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【世界史上】モンゴル帝国最強伝説【最大版図】

1 :名も無きハーンの1:02/06/30 06:00
13世紀初頭、突如として世界に登場したモンゴル帝国。
彼らは世界最強の騎馬軍団を率いてユーラシア大陸を席巻し、
最盛期には当時知られていた世界の7割を支配下に治めていたと言う。
しかし世界最強を誇ったモンゴル帝国も分裂、衰退していった。

ここでそんなモンゴル帝国について思う存分語りなさい。



652 :ty270410:04/04/01 23:41
>>650
そうですか.惜しいですね!
私のような在野の読史家にもわかるように
しかも,史料に立脚して記述しておられ非常に勉強になりました.

4人の王子の2番目のChakira h_a:nも面白いですね!
またの機会に! 

653 :Michael Collins:04/04/02 01:12
ちょっと伝記物ではないのですが、井上靖さんが書いた「蒼き狼」
という本はストーリー性が非常に高く僕の推薦したい本です。
その本に書かれているとおり、モンゴル帝国は鉄木真(のちのジンギスカン)
が登場するまで、ありえなかった国です。
どの国も、最盛期というのが存在します。
ギリシア、ローマ帝国、アレキサンダー、エジプト、インダス、
今のアメリカやソ連、ナポレオンのフランスなど枚挙にいとまがありません。
モンゴルが最盛期だったのはまさにジンギスカン、そのものによるところが
大きいと僕は思います。そんな、彼を読めばモンゴルの最盛期がいかにして
形成されたかが理解できると思います。


654 :世界@名無史さん:04/04/02 01:19
それよりも『元朝秘史』じゃねーの?

655 :蒙古馬:04/04/02 16:07
>>ty270410
紹介した論文を読んだようですね。
北元が専門でしたので、ちょっと横から口を挟ませてください。

北元ハーンのクビライ系の可能性を探るには、
まずはアユールシュリダーラとトグステムルの血縁関係(兄弟or親子)について
再考する必要があると思います。
トグステムルと崇禮侯バイダリバーラは同一か否かについても再考が
必要だと思います。
アユールシュリダーラが逝去した時、後継者候補が3名いて、
彼らは血縁も近かったことが明側の記録から知られています。
クビライには男子が多く、モンゴル北還後もクビライの男系が
モンゴリアやチベット方面に残っていましたが、
クビライ系の中でも嫡流の嫡流筋でハーンの後継者になりうる人物も
3名は存在していたということです。
もしTayzi Uglan がクビライ系としてハーン位への正統な権利が
認めらていたとするのなら、クビライ系の中でも傍系ではなく、
嫡流の血統に属さなければ説得力がありません。
そういう意味で、クビライ系の嫡流に関して見直すことは意味があると思います。

ただ、アリク・ブケ自身はチンギスハンのオッチギンのオッチギンであり、
血統的に正統性があり、彼らの子孫も正統性を有していたと考えても
おかしくありません。
実際、Tayzi Uglan の時代はアリク・ブケ系ハンの時代であり、
Tayzi Uglan自身はアリク・ブケ系の最も嫡流に近いという意味で、
ハン位への正統性があったと理解するもとも可能でしょう。

656 :ty270410:04/04/02 22:14
>>655
>紹介した論文を読んだようですね。
>北元が専門でしたので、ちょっと横から口を挟ませてください。

蒙古馬さん! お久し振りです.
ご教示くださったものの一部ですが,読んでいます.
今後ともご教示ください!今回のご教示に入る前に,少し前へもどります.

>>652
>4人の王子の2番目のChakira h_a:nも面白いですね!
赤坂恒明先生の『史学雑誌』109(3)(2000.03)1-39
所引のヤズディー『勝利の書』のジュチ・ウルス30代ハンの「チャキラJhakira」
ホーンダミール『伝記の伴侶』の31代ハンの「チャキラ」
蒙古馬さんにご教示いただいたコインの一覧表
http://www.hordecoins.folget.net/e_rulersGH.htm
の42代Tchokre(Haji-Tarkhan)(ロシア語が読めないので英語版で!)
B.Spuler『Die Goldene Horde』のハンのリストの
「Chegre 1418?」(私はドイツ語が読めませんのでリストしか見ていません.)
これらが同一人物と考えてよいでしょうか?
また,Haji-Tarkhanは現在のアストラハンでよいですね?

