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決着をつけるスレ

1 : :02/09/07 22:49
現在の社会理論を代表する四人。
ルーマンとハバーマスとブルデューとギデンズ。
誰が一番優れているか決着をつけよう。


2 :玉露茶:02/09/07 22:54
ルーマンに一票

3 :  :02/09/07 22:58
いまだ統一的で正統的な社会理論が無い現状。
多様性を無批判に寿ぐ相対主義を乗り越え、社会学がひとつのディシプリン足り得るためには、
社会学といえばまずこれ、といった代表的な理論がやはり必要です。
優劣を競わせましょう。

私見では何となく
ルーマン>ブルデュー=ギデンズ>ハバーマス
といった感じがする。

4 ::02/09/07 23:03
う…書き込みがあったか…

>>2
票だけでもいいけど、やっぱ何か論点を提示したほうがいいっすかね?

5 : :02/09/07 23:23
文句なしにルーマン。
他の三人は読む必要無し。

6 :1:02/09/07 23:30
あ、>>3は俺ね。
争点まとめようかと思ったけどめんどくさいから基本的に投票でいきましょ。
もちろん、議論で盛り上がってくれれば言うこと無し。

今のところ

ルーマン:2
ハバーマス:0
ブルデュー:0
ギデンズ:0

7 : :02/09/07 23:34
3に同意
ルーマンがダントツ
ブルデュー、ギデンズは普通
ハーバーマスはクソ

8 :ななし:02/09/07 23:43
理論的にはルーマン、ただし使えるのはギデンズ

9 : :02/09/08 00:03
>>8
ギデンズが使える?冗談だろ?何に使うの?

10 :玉露茶:02/09/08 00:55
欧米の知識エリートだと英語フランス語ドイツ語ラテン語
できるから四人全員読めるけど、なんせ自分は日本人ってゆー
ハンデを負ってる気がしてならない。
日本の学問村だと
フランス=ラテン系とドイツ=英語系に研究者でも
キレーに分かれちゃう。
うーん
ルーマンは社会学としては一番科学に近く
ブリュデューは哲学的社会学って印象。
二元論の克服がようやく今世紀になって社会学でも
始まりましたよってかんじか・・・社会学は哲学以下ってことか・・・
ギデンズは近代をドメインにしてるのかな?
抽象的に感じないので歴史学的社会学。
ルーマンとハーバーマス論争はハーバーマスが
欲を出しすぎて学問横断的なところが裏目にでた
かんじ。ルーマンのデカルト的ツッコミってハーバーマスの動機
(=ナチ少年→敗戦→事実を調べてショックを受ける)とは関係ないってゆーかー
ハーバーマスって現実∧政治∧理論∧動機が結びついちゃってる
からそのー政治的な次元の話をすれば
原論ではルーマンには勝てなくても
対話において公共性、これの社会政策的な有効性はあるとおもうな。
政治的社会学。

11 ::02/09/08 02:43
あれ?書き込めない

12 ::02/09/08 02:54
あ、書き込めた。

>>10
こんなにまとめてくれるとは感謝っす!

>欧米の知識エリートだと英語フランス語ドイツ語ラテン語
>できるから四人全員読めるけど、なんせ自分は日本人ってゆー
>ハンデを負ってる気がしてならない。
>日本の学問村だと
>フランス=ラテン系とドイツ=英語系に研究者でも
>キレーに分かれちゃう。
に激しく同意。ついでに、フランス=ラテン系はどちらかというと
構造主義、ポスト構造主義的で、ドイツ=英語系は分析哲学とか日常言語学派とかの
影響が強いですね。

今のところルーマン有利ですが、他の三人の支持者の参戦も待ってます。

13 ::02/09/08 03:33
あと、一応俺なりの評価もまとめてみます。
以降、俺も一人の論者として参加しますんで、公平さに欠けるとか言わないでね。
また、理解の不充分さとか問題点とかあると思いますが、それは議論の燃料として
遠慮無く突っ込んでってください。

・ルーマン:今んところ主要な、クリティカルな批判が見当たらない。
・ギデンズ:理論的には納得がいくが形式論が多すぎる。また一貫性についても疑問。
さらに、オリジナリティにも疑問。ルーマンとこうもテーマが重なるのは何故?
・ブルデュー:どうしても、構造的決定論を複雑にしただけという印象が拭えない。
客観化を客観化しても、結局、観察者の客観的認識の優位性は揺るがない。
また、結局客観的構造がどこから来るのか、構造がいかに変化するのかは説明されない。
・ハバーマス:間主観性は結局コンセンサスなので、ルーマンが指摘しているように、
彼の理論からすれば相互行為はすでに疎外と抑圧の産物になってしまう。
また、批判理論の伝統として、政治的な志向が強すぎ、理論の有効性を
その政治的効果から見る傾向がある。しかし、何故理論のパフォーマティブな効果が
政治的効果だけであって他ではないのか。
また、理論が現実に与える効果を当の理論の内容によってコントロールすることは
できないのではないか?この点で主観主義へと逆行しているような気がする。

こんなところで!批判待ってます!

14 : :02/09/10 21:38
ルーマン>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
(略)>>>>>>>>>>>>>>>>>その他

15 :アドノレノ:02/09/12 11:38
>また、批判理論の伝統として、政治的な志向が強すぎ、理論の有効性を
>その政治的効果から見る傾向がある。
こんな伝統は、ない。

16 ::02/09/21 01:08
>>15
うーん、ちょっと言いすぎたかな、という気はしますが…。
例えば、トイニッセンの「社会と歴史−批判理論の批判」で述べられているように、
批判理論は結局存在論の呪縛に囚われてしまうような気がします。
つまり、客体があってそれを観照的に認識する、のではなく、理論もまた実践なのだ、
と批判理論は考えますが、今度はそうした実践が位置付けられるものとしての社会(歴史)を
実体視してしまう、と言えばよいでしょうか。
そして、理論の持つ意義を、理論家がそこに位置付けられるものとして想定された
「社会」に回収してしまう。

うーん、うまく説明できないな…。

17 :山崎渉:03/01/17 17:16
(^^)

18 : :03/03/04 12:31
^ ^;

19 :山崎渉:03/03/13 13:17
(^^)

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