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【哲学】哲学と弁証法【弁証法】

1 :考える名無しさん:04/04/02 01:06
どういう関係なの?

2 :考える名無しさん:04/04/02 01:42
正しい認識に到る思惟の紆余曲折する運動を表現したものと考えられるが
いまだ充分に定式化されてはいない。
対話的、矛盾、正反合とか否定の否定などで特徴づけられるが、そもそも
定式化されては生きた弁証法とはならないとも云える。
古くはギリシャ哲学にさかのぼるが、ヘーゲルが大成しマルクスが批判的に
継承した。立場により評価は大きく異なる。

3 :考える名無しさん:04/04/02 01:51
( ´∀`) ヘゲール

4 :考える名無しさん:04/04/02 16:32
まあ、時間がかかる・・・そういうことでしょう。


5 :考える名無しさん:04/04/03 00:12
弁証法では全てを生成、変化、発展、消滅の運動のうちにあると考える。
このため「矛盾」が、その運動の根本的な原動力とされる。
認識、文化、歴史の発展のみならず客観的と見られる事物でさえも、この弁証法的
運動の内にあり、この点で形式論理学での矛盾に対する考えと決定的に異なる。
カントが理性の限界を示すと考えたアンチノミーをヘーゲルは逆に理性の発展の契機と
捉えたのである。

6 :美人ニューハーフ たお:04/04/03 00:17
ものごと
全て中庸です。

7 :考える名無しさん:04/04/03 00:33
チンチンシュッシュッ

チンシュッシュッ

8 :考える名無しさん:04/04/03 00:50
ヘーゲルにあっては、真理、真実在、主体、絶対知、絶対精神などは全て同じものであり
「全体として真に存在する」もの、つまり「神」である。
この存在は「あってあるもの」「他に拠らず自身で存在するもの」であり、
「完全な自己意識」でもある。とされる。即、且、対自的存在とも表現される。
歴史とは、宇宙の始原以来、この「神」が自己生成する運動の「みちゆき」であり
その展開の法則が弁証法ということになるわけである。


9 :考える名無しさん:04/04/03 01:36
ヘーゲルは多分、「絶対知」や「完成した哲学」から出発し、起点から最終地点まで構想した。
その叙述の方法として「弁証法」が採用されたのである。
「市民社会」「科学技術の進歩」「新旧世界の発展」などから、いずれ完成した自由で平等な
争いの無い豊かな社会の実現も近く、彼の哲学こそ、そのパースペクティブをもたらす思想であると
考えたものと思われる。

10 :考える名無しさん:04/04/03 02:01
さて、弁証法を考えるにあたり、ヘーゲルから一旦カントの「分析論」
「弁証論」また「現象と仮象」について触れる必要があると思われる。


11 :ニコレット:04/04/03 02:06
実現が近い?
山の彼方のそのまた向こうほど遠くに見えるがね
( ゚Д゚)y-~~~

12 :考える名無しさん:04/04/03 02:08
誰かヘーゲルの言う「反照」について端的に説明してくんない?

13 :考える名無しさん:04/04/03 02:12
>>12
意識が対象と自我の間を往還する運動の有様。Reflexion
特に自己意識の場合に用いられることが多い。

14 :考える名無しさん:04/04/03 02:26
追加。 反照論理学というのは弁証法論理学のこと。

15 :12:04/04/03 02:30
>>13
サンクス。僕はヘーゲルは「小論理学」しか読んでないのですが、ヘーゲルがカント
哲学を踏まえて、さらに先に進んだというのはおぼろげにわかるんですけど、ヘーゲル
とカントはもともと違う対象をあつかっていただけのような気もするのです。
カントは物自体を残したから不徹底なのではなく、物自体を不可知とした世界、の記述
を目指したがゆえに消極的だが厳密かつ未来に寛容。ヘーゲルは物自体を可知とした世界、
の記述を目指したがゆえに積極的だが歴史に寛容。という気がする。

16 :考える名無しさん:04/04/03 02:39
カントの分析論と現象は簡単に云えば、知覚の文節と言語による文節が
素朴な統一にあり、形式論理的に現象と推論が一致する。これが「悟性的認識」
に与えられた世界である。

17 :考える名無しさん:04/04/03 02:43
文節:分節の間違い。スマソ。

18 :考える名無しさん:04/04/03 02:48
しかし、このような範囲でも、マッハの認識論やフッサール以降の現象学に
より、事態は難しくなって来ている。

19 :考える名無しさん:04/04/03 02:55
物自体に関していえば、現象の背後にあって現象を規定する物質の「化学構造」
などを引き合いにしてエンゲルスなどが批判し、唯物弁証法では、「物質は(ミクロ的に)無限であり
それに関する認識は弁証法的に深化する」ということになる。

20 :考える名無しさん:04/04/03 03:03

いかにも、哲学板らしいスレだな。


21 :ばかぁ:04/04/03 03:04
このスレッドは面白くなるかもしれない。個人的には、
● 神学的形而上学者ヘーゲルというパブリックイメージを越えたヘーゲル像の提出。
● 「資本論」において、具体的にどこが弁証法的思考か?
などに展開してほしいなあ。
 

22 :考える名無しさん:04/04/03 03:15
カント的区分では、悟性はほぼ知覚の範囲に相当し、「理性」は「神」
「愛」「真理」「無限」「宇宙」etc を対象とした知の働きと言えます。
前者だけでも大問題ですが、後者の範囲である「先験的仮象」について
検討したい。

23 :考える名無しさん:04/04/03 03:22
なんでもいいから入門書を順番に読んだ方がいいんじゃない?
めいめいが断片的に知識の切り張りしても論理がないと意味ないよ。

24 :α:04/04/03 03:28
>>23
すみません。2,5,8,9,10,13,16,17.18.19.22 はαでした。

25 :考える名無しさん:04/04/03 03:35
もう一息!

頑張って!


26 :考える名無しさん:04/04/03 03:39
入門書は恥ではないです。
いい本はいろいろありますよ。

27 :考える名無しさん:04/04/03 03:40

よろしかったら、何冊かあげていただけませんか?