安藤先生はジュチ・ウルスについても詳しいようにお見受けしました.
生前にまとめて書いていただきたかったと思っています.




657 :ty270410:04/04/02 22:42
>>655
>まずはアユールシュリダーラとトグステムルの血縁関係(兄弟or親子)について
>再考する必要があると思います。
>トグステムルと崇禮侯バイダリバーラは同一か否かについても再考が
>必要だと思います。
>アユールシュリダーラが逝去した時、後継者候補が3名いて、
>彼らは血縁も近かったことが明側の記録から知られています。
>クビライには男子が多く、モンゴル北還後もクビライの男系が
>モンゴリアやチベット方面に残っていましたが、
>クビライ系の中でも嫡流の嫡流筋でハーンの後継者になりうる人物も
>3名は存在していたということです。

ご教示ありがとうございます.
私は,本田先生の論文のp.601の記載からトグステムルはアユルシュリダラの
弟と思っていました.

658 :世界@名無史さん:04/04/02 23:22
Ando,Shiro
Timuridische Emire nach dem Muーizz al-ansab :
Untersuchung zur Stammesaristokratie
Zentralasiens im 14. und 15. Jahrhundert
K. Schwarz,1992

↑入手困難みたいだなぁ。



659 :ty270410:04/04/02 23:46
>>658
先の『ティムール朝国制』もドイツ語で書かれたものを邦訳・補訂された
ものと書いてあります.
ご教示のムイッズに関するドイツ語論文も生前に邦訳されて,日本の
雑誌に採録しておいてくだされば,大変助かったのに・・・
と思います.(学者としては,その必要がなかったと推察しますが・・・)

660 :ty270410:04/04/03 00:01
>>655
>もしTayzi Uglan がクビライ系としてハーン位への正統な権利が
>認めらていたとするのなら、クビライ系の中でも傍系ではなく、
>嫡流の血統に属さなければ説得力がありません。
>そういう意味で、クビライ系の嫡流に関して見直すことは意味があると思います。

クビライ系の人物が多数残っていたとのご教示と,ここでのご指摘について
最近,発表された論文などありましたらご教示ください.

なお,本田先生は,和田清先生のUriyangqai XII,219-227によって
ブンヤシリをクビライ裔としておられます.(ご存じのとおり.)

>ただ、アリク・ブケ自身はチンギスハンのオッチギンのオッチギンであり、
>血統的に正統性があり、彼らの子孫も正統性を有していたと考えても
>おかしくありません。
>実際、Tayzi Uglan の時代はアリク・ブケ系ハンの時代であり、
>Tayzi Uglan自身はアリク・ブケ系の最も嫡流に近いという意味で、
>ハン位への正統性があったと理解するもとも可能でしょう。

岡田英弘先生は『ダヤン・ハガンの先世』の中でイェスデル以降
アリク・ブゲ系の王朝が建てられたと考えるべきとされ,(p.7)
『モンゴル帝国の興亡』(ちくま新書)では,オルジェイ・テムル・ハンは
アリク・ブガ家の人と書いておられます.(典拠不明)(p.151)
ご教示ありがとうございました.

661 :世界@名無史さん:04/04/04 00:10
> バイダリバーラ

明史に出てくる買的里八剌ですよね。
岡田先生がマイトレーヤパーラと表記しているのも同一人物でしょ?

662 :世界@名無史さん:04/04/04 17:53
本田先生の On the genealogy of the early Northern Yuan もゲット。

なんかどうでもいいことに拘っているような気が自分でもするんですが、
トグス・テムルのトグスって Toghus か Tögüs なのかどちらなんでしょうか?
辞書で調べたら Toghus は孔雀か何か、Tögüs は「完全な」で、
後者の方が断然それっぽいんですが、本田先生は Toghus と再構されてます。
もしかしてトルコ系の Toquz と関係があるんでしょうか?

