5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

死んでいい人間はいるか否か

1 :考える名無しさん:04/03/05 09:25
ある人は言う「この世に死んでいい人間なんていない」と
俺は思う死んでいい人間はいると。
みんなでいるか否かを語りたい。

2 :考える名無しさん:04/03/05 09:28
平和な社会の維持のためには、死んでいい人間は存在する。
健康な体の維持にとって、死んでいい細胞が存在するがごとく。


3 :考える名無しさん:04/03/05 09:33
しかし、癌細胞は周りの健康な細胞をも癌化する。
つまり、癌に毒され、回復不可能な社会では癌こそが正義となる。
癌の正義が蔓延した社会では、死んでいい人間は存在しない。


4 :考える名無しさん:04/03/05 10:12
死んではならない人間は存在しない。

終了

5 :考える名無しさん:04/03/05 10:48
身体も社会制度であり、物理的・生理的身体の領域すら影響を及ぼしうる
政治的身体であるという構造主義を踏まえない議論はくだらないだけです。
のみならずここでのカキコはだらしなく連想に自閉している。

6 : ◆8ADoZCl6.k :04/03/05 11:04
>1
それをいったら貴方自身もそれに該当しちゃわない?

7 :考える名無しさん:04/03/05 11:05
ぴかぁ〜 ソフィア くりはら ききき は更生できないから、もうイイんじゃない?

8 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/03/05 11:41
一緒にすんなー

9 :考える名無しさん:04/03/05 11:56
とりあえずこういうクソスレを立てた>>1が死んだほうがいい人間なのは確か。

================== 終 了 ==================

10 :考える名無しさん:04/03/05 13:47
何を尊重するかによるんじゃない?
共存を前提にした社会においては排除を必要とするケースもあると思うが、
その社会から外れれば逆にそいつ個人を尊重することも可能だろうし

死んでもいい人間かどうかは結局その人が決めるものでは?

11 :考える名無しさん:04/03/05 14:03
「いい」の意味次第だな。
「死ぬと喜ばれる人間」なら、確実にいる。
社会的な地位が高いほど、その可能性は高い。

12 :考える名無しさん:04/03/05 14:05
『生きるに値しない命を終らせる行為の解禁』を読もう

13 :昼行灯:04/03/05 14:36
死んではならない人間は死んでいいのでは?

14 :考える名無しさん:04/03/05 14:58
「死んでいい」どころか「生きていてはいけない人間」と定義されたシロッコ様の偉大さが、いまクローズアップされつつあります。

15 :考える名無しさん:04/03/05 15:04
「死んでいい」と一体誰から許可されるのか?
「死んでほしくない」人間、「死んだら喜ばれる」人間ってのは
確かに存在するだろう。「死んでいい」と許可することができるモノ
があるとしたら、それは神位しかいない。
その人間の命は育ててくれた保養者のものでも恋人のものでもない。
半身をぶっ飛ばされて痛みで苦しんでる瀕死の兵士に、生きろと強要
する権利は誰にもない。自分で決めることだ。

でも自殺は否定するけどね。。

16 :考える名無しさん:04/03/05 15:06
>>15
なぜ、「自殺するかしないかは当人が決めることだ」と言わないのだね?

17 :考える名無しさん:04/03/05 15:07
生きていて困る香具師は結構いる

18 :考える名無しさん:04/03/05 15:09
自殺はしてほしくないから。
「死んで喜ばれる」人間がいること=自殺しようが本人の自由
ではないと思うから。しても良いとは意地でも言いたくねぇ

19 :昼行灯:04/03/05 15:12
今、テレビで赤かぶ検事だかなんだかを見てるけど
やっぱ爺はいいことを言うね
自殺で死にきれなかった女性に
「わたしは運命論者ではないが、生とか死とかは人間の範囲を超えたとこにあると思うんだよ
つまり、自分で終わりを決めちゃいけない、この歳になってわたしはそう思うよ」

この言葉って哲学的な含蓄がとてもあるように思える



20 :考える名無しさん:04/03/05 15:20
いい言葉だな。そういうことかもな。

21 :考える名無しさん:04/03/05 15:26
>>18
それだったら、15の「自分で決めることだ」は間違っている。
「他人が決めることではない」だったらいいだろうけど。

22 :考える名無しさん:04/03/05 15:27
いい言葉だけど、運命論だよう。

23 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 15:32
>>22
そうかな?
俺は不可知論の立場だと思う


24 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 15:34
例えば「運命が終わりを決定する」という意見もまた
その意見が終わりを決定していると言えるのではないかな?
こういうのは言葉遊びの域を越えないのかもしれないけど

25 :考える名無しさん:04/03/05 15:39
不可知論か。しかし「・・・てはいけない」という思いは、どこから
でてくるのだろう?

運命論? 運命論者なら、「自殺したくなって自殺するのもそいつの
運命だ。自殺したくなってしようとするが失敗するのもそいつの運命
だ」って言うんじゃないか?

26 :考える名無しさん:04/03/05 15:43
>>19
その作品を書いたのは爺ではないわけだが。

27 :考える名無しさん:04/03/05 15:45
21 んじゃ訂正。他人が決めることではない。だが自分の価値を見いだせな
いから自殺する、という観念を俺は認めることはできない。


28 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 15:45
>>25
>不可知論か。しかし「・・・てはいけない」という思いは、どこから でてくるのだろう?
不可知論の源泉になっているであろう知的謙虚さを内側から支える道徳さであるとわたしは考える

不可知論てのは自分の知の限界の外側を設定する行為だ
決して自分の知の限界の外側を無意味視する態度ではないとわたしは考える

この態度はその根源的な部分に、「わたしは自らの独断に安住しない」という独断を避けようとする倫理的要請が働いているとわたしは考える
もちろん、この倫理的要請すら信じるに値するかどうかを断定はできないものであるが
この倫理的要請の働きによって「・・・してはいけない」という思いが発生するのだと思われる

ちと文章変なとこは酔っ払いてことで勘弁



29 :考える名無しさん:04/03/05 15:46
>昼行灯
>25
お前ら頭悪いよ

30 :考える名無しさん:04/03/05 15:48
>>27
19世紀だったらそれでよかったと思うし、
今でもその考え方は悪くないと思うんだよ。
だけど、実際に自殺を考える人間は、
そのような割り切り方をしているわけではない。
価値とか目的とかいうのは、それしか言葉がないからなんだよ。

31 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 15:48
>26
きっと書いたのもじじいさ
内容はくだらなくて見る気もないんだけどね

32 :考える名無しさん:04/03/05 15:49

人殺しは死刑だろ?

33 :考える名無しさん:04/03/05 15:49
>>28
なるほど、興味深い考え方だ。

34 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 15:50
>>32
論理的に一番釣り合いがとれるのは死刑だわな
でも、俺は論理の中ではこの現実世界に生きてるから現実的によい方法がいいな


35 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 15:51
訂正

>俺は論理の中ではこの現実世界に生きてるから現実的によい方法がいいな
      ↓
俺は論理の中ではなくこの現実世界に生きてるから現実的によい方法がいいな



36 :考える名無しさん:04/03/05 15:51
まずブッシュとビンラディンから?

37 :考える名無しさん:04/03/05 15:55
>>28
そんな単純な倫理的要請なんか、すぐルサンチマンに転化するよ。
この板はそのような「倫理的要請」に忠実な懐疑主義者の巣窟じゃねーか。


38 :考える名無しさん:04/03/05 15:57
>>34
釣り合いがとれるという言い方があらわす判断は
論理的・分析的判断ではなくて
総合判断ですが

39 :考える名無しさん:04/03/05 15:58
30 う〜んそうか・・自殺したいと考えてる奴はそれだけで
割り切れないものをもっているから?価値を見出せなくとも
生きれば良いことはあるぞ、とかいっても仕方ないもんなぁ。。
逆に言えば価値や目的以外のものに興味を持てれば自殺は防げる?
のか・・
もしや板違い・・・スマソ

40 :考える名無しさん:04/03/05 15:59
「わたしは運命論者ではないが、生とか死とかは人間の

範囲を超えたとこにある →運命論

と思うんだよ

(ゆえに)つまり、自分で終わりを決めちゃいけない、→運命論

この歳になってわたしはそう思うよ


                       byカルヴァン


41 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 15:59
>>37
なに、そんなことはない
「懐疑できるものは間違っている(ないし、意味がない)」というテーゼもまた懐疑できるものだしな



42 :考える名無しさん:04/03/05 15:59
「わたしは運命論者ではないが、生とか死とかは人間の

範囲を超えたとこにある →運命論

と思うんだよ

(ゆえに)つまり、自分で終わりを決めちゃいけない、→運命論

この歳になってわたしはそう思うよ


                       byカルヴァン


43 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:00
>>38
悪かったね
自分の脳で考えなくてカントから引っ張ってきただけだからね

44 :考える名無しさん:04/03/05 16:02
>>41
んで何も結果を生まないが、それは俺が懐疑しているからというわけか。
そういうのをルサンチマン、っていうんだよ。

45 :考える名無しさん:04/03/05 16:03
>>43
理由付けではなくて、権威付けをしたわけですね。
カントは応報刑論者だからねえ。

46 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:04
>>44
結果を生む必要があるの?
あるならその理由を教えてくれ

そういえば「ルサンチマンてのがすでにルサンチマン」ていうのがあったな




47 :考える名無しさん:04/03/05 16:04
何を主眼に置くかによる。
環境という視点からすれば全員死んだほうがいい。

48 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:06
>>45
をいをい
俺の文章をもう一度読んでみてくれ
応報刑の方が釣り合いはとれているだろうがそれはロジックの中だけで
それを現実にそのままあてはめるよりは、現実がもっと良くなるような方法がいい
って俺は語ってるだろ

てきとーに中傷しようとするなよ
まじめに中傷してくれたらまじめに答えるからさ




49 :考える名無しさん:04/03/05 16:08
>>43
理由付けではなくて、権威付けをしたわけですね
カントは応報刑論者ですもんね

50 :考える名無しさん:04/03/05 16:09
>>48
応報刑がロジックとして成り立たないと言われているのではないか

51 :考える名無しさん:04/03/05 16:11
>>46
「倫理的要請」に忠実な人から見れば、ある問題を
「懐疑主義的」に考えずに、成果を正当化「したがる」人は、
ルサンチマンに見えるな。

問題はルサンチマンの中身だがな。

52 :考える名無しさん:04/03/05 16:13
昼行灯にとって、カントの考えに従うこと=論理的らしい

53 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:13
>>49
だから俺は応報刑には否定的なんだって!
お前は批判する相手に大御所をもってくることが権威付けだと考えるのか?

お前のように、「理由付けが正当的なものかどうかだけがその理論の判断基準となりうる」という考えこそ権威主義的なんだよ
なぜなら、いかなる理論にも正当な理由付けを行うことはできないからだ
俺のこの意見に反論があるなら、何でもいいから正当な理由付けなり、絶対に正しいテーゼ(もしくは論理式なり)を提出してごらんよ


54 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:14
わーたよ
「論理的」という言葉は撤回しよう
「理論的」ないし「形而上学的」、「非経験的」これなら、満足できるか?




55 :考える名無しさん:04/03/05 16:15
>>53
>応報刑に否定的
そんなことは全員承知してると思いますが

応報刑に否定的と応報刑の論理に否定的の区別がつかないんですか

56 :考える名無しさん:04/03/05 16:17
>>54
大満足です


57 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:17
>>55
そういえば、カントは「汝の意思の格率が最大限になるように汝の行動を示せ」という考え方をもっていたね
この原理を導入すれば
「人を殺した人間には死刑がふさわしい」という考え方は論理的に正しいと言えるのではないだろうか?


58 :考える名無しさん:04/03/05 16:17
おっと、「理論的」はいけませんね
「形而上学的」ならOKです

59 :考える名無しさん:04/03/05 16:18
>>57
そういうのを形而上学というんだが・・・

60 :考える名無しさん:04/03/05 16:20
>>57
「導入」という言葉で導入の当否を検討せずにすますのはやめよう

61 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:21
>>59
別に形而上学が無意味だとは俺は考えていないしー





62 :考える名無しさん:04/03/05 16:22
>>57
〜ふさわしい、が最大限になると言えるなら、正しいといえるけど、
行為の論理性を大小で規定することなんてできるんですか?

63 :考える名無しさん:04/03/05 16:23
>>61
また論点ずれてるんだが・・・

「論理的に正しい」と、形而上学という限定をつけずにいうことと
形而上学だと断わってその理論の内部で「論理的に正しい」という
言い方をすることでは、同じ言葉を使っていても、用法が全然違うだろ。

64 :考える名無しさん:04/03/05 16:24
結局のところ、昼行灯にとって、カントの考えに従うこと=論理的らしい

65 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:27
>>62
カントの善規定テーゼは、
要は、「自分だけ」「今だけ」「今回だけ」というような辻褄合わせを放棄するのが善というもの

「他人は死んでもいいけど自分が死ぬのはダメ」というのは善ではない
善とは普遍的なものなのだから、自分が選んだ選択が他の誰が選んでも納得できるものでないとならない、というもの
つまり誰かをころした人間は自分が殺されることを了承せねばならない、という感じかな


66 :考える名無しさん:04/03/05 16:28
>>65
いや、「行為の論理性を大小で規定することなんてできるんですか」?

67 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:29
>>63
>「論理的に正しい」と、形而上学という限定をつけずにいうことと
ま、そう言いなさんな
そんなこと言ってるとそれこそ何も語れなくなるぞよ

例えば「論理的に反証可能」という言葉も、厳密には論理的じゃないじゃん!



68 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:30
>>66
最大限(MAX)だからね、その表現は可能だと思うよ

69 :考える名無しさん:04/03/05 16:30
>>65
俺には、辻褄合わせをしているのは、カントのように見えるが。
自分だけ、今だけという判断を放棄すると、なぜ辻褄あわせでないことになるんだ?
そういうのを辻褄あわせと言うのだろ?

70 :考える名無しさん:04/03/05 16:31
>>67
形而上学の「論理」と論理を混同するのはやめるべきという話からそらすなよ。

71 :考える名無しさん:04/03/05 16:32
>>68
「表現が可能」であるからといって、規定できることを示したことにはなりませんが?

72 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:32
>>69
善ってさー
特定の誰かにあらわれるものと思う?
「俺がやる行為は善だけどあいつがやる行為はすべて悪だ」って言葉はニヒリズムでもない限り受け入れられないものじゃないかな?
善という言葉には「普遍的」という意味合いが込められているように思えるが
それはわたし限定の感覚ですか?


73 :考える名無しさん:04/03/05 16:34
なんで応報刑論に否定的な立場が応報刑論の論理を肯定的に理解するのかわからない。
応報刑論の形而上学的な論理を肯定する人間は、そのまま応報刑論者ということになるはずだが。

反語的に応報刑論を支えたいのかな?

74 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:35
>>71
では何か規定できるものの例を挙げてみれば?


75 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:37
>>73
ロジックは肯定的に理解するのが対話の条件だと俺は教わったのですが、違うのですか?


76 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:38
ちとシャワー浴びてきていい?

77 :考える名無しさん:04/03/05 16:39
>>72
判断対象を個別的にするのと、価値を認める対象を特定の個に
限定することは、全く別の話ですが。

78 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:40
ちと訂正いれるね

ロジックは肯定的に理解するのが
    ↓
ロジックは肯定的に解釈するのが


79 :考える名無しさん:04/03/05 16:40
>>74
いや、証明するのはお前の側だろ。最低だなオイ

80 :考える名無しさん:04/03/05 16:41
>>75
その通りだから>>73のように思ったんだけど。

81 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:42
>>77
そう言われるとそれまでだな

ところで、君の意見は沈黙と理解してよろしいですかな?