28 :考える名無しさん:04/04/03 03:45
なんでもいいから

29 :考える名無しさん:04/04/03 03:52
はじめは三浦つとむの弁証法とはどういう科学かがいいでしょう。

30 :α:04/04/03 03:59
仮象と現象の間には多分明瞭な区別は無く、「神」はパウロにとって「知覚的」な
事実であり、「愛」も同様である。
逆に「常温核融合」は「現象」ではなく捏造されたものであった。
さて、「貨幣」、「商品」はどうであろうか?

31 :α:04/04/03 04:04
弁証法は科学とはいえません。

32 :α:04/04/03 04:15
三浦の本は弁証法心得あるいは「あてはめ」的説明でしかなく、おすすめしません。
まだ、中公新書の「弁証法」がマシでしょう。

33 :α:04/04/03 04:19
レーニンの「哲学ノート」(ヘーゲル、小論理学の読書メモみたいな)
悪くは無いが、「ご都合主義的」な感あり。

34 :α:04/04/03 04:23
エンゲルスの「反デューリング論」や「自然弁証法」はマジメな本ですが
弁証法が科学というには無理があることもわかります。

35 :考える名無しさん:04/04/03 04:46
柄谷って昔2〜3冊読んだけどクダラなかったのでそれ以後読んでいません。
「その中心」とかね。
カントについて何かマシなこと云ってるんですか?

36 :考える名無しさん:04/04/03 04:55
OFWはまだか?

37 :考える名無しさん:04/04/03 19:58
弁証法って結局どういう事をいうんでしょう?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/979828579/
http://mentai.2ch.net/philo/kako/979/979828579.html

38 :京のHegelian:04/04/04 00:07
哲学は全体の説明で、弁証法は、その体系作りの為の方法論

なのでは。

哲学の中に、弁証法が埋め込まれていると理解していいのでしょうか?


39 :考える名無しさん:04/04/04 00:09
だめ消えろ

40 :考える名無しさん:04/04/04 00:13
弁証法的に現代を肯定する

41 :ばかぁ〜:04/04/05 00:21
「つまり直接的なものだけが単純である。というのは、直接的なものの中には、まだ一つのものから他のものへと
前進を経た形態はないからである。従って絶対者とか神とかいうような豊富な観念形式の中に有以上のものが言い
表されており、或いは含まれているといわれるにしても、それは始元においてはただ空な言葉であり、単に有にす
ぎない。それ故に、この何らそれ以上の意味を持たない単純なもの、この空虚なものこそ哲学の始元でなければな
らない」  ヘーゲル「大論理学」序論  始元の本性より

42 :ばかぁ〜:04/04/05 01:01
ヘーゲルは「手順を踏めば全員が天才になれる方法」を考えた人だと言えるのでは
ないでしょうか。いくら個々の哲学、存在がおのれの直接性、特権性を主張し、
賛同者を集め、実際それがいかに素晴らしいものだったとしても、それは学たりえ
ない。むしろ「直接性、特権性を主張する哲学、存在」を低次のものと見る。


43 :考える名無しさん:04/04/05 02:04
ゴテゴテした観念の大伽藍、真理の大聖堂には誰が住むやら。

44 :ばかぁ〜:04/04/05 02:12
>>43
「大論理学」は「ゴテゴテした観念の大伽藍、真理の大聖堂」という感じはしないよ。
騙されたと思って読んでみ。俺もまだ途中だけどね。
「大論理学」はものすごくシャープな文体で書いてある。カント「純理」を読んだ人に
とってはなおわかり易い。最初に「精神現象学」「法哲学」を読むより「大小論理学」
を読んだほうがヘーゲルは理解しやすい気がするな。

45 :考える名無しさん:04/04/05 02:25
例えば、「これは椅子だ」と言うとき、単純、直接に直観に与えられるわけだが
フッサール現象学的テーマでもある。


46 :考える名無しさん:04/04/05 02:28
「椅子」といっただけの時は、いまだ各部分に「分節」されてもおらず
他との「関係性」においても把握されてはいない。

47 :考える名無しさん:04/04/05 02:48
ヘーゲル弁証法では、たとえ「椅子」であろうとも対象は自己との間の認識する
意識の反照的運動によって最終的には自己意識の内に回収されてしまう。
具体的な個物は普遍性の内に取り込まれてしまうわけだ。真の実在的性格も「概念」に属する
ことになる。


48 :考える名無しさん:04/04/05 02:54
>>46
「椅子」という言葉を選びそれを認識の言葉として使用した段階で
すでに「分節」と「関係性」のネットワークのなかに組み込まれる
ことになるはずだが。

49 :ばかぁ〜:04/04/05 02:59
>>45
両者の哲学のスタート地点、フッサールのいう事象とヘーゲルのいう始元は明らかに違うと
思うが、俺はフッサールを熟読していないので何とも言えない。概説書レベルの話でいうと
ヘーゲルにおいては「始元」といえどもあくまで「その始元は単に任意のものや一時的に
仮定されたものというようなものでもなければ、また任意の現象であるものをもってきて
勝手に前提として立てておいて、後に過程を吟味してみて、これを始元としたことの正しさ
が証明されるといったようなものでもない」(大論理学)。フッサールのいう「まず単純、
直接に直観に与えられるもの」から始めるという素朴さをヘーゲルは批判する。しかし、
ここでほとんどの人は「なんだ、じゃあヘーゲル哲学は全て絶対者を前提とした後付けの
哲学じゃん」という批判をすると思う。実は俺もその疑いをまだ捨て切れずにいる。
なのでこのへんはまだまだ勉強中。

50 :考える名無しさん:04/04/05 03:02
>>46
>41の一例として、取り上げただけです。ヘーゲルの論理はこのような
パターンが多いわけで。

51 :ばかぁ〜:04/04/05 03:10
>>47
>ヘーゲル弁証法では、たとえ「椅子」であろうとも対象は自己との間の認識する意識の
反照的運動によって最終的には自己意識の内に回収されてしまう。具体的な個物は普遍性
の内に取り込まれてしまうわけだ。

そこらへんのとこがヘーゲルはみんなに誤解されていると思いますね。「活き活きとした
直接性、実存を自己意識の中に回収してしまう他者なきヘーゲル哲学」みたいなイメージ。
しかしそのとき、その自己意識そのものも崩壊するというか、それまでの自己意識とは違う
ものになっている。