ちなみにこちらの現代文語っぽいのは Tegüstemür Usqal Qaghan と綴ってます。
ttp://mongol.chosun.com/mongol/khan01/images/17_togstumur.jpg

663 :世界@名無史さん:04/04/06 22:40
和田清「東亜史研究 (蒙古篇)」を借りてきました。
本田先生の論考も岡田先生のもこれをベースにしているから。

しかしこの分厚い本、どこから手をつけたものか困る。
「北元の帝系について」という論考が10番目に配置してあるけど、これは薄っぺらくて、
重要なことは「兀良哈三衛に関する研究」にだいたい書いてある。
根拠になる史料をちゃんと引用してくれているのはありがたいけど
整理されてないから読むのが大変。

664 :世界@名無史さん:04/04/07 23:34
もし今でもモンゴル帝国があったらこんなに文明は発達しなかっただろうな。

665 :世界@名無史さん:04/04/07 23:47
杉山センセイのぶっとい本が出てた

666 :ty270410:04/04/08 00:20
>>665
それはどんな本ですか?
教えてください!

667 :ty270410:04/04/08 00:22
>>663
和田先生の本は読みたいですね!
仕事が忙しくてアクセスできずにいるのが残念です.
一段落したら是非読むつもりです.

668 :世界@名無史さん:04/04/08 00:42
最近の杉山センセ関係の出版物ってNHKの文明の道のモンゴル帝国のと、
創元社の知の再発見叢書に序文を書かれてたのしか知らんなぁ。

669 :世界@名無史さん:04/04/08 16:51
これ
モンゴル帝国と大元ウルス 東洋史研究叢刊 杉山 正明 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4876985227/qid=1081410576/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-7132520-6537141

670 :ty270410:04/04/08 22:47
>>669
ご教示ありがとうございます.
548ページの大著ですね!
教えていただいたサイトに目次が出ているかと思いましたが
出ていませんでした.
いずれ,書店で現物を見るつもりです.

671 :世界@名無史さん:04/04/08 23:49
http://www.kyoto-up.gr.jp/body/shokai/4-87698-522-7.html
目次あった

672 :世界@名無史さん:04/04/09 19:30
大都周辺の遊牧首都圏について詳しく書いてあるなら読んでみたい。

673 :ty270410:04/04/09 21:37
>>671
ありがとうございます.
第6章と第7章はかって雑誌に発表されたのを読んだ
ことがあります.
その他は読んでいませんので,興味がそそられました.

674 :世界@名無史さん:04/04/09 22:11
書き下ろしは最初の方だけ?

675 :世界@名無史さん:04/04/10 12:12
杉チャマも赤坂先生を見習って少しはネットを活用しろよ。

676 :世界@名無史さん:04/04/10 13:18
杉チャマの文章は小学一年生の頃の俺並に点が多くて読みにくいんだYOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!

677 :世界@名無史さん:04/04/10 13:34
今スレが上がって来てふと思ったんだが
モンゴル帝国の後継である清、ロシア、ムガール、オスマン各帝国が栄え
中央アジアにはブハラ、ヒヴァ、コーカンドなど各ハーン国
17c〜18cくらいのこれらの諸国が最大版図であるような気がしてきた

678 :世界@名無史さん:04/04/10 20:44
清とオスマンはモンゴル帝国の後継じゃないだろ。領土が被ってるだけで後継なのかよ。

679 :世界@名無史さん:04/04/10 21:37
清朝は元帝国の御璽(?)をチンギス・ハーンの子孫から貰っているから、
一応後継者といってもいいんでないの? ま、あくまでも形式的だけどさ。
オスマンはさすがに違うだろ。オスマンに詳しい人、カキコよろ。

680 :世界@名無史さん:04/04/11 01:10
初代?スレイマン・シャーはモンゴルの侵攻からとんずらしてアナトリアに来たわけだから後継ってこたないでしょ。

681 :あやめ:04/04/13 17:06
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1079830115/l50
「清朝最後の皇后・婉容」というスレで、満族美女の例として愛新覺羅烏拉煕春さんを紹介した上、
「アイシンギョロ家のみならずチンギスハン家の血も受継ぐ由緒あるレディです」と書いたところ、
ある世界@名無史さんから先日のレスで次のような指摘がありました。
「母方のボルジュキン氏は元王室の一族ではあっても、チンギス・ハン以前に別れた庶流と思われる、
チンギス・ハン直系の子孫は、キヤン氏を名乗っているはずでである」
しかし逃げを打つようですが烏拉煕春さんがチンギスハンの血を受継いでいるとは書いてません。
チンギスハンの子孫かもしれず兄弟とか血縁者の子孫かも知れず、両方の可能性があると考えたので
「チンギスハン家の血も受継ぐ」とぼかして書いたつもりです。それは一応しばらく置くとして
「ボルジキン氏は元王室からチンギスハン以前に別れた庶流」というのがボルジキン氏そのものが
元王室からすると庶流だという認識ならば誤解です。
そこでボルジキン氏とキヤン氏の関係について語りたいと思ったのですが、満洲関係のスレで長々と
モンゴルの史料を引用するのも憚かられますので、こちらを拝借することにしました。

