣形があったのでしょうか?

 今度、モンゴルの軽騎兵がどうして敗れ去ったかと合わせて調べてきます。
 モンゴルも基本は軽弓騎兵ですから、参考になる文献があるかも。

373 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/21 23:26
>371
訂正。
二段目一行目

>BC40,38×
>BC39,38○

BC40は遠征開始の年度でした。すみません。

374 :某研究者:03/07/22 00:40
>遊牧民族を母体にした軽装弓騎兵軍に、農耕民族を母体とした歩兵軍が野戦で打ち勝つには、野戦築城
>でなければ、強力・長大な騎乗して使えない飛び道具をもって戦うしかありませんし。

まあ槍歩兵で騎兵が阻止された例も有っただろうが
弓を装備する軽装歩兵は槍歩兵では阻止出来ぬ訳だろうか


>重い弩を使った野戦用の対軽騎兵(胡弓)戦術は、全周防御円陣による諸葛亮の八陣が有名ですね。

秦や漢の時代にも匈奴の騎兵を弩を装備した歩兵で撃退したと言うが
この際には円陣は使わなかったのだろうか


>今度、モンゴルの軽騎兵がどうして敗れ去ったかと合わせて調べてきます。

エジプトでマムルークに負けたのは数の問題も有るだろうが
アラブ側も弓を装備した軽装騎兵や弓歩兵が
大量に存在した故で有るかも知れないが
(十字軍はクロスボウ歩兵・重装歩兵+重装槍騎兵だろうから
 これは軽装騎兵と弓歩兵に撃破された訳だろうか)

375 :某研究者:03/07/22 00:46
まあしかし十字軍のクロスボウをアラブ軍が恐れていたとの
記述も有る様だが
十字軍のクロスボウはアラブ軍やモンゴル軍の弓やクロスボウを
アウトレンジ出来たのか
或いはアウトレンジ出来ても数が無かったと言う可能性も有るのだろうか
(或いは戦術の問題で西欧では騎士が常に戦場では先陣を切らねば成らず
 クロスボウは騎兵が突撃した後に使用されていた可能性も
 有るかも知れないし
 西欧の騎兵もモンゴルやアラブの弓騎兵や弓歩兵に突撃すれば
 弓の使えない雨天でも無ければ壊滅は免れ得ない訳だろうか)

376 :某研究者:03/07/22 00:51
アルスーフではリチャードは騎兵を後衛に下がらせ
クロスボウでアラブ兵をアウトレンジする戦術に
徹したのかも知れないが
結局自分が主役に成りたいと考えていた
騎兵の突撃は抑えられなかった様だが
これは敵が混乱する迄遅らせられた訳だろうか

377 :某研究者:03/07/22 01:15
>ポンペイウス軍は1日の戦闘で30,000本
>消費したのに対しカエサル軍が被った損害は20人死亡、負傷兵多数

まあこれは攻城戦ではなく野戦での結果なのか
野戦であるとすれば地形やスクトゥム等で矢が
大量に阻まれたと見て良いのだろうか

378 :世界@名無史さん:03/07/22 13:02
>366
たしか、ディオドロスに書かれていたものと記憶して
います。
投石紐の弾=1ミナになったという話。

私が見た物は実物ですが表面に何も書かれて
いなかったと思います。
(写真は撮ったのですが....いま、手元になくて....)

379 :世界@名無史さん:03/07/22 20:45
>>377
攻城戦というか野戦というか、
ポンペイウス側からすれば「解囲戦」だな。
要はデュラキウムを包囲したカエサルが水脈を断ち、
ポンペイウス側は徐々に水不足に悩まされるようになっていく。
それを打開するべく戦った作戦。
包囲するカエサル側は、色々と見張りの塔などを作っていて、
解囲戦に際してもそこに篭もって防いだようだ。

二回目の、ポンペイウス側の夜襲では防ぎきれなかったらしいが。

380 :世界@名無史さん:03/07/22 20:53
質問でーす。

ローマの国旗と国家ってどんなのだったんですか。

381 :世界@名無史さん:03/07/22 21:04
国旗はこんなんだったっけ?
軍旗だったかな?
映画でも観ればええと思われ

S       P

    鷲

Q       R

国家はこれ

ここ 七つの丘 ローマ 目をあげて
きみとぼく きみとぼく 市民と市民 元老院のなかからも
きらめかねばならない 若い稲妻 ゆんゆん
ああ 何のために奴隷はいるのか 発進しよう 激しい軍勢を
ルビコンのむこう 蛮族の空の星にまで
発進 ゆんゆん 発進 ゆんゆん 発進 ゆんゆん 市民と市民

382 :世界@名無史さん:03/07/22 21:09
>>381
ふぉ。いやいや、久方ぶりに、切れ味のよいレスを見さてもらったのぉ。
善哉、善哉

383 :第20軍団兵:03/07/23 00:31
>370
>379 氏が戦闘にそのものについて語ってくれたので、壊走時の事についてお答えします。
前述のとおり、ハスタトゥスとプリンケプスの間に弓兵等を置くと、前列と後列を入れ替える際に
混乱する傾向にあるようです。弓兵達が恐怖で逃げて来るとプリンケプスの戦列が
"方陣をずらしての壁"を作るタイミングを逸してしまうということだと思います。
ローマ軍は秩序だった行動を取れれば、軍営地まで戻ってそこにこもればよい訳ですから、
そこでの防御戦の事を考えても、弾幕型の弓や、投石よりも、直射タイプの投げ槍や、
バリスタが好まれたのかな?と思います。

「内乱記」を例に取ったのは、敵味方とも大規模な投射武器を投げ合い、かつ野戦の司令官の記述だと
いうことからです。(ポリュビオスの記事ではまだ投石兵や弓兵が登場したばかりですしね。)

384 :「ど」の字:03/07/23 21:33
>>383
 なるほど。ありがとうございました。
 とにかく潰走せずに野営地に逃げ切ってしまえば良いわけですね。
 そこに行くまでに兵力を消耗し尽くすと、「ガリア戦記」での15大隊壊滅みたいなことになるわけですか。
 