82 :考える名無しさん:04/03/05 16:42
>>76
帰っていいよ

83 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:43
>>80
批判する相手の意見がつじつまがあっていると解釈した上で批判するのが対話の作法なんでしょ?


84 :考える名無しさん:04/03/05 16:45
>>72
普遍的になるのは、善が普遍的にそのように使われるからであって、
善が先天的にその性質を備えているからではないだろ。

85 :考える名無しさん:04/03/05 16:46
>>83
「つじつまがあっていない」と批判する可能性はないの。
もっともらしく不可解なこと言わないで欲しいんだけど。

86 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:46
>>84
ごめん、ちと理解できなくなってる


87 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:48
>>85
んじゃ俺が応報刑にとりあえずの肯定的解釈を与えることは問題ないでしょ?


88 :考える名無しさん:04/03/05 16:50
>>87
肯定的解釈の意味がわからない。
そういうブラックボックス使うの汚い。

89 :考える名無しさん:04/03/05 16:52
昼行灯は、カントの枠組みには全く無批判だな
>>84は普通の一般人の意見だよ
これが理解できなくなってるのは、そうとうやばいよ

90 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:54
>>88
相手の意見が成立する土壌とでも言うべき価値観を認める、(この表現OK?)
(俺は何らかの価値観から切り離された意見てのは存在し得ないと考えているからね)

その上でそれを批判してさらに良い価値観を提示していくというのが対話の作法なのではないのかな?
その過程で多くの経験的な事柄との関連性を述べていくというのが対話かなと・・・・


91 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 16:56
>>89
批判というものはその批判が問題とする問題点に即して行われるものだから、などとお茶を濁してみる


92 :考える名無しさん:04/03/05 16:56
>>90
「相手の意見が成立する土壌とでも言うべき価値観を認める」ところから
はじまってどうすんの。そういうのを無批判って言うんでしょ。

93 :考える名無しさん:04/03/05 16:58
>>90
ロジックの話をしてたのに、どうして価値観がすべりこんでくるんだ?

94 :☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/05 16:59

生態系を崩すほとんどの人間は死ぬべき。

95 :考える名無しさん:04/03/05 17:00
昼行灯は、言葉の普遍性は、用法によって規定されると思ってるの?
それとも、本質に規定されると思ってるの?
後者のように考えているなら、例えばリンゴについてどう考えるの?

96 :考える名無しさん:04/03/05 17:01
キキ+キが入ってきたので終了です

97 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:01
>>92
だって、相手の価値観を認めなければ批判できないものじゃないの?
俺は絶対的な価値観を知らないし、そのようなものがあるとは思えない
だから自分が良いと考える価値観が何らかの価値観よりも、相対的により良いということを示す必要があると考えるのだが・・・

しょせん人間、神にはなれんのよ


98 :考える名無しさん:04/03/05 17:01
>>91
お茶を濁してみる、などと書かずに、素直に受け止めたほうがいいと思われ

99 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:02
>>93
一切の価値観から切り離された論理に関して記述している文章が存在するなら、俺の意見は間違っていると思うよ


100 :考える名無しさん:04/03/05 17:03
>>97
絶対的な価値観がないことから、ある価値観を肯定するという
結論は導かれないでしょ?

何言ってんのって感じなんだけど。。。

101 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:03
追加
別に論理に関してのみ記述している必要もないか


102 :考える名無しさん:04/03/05 17:04
>>99
お茶を濁してばっかりだな。

103 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:04
>>100
そうかな?(ニヤリ
だが、絶対的な価値観が存在しないということも証明できないぜ!


104 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:06
>>102
俺は自分の意見は9割9分間違っていると思ってるからね


105 :考える名無しさん:04/03/05 17:07
>>97
>だから自分が良いと考える価値観が何らかの価値観よりも、相対的により良いということを示す必要があると

そうじゃないだろ。なんでそうなる。

自分が良いと考える価値観と、相手の価値観の相違を検討して
相対的に良い価値観を求めるべきなんじゃないのか。
どうして、相手の価値観を肯定するところから入るんだ?

・・なんか肯定という言葉の使い方がぴかぁ〜っぽいな。

106 :考える名無しさん:04/03/05 17:08
>>103
さっきから連想しか書かないね・・・自分の過去の発言に責任もったら?

107 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:09
>>105
>どうして、相手の価値観を肯定するところから入るんだ?
いきなり否定から入ったら対話が成り立たないかと思われ・・・・・・

それと俺はピカとは違うよ
俺はピカ大嫌いだからね
でも、ちょっと見ないうちピカの理論がだいぶ変わったなと感じてる



108 :考える名無しさん:04/03/05 17:09
>>106
俺もそう思った>ぴかぁ〜っぽい

109 :考える名無しさん:04/03/05 17:10
>>107
判断保留という判断はないのかよw

110 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:11
>>106
まー、同じ問題を共有していないからね
一応、過去の発言には責任をもってるよ♪
その証拠に批判に対して答えてるじゃん


111 :考える名無しさん:04/03/05 17:11
>でも、ちょっと見ないうちピカの理論がだいぶ変わったなと感じてる

これ蛇足。
これ怪しげ。

112 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:12
>>109
判断保留でもなんでもいいよ
ただ、「判断保留」という言葉の言いたいとこは、むしろ、「決断保留」であると思われ
行動を保留するという程度の意味かと


113 :考える名無しさん:04/03/05 17:13
>>110
>>100への>>103では、そうかな? (以下連想)なんですが、
こういうのって普通答えてるとは言いませんよ。


114 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:15
>>111
ピカって少し前はさー(知ちゃんねるのころ/つまり俺が批判していたころ)
真理の存在を認めてなかったし、議論には無意味という程度の態度だったじゃん
最近の意見を見るとそれが少し変化していると俺は解釈しているんだが

ま、ピカの言葉はあいかわらずだがな


115 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:16
>>113
>絶対的な価値観がないことから、ある価値観を肯定するという
>結論は導かれないでしょ?

んじゃ、この文章、証明してくだされ


116 :考える名無しさん:04/03/05 17:17
>>112
なんでもいいではすまないだろ。

今回の場合であれば、カントの原理を無批判に受け入れるところから
論理的正しさを問題にするんだから。原理に対する批判はないのか、と
さっきからつっこまれてるのに、ずっとのらりくらりだ。

117 :考える名無しさん:04/03/05 17:20
>>115
いや、そちらが導こうとしたんでしょ?

>>97をそっちが証明することが、>>110にいう「答える」ことでしょ?

最低ですね、あなた。





118 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:20
>>116
俺はカントの原理は正しいと考えてるからね

でも君の意見を聞いて確かに疑問に思った
カント自身は死刑に対して肯定的な言葉を述べてたね
うーん、でも、もしカントが今の世の中にいたらきっと死刑に反対しただろうと思うんだ

だって「完全なる善の行為をしなくちゃいけない」なんてカントも俺も言ってないじゃん



119 :考える名無しさん:04/03/05 17:21
昼行灯の手口はぴかぁ〜と全く同じだよ。
言葉遣いが違うだけで、性質がまるっきり同じだ。

120 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:22
>>119
そいつは失礼
ただ、俺とピカが正当化主義ではないという意味では、たしかに俺もピカも同じだ
ただ俺は合理主義であるのに対し、ピカは非合理主義だね


121 :考える名無しさん:04/03/05 17:25
>>118
こっちに同調して見せて、批判>>116を回避するのはやめろよ。
「カントの原理は正しいと考える」のが、原理を採用する理由ならば、
それはカントの権威に頼る自己の立場に無批判なだけだろ。

カントの価値観を受け入れてるんじゃなくて、
自分の価値観を無批判に権威付けして正当化しているだけだろ。

122 :考える名無しさん:04/03/05 17:26



123 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:26
>>117
>いや、そちらが導こうとしたんでしょ?
>>97だよね?
どこに導こうとした形跡がある?
俺はむしろ自分の意見が間違っていると証明されようとしたんだよ



124 :考える名無しさん:04/03/05 17:28
ぴかぁ〜は自己正当化のために非正当化主義をとる最低野郎

125 :考える名無しさん:04/03/05 17:31
>>123
前提した形跡があるけど?
「相手の価値観を認めなければ批判できない」

重要なのは、「だから、カントの原理を受け入れるところからはじめる」と
してたことでしょ?

126 :考える名無しさん:04/03/05 17:32
その実自分の原理だけどなw


127 :☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/05 17:33

☆キキ+キ゚Д゚♪がサバゲー板に侵略( ̄ー☆キラリーン

哲学があれば怖いものなんて無い≧(´▽`)≦アハハハ

http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/gun/1078414959/

哲学的侵略だぜ、お前等ヽ(゚∀゚)ノ

128 :考える名無しさん:04/03/05 17:34
>>124
全くその通りですね

129 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:34
さて、つらい立場だな
近代と脱近代の両方から責められるというのも

とりあえずシャワーを浴びる前に引用して逃げとくわ

>多くの権威主義的な問いがそうであるように、
>知識の源泉についての問いは、由来についての問いでもあります。
>この問いは、知識はその血統によって正当化されうると信じているために、知識の起源を問うのです。
>このような問いの根底にある(時として無意識の)形而上学的な理念は、人種的に純粋な知識、混ぜものの一切ない知識という理念です。
>わたくしが、「誤りを発見するために、われわれは何ができるか」と問題設定を修正したのは、
>そのような混ぜ物のない、誤ることのない源泉など存在しないし、
>知識と純粋さへの問いを、妥当性と真理への問いと混同してはならないと確信するからです。

ラスト、>>125に答えて終わりにするね

130 :考える名無しさん:04/03/05 17:35
昼行灯は、「のらりくらりマン」に改名したほうがよさげ

131 :考える名無しさん:04/03/05 17:35
>>129
兄さんですか?

132 :考える名無しさん:04/03/05 17:37
>>129
そこで引用ですか
自分の意見なら自分の意見としてと断わって引用してくださいよ
引用は、後から引用先の趣旨と違うとかなんとか言って逃げる手が
残りがちなので、ちゃんと退路を断ってください

133 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:37
>>125
>前提した形跡があるけど?
>「相手の価値観を認めなければ批判できない」
うん、俺の意見だね

>重要なのは、「だから、カントの原理を受け入れるところからはじめる」と
>してたことでしょ
俺が問題として扱いたかったのはそこだわな

まー俺個人の意見だ、断じて真理などではない
ただ、「議論の場では真理以外を発してはいけない」とは知らなかったものでね
つきましては、その価値観を証明していただけますかな?


134 :考える名無しさん:04/03/05 17:42
>>133
いや、「俺の意見だね」・・・じゃなくってさ!

なぜ、絶対的な価値観がないと、「ある特定の」価値観
(カントの原理の受け入れ、普遍の理解の仕方)を
肯定するという結論が導けるのか

昼行灯が、上の主張をしたのだから、なぜその主張が成り立つのか、
説明してください。真理ではない、として正当化可能な含みを残しつつ
証明を回避しないでください。

ここまで言わないとワカランのでしょうか?

135 :考える名無しさん:04/03/05 17:45
もう疲れたし別に意味内から終わりでいいよ
この人答える気さらさらないよ
だってカントと自己の価値観を同じくしておいて
カントの価値観を、議論を正しく行うために認める
私は公正だとくるんだから

相手するだけ無駄無駄

136 :考える名無しさん:04/03/05 17:48
95がスルーされてるところにニヤソ

137 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:55
シャワー浴びてきたよん
>>95について答えるならば、もちっと長い説明になる
言語が世界において果たす役割について説明せねばならないから
そして、その説明もただ構築されただけの理論でしかないという批判を受けかねないから厳しいね



138 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 17:56
>>134
>なぜ、絶対的な価値観がないと、「ある特定の」価値観
>(カントの原理の受け入れ、普遍の理解の仕方)を
>肯定するという結論が導けるのか
別に、どの価値観であってもいいんだよ
俺は自らが掲げる問題としてカントを出しただけ

君さ、論文書くときに「テーマを与えてくれないと書けません」とか言うタイプ?


139 :考える名無しさん:04/03/05 17:59
>>137
んなのウソだろ。方針くらいは答えられるはずで、
方針の主流が本質主義でないことくらい承知してるはずだろ。
カント知ってるくらいなら。

140 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:02
>>135
>カントの価値観を、議論を正しく行うために認める
>私は公正だとくるんだから
俺は自らを非正当化主義と位置付けるのだが
つまり、「わたしは公正ではないし、完全に公正な意見を求めはしない」ということなのだが

俺は公正な意見を求める
しかし、それは他の異なる意見と比較して相対的により公正な意見だ
しかし、自らが発する意見は絶対に公正な意見ではないし、求めた結果得た結論ですら絶対に公正なものではないだろう
俺が公正さを求めるためには自らの意見が絶対に公正な意見ではないことが必須条件だからだ


141 :考える名無しさん:04/03/05 18:03
>>138
内容と無関係な最後の一行は書かないほうがいいんじゃないの。
まあそっちが自滅するだけだけどさ。

別にどの価値観であってもいいという見解なのは、よーくわかってるよ。

自らが掲げる「問題」として、批判の対象となる「原理」という結論を
前提しないでね。非正当化主義は、正当化機能を果たすために
使われるんじゃ、有害なだけだよ。

142 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:05
>>139
うーん、説明するには、やっぱどちらも厳しいね
やっぱどちらでもないという意見が一番いいかと
ここらへん、ちと説明が厳しいのよ

143 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:07
>>141
>非正当化主義は、正当化機能を果たすために 使われるんじゃ、有害なだけだよ。
俺もそう思うよ
俺は一度も自分の意見を正当化しないし、
もし君が正当化主義なら鼻で笑えばいいじゃん
「こいつ証明できないことをしゃべってやがる」って


144 :考える名無しさん:04/03/05 18:07
>>140
相対的と称して、特定の価値観を前提して、その地点で
一般的に論理性を語るのは、立場の絶対化そのものじゃないの。
むしろ、端的な絶対化よりタチ悪い。

145 :考える名無しさん:04/03/05 18:09
>>144
リバタニアリズムとか、文化的相対主義者とかは、よくそういう手を使うよね

146 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:11
>>144
単に俺と問題視するところがすれ違ってるだけという感じを受けるけど

それに相対化はしていないよ
俺は反相対主義だからね
名前の争いに興味はないが、一般に言われる相対主義には激しい敵意をもっているよ


147 :考える名無しさん:04/03/05 18:12
失礼、リバタリアニズムだった

148 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:13
もちろん俺はリバタリアニズムではない
国家なりある程度の規制なり福祉は必要悪だと考えるからだ


149 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:13
リバタリアンって言った方がかっこよかったな・・・・・・

150 :考える名無しさん:04/03/05 18:15
>>148
福祉が必要悪なんですか
福祉が必要で、分配が悪たりうるんじゃなくて

なんかこのスレで一貫して指摘されてる思考様式の問題点そのものが
よく出た発言かなと思ったんですが

151 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:16
>>150
言葉の問題だろ
どっちでもいいよ


152 :考える名無しさん:04/03/05 18:17
>>151
それで済むなら哲学も法学もいりませんよ

153 :考える名無しさん:04/03/05 18:18
ついでに政治学もいりませんね

154 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:19
まーロールズいれとくか
完全に平等な社会があればそれは理想だが、社会がより良くなるために必要最低限の自由競争は認められるべき
しかし、その競争も最下層が認めうるものでなければならない(逆転可能性etc)

んで、最下層から同意が得られたのかよ!とでも批判受けとくか!