682 :あやめ:04/04/13 17:09
先ずボルジキン氏とキヤン氏が史書でいつころどのように出ているか検証しましょう。
キヤン(乞顔またはキャウン奇渥温)複数形ではキヤト(乞牙タまたはキョト却特)については
「モンゴルン-ニュウチャ-トブチヤアン」(元朝秘史)ではイェスガイの兄の名をメンゲトゥ-キャンと
記しています。那珂通世訳の「秘史」ではこの個所に注して「乞顔は合不勒合罕(カブルカカン)の
子孫、蒙古の嫡流の姓なり、孛兒只斤は孛端察兒の子孫總體の姓にして、我が經基王の子孫みな
源氏と稱するが如く、乞顔はその宗家に限られ、我が新田足利徳川の如し」と説いています。即ち
ボルジギン>キヤンという概念統属関係という理解です。「秘史」では次にイェスガイがテムジンを
連れて嫁探しに行く途中デイセチェンに遇ったことを述べた個所で、デイセチェンがテムジンを
手元に預かって娘のボルテの将来の婿にする思惑から、前夜に見た夢の話をする中で白い鷹が日と
月を掴んで手に止まった、これは貴方たちキャトの吉兆を告げに来たんだと語ります。

683 :あやめ:04/04/13 17:11
「ジャーミ-アッ-タワーリク」(集史)では第1巻の序の次の「ディーブ-ヤークーイの4人の子の
後裔から出たテュルク遊牧民族の一覧表」と同巻第4編「過去にモンゴルと呼ばれたテュルク諸部」に
述べられているところを綜合すると、ラシード在世当時から二千年前にモンゴルとテュルクとの間で
戦争があり、負けたモンゴルは大殺戮を受け2組の男女だけが生き残った、4人は山と森に囲まれた
エルゲネクーンという所に逃げ込んだ、この男女の名をネクースとキヤーン(山から落ちる急流)という、
彼等の子孫は非常に繁殖し多くの部落を形成したが最初はキヤートと呼ばれていた、アランゴアの夫の
ドボンバヤンもキヤート出身であった、モンゴルの諸部落は多くの氏族に分岐した末に2大支に分かれ、
デルレキン(一般)モンゴルとニルン(肋骨)モンゴルと呼ばれた、ニルンはアランゴアが夫が亡き後に
光に感じて生んだ3子の子孫である、氏族が分岐する過程で宗支関係が複雑に再生産され、キヤートの
姓は忘れられるようになったしまった、しかしアランゴア6代の後裔カブールカーンの6人の息子から
再びキヤンを称するようになった、イェスガイの兄はモンクトゥ(痣が目立つ)-キヤーンと綽名を得た、
彼の従兄弟や一族も全てキヤート部族に属することになった、キヤーンであるイェスガイはキヤート-
ボルジキンと呼ばれた、ボルジキンとは青い(もしくは灰色)眼という意味であるということです。
「一覧表」の解説部分ではエルゲネクーンに逃れた男女から繁殖した部族は、ネクースなど18支族と
アランゴアの子孫とに分岐し、後者は更にカタキンなど元来の16ニルンとキヤートニルンとに分かれ、
キヤートニルンはまたユールキン・ジーンクシュトとキヤートヤサール・キヤートボルジキンの2群に
分岐すると説かれています。

684 :あやめ:04/04/13 17:12
なおドーソンの「リストワル-デ-モンゴル」(蒙古史)にはイェスガイはテムジンの外にジュチハサル・
ハチュン・テムゲの3子があったが、その子孫はブルチュキンと称して他のキャウトと区別したとの
記述があります。即ちキヤン>ボルジギンという概念統属関係という理解です。
「集史」ではまた「カブールハーンの息子バルタンバートル紀」の「バルタンバートルと彼の妻子の
図像とその諸子の宗支の系図」に「あらゆるキヤートの人は全てモンクトゥキヤーンから出た後裔で、
彼が大英雄であったからこの名を得た、キヤーンとはモンゴル語で急な奔流の意味である」とあります。

