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正しい2ちゃんねるでの道徳観
- 1 :サブリナ ◆TpifAK1n8E :03/10/18 15:46
- 2ちゃんねるではガイドラインが提示されていますが、
多くにおいてあやふやです。http://www.2ch.net/guide/
「荒らし」ってなに?
スレッドを乱立させたり、長文や意味を持たない文字列やアスキーアートなどをコピー&ペーストしたり、
削除対象になるものを書き込んだり、掲示板の使い勝手を悪くしてしまう行為一般の総称です。
個人の誹謗中傷、度の過ぎた差別発言、むやみに不必要なスレッドを上げること、
執拗な煽りや叩き、なども荒らしとみなされる場合があります。
平たく言えば、他人に迷惑が掛かる書きこみはアウトってことです。。。
荒らし行為に遭遇した場合は、諌めたり挑発したりなど、むやみに対抗しないようにお願いします。
特に荒らしを煽るのは逆効果です。
荒らしに反応したらあなたも荒らしかも。。。
一般的に荒らしなどの人に迷惑をかける行為が否定されていることは、一般社会常識と同じです。
しかし荒らしに望む姿勢というものは、このような匿名掲示板特有のものではないでしょうか。
一般社会では犯罪者に遭遇すると、何らかの対応をすることが正しいとされていますが、
2ちゃんねるでは荒らしに反応することが戒められ、放置することが推奨されています。
これはおそらく2ちゃんねるでの経験的な道徳観だと思われます。
このようなことも含めて2ちゃんねるでの「正しい」道徳観とはどのようなものであるか、
根本的に考えてみましょう。
- 2 :考える名無しさん:03/10/18 15:46
- ゆうゆうと2get!
- 3 :考える名無しさん:03/10/18 15:50
- もうだれも書きこまないから義務感で3get!
- 4 :考える名無しさん:03/10/18 15:52
- >>1 小学校で学級委員やってた?
- 5 :サブリナ ◆TpifAK1n8E :03/10/18 15:52
- 少し漠然としましたが、
主に迷惑をかける行為が罪であるのは当たり前として、
迷惑をかけられる方も罪という考え方に
たいへん興味があります。
このような「迷惑をかけられる方の罪」という考え方は
どのように理解すればいいのでしょうか?
- 6 :考える名無しさん:03/10/18 15:54
- 廊下を走っては逝けません!
- 7 :二酉:03/10/21 22:42
- 2ちゃんに限らず規制の比較的ゆるい、管理人が寛容な掲示板での
ルール設定を考えてみると面白いかも。
ゲームとプレイじゃないけど、子どものうちは、「ごっこ遊び」みたいに
自分達の現状にあったルールを作り出す事、また、それを自ら守る事で
相手にも守るよう暗に要求し、相互に守っていたわけだ。でも現在は
ルールを作り出すのがすごく難しくなってる。
何が原因かは一概に言えないけど、ある程度力を持ったリーダー的な存在が
いないからじゃないかしらん。話し合う事はできても、中立の立場に立って
双方の意見を止揚するような人物の不在が問題なんじゃないかしらん。
- 8 :二酉:03/10/21 22:49
- 荒らしは放置っていうのは、消極的な応対ですね。PCいじれる位に
オトナなのに、ネットだから何しても良いとか、マナーって何?明文化
されてないなら意味ナッシンとか、そういう輩が多いのはどうかと思うです。
個人的にはプライドが無いのかと。日本人の話をするとよく言われる「世間の目」が
なくなったとたんコレなのかと。自らの中に絶対者を見出せないのかと。
教育は何をしていたのかと。与えられる事に慣れすぎて求める事を忘れたのかと。
- 9 :考える名無しさん:03/10/22 09:23
- >>5
「結果主義」の採用でしょうかね。つまり「結果的に荒らしの被害が増大した。」
>>8
「プライド」で規制するのは難しいでしょう。「プライド」が誤らないという保証がないですから。
>自らの中に絶対者を見出せないのかと。
>教育は何をしていたのかと。
まさにその通り、教育はほぼ何もしていない。
でも、そもそも道徳には「普遍化の原理」があるから、
ルールを破る事による利益を現実に消すのは難しいんですよね。
- 10 :考える名無しさん:03/10/22 15:34
- 404 :心得をよく読みましょう :03/10/22 09:14 ID:Ry4su8xr
お願いします。
【板名】 哲学
【スレのURL】http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1066459562/
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>>5
「結果主義」の採用でしょうかね。つまり「結果的に荒らしの被害が増大した。」
>>8
「プライド」で規制するのは難しいでしょう。「プライド」が誤らないという保証がないですから。
>自らの中に絶対者を見出せないのかと。
>教育は何をしていたのかと。
まさにその通り、教育はほぼ何もしていない。
でも、そもそも道徳には「普遍化の原理」があるから、
ルールを破る事による利益を現実に消すのは難しいんですよね。
- 11 :二酉:03/10/22 18:28
- いやん。誰も見ないと思ったのに(笑)
自分のいう「プライド」というのは「倫理観」と置き換えてもいいかもです。
人に迷惑をかけない、ひとを傷つけないよう「心がける」ことと。
そういう配慮ができない自分を、自分は軽蔑するです。
なんで「プライド」と言いました。
教育に関しては、一般論になってしまうと心苦しいのでつが、
何もしてない、というよりは、以前ほど成果をあげていないというのが
自分の見解です。多分、規制を破る事によってしか自己表現の場が
ないんじゃないかと思うです。自分の主張をはっきり言って自己表現するほうが
とっても建設的だと思うんですが。もっと言わせてもらうと、ルールを破っても
その快感は一時的なものですし、それを維持するためには継続的にルールをやぶるしか
ないと思うです。でも、その集団がもしその「ルールを破る」のを容認した場合に
彼の存在意義はどうなっちゃうんだろうかと思います。
- 12 :二酉:03/10/22 18:33
- 例えば昔からやんちゃだった子が、大きくなっても「アレはああいう子だから」という
目で見られるようなときです。彼も大きくなったら、というか成熟したら、他者との
健全な関係を望むかもしれません。彼女ほしいとか、結婚したいとか。
でも、周囲はそれを許さないですよね。「自業自得だ」といことで。
名前出しちゃってアレですが、厨房さんが規制議論に顔出したときの
住民の反応がそれですた。それからは逆に「説教強盗」とか叩かれるように
なりますたね(そのコトバの意味がよくわからんですが、ダメージを受けてたようなので
耳に痛い言葉だったんでしょう)でも、それってどうかと思うのです。
- 13 :二酉:03/10/22 18:39
- 自分は「君子豹変す」はアリだと思ってます。
ショウペンハウアーが厭世の思想を著したくせに、自分は人生楽しんだという
指摘もそうなんですが、思想と生き方は別にリンクしてなくてもいいと思います。
頭の中で何を考えているにしろ、「人間」である以上はご飯をたべなきゃいけないし
子どもの頃の失敗をネタにされる可能性はあるし、失恋だってする可能性があります。
自分の生き方から思想を抽出するのは、今はやりのビジネス哲学とか人生哲学とかです。
生き方自体の誤差がある程度決まっているから、そこに見られる思想もかぶりまくりです。
それが、学問として扱えるようになるには、思想と生き方を区別するか、
逆に思想から行き方を決めるようにするしかないと思います、前者はショ氏、
後者は孔子とか、儒家でつね。
- 14 :二酉:03/10/22 18:42
- んで、何を言いたいかっていうと、頭の中で考えている事は他人にはわかんないので
何か天啓を受けたのかもしれないです。もしかしたら、前から他者との健全な関係を
持ちたいと思っていて、でも、なかなか方策がみつからずにいただけかもしれないです。
だったら、過ちを認めて、すぐに反映する「君子豹変す」はアリなんじゃないかと。
- 15 :二酉:03/10/22 18:42
- つか、全然関係の無い話ですたね(´Д`;) スマソ
- 16 :考える名無しさん:03/10/22 22:42
- >>11
なぜそのような配慮をするのか、という動機ないし原理はどう思いますか。
例えば「ばれると自分にとって不利益だから、」という理由の場合、
匿名なら「なにをしてもいい」ことになりますね。
わたしはそれが「2ちゃんねる」なのだと思います。
「ばれると〜」に対抗できる原理はなんでしょうね。
それと私が思うに「2ちゃんねる」の世界観は
いわば「DQN」論的世界観とでも言うべきものです。
マトモな「2ちゃんねらー」とキティな「DQN」の二分法。
そこに「成長」の要素は含意されません。
もちろんこの世界観自体が議論の余地ありだとは思いますが。
- 17 :二酉:03/10/23 00:45
- >>16
動機は、実社会においてもそういう配慮をしようとしているからです。
自分は自分を律する事、むやみに秩序を乱さない事を評価していますし、
君子とまではいかなくても、士太夫ぐらいにはなりたいという「理想」があります。
「ばれる・ばれない」に関わらず、やって後ろめたくなるような事はしないという立場です。
これは、あくまで自分の考え方なんで押し付けようとは思いませんが、
いつかはみんながこう考えてくれたらいいなーとは思っています。
「ばれると」に対抗するためには、それこそ何でも見守っている絶対者を
想定するしかないと思います。それを自分の外に見出せば神でしょうし、
自分のうちに見出せば自分の理想像でしょう。両方とも、現在では軽視されがちですが
そういう風潮が実際にあるのも事実です。
- 18 :二酉:03/10/23 00:55
- 思うに、情報の供給が過剰なんだと思います。
何のために情報を得るのかを体得しないまま、膨大な情報の洪水の中に
いるのですから、自分の立脚点のようなものを築きにくいんじゃないでしょうか。
また、神にいたっては、その存在を信じられるような材料がもうほとんどないです。
インチキ宗教がはびこり、なんでもおカネで解決できるよう世の中にあって
そうした神を信じるヒトはなかなかいないと思います。
こういう時に自分は荀子を思うです。
ヒトは生まれながらに人なのではなく、その後の修養によって人たりうるのだと。
中国では、君子、怪力乱神を語らずということで、絶対的な神のような存在を
語ることはタブー視されていました。ゆえに、あくまでも目の前にあるものから
事象をみようとする易や、自己のうちにそうした神性を見出す「性善」の思想が
できたんじゃないかと思います。でも、それでも世は乱れます。
悪い事が横行し、犯罪も減りません。ここで出てくる荀子の考え方は
彼が本当に「人間をみていた」というのを実感させられます。
現代も、これと同じ状況じゃないかと思うのです。
- 19 :二酉:03/10/23 01:06
- 自分達も、人間をみなくてはなりません。理解するためには、
情報を得なければなりません。ここが2ちゃんねるという場だということを差し引いても、
その運営者も、ボランティアの方も画面の向こうに居る住民も、みんな等しく人間です。
(ここで実はPCで操作されて云々というのはナシで(笑))
匿名になったとたん、その倫理観が壊れるというのは、もとよりそんなもんが
なかったんじゃないかと思います。特に他板と比較するようでアレですが、
この板はチョト毛色が違います。他の板では「荒らしは放置」なんですね。
住民も多く、入れ替わりが少ないちく裏とか生活系の板なんかがそうです。
マンパワーで押し切るというか。上記のような倫理観がある程度身についている人が
多いと、これも可能です。逆に、人が少なくとも古文・漢文とか言語学のようにある程度の
専門知識が必要で、チョトかたい雰囲気があるうえ、荒らしまがいのレスは
きちんと的確なレスをつけた上で放置する住民が多いのが特徴かと思われます。
双方とも「住民(の自浄作用)>荒らしの被害」なんですな。
- 20 :二酉:03/10/23 01:10
- ぬー速とか実況系の板のことはわからないんでアレですが、
あちらは住民の努力云々以前に、管理側が厳しく対応しているようです。
厳しすぎて祭りになることもあるようですが。
これらをみてもわかるように、板にはある程度の秩序が生まれます。
哲学板と聞いて、真剣に哲学の話がしたい人と、ちょっとテツガクっぽい話がしたい
人が集まるこの板では、人の入れ替わりとあいまって双方の力関係が変わりますし
そうやって相転移しているうちは、内部の人間だけでの秩序の形成は
しょーじき無理なんじゃないかと思います。
- 21 :二酉:03/10/23 01:13
- まともな「2ちゃんねらー」と「DQN」というわけ方にしても、さらにそれを
「どっちも2ちゃんに来てるヤシ」というメタな立場で見る人も居ると思うです。
個人的に、ダイアローグを重視する哲板でぐらい、「成長」を認めてくれても
いいんじゃないかと思うんですがね。
どうも、論点がずれまくりのようですが、どうでしょうか。
- 22 :考える名無しさん:03/10/23 07:34
- 絶対者を想定する事の困難さが、情報過剰に由来するとして、
修養が大事だとする主張は御尤もだと思いますよ。
修養という点で「成長」を認めることが大事だと私も思います。
しかし、具体的に如何なる修養を積めば「絶対者」を持つことができるのでしょうか。
その修養が、ある者にしかできなかったり、妥当性を認められないものであれば、
道徳としての普遍性を主張できなくなってしまいますね。
「人間を見る」というのは重要ですが、表現がアバウトで、
下手すると個人主義や相対主義に陥るなどして、
各人が独自に行なうだけでは道徳性をどこまで高められるか疑問です。
また究極的な選択において、決着を誤ることもありそうです。
- 23 :考える名無しさん:03/10/23 19:25
- 454 :心得をよく読みましょう :03/10/22 22:37 ID:6SmyzL5m
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>>11
なぜそのような配慮をするのか、という動機ないし原理はどう思いますか。
例えば「ばれると自分にとって不利益だから、」という理由の場合、
匿名なら「なにをしてもいい」ことになりますね。
わたしはそれが「2ちゃんねる」なのだと思います。
「ばれると〜」に対抗できる原理はなんでしょうね。
それと私が思うに「2ちゃんねる」の世界観は
いわば「DQN」論的世界観とでも言うべきものです。
マトモな「2ちゃんねらー」とキティな「DQN」の二分法。
そこに「成長」の要素は含意されません。
もちろんこの世界観自体が議論の余地ありだとは思いますが。
- 24 :考える名無しさん:03/10/23 19:51
- 二酉さんの考えには欠落した部分があると思います。
よく言われることですが、ネットという特殊性です。
ネットでの議論は過激になりやすいというのはにちゃんねるのみならず、
よく言われていることです。
荒らし議論の本質はこのようなネット上の議論は感情、煽り的になりやすいことにあるのではないでしょうか
- 25 :考える名無しさん:03/10/23 20:04
- つうか、まず、「道徳の目的」というものを、ちゃんと考えたほうがいいと思う。
単純にいって、社会のために道徳は存在するわけだけど、
道徳のために社会が存在するわけじゃない。
ガイドラインにしてからが、
ガイドラインのために 2ch があるのではなく、
2ch のために(止むを得ず)ガイドラインを作ったわけで、
ガイドラインが杓子定規に適用されないのも、
要は、2ch の目的が十分果たされていれば、
ガイドラインのため(だけ)に、いちいち面倒なことをする必要がないからだろう。
このあたりをはきちがえると
「(オレが正しいと思う)道徳に2chを合わせろ。」
「ガイドラインに反している(状態がオレには不快だ)
から運営側は万難を排してこれをなんとかしろ。」
ということになる。
- 26 :CaptainTarlock:03/10/23 21:20
- 特異な双方向環境としての存在意義は失われつつある。
- 27 :考える名無しさん:03/10/23 21:33
- >>24
2chを代表する匿名掲示板とネット上の掲示板を混同しないでください。
きちんとした管理人が、適切なシステムを運用し、それなりの議論に
関する常識を備えた人間が集まる掲示板なら、感情・煽り的にならない
議論を成立させることは、可能です。
また、知人同士がネットで会話することを考えれば分かりますが
ネット上だから感情的になるというのは明白な誤解です。
ネット上「だから」知らない人間に対して傷つけたり、無責任な発言をしても