52 :考える名無しさん:04/04/05 03:14
>41を良く見ると、神の観念のうちに「有」をさりげなく含ませていますね。
こういうところがヘーゲルの巧みさでもあります。良かれ悪しかれ・・。

53 :ばかぁ〜:04/04/06 01:19
正→反→合、即自→対自→即自且対自、などなどと言われております弁証法の展開過程ですが、

「抽象的側面 あるいは 悟性的側面」
        ↓
「弁証法的側面 あるいは 否定的理性の側面」
        ↓
「思弁的側面 あるいは 肯定的理性の側面」

という言い方のほうがやっぱりよろしいね。正→反→合、即自→対自→即自且対自
という言い方だけだとフィヒテの弁証法と変わらないという理解をされることが多い。


54 :考える名無しさん:04/04/06 02:58
哲学史の概論をまじめに習得していないと、

上のような珍説が出る。

概説書はあまたあるから、ちゃんと読んでからにして保すぃ。


55 :ばかぁ〜:04/04/06 03:04
>>54
珍説?僕はオーソドックスなことしか言ってないけどね。>>53は「小論理学」に書かれて
いることだよ。あなたは読んだ?

56 :考える名無しさん:04/04/06 03:10
概説書の弁証法の説明とヘーゲルが原書で展開している弁証法は
全然別物と考えた方がいいね。

57 :考える名無しさん:04/04/06 03:10
所謂ドイツ観念論哲学は、巷間次のようになっている。

カント→フィヒテ→シェアリング→ヘーゲル

では、カントは<二律背反><物自体>という命題をどのように

提出したのかを考慮して欲しい。


58 :考える名無しさん:04/04/06 03:11
>>56
そうだと思う。
しかしながら、多少マチガイがあっても、
概論の歴史性の習得は必須であるはず。


59 :ばかぁ〜:04/04/06 03:17
>>57
>カントは<二律背反><物自体>という命題をどのように提出したのかを考慮して欲しい。

というのはどういうことでしょうか。もう少し詳しく説明してほしい。ヘーゲルはカントの
厳密さを軽軽しく踏み越えてしまった、それはいかん、という主張かな?


60 :考える名無しさん:04/04/06 03:18
アドルノがヘーゲル弁証法の真の継承者だろ

61 :考える名無しさん:04/04/06 03:20
×シェアリング ○シェリング

62 :考える名無しさん:04/04/06 03:22
ワーク・シェリング

63 :考える名無しさん:04/04/06 03:24

プッ!w


64 :考える名無しさん:04/04/06 03:24
>>60
デリダでしょ?


65 :考える名無しさん:04/04/06 03:25
>>59
わかってるじゃないですか?

それで、どうして・・・


66 :考える名無しさん:04/04/06 03:26
ジジェクですよ

67 :考える名無しさん:04/04/06 03:28
ヘーゲルカント批判はあまりに見事。
だれのおかげかな?

68 :考える名無しさん:04/04/06 03:30
ヘーゲルのカント批判はカッコ良すぎ

69 :考える名無しさん:04/04/06 03:32
ラカンを忘れるな。

70 :考える名無しさん:04/04/06 03:43
デリダでつね。


71 :ばかぁ〜:04/04/06 03:44
>>65
>それで、どうして・・・

それでどうしてヘーゲル哲学を擁護するのか?ということでしょうか?擁護するというか、
僕も最近までカントが厳密にその使用領域を確定し、その越権を諌めた「理性」というもの
をヘーゲルはなぜ復活させてしまったのか?という考えでした。でもヘーゲルを読んでみると
それはちょっと違うんじゃないかと思うようになった。なのでこのスレに書いているんですが、
決定的な答えはまだ先です。勉強中なので。

72 :考える名無しさん:04/04/06 03:44
脱構築が弁証法の後継な訳ですから・・・。


73 :ばかぁ〜:04/04/06 04:00
「かくしてカントによれば、最も高い段階にある思惟にとっては、規定性はあくまで外的な
ものであって、カントが絶えず理性と呼んでいるものは、その実まったく抽象的な思惟にすぎ
ない。したがって理性は(これが批判哲学の結論であるが)、諸経験を単純化し組織するための
形式的統一を与えるにすぎない。理性は真理のカノンであってオルガノンではないのであり、
無限なものに関する学説をもたらすことはできないで、認識の批判を与えうるにすぎない。
そしてこの批判というのが結局、思惟はそれ自身無規定な統一であり、そして無規定な統一の
作用にすぎない、という確言にあるのである」 ヘーゲル 「小論理学」 52章
 

74 :考える名無しさん:04/04/07 01:10
弁証法って当たり前のことを偉そうに言ってるだけじゃない?
しかもいつも当てはまるとは限らないし。
形式論理学は必須だが、弁証法は別にいらないよ。

75 :ばかぁ〜:04/04/07 01:16
>>74
>弁証法って当たり前のことを偉そうに言ってるだけじゃない?

そうですよ、それは正しい。形式論理学は必須、というのも方法論的には正しい。
しかし形式論理学に留まり、それに固着すると、その「当たり前のこと」を取り逃がす。

76 :考える名無しさん:04/04/07 01:18
弁証法は頭悪すぎ

77 :考える名無しさん:04/04/07 01:19
確かに弁証法は頭が悪いが、形式論理学はあたりまえのことしか言っていない。

78 :考える名無しさん:04/04/07 01:22
なんでもかんでも「止揚」って言えば済むと思ってるアフォが多いよね。

79 :考える名無しさん:04/04/07 01:23
弁証法も形式論理学も常識。
今は強度だよ。

80 :考える名無しさん:04/04/07 01:26
弁証法的、止揚等の言葉を頻繁に使う奴は馬鹿だと思った方がいい。

81 :hegelian in Kyouto:04/04/07 01:28

これまで、哲学本気組みが参加していません。

腕に覚えのある方、ぜひとも薀蓄を。

説にお待ちしております。



82 :ばかぁ〜:04/04/07 01:29
みなさん、出来ればある程度長文で書いてください。端的すぎて何が言いたいのか
よく解らない。

83 :考える名無しさん:04/04/07 01:32
性的強度をもてあましている者ですが、早漏のヘタレです。
どうしたらいいでしょう?