元末の文献では陶宗儀の「南村輟耕録」の「大元宗室世系」と「列聖授受正統」に「烈祖神元皇帝、
諱は也速該(イェスガイ)「姓は奇渥温氏」とあり、「氏族」には「乞要歹」とあります。明初編纂の
「元史」の「太祖本紀」に「太祖法天啓運聖武皇帝、諱は鐵木真、姓は奇渥温氏」とあるのも、多分
「輟耕録」と共通の史料に基づくものでしょう。
これ以後では僅かに清の張穆の「蒙古游牧記」に引かれた博明の「西齋偶得」に「确特」という表記が
検出されるだけです。

685 :あやめ:04/04/13 17:15
ここで一応ボルジキン(孛兒只斤または博爾濟錦)について上レスで触れた以外に検出された記載を
見ることとします。
「秘史」ではカルチュの子としてボルチギダイメルゲンにつき那珂訳では「孛兒只吉タ(ボルチギト)の
善射者」と注しています。そしてアランゴアの子の後裔を叙した個所では「ボドンチャル(孛端察兒)は
ボルジギン氏となった」として、那珂訳では「こは曽祖父孛兒只吉歹蔑兒干(ボルチギタイメルゲン)の
名に依れるなり」という注を付しています。しかしボルチギタイメルゲンがボルチギト氏の善射者と
呼ばれていたというなら、その時点で既にボルチギト氏が成立していたわけですから、ボドンチャルが
族祖であるという伝承と矛盾することになります。
「集史」では「カブールハーンの息子バルタンバートル紀」の「彼と諸子の生涯、その支族の系統の
詳細」に「(バルタンバートル)の3番目の息子はチンギスハーンの父のイェスガイバートルである、
キヤート-ボルジキンはその後裔から出た、ボルジキンとは青い瞳の意味である、実に奇怪なことに
現在でもイェスガイバートルとその諸子と血縁者の後裔は、大部分が青い眼と赤い髪を持つ人である」
これはアランゴアが異光に感じて懐胎した際に青い眼と赤い髪の人が出現したが、特殊現象として
イェスガイに隔世遺伝したものだとモンゴル人は言っていると記述しています。「集史」の別の個所に
同様の記述があることは前のレスに書きました。

686 :あやめ:04/04/13 17:16
明末にモンゴルで編された「アルタントプチ」(黄金史綱)では既述したテムジンの嫁探しの話の中の、
イェスガイに対するデイセチェンの言葉が小林高四郎訳では「キョット本家のボルチギン姓の縁者よ」
とか「この夢はキャット一族のボルチギン姓のあんた方」とか語ったことになっています。「秘史」の
同じ個所ではキャトのみでボルジキンには言及されていません。またタイジュウトに奪われた馬を
取り返しに出かけたテムジンに出会ったボオルチュが、テムジンに対し「キョット族のボルチギン
姓の方よ」と呼びかけています。
次に清初のサガンセチェン(薩嚢徹辰)著の「エルデニイントプチ」(蒙古源流)では漢訳だと阿掄郭斡
(アランゴア)の子の後裔を叙した個所では「勃端察爾(ボダンチャル)は博爾濟錦(ボルチギン)を以て
氏と爲す」とあり、例のテムジンの嫁探しの個所ではデイセチェン(岱徹辰)はイェスガイに「却特の
嫡派なる博爾濟錦氏の親家よ、何づくに往くや」と呼びかけ、「我之(夢)を卜するに兆は爾(なんじ)
博爾濟錦氏に在り、古より以来我が家の俊雅なる女子は博爾濟錦氏の哈屯(ハトン、奥方)と作る者
最も多し」と口説いています。またテムジンがタイチュウトの捕虜になった際にチラウン(齊拉袞)と
チンベイ(秦拜)が救助の相談をする個所では「禽鳥の救を求むるすら且つ之を籠中に養ふ、況や天命の
博爾濟錦の救を求めて前來するをや」と語り合います。また馬の奪還に向かうテムジンにボゴルチュ
(博郭爾濟)は「大却特の苗裔なる博爾濟錦氏の汗の子よ」と呼び掛け、盗まれた馬を発見した際には
テムジンだけが飛び込もうとするのを「我は爾が博爾濟錦の後裔にして是れ有福の人に係るを以て、
今日は相ひ隨がひて前來せるに、何の爲に游疑して斷ぜざらんや」と問いかけます。