155 :考える名無しさん:04/03/05 18:20
>>146
何を信条としているのかは、それこそ言葉の問題だよ。
要は、言葉が正当化的に機能しているか否かが問題でしょ?

156 :考える名無しさん:04/03/05 18:23
>>154
そもそもその見解では、「自由」競争の自由の概念が
絶対的自由が前提されており、それゆえに平等と自由が対立する
という図式が無批判に前提されることになっていますが
それは本当に正しい図式なんですか

常々疑問に思ってることなんですけど

157 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:24
>>155
そのような解釈は可能だけど、そのように解釈しなければならないわけではないでしょ
(「言葉が問題の一部であることは認めるが、言葉が問題のすべてというわけではない」、だっけ?)
(「重要なことは立場ではなく、その解釈の内容だ」、という言葉もあるからね)

一応俺の立場は合理主義に属するよ


158 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:25
>>154
正しくない
自由と平等は裏表の関係だ(相補的)
自由でない平等はないし、また、平等でない自由もない


159 :考える名無しさん:04/03/05 18:31
>>157
あなたの言い方を借りるなら、
言葉が正当化的に機能しているかどうかを問う、が、「解釈の内容」ですよ。
それを問題にしているのに、こちらの「解釈の内容」を問題とせずに、
「立場」であるとあてはめて、立場でない「解釈の内容」を、私は
重要視しているのだ、みたいな、かわしかたをしたときに表れる効果が、

正当化のための非正当化主義だよ。合理主義とは関係ない。

160 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:31
疲れた・・・・・・
ただの酔っ払いの馬鹿の言葉だ
適当にあしらって終わりにしてくれ
ライプニツもシェリングもトマス・アクィナスも読んだことがない馬鹿さ
あー、あと大御所ハイデガーも挫折したっけ

161 :考える名無しさん:04/03/05 18:32
>>158
裏表の関係として、自由、平等という言葉が使われているか
裏表の関係とみる図式を取ること自体、価値的立場ではないのか
については、批判しないんですか。カントの話と完全にパラレルですが

162 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:33
>>159
あー、すまん、悪かったよ
言葉に関してはまるで無関心な人を研究していたのでね

163 :考える名無しさん:04/03/05 18:34
>>160
影響力のない言葉は論理的にいかに問題があっても
実質的にも形式的にも世界の構造上問題がないという意見は
かなり正しいですが議論の逃げに使うのは最悪です

164 :考える名無しさん:04/03/05 18:38
おとなしく「形而上学の枠の中でやってます」で終わりにすればよかったんだよ。

165 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:38
>>161
そだな、批判可能だな
どっかに神のようなやつが存在するかもしれない
そいつだけ特別で他のやつを奴隷にするのは正当かもしれない
俺がそのような価値観を批判しない理由は疲れたからさ
そんな神があらわれるか、そのような特別なやつがいるという主張があったら批判することにするよ


166 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:41
>>165>>161の意見に答えてないね
俺がそのような価値観を批判しないのは俺の勝手だよ
でも、誰かが批判するのは自由さ
そうすりゃ議論ははじまるしね


167 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:42
>>166における、「そのような価値観」とは普遍性に関する価値観ね

168 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:45
つーか>>163とか見ても、俺の対話相手は正当化主義としか思えない
やっぱそれぞれの問題意識がすれ違っちゃってるんだろうね

169 :考える名無しさん:04/03/05 18:48
>>165
神があらわれる、のような、強権性・不可能性を
喩えによってかもし出す皮肉なんか、食えないからいりませんよ

強権的なのは自由主義だってそうです
解釈の内容が大事なのに、なぜ自由と平等を本質的に解するのですか
自由と平等が反するといわれるとき、平等に自由を託する者はいないのですか
そのとき、自由は平等原理を自由の解釈に持ち込んではいないのですか

170 :考える名無しさん:04/03/05 18:49
自由は平等原理を自由の解釈に持ち込んではいないのですか
→自由を主張する論者は平等原理を自由の解釈に持ち込んではいないのですか


171 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:52
>>169
こういう言葉てのはすごい失礼だと思うけど言うね
下二行あたり理解できてない、そんで、あんま興味がない


172 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:54
>>170
とても分かりやすくなった、ありがと
平等原理を自由の解釈に持ち込んでいると思うよ



173 :考える名無しさん:04/03/05 18:56
>>171
自由や平等を問題にしていながら、>>169に興味がないとして
済ませられるのは、あなたが本質主義者かつ自由主義者だからですよ。

174 :考える名無しさん:04/03/05 18:57
>>172
170を読んでなかったのですね
すみません

平等原理を自由の解釈に持ち込んでいるんですよね
ならば、その自由とは自由なのですか?
むしろ解釈上平等であったりはしないのですか?

極端な自由主義者とは、実は形式的平等主義者のことではありませんか?

175 :☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/05 18:58

うん

176 :昼行灯@酔っ払い:04/03/05 18:59
>>174
>極端な自由主義者とは、実は形式的平等主義者のことではありませんか?
ええ、そう思います


177 :考える名無しさん:04/03/05 19:00
形式的平等主義に本質的な満足を覚え、自由主義を標榜する人って、
実は自由になんか全然関心ないんじゃないかと、私などは思うんですが

自由は任意性を要素としますし、自由な感じって、確かに
任意感みたいなものが凄くありますけど、
任意感みたいな感じだ、任意が大切だ、で満足できてる人って、
実は自由か平等か、なんて、どうでもいいような人のことじゃないでしょうか?

178 :考える名無しさん:04/03/05 19:06
>>176
それなら、自由と平等は相補的という意見はおかしいことになりますが
自由と平等は補い合うのではなくて、立場の相違によって意味が変わるんです
用法によって規定されてくるのであって、本質があるわけではないんですよ

カントの話とパラレルですが

179 :考える名無しさん:04/03/05 19:11
妙な伸び

180 :考える名無しさん:04/03/05 19:12
もっと言ってしまうと、自由主義とは、平等原理をどう選択するかの
定義の争いと考えることもできますね

平等原理を選択しないことが、もっと自由主義なんだという立場が
ありますけど(リバタリアニズム)、これなんて自由主義でもなんでも
ないですね
さらにいえば、個人主義ですらないです
なぜなら、その意味の自由主義を徹底したときに、そこで自由を覚える
個人という語は、個人を指していないからです
リバタリアンは、個人主義を問題にするときには、個人主義を問題にするが、
自由主義を問題にするときには、自己主義(造語ですが)を問題にしてるんですよね

まあこういうわけで、自由と平等が相補的、だなんてのはまやかしそのものだと思うわけです

181 :考える名無しさん:04/03/05 19:15
180に補足します 個人主義は、自由主義の前提です

182 :考える名無しさん:04/03/05 19:18
自由競争はなんとしても守らないといけない。
自由だから何してもいいということではない。
独禁法は自由を守るために必要なものだ。

一方で、敗者復活になんの障壁も無い社会、競争できなくなっても
なんとか生きていけるセイフティーネットがしっかりした社会が必要だ。


183 :昼行灯@はやく酔いを覚まさないと:04/03/05 19:20
>>177
真摯な対応ありがとうございます
やや私的独断が強い意見でしょうがこちらも真摯に対応したいと思います
(価値という言葉がやたら使用されてますがご容赦ください)

>形式的平等主義に本質的な満足を覚え、自由主義を標榜する人って、
>実は自由になんか全然関心ないんじゃないかと、私などは思うんですが
彼(形式的平等主義者)にとって自由というのは少なからず関心があるできごとであるとわたしは考えます。
というよりも、彼は価値自由テーゼを履き違えているとわたしは考えます。
価値自由テーゼとは「いかなるものに価値をおくことも自由」というものに対して
形式的自由主義者はそれを「自由に絶対的価値をおく」というテーゼと履き違えているとわたしは考えます

>自由は任意性を要素としますし、自由な感じって、確かに
>任意感みたいなものが凄くありますけど、
>任意感みたいな感じだ、任意が大切だ、で満足できてる人って、
>実は自由か平等か、なんて、どうでもいいような人のことじゃないでしょうか
わたしもそう思います
任意性は至上価値とはなりえないとわたしは考えます
わたしは自由を愛しますし、最終的には個々人の決断にその価値判断を委ねますが、
その理由は「誰もいかなるものに価値があるか分からない」という不可知論にもとづきます
わたしがそれに価値があるか分からずに他人に何らかの価値観を押し付けることは極めて独断的です
それを回避するために我々はお互いに互い尊重するよう、自由をその手段として用いるのだと思います
しかし、形式的自由主義者とは自由そのものにその価値を認めるものです
任意性にその最上級の価値を置く人間は、
「誰にもいかなるものに価値があるのか分からない(前)、よって、"何にも価値がない"(B)、そのために個々人が自由に価値を選択できる任意性に最上級の価値が与えられるべき」という考え方をしていると思われます
しかし、この前文と後文には論理的に飛躍が大きくあるように思われますし、また受け入れられない意見であるように思われます


184 :考える名無しさん:04/03/05 19:22
>>182
それで解決する感じがしますか?
私はそのセーフティーネットのところで、
はじめて自由と平等の観念の争いが出てくると思うのですが

総論なら誰でも自由・平等を重んじるんですよ
誰でも民主主義者なのと一緒

185 :R:04/03/05 19:22
難しい話、よくわからないですが、『死んでもよい人間』は殺しても良いのですか?
別に殺したい人間がいるわけでは全然ないのですがね。

186 :考える名無しさん:04/03/05 19:25
各個人・団体が決めることだから、定義づけしても意味ねーだろ。


187 :考える名無しさん:04/03/05 19:27
>>186
意味ありますよ
伝言ゲームの最中に、最初の人がパソコンを使って、伝言先の人
それぞれに、伝言がされたタイミングで、たびたび送信すれば、
伝言ゲームの結果は、送信がないときよりマシな結果になるかもしれません

188 :182:04/03/05 19:29
>>184
>私はそのセーフティーネットのところで、
>はじめて自由と平等の観念の争いが出てくると思うのですが

それでいいんじゃない。
わたしも、話の前提に置いたのは競争原理だというだけなんだから。



189 :考える名無しさん:04/03/05 19:29
死んでいい人間が居る結論になったらどうすんの?

最初から結論決めてんなら議論すんな。押し付けがましいんだよ。


190 :考える名無しさん:04/03/05 19:31
>>185
殺してはいけません
なぜなら、「死んでもよい」かどうかと、殺してよいかどうかは論理的に
無関係だからです

Aが「死んでもよい」からといって、BがAを殺してよいという
結論にはなりません
Aが災害で「死んでもよい」が、BがAを「殺してはいけない」は
ありえます

191 :昼行灯@はやく酔いを覚まさないと:04/03/05 19:34
>>178
>自由と平等は補い合うのではなくて、立場の相違によって意味が変わるんです
>用法によって規定されてくるのであって、本質があるわけではないんですよ
ここらへん、まだよく理解できていません
何となく説得されてしまいますが

しかし、>>184には賛成です
>私はそのセーフティーネットのところで、
>はじめて自由と平等の観念の争いが出てくると思うのですが
わたしは、セーフティーネットに関する議論などの各論において
議論に参加する両者とも公正な社会を望んでいると考えます(最大限の自由があり、かつ、平等な社会)
しかしながら、そのような理想的な社会は現実には不可能です
その中で我々の社会はどのような規制を選択していくのがよいか(これは時代や地域などの背景と関わってくる)
議論を通して、時代や地域などの批判を通して我々は個々人が持つ自由や平等といった観念を批判にかけることができるのではないでしょうか?


192 :考える名無しさん:04/03/05 19:35
>>189
賢明な意見ですね

>>188
競争原理も解釈しだいでただの放任主義になりますから
はじめにおくのはやめたほうがいいですよ
もっと具体的な個人に対応した言葉と概念をおくほうがいいと思います

193 :昼行灯@はやく酔いを覚まさないと:04/03/05 19:38
句読点の打ち方おかしいね
まだ酔いがさめてないもんでね
失礼

194 :考える名無しさん:04/03/05 19:42
Sophia潜伏uzee
なんで潜伏するといっつもageんだよ

195 :192:04/03/05 19:50
>>192
はじめにおくのはわけがある。
第一にそういう現実がある。
その現実を下手にいじるのは危険だ(順位など問題にしない小学校の運動会の薄気味悪さを想像しよう)
ではどうすればいいのか。
そういう問題意識は必要だ。


196 :考える名無しさん:04/03/05 19:56
>>195
現実に解決を与えようとしているのに、現実をベースとしないのは
確かに危険というか、単純に説得力ないですね

私が指摘したいのは、「競争原理」という記号は、実質化したり
他の原理や概念、言葉を使っておぎなっても、その字面から
連想される思考に引きづられやすい記号ではないか、ということです

深く理解しようとする人の理解を問題にしているのではなくて、
浅く理解してすませる人の理解が大事だといいたいのです
現実的にです


197 :昼行灯@はやく酔いを覚まさないと:04/03/05 20:06
>>196
>現実に解決を与えようとしているのに、現実をベースとしないのは
>確かに危険というか、単純に説得力ないですね
そうでしょうか?
現実に解決を与えようとするならば、ベースになるのは理想であるとわたしには思えます

・・・・・・・

ところで、議論て終わったの?
あたま良さそうな人だったのにな

198 :182:04/03/05 20:18
>>196
>確かに危険というか、単純に説得力ないですね

いや危険なのです。このうえもなくね。
危険だという認識がポイントです。

>>195のコテハンは182でした。失礼)

199 :考える名無しさん:04/03/05 20:18
>>183
>彼(形式的平等主義者)にとって自由というのは少なからず関心があるできごとであるとわたしは考えます。
>というよりも、彼は価値自由テーゼを履き違えているとわたしは考えます。
>価値自由テーゼとは「いかなるものに価値をおくことも自由」というものに対して
>形式的自由主義者はそれを「自由に絶対的価値をおく」というテーゼと履き違えているとわたしは考えます

 「いかなるものに価値をおくことも自由」を価値的・規範的に理解すると、それを絶対化しなくても、
 形式的平等主義者の理解そのものになると、私は考えています
 なぜなら、このテーゼの自由は形式的であり、それが現実的に個人主義に支えられるからです
 実質的基準が示されないまま肯定される自由は、リバタリアンの自由そのものです

 彼らは、個人主義をベースとして、自由に価値をおいているのだから、それが公正であると考えていると思います
 むしろ、特定の措置の絶対化を避けるから、絶対的価値をおかないから、自由を選ぶと答えると思います
 私としては、価値自由テーゼのはき違えを指摘するより、自由を実質的に理解すべきだと主張するほうが
 いいと思います
 別に絶対化しなくても、現実的に自由に大きな価値をおいているなら、結果はだいたい一緒です
 自由が実質化(基準によって具体化)されるならば、それを絶対化しているとしても、
 結局基準で争うことになりますから、そこでの自由は相対的になっていきます

200 :考える名無しさん:04/03/05 20:18
>任意性は至上価値とはなりえないとわたしは考えます
>わたしは自由を愛しますし、最終的には個々人の決断にその価値判断を委ねますが、
>その理由は「誰もいかなるものに価値があるか分からない」という不可知論にもとづきます

 結論には前述の通り、同意です
 しかし、不可知論に基づくのには、賛成できません
 なぜなら、不可知論は、かんたんに、言動の任意性に接続するからです
 
 私の考えでは、むしろ、任意性を形式的に肯定すると、争いが激しくなり、そこで勝てたとしても、
 勝つこと自体、失うことがないことではない、負けることは当然つらいことである、ということを
 共通認識としたうえで、そこから、任意性をどれくらい重んじるか、ということを、ケースバイケースで
 直接に問題にしていったほうが、いいと思います
 任意性を至上価値と解したとしても、結局その至上の任意性によって、一定の価値が選択されたほうが
 いいという了解に至る、という見込みを示すように論じていくのです