構わないと考えるような>>24のような人間の中に、ろくでもない発言を
する者がいるのです。
ネット上かどうかに関係なく、知らない人間に対しても、傷つけたり、
無責任な発言をしない人間にとっては、>>24など本質などではありません。
>>24は単なる言い抜けにしか聞こえないでしょう。
理論的に言っても、ネットが人間から離れて特殊性を持つかのような書き方は
根拠薄弱です。
ネットは人間の概念的な構成物です。ネット上の特殊性をことさらに強調する人間は、
自分のネットに関する理解を全ての人間の行動に無条件にあてはめるような操作をしているのです。
しかし、人間はネットに動かされるのではなく、ネットの条件下で動くのですから、
それは、「ネットの特殊性」ではなく、
>>24が「ネットの特殊性」で指したときに要素となる「人間の特殊性ないし
特殊的な場合」なのです。
それは、ある種の人間が持つ特殊性かもしれないし、人間の属性の特殊的に現れかもしれません。
- 28 :考える名無しさん:03/10/23 21:34
- 私は、圧倒的に匿名掲示板で現れやすいのは、反社会的・差別的な言動の正当化であると思っています。
その点は、ある種の人間が持つ特殊性の現れであり、ネットの特殊性でも人間の属性の特殊的な表れでもないと思っています。
ただ、ある種の人間が持つ特殊性が相対的に目立つようなシステムである場合がある。
発言があることが存在を示し、発言がない場合は、存在自体がないような空間が成立するようになった(2ch)。
それをどうにかしたいと、そのシステムの枠内で考えるとき、道徳観が問題になる余地が出てきます。
これは不適切なことではない。なぜならば、道徳観を示すことは、それのみで解決をはかろうとすることや、それを押し付けることと
同じではないからです。単なる記述だからです。
そして、それに従ってシステムを変更することにもつながっていくし、
それを示すことで、書き込んでいる人間の層がよくなることもあるかもしれません。
以上、いずれにせよ本質は人間にありネットにあるのではない。
ネットを口実にする者は、ネットを道徳としているに過ぎない。
- 29 :考える名無しさん:03/10/23 21:38
- >>27
やはりネットには感情的、煽り的になることを
実証するようなレスですね。
- 30 :考える名無しさん:03/10/23 21:52
- 私はネットという媒体の特殊性はあると思います。
いくつかの理由があると思いますが、
いくつかあげると、
@コミュニケーションの容易性
ネット以前のコミュニケーションでは、コミュニケーションには
ある種の障壁が存在したと思います。
たとえば街を歩いているときに見も知らない人に声をかけたり、
街で話し合っている人にいきなり割ってはいるというような行為は
なかなか普通はしないものです。
しかしネットでは、それが匿名ではなくとも結構容易にこのような
ことが可能になります。
これは一つにはネットの掲示板というコミュニケーションすることを
前提とした今まで知らない同士の人が集まるという人口密度の高さが、
以前の実社会ではなかった環境であるということ。
そしてどのようなくだらないような内容でもレスをすることが許される
状況というのが、いままでにない特殊な環境であると考えられます。
Aテキストでのコミュニケーション
テキストでのコミュニケーションというのは、ある種のフラストレーションを
人に強いるのではないかということが考えられます。
面と向かっていれば、音声情報や、視覚情報を使うことができます。
テキストのみという情報量の少なさは、たとえば雑音の多い状態で
電話をするようなもので、自然と大声になったり、イライラしてしますような
状況に似ているのかも知れません。
その他にも理由があるかもしれませんが、とりあえず二つあげてみました。
- 31 :考える名無しさん:03/10/23 21:57
- >>29は、相手からの批判をかわすために、相手の意見を感情的だということに
したがる、感情的な批判の実例ですね。
- 32 :考える名無しさん:03/10/23 21:58
- >>25
>単純にいって、社会のために道徳は存在するわけだけど、
>道徳のために社会が存在するわけじゃない。
1行目は誤解です。道徳は社会のために存在するのではない。
自己がする他者への考慮そのものが、道徳なのです。
それが多くの自己にいきわたったとき、その道徳は社会的であり
社会−多くの自己−のためになっているのです。
あなたのいう道徳は全体主義的です。
道徳のために社会が存在するわけではない、はもっともそうに
聞こえるが、こちらは危険な言い方です。
なぜならば、道徳は、ある一つの自己(仮に太郎)がする他者への配慮に
関する言及として現れた−例えば、掲示板で誰かが道徳的なレスをした−とき、
それは、必然的に他者−(太郎以外の自己たち)−に向けられるわけですが、
その場合に「道徳のために社会が存在するわけではない」は、
ある他者(太郎以外の自己、仮に次郎)が、太郎の道徳的批判を
「太郎の道徳のために、太郎以外が存在するわけじゃない」という
理由にならない理由で回避するいいわけそのものだからです。
これは、まことに全体主義的ないいわけです。
つまりあなたは全体主義的に道徳を支持し、全体主義的に道徳を否定している。
その実、あなたは今日的な意味(個人主義的な意味)において全く非道徳的なのです。
- 33 :考える名無しさん:03/10/23 22:01
- >>25
>ガイドラインにしてからが、ガイドラインのために 2ch があるのではなく、
>2ch のために(止むを得ず)ガイドラインを作ったわけで、
>ガイドラインが杓子定規に適用されないのも、
>要は、2ch の目的が十分果たされていれば、
>ガイドラインのため(だけ)に、いちいち面倒なことをする必要がないからだろう。
そもそも、ガイドラインは、2chの目的を補完させるために機能させるルールであり、道徳ではない。
機能を満たすために設けられたルールと、配慮の契機を混同するくらい愚かなことはない。
あなたは、ルールを自己目的化する論点を、自己それぞれがする他者への配慮の話と混同して
理解しているから、「私は、2chはこのようにあるべきだと思う、」という意見を
>「(オレが正しいと思う)道徳に2chを合わせろ。」
と、相手が考えてもいない、あなた自身が持つ全体主義的な理解をあてはめて書き換えることになる。
「ガイドライン」に反している状態が、2chの目的=多くの自己の目的にとって好ましいかどうかを
一切考えに入れずに
>「ガイドラインに反している(状態がオレには不快だ)
> から運営側は万難を排してこれをなんとかしろ。」
と、ある「オレ」の気分の問題に限定して、全体主義的に批判を無視しようとする。
「(批判者が)運営側は万難を排してなんとかしろと言っている」と言う、あなた(>>25)は
ガイドラインについてどう考えているかが問題であるはずなのに、
ある個人の批判だから、批判を否定する。このような考えを堂々と述べられる程度にしか、
議論の仕方が教育されていないこと自体が、恐ろしいことです。
- 34 :考える名無しさん:03/10/23 22:04
- >2chを代表する匿名掲示板とネット上の掲示板を混同しないでください。
>きちんとした管理人が、適切なシステムを運用し、それなりの議論に
>関する常識を備えた人間が集まる掲示板なら、感情・煽り的にならない
>議論を成立させることは、可能です。
>また、知人同士がネットで会話することを考えれば分かりますが
>ネット上だから感情的になるというのは明白な誤解です。
>ネット上「だから」知らない人間に対して傷つけたり、無責任な発言をしても
>構わないと考えるような>>24のような人間の中に、ろくでもない発言を
>する者がいるのです。
落ち着いてください。
私はなにも感情・煽り的にならない議論を成立させることは不可能であるとはいっていませんし、
ネット上「だから」知らない人間に対して傷つけたり、無責任な発言をしても
構わないといっているわけではありません。
ネットでのコミュニケーションでは、実社会での場合よりも、
感情・煽り的なりやすい傾向が、ネットというシステムの中に内在しているのではないかと
いっているのです。
だから冷静なコミュニケーションのためには、実社会よりも
人に抑止、努力をしいるのではないかということです。
- 35 :考える名無しさん:03/10/23 22:06
- >>>29は、相手からの批判をかわすために、相手の意見を感情的だということに
>したがる、感情的な批判の実例ですね。
という、煽りレスの典型ですね。
- 36 :CaptainTarlock:03/10/23 22:09
- 言葉や使い方は選ぶものだ。
- 37 :考える名無しさん:03/10/23 22:10
- >>30
>私はネットという媒体の特殊性はあると思います。
ネットという媒体は、人間による構造物ですから、
ネットを人間が運用するときの特殊性は、ネットの特殊性と
語るに適する内容を持たない、と>>27-28で記したとおりです。
>@コミュニケーションの容易性
今は、>>24の「荒らし議論の本質」として、ネットであることが
問題とされていたのです。ネットがあるために、コミュニケーションが、
容易に成立しやすくなったからといって、そこで何をするか、何をすべきかが、
当然に決まるわけではありません。容易だから荒らすとか、容易だから
感情的になるとは言えないのは明らかです。
>Aテキストでのコミュニケーション
>テキストでのコミュニケーションというのは、ある種のフラストレーションを
>人に強いるのではないかということが考えられます。
手紙もテキストだとするなら、手紙がフラストレーションを強いるという
意見は聞いたことが無いし、実際そんなことはないでしょう。
@・Aに、多少の変更を加えて理解するにしても、それをネットの特殊性として
理解するのは困難でしょう。まあこういう問題は、ある程度言葉の問題なため
実益と共に考えられなければ意味がないと思われます。
そういう観点からしても、人間の使用の問題として捉えなおすアプローチの方が
有効であることは、言を待ちません。
- 38 :考える名無しさん:03/10/23 22:12
- >>35
自分を自分を貶めるのはよしましょう。
- 39 :二酉:03/10/23 22:12
- >ネットでのコミュニケーションでは、実社会での場合よりも、
>感情・煽り的なりやすい傾向が、ネットというシステムの中に内在しているのではないかと
>いっているのです。
それはシステムの欠陥というよりは、やっぱり利用する人間の方に
問題があるんじゃないかと思いますー。自分を特定されず、
また相手の顔が見えないときにどう振舞うかというのは
個々人のモラルやプライドによるところが非常に大きいと思います。
普段から気をつけている人は、ネットだからといって豹変したり、無理をしたりは
しないと思いますよ。匿名性を「普段はいえない本音をぶちまけてもいい」ととるか
「普段はやっちゃいけないこともしていい」ととるかの違いは非常に大きいんじゃないでしょうか。
根っこは匿名性に由来しているとは思うんですけどね。
- 40 :考える名無しさん:03/10/23 22:13
-
2ちゃんにルールなどないのだよ(w
- 41 :二酉:03/10/23 22:14
- >>40
ルールはそこにいる人間達で作るもんだし、マナーはしっかりありますよ。
もともと持ってない人はそんなの無いっていうかもしれませんがね。
- 42 :ヘレネ ◆ChJxSQc/No :03/10/23 22:15
- わたしは2ちゃんねるを、ひろゆきさんの壮大な実験場みたいなものだと考えているので
ありのままの今の世間を眺めることができるこの場所は大変貴重なものだと思っています。
意見に対する批判がすぐ来るし、それが荒らしや中傷だとしても
意外に真実が隠れていたりして興味深い。
それよりもどちらかと言えば
「世間の常識」「当たり前だから」「自分の主張・信条」を
強固に押し付けてくる人の方に恐怖を感じます。
「ごめんなさい」「間違っていました」が言えないということが
大げさに言えば戦争や紛争に繋がっていて、
人間の本質とは暴力なのかな?と考えたりします。
- 43 :考える名無しさん:03/10/23 22:15
- >>34
そのような意図ならば、私としては特に疑義はありませんが、
>>24は誤解を招く表現になっているとは思います。
過激さを煽っただけで、それに対してどうあるべきかに
触れられていないからです。
- 44 :考える名無しさん:03/10/23 22:15
- 何年2ちゃんねるやってんだよ。
今更そんな話かよ、と。
- 45 :考える名無しさん:03/10/23 22:17
-
要は、ひろゆきがルールなんだろ?
- 46 :考える名無しさん:03/10/23 22:18
- 茶でへそが沸くぜ!
- 47 :考える名無しさん:03/10/23 22:20
- >>42
すでに書いたとおり、2ちゃんねるは、レスがあることが存在条件であり
また、レスが多いことが、存在を拡大する面がある(実社会では
しつこく意見を述べていることが、複数の者によって意見されているように
映る面がある)ので、あなたのように世間を眺めるかのように
2ちゃんねるを見るのは、壮大な誤解に至る可能性が極めて高い視点だと
思われます。
また、主張にかかわらず、「ある」ことで、一応の存在が意識される
あり方、また、かかわることで、「レス(意見)」に影響を与え合うあり方は、
特にあなたが「私的に」補強したがっているように見える、
暴力的なものに、特に大きな修正を与えるあり方だと思われます。
そういう意味でも、あなたの考えは偏っていると思われます。
- 48 :考える名無しさん:03/10/23 22:20
- 神です。
- 49 :考える名無しさん:03/10/23 22:20
- いまさら謝ったって、許してあっげないっ!
- 50 :考える名無しさん:03/10/23 22:23
- >二酉
疲れない程度に啓蒙?していってください。
頑張ってください。
あなたのような考えを評価している人間は、
必ず、それも少なからずいますので。
- 51 :考える名無しさん:03/10/23 22:23
- 2ちゃんて、アレだよな。
大して人なんていないのに、
あたかも沢山の人がいるかのように見せかけている面があるよな。
- 52 :考える名無しさん:03/10/23 22:26
- ぞんな ごと いばれでも ばかんないよ。
- 53 :ヘレネ ◆ChJxSQc/No :03/10/23 22:26
- >>45
ひろゆきさんの根源的な欲求がこの場所を作っているであろうことは
誰しも考えると思います。
しかし、未だにボランティアという形を(表面上かもしれないけれど)とっていること、
これだけの動員数で経営が(運営よりも経営ですよね)破綻しないのも
偏にひろゆきさんがある種の信念を持っているからだと考えます。
2ちゃんねるが存在することが当たり前に感じられますが、
これは偉業と言ってよい類のものではないでしょうか。
- 54 :考える名無しさん:03/10/23 22:27
- >ネットという媒体は、人間による構造物ですから、
>ネットを人間が運用するときの特殊性は、ネットの特殊性と
>語るに適する内容を持たない
これについては、理解しがたいです。
人の構造物であったとしても、その中で人がコミュニケートする以上、環境です。
環境がどこまで人工的であるかと、人が環境に作用されることとは、
関係性は特にないと思います。
- 55 :考える名無しさん:03/10/23 22:28
- >容易に成立しやすくなったからといって、そこで何をするか、何をすべきかが、
>当然に決まるわけではありません。容易だから荒らすとか、容易だから
>感情的になるとは言えないのは明らかです。
少し説明不足、考察不足だったかもしれません。
容易なコミュニケーションは、コミュニケーションを目的化するというのはどうでしょうか。
本来、コミュニケーションは他者になにかを伝えることを目的としますが、
なにを伝えるではなく、他者にレスすることが目的化する。
なぜそのようなことが起こるのかといえば、コミュニケート自体が人の持つ「欲」の一つだからです。
人は誰かとコミュニケートしてたいという欲をもっています。
そして実社会に比べて、コミュニケーションを容易にするネットでは、
コミュニケーション欲を抑制する障壁が低くなる。
荒らしについていえば、基本は他者が反応することを楽しんでいると言う面が大きいと
思います。これをコミュニケーションと呼ぶのかということはあるかも知れませんが、
このような形でコミュニケーション欲満たそうとしているのではないでしょうか。
そして荒らしまで行かなくても、ネット上ではコミュニケーションしやすいが故に、
コミュニケーション欲を満たそうとする感情が露呈しやすいということです。
- 56 :考える名無しさん:03/10/23 22:29
- ひろゆき信者出没注意!