84 :hegelian in Kyouto:04/04/07 01:36
>>83
どこから来たの?

ここは軽薄短小(w)の釣師が来るところじゃありませんよ。

ほかで釣堀を探してください増し。(w



85 :ばかぁ〜:04/04/07 01:39
>>84
Hegelian in Kyouto さん、何か書いてよ。ヘーゲルについてでもいいし、弁証法に
ついてでもいいから。

86 :考える名無しさん:04/04/07 01:40
性的強度って一番濃密だと思うぞ。

87 :考える名無しさん:04/04/07 01:42
だから強度が弁証法を過去のものにしたんじゃないの?

88 :考える名無しさん:04/04/07 01:43
>>87
そういうこちゃ

89 :考える名無しさん:04/04/07 01:43
弁証法はいるいらないと言う風に扱えるものではない。
弁証法は思考が端的に則ってしまう規則のようなものであって、
選択したりしなかったりすることが可能な方法論などではない、
と了解しておりましたが。

90 :考える名無しさん:04/04/07 01:46
弁証法なんて、意味の中に埋没すれば当たり前のように増殖
するんだよ。
形式論理学にいたっては「はいそうですね、それで?」で終わり。
強度に生きるしかないんだよ。

91 :ばかぁ〜:04/04/07 01:57
「強度」とはドゥルーズあたりの言う強度かな?>>89さんのいうように弁証法は
主体の選択可能な方法論ではない。「この対象を思考する場合、弁証法を使うのは
的確か?」と問うたり出来るものではない。むしろ人が普通に物事を考える過程を
追っていくと弁証法になる。弁証法か強度か?という問題構成自体がナンセンス。

92 :考える名無しさん:04/04/07 02:01
ようするに弁証法というのは意味に埋没してハイになってるだけみたいだな

93 :考える名無しさん:04/04/07 02:02
形式論理学は単純に意味ねーし

94 :考える名無しさん:04/04/07 02:11
形式論理学は当たり前のことしか言わないんだよね。

95 :考える名無しさん:04/04/07 04:50
弁証法はオートポイエーシスに止揚される、と
皮本が言っていたとかいないとか・・・

96 :考える名無しさん:04/04/07 05:00
弁証法は唯物論に堕落して、熱力学第二法則の誤謬的概念になってしまった。

97 :考える名無しさん:04/04/07 06:01
>>96
その理由は?

98 :考える名無しさん:04/04/07 11:16
唯物論が、正しくないから。


99 :考える名無しさん:04/04/07 11:18

異論、珍論、Objection!

100 :考える名無しさん:04/04/07 11:46
>>98
漠然としすぎてるよ。
(唯物論のどこが正しくないから)弁証法が唯物論に堕落したという文になるの?
そして、熱力学第二法則の誤謬的概念がなぜそれに当たるんですか?

101 :考える名無しさん:04/04/07 11:48
98≠96


102 :考える名無しさん:04/04/07 13:33
 
 98≒96

103 :考える名無しさん:04/04/07 13:35
98=96

説明できないくせに適当に書き込んだからドロンしただけと見た

104 :プリン ◆YLH7yuks8k :04/04/07 14:25
>103

自分も出来ないくせに適当に書き込んでみたかっただけと見た

知恵遅れと見た

105 :箜間桐孤 ◆TIGERSM8e. :04/04/07 23:19

く((レ゚ -゚ノァ∩<つぼみは花となり 花は果実となる 
        

106 :98:04/04/08 03:45
言いたいことはあるが、ただで教えてやるのは業腹


107 :98:04/04/08 03:49
ていうか、おまいら本気で自分らが物質だけの存在とか信じてないよね?


108 :考える名無しさん:04/04/08 03:54
E?
魂の実在ですか?


109 :考える名無しさん:04/04/08 03:58

教えて下さい。お願いします。


110 :98:04/04/08 04:05
つまり・・・物じゃなくてテキストだっていうのが最近の話でしょ。
反復可能なもの、コピー可能なものが真の単位であるという、さ。


111 :考える名無しさん:04/04/08 04:08
金か・・・・・・・

112 :考える名無しさん:04/04/08 04:12

        。 ∴;i| i ii|i; ∵。
      。  ∵∴。;i| i ii|i; 。∴ __ ll
        。∵ ;i| i ii|i;∵  。   /   ―――
        ∴ 。;i| i ii|i   ∵;  /
          /⌒ヽ⌒ヽ
          /       ヽ
         /        ヽ  あぁん?
         /          ヽ
          /       Y    ヽ
       /         八    ヽ
      (      __//. ヽ ,, , )
       丶1,,,,;;:::::::::::   八.,,,,;;::'''''!/
       ζ"  ,,,,,,,,,   , ,,,,, , j



113 :考える名無しさん:04/04/08 04:14
きみぃ、やりすぎ違う? もう、しょうがねえなあ、厨房は・・・


114 :家沼:04/04/09 05:48
             真の認識
意見に対し確信的テーゼ
認めざる得ない理論的アンチテ−ぜ
統合、全面的真理の認識。
人間は知ったかさんです。他者との向き合い、我に還る動き 要するに
行為、反省の動きで自らの人格を理解するだけではなく、
「弁証法」的に実現をしていくものなのです。人間は知ったかさんです。
単に理解を深める一仕方みではなく、存在する一つの仕方でもあります、
そこから現実的弁証法、若しくは現実性の弁証法の観念に還元出来る訳で
ヘーゲルが語る人類の歴史における、「一切の人間的現実の弁証法」について
語るのは、この意味になります。  ヘーゲルに由る
昔話しをすれば、力への崇拝に基づく奴隷制度は必然的に、その反対物
要は 最も高い価値としての内面性、精神に依存した宗教 キリスト教を
生ませた事になり、
歴史は、矛盾の法則に従い発展するものであり、歴史的現実こそが弁証法な訳で
多くの哲学体系の見解はこの弁証法の本性に関する相違が認められるものです。
調子に乗りマルクスまで書きたい処ですが、知ったかさんカッコワルイ お願いします。

115 :のなめ:04/04/09 13:31
>>114
>歴史は、矛盾の法則に従い発展するものであり、歴史的現実こそが弁証法な訳で
矛盾の法則って何ですか?