687 :あやめ:04/04/13 17:18
「源流」の北元時代の部分では岱總汗(タイスンハン)即ち「明史」の「韃靼傳」に見える脱脱不花
(トクトアブファ)と思しき人物がオイラトのエセンに攻められ敗走の途中で、郭爾羅斯(ゴルロス)の
徹卜登(チェブダン)即ち「明實録」の「兀良哈の頭目なる沙不丹」に殺される個所で、チェブタンは
娘がタイスンハンに離縁され実家に戻されたのを恨んでいたので、いい具合に仇に出会った復讐だと
聞いた当の娘は「從前は我の過まちなり、若し害の博爾濟錦に及ばば罪(これより)大なるなからん矣、
今や彼は困頓跋渉す、若し保護を加はうれば將來に自ずから必らず益有らん」と諫めたのでしたが、
チェブタンは聴きいれずに殺害します。また額森(エセン)はタイスンハンの次弟の子の哈爾固楚克
(ハルグチュク)から別れさせた、娘の齊齊克拜濟(セチェクペイジ)の産んだ男子を殺そうとするのを、
エセンの祖母の薩穆爾(サムル)公主は彼を叱りつけて追い返しますが、エセンは「博爾濟錦の後を
絶やさんと欲すれども媽媽は允(ゆる)さず、今は須らく公主に背きて潛そかに之を殺すべし」という
相談をしているのが公主に洩れ、公主に巴延蒙克(バヤンモンゲ)と命名された男児は彼女の実家に
送り届けられることになります。その後にタイスンハンの異母弟の滿都古勒汗(マンドゴルハン)は
成長したバヤンモンゲに会うことになり、「此れ以て博爾濟錦の嗣を續ぐ可し」と喜んで彼に対し
博勒呼濟農(ボルフジノン)の称号を賜ります。この人の息子こそモンゴル中興の祖とされる達延汗
(ダヤンハン)で、マンドゴルハンの未亡人の滿都海徹辰福晉(マンドハイセチェンフージン)を妃とし、
オイラトから高原の主権を奪還しモンゴルを統一した英雄となるのです。

688 :あやめ:04/04/13 17:19
このように「源流」では元裔正統の保全が一つのプロットとなっている点が、「史綱」と比較すると
特徴として浮かび上がってきます。「源流」の著者がオルドスジノン家の出身であるのに、「史綱」が
元裔ではないトメト部系統の所傳であるためかもしれません。これはエセンによるモンゴルハーン位の
簒奪と元裔王室の族滅という史実が、強烈な記憶として「源流」の記述に反映したものでしょう。

以上を通観して認められるキヤンとボルジキンとの関係については
キヤンとボルジキンのいずれが先に氏族を形成したのかは判然としないようです。
キヤンとボルジキンのいずれが他に対して包摂的であるかもやや曖昧ですが、「史綱」や「源流」は
キヤン氏の嫡流がボルジキン氏であるとの理解を示していて、明末にはキヤン>ボルジキンという
統属関係がモンゴル人の間における通念となっていたものとして誤りはないでしょう。
チンギスハーンの直系の子孫のみがキヤトと称していたとか、傍系の子孫のみがボルジキンと称した
ということはないと言ってよいと考えます。

689 :世界@名無史さん:04/04/13 17:21
暇人

690 :あやめ:04/04/13 17:29
清代にチンギスハーン一族がボルジキンと称していたことの証拠を二三挙げておきます。
祁韻士の「皇朝藩部要略」の「内蒙古要略」には「科爾沁部(中略)八部十六旗と阿拉善青海兩厄魯特は
其の始祖は元の太祖の弟の哈布圖哈薩爾と爲す、阿巴葛・阿巴哈納爾の二部四旗は其の始祖は元の太祖の
弟の布格博勒格圖と爲す、翁牛特部の二旗は其の始祖は元の太祖の弟の諤楚因と爲す、其の土黙特右翼
一旗及び歸化城の間散補國公は皆な元の太祖の十六世の孫なる阿爾坦の裔なり、其の浩齊特(中略)十部
二十二旗と外喀爾喀とは祖を同じくし皆な元の太祖の十五世の孫なる達延車臣汗の裔なり、皆な姓は
博爾濟吉特なり」とあり、ハサル(哈布圖哈薩爾)・ベルグテイ(布格博勒格圖)・ハチュン(諤楚因)など
チンギスハーンの弟たちと、ダヤンハーン(達延車臣汗)・アルタン(阿爾坦)などチンギスハーン自身の
子孫の姓がいずれもボルチギンであったことが明らかです。なお大元可汗宗家のチャハル部については
「其の察哈爾の八旗及び歸化城の土黙特の二旗は、其の初めは亦た元裔が之を掌ると雖も今は皆な治するに
京員を以てし、在京の八旗蒙古と相ひ等しく札薩克を設けず」として清廷直轄でジャサク(旗長)による
間接統治はしていません。
「清史稿」の「公主表」には太宗の第二女の温莊長公主の封号の馬喀塔が嫁した額哲について、姓を
博爾濟吉特氏として「察哈爾の林丹汗(リンダンハン)の子にして額爾孔果洛(エルホンゴル)と號す、
主に尚して察哈爾親王に封ぜらる」とあります。チャハル部長レグダンハーンがボルジキン氏であった
ことは確実です。