- 57 :二酉:03/10/23 22:29
- >>42
この板と他の板は区別されたほうがいいかもしれませんです。
自分の主張や信条を高らかに述べる人はたくさん居ますが、みなさん
その理由をきちんと説明できる方がほとんどでしょうし、それをアレレ?と感じた時でも
きちんと説明できるだけの思索はなされているはずです。一応「哲学板」ですから。
むしろ、「世間の常識」や「当たり前」でごりおしするような輩は少数派なんじゃないかと。
もっと言わせてもらうと、間違っていたからといって謝る必要は無いと自分は考えます。
素直な気持ちから出てくる言葉を止めるというわけではなく、自分の過ちを認めた時点で
その人は成長したのですから、謝意を表せば能く、間違っても
相手の改心の証拠を強要するような態度は、それこそ俗世間的であり、
過ちを認めることをいやがらせる理由になると思いますが、どうでしょうか。
- 58 :考える名無しさん:03/10/23 22:30
- おやすみなさい。
- 59 :考える名無しさん:03/10/23 22:30
- >>51
その通りだと思います。
3人居れば、かなりの人数がいるようにみせかけられますから
特に、反社会的な内容のスレッドなどは、率先して規制していくような
対処が、長期的には必要だと社会に実感されてくるはずですよ。
2ちゃんねるの運営者も、本気でそう思うような想像力を
つけてもらうために、社会に2ちゃんねるを見せているようなところが
あると、個人的に思ってます(これは、あくまで私見ですが)。
何しろ、普通だったら到底同調を得られないような考えが、
たくさんの人間に支持されているかのような錯覚の元で
補強されかねないですからね。例えば、>>42のような、
注意と暴力を混同するような考えは、実社会では絶対に支持されませんよね。
明白に間違いですから(ヤンキーとオヤジどっちが強いか考えればわかる)。
それが、ネット上では転倒させられ、実社会でもネット上でも、
ヤンキーの天下になってしまう(!)
(ここでいうヤンキーとは、批判を受け付けないような主張をする人の例です)
- 60 :考える名無しさん:03/10/23 22:30
- クマより危険。
- 61 :考える名無しさん:03/10/23 22:37
- >>54
>>ネットという媒体は、人間による構造物ですから、
>>ネットを人間が運用するときの特殊性は、ネットの特殊性と
>>語るに適する内容を持たない
>これについては、理解しがたいです。人の構造物であったとしても、その中で人がコミュニケートする以上、環境です。
>環境がどこまで人工的であるかと、人が環境に作用されることとは、関係性は特にないと思います。
>>37は、人工的であることにウェイトがあるのではなく、「人がコミュニケートするのはパソコンの前であり
ネットはそのコミュニケートをする上で、パソコンの前に座っている人に描かれる条件や想像」だから
人の問題として捉えるのが適切であり、ネットという対象として特殊性を考えるアプローチは上手くないという
意味で述べられたものです。つまり、人の「環境」であり、ネット「環境」ではないということですね。
>>55
(要約)コミュニケーションが欲求の対象として目的化することが、ネットの特殊性である
もちろん、言葉の上で、ネットの特殊性と読んでもさしつかえない(マスコミ好みの表現だ、とか
言うときのニュアンスと同じニュアンスで)ですが、そう考えるより、人に与えられた条件の特殊性であり、
人によって、条件の特殊性に対する反応も違うと考えた方が、よりよい考えではないか、
というのが、私の問題意識です。
- 62 :考える名無しさん:03/10/23 22:38
- >手紙もテキストだとするなら、手紙がフラストレーションを強いるという
>意見は聞いたことが無いし、実際そんなことはないでしょう。
なるほど、手紙ですか。
しかし手紙とネットの違いの説明は容易にわかります。
まずは手紙は誰に書くかということです。
面識のない人かくことはまれです。
もう一つは応答性の速度です。
ただ手紙も通常の会話とはまた違った特色があるとは思います。
たとえば、ラブレターや感謝の言葉など、にみられるような口では言えない
恥ずかしいことが言えるなどです。
これは手紙という慎重なコミュニケーションという面が表していると思います。
ネットのテキストベースのコミュニケーションがフラストレーションを起こしやすいのは、
ネットの知らない人とのコミュニケーション、応答性という面を加える必要があると
いうことでしょう。
- 63 :悪法も法なり:03/10/23 22:39
- >>32
>自己がする他者への考慮そのものが、道徳なのです。
それはあなたの道徳の定義ですか?それとも普遍的なものですか?
思うに道徳には共同体における慣習という語源的な意味があると思いますが。
そう考えれば、私には>>25氏の見解は誤解とは思えませんが。
また、議論とははずれますが、>>33の終わり4行はあなた自身の道徳(他者への配慮)
に合致しているのですか?(これはあくまで個人的な感想です)
- 64 :考える名無しさん:03/10/23 22:49
- >それはシステムの欠陥というよりは、やっぱり利用する人間の方に
>問題があるんじゃないかと思いますー。自分を特定されず、
>また相手の顔が見えないときにどう振舞うかというのは
>個々人のモラルやプライドによるところが非常に大きいと思います。
>普段から気をつけている人は、ネットだからといって豹変したり、無理をしたりは
>しないと思いますよ。匿名性を「普段はいえない本音をぶちまけてもいい」ととるか
>「普段はやっちゃいけないこともしていい」ととるかの違いは非常に大きいんじゃないでしょうか。
>根っこは匿名性に由来しているとは思うんですけどね。
どうしてもそこにいってしまうのは、規制議論の流れでしょうか。
再度いいますが、システムの欠陥ではなく、特殊性の話です。
「普段はいえない本音をぶちまけてもいい」という良い悪いの話ではなく、
システムに内在する傾向のことです。
システムに内在するから、実生活よりもモラルを下げてもいいということではないのです。
ネット上のコミュニケーション場というものが、実社会のコミュニケーション場と
どのような違いがあるかということです。
治安が悪いときには犯罪が起こりやすい。だから治安が落ちた時の犯罪は許されるでは
ないのです。犯罪はどのような時にも犯罪です。
先ほど示したように、コミュニケーションにおいても、面と向かう、電話、手紙、ネットという
ようにそれぞれの傾向があることはとても当然のことだと思います。
そしてネット上のコミュニケーションには、感情的、煽り的になりやすい傾向が
あるのではないだろうか、ということです。誤解なきよう。
- 65 :考える名無しさん:03/10/23 22:49
- >>62
あなたは、テキストベースのコミュニケーションだからフラストレーションを
強いる、と書いたのです。だから、それに対して、テキストベースだから
強いるのではない、と書いたのです。手紙の特殊性の話を始める際には、
その点誤解があったことを認めるのが、責任ある態度だと思いますよ。
おまけに、口では言えない恥ずかしいことが言えるのは、フラストレーションを
強いることではなくなっています(テキストベースなのに)。
論理の話ですよ、念のため。
>>63
論点が混乱しています。>>25氏の誤解は、運用上必要なルールと
道徳を混同した点にあります。この点は、共同体における慣習であるか
どうかではなく、「道徳が価値判断を要素とする」点を理解していないから
誤解なのです。
>>25氏の道徳に関する理解に対する批判は、現代的な意味で道徳的であるために
必要な理解を満たしてないという主旨です。これは語源とは無関係です。
語源は、道徳の成立条件の理解のもとで作られたものではありませんから
成立条件に基づいた批判を行うことはありえることです。
>>33終わり4行
「(批判者が)運営側は万難を排してなんとかしろと言っている」と言う、あなた(>>25)は
ガイドラインについてどう考えているかが問題であるはずなのに、
ある個人の批判だから、批判を否定する。このような考えを堂々と述べられる程度にしか、
議論の仕方が教育されていないこと自体が、恐ろしいことです。
これは、>>25の態度を批判したものです。批判は言葉のニュアンス上、配慮とはあわないですし、
配慮が無かったとあなたがしたければ、そのように理解されても構いませんが、
私がとるべきと考える態度と矛盾したとは考えておりません。
- 66 :考える名無しさん:03/10/23 22:54
- >>65訂正
>>25氏の誤解は、運用上必要なルールと道徳を混同した点にあります。
→(>>63氏がいう)>>25氏に誤解とは思えない、の「誤解」は、運用上必要なルールと道徳を混同した点にあります。
>>32の最初にある「誤解」は、
>>65にいう「>>25氏の道徳に関する理解に対する批判」を指しています。
- 67 :考える名無しさん:03/10/23 22:55
- >>66の補足を訂正(御免なさい)
>>32の最初にある「誤解」は、
>>65にいう「>>25氏の道徳に関する理解」を指しています。
- 68 :考える名無しさん:03/10/23 23:01
- 「正しい2ちゃんねる」なんて矛盾してる。
- 69 :考える名無しさん:03/10/23 23:03
- >>63
内容上必要だと思いますので、
「思うに道徳には共同体における慣習という語源的な意味があると思いますが。
」
について、補足を行います。
>>63「共同体における慣習」という意味と、>>25「単純にいって、社会のために道徳は存在する」は、
同じではありません。
共同体における慣習は、あくまで共同体レベルで認められている慣習、の意味であり、
共同体の「ために」慣習が成立したことを意味しません。
- 70 :考える名無しさん:03/10/23 23:04
- >>>37は、人工的であることにウェイトがあるのではなく、「人がコミュニケートするのはパソコンの前であり
>ネットはそのコミュニケートをする上で、パソコンの前に座っている人に描かれる条件や想像」だから
>人の問題として捉えるのが適切であり、ネットという対象として特殊性を考えるアプローチは上手くないという
>意味で述べられたものです。つまり、人の「環境」であり、ネット「環境」ではないということですね。
>もちろん、言葉の上で、ネットの特殊性と読んでもさしつかえない(マスコミ好みの表現だ、とか
>言うときのニュアンスと同じニュアンスで)ですが、そう考えるより、人に与えられた条件の特殊性であり、
>人によって、条件の特殊性に対する反応も違うと考えた方が、よりよい考えではないか、
>というのが、私の問題意識です。
循環してきましたか。
まとめると、私がいうところの環境の特殊性とは、人に与えられた条件の特殊性であり、
根元的には、人の人間性に依存するということでしょうか。
すなわちどのような特殊な環境においても、問題は人間性であるということですかね。
そういうことならば、私が言いたいのは、簡単にいえば、人はそれほど強くないということになるのでしょうか。
環境を理解することはとても難しいものです。それよりも適用しようとするものだと思います。
人は意図しなくても、環境に依存するものです。
そのためには、意図的に環境を理解することがとても重要であり、それを理解して上での
ルールが必要なのだと思います。
- 71 :考える名無しさん:03/10/23 23:05
- 正しい(2ちゃんねるでの)道徳観
- 72 :考える名無しさん:03/10/23 23:09
- >>70
私としては、人が対処できるかどうかを意図としたつもりはありません。
単に理解として、「ネットの特殊性」という理解の仕方がよくないと言ったまでです。
強くないなら、人は、「人に与えられた特殊性」に対して強くないと言えばいいということです。
- 73 :考える名無しさん:03/10/23 23:11
- それから、一つ気になった点ですが、循環してきましたか、というのは、
私の意見が循環してきた、といいたいのでしょうか。
それならば、そのようにはっきり述べ、さらに、どこが循環しているか
明らかにして言ってください。それをせずに、ただ循環してきましたかと
思わせぶりな発言をするのは、普通は姑息と判断されます。
- 74 :悪法も法なり:03/10/23 23:11
- >>65
あなたのいう道徳(他人への配慮)とは、環境により変化するのですか?
つまり、どういう原理に基づくのですか?
環境に左右されない確固たる原理に基づくものを道徳とすれば、
ネットだろうが、現実だろうが無関係でしょうし、
環境で柔軟に変化する原理に基づくなら、ネットなら変化するでしょうね。
その辺はどうお考えですか?