385 :世界@名無史さん:03/08/10 12:52
レギオンあげ

386 :世界@名無史さん:03/08/13 12:57
だっそうへいこそそそ

387 :世界@名無史さん:03/08/14 04:57
死刑。>386


388 :世界@名無史さん:03/08/14 10:50
十分の一いったれや。


389 :世界@名無史さん:03/08/14 13:07
QQQQRローマ帝国QR
ローマ帝国、ローマ帝国
SPQR
(文化放送の曲で…)

390 :世界@名無史さん:03/08/14 13:12
十分の一刑
1.くじ引きで10人のうち1人を選ぶ。
2.その一人を残りの9人が殺す。
3.9人中殺害に協力しないものは、死刑。
4.くじ引きで選ばれたものが死んだところで終了。



391 :山崎 渉:03/08/15 18:30
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

392 :世界@名無史さん:03/08/16 06:39
あたりです>388


393 :世界@名無史さん:03/09/10 04:28
化学的知識の進展が後300年早かったら、ローマは蛮族の撃退に成功していただろうか?
ギリシャ炎火薬詰めた壺を発射出来る野戦用バリスタを数十門並べれば、ゲルマン人なんざ戦団ごと丸焼きw

394 :世界@名無史さん:03/09/10 15:19
ローマ人がジャポネーゼに会っていたとしたら、ゲルマン人と同じく蛮族扱いだっただろうな。

395 :世界@名無史さん:03/09/10 22:00
>>394
こっちは弥生時代ですからねw

396 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/09/10 22:18
>>393
さて、西ローマ帝国滅亡の原因自体、自軍団の統制をミスったことこそが主原因だし、
ゲルマン人自体、ローマに戦争を仕掛けたわけでなく、強引な方法で居留地をもらおう
としただけだから、もし西ローマ帝国が存続したならば、ゲルマン人も以前の諸民族の
ようにローマに吸収されたかも知れない。
とすれば、そういう問題じゃないかも。

それに第一、ギリシア火が主に活躍したのは攻城戦と海戦だから、そのどちらのノウハウ
もないゲルマン人相手にはギリシア火はあんまり意味がないと思われ。

397 :第20軍団兵:03/09/23 23:31
>372
カロバリスタ(石弾、あるいは槍を飛ばす)がケントゥリアあたり1基、
オナゲル(石弾のみ)が大隊当たり1基、配備されているので、
当然騎兵防御用の陣形は訓練されたでしょうね。
それを明確に記している文献はちょっと思い付かないのですが、いつも劣勢のローマ騎兵は
たびたび壊走するのですが、結局歩兵隊の陣地に逃げ込んで、再編後反撃に転じるのがパターンの様です。

他に、ガリア戦記か内乱記だったと思うのですが。劣勢の騎兵隊を補強するために騎兵と軽装兵の混成隊を
組んだりしていますね。

398 :世界@名無史さん:03/09/24 11:39
>>297
騎兵と軽装兵の混成は、もとはゲルマニア人の戦法だった。
それをアリオヴィストゥスとの戦いで見たカエサルが、
後に自軍で採用したと思われる。

ちなみにゲルマニア人がそういう戦法をとった理由は、
彼らの馬が小さかった(道産子くらいの大きさ)ためのようだ。


399 :亀レスだが:03/09/26 07:11
>339
328は夏目漱石の「ぼっちゃん」が元ネタと思われ。
たしか温泉で泳いだ後のあたりだったかと。


400 :世界@名無史さん:03/09/26 17:02
対ポンペイウス戦だから、内乱記だね。
しかし、カエサルより前にローマ軍は混ぜ込みを使っていた。
同趣旨の書き込みをこの板で見た後で、本を読んで「ああ、カエサルが初めてというのは
違うのか」と感想を持ったので、俺的には間違いない。しかしどの戦いだったかわからないと、
信用ないだろうなあ・・・・・・確認までは日数がかかりそうだ。


401 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/10/07 01:14
軽装歩兵と騎兵の混成編成とはちょっと違うかも知れませんが、ローマには騎兵のケツに軽装歩兵を
乗せて目的地まで運んで、軽装歩兵を降ろして戦うという戦法が伝統的にあったそうなので、そこから
生まれたのかも。

402 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/10/07 01:16
書き忘れ。
>>399
でしたな。ガ板にもありました。

403 :世界@名無史さん:03/10/16 13:15
>>320
924 :世界@名無史さん :03/10/06 20:04
>>920
>>921
アリウス派はギリシア哲学の流れを汲み、理性的「科学的」論理を重んじました。

「神性と人性は截然と分かつべきものであり、キリストの本質をなすのはその神性である。
神のみが永遠不滅であり、神以外のものはすべて神に創られたものである。したがって
子なるキリストにおける人性は、ほかの被造物とは異なる完全無欠のものではあるが、
あくまで創造されたものであり、その本質において父なる神とは異なる」

という主張です。
325年の公会議でいったんはアタナシオスの信仰を「正統」と認めたコンスタンティヌス
大帝自らが、会議後はたちまち親アリウスに傾いています。


404 :世界@名無史さん:03/10/31 06:59
11月3日 TBS・TV 夜8時〜10時54分

超歴史スペクタクルU
古代ローマ夢と挑戦!!蘇る世界初の大帝国!
人類史上、最も愛され最も憎まれた男カエサル
2000年の謎が今、解き明かされる
▽ローマ帝国はなぜ栄華を極めたのか?答えはカエサルの夢にあった
▽作家・塩野七生が語るカエサル像
▽暗殺された理由

405 :世界@名無史さん:03/10/31 07:02
404の予告編

11月3日 TBS・TV 午後3時55分〜4時55分

今夜放送!古代ローマ夢と挑戦
雨宮塔子ローマ巡り


406 :世界@名無史さん:03/11/03 10:34
TBSって正月にもローマを扱った番組をやってたような気が・・・
ハリウッド映画が情報ソースの電波番組だったが今回は大丈夫なんだろうか


407 :世界@名無史さん:03/11/03 15:17
グラディエーターの衣装の詳細でてるサイトありません?

408 :世界@名無史さん:03/11/03 15:19
映画と同時代のリアルローマの衣装じゃなく?