ヘーゲルは「理性とは現実的なものであり、現実とは理性的なものである」と言った
その講義を受けた生徒は「先生は現実は理性的であると言いますが、この世界の現実はちっとも理性的じゃないではないですか」と返した
その言葉を受けヘーゲルは「それは現実が理性的になってほしいということだよ」と言った後
「しまった!」という表情をしてばつが悪そうに退室したそうだ

対話としての弁証法の意義は認める
しかし弁証法的に語られたいかなる理論もまったく無意味であるとわたしは主張する
矛盾があるからこそ発展があるというのは正しいとしても
それは矛盾を放置すれば自然と-歴史によって必然的に-発展が導かれるというわけではない
矛盾を矛盾のまま放置することを避けようとすることによって発展が導かれるのだ
ヘーゲルの弁証法はその悪しき遺産として矛盾を許容する態度を産み出した
しかし、矛盾を矛盾のまま放置することは発展ではなく堕落を招く結果となるだけだ
我々は、アンチテーゼと向かい合いながらも、矛盾を拒否し、矛盾を回避することで発展を得ていくのだ

ジンテーゼという題目のもとに神の座に座るも良かろう
しかし、我々人間は神ではない
自らの無力さを知り傲慢さを捨てるならば、我々はジンテーゼなき弁証法に手法を委ね
永遠に続くアンチテーゼとの対話に身を委ねるべきである


116 :考える名無しさん:04/04/09 22:42
「矛盾」は全ての認識および事物、社会の「発展過程」のうちに存在する。

117 :京のHegelian:04/04/10 02:19
われわれが享受している哲学は、時代を超えて、残ったものである。

人類の歴史は戦争の歴史という事実を、勘案すれば、優れたものを

残そうとした、私たちのご先祖のご苦労がそこに存在したことが、

すぐに了解される。

今、我々は、なにを私ら後輩の人々に残せるのか、残し得るのか?

この反省に立ったとき、<哲学>は、違った相貌を我々の前に

現すはずのものである。


118 :fur es と fur uns:04/04/13 04:18
大学生になったばかりの青二才です。
ものの本にはよく弁証法というキーワードが出てきます。私もいくつか
入門書を読んでみましたが、はっきり言ってよく分かりません。何だか
「言葉遊び」に近いような胡散臭さを感じてしまいます。
そもそも弁証法とは知的活動のTool或いは方法論として今でもなお
有用or有効なものなのでしょうか?

119 :考える名無しさん:04/04/13 04:27
ヘーゲル弁証法の凄さが伝わる入門書は多分ないでしょう。
ヘーゲルには深遠な洞察とハッタリが満ち満ちています。

120 :考える名無しさん:04/04/13 04:31
ジジェクの本あたりを読んだほうが、弁証法が
いかに現代的な意味で実践されるのかがよく分かる鴨。
教科書で弁証法の方法が記述された途端
弁証法は死ぬ。

121 :考える名無しさん:04/04/13 05:39
おはようございます。
>120さん そうですね。
弁証法は単に言葉遊びとは訳が違いますよね。
実践的 尚且つ身をもって経験・体感できる最高の哲学ですね。やはり
文面でダイレクトに理解したければ
現代的で、経験ある大人の言葉が最も理解し易いのではないでしょうか?
昭和を生きた日本の親父の言葉、柄谷さん辺りがお奨めではないかと思います。
人生感が重要です。

122 :シェリング:04/04/13 06:32
君の哲学は非合理な現実を無視する消極哲学だよ君
事実存在に目を向けなさい君、君

123 :ばかぁ〜:04/04/13 12:33
>>118
概説書などでは、弁証法は思弁を積み重ねて「上へ上へ」というイメージがありますが、
このイメージが多くの誤解を生んでいるといえるでしょう。むしろ、硬直化した抽象的
思惟(こっちのほうがまさに「言葉遊び」だ)を自壊させながら「中へ中へ」という思考
こそ弁証法といえると思います。だからこそヘーゲルはこれだけ馬鹿にされながらw、
現在もその価値を失わない。

124 :118:04/04/13 15:48
>>119-123
ご親切にレス有難うございます。
小生が高校時代に読んだのは、岩波新書、講談社現代新書、中公新書等
の書店でよく見かける入門書です。三浦某の御都合主義的、断片的かつ
胡散臭い説明よりも中埜肇氏の説明の方が分かりやすかったのですが、
著者によって捉え方や説明の仕方が違うので、少々頭が混乱しておりました。
(日本の某政治政党の教科書や旧東独共産党の教科書もちらっと目を通し
ましたが、真面目に読む気にはなれませんでした。)

何となく朧気ながら弁証法の輪郭は見えてきたものの、そのエッセンスという
のが"体系的に"つかめないのでイライラしています。今は父親(既に他界)の
本棚にあったローベルト・ハイス、マルクーゼ、加藤尚武、廣松渉の著書を読
み始めましたが、廣松氏の説明は非常に面白いです(勿論、文章自体は難し
いのですが(笑))。これから大学でドイツ語を勉強し、ヘーゲルなども原語で
読んで見たいと思っております。


125 :考える名無しさん:04/04/13 20:57
ただもの弁証法の方がいいよ

126 :ばかぁ〜:04/04/14 00:09
>>124
すごいですね。僕はただの高卒のフリーターなのであっという間に追い抜かれそうですw。
個人的な経験からいうと、エッセンスを体系的につかむ、には邦訳でもヘーゲルの著書自体を
読むのがいいと思いますね。文章を楽しむというか、軽薄に言えば小説を読む気分で読むといい
かもしれない。ヘーゲルやハイデガーには「習うより慣れろ」というのが案外有効だと思う。ヘー
ゲルは驚くほど独自の術語の使い方をしています(特に「理性」という言葉に注意)。
それと「カント哲学との差異」「ヘーゲルは本当にカントを論破したのか」みたいに、カント
との関係で考えるとわかりやすいかもしれません。と偉そうなことを書いていますが、僕もまだ
全然勉強中の身です。失礼しました。がんばってください。