- 75 :考える名無しさん:03/10/23 23:12
- >環境を理解することはとても難しいものです。それよりも適用しようとするものだと思います。
>人は意図しなくても、環境に依存するものです。
>そのためには、意図的に環境を理解することがとても重要であり、それを理解して上での
>ルールが必要なのだと思います。
この意味で2ちゃんねるの荒らしに対するルールは、意図的な理解がされているか
どうかはわかりませんが、経験的に適切なルールとされているのでは
ないかと思います。
これを弱い人間だから荒らしになるのだ。ということも可能かもしれませんが、
おそらくそれではなにも問題の解決にならないと思います。
荒らし行為に遭遇した場合は、諌めたり挑発したりなど、むやみに対抗しないようにお願いします。
特に荒らしを煽るのは逆効果です。
荒らしに反応したらあなたも荒らしかも。。。
- 76 :二酉:03/10/23 23:14
- >>64
>誤解なきよう。
や、ちゃんとそう取ってますよー。その上で利用者次第だと言っているのです。
面と向かっても空気読めない人は読めませんし、自分を確立してる人は
携帯電話に依存したりしません。文字媒介しか使えない場合に、より書き方を
工夫するなどの配慮は必要でしょうが、だからといって感情的・煽り的にになりやすい
傾向があるかというところに違和感を感じる次第です。
それらはネットの特殊性というよりは利用者の規範意識・精神的な成熟度合いが問題だと思うんですが。
個人の掲示板でも、低年齢者が多い所では、言葉遣いはぶっきらぼうで
読むほうが「うへー」と思ってしまうようなレスが多く見られますが、偏にそれは
利用者の成熟度合いによるでしょう。言葉を使って物を伝えた経験の度合いと言ってもいいです。
感情的になりやすい人は、その時の状況や個人の性格もあるでしょうが、
どちらにしても自分を律しきれていないというのが第一要因だと思います。
煽り(自分はコレを挑発的と取っています)はむしろ相手の反応を見たいゆえに
わざとそうしている、一種のブラックユーモアであるケースと、他人を
おちょくることによって自己の快感を得ようとするケースにわかれるでしょう。
どれも、ネットじゃなくても見られる現象です。むしろ、感情的というなら
相手の顔を見ているときのほうがかーっとなりそうだと思うんですが、どうでしょう。
- 77 :考える名無しさん:03/10/23 23:17
- >私としては、人が対処できるかどうかを意図としたつもりはありません。
>単に理解として、「ネットの特殊性」という理解の仕方がよくないと言ったまでです。
>強くないなら、人は、「人に与えられた特殊性」に対して強くないと言えばいいということです。
私の理解では、環境ということは、人に与えられたものであることは、
当然であるという理解でした。あなた流にいうならば、
「人に与えられたネットの特殊性」ということでしょうか。
>>73
このようなレスには返答しませんの、あしからず。
私とあなたの議論が循環してきたと言う意味です。
それほど悪意ないですよ。
テキストベースという情報量の少ない議論はなかなか難しいですね。
それから、このようなレスには以後返答しませんの、あしからず。
- 78 :考える名無しさん:03/10/23 23:23
- >>74
私は、>>25氏の道徳の用いられ方、否定のされ方が、
全体主義的であることに注意を促したかったのであり、
道徳論をぶつつもりだったのではありませんし、そのような
大掛かりな議論をする意欲も、今はありませんから、
ここでは応じることはできません。ごめんなさい。
ただ、これだけでは行きがかり上やや無責任ですので
簡単に答えておきますと、他人への配慮は、他人や周囲など、
「環境」によって変化することは明らかだろうと思っております。
ただ、「環境」の意味をどう理解するかが重要ですね。
それについては前述の通り、応じられません。
環境に左右されない確固たる原理なるものは、程度問題・具体的問題だと
思います(そもそも確固という言葉を額面どおり受け取ることに反対です)。
例えば、言葉が通用しない人間の間では、そこで成立する道徳も言葉が
通じる者同士におけるそれとは、おのずから違ったものとなります。
それから、環境で柔軟に変化する原理、ですが、これは原理という言葉と
矛盾した表現ですから、受け入れることはできません。最近で言えば、
小泉的な表現ですね。そうであれば、ネットなら変化するというつながりも
わかりません。私はそもそも道徳的判断が変化しないとは言っていませんし、
ネットが与える条件が人に影響を与えることを否定してもいませんから、
原理が堅いかやわらかいかに関係なく、個別的な道徳的判断が変化するのは
当たり前だと考えております。というか、それは道徳的原理の話では
ないのではないでしょうか。原理とはその正当性いかんに関係なく、
そもそもそういう視点になじむものではないでしょう。
- 79 :考える名無しさん:03/10/23 23:27
- >>77
>私の理解では、環境ということは、人に与えられたものであることは、
>当然であるという理解でした。あなた流にいうならば、
>「人に与えられたネットの特殊性」ということでしょうか。
ネットの特殊性によって、行動が決まってくるかのような、
宿命論的な意見を述べている人が居ますから、そういう場合には
私がしたように、きちんと人に与えられた条件だと表現する方が
有効だというのが、私の考えです。当然の理論的把握を、そのまま
表現する方が、より適切だろうということです。
>私とあなたの議論が循環してきたと言う意味です。
それならば、明示的にそのように書くべきです。
- 80 :考える名無しさん:03/10/23 23:27
- >や、ちゃんとそう取ってますよー。その上で利用者次第だと言っているのです。
>面と向かっても空気読めない人は読めませんし、自分を確立してる人は
>携帯電話に依存したりしません。文字媒介しか使えない場合に、より書き方を
>工夫するなどの配慮は必要でしょうが、だからといって感情的・煽り的にになりやすい
>傾向があるかというところに違和感を感じる次第です。
そうですか、では私とそこに意見の相違があるのですね。
私は以下のように考えています。
人間工学というものをご存じでしょうか。
たとえばある機械があると、ほとんどの場合停止のボタンは
赤で出来ています。
これはなぜかといえば、人は赤が停止という経験的な、先天的な
わかりませんが、認識しているのです。
たとえば、スタートを赤ボタン、停止を青ボタンになった機械が
あると人はとても間違いが起こしやすいのです。
このように人に与えられた環境に合わせたシステムを考えることが
人間工学の一つのであり、
事故などを、人の能力としてでなく、システムとして抑止することが
重要であるということが、実社会の場では考えられます。
このように、ネットにおいてもその特殊性を考えるところから、
それに対するルールを考えることが必要だと思います。
そのシステムですべてが抑止されるとは考えていませんが、
このようなアプローチはとての重要なことだと考えています。
利用者次第、駄目な人は駄目という単純な帰結にはしたくないということです。
- 81 :考える名無しさん:03/10/23 23:34
- そういう意味では、ネットの欠陥ではく、この新しいコミュニケーションの
特色としてどのようなものがあるのか。
そこには先に挙げたような、荒らし、煽りになりやすい、傾向があるのではないのか。
ではそれはなぜか、というところから、この荒らしや煽り、掲示板のルールは
考えられないといけないのではないか、ということです。
- 82 :二酉:03/10/23 23:35
- >>80
青と赤の例はよく聞きます。自分はこれを後天的なものとしていますが。
システムを考える事も重要だという意見には大変共感します。
でも、システムをいくら良くしても人災は防げません。唯一それが
可能になるとしたら、個々がそうした意識を持って生きることです。
駄目な人は駄目、と切り捨てるのではなく、では、そのダメな人を
どうしたらダメじゃない人にできるかしら、というアプローチも必要だと考えます。
そうしたときに、教育やマスメディアは非常に重要だと思うのです。
とはいっても、諸刃の剣でもあるんですがね。
- 83 :考える名無しさん:03/10/23 23:43
- >>32
君は、ちょっと議論を急ぎすぎだ。
まず、「道徳」の定義に齟齬があるようだ。
この齟齬を埋めてから出ないと、その先へ議論を進めても、かみ合わないままだろう。
>1行目は誤解です。道徳は社会のために存在するのではない。
>自己がする他者への考慮そのものが、道徳なのです。
人間が二人以上存在すれば、それは社会と呼べるのではないか?
自己と他者が存在するなら、それはすでに社会だろう?
君は、「自己がする他者への考慮そのもの」を「道徳」と定義づけているようだが、
その「自己がする他者への考慮」とは、「自己と他者」という「社会」のためのものだと
私は理解するが、あなたは、違うと考えるのか?
- 84 :考える名無しさん:03/10/23 23:44
- >>82
確かに教育はとても大切なことです。
ただ一つ思うのは、ネットという環境において、
システム改善と教育を考えた場合には、
教育の困難さを考えずにはおれません。
ネットの多くの掲示板の実情も教育ではなく、
システム改善に向かっているのではないでしょうか。
そしてシステム改善で、難しいのは規制議論でもよく出ていたようですが、
開放と管理のバランスです。
ネットでの人の流れは、ほんとに流動的です。
管理を強めれば人が逃げていきます。開放すれば人が集まりますが、
治安が低下します。
おそらくこれらは悪いではなく、管理側の思想だと思います。
- 85 :悪法も法なり:03/10/23 23:46
- >>78
なるほど、
>環境で柔軟に変化する原理
は確かにおかしいですね。論理的な言語使用の未熟をお詫びします。
言いたかったのは、「道徳」が環境で柔軟に変化する「という」原理、という事です。
つまり、「他人への配慮」とはカント的な「それ自体でのよさをもとめる」や
功利主義的な「よきものをもとめることをよいとする」といった
確固たる原理に基づいているのかどうかを確認したかっただけです。
- 86 :考える名無しさん:03/10/23 23:46
- おそらくこれらは良い悪いではなく、管理側の思想だと思います。
- 87 :考える名無しさん:03/10/23 23:48
- 少し話がそれたようです、別にここで規制議論するつもりは
ありません。
単純に、ネット上のコミュニケーションの特色はどのようなものだろうか。
ということを考えてみただけです。
私は、ネット上のコミュニケーションには、人を感情的に、煽り的にする
要因が内在していると思います。
何度もいいますが、だから荒らしを肯定するということではありません。
- 88 :二酉:03/10/23 23:59
- なんつーか、かみ合いませんな(´w`)ゞ
ちょとお茶飲んできまつ。
- 89 :考える名無しさん:03/10/24 00:17
- >>88
ネットの欠陥的なニュアンスで書きましたが、
誤解も含みながらいえば、私はかならずしもネットの感情的、煽り的傾向を
必ずしも否定的にとらえていません。
先ほど、人にはコミュニケーション欲があり、それがネットでは
実社会よりも、独善的に顕在化しやすいと書きましたが、
それはネットの娯楽性という面もあると思っています。
たとえば、なぜ2ちゃんねるに来るのかの理由は、
人が多いからと言う面が大きいと思います。
そしてなぜ人が多く集まるのか、それはやはりみな、
コミュニケーションしたいからではないでしょうか。
それは良識的住人も、荒らしも同じではないかと思います。
誤解を招きますか?
あなたは毎日のようにお見受けするようですが、
なぜ2ちゃんに通っているのですか?
この自問自答はなかなか面白い思いますよ。
- 90 :考える名無しさん:03/10/24 00:27
- 荒らされるやつも荒らしです。
- 91 :悪法も法なり:03/10/24 01:39
- 私なりの道徳観を提示するので、よかったら意見を聞かせてください。
道徳的に振舞うとは、
個人の中に正しい基本原理(これは二酉さんの仰る「絶対者」に相当か)が存在し、
諸条件(「ネットの特殊性」など)を有する環境においても、
個別・具体的な正しい道徳行動を為す(>>78氏の「配慮の環境による変化」が相当か)、
というモデルで捉えられると思う。
ネットの特殊性・特色とは、そう振舞う人が多い、またはそうする可能性が高いということで、
道徳原理とは無関係。つまり環境により荒らすなら、それはその人が自らを律する事ができない、
すなわちその人の原理が誤っているということになる。
例として、現実社会において「報復が怖いから、他人に優しくする」人が、
「ネット」でついつい「悪口を書く」なら、それは最初の原理が不十分と解釈する。
これに対して管理側の方針やネットの特色を重視する人は、正しい基本原理の存在に懐疑的か
または原理がどんなに正しくても環境により正しく行為できないことがあるとしてそう主張をするのでしょうか。
- 92 :考える名無しさん:03/10/24 02:30
- >>91
>これに対して管理側の方針やネットの特色を重視する人は、正しい基本原理の存在に懐疑的か
>または原理がどんなに正しくても環境により正しく行為できないことがあるとしてそう主張をするのでしょうか。
問題は、その「正しい基本原理」の「正しさ」を測るものさしが何か、ということでしょう。
「そんなことはきまりきっている」「常識でわかるはずだ」といって、
その部分(正しさを測るものさし)の議論を放棄するのならば、
単なる多数(と正しさを主張する人間が認識している)意見の押し付けに過ぎなくなってしまう。
- 93 :考える名無しさん:03/10/24 07:11
- >>91
絶対的道徳感か
典型的合理主義者ですか。
なかなかいまどきめずらしいですね
- 94 :考える名無しさん:03/10/24 07:21
-
- 95 :少人:03/10/24 07:22
- 道徳なんて無意味だ。
あるのは悲劇だけだ。
- 96 :二酉:03/10/24 16:24
- >>91
自分の道徳観も同じででつ。自分は道徳というのは、そういうものが
具体的にどこかに在るという事ではなく、ある人の内面の原理に従って
一連の行動に現れるものであり、それゆえ環境の変化如何に関わらず
どんな場合においても(生死をかけたバトロワのような時は別でしょうが)
表出するものだと考えます。
- 97 :二酉:03/10/24 16:32
- >>92
正しさを決めるのは自分自身です。色々な事象・周囲の人・環境・反対意見
その他もろもろを斟酌し、筋道立てて考えた上で「正しい」とするならそれは
その人にとって「正しい」です。常識というのは本来そうして集団内の「正しさ」
をモトに出来上がっているので、たいていが正しいというのはありますが
だから常識が全て正しいとか、逆に常識は全て間違っているとするのは
非常に(・A・)イクナイ!!と思います。多数決は時として正しいですが、我々は
多数決で抹殺される少数派の意見にも耳を傾け、その意見に正しいところがある
と自分で判断した場合には、その双方の良いところを取って新たな意見を
提示する事も可能なのです。それをせずに「数で押し切った」「どうせ少数派」
と相手を切り捨てるというのは、狭量な態度だと考えます。
- 98 :考える名無しさん:03/10/24 16:50
- バトルロワイヤルが違うならだめだよ
バトルロワイヤルだって相対化されるんだから
二酉ってこんなにセンスなかったっけ?
- 99 :二酉:03/10/24 17:19
- センスなくてスマソ。
じゃぁカルネアデスの板にしてください。
つか、どっちにしてもそういう危機的状況に際して、自分がどうするか
(「どうしたいか」のシミュレートはできますが)わかんないので()で加えたのでつ。
- 100 :考える名無しさん:03/10/24 18:21
- 正直
スレタイの「正しい〜」の時点で
哲板住人としてはもうちょっと考えるべきだと思うが。
「正しい」てなんだ? 社会的に正しいことか? 秩序を保つのが正しいのか?
人間の本能を解放するのが正しいのか? 皆で仲良く生きることが正しいのか?
おれは自分の心の中で「なるべく人に迷惑をかけないように生きる」って
行動原則を持っているが、時折自分でも「それは果たして正しいことかな?」と
疑問を持つ。
最初から倫理を問うなら板違い。
哲学を提示した上で己の倫理観を出すのなら良いのだが。
- 101 :考える名無しさん:03/10/24 18:57
- >哲学を提示した上で
過去の哲学者の言葉を引けという事か?
- 102 :考える名無しさん:03/10/24 19:05
- >>101
自分が賛同できる哲学史上の説を出すも良し、
言葉遊びと叩かれようと自分の総合哲学を出すも良し。
はっきり言って、ここでナニを言おうと「マナー悪い奴」が更正する
確率は著しく低いわけだし、
それならまだ「良識を持っている(自称」人間の哲学、考え方を聞きたい。
- 103 :考える名無しさん:03/10/24 19:10
- >>102
二酉とか悪法も法なりが言ってるのは「良識を持っている(自称」人間の哲学
じゃないのか?つうかさ、そう思うなら自分から言えよ。
それともお前は良識を持ってないのか?
- 104 :考える名無しさん:03/10/24 19:25
- >>103
悪いがスレタイに興味は無い。
ただ、酒やら悪法が哲学史を知っていそうな割に生活哲学ループネタに嵌まってるから勿体無いと思っただけ。
この流れは「思想」を語っているのであって「哲学」じゃないだろ。
だから意見を批判しているようで、実は中の人を中傷していることに
気付いてないんじゃないのか?
おれには理性的に話をしているようにはとても見えないが。
酒も悪法も、嫌いじゃないから言ってるんだよ
- 105 :考える名無しさん:03/10/24 19:38
- また出たよ、哲学板のお約束。
俺のトークは哲学の中、奴のトークは哲学の外(例えば「思想」)、
だから板違い、と書いて哲学については何も語らない。
お前みたいなのが一番哲学から程遠い態度なんだよ。
いい加減気づけ、このウスラトンカチ。
- 106 :考える名無しさん:03/10/24 19:42
- >>103
激しく同意。良識なり哲学なりにあてはめられそうな内容を話しているなら、
それが自分から見て「思想」だと思おうが、汲み取って、
「そういう内容は、このように「哲学」から書き直せるだろ」とか
「書き直せるわけだが、これでいいか」とかやればいいのに、
一方的に俺は「思想」だと思うから、お前のは「哲学」じゃない。
その実やってるのは、>>104で自身が述べている「中の人」への「中傷」。
いや、中傷よりタチ悪い。詭弁で相手の議論を無視しようとしてるのだから。
- 107 :考える名無しさん:03/10/24 19:45
- それに、>>102で
>ここでナニを言おうと「マナー悪い奴」が更正する確率は著しく低いわけだし、
こういうことは、決まってマナーが悪い奴が言うと相場が決まってる。
本当にマナーが悪いと思っており、なんとかしてもらいたい人間は、
こういう「現実主義」「傍観者主義」はとらないもんだよ。
だいたい、上のは、まるっきり保守主義的立場、「思想」そのものじゃないか。
>>102みたいな構えをとっておきながら、哲学ぶってんじゃないよ。
- 108 :考える名無しさん:03/10/24 19:58
- >>107
脊髄反射するな
- 109 :考える名無しさん:03/10/24 20:05
- なんだなんだで良識派が哲学を掲示してないんだけど・・・・
思想なら記述が良いと思うから
パトナムスレか カントヘーゲルスレ行くと良いと思います
>>102みたいなのって、荒らしより叩かれるよな
つうかよー、完全に狙撃者だろこれは
- 110 :考える名無しさん:03/10/24 20:10
- >>97
>正しさを決めるのは自分自身です。
とすれは、それは個々人の問題であって、
2ch という複数の人間によって成り立つ場に、
持ち込むべきものではないね。
- 111 :考える名無しさん:03/10/24 20:15
- 「正しさ」ってなんだろうね?