409 :世界@名無史さん:03/11/03 15:58
グラディエーター―リドリー・スコットの世界
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894072548/qid=1067842562/sr=1-2/ref=sr_1_0_2/249-1733816-1505956
スチール写真や衣装監督のジャンティ・イェーツや武器デザインのアサートンの
スケッチが多数。絶版かと思ってたら、まだ残ってた。
恐るべし、グラディエーター人気。

410 :世界@名無史さん:03/11/03 16:20
9時からTBSの
古代ローマやるってさ、おもしろう
エイジオブエンパイアでもローマがいちばんすきだし、
ヒッタイト、ペルシアもすきだが

411 :世界@名無史さん:03/11/03 16:35
またシオノですか。またカエサル賛美ですか。

412 :世界@名無史さん:03/11/03 17:42
本屋の売り場のような、スレの上がり方だw

413 :407:03/11/03 18:05
リアルでもいいです。
模型板からきたんで細かい部分どうしようかとおもいまして。

414 :某研究者:03/11/09 01:57
グラディエーターの様に歩兵も密集隊形を取っては
ピルムに貫かれバリスタ・カタパルトでやられるだろうし
ローマ兵は攻城戦以外は密集隊形等取らなかっただろうか
(攻城戦の際も盾越しに槍や投石でダメージは受けるだろうし
 密集隊形は効果は無かった可能性も有るだろうが)

まあ只ローマの敵である
ケルトやマケドニア・ギリシャ・北アフリカ等が使用している槍は
ピルムとは異なり槍の先端の金属部分が小さいし
槍を深く貫く事は出来なかった可能性も有るだろうし
密集隊形を取っても敵のバリスタやカタパルトの数が其れ程でも無ければ
損害は小さかった可能性も有るだろうし
槍や弓を避ける為に密集する意味は有ったかも知れないだろうか
まあ只フランク族の使用するフランキスカやアンゴならローマの盾も
打ち破れるのかも知れないが
この種の武器と言うのは何時頃使われたのだろうか

415 :某研究者:03/11/09 02:03
ローマの騎兵や歩兵もピルムのみを装備していた訳では
無い様であるし
長槍を持つ歩兵や騎兵もイラストには
描かれているが
此れはどう使われたのだろうか
騎兵の長槍はマケドニア騎兵よりは短い様に見えるが
投げ槍を持つヌミディア騎兵には勝てなかったのだろうか

416 :某研究者:03/11/09 02:11
初期にはローマ歩兵も長槍のみだったが
後には3列のマニプレスの二列目のみが
長槍を装備していたと言う事だろうか
(矢張り投げ槍や剣だけではなく槍の接近戦での効果もローマは
 考えていたと言う事だろうか)

軽装歩兵でピルムではなく長槍を持つ兵が存在するが
これも接近戦のみを想定している兵である訳だろうか

417 :某研究者:03/11/09 02:19
末期ローマではピルムは使われずジャベリンとダートに成ったが
これはローマの敵の蛮族が巨大な盾を余り使用していない所為なのだろうか

ローマの騎兵や軽装歩兵はピルムでは無くジャベリンの様な投げ槍を持っているが
これは対騎兵や軽装歩兵を主な敵に想定しているからだろうか

418 :某研究者:03/11/09 02:26
>後には3列のマニプレスの二列目のみが
>長槍を装備していたと言う事だろうか

2列目ではなく3列目が長槍を持っていたとの記述も有るが
実際はどうだったのだろうか


>ローマの騎兵や軽装歩兵はピルムでは無くジャベリンの様な投げ槍を持っているが
>これは対騎兵や軽装歩兵を主な敵に想定しているからだろうか

楯で全体をカバー出来ない騎兵や軽装歩兵に対しては
ピルムは無用でありジャベリンを使用すれば十分と言う事だろうが
ピルムを持つ軽装騎兵も存在しただろうか

ローマ歩兵も後期に成るに従い盾が小型化されている様に見えるが
これはアンゴやバリスタ・カタパルト等を使われれば盾は役に立たないと見て
軽量化されたのだろうか

419 :某研究者:03/11/13 11:46
2列目の槍を持った兵はピルムで隊列が崩れた兵を槍で攻撃していたのか
或いは剣を持って突入した前列の兵士を後方から槍で援護していた可能性も
有る訳だろうか

420 :世界@名無史さん:03/11/15 12:22
東ローマ帝国の秘密兵器、「ギリシアの火」の製法は最期の最期まで
他国に漏洩しなかったのか?

421 :世界@名無史さん:03/11/16 18:50
>>420
アラブ・トルコ人が十字軍相手に使っている。

422 :某研究者:03/11/18 17:25
ローマ兵も雑兵は剣は余り使えず投げ槍もまともに投げられなかった可能性も
有るだろうし
殆ど長槍を使うしか無かったと言う事なのだろうか

423 :ミルトン ◆cA7oIM8fok :03/11/18 17:58
>>422
歴板住人は戦術・兵器は詳しくないから
是非ソースを出してくれたまえ。


424 :ミルトン ◆cA7oIM8fok :03/11/18 18:03
そういえば最近、東洋書林だったか?から
ローマ、ギリシアの戦いの本でてたな。
初心者はあの本でよろしいのでありますか?
某研閣下

425 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/11/18 21:01
>>420
逆です。名前から誤解されやすいですが、ギリシア火はもともとはアラブ側の技術です。
673年にレバノン出身のカッリニコスという建築家が、ギリシア火の製法を手みやげに
ビザンツに寝返ったそうです。
当時のアスファルトの採掘場所や蒸留技術の発祥の地である事などから、おそらくは
西ペルシアあたりで開発されたものと思われます。

426 :某研究者:03/11/19 20:54
まあそうであればアラブ軍がギリシャ火を使ってコンスタンチノープルを
落とせなかったのかと言う事だが
どうなのだろうか

427 :SADA:03/11/20 09:13
古代ローマと関係ありませんが
イスラムでは焼痍兵器が古くから使用されています。
これは化石燃料を使用することができたから。
それを使う専用の部隊(ナファットゥム)も編成されています。
良く知られているのは発火物を陶器につめたいわば手榴弾または火炎ビン
などですが、投石器でルイ9世率いる十字軍の陣営に投擲して大きな効果
をあげたと伝えられています。これは13世紀のこと。