127 :飛べないカラス ◆hslonKolMc :04/04/14 00:32
今までは形式論理学以外の弁証に関する法則を弁証法と呼んでいたが、
脳科学が発展し、脳が言語を扱う際の脳細胞すべての挙動が解明されれば、
弁証法は形式論理学を含む弁証に関する法則すべてを指す言葉になるのでは
ないでしょうか。

128 :ばかぁ〜:04/04/14 01:09
>>127
脳科学にはとても興味があります。ただ、書店で脳科学に関する本を探してみても
なかなかピンとくるものがないのです。脳科学に関するスレッドを読んでも、相変
わらずの「哲学は終わってる」程度の話しかなかったw。もしその手のいい本があっ
たら教えてください。

129 :飛べないカラス ◆hslonKolMc :04/04/14 06:22
>>128
脳科学はまだ始まったばかりといえる。脳科学で解明されたことは少ない。
したがっておすすめできる本もないです。
ちなみにどんなことが知りたいのでしょうか。

130 :考える名無しさん:04/04/16 02:23
ヘーゲル弁証法での労働の「疎外」は人間性の発露や実現であったが、マルクスは
疎外された(よそよそしくなり、生み出した自己と対立するという意味での)
労働ということになった。

131 :考える名無しさん:04/04/16 20:39
一般に諸過程には内在的な対立しあう契機があるが、それらの矛盾は互いの契機を己の否定として否定しあうだけではない。矛盾自体の量的変化としては、
過程そのものが新たな構造生成的過程として自己自身を質的に変化せざらずんば
矛盾の解消としての他在の自己への回復は実現せられ得ぬものである。それゆえ諸過程の外部がさらに、この過程の対立物として現れるのであり。(以下略)


132 :三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/04/16 20:40
自己愛性人格障害、を隔離するのを再優先にしたらどうかと。
(脳障害の自己相対性の無さを本人に気づかせるのは無理でしょう)

133 :考える名無しさん:04/04/16 21:29
生成的過程に対し対立物として外部に出現したものが自己疎外の本質的なものである。

134 :考える名無しさん:04/04/17 01:14
マロニエの根っこが「吐き気」を催すのは、「存在」の意味を把握しようとして
生成しつつある意識という過程に対し、外部のマロニエの根っこに「新たに」
「無意味さの露呈」という様相で出現した「自己疎外(外化)」としての「対象」
なのである。

135 :考える名無しさん:04/04/17 01:26
このことは、フロイトの「投影」あるいはマルクスの「物神性」と関連するが
さしあたりおいておく。

136 :考える名無しさん:04/04/17 01:36
弁証法と言う科学は乗り越え不可能だ。

137 :考える名無しさん:04/04/17 02:12
弁証法は科学じゃないけどね。

138 :考える名無しさん:04/04/17 02:14
つーか「乗り越え」の「動的な論理」を明らかにしようとするものでしょう。

139 :考える名無しさん:04/04/17 02:23
弁証法が科学でなければ意味ないじゃん

140 :考える名無しさん:04/04/17 02:29
三浦つとむを読んで言ってるわけ?

141 :考える名無しさん:04/04/17 02:33
弁証法は科学というより、やはり哲学の範囲ですね。

142 :考える名無しさん:04/04/17 02:39
>>141
いつの時代?
古代ギリシャw

143 :考える名無しさん:04/04/17 02:46
>>142
昔も今も弁証法は科学ではない。術→論→法みたいな展開はあったが。

144 :考える名無しさん:04/04/17 02:48
2ちゃんねるすごすぎ

145 ::04/04/17 03:11
哲学は今も、切実な問題解決に有効でしょうか?
そして、弁証法は、その復権はあるのでしょうか?
私には、分かりません。
混沌とした世界情勢の今こそ、<哲学>と<弁証法>の出番のような気がするのですが。
道は険しいですね。


146 :考える名無しさん:04/04/17 03:21
そこらを言うと、弁証法はマルキシズムの退潮とともに勢いを失った。
それ以前にスターリニズムによる形骸化で、すでにダメになっていたともいえるが
あとは、サルトルの「弁証法的理性批判」という試みもあったが、やや不発に終わった。
ジジェクなどが言われているようだがどれほどのものか?

147 :考える名無しさん:04/04/17 03:27
エンゲルスなどが自然科学に弁証法を適用しようとしたのも疑問が多い。

148 :考える名無しさん:04/04/17 03:33
サルトル自身「現象学」と弁証法を統合すべきだったのだ。
他にもチャン・デュク・タオなどもいたのだが・・・
>>134は、その試みである。

149 :考える名無しさん:04/04/26 00:53
「名無し」は仮象的他者として無規定な抽象としての一般性であるが、
当の他者が固有な本質において把握される時、他者一般から区別され、
個別性を持つ者として現象してくるのであって、これが現前の意味である。


150 :考える名無しさん:04/04/28 00:52
プッ。


151 :考える名無しさん:04/04/28 08:59
>>150
>>149の言ってる意味、わかってねえだろ。
プッ。

152 :考える名無しさん:04/04/29 02:53
>>149

>>「名無し」は仮象的他者として無規定な抽象としての一般性

「名無し」は21世紀初頭におけるいわゆる先進諸国一般における
大衆現象としての、日本における必然性として出現した2CHにおける
<自由な発言>を保証するところの匿名性であって、この低脳の言う
<仮象的他者>でもなければ、<無規定な抽象としての一般性>
(筆者注:認識論のある段階、ヘーゲルは全ての著述が認識論である)

などではない。

>>当の他者が固有な本質において把握される時、他者一般から区別され、
個別性を持つ者として現象してくる

一見難解にみえる語彙を使用しているが、おそらく低脳は、こう言いたかった。
「それぞれ、発語者には、発語に至るまでの認識の活動過程を内包している。
それは、発語者が、社会的生活を維持している以上共同規範としての性格を持つ
その社会・時代の言語によって規定せざるを得ない。また、それ以上にその
発語者の精神形成に大きく関与した個別的生育環境によっても又、規定される。