691 :あやめ:04/04/13 17:30
キヤトを「确特」として表記している「西齋偶得」にも「今の蒙古の元裔は皆な博爾濟吉特氏なり」と
あって、清代ではモンゴル人士の間でも専らボルジキンのみがアイデンティティとして伝えられていて
キヤトは殆ど意識されることはなくなっていたようです。

最後に注意を喚起しておきたいことは、モンゴルに限らず北方民族の姓氏の使用実態は日本や支那や
欧米のそれと異なることです。「お名前は?」「小泉純一郎です」とか"What is your name?""My name
is Condoleezza Rice. "とか名前と苗字をくっつけて名乗るということはありません。「お前は誰か?」
「テムジンよ」「どこの者だ?」「ボルジギットさ」といった按配になります。現代の内モンゴルでは
姓+名も見かけますが、外モンゴルでは名の頭に姓のキリル式イニシャルを加える程度です。なお内
モンゴルでは漢字表記が必要な事情もあって、ボルジキンは「包」という姓で書くのが普通だという
ことです。満洲だって清朝時代は愛新覺羅溥儀なんて呼ばずに名の溥儀で通じてました。往々にして
名の上の一字を恰も姓のように用いる例も見られます。溥儀と同じ字輩で素人ながら本職の俳優さえ
一目置いたと言われる京劇アマチェア俳優の溥トウ(人偏に同)は厚齋という号から、一般には溥厚齋と
呼ばれていましたし、清末の國子監祭酒で彝器の鑑識に精しいことで知られた盛cは伯希という字から
盛伯希とか盛祭酒などと呼ばれていました。同様の事例は勿論これに止まりません。
漢民族でも古代の「姓」は「氏」と異なり名に冠して用いられたものではありません。「姫昌」とか
「嬴政」とか書いてる学者もいますが間違いも甚だしいと思います。

692 :世界@名無史さん:04/04/13 20:27
ちょっとつっこみ。

> 外モンゴルでは名の頭に姓のキリル式イニシャルを加える程度です。

イニシャルは父親の名前だと思う。
モンゴル国では長い間共産主義者が姓を禁じたので、
自分の姓を忘れちゃった人が多いらしい。

> 漢民族でも古代の「姓」は「氏」と異なり名に冠して用いられたものではありません。「姫昌」とか
> 「嬴政」とか書いてる学者もいますが間違いも甚だしいと思います。

これは「徳川家康ではない。源家康だ!」って言うのと同じでは?

693 :678に:04/04/16 02:52
ーーーーーー清とオスマンはモンゴル帝国の後継じゃないだろ。領土が被ってるだけで後継なのかよ。

清が創立される前にノルハチを最大に支えていた勢力は先にモンゴル王リクデンに反発し満州に降参した内モンゴルのホリチン族だったことを忘れちゃいかない。
その上、明あるいはモンゴル(ハルハ、ズーンガル)などを征服するとき一番大きな役割果たしたのは内モンゴルの騎馬軍だった。
ノルハチがチンギスハーンの国印をもらった(?)のでチンギスハーンの後継であると自分自身でいっていたそうです。



694 :あやめ:04/04/19 00:02
>>692  つっこみありがとう(笑)