中国のモウカユキ(漢字をどわすれした)のようなザッカーラと呼ばれる
火炎噴射機の存在が9世紀の写本から知られています(少なくともそれ以前
に知られており、9世紀には公にされる程度の技術でしかないということ)
噴射された火炎はおよそ10mほどの距離までとどき、十字軍士はこの“龍”の
火炎に触れると絶命すると信じていました。

>426
ギリシア火のような兵器は射程の問題から、接近して攻撃をしなければならず、
コンスタンティノープルの城壁にとりつくには多大な犠牲が伴われると思われます。
また、そもそも燃やしてしまうつもりも無かったと思いますが。

あと、確か「ギリシア火」というのは十字軍達が呼んだ名称であって、
ビザンツやイスラムでは別称があったと思うのですがこれまた
ど忘れしました(^^;

428 :世界@名無史さん:03/12/26 00:09
>>424
そうそう、気になっていた。内容がしっかりしているのか否か。
しっかりしていれば、買う価値がありそうだが、
ただの情報の寄せ集めならイラン。

429 :名無し:03/12/26 23:18
西欧文化は淵源にユダヤキリスト教的なものとローマ的なものがある。
ローマ的なものが男性で、キリスト教的なものが女性を現しているように
思われる。ローマ人は自殺をした。ローマ人に惹かれるのは、名誉、誇り、
、克己心があるからだ。人間観についても辛口なところが良い。老人に
なると人間観も酒と同じで甘口は嫌いだ。


430 :突撃!!天狗党:04/01/11 13:31
http://www.nippon-nn.net/mishima/annai/rome/
べるジャッキーニは「國のため現世に生きるより武士の魂を
蘇らせる行為に三島は価値をもとめたに相違ない」のであり
「サムライの精神はキリスト以前の古代ローマのサムライ精
神と酷似するものがあるに違いない」とし、まさに三島は
「名誉の人生を完結した」。だからイタリア人も「同じ行動
が必要とされるのではないか」と最後の檄文調である。
事実ジャッキーニの事務所で雑談したときに彼の自慢の
日本刀を見た。筋金入りの武士道哲学模索者である。
彼の書棚は西田幾多郎、鈴木大拙、道元などの禅とニーチェ、
ハイデガーが三島の著作とともに並んでいた

431 :世界@名無史さん:04/01/11 17:09
前の話題だけど、>427って元寇のてつはうと同じものなのかな。
> 良く知られているのは発火物を陶器につめたいわば手榴弾または火炎ビン
これ。
博多沖から、直径約14cmのそういう感じの陶器が上がってるとかなんとか。

432 :世界@名無史さん:04/01/19 02:31
>>401 歩騎混成は、なんと『アレクサンドロス大王東征記』にあった。
交戦直前に騎兵の半数をおろして歩兵にし、残り半数の騎兵と組
んで戦わせるもの。地中海人にとって知らない戦術ではなかったと
すべきか。


433 :世界@名無史さん:04/01/20 00:15
ローマ人の物語のハンニバル戦記読んでハンニバルにほれちたよ
ここらへんの物語で面白い本本他にある?
もっと読みたい

434 :ほへぇ〜:04/01/20 20:51
>>427
ビザンツ側の呼称は『燃える水』ではありませんか?

ところでカリニコスはレバノン出身のギリシア人?

435 :世界@名無史さん:04/01/21 14:31
>>433
オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズの「カルタゴ戦争」なんてどうよ

436 :世界@名無史さん:04/01/21 19:31
>>435
お、サンキュ調べて読んでみる

437 :世界@名無史さん:04/01/21 23:50
オスプレイは図版がわりかし少ないよね。
特にカルタゴ側のが少ない。
リビア人とカルタゴ兵の軍装がもっとわかる、絵的な資料てないもんかな。

438 :世界@名無史さん:04/01/22 17:49
【ハミッポイ(αμιπποι)】
 アレクサンドロスが創設した新兵種。
“騎馬重装歩兵”と訳される。6,000騎ほどの騎兵部隊に300〜500名編制の
重装歩兵をその装備のまま騎乗させ、状況に応じて歩兵部隊として戦わせる
という歩騎両用の部隊。クルティウスはこれをディマカエ(dimachae)と呼ん
でいる。ギリシア世界では元来ペゾイ・ハミッポイという同種の部隊があった
が、これは皆、軽装で戦場で騎兵部隊に随行しただけである。対してハミッポイ
は敵の追撃戦など、長期的な作戦に用いることができる独立部隊であった。

【ぺゾイ・ハミッポイ(πεζοι αμιπποι)】
「軽歩兵」と訳される。騎兵に併走して戦闘を補助したと言われている部隊。
アリストテレスの『アテナイ人の国政(49.1)』に言及される箇所がある。
機動部隊に歩兵を加える試みは古代エジプトにも見られた。

新紀元社刊、『古代ギリシア人の戦争』より

439 :世界@名無史さん:04/02/17 13:51
とりあえずセヴェルス朝以後の編成とか階級とか興味があります。

440 :世界@名無史さん:04/02/24 12:16
>>437
オスプレイのMAAより図版の豊富な資料って、何かご存知ですか?

>>439
共和制末期から五賢帝時代なら、
MAAの『ローマ軍 カエサルからトラヤヌスまで』
が丁寧に解説されているようです。

全期間に渡るなら、東洋書林の『【図説】古代ローマの戦い』ですかね? 
もっとも図説というわりには遺跡/彫像/レリーフなどの写真が中心ですけど。

441 :世界@名無史さん:04/03/05 02:41
ttp://www.ospreypublishing.com/index.php オスプレイ社のHP
ttp://www.ospreypublishing.com/list_by_period.php/per=40 Ancient Worldのページ

>>440
ttp://www.tokyo-shoseki.co.jp/book/user/m2002.pdf 東京書籍の目録(PDF)の7ページ目
カラーイラスト世界の生活史26 「ローマ軍の歴史」
 アシュット版/福井芳男・木村尚三郎監訳/東京書籍
・・・残念ですが東京書籍さんでは品切れみたいです(類書に「ギリシャ軍の歴史」ってのもありましたがこれも品切れです)
が、13,4年前に出た本なので図書館とかでなら蔵書してるかも。赤っぽい表紙で薄い本ですが、前編イラストの構成ですが、
オスプレイのと比べてもかなりイラストは多いと思います。個人的には好きな本だが、あまり役立たなかったらすまん。