つまり、個々人の発現は、任意の自由な発現に見えても、いわば、認識論的
法則性によって規定される。

人をなめるんじゃないよ、低脳君。


153 :考える名無しさん:04/04/29 08:53
ヘーゲルなど読んだことないけど字面から判断するに(じゃあ言うなって感じでしょうが)、

>「名無し」は仮象的他者として無規定な抽象としての一般性

この場合の他者は、三人称の他者、あらゆる他者のうちの匿名の誰かを指していて、
或る「名無し」を他の「名無し」から区別できる決定的な既定が存在しない(自作自演の可能性があるため)
が故に、固有な「名無し」としてではなく、没個性的な「名無し」として、「名無し」一般として
了解されている事態のことを言っているんじゃないかな。

だから、
>当の他者が固有な本質において把握される時、他者一般から区別され、
>個別性を持つ者として現象してくる
場合における他者とは、二人称の他者、匿名の他者ではなくていわば顔のある他者のことを
言っており、たとえば或る「名無し」が、以前にあのを発言し、後にこの発言をし、現在はその発言をし、といったことが
明確にわかって、それによって他の匿名の「名無し」とは違い、個別的に認知された「名無し」として
了解されるにいたった事態のことを言っているではないですか。

154 :考える名無しさん:04/04/29 11:31
よくできました。

155 :考える名無しさん:04/04/29 23:17
>>153
>ヘーゲルなど読んだことないけど字面から判断するに

ヘーゲル読んでないやつが哲板来るなよw。

156 :考える名無しさん:04/05/08 04:32
もちろんヘーゲルを読まなくても、哲学は入門可能である。
ただし、大海にこぎ出したなら、ヘーゲルはやがて、大陸として
その真摯な視界に入ってくるはずの物である。
これがわかるなら、弁証法と哲学の関係も自ずと見え始める
ものなのだが。
攻略本じゃないのだから、それ相応の根気と学究心がいる。
本当に哲学を志す物には、常識なのだが、ハッタリだけのおまえに
あえて、忠告をしておく。


157 :考える名無しさん:04/05/08 12:38
156 名前:考える名無しさん 本日のレス 投稿日:04/05/08 04:32
                                       ~~~~~~
こんな時間まで2ちゃんねるですかw

158 :考える名無しさん:04/05/16 01:39
挙げてみよう。


159 :考える名無しさん:04/05/16 02:30
ラッセルを嫁、ポパーを嫁、こんなものにかかわってる時間があればちゃんと勉強しろ。

160 :考える名無しさん:04/05/16 02:32
哲学とは、世界の事実・事象から演繹された、世界を丸ごと
捉えようとする人類の歴史的知的営為である。
弁証法とは、世界の事実・事象を解明しようとして人類が気づいた
世界そのものに存在する、人類から見られた法則性である。
 ・・・・・・
そして、その歴史を忘れて、哲学不毛の現在を迎えているのである。
お分かりか?


161 :考える名無しさん:04/05/16 02:37
>>159
藻前え、抜けてるだろ。

ヘラクレイトス、アリストテレス、ガレーヌス、
クザーヌス、カント、シェリング、ヘーゲルが。

そのあとだな。
おまえのいう<ラッセルを嫁、ポパーを嫁>。
吉野家の牛丼を食って、神戸牛を食ったつもりなら、
何も言わないが。(w


162 :考える名無しさん:04/05/16 03:04
やっぱり、誰も答えられないか。
それでは、沈黙しかないな。(w


163 :考える名無しさん:04/05/16 03:16
>>159
ちゃんと勉強しろよ。(プッ!


164 :考える名無しさん:04/05/16 03:33
本当に哲学を志す物には、常識なのだが、ハッタリだけのおまえに
あえて、忠告をしておく。 (プッ!




165 :考える名無しさん:04/05/16 03:35
ヘーゲルの弁証法とは、
対立するテーゼとアンチテーゼがあって、
両方の良いとこを保存して、高次の合(ジンテーゼ)に高める。
(これを止揚といいます。)
これが弁証法です。

定立(テーゼ)⇔ 反定立(アンチテーゼ)
       ↓
       合(ジンテーゼ)

166 :考える名無しさん:04/05/16 03:35
>>164
哲学の定義を言ってみろ。
もし、いえたらで良いのだが。(w


167 :考える名無しさん:04/05/16 03:37
>>165
世間一般にそういう誤解が流布している。
だが、それは、日本では明治時代の古いとらえ方であり、
大正時代には、乗り越えられている。


168 :考える名無しさん:04/05/16 03:39
>166
>>156

169 :考える名無しさん:04/05/16 03:41
>>168
はぐらかすな!


170 :ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/05/16 03:43
>>165
このほうが解りやすいよ。

「抽象的側面 あるいは 悟性的側面」
        ↓
「弁証法的側面 あるいは 否定的理性の側面」
        ↓
「思弁的側面 あるいは 肯定的理性の側面」


171 :165:04/05/16 03:49
>>167

では、正しい弁証法を教えて下さい。

172 :ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/05/16 04:30
「一方では悟性は現象しか認識しないことを認めながら、他方では『認識はそれ以上に
進むことはできない、そこに人間の知識の自然的な、絶対的な制限がある』と言うこと
によって、この認識が絶対的なものであることを主張するのは、この上もない不整合で
ある」ヘーゲル「小論理学」第60章

上記のヘーゲルによるカント批判を「言葉遊び」「禅問答」と取るか、「カントの乗り
越え」と取るか、は大きな試金石となると思います。もちろんラッセル、ポパーは前者
の見解。

173 :考える名無しさん:04/05/16 06:20
>>172
わかりやすい分水嶺だ。

ポパーだと、なぜ科学が反証主義を取ることが有効なのかとか、
なぜ科学が反証主義を取るのかということで、かかわってきそうなもんだが。
「抑圧」ですか?w

分析哲学のせいでヘーゲルに、構造主義のせいで現象学に、偏見を持ってる人がけっこういそう。

174 :考える名無しさん:04/05/16 21:16
ラッセルとポパーはヘーゲル弁証法批判で有名だからあげてるんだろが。それを読めば目がさめる・・・かな。
>>159
なにもわかっとらんなこの低脳は。