>わたしがそれに価値があるか分からずに他人に何らかの価値観を押し付けることは極めて独断的です
>それを回避するために我々はお互いに互い尊重するよう、自由をその手段として用いるのだと思います

 自由を合意のための手段と言い切ってしまうと、今度は伝統的に獲得されてきた、市民的自由(人権)を
 軽視する議論に接続してしまいます。市民的自由を価値的に解さないと、手段が提供されるなら、
 自由が制約されるという議論が通りやすくなってしまいます。自由には一定の価値的意味をこめたほうが
 いいと思います

201 :考える名無しさん:04/03/05 20:21
麻原君。

202 :考える名無しさん:04/03/05 20:28
>>197
遅くなってすみません

ベースになるのは理想、とのことですが、私は理想は考え方の
ベースにおかれるべきではなく、現実の中に見出されるかのように
理解されるべきだと思うんですよ、そうしないと理想(理念)は
どうしようもなく弱いか、「死ぬほど」強くなるかのどっちかに
なってしまう気がします

実際の生活がよくなる実感をもてる、その希望が理想であるべきでは
ないかと

それと、現実的に理想・理念概念が弱い(言うだけ馬鹿みたいな風潮がある)
ですから、弱まっているなら、まずは現実の中で生かさなければ
しようもないんじゃん、みたいな感じですかね

なんか熱いですね妙に

>>198
繰り返されて気づきました
確かに危険でしたね、甘かったです

203 :考える名無しさん:04/03/05 20:29
>>198
あ、でも甘かったんですけど、
>>196の問題がスルーされてるのは、ちょっとかなしいですね

204 :考える名無しさん:04/03/05 20:32
>>199
「それが現実的に個人主義に支えられるからです」

これは次のように書くとわかりやすいので、書き直します

「それが現実的に個人主義(=個人という形式的な単位、形式的な扱いにウェイトがある)に支えられるからです」

205 :考える名無しさん:04/03/05 20:55
>>19
どえらい遅レス申し訳ないが、それは赤かぶ検事ではなく牟田刑事官事件ファイル
における小林桂樹のセリフです。
なぜわかるかというと俺も見ていたからw。


206 :无名 ◆rXUHEibmO2 :04/03/06 00:37
唾棄して良い人間は驕る人間だと思う。

207 :考える名無しさん:04/03/06 02:17
>>206
おまえは死んでいいよ

208 :无名 ◆rXUHEibmO2 :04/03/06 03:23
>>207
あはは、ムカツクねえ。

209 :昼行灯:04/03/06 13:31
>>199
> 「いかなるものに価値をおくことも自由」を価値的・規範的に理解すると、それを絶対化しなくても、
> 形式的平等主義者の理解そのものになると、私は考えています
> なぜなら、このテーゼの自由は形式的であり、それが現実的に個人主義に支えられるからです
> 実質的基準が示されないまま肯定される自由は、リバタリアンの自由そのものです
とありますが、いかなる価値をおくことも自由というテーゼ(価値自由のテーゼ)は
−わたしは不可知論的解釈をするのですが−
全体主義だろうとなんだろうとどのような立場に価値を置くのも自由であるが、その価値から自由であれ、というものと思われます

「いかなるものに価値をおくことも自由」も1つの価値であり、
無条件に価値自由が要求されるならば、価値自由のテーゼとは相対立する価値もこのテーゼのもとで許されるパラドクスが生じます
わたしの知る哲学者はマックス・ウェーバーの価値自由のテーゼにおける多くの誤解を避けるために
「価値領域の混同を避け、それらの分離をはかれ」と翻訳しました



210 :昼行灯:04/03/06 13:34
>>200
> しかし、不可知論に基づくのには、賛成できません
> なぜなら、不可知論は、かんたんに、言動の任意性に接続するからです
一般に、不可知論から言動の任意性を導き出す者は多いかもしれません
しかし、そこには論理的飛躍があるはずです
なぜならば、不可知論において「何に価値があるか分からない」としたにも関わらず
任意性に価値をおくのは、明らかに逆説的行為であるからです
そのような主張をする者は彼が隠しもっている別の価値観を無条件に導入しているはずです
そして、このような価値観こそ、わたしが問題としてとりあげ批判にかけるものです

> 私の考えでは、むしろ、任意性を形式的に肯定すると、争いが激しくなり、そこで勝てたとしても、
>勝つこと自体、失うことがないことではない、負けることは当然つらいことである、ということを
>共通認識としたうえで、そこから、任意性をどれくらい重んじるか、ということを、ケースバイケースで
>直接に問題にしていったほうが、いいと思います
わたしはあなたの考えに反対です
なぜならば、わたしは何が良いのかを知りません
どのような社会がよいのかを知りません
しかし、それでもより良い社会を模索していきたいと考えています
あなたが提示する方法は、良き社会を求める方法ではなく・・・同意を得る方法に過ぎないように思えます

ここでわたしとあなたの立ち場のそれぞれの見解の相違が明らかになったと思われます
わたしは客観主義と呼ばれる立場であり、あなたは主観主義と呼ばれる立場である
わたしは客観的正義の存在を信じる楽観主義者であるのに対し、あなたはそのようなものを否定する悲観主義者である



211 :昼行灯:04/03/06 13:41
>>200
> 自由を合意のための手段と言い切ってしまうと、今度は伝統的に獲得されてきた、市民的自由(人権)を
> 軽視する議論に接続してしまいます。
わたしは、自由は合意のための手段だとは思いません
むしろ、自由は合意に達しないための手段です

わたしとあなたとの違いの1つとして合意に対する感覚があるでしょうね
あなたは合意をとても重んじている
しかしわたしはまったくといっていいほど重んじていない
むしろ敵視していることでしょう
合意のみの上に成り立つ社会は悪しき全体主義的な社会であるとわたしは考えるからです


212 :昼行灯:04/03/06 13:55
>>202
>ベースになるのは理想、とのことですが、私は理想は考え方の
>ベースにおかれるべきではなく、現実の中に見出されるかのように
>理解されるべきだと思うんですよ、そうしないと理想(理念)は
>どうしようもなく弱いか、「死ぬほど」強くなるかのどっちかに
>なってしまう気がします
現実の中に見出された理想は、現実という権力で権威付けられた理想となってしまうのではないでしょうか?
理想を一切排した上でわれわれは現実に解決を与えようとすることはできない
なぜならば、われわれが解決しようとする問題を提起することがすでに我々の期待を受けて生じるものであるからです
もし解決を求めるならば、我々は理想から出発せねばならないとわたしは考えます
現実をいくら眺めても現実は解決しないし、また歴史に何らかの意味がありそれを読み取ることで解決できるという考え方はもっと根拠のない信仰です
しかし、現実を振り返らない理想はとても危険でもあります
だからこそ、最初に理想を抱げた上で、現実によりその不必要な部分を削ぎ落としていく作業が重要であると考えます
このような考え方は理念をどうしようもなく弱くしてしまうとあなたはお考えになるかもしれません
しかし、わたしはそれで十分だと考えます
わたしは、理念は現実を従えるべきだとは思いません
「ミネルヴァのふくろうは夕暮れに飛び立つ」という言葉のように
現実を終えた上でわれわれがそこから何か得るものがないかと反省することが困難な現実を生きながらも解決していく最良の方法であるようにわたしには思えます
正確に言えば、それ以外のいかなる方法もわたしは現実を解決できると信じることはできないということです


213 :考える名無しさん:04/03/06 15:29
>>209
>いかなる価値をおくことも自由というテーゼ(価値自由のテーゼ)は−わたしは不可知論的解釈をするのですが−
>全体主義だろうとなんだろうとどのような立場に価値を置くのも自由であるが、その価値から自由であれ、
>というものと思われます

 (ヴェーバーが主張したことを踏まえているという意味で正しい)価値自由テーゼの理解は、それでいいのです
 しかし、私は、その理解を問題にしているのではありません。価値自由テーゼ(の文言)を理解する主体が、
 現に(ヴェーバーが主張したことを踏まえているという意味で正し)く理解するか、を問題にしているのです

>「いかなるものに価値をおくことも自由」も1つの価値であり、無条件に価値自由が要求されるならば、
>価値自由のテーゼとは相対立する価値もこのテーゼのもとで許されるパラドクスが生じます
>わたしの知る哲学者はマックス・ウェーバーの価値自由のテーゼにおける多くの誤解を避けるために
>「価値領域の混同を避け、それらの分離をはかれ」と翻訳しました

 「いかなるもの」に価値をおくことも「自由」、ならば、自由の理解いかんによっては、
 価値自由のテーゼと相対立する価値も、このテーゼのもとで許されることになりませんか
 それがパラドクスだとしても、当然の帰結ではないでしょうか(帰結という表現が気に入らないなら、
 誤解は避けにくいのではないか)。別に、ここで自由を絶対的な価値としていなくても、そうなると
 思いますが、どうでしょうか

214 :考える名無しさん:04/03/06 15:30
>>210
>> しかし、不可知論に基づくのには、賛成できません
>> なぜなら、不可知論は、かんたんに、言動の任意性に接続するからです

>一般に、不可知論から言動の任意性を導き出す者は多いかもしれません しかし、そこには論理的飛躍があるはずです
>なぜならば、不可知論において「何に価値があるか分からない」としたにも関わらず
>任意性に価値をおくのは、明らかに逆説的行為であるからです
>そのような主張をする者は彼が隠しもっている別の価値観を無条件に導入しているはずです
>そして、このような価値観こそ、わたしが問題としてとりあげ批判にかけるものです

 論理的飛躍がある、だけではすまない筈です。なぜなら、あなたは、不可知論から言動の任意性を
 導き出す者が多いことを、知っており、今は多くの人が自由であるためには、多くの人の自由と平等の理解が
 どうあればいいかについて、論じているはずだからです

 多くの人の合意を、「多少なりとも」社会に反映させるつもりがあるのなら、合意の内容となる理解については、
 誤解を生じにくい概念を選択すべきです。私は「自由を愛し・最終的には個々人の決断に価値判断を委ね」る理由として、
 不可知論は不適切だと主張しているのです
 あなたの理解として、論理的に適切かどうかを問題にしているのではないのです

215 :考える名無しさん:04/03/06 15:31
あなたは、「自由を愛しますし、最終的には個々人の決断にその価値判断を委ね」るとされています

 しかし、自由を愛する、は、いまのところ、多くの人にとり、自分が任意性を愛する程度の意味にしか理解されません
 個人が任意性を愛すると理解し、それではめちゃくちゃではないか、自由とは悪いものでもある、という誤解を
 (そんな自由が価値的に承認される経緯が生じるわけがないことに気づかない)する人が一部に見られる程度です
  
 市民的自由を愛する意味には、ほとんど理解されませんし、具体的に選択する価値について厳しい証明責任を負う自由を
 愛するという意味になど、まず理解されません。しかも、それを標榜する人間がその自由を実践しているケースなど
 ほぼありません(実践する人間は、証明責任を負うことをストレートに誇るものです)。

 「最終的に」は、印象上省かれ、「結局は」などに置き換えられます
 最終的に、を、文字通り真剣に理解する習慣になど、多くのひとはなじんでいないからです
 そして、個々人の判断に価値判断を委ねる→委ねざるを得ない、と変換されます
 なんとなく、自分の判断のバランスをとっている感じがするからです

 こうした誤解をする「人たち」を、私は間違っているとは思えません なぜなら、価値自由テーゼの表現や内実が、
 論理的な誠実さを要求するような性質を持っていないからです
 私は、別の価値観を導入する人たちを批判する(批判しつくす)より、自由の観念を基準によりある程度具体化し、
 価値自由テーゼを誤解しようが、正しく理解しようが、結果がよくなるように仕向けるほうが、賢明なやり方だと
 考えます

216 :考える名無しさん:04/03/06 15:33
>>210
>> 私の考えでは、むしろ、任意性を形式的に肯定すると、争いが激しくなり、そこで勝てたとしても、
>>勝つこと自体、失うことがないことではない、負けることは当然つらいことである、ということを
>>共通認識としたうえで、そこから、任意性をどれくらい重んじるか、ということを、ケースバイケースで
>>直接に問題にしていったほうが、いいと思います

>わたしはあなたの考えに反対です
>なぜならば、わたしは何が良いのかを知りません
>どのような社会がよいのかを知りません
>しかし、それでもより良い社会を模索していきたいと考えています
>あなたが提示する方法は、良き社会を求める方法ではなく・・・同意を得る方法に過ぎないように思えます

 何が良いのか、あなたが知らないわけがありません
 あなたはモノを盗まれれば、そのこと※を何らかの意味で不満に思うはずです

 あなたが※について、何か言葉をつかうなら、それは、人と人との関係、現に用いられる言葉の関係の中に、
 良い・悪いこととして、位置づけられていくか、位置づけられていた、はずです
 そのなりゆきや経緯を知ることは、何が良いのか、悪いのかを知ることではあるはずです
 あなたが言う「知る」こと(客観的に知ること)とはずれるのかもしれませんが、
 私は知ることを、そのように限定していいとは思いません
 もし客観性を問題にしたいのであれば、わたしは何が「客観的に」良いのかを知りません、とはじめから
 自分の立場を明確にして、批判を受けやすい形にして論じるべきです はっきりいって、あなたのこの箇所での
 論じ方は詐術に近いです

217 :考える名無しさん:04/03/06 15:34
 社会については、私は、むしろ、どのようなことが社会なのかすら、知りません
 社会という概念は、抽象的な概念のはずなのに、暗に具体的な範囲を指し示して使われることが多すぎるし、
 価値的意味を議論せずにこめて使ったりする概念なので、便宜的な概念でしかないと思っています
 だから、良い社会を実体的に理解して、それを模索したいと言ったりすることには、意味がないと思っています
 私は、表現が実際にどう使われているかを重視する人間が多いことが、過程においては重要だと思っており、
 よい考えが受け入れられた社会とは、結果的にくることであるとしか思っていません
 
 それから、同意を得る方法に過ぎない、とありますが、私は良い社会には同意が不可欠だと考えているだけであり、
 それでよい社会が求められるとは思っていません。そもそも、良い社会という総体として求めること自体、いいと
 思っていません。良い条件の積み重ねができた状態を、良い社会と呼ぶか呼ばないかは好き好きだ、程度に
 考えています

>ここでわたしとあなたの立ち場のそれぞれの見解の相違が明らかになったと思われます
>わたしは客観主義と呼ばれる立場であり、あなたは主観主義と呼ばれる立場である
>わたしは客観的正義の存在を信じる楽観主義者であるのに対し、あなたはそのようなものを否定する悲観主義者である

 私はあなたがいう主観主義者でしょうが、悲観主義者ではありません
 楽観するか悲観するかは趣味と状況の問題だろうとしか考えていません
 悲観するしかない状況で、客観的正義を信じて楽観的であれる人がいたとしたら、私はそのような人は好きではありません
 悲観しなくてもいい状況で、楽観的なら、楽観は危険だと言います
 楽観的な状況であれば、楽観的なら、楽しそうだな、と言います 客観的正義を信じられることは、楽しいことですから


218 :考える名無しさん:04/03/06 15:36
>>211
>> 自由を合意のための手段と言い切ってしまうと、今度は伝統的に獲得されてきた、市民的自由(人権)を
>> 軽視する議論に接続してしまいます。