442 :某研究者:04/03/26 02:25
>【ハミッポイ(αμιπποι)】
> アレクサンドロスが創設した新兵種。
>“騎馬重装歩兵”と訳される。6,000騎ほどの騎兵部隊に300〜500名編制の
>重装歩兵をその装備のまま騎乗させ、状況に応じて歩兵部隊として戦わせる
>という歩騎両用の部隊。

まあ此れは騎兵としては運用されず
歩兵を乗馬して移動させるだけなのだろうか

443 :世界@名無史さん:04/03/26 02:42
ハミッポイにしろ近代の竜騎兵にしろ
下馬戦闘の時は、どこに馬をつないでおくんだ?


444 :某研究者:04/03/26 03:18
竜騎兵は下馬しなかったと言う意見も有るだろうが
中世の騎乗して移動するタイプの重装歩兵や弓兵は
矢張り下馬して戦闘していたのだろうか

445 :世界@名無史さん:04/03/26 16:10
騎兵には従卒・従者がついていましたから――レリーフなんかには雄々しく
戦う騎兵の後ろのほうで予備のピルムを数本持った従卒が小さく表現されて
ます――彼らが馬の面倒を見ていたのではないでしょうか?

ビザンツの頃になると、あまりにも歩兵が戦力にならんので――カロリング
朝フランク王国の徴収歩兵なんか農民が鎌を持ってるだけで、装備・編成・
訓練のどれをとってもローマ時代の重装歩兵のような真似は無理でせふ――
カタフラクトが下馬して歩兵として戦うことか恒常化していたそうだ。

446 :世界@名無史さん:04/03/26 16:27
>>445
従卒・従者が付いてたのは、騎兵じゃなくて「騎士」じゃないですか?


447 :世界@名無史さん:04/03/26 17:38
騎士とは、威厳の面からも実用の面からも、必ず馬に乗っていたと思われ。
(あの重い鎧を着て歩けますかい!)
ただし、馬に乗っているからと言って、「騎兵」であるとは限らない。

日本の戦国時代、馬に乗った武士はたくさんいたが、いわゆる西欧的な「騎兵」はいなかった。
単独で馬に乗っているだけでは、「騎兵」的な戦いはできないね。

となると、従者を従えた「騎士」は「騎兵」ではないな。

448 :世界@名無史さん:04/03/27 08:54
>>446
 間違いなく『騎兵』であります。
手元に『ノリクム支援軍騎兵ティトゥス・フラウィウス・バッススの墓』のレリーフの
写真があるのです。蛮族を馬蹄にかけている構図なのですが、騎兵の後ろに予備の
ピルムを二本持った従卒が彫りこまれております。
共和制前半期に騎兵が重装歩兵よりも多くの大麦を配給されたのも、馬に喰わせるため
ではなく、従卒の食い扶持だったと思います。古代地中海世界の騎兵というのは後の世
のモンゴル騎兵のような使い方ができませんでしたから、其の辺区別してください。

>>447
そう言えば、司馬爺が日本の騎馬武者を騎兵として投入できたのは源義経と桶狭間の織田
信長だけだったとかいておりましたな。残りは騎乗歩兵として下馬戦闘に参加したとのこと。

449 :某研究者:04/03/27 10:52
>ビザンツの頃になると、あまりにも歩兵が戦力にならんので――カロリング
>朝フランク王国の徴収歩兵なんか農民が鎌を持ってるだけで、装備・編成・
>訓練のどれをとってもローマ時代の重装歩兵のような真似は無理でせふ――
>カタフラクトが下馬して歩兵として戦うことか恒常化していたそうだ。

まあ歩兵の弓や投げ槍位は役に立つのかも知れぬが
これは少数なのだろうか


>そう言えば、司馬爺が日本の騎馬武者を騎兵として投入できたのは源義経と桶狭間の織田
>信長だけだったとかいておりましたな。残りは騎乗歩兵として下馬戦闘に参加したとのこと。

まあ只騎兵が乗馬して戦っている絵は非常に多いが
実際は余り無かったのだろうか

450 :世界@名無史さん:04/03/27 10:57
カタクラフトと一言でいっても時代によって色々違っていた

カタクラフトは少数精鋭

451 :某研究者:04/03/27 12:16
東ローマの装甲騎兵の馬鎧は
ダートや投げ槍を止める為の物では無いだろうし
弓に対抗しての物かも知れぬが
この時代には弓が多用され始めたのだろうか
(西欧の十字軍頃の鎖帷子を用いた馬鎧等矢には全く歯が立たないだろうし
 殆ど無意味な物だっただろうか)


452 :世界@名無史さん:04/03/28 12:55
>>450
タギナエの戦いでナルセスが……という記述があったのでビザンツ初期の頃では
ないかとおもいます。

>>451
カタクラフトゥスが集団で駆け寄ってくるという姿は統制の取れていない
歩兵集団には、充分すぎるほどハッタリが利くのでは?
後世、イングランドのロングボウ兵は指揮統制・訓練・兵站が充分揃っていたので
フランス軍装甲騎兵に対してクレーシーで騎乗突撃を粉砕し、ポワチエで下馬戦闘を
試みた装甲騎兵を槍兵もろとも粉砕してますから。


453 :某研究者:04/03/28 20:20
>ポワチエで下馬戦闘を
>試みた装甲騎兵を槍兵もろとも粉砕してますから。

まあ只ポワティエで決着を付けたのは英の乗馬騎兵の
仏下馬騎兵への突撃だろうが
英弓兵が仏騎兵を下馬させねば乗馬騎兵の数の差を考えれば
勝利は有り得なかった事だろうか

454 :世界@名無史さん:04/03/28 20:30
豊島区立中央図書館の小松崎さん、かわいい。


455 :世界@名無史さん:04/03/28 21:29
>装甲騎兵を槍兵もろとも粉砕

フランス軍の主攻勢をイングランドのロングボウ兵が矢の雨で磨り潰し、
ヘロヘロになったところを、ガスゴーニュ騎兵の馬蹄で蹂躙した……と
書かないとがまずかったですね。

かしこみかしこみ……。

456 :某研究者:04/03/29 12:31
仏騎兵も下馬してはランスも構えておらぬだろうし
英の槍騎兵の乗馬突撃には一方的に撃破されるだけだった訳だろうか

457 :世界@名無史さん:04/03/29 12:51
カタフラクトとカタクラフト、正しいのはどっち?