175 :考える名無しさん:04/05/16 21:46
弁証法は真剣に意味わかりません。
哲学辞典とか読んでも、さっぱりわかりません。書いている人が
わかっているとも思えません。
カントのカテゴリーみたいなものなんでしょうか。つまり
「人間が世界を認識しようとするとき必然的に従う枠組み」のような。
あるいは
「いろいろな科学的発見や理論の積み重ねの結果、そのすべてに共通する
弁証法という法則が発見された」という意味なのでしょうか。
あるいは端的に
「神様が世界を弁証法に基いて創ったから世界は弁証法的だ」
というニュアンスでしょうか。

176 :ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/05/16 23:51
>>175
>カントのカテゴリーみたいなものなんでしょうか
「人の思考形式を束縛する枠組み」ということならば一面で合っていると思います。
例えば人が「Aというこのもの」を直接的に認識するという場合、
Aを認識する→A以外のものではないものとしてAを認識する→Aを認識する
という過程を必ず取るということです。最初と最後は同じ「Aを認識する」ですが、
中身は違っています。例えば、今は昼である→今は夜や朝でなく昼である→今は昼である
ぶっ続けで昼間から深夜まで議論をしていた人達から「君はさっき『今は昼である』と言った
じゃないか、矛盾してる!」などというバカげた論点が出ないことは自明です。つまり
「今は昼である」という、通常では直接的認識と言われているものが、実は上記の思考過程
により媒介されているということがわかります。

177 :考える名無しさん:04/05/17 19:02
>>176
暑さや寒さを感じる時も媒介されているのですか?

178 :考える名無しさん:04/05/17 19:16
マルクスが、「微分は矛盾である。何故なら0÷0は矛盾だからだ。
よって微分は矛盾から止揚した弁証法の典型例である」
とかいったみたいだけど、まさかこのスレの方もそう思っているの?


179 :考える名無しさん:04/05/17 21:52
暑さは寒さによって暑さである。
Aは非AによってAである。

180 :THE グル:04/05/17 21:56
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄


181 :考える名無しさん:04/05/17 21:59
弁証法って酒井の読解法じゃないの?

182 :考える名無しさん:04/05/17 22:04
>>178
数学科で偶にでる笑い話の一つですな。

183 :考える名無しさん:04/05/17 22:25
マル・エンの言う「科学的」は噴飯物なのが多いよね・・・

量的変化の質的変化への転化の法則
の例として、

「水は標準気圧のもとでは、摂氏零度で液体状態から固体状態に移行し、
摂氏100度では液体状態から気体状態に移行するのであって、
従ってこの場合にはこれら 2つの転換点では、温度の単なる量的変化
が水の質的に変化した状態をひき起こすのである。」

トホホだね・・・

184 :考える名無しさん:04/05/17 22:48
弁証法を主張する人は、微分は矛盾していると主張するのか…?
>>183
その辺の記述で○・縁から距離をとるようになった人は結構いるよね。
そういえば、エンゲルスが電気かなんかの働きを弁証法で解説していたのがあったが、
(確か反デューリング論だっけかな?本の題名失念)

あれもトホホだな。
 

185 :考える名無しさん:04/05/18 04:24
ヘーゲル的には自然科学そのものは成ったものとしては悟性レベルにある学であるが、その真理を見出す
理性の運動や対象およびその概念の変化は弁証法的なものだ。
ということになるのだろう。

186 :考える名無しさん:04/05/18 11:05
>>183-184
「自然の弁証法」でしょう。

それと、「弁証法の三大法則」や、「自然科学に見られる弁証法」を主張したのは
エンゲルスであり、マルクスではない。

そのへんのところは、最近ご無沙汰のかのOFW氏もマルクス・スレで、
上記のような「弁証法解釈」を一笑に付してますた。



187 :考える名無しさん:04/05/19 00:40
マルクスの微分はどう説明するわけ?

188 :考える名無しさん:04/05/19 01:20
>>187
出典教えて

189 :ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/05/19 01:26
>>188
これのことですかね?

84 :Kurihara :03/12/02 23:23
>以前クリちゃんが言及してたな。数学系のスレだったか。

「マルクス数学手稿」のことですかね。

カール・マルクス 著、ソ連ML研究所 編、菅原 仰 訳
微分学に関するマルクスの独自の考察,数学上の文献からの抜粋・
梗概,その批判や注釈を収めた異色の数学ノート.マルクスの思想
,方法,弁証法の特質に新たな光を投じる.全集未収録.

刊行年月日:1973/4/27

ttp://www.otsukishoten.co.jp/search/Detail.asp?ID=898


190 :考える名無しさん:04/05/19 01:26
>>187
187じゃないけど「数学手稿」かマルクスが微分積分の研究したノート。
MEGAになら入っていると思うけど。

191 :考える名無しさん:04/05/19 02:36
これ読んでみて下さい。形式論理側からの弁証法へのアプローチです。
http://plato.stanford.edu/entries/dialetheism/

192 :考える名無しさん:04/05/20 16:19
>>186
坂田昌一、武谷三男(素粒子論)はエンゲルスの自然弁証法に一目置いていた。

マルクス・エンゲルスにかかれば運動するだけで矛盾なんだから、
今さら何が矛盾と言われようと驚くことはないと思うんだが。

193 :考える名無しさん:04/05/20 17:56
一番わからないのは、弁証法というのは
1.観察や実験の結果から帰納的に導き出された法則性
2.直感によって捉えられた「世界の原理」みたいなもの
どちらなのでしょうか。
「実証的な検証」の対象になり得るものかどうか、ということですが。

194 :考える名無しさん:04/05/20 18:35
原理と言うより、特定の場合に威力を発揮する考え方。
何でもかんでも適用できる訳じゃない。

195 :考える名無しさん:04/05/20 23:44
武谷は物理学者としてはまったくの三流で駄目
坂田はクオークモデルの原型を作った。その際に武谷の三段階論がヒントになっている。
しかし、アイデアの源泉とアイデアそのものは区別すべき(夢がヒントになる場合を考えてくれ)という常識を押さえれば
弁証法の正しさの傍証にもならない。

弁証法批判はポパーのものが徹底的だけど、形式論理学からの定式化もあるのでhttp://plato.stanford.edu/entries/dialetheism/
一概にバカにできない。

196 :考える名無しさん:04/05/21 07:40
「弁証法」って言いたいだけちゃうかと

197 :考える名無しさん:04/05/21 19:13
自然演繹か

198 :考える名無しさん:04/05/21 19:36
abduction

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