>>100の言うこと、案外間違って無いと思う
正しさを知るには、遠回りするしかないんじゃないかな・・・・・
- 112 :考える名無しさん:03/10/24 20:20
- 720 :心得をよく読みましょう :03/10/24 20:12 ID:risi1gW/
お願いします
【板名】 哲学
【スレのURL】http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1066459562/
【名前】 悪法も法なり
【メール欄(age・sage・指定文字を書いて下さい)】 sage
【本文】
>97
その人にとって「正しい」は、集団内の「正しさ」、いや隣の人の「正しさ」とすら一致しないかもしれません。
また少数派の意見を聞くといったプロセスを経る必要からみて、それは「絶対者」と呼べないのではないでしょうか。
>>104
誤解があるといけないので、言っておきますと、私は倫理学の議論をしているつもりです。
(倫理学が哲学とは全く別物、と言われると苦しいですが。それなら「哲学」とは何かご教授ください)
二酉さんは主に東洋思想に基づく深い洞察をされていると思いますよ。
私も拙いながら西洋倫理学の一部を援用しながらお話しているつもりでした。
それが「生活哲学」と思われるなら私が基本的なモデルを示すのみで、具体的な議論を展開していないためかもしれませんね。
ちなみに私は>>91のモデルを採用し、そこに>>92氏が指摘された理由から、まず道徳の限界を確認し、
その上である種の功利主義を採用しています。(当然無謬ではなく、判断停止状態の問題も抱えています)
- 113 :考える名無しさん:03/10/24 20:37
- なんだ、案外間違ってないと思うとか
脊髄反射するな、程度の反応か。
それが哲学か、感想と、中傷が哲学か。
たいしたものだな、オイ。
>>104よ、偉そうなことを言うからには、
>>108>>111みたいな連中を批判して見せろ。
お前の哲学がどんな内容であれ、
こいつらの反応は思想以下だろ。
それとも何か、お前の自演か(笑)
- 114 :考える名無しさん:03/10/24 20:39
- 2ch における道徳とか倫理とかいう話を聞くと、
例えるなら、
野球グランドに降りていってピッチャーに、
「いじわるせずに打たせてやれ」といったり、
バッターに「かわいそうだから打つな」といったり、
そういった場違いさを感じる。
- 115 :考える名無しさん:03/10/24 20:40
- それから、>108、
お前、脊髄反射って言葉をそうやって簡単に使うこと自体が
相手の批判に対して脊髄反射することそのものだろうが。
そういうな、自分に効果的にはねかえってくる中傷は、
馬鹿晒すだけだから、やめたほうがいいぞ。
まあ、他に手を知らないゆえ、そういう発言をするんだろうから、
直したくても直せないかもしれんがな(笑)
- 116 :考える名無しさん:03/10/24 20:41
- なんでそんなに必死なん?
- 117 :考える名無しさん:03/10/24 20:42
- >>114
また感想文か、2chを見るのは何かね、君らみたいなサルだけだと思ってるのかね、
人間じゃないのかね? 2chを見るのは?
・・・で? 道徳とか倫理は、2chを見るときには、人間には不要になるのかね、
それとも、2ch見るときは、人間はサルになるのかね?(笑)
君みたいな馬鹿は、とっととニュー速にでも行きなさい。
- 118 :考える名無しさん:03/10/24 20:43
- >>116
別に必死でもなんでもないな。
単に君より頭がよく働くし、ブラインドタッチが速いだけだよ。
それはそうと、必死かどうかと、内容と、何か関係があるのかね?
君は定型的な煽り文句しか使えないサルかね?
- 119 :考える名無しさん:03/10/24 20:44
- 必死さあねぇ。。
- 120 :考える名無しさん:03/10/24 20:45
- たかが2ちゃんの議論でそんなに熱くならない方がいいと思うよ。。
- 121 :考える名無しさん:03/10/24 20:45
- >>119
ぷっ・・・本当にサルかね、
情けない奴だな、君は(笑)
馬鹿馬鹿しいからもう行くよ。
- 122 :考える名無しさん:03/10/24 20:45
- さいなら
- 123 :考える名無しさん:03/10/24 20:47
- >>120
必死なのは、君だろう? 必死さを言葉にすることすら出来ないから、
必死だ必死だと相手に必死さを転嫁して自己満足に浸ることしか
できない君が、必死なんだろう(笑)?
ブラインドタッチの練習、終了。野球中継見よう。
>>120は、>>118の質問に答えておくように。
- 124 :考える名無しさん:03/10/24 20:47
- >>122
敗 走 で す か (笑)
お つ か れ さ ん (笑)
- 125 :考える名無しさん:03/10/24 20:48
- みんな、本業の哲学論やった方がいいよ・・・・・・・
- 126 :考える名無しさん:03/10/24 20:48
- なんでそんなに必死なん?
- 127 :考える名無しさん:03/10/24 20:49
- >>117
> ・・・で? 道徳とか倫理は、2chを見るときには、人間には不要になるのかね、
野球をする場合に、道徳とか倫理が不要になるわけではないように、
もちろん、2chを見る場合でも不要になるわけではないよ。
ただ、日常生活における道徳とか倫理を全てそのまま持ち込むのは、
かならずしも適切でない場合がある、といっているだけだ。
- 128 :考える名無しさん:03/10/24 20:50
- >>127
>>114には、そんなことは全然書かれてないが。
2ch における道徳とか倫理とかいう話を聞くと、
例えるなら、
野球グランドに降りていってピッチャーに、
「いじわるせずに打たせてやれ」といったり、
バッターに「かわいそうだから打つな」といったり、
そういった場違いさを感じる。
自分の書いたことを3レス過ぎれば忘れるのは、
厨房の悪い癖だな。ニワトリ並みだ。
- 129 :考える名無しさん:03/10/24 20:51
- みんな、本業の哲学論やった方がいいよ・・・・・・・
- 130 :考える名無しさん:03/10/24 20:53
- >>129
なんだ、サルじゃなくてオウムかね?
さらに知能が下がって、結構なことだな。
さすが、「2chだから」坊やだな。
インターネットにつないでいて、URL欄に
2chの文字があると、突然人格が豹変するだけのことはあるな(笑)
- 131 :考える名無しさん:03/10/24 20:55
- >インターネットにつないでいて、URL欄に
>2chの文字があると、突然人格が豹変するだけのことはあるな(笑)
ワラタ
- 132 :考える名無しさん:03/10/24 21:00
-
主観を交えた 観戦がしたいので
コテハン付けてやってください
- 133 :考える名無しさん:03/10/24 21:00
- 2ちゃんねるでは鯖に負担をかけない程度に
面白いことを書くことが一番大切なのです。
- 134 :考える名無しさん:03/10/24 21:03
- 132が、「コテハンにさせて自演名無し叩きコンビネーション」で
報復しようと必死です!!
- 135 :考える名無しさん:03/10/24 21:03
- >>133
<鯖に負担をかけない程度
優しい香具師じゃねぇかよ!!!!wwwww
- 136 :考える名無しさん:03/10/24 21:05
- おおーーーーーっと、出ました出ました!
負け犬厨房の必殺技!
「鯖に負担をかけるな」攻撃です!
短い駄レスしか書けない厨房にして
初めて可能な、この必殺技!
威力は通常レス一撃にも遠く及びません!
- 137 :考える名無しさん:03/10/24 21:05
- >>133
お前が一番つまらん
- 138 :考える名無しさん:03/10/24 21:06
- >>136
ハゲワラ
- 139 :考える名無しさん:03/10/24 21:09
- >>128
>そんなことは全然書かれてないが。
「全然」ってことはないはずだが。
>ただ、日常生活における道徳とか倫理を全てそのまま持ち込むのは、
>かならずしも適切でない場合
の例示になってるはずだが。
というか、 >>127 で、私の主張意図は分かってもらえたと思うのだが、
君は、「私の主張内容」について意見を述べたいのか、
「私の述べ方の不手際」を問題にしたいのかどうちらなの?
- 140 :考える名無しさん:03/10/24 21:16
- >>139
>「全然」ってことはないはずだが。
なんだねこれは。小学生かね、君は。
君、「なんだよー、絶対っていえるのかよー」とか
連呼して、子供の頃だけ議論の強さでならしたクチだろう?
君みたいな馬鹿は、どうでもいい論点ばかり増やしていって、
ナンセンスな議論のための議論にもっていこうとするのが
関の山だから、このへんで失礼するよ。
- 141 :考える名無しさん:03/10/24 21:20
- これじゃ、ちょっとあんまりだから、最後に宿題をあげよう。
>>127「道徳とか倫理を全てそのまま持ち込むのは」
これは、感性的な表現で、その実何を言っているのだか全く意図を読み取りようがない表現だね。
新聞の投稿欄みたいな文章を書くのはやめなさい。
また、「全て持ち込む」と、さりげなく「全て」をいれているあたり、
>>139と合わせて読むと、君の議論に対する卑怯さ具合がよくわかって面白い。
君は、自分が卑怯な議論をしていると知っていてやっているクチだね?
まあ、せいぜい頑張りたまえ。馬鹿が卑怯になろうとしても、
馬鹿なりの卑怯さしか実現し得ないがね(笑)
- 142 :考える名無しさん:03/10/24 21:27
- >>140
>>141
そうですか。
- 143 :考える名無しさん:03/10/24 21:35
- 2ちゃんねるでの道徳観って言っても難しいことじゃないのですよ。
迷惑かけないようにするのが一番ですよ。
- 144 :悪法も法なり:03/10/24 21:51
- >>139氏のような、ネット(環境)による道徳の変化という主張には、誤謬があると思います。
スポーツの例でなぜそれが場違いかといえば、
スポーツは「勝敗」を尊重し、それを「公平」にするためにルールや倫理があります。
しかし、例示されたような行為をすると勝敗の価値が疑わしくなります。
(「本当は勝っていたのに手を抜いた」という判断の発生)
つまりそのような行為は、「公平さ」という基本的な道徳原理を損なうから行なわれないのです。
けっして「公平さ」という基本原理が失われたわけではありません。
ひるがえって2chを「意見交換の場」とすると、「荒らし」はそれを阻害し、
「平等」な意見機会を奪うことになるのであり、それはスポーツの例とは異なります。
これまでのいわば環境道徳論も類似の誤謬を有するものがあったのではないでしょうか。
- 145 :考える名無しさん:03/10/24 22:48
- 絶対道徳という価値観はなかなかむずかしい問題だな。
この世界は合理主義的か、相対主義的かという、
哲学の根元的テーマに係わるが、
現在において合理主義を救うのはなかなかむずかしい。
特に合理主義的信念から起こった数々の凄惨な歴史的事実もあるしね。
個人的には、絶対的道徳観を信じる人間には、恐怖を感じるよ。
- 146 :考える名無しさん:03/10/24 22:49
- age
- 147 :考える名無しさん:03/10/24 22:53
- >>144
つまり、こういうことでいいの?
仮に、スポーツにおいて尊重されるものが「勝負」だとして、
その場合に、基本的な道徳原理を「公平さ」であるとすると、
スポーツ以外の状況において道徳とされる、
「基本的でない」いくつかの道徳は、公平の原理を損なうので、
場違いとなる。
とすれば、基本的な点で、私の言っていることと、君の言っていることに、
違いはないと思うが。
- 148 :悪法も法なり:03/10/25 00:00
- >>147
(私の)前提 道徳原理は一つとは限らない。
またそこから導かれた行為は原理に矛盾してはならない。
スポーツの例が如何なる原理による行為か判然としませんが、
(つまりそもそも道徳行為なのか疑問ですが)あえて「優しさ」とでもしますと、
例えばデッドボールを受けたバッターをキャッチャーが気遣うことは問題なく、道徳的です。
しかし、もしある原理から導かれる行為が他の原理に矛盾しそうな場合は、
矛盾を避け整合するように行為すればよいと思います。それが道徳の運用能力です。
例示された行為は運用能力の欠如と解されるわけで、
けっして野球場では「優しさ」の原理を採用しないというわけではありません。
たしかにどうしても原理と行為を整合できない場面は想定可能で、課題となるでしょう。
しかし、少なくてもネット(2ch)上の荒らしに関してそこまでの問題があるのでしょうか。
代行の方にお願いしているので、今日のレスはこれが最後かもしれませんが、御了承ください。
- 149 :考える名無しさん:03/10/25 00:31
- >>148
ですから、2ch について、話をする場合においても、
あなたがいうところの「運用能力の欠如」に気をつけるべきであるというのが、
私の発言の要旨なわけですが。
- 150 :考える名無しさん:03/10/25 01:03
- >>145
なんだ絶対道徳って。
勝手な脳内DQN用語作って話を展開しないでもらいたいな。
- 151 :考える名無しさん:03/10/25 15:08
- 628 :心得をよく読みましょう :03/10/23 23:43 ID:PgYn8iA8
何度もすみません。今日はこのぐらいにするつもりです。
【板名】 哲学
【スレのURL】http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1066459562/
【名前】 悪法も法なり
【メール欄(age・sage・指定文字を書いて下さい)】 sage
【本文】
>>78
なるほど、
>環境で柔軟に変化する原理
は確かにおかしいですね。論理的な言語使用の未熟をお詫びします。
言いたかったのは、「道徳」が環境で柔軟に変化する「という」原理、という事です。
つまり、「他人への配慮」とはカント的な「それ自体でのよさをもとめる」や
功利主義的な「よきものをもとめることをよいとする」といった
確固たる原理に基づいているのかどうかを確認したかっただけです。
- 152 :お前しつこいよ:03/10/25 15:13
- 659 :心得をよく読みましょう :03/10/24 01:37 ID:PvTNxY5a
どうも眠れないので・・・すみません
【板名】 哲学
【スレのURL】http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1066459562/
【名前】 悪法も法なり
【メール欄(age・sage・指定文字を書いて下さい)】 sage
【本文】
私なりの道徳観を提示するので、よかったら意見を聞かせてください。
道徳的に振舞うとは、
個人の中に正しい基本原理(これは二酉さんの仰る「絶対者」に相当か)が存在し、
諸条件(「ネットの特殊性」など)を有する環境においても、
個別・具体的な正しい道徳行動を為す(>>78氏の「配慮の環境による変化」が相当か)、
というモデルで捉えられると思う。
ネットの特殊性・特色とは、そう振舞う人が多い、またはそうする可能性が高いということで、
道徳原理とは無関係。つまり環境により荒らすなら、それはその人が自らを律する事ができない、
すなわちその人の原理が誤っているということになる。
例として、現実社会において「報復が怖いから、他人に優しくする」人が、
「ネット」でついつい「悪口を書く」なら、それは最初の原理が不十分と解釈する。
これに対して管理側の方針やネットの特色を重視する人は、正しい基本原理の存在に懐疑的か
または原理がどんなに正しくても環境により正しく行為できないことがあるとしてそう主張をするのでしょうか
- 153 :お前しつこいよ:03/10/25 15:18
- 720 :心得をよく読みましょう :03/10/24 20:12 ID:risi1gW/
お願いします
【板名】 哲学
【スレのURL】http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1066459562/
【名前】 悪法も法なり
【メール欄(age・sage・指定文字を書いて下さい)】 sage
【本文】
>97
その人にとって「正しい」は、集団内の「正しさ」、いや隣の人の「正しさ」とすら一致しないかもしれません。
また少数派の意見を聞くといったプロセスを経る必要からみて、それは「絶対者」と呼べないのではないでしょうか。
>>104
誤解があるといけないので、言っておきますと、私は倫理学の議論をしているつもりです。
(倫理学が哲学とは全く別物、と言われると苦しいですが。それなら「哲学」とは何かご教授ください)
二酉さんは主に東洋思想に基づく深い洞察をされていると思いますよ。
私も拙いながら西洋倫理学の一部を援用しながらお話しているつもりでした。
それが「生活哲学」と思われるなら私が基本的なモデルを示すのみで、具体的な議論を展開していないためかもしれませんね。
ちなみに私は>>91のモデルを採用し、そこに>>92氏が指摘された理由から、まず道徳の限界を確認し、
その上である種の功利主義を採用しています。(当然無謬ではなく、判断停止状態の問題も抱えています)
- 154 :悪法も法なり:03/10/27 20:10
- >>149
貴方が詭弁家でないことを確認する意味で、貴方の語の用法を確認したいです。
「道徳」(倫理)を如何なる意味で用いていますか。恐らく主に私の言う「(道徳)行為」として使っているのでは。
道徳には本来二つの側面があると思われます。
外的側面は共同体における規範や慣習、内的側面は良心や道徳的判断基準・能力
簡単に言えば前者は交通ルールや行儀作法など、後者はそれらを吟味すること。
普通はこれが一体となっている事が多く、
だから「席を譲らない」若者に対して「道徳」教育が主張されたりします。
またこの区別がないと以前の>>25氏(前者の外的な道徳)への
>>32氏(後者の内的な道徳)のような指摘が生じると思います。
やや苦しいかもしれませんが、私の言う「行為」は外的道徳に通じ(例外あり)、「原理」は内的道徳に通じます。
貴方の議論は一見すると前者の違いから後者の存在を(全または部分)否定しているかのように見えるのです。
もっとも私の「原理」の用法も道徳的な主義、徳目、原理が未分化であったりして、
他人の語の用法に偉そうに言える立場でないかもしれませんが。
また、代行を通した事から荒らしを呼び込みこのスレの進行を妨げた事をお詫びします。
(今回は代行は利用しておりません)
- 155 :二酉:03/10/27 23:39
- や。なんかスレが伸びててびっくり。遅くなりましたが
>>87、>>89
なんか噛み合わないなーと思ったのは、自分はシステム自体の特色なのではなく
自身を律することができない利用者が多いためだと考えるのに対し、87さまは
ネット上に「人を感情的・煽り的にさせる要因が内在する」と主張されるからです。
んで、それを納得させられるだけの理由の提示がないんでそう思ったのでつ。
反対の意見を相手に納得させるためには、その理由を伴った説得が不可欠でつ。
相手を誤解したまま話を進めてもお互いのためにならないと思い席を外しました。
ネットの娯楽性ということでしたが、これを追求しようとするのも、快楽だけを
追い求めるようなものであり、自律の欠如が原因と考えます。ちなみに
毎日見かけられているそうですが、ぶっちゃけ自分は週の半分しか来てないでつ。。。
コミュニケーションがしたくて2ちゃんに来るというのには同意です。
ただ、実社会におけるコミュニケーションとネット上のそれの間の違いが
システムにあるという考え方に納得いかないのです。
文字を媒介とする以上、感情表現の手段が制限されています。ということは
それを伝えるためには相当の技術が要るという事です。また、チャットとは違って
レスするまでの時間も十分に取れるため完全に誤解をなくすことは無理だとしても
言い回しや誤字脱字を推敲することができます。
推敲せずに感情にまかせたレスを返して、誰かから「文章推敲しる」と
煽られたとしても、それは書き込んだ人に原因があるのと同様に、
性格等に難ありの人がネット上でそれを露呈してしまうのは当人の責任だと思うのです。
- 156 :二酉:03/10/27 23:41
- >>100
「なるべく人に迷惑をかけないように生きる」というのはすごく同意なんですが
それを正しいかと疑うのはどんなときですか?少なくとも、自分はこれは正しい
と思いますし一般的にもそう思われているんじゃないかと思うんですが・・・。
ちなみに自分はもう一つ「人に迷惑をかけてでもなさねばならないことがあるなら、
自分の良心に照らして判断し、その上でやはり必要であるなら行動しても良い」
という原理を持っているです。>>148の道徳原理は一つではない、というのは
こういうことなんじゃないかと思うです。違ってたらスマソ。
- 157 :二酉:03/10/27 23:42
- >>109
「思想なら記述が良いと思うから」というのがいまいち理解できまてん。スマソ。
「哲学を提示していない」というのは?道徳を定義しろとか、分析から
定言的命法で何かを導けとか、そういうこと?