>わたしは、自由は合意のための手段だとは思いません
>むしろ、自由は合意に達しないための手段です

 これには、説明が必要だと思いますが

>わたしとあなたとの違いの1つとして合意に対する感覚があるでしょうね
>あなたは合意をとても重んじている
>しかしわたしはまったくといっていいほど重んじていない むしろ敵視していることでしょう
>合意のみの上に成り立つ社会は悪しき全体主義的な社会であるとわたしは考えるからです

 私は、合意を実質的に考えていますし、多元的な討議を重視したうえで要求しています
 合意のみを形式的に要求すればよいとは言っていません。勝手に曲解して全体主義者呼ばわりするのは
 やめてください
 
 それから、合意を敵視する人間は、無自覚的に合意に至らない人間、党派的にならない人間ではありません
 合意を敵視する人間が至る合意によって成り立つ社会こそ、まさに全体主義社会でしょう

219 :考える名無しさん:04/03/06 16:02
>>212
>現実の中に見出された理想は、現実という権力で権威付けられた理想となってしまうのではないでしょうか?
>理想を一切排した上でわれわれは現実に解決を与えようとすることはできない
>なぜならば、われわれが解決しようとする問題を提起することがすでに我々の期待を受けて生じるものであるからです
>もし解決を求めるならば、我々は理想から出発せねばならないとわたしは考えます

 理想を考える人が、本当に権力や不正に対して批判的であれば、私が言う理想も、理想から出発している
 ようにしか見えないくらい、現実離れになりますよ。
 
 例えば、最近やっている「白い巨塔」というドラマの中で、里見教授や東教授などが、それぞれ理想を語る場面が
 ありました(里見は、患者のためにするという価値選択、東教授は、医者の過ちを認めることは、責められるべきでない
 という価値選択に基づいた制度の創設)。あれは「作中に描かれた、日本の現状からみたときには」現実離れしているの
 ではないですか
 
 現実の中で考えるべきである理由は、根拠が薄弱になるため、弱くなるか、根拠の薄弱さを暴力で回避するかの
 いずれかに陥りがちだからです
 
 カントの原理だと述べたところで、カントに権威を感じない人は、その原理を選択する理由をもちません
 自然法だと主張したところで、自然法が何か知らない人には、なんのことだかわかりません
 
 それよりは、現実の弊害に裏打ちされた価値選択を抽象化した(私がここで意識しているのは、各国の人権規定の歴史や
 方法論です)と理解する方が、根拠が明快であり、好ましいと考えます


220 :考える名無しさん:04/03/06 16:02
>・・・また歴史に何らかの意味がありそれを読み取ることで解決できるという考え方はもっと根拠のない信仰です

 あなたが信仰と軽く言い切れるのは、あなたが根拠のない理想(原理)に根拠としての働きを認めるからです
 (カントの話のあたりから、一貫して続く問題点です)
 
 現実と理想には同じくらい根拠がありません 私は現実に見出したほうがまだ根拠付けがはっきりしやすいと
 言っているだけです

>しかし、現実を振り返らない理想はとても危険でもあります
>だからこそ、最初に理想を抱げた上で、現実によりその不必要な部分を削ぎ落としていく作業が重要であると考えます
>このような考え方は理念をどうしようもなく弱くしてしまうとあなたはお考えになるかもしれません
>しかし、わたしはそれで十分だと考えます

 結論としては、あなたと私の理想の抱き方に大差があるとは思えません
 私は、理想として掲げられる価値が、現実の要請と強い結びつきを持ち、その結びつきに誤解が生じにくいように
 表現されるべきだと考えているだけですから

 あなたが掲げる価値が、実際どういうものかによって、あなたから妥協的であるとか、むしろこちらから、
 あなたの掲げる価値は、誤解を生じやすい価値だ(自由の意味を形式的に解すれば、それは悪い結果に至りがちだ、など)
 などと議論が生じる、ということに尽きます


長くなりすぎたので、これで最後にします
ただし、>>218の「自由は合意に達しないための手段」について説明が返ってきた場合は、
それを中心にして、少しだけレスを返すかもしれません

221 :考える名無しさん:04/03/06 16:17
>>219修正
医者の過ちを認めることは、責められるべきでない
→医者が過ちを認めた場合、医者は、法的に責められるべきでない

222 :考える名無しさん:04/03/06 16:25
↑こういうやりとりをジエンというのか?

223 :考える名無しさん:04/03/06 16:26
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW

224 :考える名無しさん:04/03/06 16:29
なんだ、このギザギザは?

225 :考える名無しさん:04/03/06 16:31
MMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMM

226 :考える名無しさん:04/03/06 16:33
荒らしキター

227 :考える名無しさん:04/03/06 16:42
人間はみな死んでいい存在である
死ななくてもいい人間と
死ななければならない人間がいるだけである

228 :考える名無しさん:04/03/06 19:11
>>227が死んでいい存在ですね


229 :考える名無しさん:04/03/06 19:12
そうです
死ねなきゃ困る

230 :考える名無しさん:04/03/06 19:19
じゃあ、他の人は今は困らないから229だけ死んでいい存在ってことでよろしく

231 :昼行灯:04/03/07 13:18
>>213
>しかし、私は、その理解を問題にしているのではありません。価値自由テーゼ(の文言)を理解する主体が、
> 現に(ヴェーバーが主張したことを踏まえているという意味で正し)く理解するか、を問題にしているのです

わたしは自らのウェーバーの解釈が正しいと信じているが、本当に正しいかどうかは分かりません
もしかしたらウェーバー自身まったく異なる考え方をしていたかもしれません
彼らがどのように解釈するも、場合によっては、形式的自由主義者となることも正しい理解である可能性があります
わたしは他人の解釈のしかたや考え方には興味がありません
わたしが興味があるのは、客観的な解釈、客観的真理です

>「いかなるもの」に価値をおくことも「自由」、ならば、自由の理解いかんによっては、
> 価値自由のテーゼと相対立する価値も、このテーゼのもとで許されることになりませんか
>それがパラドクスだとしても、当然の帰結ではないでしょうか(帰結という表現が気に入らないなら、
>誤解は避けにくいのではないか)。
ええ、そのような帰結をする人間がいても当然でしょう、何ら不思議はありませんし、わたしはそれを問題だとは考えません

>>214
>今は多くの人が自由であるためには、多くの人の自由と平等の理解が
>どうあればいいかについて、論じているはずだからです
わたしは、多くの人が自由であるために何ができるかとについて議論をすることには賛成ですが
多くの人の自由と平等の理解がどうにかなれば多くの人が自由である、とは思いません
個々人の考え方を統一させる、もしくは、同じ考えが集まった上で訪れる自由社会は、そうでない若干の不自由な社会より、ずっと不幸であるとわたしは考えるからです

> 多くの人の合意を、「多少なりとも」社会に反映させるつもりがあるのなら、合意の内容となる理解については、
わたしは、多くの人の合意を社会に反映させねばならない、とは思いません
わたしは「社会はよくあるべきだ」という考えしかありません
もっとも、多くの人の合意が反映される社会は、ただ一人もしくは少数の合意が反映される社会よりはきっと良いだろうとは考えますが・・・


232 :昼行灯:04/03/07 13:23

>>215以下を読みましたが、相当怒らせてしまったようですね
わたしがあなたと議論できるような箇所を探して、自らの考えを語りたいと考えます

わたしが興味があるのは、良い社会ではなくもっと別のものであったのかもしれません
わたしが興味があるのは客観的議論です
そしてわたしが考える良い社会とは、議論を通じてまったく異なる考え方をもった者同士が理解しあう社会です
もちろんここでいう「理解し合う」とは、何らかの同意により円満に終わるという意味ではありません
文字通り、議論を通して自分とは異なる他人の考え方や価値観を理解しあい、お互いに考え方を深めていくということです
もちろん、議論に参加する者だけでなく、議論を外から見る者にとっても理解を促すと思われます
哲学においても、本を読むだけでなく論争を知った方が理解がよりはっきりとするように
わたしが合意を重んじない理由は、合意とは「その点では議論しない(理解しようとしない)」という表明でしかないからです

過去の歴史において生じた不幸は、他者への不理解から生じたと言っても過言ではないと思います
いや、それは他者に対して「理解できない」という判断から生じたと言っても過言ではないと思います
他者を理解しようとする共生精神こそ、良き社会を求めるにおいて必要不可欠なものであるとわたしは考えます

そしてまた、わたしは良さについて何も知りませんが、議論にかけて残ったものはより良いだろうとも考えます
われわれは議論を通じて、その理論展開のおかしいところを指摘して削除していくわけです
そのようにおかしいところを見つけて修正を加えて残ったものが、それ以前と比較して良いだろうとわたしは考えます
この「良いだろう」という考えは道徳心からくるものです(わたしがうそつきを信用せず正直者を信用するのと同じ、別にうそつきを信じてもかまわない)


233 :昼行灯:04/03/07 13:24
・わたしが主張する良い社会について
わたしは、自由や平等の解釈や説明の仕方が、良い社会をもたらすとは考えていない
わたしが考える良い社会とは、個々人が多くの言い争いを行っている社会である(肉体的には争ってなければ、なお良い)

わたしは、良い社会を維持するには議論し続けることが重要であると考えています
議論を終えても良き社会を保とうして提出されるモデルは、その実、もっと悪い結果をもたらすかもしれない(いや、きっともたらすだろう)
わたしはそのように考えているからです


わたしが勝手ながら類推することですが
あなたはウィトゲンシュタインの影響を多分に受けてますね
>私は、別の価値観を導入する人たちを批判する(批判しつくす)より、自由の観念を基準によりある程度具体化し、
>価値自由テーゼを誤解しようが、正しく理解しようが、結果がよくなるように仕向けるほうが、賢明なやり方だと考えます
と、ありますが、批判しつくすことはできないでしょうし、批判しつくせないからこそ批判することに意義があると考えます
(もっとも、この「批判」という単語にもわたしとあなたで大きな見解の相違があるでしょう)

わたしにはあなたが退室した後にジョークを言うぐらいしか残されてませんね
スレの伸びのもととなった話題「牟田刑事官事件ファイル」より

>つまり、自分で終わりを決めちゃいけない


234 :考える名無しさん:04/03/07 14:07
熱いのは勝手だが、長文連レスうぜ、ぴかと同じくらい

235 :考える名無しさん:04/03/09 20:57
結論は人それぞれって事ですか?


236 :考える名無しさん:04/03/09 21:03
>>1
俺が許可する !!
逝ってよーーーーーし

237 :偽鯖:04/03/09 21:03
逝ってよし。

238 :考える名無しさん:04/03/09 21:07
>>1は逝ってよし

それ以外はいない。

239 :236:04/03/09 21:08
真面目に答えると・・・
個人主観で考えると、死んでも良いことになる。
集団主観で考えると、死んで良い人間はいなくなる。

ちょうど、酒飲みの肝臓の細胞が、もう苦しいから死なせてくれと言ってる事を想像してくれ。
肝細胞に、死ぬ権利が在っても、酒飲みはそれを認めまい。
そう言うこと。

240 :考える名無しさん:04/03/09 21:46
死んでいい人間はいない。
生きることが罪の払拭にあると仮定すれば極悪人こそ生きるべきだ。

241 :考える名無しさん:04/03/09 22:52
極東四馬鹿大将は逝ってよし。

242 :考える名無しさん:04/03/09 22:54
誰だ、それは

243 :考える名無しさん:04/03/09 22:59
>>1とソフィアタンは死んでいいよ

244 :考える名無しさん:04/03/09 23:03
>>242
文鮮明、池田大作、将軍様、麻原

245 :考える名無しさん:04/03/09 23:05
>>244
許してやってよ。

246 :考える名無しさん:04/03/22 16:47
>>240
そもそも、罪って拭えるもんなのか?
贖罪ってどうも信じられないんだが。

247 :考える名無しさん:04/03/28 03:51
なんだか良スレあげ

248 :考える名無しさん:04/03/28 04:01
死んでもいいかどうかはわからんが、
死んだ方がいい人間はたしかにいる。
たとえば、小○部俊○。

249 :Sophia ◆UlSHAR4fGU :04/03/28 05:52
私は個人の自由な選択を尊重するので
それに見合った応報の責任は自然に生まれると思います。

でも、死んでいい人なんかそうそうあってはならないですよね。

250 :考える名無しさん:04/03/28 06:19
生きるべき人間の定義とは何か

251 :考える名無しさん:04/03/28 06:24
関係ないけど、どこの国の国籍にも属さないでい生活することってできないんだろうか。

252 :永井@自宅:04/03/28 06:30
死亡届け受理。

253 :考える名無しさん:04/03/28 06:33
なるほど!

254 :考える名無しさん:04/03/28 06:40
その前に、出生届けを出さなきゃいいじゃん

255 :永井@自宅:04/03/28 06:41
嘘ですごめんなさい。
つまらなかったですね。逃げます

256 :永井@自宅:04/03/28 06:43
>>254

>251を良く読め。

257 :254:04/03/28 06:46


258 :251:04/03/28 06:49
あら?何が起こったの?

259 :考える名無しさん:04/03/28 11:20
死んでいい人間も、死んではいけない人間もいない。
何をしようとその人の勝手。

260 :考える名無しさん:04/03/28 12:34
死ぬ生きるは他人が強制できることではない。
だから死んでもいいとはさすがに言えないが、
死んでくれたら周りがありがたい人間はいる。

261 :考える名無しさん:04/03/28 16:47
死んでいい人間というより、
殺さなければならない人間がいる。

262 :考える名無しさん:04/03/28 16:51
死刑ってのは、「死んだほうがいい」って判断を下されたっつーことだよな。
殺しちゃいけないだろ!と思うが、スレ違いだな。。。

263 :考える名無しさん:04/03/28 17:09
安直な死刑否定論者か。くだらんな。

264 :考える名無しさん:04/03/28 17:27
その手は食いません

265 :考える名無しさん:04/03/28 17:32
その手を食う勇気すらないのか。みじめだな。

266 :考える名無しさん:04/03/28 17:35
く、く、くやしー。。。

267 :考える名無しさん:04/03/28 18:42
死んでいい人間は居るが、
絶対的な理由によるものではない。

268 :考える名無しさん:04/03/29 15:09
各々の理由があり、各々の結論がある。

死んでいい人間はいるという意見は、その人が死ぬことによって
まわりの人が幸せになる場合もあるということではないだろうか。

死んでいい人間はいないという意見は、どんな悪人でも死ぬ本人
やその家族は最大の不幸を感じるからではないだろうか。

269 :考える名無しさん:04/03/29 20:37
死んでいい人間は、どういう人間かを考えるより、
どういう状況の場合、殺さなければならないかを考える方が分かりやすいと思う。
ある人間を殺さなければならない状況というのは、その人間が生きていると、
何人もの人が次から次へと虐殺されていくことが事実としてあり、
しかもそいつを捕まえたり、動けなくするといった他の手段を用いると、
さらに被害者が増加することが明らかな状況だろう。
そういう状況なら、みんなにこれ以上迷惑を掛けないように、またこれ以上、
当人に罪を犯させないように、そいつの家族も殺して欲しいと心から望むと思う。
しかも、そこまでやる人間なら、殺されても、自分は不幸だとか何とかもう感じないと思うね。

270 :__:04/03/29 22:36
>>1
新でいい人間はいないと思うが、新でほしいと思う人間はいる。


271 :考える名無しさん:04/03/30 06:49

早朝から車でJラップ流してるドキュンは皆殺しにしてよい

これが断言できます。

定説なんです。

272 :268:04/03/30 11:31
>>269
>そういう状況なら、みんなにこれ以上迷惑を掛けないように、またこれ以上、
>当人に罪を犯させないように、そいつの家族も殺して欲しいと心から望むと思う。
>しかも、そこまでやる人間なら、殺されても、自分は不幸だとか何とかもう感じないと思うね。

どんな状況でも自分や自分の分身である家族の死は
不幸となる(=大きなストレスを感じる)ものであると思うが。

自分や家族が殺して欲しいと望むまでには、自分や家族
の不幸と他人の不幸(幸)を天秤にかけて、やむなく判断
するという経緯が必ずあるのではなかろうか。

273 :考える名無しさん:04/03/30 21:31
>>272
そりゃあそうだろう。自分の家族に殺人鬼がいることを望むものはいない。
しかしこの場合、殺人鬼は事実として家族の中にいるんだ。
これを認めれば、家族の中にいる殺人鬼を殺すことが正しいことが理解される。
家族が不幸を感じるかどうかは、この殺人鬼を殺していいかどうかの判断の基準にはならない。
あくまでも、理不尽に殺される人間の数を最小にすることが肝心なのだ。

274 :268:04/03/31 01:05
>>273
>あくまでも、理不尽に殺される人間の数を最小にすることが肝心なのだ。

それは何のためでしょうか?
殺されるかもしれない人およびその関係者の不幸を増やさな
いためではありませんか?