先ず「イニシャルは父親の名前だと思う」はそのとおりです。つまり父の名が姓というわけです。
但し婚外子で母子家庭である(またはあった)という場合(結構これが多いとか聞きました)は母の名を
姓として用いているようなので、「イニシャルは父の名から取った」とせず姓からと書いたのです。
でその父も当然ながら祖父の名のイニシャルを冠しており、祖父は曽祖父の・・・というわけになります。
姓は兄弟姉妹で共有されるのみで尊卑族間で常に断絶してしまいます。果たしてこれを姓と呼ぶべきか
疑問なしとしませんが、物の本によると"family name"に対して"patronymic name"というんですと・・・。
たしかこれ「父称」とか訳してて英語ではMac-・O'-・-ing・-s・-sonの類だと思いますので、発生的には
当たってるのかと思いますが、実態としてはこれら父称は「祖称」とでも言うべきものに転化していて
一代限りのモンゴル風とは異なります。モンゴルのは家族内の同列者を括るのだから「輩称」といった
呼び方を提案したいのですが、そうなると同族内の従兄弟や再従兄弟も含むことになって不適切かも。
ところで日本でも一代ごとに苗字が変わるという事態が近い将来に起こるんじゃないかと予想します。
それは例の選択式夫婦別姓が制度として実現するかもしれないからです。この場合には新生児の姓は
夫婦の協議によって決定されることになるようです。そうなると例えば次のような事例も発生するかも
しれません。

695 :あやめ:04/04/19 00:05
近藤仁さんと遠藤梅さんの子♂は夫婦協議の末に奥さんの姓に従うこととなり遠藤義と命名された。
遠藤義は長じて佐藤松と結婚し生まれた子♂は佐藤礼と命名された。佐藤礼は長じて加藤桜と結婚し
生まれた子♂は加藤智と命名され、加藤智は長じて伊藤蘭と結婚し生まれた子♂は伊藤忠と命名され、伊藤忠は長じて後藤梓と結婚し生まれた子♂は後藤孝と命名され、後藤孝は長じて須藤桂と結婚し
生まれた子♂は須藤信と命名され、須藤信は長じて安藤楓と結婚し生まれた子♂は安藤・・・・・・・。
この家系は夫婦別姓が実施されてから代々別姓を続け、長男の命名の協議をすると必ず奥さんの姓に
決定してしまう、しかし家は奥さんの姓を称する長男が継承してゆくという、ちょっと変わってるけど
有りえなくはないという伝統を持ち続けてるわけです。その結果として家の表札は近藤-遠藤-佐藤-
加藤-伊藤-後藤-須藤-安藤・・・と一代ごとに変遷してゆきました。土地の人たちはやむを得ずこの家を
「藤さん」とか「藤原家」とか呼んだそうです。下らない一席のネタでした。

つっこみの2番目の「徳川家康じゃなく源家康というのと同じだ」という点ですが、同じじゃないです。
源家康は歴史上ちっともおかしくないんですが、姫昌や嬴政は有りえない呼び方なんです。
但しモンゴル史のテーマじゃないので明日↓のスレに書くことにします。
春秋戦国検討委員会
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1045141279/l50

696 :世界@名無史さん:04/04/22 09:46
杉山正明氏の記述は全面的に信用してもいいのですか?

697 :世界@名無史さん:04/04/23 16:23
)なにごとであれ「全面的に信用」はやばいっすよ
杉山先生にしろ平勢先生にせよ宮崎大先生にしろ白川大先生にせよ、エキサイティングな
学説の前では、一応ちょっと立ち止まりましょう
もちろんこれらの先生の学説には優れたとこがあるだけじゃなく面白い、そこが危ない!
「英雄人を欺く」という東洋の諺を知ってますか?(英雄色を好むは知ってますよね)
世の権威者って割りと適当なこと言いますからね!用心しましょう

698 :世界@名無史さん:04/04/25 22:13
>>697
あなたは、
氏のモンゴル関係の新説(従来のモンゴル史観と違うところ)のうち、何割が真実で
何割が誤っていると思いますか?

699 :世界@名無史さん:04/05/19 19:17
今夜その時歴史が動いたでモンゴル帝国とりあげる記念でカキコ。

700 :世界@名無史さん:04/05/22 23:26
何か変なスレが立ってるな・・・

701 :世界@名無史さん:04/05/23 01:00
丸ごと一冊スブタイについて書いた本が出るらしい。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0275975827/qid=1085241419/sr=1-3/ref=sr_1_8_3/249-7367487-2330753

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