自分は、道徳の中で唯一絶対なのは自身の良心(前述の「自分の中の絶対者」)
カントのいう善意志だけだと思っています。これはただ本で読んだからというのではなく
得た知識を自分で判断した結果です。哲学というのはまずその当人の思想ありきだと
考えます。ことに、この問題はネットという新しい通信手段を扱うものですから
既存の哲学の検討のほかに、現状と照らし合わせての討論が必要となるでしょう。
ゆえに、理解を深めるためにこの場で意見・情報の交換をしている次第ですが、
これは「思想」と切り捨てるべき、また「哲学」と呼ぶにふさわしくない行為なのでしょうか。
- 158 :二酉:03/10/27 23:42
- >>110
正しさを決めるのが自分自身以外に何かあるのでしたら提示してください。
法の正しさも、常識の正しさも、自分が「正しい」と判断しないことには
なんら強制力をもちません。また、現在のように「なぜ人を殺してはいけないのか」
が問われるような時代にあってはなおさらです。「法律だから」「慣習だから」で
我々が納得する時代はもう過ぎました。これからはそれがなぜ正しいとされるか、
またその妥当性はどこまで通用するのかなどを主体的に考える事が必要となると考えます。
哲学板ならなおさらなのではないでしょうか。
また、なぜ個人が正しさを規定することと、複数の人間で形成される場が
相反するのでしょうか。前述しましたが、正しさを決めるためには周囲の環境や
自分の経験、周りの意見などを参考にします。周囲の意見を聞いてこそ、より
正しさに関する誤謬は減る事でしょう。よって自分は複数の場にも持ち込めると
考えますが、>>110さまはなぜ持ち込むべきではないとされるのですか?
- 159 :二酉:03/10/27 23:44
- >>153 悪法も法なりさま。
「その人にとっての正しい」はいつだって覆る可能性があります(ごくごく少ない
可能性ですが)自分は今まで約22年の人生から、自分にとっての正しさを
規定してきましたがある日突然天啓を受けて今までの考え方を変えるかもしれません。
ルソーのように、それまで信じていた人たちに追われるようなことになっても、
今の考え方を維持できると断言できるほど、自分は不遜な人間ではありません。
ゆえに、日々「少なくともコレは正しくない」という積み重ねをすることが大事でしょうし
そのためには異なる立場の人の意見を聞くのが(それを正しいとしようが、そうでなかろうが)
大事だと考えます。自分の絶対者は、「自分(自身の行為等)にとって絶対的な
影響力を持つ」のであって、「絶対的に正しい存在」というわけではないでつ。
周囲の人がその正しさを理解してくれない(かつ、自分は本や対話の中から情報を得
その正しさについての熟慮を重ねた)のであれば、理解されるまでアプローチを
しつつ、同じ考えの人を探すまでです。もちろん、かみあわない時点で原因の究明は
しますし、他者の意見も十分考慮するですよ。
連続カキコごめんたい(´・ω・`)
- 160 :考える名無しさん:03/10/28 00:05
-
- 161 :考える名無しさん:03/10/28 00:29
- >>154
>簡単に言えば前者は交通ルールや行儀作法など、後者はそれらを吟味すること。
>貴方の議論は一見すると前者の違いから後者の存在を(全または部分)否定しているかのように見えるのです。
「吟味すること」は否定していませんが。
むしろ、「吟味すべきである」といっているわけです。
どの部分が、「吟味すべきでない」ているように見えますか?
- 162 :考える名無しさん:03/10/28 00:31
- >>161
×どの部分が、「吟味すべきでない」ているように見えますか?
○どの部分が、「吟味すべきでない」といっているように見えますか?
- 163 :悪法も法なり:03/10/29 19:13
- >>156
>ちなみに自分はもう一つ「人に迷惑をかけてでもなさねばならないことがあるなら、
>自分の良心に照らして判断し、その上でやはり必要であるなら行動しても良い」
1、相手を殺さねば自分が死ぬ場面において、相手を殺す行為は是認されるか。
2、相手を殺せば誰かを死から助けられる場面において、(以下同文)
これについてどう思いますか。これでもその原理は普遍化できそうですか。
それと
>二酉さんは主に東洋思想に基づく深い洞察をされていると思いますよ。
は訂正します。二酉さんは西洋思想もお詳しいのですね。
ただ私がカント型の道徳に疑問なのは、道徳観が未発達な子どもならともかく、
青少年や大人に、「それ自体のよさ」ということが理解・受容されるかということです。
むしろ、現実的な「利益」でないと納得できない人が多い気がします。
つまり現実には道徳的な人も、不道徳な人から損害を受ける場合があります。
そうなると、道徳より力だ、となりがちです。
道徳を希求する人ならカントの言うことは胸に刺さるでしょうが、
そもそも道徳的であることを放棄した人に説得力を持つのでしょうか。
だから私は、功利主義的な立場をとります。
>>159は納得しました。
- 164 :悪法も法なり:03/10/29 19:14
- >>161
貴方が私とほぼ同意見であるとした上で、なぜそう見えるのか申します。
まず一点目として、>>154で述べたとおり、
貴方の「道徳」が「原理」をさすのか、「行為」をさすのか判然としないため、
誤解の余地があります。ただ>>147は微妙に使い分けているようでもありますが、
少なくとも>>114>>127ではどちらかわかりません。
私は、「行為」をすべてそのまま持ち込むのはかならずしも適切でない場合があるが
「原理」は正しければすべてそのまま持ち込んでよい、と考えます。
さらに二点目として、ではなぜ貴方の「道徳」が「原理」として読まれるかといえば、
それはあなたが>>114で用いたような例が、
普遍的な「原理」の存在を否定する道徳的相対主義の立場から
用いられるものに類似しているためです。
「道徳」(行為)が場により違う。だから「道徳」(原理)も場によって違ってよいのだ。
と言っているように錯覚するのです。
また、「場違いさ」という表現もそれを助長しているかもしれません。
- 165 :悪法も法なり:03/10/29 19:16
- これまで「原理」とひと括りにしていたのですが、
どうもあやふやなので、今後書き込むことがあれば
「徳目」(勇気、親愛、など)
「律」(人に迷惑をかけない、など)
「主義」(相対主義、功利主義など)
を「原則」(旧「原理」)とし、
ある命題が「原則」として認められるかを判断する基準を
「原理」(普遍化の原理、人格の原理など)として用いたいとおもいます。
- 166 :考える名無しさん:03/10/30 02:27
- >>164
まあ、そういう意味では、「原理」を、個々の場の「目的」に照らして、
「行為」を決める(考える)べきである、といっているわけですが。
ただ、私は、「原理」などという中間的な言葉を用いるより、
ストレートに「道徳の定義」でかまわないと思いますが。
時代や国が変われば、同じ行為が道徳的であったり、反道徳的であったりしますが、
だからといって、道徳の定義自体が変わったわけではない、あたりまえですね。
だって、道徳の定義が同じだからこそ、
同じ行為の評価が変わったといえるわけであって、
道徳の定義そのものが変わったのであれば、
そこにあるのは、異なる概念による、それぞれの評価であって、
それを比較することに意味があるわけがありません。
なぜ、こんなあたりまえのことを、そんなに慎重に確認しようとなさるのか、
わけがわかりません。
- 167 :悪法も法なり:03/10/30 02:49
- >>166
>なぜ、こんなあたりまえのことを、そんなに慎重に確認しようとなさるのか、
>わけがわかりません。
慎重なのは私の性分です。語の使用に関しても私の趣味です。
お手を煩わせましたね。その点は謝りますよ。
ただし、あなたが私を含め、何人かの人に誤解されたのは
そういった当たり前のことをはっきりさせなかったため、とだけは述べておきます。
それを私の理解力不足として頂いても結構ですが、
短文のレスのやり取りでは往々にして、こういった勘違いは起こりやすいものです。
- 168 :考える名無しさん:03/10/30 18:48
- >>167
>ただし、あなたが私を含め、何人かの人に誤解されたのは
>そういった当たり前のことをはっきりさせなかったため、とだけは述べておきます。
ある語の定義が状況によって変わったりしないということを、
いちいち説明しなければならないとしたら、
言語によるコミニュケーションはきわめて煩雑なものになってしまうと思いますが。
Aが、「あたりまえの」意味である言葉を使って発言した場合に、
Bが、その言葉の「あたりまえの」意味が何であるか知っているにもかかわらず、
「Aがあたりまえでない意味で発言した」との前提で、
Aに反論したとしたら、今回と同様の混乱が生じると思いますが、
この場合、どちらの行動に問題があるのでしょう?
Aは、「あたりまえでない」意味で反論される場合を考慮して、
「あたりまえ」の意味で使う場合にも、
その言葉を「あたりまえ」の意味で使うといちいち説明する義務があるのでしょうか?
逆に、Bは、その言葉の「あたりまえの」意味が何であるか知っていたとしても、
「あたりまえの意味で使っている」という説明が無い限りは、
まず(「あたりまえの意味で発言した」と考える「前に」)
「あたりまえでない意味で発言した」と考えて、反論するのが妥当なのでしょうか?
また、全ての発言において、そのような、当たり前のことをいちいち説明してあるという状態は、
B 以外の参加者にとっては、読むのが煩雑になるだけだと思いますが、
それを読む努力も、参加者の当然の義務なのでしょうか?
- 169 :二酉:03/11/03 19:51
- >>163 悪法の法なりさま。 亀レススマソ。
1,2のケースはそれ自体がちょっと非常事態なんで道徳でははかれないかと
思ったです。「かくあるべし」という事は容易いでしょうが、実践できる可能性が
非常に低い道徳、というのは理想とすりかわってしまうと思うです。
2に関しては、殺す相手と、助かる相手のどちらが自分にとってより近しい
存在であるかで決断するんじゃないかと、自分は思います。そうすると1も
同様の判断基準になりますね。ぶっちゃけ、恋人さんや親友がやんごとない事情で
自分を殺そうとしたら、おとなしく身をまかせると思います(笑)
自分にとって、その人たちのほうが自分の身よりも大事だと考えているんで。
つか、西洋はそんなに詳しいわけじゃないでつ。さすがに哲板に2年近くいるんで
その関連でイロイロ本を読んだだけでつ。体系的に学んだわけじゃないんで現代思想とかは
ほとんど知りませんし。
「それ自体の良さ」というのは、本人がそれを考えようとするならば、必ず
理解される類のものだと思っています。かなり理想論ですが。
ただ、その機会がなかなか無いのが現状だと思うのです。読書の秋なのに
本離れが進んでいるとか聞きますが、それは、今本以外にも手軽で面白い
メディアが巷にあふれているからであり、また、昔に比べて良書が減ったという
こともあると思います。簡単に出版できる世の中ですしね。
功利主義の考え方も、ある点までは非常に有効だと考えます。ただ、それだけで
相手が納得しなかった場合に、どうするかを考えることも必要だと思います。
そして、その時に説得力を持つのが、その人が所属する集団における規範意識
道徳意識といった、「無言の圧力」とでもいうべきものなんじゃないでしょうか。
- 170 :二酉:03/11/03 20:18
- >>166
個人的に「道徳の定義」というのはチョト語弊があるような気がしないでもないです。
>>166で挙げられている、各時代、各国の道徳というのが所謂「(その国・時代における)
道徳的行為・思想」であり、すなわち(その国・時代の)「道徳」の定義だと思います。
2ちゃんねるでの道徳、ということで「道徳の定義」とされたのかもしれませんが
自分は「たとえ2ちゃんねるであってもその場を形成するのはモニタの前の人間」という
立場ですので、上記のような意味ではなく、万人に共通の道徳を考えています。
とするとその際には「人に道徳的な行為を行わしめる要因・根拠」言い換えれば
「道徳の原理」を考える必要があると考えます。なので「原理」(アルケー)というのは
別段、中間的な言葉ではないと思うのですが、166さまはどうしてそう考えられたのですか?