では、殺人鬼と呼ばれる人を殺さなければ、不幸を減らすこ
とはできないのでしょうか?

例えば、殺人鬼と呼ばれる人でも更生させることができれば
少しでも不幸を償うことができるかもしれません。
生の重さ、死の重さを感じない人にとっては、更生させるより
も死刑にしてしまう方が簡単でしょうが。

あなたのご両親はきっと健全なのでしょう。
もし、ある日、ご両親が殺人の罪でつかまったら殺してくれと
あなたは本心から言えますか?更生する可能性が10%もない
だろうと言われたら諦めらめて殺せますか?

275 :__:04/03/31 01:46
>>274
私は273ではありませんが、自分の両親でも、意味もなく無差別殺人を
行う人間を両親(人間)とは思えないでしょう。


276 :268:04/03/31 23:34
>>275
自分の両親のしたことなら、無差別殺人にも意味があるの
ではないかと必死に考えて探そうとしませんか?

277 :わんどら:04/04/02 00:02
>>276
まあ、たとえば自分の娘がいたとして2,3歳だったとします。
親の大切な何かを娘が誤って壊してしまって、反射的に殺すつもりは
なかったとしても結果的に死んでしまったとしたらどうでしょうか?
無差別だったとしたら、どんな理由が思いつきますか?
その中に自分の妻が含まれたとしても、関係ない子供が含まれていたとしても。


278 :268:04/04/02 01:28
>>277
すみませんが娘の例えは、何を問うているのか分かりません。

無差別の理由は、例えば、大多数や主要な人質との交換
条件に仕方なくやった、または薬などで強制的にやらされ
てしまっただとか、ある宗教的信念に基づいて行われた
(いわゆる確信犯)など。

身近な存在であればあるほど擁護するように考えを巡らす
ことでしょう。また、その思いは身近な存在であればあるほど
強くなることでしょう。

死んでいいと思う人々の一方で、死なせるものかと強く思う
関係者の存在もあります。それぞれの意見はそれぞれの
立場で成り立っており、それは客観的な立場で判断される
べきです。

279 :268:04/04/02 01:55
さて、「この世に死んでいい人間なんていない」という理由が
分からない方はたくさんいると思います。(かつて、私も分か
りませんでした。)

死が他人の死であるうちは、本当の死を感じることはできま
せん。身近な人の死、自分自身の死に直面したときに、初
めて生への執着が芽生え、命の尊さが感じられます。
(これは理屈ではありません。実感するものです。)

他人の不幸は自分の心に突き刺さり、他人の幸は自分の心
も穏やかにしてくれます。命の尊さが自他平等であることを
覚ったとき、「この世に死んでいい人間なんていない」と
言えるのではないでしょうか。

280 :考える名無しさん:04/04/02 16:11
>>274

>それは何のためでしょうか?
>殺されるかもしれない人およびその関係者の不幸を増やさな
>いためではありませんか?

違います。人の命は非常に貴重だと考えるからです。
人の命の価値をVとすると100人いれば、その価値は100Vです。
殺人鬼を野放しにすると、必然的に100人の人が、殺されます。
なぜならば、ここでは殺人鬼の存在をそういうものとして想定をしているからです。
このとき、失われる価値は100Vです。ところが、その殺人鬼を殺せば、失われる価値はVです。
100V>Vなので、殺人鬼を殺すことが正しいのです。

>では、殺人鬼と呼ばれる人を殺さなければ、不幸を減らすこ
>とはできないのでしょうか?

その通りです。
私の設定した状況というのは、そういうことを意味しています。
それは、可能性として現実にあり得るものです。


281 :考える名無しさん:04/04/02 16:14
>>274
>>280の書き込みの続きです。

>例えば、殺人鬼と呼ばれる人でも更生させることができれば
>少しでも不幸を償うことができるかもしれません。
>生の重さ、死の重さを感じない人にとっては、更生させるより
>も死刑にしてしまう方が簡単でしょうが。

あなたは、私の想定している状況を誤解されています。
私の想定は、「その人間が生きていると、何人もの人が次から次へと虐殺されていくことが事実としてあり、
しかもそいつを捕まえたり、動けなくするといった他の手段を用いると、さらに被害者が増加することが明らかな状況」
のことです。今殺さなければ、確実に100人の人間が、たった今殺されるという非常に切迫した状況を想定しています。
当然、更生させることは不可能ですし、もしどうしても更生させようと考えるならば、
たとえば、10000人の命が犠牲になるような場合を考えています。
あなたは、一人の人間を更生させるために、10000人に尊い命を犠牲にする覚悟がありますか?

>あなたのご両親はきっと健全なのでしょう。
>もし、ある日、ご両親が殺人の罪でつかまったら殺してくれと
>あなたは本心から言えますか?更生する可能性が10%もない
>だろうと言われたら諦めらめて殺せますか?

私の想定は、殺人の罪で捕まるというようなのんびりした状況ではありません。
たった今殺さなければ、たった今100人の人間が代わりに死ぬことになり、
その人間を更生させるためには、どうしても10000人の命を犠牲にすることが避けられない抜き差しならない状況なのです。
私の両親がそのような殺人鬼なら、私は私の手で両親を殺して、自分も死のうと思います。
それ以外に方法があるでしょうか?あると考えられるのなら、教えてください。

282 :ニコレット:04/04/02 16:18
>>281
イキロ
犯した罪を悔いる人間ほど生きるにふさわしい
( ゚Д゚)y-~~~


283 :わんどら:04/04/02 19:38
>>278
>無差別の理由は、例えば、大多数や主要な人質との交換
>条件に仕方なくやった、または薬などで強制的にやらされ
>てしまっただとか、ある宗教的信念に基づいて行われた
>(いわゆる確信犯)など。
こんな理由で娘を殺されたとしても許すことができますか?
という意味です。(罪を犯したのが肉親であれ、他人であれ)
理由がなんであれ、自分の娘が殺されて(無差別殺人で)
納得できる理由なんてあるでしょうか?

>死んでいいと思う人々の一方で、死なせるものかと強く思う
>関係者の存在もあります。それぞれの意見はそれぞれの
>立場で成り立っており、それは客観的な立場で判断される
>べきです。
よく分かりませんが、自分の家族が殺されたとしても客観的な
意見が殺されて当然だという意見であれば、それが正しいという
ことでしょうか?


284 :考える名無しさん:04/04/02 20:03
「死んでもいい人間」というのは何処からの視点かによっても変わってくるのでは?

例えば子供を殺された親からすれば、加害者は「死んでもいい人間」になるし

加害者の恋人または親からすればそうはならないとおもう。

一般人から見て「死んでもいい人間」はいないと漏れは思う


285 :わんどら:04/04/02 20:09
>>279
>他人の不幸は自分の心に突き刺さり、他人の幸は自分の心
>も穏やかにしてくれます。命の尊さが自他平等であることを
>覚ったとき、「この世に死んでいい人間なんていない」と
>言えるのではないでしょうか。
他人の不幸が嬉しくて、他人の不幸がねたましく感じる人
にとっては「この世に死んでいい人間なんていない」なんて
「ことはない」ってことでしょうか?

>>284
第三者の立場から見てってことじゃない。
「死んでいい」と「殺したい」「自殺したい」っていうのとは
違う話じゃないのかな。

人間という種の存続を考えた場合、「生きていてはならない」
人間というのはいるかもしれない。
私には自我があるので、そういう考え方はできませんが。


286 :考える名無しさん:04/04/02 20:19
>>285
人間という種の存続を考えた場合、「生きていてはならない」
人間というのはいるかもしれない。

確かにそのとうりだと思う。少し自分の考え方が間違っていたかもしれない。
でもまぁ考え方について簡単に間違いとしてしまってはいけないかもしれない。
矛盾してる・・・

やっぱり哲学は難しい

287 :考える名無しさん:04/04/02 22:20
>>285 >>286
優性的な考えは、危険だよ。
もちろん、法(律)が優先されるけど・・・・
極悪な人殺しさえ、ヒトという種の存続には必要なんだ。
何故だか、よく考えてね。

288 :考える名無しさん:04/04/02 22:23
例えば人間を餌にする宇宙人から見たら、人間なんてすべて
「死んでいい」存在だわな。

289 :239 287:04/04/02 22:33
主観とする集団が、違えば、そう言うことになる。
つまり、

2chのように、人と話している場合は、死んでよい人間はいなくなり、
一人で考えた場合、全ての人が死んでよいことになる。

290 :考える名無しさん:04/04/02 22:46
みんな自分が死なないとでも思ってんの?
死んでも良い人間がいるかどうかってより、みんな死ぬ人間じゃん。

291 :考える名無しさん:04/04/02 22:48
人のことをモータルとも言うな。

292 :考える名無しさん:04/04/02 22:53
ここにすごい基地害がいました。ネットストーカーだそうで現在も監視中です

【女性専用】円で出会った最低の男たち パート2@お水出会い系
http://pink.bbspink.com/test/read.cgi/pub/1080133207/l50

293 :290:04/04/02 22:57
みんな死ぬ人間ってことは明白なので、死んでも良い人間が
いるかどうかって議論は、いたって形而上学的と言えるな。

294 :268:04/04/03 11:19
>>280
>人の命は非常に貴重だと考える
なぜ人の命は貴重だと言えるのでしょうか?
突き詰めていくと、自分の幸(不幸)のためではありませんか?

特定の条件下において、人の命を単位として考えるのは簡潔
はありますが、本来ならば幸(不幸)を基本単位として考える
べきだと私は考えます。

※ただ、幸(不幸)を数値化するのは非常に困難です。また、
幸(不幸)よりも根底にあるものが存在するならば、それを基
本として考えるべきでしょうが、私はその存在を知りません。

殺人鬼の例では、誰の視点からの結論を出していますか?
>>289 もおっしゃっていますが、人それぞれによって状況・
心境が違いますので、どの視点においても必ず同じ結論に
達するとは限りません。

社会においては、その判断は特別の権限により下されます
が、それには必ず反する意思があり、踏みにじられている
ことを忘れてはなりません。

295 :考える名無しさん:04/04/03 21:40
>>294
>なぜ人の命は貴重だと言えるのでしょうか?

「…貴重だと言える」ととらえているのではありません。
命を区別しないために、そのように扱うべきであると考えているのです。
私が言いたいことは、命は無条件に価値を認めるべきものであるということです。
例えば商品ならば、需要と供給のバランスで価値が定まるという考え方があります。
私は、そのような枠組みの外に価値を設定すべきものがあると思います。命がそうです。
そうしないと、ある条件を満たす命は価値があり、そうでないものは価値がないという理不尽が生じるからです。

>突き詰めていくと、自分の幸(不幸)のためではありませんか?
>…中略… 幸(不幸)を基本単位として考えるべきだと私は考えます。

自分の幸(不幸)のためではありません。一つ一つの命の全体のためです。
幸(不幸)というのは、人によって、意味の捉え方が違いますので、何かの基準となるものではないと思います。
特に基本単位というようなものには、幸(不幸)は、最も相応しくない指標であると思います。

>殺人鬼の例では、誰の視点からの結論を出していますか?…中略…どの視点においても必ず同じ結論に達するとは限りません。

私の設定した状況下では、誰の視点でも同じ結論になると思います。
人の心境や視点の相違によって変化するようなあいまいで無責任な判断で、
卑しくも命の存続を語るべきではありません。
もし、私の設定した状況下で、私と本質的に違う結論が導き出せるとお考えならば示してください。

>社会においては、…中略…、それには必ず反する意思があり、踏みにじられていることを忘れてはなりません。

意思や感情が相違しても結論が変わらない状況は存在すると考えます。私が想定した殺人鬼の例がそうです。
意思に反するとか踏みにじられるというような安直な感情論は、正しい判断を誤る可能性を高めるだけだと思います。

296 :考える名無しさん:04/04/03 23:02
あらゆる価値の根源は意思や感情だろ。
人間の命が貴重なのはそれが人間の感情だからだ。それ抜きにして
「客観的」に見れば、人間の命が鶏の命より貴重だなんて根拠は何もないぞ。

297 :考える名無しさん:04/04/03 23:16
>>296
根拠がないと何か問題が生じますか?

298 :考える名無しさん:04/04/03 23:23
>>296
意思や感情のような移ろいやすいもので、命の価値を定めるのは問題があると思います。
Aさんの気分がいい時は、Bさんの命の価値は高いけど、
Aさんが機嫌が悪い時は、Bさんはすぐに殺されるのでは、堪ったものではありません。

299 :考える名無しさん:04/04/03 23:39
本来すべての物は無意味であり無価値である
視点を定める事で意味が生まれ価値が生まれる
死んでいい人間がいるか否かは視点をどこに定めるか
によって決まる。
命を区別しないと生きていく事はできない
人の視点を持ち牛を殺すのだ。牛の視点を持ち牛を殺すことはできない。
そんな事は分かりきっていると思う。

多くのものにとって生は無意味であると私の理性はすでにそう悟った
だが、私の本能はそれを否定しつづける。意味を求めつづけている。

中学2年の夏





300 :考える名無しさん:04/04/03 23:52
>>296
>あらゆる価値の根源は意思や感情だろ。

それは20世紀にはやった倫理学の考え方で、あなたは知らないうちに
その影響を受けているのかもしれません。しかしその考え方は、最近で
は批判されることの方が多いです。


301 :考える名無しさん:04/04/03 23:58
>>299
一行目:その根拠は何か?
二行目:それを主張するならば、どのようなメカニズムで価値が生まれるかを説明する必要あり。
三、四行目:その根拠がまったく不明。
五行目:生まれたら、生きていくしかない。命の区別ができない人も生きていくしかない。
六行目:牛に人間と同じ意味での視点があると考える根拠がない。
七行目:根拠なし。
八、九行目:悟るのは勝手だが、悟ったのにまだ悩んでるのか?面白い悟りの定義だな。
十行目:一般の中学2年生と比べると、考え方が幼く、論理に整合性がない。
以上

302 :考える名無しさん:04/04/04 01:08
>>298
人間の命が貴重だという意思や感情は、それほど移ろいやすいものでは
ないよ。制度の基礎に据えるに十分なほど一般的で安定したもの。
それと、命が貴重だという根拠は何かということと「殺されるかどうか」は、
別問題だろ。

>>300
倫理学の流行なんか全然知らないし、今世紀にどんな批判があるのかも知らないが、
意思や感情以外に価値の根源など考えようがないと思うが。
仮に人間が意思や感情を持たない動物ならば、価値など存在し得ないし、
何かが貴重だなどと思うはずがない。


303 :考える名無しさん:04/04/04 01:37
>>301
命の区別ができない人がいきようとするのは勝手だ。
だが、多くの人は命の区別をしていきている。
何かを食べてなくては生きてはいけない何かを殺さなくては生きていくことは
できない。
ゴキブリは殺すが、ペットは殺さないのは何故だ?
それはゴキブリが人に害をもたらし、ペットは益をもたらすからだろ?
だが、ゴキブリにとってはその害は益でる。ペットが人に与える益はゴキブリに
とっては害でも益でもなくなんの価値ももたない。
その差が視点によって意味や価値が生まれる事の証ではないか?
誰がオリンピックで金をとろうが私には無意味だし無価値だ。
だが選手にとっては意味があり価値のあることだ。

私の言ってる視点とは立場である
牛が牛を殺す必要はなくても人は牛を殺す必要があるだろ?

