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社会学の根本―理論から実践へ―

1 : :02/10/15 01:14
現象学とか哲学から入って理論社会学を研究している人に問いたいの
ですが、結局社会学の根本は個人の内省から出発して相互関係と
そこから積みあがっていった集団、そして社会というものを私たち
の生活との関わりにおいて研究して、それが実践として何かしらの
役に立たなければ意味がないと思うのですが、理論はなぜこんなにも
実践から遠ざかっているのでしょうか?正直、無知なので実情は
わかりませんが、理論を私たちの生活に、特に人格の実践に役に立たせ
ることはできないのでしょうか?理論をやっている人の人間性が
豊かになっているのかもわかりませんが、群集として普通に社会に
生活している人たちへの人間性の影響として理論を実践へ還元は
できないのですか?これは哲学とか文学をやってる人にも聞きたいので
すが、結局倫理の問題として押し込められている可能性が高いとも
思います。何か恥ずかしいこと言ってる気もしますが、どうなんですか?
人間にとって何がいいかというのはなかなか規定しにくいしそういった
ことは千差万別な意見があるとは思いますが、社会学理論が実践となる
ことは誰も考えつかないのでしょうか?どうなんですか?

2 : :02/10/15 01:32
人格の実践って何のことですか。
人間性が豊かってどういうことですか。
人間とか人格とか人間性といっても、自明ではありませんし、
どうすれば「人間性」の役に立つのかなんて分からないですよ。

3 : :02/10/15 01:45
??なんで理論と実践が対立しなくちゃいけないの?
大体、君の言う実践が倫理の問題だとするなら、フルに活用されてる気がするんだけどね。
現代思想をめぐる舞台で、社会学理論は大活躍してないかい?
例えば、倫理学者の大庭健の、ルーマンのシステム論を応用した倫理学とか読んでみたら?


4 :_:02/10/15 02:21
傍観者と当事者は違うでしょう。
これはお分かりでしょうか?
傍観者と当事者では、感じ方や見え方が違いましょう。
理論は傍観者側の視点であり、あなたの言う「実践」は、当事者側の視点だと思われます。
科学はそもそも、傍観者側の視点を偏った形で蓄積したものです。
実践から遠ざかるのは当然です。
だから、「理論から実践へ」という方向は少なく、あっても見つけられないのです。
理論は一定の視点から雑多な現象を翻訳しようとするものですから、
たくさんのことに新しい視界を与えると同時に、
切り捨てる視点もたくさん作り出してしまいます。
理論を学んでいる最中に、この切り捨てられた視点を想像することは、非常に困難というわけです。
理論の対象について、理論なしで当事者として大量に経験を蓄積していないと、
理論の視点が待機している状態から、切り捨てられている視点に思い当たることは困難です。
経験すらしていないのなら、そもそも思い当たるはずもありません。


5 : :02/10/15 02:49
>2
レスどうも。人格の実践とかいってしまい、確かに失敗だったと
自分でも思います。つい啓蒙癖で、、
現象学の問題で考えてみれば>1で書いたようなことは愚の骨頂でした。

>3
レスどうも。人間性にある方向付け
ができればいいなーなんて思ってみただけです。人格の実践は確かに
言い過ぎでした。そうです、確かにフーコーでもハーバーマスでもいいの
ですがそういった文献から伝わってくる根本的なその人の倫理を
実践に適応できたらなと思いました。理論と実践を対立させよう
としたのではなく、理論家が根本的に抱いてる方向付けの倫理の
実践ができたらなーと思います。人間にとって何がいいのか、そのために
現在の構造への働きかけの実践ができたらなと。やっぱ啓蒙的ですよね。
人間の社会化の過程での教育カリキュラムの実践や経済と人間性の関係
からのこれまで積みかさねられた倫理を総括して、そこから実践を
考えていくとか、、これ以上突っ込まれたら終わりですが、とにかく
理論を考え出してきた人たちの根本的な方向を実践に応用できたらいいなー
と思うのですが。。

6 : :02/10/15 03:18
>4
まじめに取り合ってもらって嬉しいです。
なるほど「傍観者側の視点」ですか。科学というものは傍観者の
視点であり、宗教などの啓蒙的、感情的なものを排除した完全に
「そうあるもの」として個人的な視点を超越したところにあることは
よくわかります。

>理論を学んでいる最中に、この切り捨てられた視点を想像することは、
非常に困難というわけです。

文献から個人的な思想が見え隠れすることがあると思いますが、基本的には
傍観者の視点から逸脱した形で熱く語り、そしてまた冷却して戻っている
わけですね。結局は理論は傍観者の視点でしかないと。膨大な積み重ねと
広い視界はそういった視点で見ている限りなのですか。そうなると私のいった
倫理はまた理論とは切り離された別の問題になり、理論と倫理を繋げて
考えた私は間違ってることになります。では、傍観者でありながらその人は
1人の人間であり、傍観していた視点を個人に還元して考えることは可能
ではないでしょうか?そこから傍観者とは別にもう1人の当事者になる
ことは可能ではないでしょうか?少し話しずらしてすいませんが、理論を
実践にもっていくことは本当は可能では、、例えが思いつかないので
抽象的になってきてしまってすいません。


7 : :02/10/15 04:38
傍観者の視点/当事者の視点という分け方もまた、一種の理論では?

8 : :02/10/24 10:39
>>7
主観客観とどうからんでくるかによってはそうなると思います。

9 : :02/11/21 19:31
 

10 :すきやきっち@似非学者 ◆a2T922RdeA :02/11/21 21:00
>理論はなぜこんなにも
>実践から遠ざかっているのでしょうか?

適者生存。

実用的な、社会学もあるぞぇ。
もっとも、そういうのは、社会学とは言わずに、
恋愛とか人事とかの、使う相手の興味をそそる語句を
前面に出した名前だが。

11 :すきやきっち@似非学者 ◆a2T922RdeA :02/11/21 21:04
理屈や道理では、今の社会学は駆逐されるはずだが、
結局、あの世界の盛衰を握るのは
学者等(国の予算)と、重知識を好む人達(書籍などの利益)だから、
あの世界で繁栄する社会学もそのようなものになる。

コピペでスマソ
http://theendou.adam.ne.jp/d1.htm

12 :うーん。:02/11/22 01:24
とりあえず俺は1さんの
「群集として普通に社会に生活している人たち」
という部分で読む気が失せた。

13 :ていうか:02/11/22 03:47
社会学って、実践しないのに勉強してるんですか?なんで?

14 :ちんぽ:02/11/22 04:00
おまんこおまんこ

15 :CSA:02/11/22 09:03
G.H.ミードを読んだら?
社会学者の間では一定の人気がある哲学者です。
1さんの問い立てに対する回答がありますよ。

16 :山崎渉:03/01/17 16:28
(^^)

17 :   :03/02/18 02:15
>>11
「理論のために理論を組み立てる」という感じかなあ・・・。

18 : :03/03/04 07:11
人文電波を駆逐しよう!

19 :山崎渉:03/03/13 13:32
(^^)

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