とちょこっと気になったり(・ω・)
- 171 :二酉:03/11/03 20:28
- >>168
>ある語の定義が状況によって変わったりしないということを、
>いちいち説明しなければならないとしたら、
>言語によるコミニュケーションはきわめて煩雑なものになってしまうと思いますが。
やー、議論する場合は定義を明確にしておく必要があると思うですー。
特に哲学のように言語のみを用いて考えを深めていくような場合には。
言葉の意味って時代によって変わりますしね。それに専門用語ってモノもあるんで。
例えば「リハーサル」っていうとあるイベントの試演を普通は想定しますが
心理板あたりの記憶関連のスレでの話で出たなら、長期記憶に送られるための
繰り返し再生を指します。
ある語に、普段使っている意味のほかに、もっと厳密に規定された意味があるという
ケースはザラでつ。一応ここも、学問板ですし。
専門用語に関して誤解のないよう、相互の理解を確認しておくのは親切な事だと思うですよー。
- 172 :悪法も法なり:03/11/03 20:46
- >>168
勘違いされているようなので、手短に。
私は、最後の最後まで「貴方が道徳的相対主義者さもなくば詭弁家ではないか」
という疑いを持っておりました。というか最初はそのように確信さえしておりました。
私の述べた「当たり前」とは「私にとっての当たり前」ではなく、「貴方にとっての当たり前」の意です。
この疑いを私の理解力の無さとして笑っていただくのは結構です。
また、お気を悪くされたのなら謝りましょう。
>>169
その場合はなぜ、その人々を大事だと考えるか、が問題になりますね。
その基準がはっきりしないと、恣意的な判断を認めてしまいますね。
非常事態と仰いますが、「イラクへの自衛隊派遣」や「凶悪犯罪の増加」(1の例)、
「脳死状態での臓器移植」「「動物実験の是非」(ちょっと違いますが2と関連)
を考えると、こういったことも考える必要がありそうです。
ただ、そもそも2chで人を殺す事はないと思うので、
本スレではここまで考えなくていいでしょうけど。
- 173 :悪法も法なり:03/11/03 20:57
- 試みに私が考える2ちゃんねるでの道徳を挙げてみます。
議論のたたき台にでもしていただければ幸いです。
1、「自分がいやなことは、決して人にしない」(所謂黄金律)
2、「自分がしてほしいことは、その人も望んでいることを確認したうえですべし」
(変形黄金律)
3、それ以外は「最大多数の最大幸福」に従う。(功利主義)
(また1,2,3は優先順位でもある。)
これでは不十分でしょうか。
- 174 :二酉:03/11/03 21:12
- >>172
好きなものを説明するのは難しいでつねー。自分は恋人さんのうちに、真善美を
見出しているのかもしれないでつ(笑)脳死のことで思いましたが、生活板か
どっかで「ドナーカード持つのは良いけど、移植を待ってる家族がそれをよびかけるのは
すごく嫌」っていうスレを見ました。なるほどーと思うのですが、その家族が
臓器を得られれば、その時誰かが死んでるんですよね。そう考えるとなんとも
いえない気分になります。個人的に、自分のはあげてもいいけどもらうのは嫌、と
考えていますが、他の人はどうなんでしょうか。自分は、肉体はあくまで肉体なんだから
死んだら血でも腎臓でも、欲しい人に相応の対価であげようと思ってます。脳死は×。
「人間としての尊厳」とかの言葉を思い浮かべるとこういう考え方はどうなのかなーと思うです。
正直、人のをもらわないと生きられないというのも一つの天命だから諦めれ、って
思う部分もあるんですよね。むーん。
医療技術が進んで、人が死ににくくなったのはとてもいいことだと思うんですけど
そのせいで肉体を「器」のように考えてしまう傾向があると思うです。
ショ氏のように、もっと自分の肉体に執着してもよさげな気もするんですけどねー。
って脱線しすぎだ(´Д`;) ゴメソ
- 175 :二酉:03/11/03 21:19
- >>173
とりあえずはそれで十分だと思います。
2の場合、ちょっと変わった嗜好をお持ちの方をどうするかが問題ですが
相手が望むかどうかを確認したうえでなら問題ないでしょうし。
ただ、3は現在のように混沌とした状態で、誰を(何を)基準として「最大多数の最大幸福」
とするかも問題だと思うです。例えば極論になりますがこの板において
できるだけ真面目な議論がしたい人と、できるだけ雑談がしたい人と。
どちらに主眼を置くべきでしょう?間をとって、両者は互いに不干渉とか?
- 176 :考える名無しさん:03/11/03 23:48
- >>173
何か根本的なところでカンチガイしていないか?
若い母親が幼い子どもに
1、道路を渡る時は横断歩道を渡りましょうね。
2、信号が青なのを見て渡りましょうね。
3、横断歩道では手をあげてわたりましょうね。
と教えているようなものだと思う。
本当に重要なところをカンチガイしていないか?
たたき台を変形してみよう。
1、自分が文章を書くときには日常意識していない悪意まで書いているのだが、自分では気がつかない。
2、他人の書いた文章には悪意などないのだが、読み手自身の悪意を反映して誤読する。
3、自分の主張する意見が当然多数派意見だと確信している。
自分から毒を呑むようなことはしないほうがよい。
不特定多数の人間が制約なく書き込みすることができる、それが掲示板の存在理由なのだから。
- 177 :考える名無しさん:03/11/04 00:13
- >>171
あなたは、勘違いをなさっているようです。
私は、「定義を明確にしておく必要」が無いなどとは言っていません。
もう一度、 >>168 をよく読んでください。
その点に関して言えば、私は、定義が不明瞭なら、
確認する努力をすべきだと思っています。
現に、私はその努力をしています。
それ以前のレスをよく読んでください。
>>172
>私は、最後の最後まで「貴方が道徳的相対主義者さもなくば詭弁家ではないか」
仮に、私がそのような人物であったとしても、
>Aが、「あたりまえの」意味である言葉を使って発言した場合に、
>Bが、その言葉の「あたりまえの」意味が何であるか知っているにもかかわらず、
>「Aがあたりまえでない意味で発言した」との前提で、
>Aに反論
するという行為に妥当性があるとは思えませんが。
あなたの言う「道徳」とは、相手が、「道徳的相対主義者さもなくば詭弁家」
の場合には守らなくてもいいものなのですか?
それとも、そういった言動で議論不必要に煩雑にすることは、
あなたの言う、「道徳」とは無関係なのですか?
- 178 :悪法も法なり:03/11/04 06:31
- >>177
煩雑だと仰るので、手短に。
わたしは貴方のいうような行為をしていません。
これまでは「仮に貴方が私と同立場だとして」、という態度を示しましたが、
(気遣いのつもりでしたが、恐らくこれがいけなかったのでしょう)
基本的には貴方は相対主義者で詭弁家である。と思っています。
私の質問は、そうでないことを示せ。という趣旨の書き込みでした。
私は今後、この件にレスしません。あなたの言うように道徳と無関係だから。
もしレスを求めるならその旨を示してください。
そしてこの宣言を、身勝手であると非難される事には甘んじましょう。
- 179 :悪法も法なり:03/11/04 06:49
- >>176
ふむ。貴方はこれまでの私の書き込みは見ていただけたでしょうか。
見ていただければ幸いです。
変形されたたたき台の
1,2はいわゆるネットの特性ですね。どこが道徳と関係するのですか。
3はその人の思い込みに見えます。ネットだろうとなんだろうといけない事では。
何を仰いたいのでしょうか?
わたしは人々に強制するつもりではありません。
私の基本スタンスは、場の特性が道徳的な状況の形成を著しく困難にするとしても、
道徳の原則は何ら現実社会と変わらない、というものです。
ネットは勘違いしやすい場、というのであれば勘違いを減らす為に、
レスの数を増やすなり、言葉に気をつけるなりして勘違いを防ぐ、
というのがより実践的な方策と考えます。
しかし、そもそも相対主義の立場の方も少なからずいるようです。
あえてそれを否定する意味で上記のような原則を述べたのです。
不特定多数の人間が〜のくだりはまさにその通り、
しかし、荒らしにより、制約が生じる事も在りますよね。
荒らす人はそもそもおかしい人なのでしょうか。
私はそうではなくて、そこに誤った道徳観があるような気がするのです。
- 180 :考える名無しさん:03/11/04 07:14
- >>178
>わたしは貴方のいうような行為をしていません。
しています。
それは、私が、 >>166 で指摘し、あなたが、>>167
で認めたとおりです。
>基本的には貴方は相対主義者で詭弁家である。と思っています。
>私の質問は、そうでないことを示せ。という趣旨の書き込みでした。
まず、私の発言のどこに詭弁がありましたか?
それが指摘できないのなら、「詭弁家」という疑いは取り下げてください。
あなたは、私の発言の内容が、あなたの考える「詭弁家」の発言と
「似ている」という理由だけで、「詭弁家」と決め付けていますが
それはあまりにも不当です。
>私は今後、この件にレスしません。あなたの言うように道徳と無関係だから。
私が、何を道徳と無関係といいましたか?
少なくとも、「あなたの言う道徳」とは関係があると思いますが。
あなたのいう、「自分がいやなことは、決して人にしない」というのは、
「根拠もなく人を疑わない」とか、
「意図を明確にしない質問で、議論を無意味に引き伸ばす」ということとは無関係なのですか?
あるいは、あなただけには何か特別な権限があって、それは免除されていて、
「私はやらないけれど、あなた方は守るべきです。」と主張なさっているのですか?
それこそが詭弁ではありませんか?
- 181 :考える名無しさん:03/11/04 07:38
- どうも、無関係な方向に話がいってしまいそうなので、
私の主張を整理しておきます。
「道徳」を辞書で引くと以下のように書かれています。
---
どうとく だう― 0 【道徳】
(1)ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、
正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、
個々人の内面的原理として働くものをいい、
また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの。
(2)小・中学校において、道徳教育を行う教育課程。1958年(昭和33)から新設。
(3)〔もっぱら道と徳とを説くことから〕老子の学。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
----
「正しい2ちゃんねるでの道徳観」と言った場合、定義としては、
(1)の定義でよいかと思います。
ここで「ある社会」に、「2ちゃんねる」を当てはめようというわけです。
もちろん、この辞書の定義が絶対というわけではないので、
異論を唱える方もおありでしょうが、私はこの辞書の定義を
採りたいと思います。
- 182 :考える名無しさん:03/11/04 07:41
- 私の主張は、この「ある社会」が変われば、
道徳の定義(上の辞書からの引用)は同じでも、
道徳の内容(例えば、何を善とし、何を悪とするか)は変化する、
従って、「一般社会」の「道徳」を「2ちゃんねる」に持ち込む場合、
(多くの場合そのまま適用できるにしても)「2ちゃんねる」という
社会の特質を考慮せずに無条件に持ち込むことはできない、
というものです。
- 183 :二酉:03/11/08 02:05
- んむー。だから噛み合わないのか。
道徳の意味は>>181で引用された1でいいと思うです。
んで、自分(と多分悪法氏は)は、具体的な「個々人の内面的原理として働くもの」
の話をしていたです。2ちゃんは特殊だ、という考えは否定はしません。
でもそれは、日本は特殊だ、とかアメリカは特殊だ、というレベルと同じ類のものです。
なので、そういった特殊性を鑑みた上で人間全般に言える普遍的な原理を
考えていましたです。はい。
- 184 :二酉:03/11/08 02:06
- 何を善とし、何を悪とするかが変化する、と181氏は仰られましたが、
普通どんな集団にあっても同族内での殺しはタブーです。また、年長者や
親を敬えという教育が文化交流が無い地域でもなされています。
これはなんでなんでしょう?共通の原理が在るからではないでしょうか?
また、内容が変化する、と仰いますが国ごとに考えた場合は変化するというよりは
異なるといったほうが親切だと思います。時代で変化するというならば、その
「変化した」過程の中からより正当性の高いものを選択し、次世代に伝えてゆく
べきなんじゃないかと自分は思うんですがどうでしょう?
自分は時代などに合わせて変化するのは狭義の道徳と考えます。
なので、せっかく哲学板でやるんだし、2ちゃんねるを手がかりに
新しい時代に合った普遍的な原理を探してみないか?と思うのですがどうですか?
- 185 :考える名無しさん:03/11/09 01:11
- >>183
>日本は特殊だ、とかアメリカは特殊だ、というレベルと同じ類のものです。
そのような考え方は、選ぶ問題の種類によって、
妥当でない場合もありますね。でも、妥当である場合もあります。
そして、「妥当でない場合もある」は「かならず妥当でない」を意味しません。
>そういった特殊性を鑑みた上で人間全般に言える普遍的な原理を
>考えていましたです。はい。
あなたが、「普遍的な原理である」と考えて、
なんらかの「道徳」の「内容」を提示されるのは結構ですが、
「あなたが普遍的な原理であると考えている」ということは、
「2chにおいても道徳として妥当である(正しい)」ことをそれだけでは意味しませんよ。
それどころか、実際に「普遍的」であるということさえ意味しません。
ただ、「あなたがそう考えている」ということを表明したというだけのことです。
- 186 :考える名無しさん:03/11/09 01:24
- >>184
>普通どんな集団にあっても同族内での殺しはタブーです。
「普通」という言葉自体が「例外が存在しえる」ということを内包していますね。
そうでないなら、どんな集団であっても「必ず」といえなければなりません。
世襲制の権力者が支配する体制においては、
権力交代の時点において、次男以下が皆殺しにされる場合があります
(イスラム帝国など)。
これによって、無用な権力闘争あ防がれ、王朝を長く存続させることに役立ちました。
統計的多数の存在を認めることには最初から異存はありません。
しかし、「普遍的な原理」の存在を主張するのに、「〜なことが多い」は
十分な根拠にはならないと思います。
「普遍的」である以上は、「必ず〜である」といえなければならないと思います。
- 187 :考える名無しさん:03/12/07 06:12
- age
- 188 :考えるな梨さん:03/12/07 06:17
- 「必ず〜である」ことなどない
- 189 :考える名無しさん:04/01/15 17:04
- age
- 190 :考える名無しさん:04/01/15 17:16
- 荒らしは問答無用で悪だと以前は思っていたが、
ぴかぁ〜のようにデタラメ哲学を垂れ流す奴を
叩くのは、2chにおける良心ではないかと
思えてきた。
実社会でも、周囲に害を与えている人間を
無関心でいる方も悪だというし。
- 191 :考える名無しさん:04/01/15 17:26
- ・デタラメかそうでないかをどうやって決めるか
・叩くことによって何かよくなるのか
- 192 :考える名無しさん:04/01/15 18:01
- 「電車の中で(多数の人が)迷惑行為(だと思うこと)をする人がいる。注意しても聞かない。強制退去してもらおう」
君の言い分だと実社会では迷惑行為のし放題になるよ。
・その(電車の中の)行為が迷惑かどうかどうやって決めるのか?
・強制退去させることで何かよくなるのか?
いくらでも理屈はつけられるでしょ?