458 :世界@名無史さん:04/03/29 15:30
英語の綴りは『CATAPHRACT』です。

459 :世界@名無史さん:04/03/29 15:40
古代ローマの兵士
まだ、帝国を築く前の段階では男性市民皆兵士で、

野良仕事には父子で出かけ、
農作業の後には取っ組み合いで体を鍛え、
教養は1〜10まで数えられれば、十分だった。
貴族階級も当初は皆歴戦の勇士で憧れの的だった。
と世界史で聞いたが。

460 :世界@名無史さん:04/03/29 22:41
>教養は1〜10まで数えられれば、十分だった。

頭が空っぽのほうが下手に教養の詰まった奴より、工兵としての技術が仕込みやすいということかな。

461 :世界@名無史さん:04/03/30 00:21
ローマって12進法じゃなかったっけ?

462 :世界@名無史さん:04/04/03 09:23
『X』の次が『XI』だから十進法ですね。
暦や時間、度量衡に十二進法や十六進法、二十四進法、六十進法が混在しているのは
現代とさほど変わりがないようですし……。

463 :世界@名無史さん:04/04/03 13:56
『X』の次が『YI』だから六進法ですね。


464 :世界@名無史さん:04/04/03 13:57
六進法×
五進法○

465 :世界@名無史さん:04/04/04 11:33
勘違いなさっているようなのでアラビア数字で表記しますが
五進法の1,2,3,4,10,11,12,13,14,20,21,22,23,24,30って
十進法の1,2,3,4, 5, 6, 7, 8, 9,10,11,12,13,14,15にそれぞれ対応するのですよ。

5円玉、50円玉、500円玉が混じっていても日本のお金の数え方を五進法で位が一つ上がる
とは言わんでしょう?

単に『IIIII』と書くと面倒な上に場所を喰ってしまい数え間違うかもしれないから
『V』と表記しましょうとお約束したに過ぎないのですよ。





466 :世界@名無史さん:04/04/06 21:12
PCのゲームで、プレトリアンガリアってのがあるんだけど、
やってる人いる?

いろんな陣形組めるよ

467 :第20軍団兵:04/04/07 22:09
>460 ポエニ戦争以前の古き良き時代のお話だね。
つーか、ホルテンシウス法(BC287)までの身分闘争はどうなった?と突っ込みたくなる。
身分闘争が終わるとすぐポエニ戦争(BC264〜)に突入するんだけど。

工兵がある程度専門化するのはBC200年ごろに行われた軍制改革以後の話だと思う。

468 :世界@名無史さん:04/04/07 22:29
プレトリアン・ガリア戦記もケルティック・キングスも持ってはいますが、
箱に入ったまま……。やらないともったいないとは思っているのです。

469 :第20軍団兵:04/04/07 23:03
プレトリアン・ガリア戦記、面白そうですね、でも鎧兜の考証は間違ってる。あれは5賢帝頃のモノ(でも面白きゃそれで良し!!)
ちなみにSLGはWW2モノかSFものしかやったことがない。

470 :世界@名無史さん:04/04/07 23:33
>448
信長はほとんど騎馬武者を使ってないよ。

471 :世界@名無史さん:04/04/09 09:57
>470
だからわざわざ桶狭間の織田信長って書いたでしょ。

472 :世界@名無史さん:04/04/12 01:58
関連過去ログ
悲惨な絶滅戦争によるカルタゴの最期 (48)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/993/993136092.html

473 :世界@名無史さん:04/04/13 14:53
>469
インペリアル・ガリック型の兜
ロリカ・セグメンタタ

ティベリウス帝後期〜トラヤヌス帝時代の装備の良い軍団の歩兵か。

デザイナの参考にした資料が

オスプレイのMAA『ローマ軍〜カエサルからトラヤヌスまで』

であるようなことをうかがわせるパッケージだ。

474 :世界@名無史さん:04/04/23 20:20
ここのサイト見たら、ロリカセグメンタータ売ってるじゃん!!!
俺マジ買おうかなw

http://www.wbr.co.jp/

百人隊長風がいいな

475 :世界@名無史さん:04/04/24 04:56
>>474
激しくガイシュツ・・・。
コリント式の方がカッコ良さそう

476 :世界@名無史さん:04/04/24 22:31
ロリカセグメンタタが40,000円
ローマントルーパーヘルムが18,000円
スクトゥムが20,000円
トルーパーベルトが15,000円
ローマサンダルが9,000円
軍人用チュニックが10,000円
マインツ型グラディウスが25,000円

軍団兵1人分で137,000円かぁ。
なるほど、共和政期は装備自前だからプロレタリアートは用意できないだろう。
帝政時代も員数揃えるために、いかに多くの国庫支出と皇帝の懐から銭が出て行ったか痛感するね。

でも有志で、亀甲隊形を組んでみたいと思うぞ。

477 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/04/24 22:35
>>471
どっちにしても疑わしいですよ。今では
「信長が攻めたのは桶狭間ではなく、桶狭間山。」
という事になっていますし、義経の方も全員馬に乗っていたかどうか。

478 :世界@名無史さん:04/04/25 21:48
鵯越の逆落の場所に行ってみたことあるんだけど、間違っても馬で降りられるような場所じゃない
まあ、アメリカには自転車やバイクに跨って崖から落ちるだけのスポーツも存在するから、ぶっちゃけありえないとは言わんが、
あのアホみたいな峡谷を転げ落ちれたとしても、行き着く先は平氏じゃなくて源氏の本陣なんだよな

479 :世界@名無史さん:04/04/25 23:08
現在の「鵯越」とは別の場所だったのかもしれませんけどね。
変化が無かったとすれば確かに背後から攻めたというのはおかしい。

480 :世界@名無史さん:04/04/25 23:24
大学時代の農学部畜産学科の友人が、卒業研究に木曽馬の繁殖をやっていたので
その当時の写真を見せてもらったのだが、日本原産の木曽馬は小さいので武者が
跨っても徒歩立ちの雑兵とほとんど高さが変わらないと思ったなぁ。
となると日本史の中に於いては、騎兵の歩兵に対する優位さって何があるのか?