視点を定めないという事は無というものにとって
それがどう意味があり価値があるかという事になる。
もちろん無にとってはいかなるものも無意味であり無価値である。
これが本来すべてのものは無価値だと結論づけた理由だ。
理解していただけたかな?

3.4行の根拠もこれでわかるだろ?


304 :考える名無しさん:04/04/04 05:04
なかなか良いスレですね

305 :考える名無しさん:04/04/04 09:42
>>302
意思や感情は人によって異なる。だから、基準にはならない。
基準にすると、それは人によって異なることなり不合理である。
また意思や感情が安定である根拠が示されていない。
さらに、>>298へ向けて書かれた書き込みの下2行、意味不明。

306 :考える名無しさん:04/04/04 09:53
>>303
あなたの考え方では、
命の区別が出来ない状況で生きている人を考慮していないことになる。
したがって、すべての人に適用できる普遍性を持たない。一般性がない。

立場によって価値が変わるのがまずいから、
変わらないように価値を定義する必要がある。
立場によって価値が変わるということは、
意思や感情は基準にならないことを裏付けている。

下から六行目から始まる無の議論、意味不明。
論理になっていない。

307 :考える名無しさん:04/04/04 11:01
>>立場によって価値が変わるのがまずいから、
変わらないように価値を定義する必要がある?
なぜ立場によって価値が変わることがまずい?
それはあなたにとってまずいものなのか?
なぜ変わらない価値を定義する必要がある。
立場によって意味・価値が変わるのは303の事例から明白であろう
その意思や感情が立場の中にある。その立場にたつという事はその意思や感情など
を考慮しなくてはならない。

命を区別しないで生きてるものは植物人間など己の意志
とは無関係に生かされてる者だけだ。

立場・存在のないものにとって全ては無価値であろう?
あなたがこの世に生を受けた時 一つの視点・立場が生まれたのだ
これから生まれる命 また永遠に生を受ける事のない命にとって
今 何が起ころうともそれにいったいなんの価値があるというのだ
視点は無から生まれる。
そう考えれば 本来すべてが無価値であることは明白だ。

ところであなたの価値の定義はなんだ?

308 :考える名無しさん:04/04/04 12:13
>>307
宅間にとっては、ガキの命に価値などない。殺された子供たちの両親に
とっては、他のものに置き換えら得ない価値があった。立場によって感
じ方が違うだけで、どちらが正しいとか、間違っているとか言える問題
ではない−−あなたはこう思っているのか?

309 :プラトン ◆eue9xANBOo :04/04/04 12:16
何かと言えば「宅間」を引き合いにする。
テレビっ子の鑑ですね。
狭い狭い。

310 :考える名無しさん:04/04/04 12:24
>>307
お前は飛びぬけて馬鹿だな。論旨がなっていない。
ほとんどの答えは、前スレに書かれている。

311 :考える名無しさん:04/04/04 12:32
>>307
主張はいいから、その主張が成り立つことを論述せよ。
根拠を示さないと、いくら自分の考えを書いてもただの寝言と同じなのが分からないのか。
また、それがないと議論としても成立しない。話は、それからだ。

312 :308:04/04/04 12:37
>>307
ふむ、それじゃ例を変えて、「ナチズムの信奉者にとっては、ユダヤ
人の命など何の価値もなかった。彼らの立場では、本当にそう感じら
れたのだから、それが間違っていると言うことはできない。ただわれ
われの感じ方とは違っているだけだ」とあなたは言うのですか?

313 :考える名無しさん:04/04/04 12:44
まあ、<感情が道徳の根源>なのか、それとも<道徳が先にあり、そこ
から感情が生じてくる>のか、というのは哲学で散々議論されたテーマ
だが。

314 :313:04/04/04 12:46
ここで言っている「感情」というのは、たとえば悪に対する怒りみた
いな感情のことね。

315 :プラトン ◆eue9xANBOo :04/04/04 12:52

紀元前の議論ですね。懐かしいなああ


316 :考える名無しさん:04/04/04 13:11
>>312
それはナチにとって正義であり
ユダヤ人にとっては過ちだ。
私は本来すべては無意味であり無価値だと言っている。
間違いかどうかは視点によって変わる
間違いといえるかどうかは視点をどこにおくかで決まるわけだ


317 :メンヘルヒキコモリ:04/04/04 13:13
ころさないで

318 :考える名無しさん:04/04/04 13:19
>>316
どこに視点を置くかということについて、人は完全に自由だと考えて
いますか? たとえば「『人を殺してもかまわない』というような視
点に立つべきではない」という主張についてどう思います?

319 :考える名無しさん:04/04/04 13:22
>>318
それから、「本来すべては無意味であり無価値」という主張についても、
あなたの視点からはそう見えるというだけで、他の視点から見れば完全
な誤謬、ということでいいですか?

320 :考える名無しさん:04/04/04 13:23
>>318じゃなくて>>316だった。

321 :考える名無しさん:04/04/04 13:51
me?

322 :考える名無しさん:04/04/04 13:54
>>318
人の知り得る視点の中でどこにでも視点を置く事ができる。

「『人を殺してもかまわない』というような視
点に立つべきではない」という主張も一つの視点から生まれた考え方
だと私は思う。
それはあくまで主張者にとって立つべきではない視点であると。
私にも他人に立ってもらっては困る視点が多くありますしね

「本来すべては無意味であり無価値」という主張は私の視点から生まれたもの
であると同時に真理であると考えている
「本来すべては無意味であり無価値」という主張を私以外のものがもつのなら
それはその人が生んだ主張であると同時に真理である

「本来すべては無意味であり無価値」
これは揺るぎない真理だと私は考えています。




323 :考える名無しさん:04/04/04 13:56
322にの1行目
「人は」がぬけてましたね
誤字・脱字が多く読みにくくてすいません

324 :考える名無しさん:04/04/04 13:56
「価値の究極的根拠は人間の幸福に対する有用性である」
「倫理的価値の究極的根拠は全体の幸福に対する有用性である」
「(規範倫理学の)結論部分は、究極的且つ厳密には学問ではなく、
 意見であり好みなのである。」
「幸福は本来主観的なものであるから、その内容の客観的な規定も
 その程度の客観的な測定も絶対に不可能である。従って、様々の幸福観の
 中で、倫理に関する社会的・国家的判断の基準としてどのような見方を
 採用すべきかは、究極的にはやはり多数決に拠らざるをえないのである。」
「非倫理的価値とは自己の幸福に対する有用性である」

以上、「倫理学の統一理論」(平尾透、ミネルヴァ書房)より引用。

個人にとっての価値と社会的な価値を一緒にするから話が混乱する。
もしも宅間が子供を殺して本当に幸福だったのなら、子供の命は彼にとっては
何の価値もなく、殺人は彼にとっては(非倫理的な)価値のある行為だった、
といわざるを得ない。
ただし、本当に「幸福だった」のかは非常に疑わしい。むしろ愚かな殺人によって
より大きな幸福を得るチャンスを失ってしまった、と推測するのが常識。
いずれにしろ、「彼にとって(非倫理的)価値であるかどうか」は、
倫理的価値として社会的にどう評価されるかとは、何の関係もないことだ。

325 :考える名無しさん:04/04/04 13:58
>>322
それが、あなたの視点を超えて真理だという根拠は何?


326 :考える名無しさん:04/04/04 21:49
>>325
307で根拠をしめしたつもりですが理解できませんでしょうか?


327 :考える名無しさん:04/04/04 21:50
写論イスラエル首相は死んでいい。

328 :考える名無しさん:04/04/04 22:07
>>322
 「視点に立つ」という言葉を使うからややこしくなるのでは?
「目的を遂行する」とでも言い換えれば解りやすくなる気もしますが。

 宅間の目的が本当に殺人だったのなら、彼にとってその子供の命は、
殺される必要のあるものだったはずです。
 これと同じように人にはそれぞれに独特な目的があります。
それを成就させるために必要なものに価値を与えていくのではないでしょうか?
 そしてそれら独特の目的の起源は、おそらくはその人の遺伝的特性や、
成長の過程で遭遇してきた諸々の事件、及び気分に由来しているのでしょう。
それなら目的というのは後天的なものであると言えるはずですし、
ならば目的は本来存在せず、
前述に従えば目的がなければ同様に価値も付与されないはずです。
よって、目的の遂行の為の素材として見なければ、
「本来すべては無意味であり無価値」であると言えるかと思われます。

 私見なので本来あなたの言いたかった事にそぐわないかもしれませんが。
おまけに過去ログの反復になっているかもしれませんが。

329 :考える名無しさん:04/04/04 22:57
>>326
307が「本来すべてが無意味であり、無価値である」ということの根拠?
それはないでしょう。307はあなたの立場の表明でしょ。

330 :考える名無しさん:04/04/04 23:04
>>328
価値というのは、目的に相対的にしか言えないということですね。
そうすると、目的そのものは、その目的のために活動している人
にとって価値があるのですか? 「価値があるともないとも言え
ない」ということになると思うのですが。

331 :考える名無しさん:04/04/05 08:48
>>329
あなたがこの世に生を受けた時 一つの視点・立場が生まれた
視点は無から生まれる。
そう考えれば 本来すべてが無価値であることは明白だ。

このあたりなんですけど?

ところで>>306の価値の定義が気になるので教えてください



332 :考える名無しさん:04/04/05 09:14
>>330
 ええ、私もそう思います。
とりあえずは総ての価値はある目的にとっての価値であって、
本来は絶対的な価値というものは無いと思います。
 ただ、あなたも言うように、「目的そのものは、
その目的のために活動している人にとって価値があるのか?」という問い。
これに答えるには、一番最初の目的がどのようにして生まれたのか?
つまりは、おそらく感情や思考というものがどのように発生したのか?
まで考えなければならず、おそらくここからは自然科学の話になるので、
私ではうまく説明できませんね。

333 :考える名無しさん:04/04/05 09:59
>>332
「○○は、それを目的にするだけの価値があるだろうか?」という問い
って、ありませんか? この場合問われているのは、全ての人に対して
成り立つという意味で絶対的ではないにしても、特定の目的への手段と
しての価値(「○○は××という目的を達するために有効/無効」)と
は異なる「それ自体としての価値」だと思いますが。

334 :考える名無しさん:04/04/05 10:23
「それ自体としての価値」は、
プラトン的に言えば「善のイデア」だし、
功利主義的に言えば「幸福」でしょう。
前者を突き詰めるとある種の「宗教」になり、
後者を突き詰めると、ある種の「相対主義」になります。>>324のような。
その種の相対主義に満足できない人は、前者の方向に行くほかありません。

335 :306じゃないけど:04/04/05 10:27
>>331
> あなたがこの世に生を受けた時 一つの視点・立場が生まれた
> 視点は無から生まれる。

これはちょっと違うかも。赤ん坊にはまだ人格はなく、両親や他の
人との関係の中で育つことではじめて人格となる、ということを無
視している。それを考えれば、視点は無から生まれた、とは言えな
いと思う。

> そう考えれば 本来すべてが無価値であることは明白だ。

どうして明白なの? 上の2行が、どういう意味で「本来すべてが
無価値」という結論の根拠になるのか、わからない。

まあ、「実存主義」の時期のサルトルなんかも、あなたと同じよう
な考え方をしていたのだから、その考えも一つの立場としては可能
だと思うが、あなたがもし「現代において、それ以外の考え方がで
きるはずない」と考えているとしたら、それは違います。

336 :考える名無しさん:04/04/05 10:29
>>334
そりゃ「突き詰め」方次第だって。「幸福という観念を突き詰めると
必ず相対主義になる」と主張しているのなら、私はそれは違うと思う
よ。

337 :考える名無しさん:04/04/05 10:37
>>333
 ムムム…難しいですね…。

 例えば、なんとなく読書したくなったとして。
(当然、この「なんとなく」というのは
その人の性格やその時の気分に依存するものでしょう。)
 この時、「読書をするだけの価値があるだろうか?」という事を
疑問に思うというのはどのような場合でしょうか。
他により重要な仕事がある時、他にもっとやりたい事がある時、
などがあると思います。
しかしこれらはすべて「他に」という語を伴っていて、
意識的にではないにしろ、他のもっと上位にくる目的が、
「読書する」という下位の目的に価値を付与していると思われます。

338 :考える名無しさん:04/04/05 10:52
>>337
たとえば、いまわたしは、<このまま2ちゃんねるを続ける>か<部屋
を片付ける>か<花を見に散歩に出かける>か、どれにしようか考えて
いる。これは、目的が決まっていて、その目的のためにどの手段が適切
か考えているんじゃないことは、明白じゃないかな?

339 :考える名無しさん:04/04/05 10:59
まあ333で言いたかったのは、そういう選択ではなくて、<特攻隊を
志願して国のために命をささげる>か、それとも<何としても生き延び
る>ことを目指すべきか、というような選択の方だったのだが、ともか
く目的があらかじめ決まっていて、その手段としてどれを取るか迷うと
いうのとは違うタイプの選択があり、そのとき人が考えているのは、<
その目的に対して有効であるか否か>という問いではない。それは、
「何を目的として目指すべきか?」という問いで、つまり目的そのもの
の価値への問いではないか、といいたかったわけです。

340 :考える名無しさん:04/04/05 11:05
>>336
幸福という観念の理解にプラトン的な視点を導入しない限り、
ある種の相対主義は不可避だと思います。
つまり、「幸福はそれぞれの自立した人間主体がそれぞれ自由に
主観的に感じるものである」という理解に立つ限り、という意味ですが。
そして、現代の「個人主義的自由主義」はこの理解を必然的に
要請するものだと思われます。
なお、私はプラトン主義は妄想だとか宗教は時代遅れだとか
言いたいわけではなく、むしろ、そのようなものが求められるのは
「必然」だと言いたいので、誤解のないようにお願いします。
「客観的に存在し誰もが目指すべき真の幸福」を求めるのは、人間性の本質
の1つなのです。
欧米ならキリスト教やイスラム教がその答えであり、かつての日本の青年層には
マルクス主義がその役を果たしました。現代では、「客観的に存在し誰もが目指す
べき真の幸福」に対する憧憬を満たすために、オウム真理教から地球環境主義
まで様々なものが採用されては捨てられております。
これに対し、「個人主義的自由主義」は、どう足掻いてもその種の
「プラトン的憧憬」にこたえ得るものではありません。そして、「理性」のみ
による限り、「個人主義的自由主義」に基づく幸福観を超えるのは、容易な
ことではありません。ここに現代社会の難しさがあると考えます。


341 :考える名無しさん:04/04/05 11:24
>>336
340の内容なら言いたいことも分かるし、私もそんなに反対しないけ
れど、334じゃ、短絡的にしか見えませんよ。

細かい点に関しては、「現代の『個人主義的自由主義』はこの理解を必
然的に要請する」っていうのは、言いたいことは分かるが、「必然的に」
ではないと、私は思ってます。「幸福はそれぞれの自立した人間主体が
それぞれ自由に主観的に感じるもの」っていうところの「自立(律)し
た人間主体」の捉え方によるし、「自由に主観的に感じるもの」だから
「客観的に……真の幸福は存在しない」ということにもならない。

342 :考える名無しさん:04/04/05 11:26
補足…かな?