481 :世界@名無史さん:04/04/25 23:26
鉄拐山説と兵庫一ノ谷説か?
どちらも決め手に欠けるのだが・・・

逆落自体が架空だった可能性のほうが高い

482 :世界@名無史さん:04/04/25 23:30
ところで、ローマとかヌミディアとかガリアとかゲルマニアの騎兵が使っていたのは
馬の産地はどこなのだ? パルティアはアラブ馬だよな? 

483 :世界@名無史さん:04/04/25 23:30
>日本原産の木曽馬は小さいので武者が
>跨っても徒歩立ちの雑兵とほとんど高さが変わらないと思ったなぁ。

木曽馬は確かにアラブ種よりは小さいが、それはないだろ

484 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/04/25 23:41
>480
>となると日本史の中に於いては、騎兵の歩兵に対する優位さって何があるのか?
これもいまいち信用出来ませんが、『雑兵物語』の中に陣中に鼠が飛び込んで
大騒ぎをした話があり、「ましてや馬一頭にまともに対処出来るはずもない」
といったことが書かれていました。
移動中の馬の前に突然飛び出すのには勇気がいりそうです。

485 :世界@名無史さん:04/04/25 23:42
基本的に馬は移動用。降りて戦った。
武田の騎馬隊は前線を瓦解させるため馬の大群で波状攻撃をした。

馬にまたがってやりで戦う、とかは一騎打ちの時だけ。だって、不利じゃん。

486 :世界@名無史さん:04/04/25 23:44
良好な視界が得られ、戦場で味方の目印になる
電信が実用化する以前の戦場ではこれは重要な要素

487 :ほへぇ〜:04/04/28 00:12
ウマ科動物の体高(前足の肩甲骨までの高さ)なんだが
ファラベラポニー 70cm――世界最小のウマだそうだ
モウコノウマ 120〜146cm
キソウマ 124〜142cm
アジアノロバ 140〜150cm
シェトランドポニー 90〜110cm
ドサンコ 124〜140cm
キソウマ 124〜142cm
アラブ 140〜158cm
アングロノルマン 152〜163cm
アンダルシアン 150〜160cm
ペルシュロン 160〜170cm
ペルジアン 160〜170cm
アパルーサ 142〜152cm
ブーロンネ 160cm
サラブレッド 158〜170cm――なじみがあるので参考までに

元寇の折に――高麗と南宋の遺臣が主力だったが――日本の騎馬武者を『まるで犬に跨っているようだ』と
せせら笑ったと言われる蒙古騎兵の逸話の信憑性ってどのくらいなんだ?
キソウマとモウコノウマを比べる限りじゃ大きさがたいして変わらんじゃないか。
蒙古騎兵はアラブ種に跨っていたのかね?


488 :世界@名無史さん:04/04/29 09:48
>木曽馬は確かにアラブ種よりは小さいが、それはないだろ
うん。たしかに大袈裟でした。

家庭用の脚立を思い浮かべてください。
三段で90cm、四段で120cm、五段で150cmくらいの奴。
四段の脚立に跨ると、視界の高さは約30cm上になります。
身長175cmくらいの私だと、普通のワンボックスカー屋根が見えるくらい。
視界が格段に向上したという印象は受けませんでしたが、
周りの人間が160cmくらいであれば、周囲からはかなり目立つでしょう。
それと周囲に対してとても偉そうな感じになれるかもしれません。
しかし手を振り下ろした位置は120cmくらいの高さですから、徒歩立ちの歩兵の
身長が160〜170cmとしたら、騎乗戦闘の優位さを発揮するには30cmほど低く感じます。
歩兵が2〜3mの槍を持っていたとして、私が騎馬武者なら騎乗戦闘なんか仕掛けませんね。
全く有利な高さとは思えません。そのうえ不安定だし。
それと感じたのは、落ち武者狩りの農民が竹槍をエエイと突き出すとちょうど脇腹にヒットする
高さかなということです。

体高が100cm位のウマだったら、周囲から見て人間の足が地面に着きそうだと感じられたことでしょう。


489 :世界@名無史さん:04/05/01 02:50
当時の日本の馬は気性が荒く
馬単体でも充分強力な兵器だった
 
騎馬武者は猛獣使いに近いかんじだったとか

490 :ほへぇ〜:04/05/01 21:38
もともとウマ科の動物は、捕食者から逃れるために速く走れるように
進化した動物なのだから危険を察知すると逃げようとするのが本能。

野生馬を跨るまでには、容易に調練できなかったことであろう。
そういう意味に於いては、世界最初の騎馬遊牧民とといわれている
スキタイ人は――ハミを発明したことを含めて――エライと思う。
ウマの歯並びを見て――門歯と臼歯の間が歯がはえていない――
その隙間に棒を加えさせて、その両端を紐で結ぶだけの簡単な代物を
思いつかなかったら、世界史の進捗はもっと遅かっただろう。


鐙も鞍も、それどころかハミさえも使わずにただ縄をウマの首にかけて
鞭もあまり使わず、もっぱら怒声だけで乗馬をコントロールしたという
ヌミディア軽騎兵というのは、ほんとに凄いな。

491 :ほへぇ〜:04/05/01 21:44
ところで『甲陽軍監』で、騎乗戦闘を戒めた下りがあるって本当?


492 :世界@名無史さん:04/05/02 13:15
ロマリカ・セグメンテータはイイ?
蛇腹な感じなところが・・・

493 :世界@名無史さん:04/05/03 10:05
ロリカ・セグメンタータって、軟鉄の板を組み合わせなんだって。
適度な硬さ・柔らかさが剣の打撃を吸収したらしい。

494 :世界@名無史さん:04/05/03 10:07
吸収ってあんたシリコンパッドじゃあるまいしw

495 :世界@名無史さん:04/05/03 10:25
でも、ローマ帝国が消滅後は廃れてまった・・・
使えんかったということかな?



496 :世界@名無史さん:04/05/03 10:28
だって鱗鎧や鎖鎧なんかに比べると動きにくいんだもん

497 :ほへぇ〜:04/05/04 09:41
製造と維持が大変だったらしい。
製造原価も高いのではなかろうか?
『防御力は素晴らしく、柔軟性もあり、やや軽かった』という記述を見た。
四世紀になると、鎧もつけなくなる兵士が増える。

兜もインテルキサ型になるが、共和政期のモンテフォルティノ型・コールス型に
比べても造りが粗雑になってくるらしい。


498 :ところでww2のイタリア戦艦て…:04/05/04 10:22
何か「超大型駆逐艦」みたいでカコイイ!!と思ふ。

499 :世界@名無史さん:04/05/04 13:05
イタリア海軍は、地中海の三大要障ジブラルタル、マルタ、スエズを取れず敗退したヘタレ-軍。

500 :世界@名無史さん:04/05/04 13:07
イタリア海軍は、地中海さえ制圧出来なかったな。なんでだろー?

501 :世界@名無史さん:04/05/04 13:15
ところで映画「パッション」は、ローマ帝国ファンが観ても面白いでつか?

502 :世界@名無史さん:04/05/04 13:21
俺は、キリスト教徒が狂信者にしか見えないようになりました

503 :世界@名無史さん:04/05/04 13:33
予告?でちらっとみたけど、あんなハゲた属州総督いるのかねぇ・・・・

504 :世界@名無史さん:04/05/04 14:24
キリストはじめユダヤ人が全員ヘブライ語で話し、ローマ人が全員ラテン語で話すので字幕がないと(・∀・)ワケワカメ!!

505 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/05 18:37
>>487
始皇帝の兵馬俑の馬の体高が約132cmですから、木曽馬などと比べてみ
ても大差ありませんね。昔の日本馬はとにかく小さい事ばかりが強調されて
いるようですが、アジア諸国の中では平均的な大きさのものでした。
それでも約300kgの肉体で100s近い重量を支えていたのですから大
したものです。
なお武士が馬上から矢を射掛けた事に関してですが、これについては突撃し
ながら矢を射たという意見を否定する見解もあります。
敵に向かっている時は馬を止めた状態で射たのであり、流鏑馬(中世には前
に置かれた的を射た)のように馬を走らせながら射る方法は逃げる相手に追
い討ちを仕掛けた時ぐらいでは無かったか、というもの。
馬に乗って矢を射たのは、大鎧を来た状態で歩く事が人体に負担をかけ過ぎ
たからではないか、というものです。
未だ検討中の意見ではありますが、確かにとてつもない重みを味あわせた馬
を走らせてというのは大変そうです。
こうなると同時期の西洋馬の体格が気になりますが・・・。

506 :ほへぇ〜:04/05/06 09:41
汗血馬以降でないかな? 中国のウマが大型化するのは。

ムスリムの跨っていたアラブ馬は十字軍の馬に比べると軽量級。
飼葉節約の為に、ムスリム勢は雌ばかり使っていたそうだ。
十字軍の馬は雄が多かったため、発情した奴がムスリム軍に
ついていってしまったと言う話が
講談社現代新書『馬の世界史』本村凌二:著
の164ページにあったよ。

507 :第20軍団兵:04/05/10 00:22
「大英博物館の至宝展」で、コリントス式兜、150年頃のローマ補助軍団の兜が展示されていた。
軍団の兜はコオルスE型?(オスプレイによると-大英博物館で見ることができる-とある)

日本の兜を見慣れている目から見ると、どちらも大変小振りに見えた。

おばちゃん「"まびさし"は失われているって書いてあるけど、あるじゃない」
漏れの心の声「前と後ろを間違えてるよアンタ」

508 :世界@名無史さん:04/05/13 04:32
>>500
操船とか射撃とか苦手なんだよ。




海戦はやっぱ接舷斬り込み。

509 :某研究者:04/05/18 07:14
トロイの映画では兵は割りに散開して突入していたが
実際はファランクスで密集してゆっくりと突入していたのだろうか

510 :世界@名無史さん:04/05/18 21:35
トロイア戦争の時期にファランクスがあったかどうかすら
よくわかってないわけだが

511 :世界@名無史さん:04/05/19 05:18
>>510
? ハリウッド新作のトロイで重装歩兵密集方陣の突撃でもあるんですか?

512 :ほへぇ〜:04/05/20 22:16
ギリシアで重装歩兵の密集方陣が最盛期を迎えたのが紀元前7世紀ころ?

イタリアに密集方陣が導入されて広まったのが紀元前6世紀ころとなっておりますが
紀元前509年に最後のローマ王タルクイニウス・スペルブスが追放されて共和制に
移行した時期に何らかの関わりがあるような気がします。

王制期のローマ軍って、有力者の血族・郎党が戦士集団――というよりヤクザっぽい
徒党を組んで――を形成して、儀式化された小規模な戦闘と家畜泥棒とその報復合戦
を専らとしていたそうです。後世のレギオンとはエライ違いですな。

513 :ほへぇ〜:04/05/20 22:53
『ヤクザっぽい徒党』というより昔の『田舎の青年団』のほうが表現として
正しいような気がしてきたので、加筆しておきます。

514 :世界@名無史さん:04/05/21 01:14
なんかハンニバルを扱った映画が激しく観たくなったわけだが
お勧めのはありますかね? 最近のトロイはギリシャのだしな。
ローマ重装歩兵一斉突撃、ヌミディア騎兵が回りこんだ!
なスペクタクルをグラディエイターのオープニングな感じで見たいんよ。

515 :世界@名無史さん:04/05/21 04:39
>>514
映画での、古代の戦闘の描写が、だだっぴろい平原に散らばっての
チャンバラ・レベルから脱したのは、つい最近のことかと。

516 :某研究者:04/05/22 15:06
まあ個人的にはCGと分かる描写が有ると
何か白けるし
CGで無ければ不能な部分以外は
極力実写を使えないのかだが
矢張りコストの問題も有るだろうし無理なのだろうか

181 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)