 もしも、
「一番最初の目的がどのようにして生まれたのか?
つまりは、おそらく感情や思考というものがどのように発生したのか?」
に答えが与えられ、一番最初の目的が万人共通だった場合は、
その目的の遂行の為に与えられた価値がいわゆるイデアであって、
「物自体の価値」なのでしょう。

343 :ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/04/05 11:28
わたしもその考えに賛同します
イデア同一性、形而上学の必要性、必然性、ハーバマス的には神の必要性ということになります

現代はそれが「夢」になります「あなたの夢はなんですか」というとき、個人主義的自由主義?による
自律し、理性的な主体になるようもとめられています

344 :考える名無しさん:04/04/05 11:29
↑遅れました(^^;

337の補足です。

345 :ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/04/05 11:40
問題は現代社会がこのような近代的理性主義を
脱構築しつくしているということですの
それは読み込みと暴露の闘争になっている
内的に幸せ、目的を対象に対して読み込もうとするが外的に相対化される

さらに過剰に読み込もうとする
これが現代人のオタク思考ではないでしょうか

346 :考える名無しさん:04/04/05 11:42
>>338
 この例では、<このまま2ちゃんねるを続ける>か
<部屋を片付ける>か<花を見に散歩に出かける>か、
いずれの方法によって「ある種の充実感を得る」かを考えている…
とは考えられないでしょうか?

>>339
 またこの例では、与えられた価値が均等に近いだけで、
「目的を定める」という目的が背景にあると思います。

 私としては目的のない状況はそれこそ(゚д゚)ポカーンとしてる時しかない、
と考えているのですが…さすがにここまでくると厳しいかもです。(苦笑

347 :考える名無しさん:04/04/05 11:47
>>346
いや、<部屋を片付ける>は、それによって今日充実感を得ることが
目的じゃなくて、明日以降の生活を快適で能率のいいものにするため
なんです。それに対し、<花を見に散歩に出かける>は、今日充実感
を得るためで、明日以降はあまり関係ないです。

339のほうは、おっしゃるとおり矛盾する二つの目的の間での葛藤で
しょう。

348 :ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/04/05 12:04
このような過剰な読み込みは、理性的な人、理性的であるように強要されている人に起こりやすい

哲学にはまる人などまさにそうだし
生きる目的、幸せと考えた時点でそのような無限地獄?にはいってしまっているともいえる
読み込みが行き過ぎ例、正しくあろうとするあまり
たいへんなことになった例はたくさんありますね

349 :考える名無しさん:04/04/05 12:10
ぴかぁー = たいへんなことになった例 かな?

350 :考える名無しさん:04/04/05 12:14
>>347
 明日以降と今日との差は確かにあります。
でも、今は時間的な概念は必要ないのではないでしょうか。
それと、私の語彙力の無さから「充実感」という言葉を使いましたが、
それによって得られる楽しさや快適感や美術的(?)な喜び諸々を
指すつもりで使いました。混乱させてしまったようです。
いずれにしても感情的な要素であることには変わりありませんが。
「ある種の充実感を得る」よりも「感情の欲求を満たす」とした方が
よかったかもしれません。

 ある人のそれぞれの行動はバラバラに見えるけれども、
結局もっとも大きな視点(目的)から見れば
いずれの行動も統一性があるものだ、と思います。

351 :ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/04/05 12:23
ではどうすればよいか
私はハーバマス同様に他者とのコミュニケーションすることに可能性みるわけです
ただそれはコミュニケーションにより理性に向かうわけでない
理性主義は近代的エクリチュール的世界なわけです
かつての書かれたもの世界では特権的思想家が筋をかき、みなが理性的主体となる
それが現代だれもが書けるようになり相対化し
理性的であるとの間で葛藤している
そして記号の自己満足的読み込みの世界にこもる

352 :ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/04/05 12:27
だから私がコミュニケーションというとき
エクリチュール以前のパロールへの回帰を想定している

現前の他者とコミュニケーションする泥臭く「野蛮な世界」

失われた野蛮がネットで可能になったでしょ
といいたいわけです

353 :ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/04/05 12:31
いまさら自然体になどなれない
理性的を求められる
ならその理性化を楽しんじゃおうというわけです

他者とコミュニケーションすることにより
理性を賭けてゲームをするその中で脱構築と構築を繰り返されることを楽しむ

354 :ニコレット:04/04/05 12:37
>>351
>そして記号の自己満足的読み込みの世界にこもる

まぁ、ここだけはぴかーまんまを指しているわけだなw
ま、閉じこもった世界でしか読み込みできないというのは不便だわな
( ゚Д゚)y-~~~

355 :ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/04/05 12:39
コミュニケーションは人の、生物の根元的欲求です
ゲーム性がかねそなわっているというか
ゲームの楽しさがコミュニケーションですから

コミュニケーションは理性を暴露しますね
結局、ひとの泥臭い部分、いいかげんで、感情的な部分を暴露する

理性的であることの強制を解体する

なんのために生きているのか?を議論することを楽しむということです

356 :ニコレット:04/04/05 12:42
>>355
個人が理性的であるかどうかといった問題に俺は興味ないし
きっと多くの哲学者も興味ないだろう
哲学者が興味あるのは、その書かれた文章の意味するところが理性的なものかどうか、ということではないのか?


357 :ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/04/05 12:50
ではテロは間違いか?のレベルの問題をどうするか?
議論し楽しんで問題の解決になるのかということがありますね

しかしコミュニケーションというときには
楽しむだけのことではありませんね

答えなどないとするか、自分なりの答えをもつしかないとすれば
議論する意味は大きいとおもいます

ネットコミュニケーションは社会的立場を無効にする点でも議論は多様化する

ま、最後は自己選択、自己責任にむかわざるおえないのでしょうが

358 :ニコレット:04/04/05 12:54
>>357
>ま、最後は自己選択、自己責任にむかわざるおえないのでしょうが
答えを出してるし、答えを求めているじゃん
最後を問うことに意味はあるの?

359 :ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/04/05 12:55
書かれたものが理性的であるということは書く人は理性的であれと同じことなのですよ

360 :ニコレット:04/04/05 12:57
>>359
>書かれたものが理性的であるということは書く人は理性的であれと同じことなのですよ
なぜ?
数学や論理は理性的だが、それを書く人間が理性的とはとうてい思えないが?


361 :ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/04/05 13:01
責任を求められるときはありますよ
理性的の意味が違いますね

362 :考える名無しさん:04/04/05 13:03
>>335さん
レスありがとうございます

私のいう視点(立場)は人格だけではなくその人の存在をも考慮して考えてほしいです
もしも誰もいない世界に生まれても意識はありますよね?
意識はどこから生まれるか そう考えた時やはり「無」からだと思うのです
視点は意識の誕生と同時に生まれ 人格(体験したこと)の影響を受けて変化する。
私はそう考えています。

それと根拠ですが、視点を定めてなにかを見るなら
その行為が益か害か無意味かは定める視点によって変化します。
そこで本来の価値を見るには視点を定めてない状態でそれを見る
必要があると思います。
その状態で見ればすべては無意味であり無価値ではないかと考えるわけです

363 :ニコレット:04/04/05 13:28
>>361
君の理論を読む限り、責任を求められるのはコミュニケーションとは無関係のなのでは?


364 :ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/04/05 14:02
自己責任ですからね

365 :考える名無しさん:04/04/05 16:44
>>1の"いい"って何かわからない。
とりあえず誰か死んでもそれはそれで一つの現実(のように感じられる)
ならばそれは肯定するべきなんじゃないか?

366 :考える名無しさん:04/04/05 16:52
べきっつーか受け入れざるを得ないだろ

367 :考える名無しさん:04/04/05 16:57
>>366
そうさね。
スマソ。

368 :考える名無しさん:04/04/05 17:25
>>1
死んでもいい人間はいるよ。
でも、必要とされてない人間はいないね。

369 :考える名無しさん:04/04/05 18:37
>>365も言ってるけど、「いい」ってのを定義しないと訳解らなくならないか?
誰にとってなのか、何にとってなのか、それは普遍的なものかとか。

俺の意見としては、普遍的なものはなく、ケースバイケースなんじゃないかと。
こういう問題は社会や個人の倫理観が相当入り込んでくるんだろうけど、
そういうのあんまり重視しないし。もちろん一応の倫理観はもってるけど、それは
あくまで相対的なもので、普遍的に「死んでもいい人間なんていない」なんて
とても言えない。悪い意味で誠実な人間だからな。

たとえば、俺たちがこうやって2CHやってる間に、地球の反対側では物凄い勢いで
人間が餓死していってるけど、じゃあ財産を殆ど売り払って彼らを助けようなんて
思わないだろ?日本での交通事故も同様、年に何万人も死んでるのに、車を使わない・
使うなとは言わないだろ?
倫理なんてそれくらいいい加減なものだと思う。一定の効用は認めるけど。
俺は見知らぬ人間の命より自分の即物的な幸せの方がずっと価値があると思ってる。
悪い意味で誠実な人間だからな。

370 :369:04/04/05 18:39
うわ、同じフレーズを二度も。削除し忘れた。
激しくみっともないな。OTL
前のほうは脳内削除して下さい。

371 :考える名無しさん:04/04/05 20:36
てか、このスレ散々言い争った挙げ句、結局同じような話に戻ってる気が…。
>>1さんに出てきてもらわないと永遠に堂々巡りですな、こりゃ。

372 :考える名無しさん:04/04/05 22:36
このスレは結局、「主観的でない価値」というものの現代における可能性について
議論しているのかな? 「人命」というまだ幾分か説得力がある普遍的価値を題材
にして。

373 :考える名無しさん:04/04/05 22:45
>>372
そうだな。
とりあえず漏れはそのことに関してこれからも哲学をしていきたい。
とりあえず、>>1さんの降臨を期待。

374 :考える名無しさん:04/04/10 18:36
俺の結論
死んでもいい人間はいないが、死んで欲しい人間はいるし、正直どうでもいい人間もいる。

375 :考える名無しさん:04/04/13 02:51
「死んでいい人間なんていないよ」とか言ってる奴もどうせ全財産を募金に
まわしたりなんかしないんだろ?

376 :考える名無しさん:04/04/13 17:56
死んでいい人間かどうかは別として、
死んでいる人間はこの板にもたくさんいるぞ。

377 :考える名無しさん:04/04/13 18:22
みんなが死んだら人間関係が単純になって頭がすっきりする

378 :考える名無しさん:04/04/13 18:53
IQ50以下は死んだらいいんちゃう?
IQの定義は精神年齢÷実年齢×100だから つまり
40くらいなのにDQN(精神年齢17くらい)だとか
成人式でハッスルしてるやつ(精神年齢6歳くらいだろ)
死ねよ

379 :考える名無しさん:04/04/13 20:02
三浦

380 :考える名無しさん:04/04/13 21:09
>>378
つまり、君はIQ51だったりするわけだ。

381 :ニコライV ◆ggDFgffMfs :04/04/13 22:24
>>378
凄い間違えハケーン!!

>IQの定義は精神年齢÷実年齢×100
↑これ。正しくは↓
IQの定義は知能年齢÷実年齢(※1)×100
となる。

"精神年齢"は思考回路の年齢と言う感じ。
つまり、"老けてる奴"は高い。
"知能年齢"は思考回路の性能と言う感じ。
つまり、"老けてる奴"でも高いとは限らない。

※1は、20才を過ぎると脳の発達が止まる
(一部の機能は上がり続ける)ので、
40位なら20位と同じ判定になる。

恥ずかしい>>378を晒しage〜。

382 :考える名無しさん:04/04/17 19:49
良スレなんだかなんなんだかage。
1はどこに消えたのか。

383 :三浦 ◆Dshu0PxSp6 :04/04/17 19:58
この世に死んでいい人間など一人もいない。

384 :考える名無しさん:04/04/17 20:03
>>383
ちょっと大変だよ!
三浦がまともなコト言ってるよ!
まるで真人間に戻ったかのようだよ!

385 :考える名無しさん:04/04/17 20:07
消え失せてほしい奴は、いる。
そいつを本当に殺してやろうと思ったこともある。

しかし一般論として死んでいい人間もいる、という言説には、うなずきかねる。
私怨と社会への意見は分けておきたい。

386 :三浦 ◆Dshu0PxSp6 :04/04/17 20:09
この世に死んでいい人間など、一人を例外として原則は誰もいない。

387 :考える名無しさん:04/04/17 20:14
>>386
だれでつか?

388 :三浦 ◆Dshu0PxSp6 :04/04/17 20:14
w

389 :考える名無しさん:04/04/17 20:17
俺は三浦さん死んだら悲しいよ・・・

390 :考える名無しさん:04/04/17 20:20
>>388
ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ


391 :考える名無しさん:04/04/17 20:24
そんな原則なんて持ち出して、自分を卑下する事ないじゃないか

392 :皇帝 ◆XqrQAy2Hxg :04/04/17 20:31
>>386
その一人ってのが気になるんですけど、
「自分自身」のことですか?
つまり、自殺は可と?

393 :考える名無しさん:04/04/17 20:48
385 名前:考える名無しさん :04/04/17 20:07
消え失せてほしい奴は、いる。
そいつを本当に殺してやろうと思ったこともある。



394 :考える名無しさん:04/04/17 20:52
385 名前:考える名無しさん :04/04/17 20:07
消え失せてほしい奴は、いる。
そいつを本当に殺してやろうと思ったこともある。


395 :考える名無しさん:04/04/17 21:29
>>385
こういうのは書かない方がいいと思いますけどね。いくら2chでも。

396 :考える名無しさん:04/04/18 08:06
>しかし一般論として死んでいい人間もいる、という言説には、うなずきかねる。
>私怨と社会への意見は分けておきたい。

>>385の主張はこっちだ。
ちなみに過去の殺意、それも自白以外物証がない状態では、検察はおろか逮捕状も出んよ。
単なる妄想癖の持ち主のタワゴトなのかもしれんし。

397 :考える名無しさん:04/04/28 20:33
age

このような主張を展開している方がいらっしゃいます。
http://app.memorize.ne.jp/d/94/68785/2004/03/0004/N

いない派の方々、どのような説得が考えられるでしょうか。

398 :考える名無しさん:04/04/28 21:14
>>397
なんだかなぁーって感じがする日記だな。



399 :考える名無しさん:04/04/28 21:15
死んでよいね

400 :考える名無しさん:04/04/28 21:51
死んでいい人間はいる。たとえば>>1がそうだ。

401 :考える名無しさん:04/04/28 22:47
みんな死ぬ人間だってこと忘れてないか?
みんな死ぬべきなのであって、死んでもよいかどうかを議論する
権利は我々にはない。

402 :考える名無しさん:04/04/29 01:49
>>401
このスレタイの「死んでいい」は、
「殺されてもいい」という意味だろ。

403 :考える名無しさん:04/04/29 02:01
>>394
この意見には頷ける。
普段、殺したい人間などいないが、
発作的に殺ってしまいそうなのはいる。

でも、それは「本当の自分」などではない。
ホルモンバランスの乱れだ。
正常な殺人など存在しない。
少なくとも、一回目においては。

404 :考える名無しさん:04/04/30 02:03
>>403
それはあなたの信念じゃない?
全てを計算に入れて、その上で殺人をするっていうのは
当然あるでしょう。
「まず存在しない」と「存在しない」は全く違う。

136 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)