- 193 :考える名無しさん:04/01/15 18:20
- 具体的な迷惑行為をやめさせることが問題になってるときに、
よく一般論(抽象的議論)にすり替えて、自己正当化を
はかろうとする馬鹿がいる。哲板では、そういう発言を
得意げにやるのは、ぴかぁ〜>>191だけと言ってもいいくらいだ。
- 194 :考える名無しさん:04/01/15 18:22
- >君の言い分だと実社会では迷惑行為のし放題になるよ。
いや、実社会と「同程度」に、
・迷惑行為という判断ができるか
・迷惑行為の排除を、本来の目的を損なうことなく可能か
という話をしてるんだが。
- 195 :考える名無しさん:04/01/15 18:30
- >>194みたいな口調で質問連発するキャラは、ぴかぁ〜は
規範や道徳なんかのスレで時々登場させるよ
- 196 :考える名無しさん:04/01/15 18:33
- >>194
そんなことは、>>191には書かれてないし
実社会と同程度かに関係なく、「迷惑かどうか」の判断はできるだろ。
迷惑行為の排除は、現にアクセス禁止とかの方法でされてるし、
叩きによって迷惑行為がやりづらくなる効果があがる面は否定できないだろ。
- 197 :考える名無しさん:04/01/15 18:45
- >>196
>実社会と同程度かに関係なく、「迷惑かどうか」の判断はできるだろ。
>迷惑行為の排除は、現にアクセス禁止とかの方法でされてるし、
うん、だから、判断できることについては、既に対策がとられてるってことだろう?
量的な問題(サーバの動作に支障をきたす等)なら、客観的な判断が可能だから、
乱用には陥らない。
君のいう「迷惑行為」には、誰が判断しても同じ結論が出せるような
客観的な基準はあるの?
迷惑行為を判断できる客観的な基準がない以上、
「ただの叩き」と「迷惑行為を排除するための叩き」の区別はつけようがないね。
>叩きによって迷惑行為がやりづらくなる効果があがる面は否定できないだろ。
叩き自体が迷惑行為である面も否定できないね。
また、嵐、釣りが目的の相手なら、
叩きは迷惑行為の助長にしかならない面も否定できないね。
- 198 :考える名無しさん:04/01/15 19:03
- 何かの結論の「客観性」の意味を全く明かさずに相手に要求するのは詭弁。
なんらかの基準を示しても、それに対して常に、別の主観の存在を指摘
するだけで「客観性」は満たされない、だから基準は成り立たないと
できる定義で197は議論を吹っかけている。
- 199 :考える名無しさん:04/01/15 19:08
- >>197
叩き自体が、誰かにとって迷惑行為であるという意味なら、
今回の場合ぴかぁ〜にとっては迷惑行為だろうが、
それは迷惑かけている人間が注意されて迷惑を感じることは
否定できないと言っているのと同程度の議論に過ぎない。
迷惑行為の叩きが迷惑行為の助長にしかならないわけでもない。
叩かれている人間が迷惑行為をしづらくなる状況になる可能性だって
十分にある。
- 200 :考える名無しさん:04/01/15 19:12
- >うん、だから、判断できることについては、既に対策がとられてるってことだろう?
既にある対策が採られているから、対策は十分だとはならないでしょう。
そもそもぴかぁ〜叩きを「叩き」と一括することが事実に合ってない気もします。
- 201 :考える名無しさん:04/01/15 19:18
- >>198
>何かの結論の「客観性」の意味を全く明かさずに相手に要求するのは詭弁。
----
きゃっかん きやくくわん 0 【客観】
〔object〕
(1)主観の認識・行為の対象となるもの。主観に現れるもの。世界。かっかん。
(2)特定の認識作用や関心を超えた一般的ないし普遍的なもの。主観から独立して存在するもの。客体。かっかん。
----
私のいう「客観性」の意味は、以上の後者だよ。
>君のいう「迷惑行為」には、誰が判断しても同じ結論が出せるような
>客観的な基準はあるの?
とも述べている。
>なんらかの基準を示しても、それに対して常に、別の主観の存在を指摘
>するだけで「客観性」は満たされない、だから基準は成り立たないと
>できる定義で197は議論を吹っかけている。
そんな論法で基準の存在を否定できるといっているのは君だけだが。
もし、できるというのなら、現在のアクセス規制の基準を、その論法で否定してみてくれ。
私にはそんなことができるとは思えない。
- 202 :考える名無しさん:04/01/15 19:27
- >>199
>叩き自体が、誰かにとって迷惑行為であるという意味なら、
>今回の場合ぴかぁ〜にとっては迷惑行為だろうが、
>それは迷惑かけている人間が注意されて迷惑を感じることは
>否定できないと言っているのと同程度の議論に過ぎない。
で、「叩かれている人以外の人の迷惑」はどうなるの?
>迷惑行為の叩きが迷惑行為の助長にしかならないわけでもない。
>叩かれている人間が迷惑行為をしづらくなる状況になる可能性だって
>十分にある。
それは、「迷惑行為の叩きが迷惑行為の助長に」なる場合もある、
ということだろう。
「叩かれている人間が迷惑行為をしづらくなる状況になる可能性」
というのは、
「叩かれている人以外の人の迷惑」や、
「助長になってしまった場合の迷惑」が引き合うほど高いといえるの?
- 203 :考える名無しさん:04/01/15 19:41
- 放置したほうがいい。
間違いなく、こいつはぴかぁ〜(殺人スレどちて坊やばーぢょん)だよ。
- 204 :考える名無しさん:04/01/15 19:42
- >>201
その後者の意味での客観性をどうやれば定立できるか
逆に証明してくれ。俺は不可能だと思うが。
- 205 :考える名無しさん:04/01/15 19:49
- >>201
>そんな論法で基準の存在を否定できるといっているのは君だけだが。
>もし、できるというのなら、現在のアクセス規制の基準を、その論法で否定してみてくれ。
>私にはそんなことができるとは思えない。
実際、>>201で特定の認識作用を超えた基準を立てることを要求しているんだから、
現に201は>>198の論法を取ろうとしてることになるんじゃないの。
- 206 :考える名無しさん:04/01/15 19:50
- >>204
例えば、アクセス量は、基準として具体的な数字を与えられ、
十分な技術的知識と、ログ情報を与えられれば、
誰が判断しても、基準を超過しているか、していないかは同じ結論がだせるね。
削除対象である個人情報についても、ほぼ同じことが言える。
アクセス量は、観測する人間の主観と関係なく、存在する量だからだ。
ゆえに、アクセス量は客観的な基準であるといえる。
- 207 :考える名無しさん:04/01/15 19:57
- >>205
>実際、>>201で特定の認識作用を超えた基準を立てることを要求しているんだから、
>現に201は>>198の論法を取ろうとしてることになるんじゃないの。
客観的でなければならない、とはいっているが、
>なんらかの基準を示しても、それに対して常に、別の主観の存在を指摘
>するだけで「客観性」は満たされない、
なんて荒唐無稽なことはいっていないね。
「特定の認識作用を超えて存在している」というのは、
「あるひとつの主観を超えて存在している」という意味ではなく、
「いかなる主観からも独立して存在している」という意味だと思だろう。
だから、「特定の認識作用を超えて存在している」のであれば、
どのような主観が別に存在したとしても、存在するのであって、
そのような論法では否定できない。
- 208 :考える名無しさん:04/01/15 20:06
- >>206
特定の関心は超えているが、認識作用を超えてはいないと思うが?
- 209 :■:04/01/15 20:07
- ぴかぁ〜警報発令中
- 210 :考える名無しさん:04/01/15 20:08
- >>206-207
いかなる主観からも独立して存在しているとどうして言える?
基準として具体的な数値は誰がどういう基準で与えるんだ?
- 211 :考える名無しさん:04/01/15 20:09
- 基準として具体的な数値→基準となる具体的な数字
- 212 :考える名無しさん:04/01/15 20:09
- 206-207はかなり馬鹿だな。
- 213 :考える名無しさん:04/01/15 20:18
- >>208
では、アクセス量は、認識作用によって変化するというのかね?
>>210
>いかなる主観からも独立して存在しているとどうして言える?
どのような主観を持つ人が観測しても、同じ結果が得られるからだね。
>基準として具体的な数値は誰がどういう基準で与えるんだ?
サイト運用者が、技術的な判断で与えるているのが現状だと思うが。
- 214 :考える名無しさん:04/01/15 21:06
-
道徳の問題を、どう 解く ?
- 215 :考える名無しさん:04/01/16 15:05
- >>213
>>基準として具体的な数値は誰がどういう基準で与えるんだ?
>サイト運用者が、技術的な判断で与えるているのが現状だと思うが。
「技術的な判断」の「技術的」の内容を完全に説明しれ
それが一元的に定まるかも証明しれ
- 216 :考える名無しさん:04/01/16 20:26
- >>215
>「技術的な判断」の「技術的」の内容を完全に説明しれ
>それが一元的に定まるかも証明しれ
「完全」に説明しようとすると、膨大な量になるので、
まず、以下のページにある、規格書を全て読んで内容を完全に理解してください。
・IETF(The Internet Engineering Task Force )
http://www.ietf.org/
・W3C(World Wide Web Consortium)
http://www.w3.org/
- 217 :考える名無しさん:04/02/18 17:07
- 保守
- 218 :考える名無しさん:04/02/23 04:16
- >>217
君っていい奴だね。私も保守だよ。
でついでに上げとこ
- 219 :京都Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/02/23 09:38
- 道徳について考えないとあかん事は四つあると私は思いますわ。
一つは、「大まかな常識」。その場合に一般的にはどうするんかを考えな
あきませんわ。
二つ目は、「事実」、これが無いと話になりませんやろ?
三つ目は、「筋」。もし納得のいくいきさつがわからへんのやったら
「つうつう」にはなる筈は有らしまへんと私は思うとります。
四つ目は、「大まかさの程度」、もしこれがきちきちに出来るもんやったら
世の中おまわりさんも、法律も最初から必要ないんとちゃうやろか?
とうちは思うのです。
みなさんはどない思うとるんですやろ?
- 220 :考える名無しさん:04/02/23 14:25
- 疲れる。
- 221 :考える名無しさん:04/02/23 14:45
- ソフィアの言っていることを自己解釈すると
常識、その母体となる事実、その道理、その許容範囲。てえことになるんだけど。
うーん、ソフィアの道徳って“常識”ってことになるんかい。
俺が思うのはね、たぶん「道理」つまり「筋」が道徳として大事なんじゃないかなあと
思うんだけど、あとはさたぶんいらないよ。道徳って行為に規範を求める実践的なものだから
常識がなくてもそこに自分が正しいと思ったら、それをするものだと思うし、事実と違っていても、
自分の信じたことだから、あとで責任をとる形でそれをしてしまうだろうし、人と違っていてもそれ
でもいいもん、て思えることが道徳じゃないだろうか?
道徳ってさ、これはこういうことなのかもしれない、ちょっと変だしな? そしてこういう風にしたら
いいんじゃないか。俺がこういう風にしてやろう。そういう物事の筋道を見つけ、筋道を延ばしてい
くことがことが道徳なんじゃないかな。
だから常識は関係ないというか、そういう文化の違いは関係ないと思ったりする。道徳って他人と
比較することじゃないもの。もちろんおまわりさんも関係ないと思うし法律も関係ないもの。関係ある
としても、もうちょっと狭い範囲内のことだったりするんじゃないかなあ。(まあ人によって範囲なんて
それぞれだけどさ)
で筋道は何を規範にするのかっていうと、徳なのかなあ。(徳ってなんだろう?)
だから社会性と道徳の整合性を照らし合わせる必要はないと思うよ。そういうのは法律だけで充分。
それが、おまわりさんの仕事。
と思いましてん。どうでっしゃろ?
- 222 :考える名無しさん:04/02/23 15:20
- 人がたくさん集まる割には、その知識層は決して高くない。
知識の信憑性がかなり疑わしい。
- 223 :考える名無しさん:04/02/23 16:30
- まずねえ、2ちゃんねるに集まるっている点でかなり人種が選別されていると思うよ。
だから人が多いだけで事実を見つめてはいけない
あと知識についてはおまいさんは幻想もちすぎ、引用なんて普通は片手の本を引き写して
やるもの。それがめんどくさいか、めんどくさくないかが識者と凡人の違い。そういう誠実さの上に
識者っていうものは成り立つの。つまり今は2ちゃんねるでは誠実な人が減ったんだなあっ
て思われるということ。まあ昔のことなぞ知らんがなあ。
- 224 :考える名無しさん:04/02/23 23:26
- スレの流れを無視して悪いが、スレタイおかしいよな。
これじゃ、まるで2ちゃんねるが正しいみたいだ。
「2ちゃんねるでの正しい道徳観」じゃねぇ?
- 225 :京都Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/02/24 04:56
- >うーん、ソフィアの道徳って“常識”ってことになるんかい。
いいえ違いますわ。
筋が大事なのは私も一緒どす、せやけどそれが徳かどうかは判りやしまへん。
>でかなり人種が選別されていると思うよ。
普通の事は誰も書き込みやしまへんのとちがいますやろか?
- 226 :考える名無しさん:04/02/25 15:58
- >筋が大事なのは私も一緒どす、せやけどそれが徳かどうかは判りやしまへん。
そうかい。了解したよ。
ソフィア氏の哲学へのアプローチってかなり特殊だよね。
間違っているとかじゃなくて、視点としてはかなり正確なところを
ついているんだなって思った。“常識”にとらわれていないしね。
>普通の事は誰も書き込みやしまへんのとちがいますやろか?
うーん、そうかもしれないなあ。ここで書き込んでるとどうも自分
を持ち上げたがるからね。自分の発言は特別だっていう意識が強く
なるのかもしれない。まあでも2ちゃんねるで、そういう自己顕示
欲的な見られる快感はある程度達成されていると思うんだけど。
そういう物好きのれん中って2ちゃんねるには多そうじゃない?
最近の現象なのかな。
- 227 :考える名無しさん:04/02/28 07:15
- 道徳とはひと言でいえば、良心・・・かな。
- 228 :考える名無しさん:04/02/28 08:21
- 故に個人の判断に依存する。
- 229 :考える名無しさん:04/02/28 09:16
- この場合、「故に」は成り立たないでしょ。コモンセンスも含まれるでそ。
- 230 :考える名無しさん:04/02/28 13:51
- 常識からの行動についての判断もまた最終的に
個人の状況に依存する
- 231 :考える名無しさん:04/02/28 13:52
- 君子はその境遇を天命と心得て、
それ以外のことを願わず満ち足りている。
富貴であってもおごることなく、
それにかなった仕方で道を行ない、
貧賎であっても卑屈にならず、
それにかなった仕方で道を行ない、
未開の蛮族の中にあっても道を守り、
艱難に出会っても恐れず心配せずに、おのずから的確に対応する。
このように、君子はいかなる境遇になろうとも、
不平不満の念を起すことなく悠々自適する(自得する)ものである。
(『中庸』より)
- 232 :考える名無しさん:04/02/28 16:48
- だんな、ちょっと強弁がすきやしませんか・・・
個人と世の中の間にゃパラドックスがあるんじゃないですかい?
- 233 :231:04/02/29 01:38
- 個人の為の中庸で、世間の為の中庸ではないと、
彼は言うかもしれない・・・
世間の在り方は老子君に聞いてみないと・・・
- 234 :考える名無しさん:04/02/29 14:55
- まあまて、個人の良心は確かに必ずしも同じではないが、
また、必ずしもすべて違うわけではない。
個人の状況に依存する定言命令のうち、
社会の参加者に共通するものを、取り出したのが、
その社会の道徳なんでないの。
- 235 :二酉:04/02/29 15:57
- >>234
「その社会の道徳」とか言いはじめたらきりがない気が。
それに、「良心」というのは、社会にあるていど規範化された道徳があって初めて
その集団に所属する人に形成されるものでは。人は生まれながらに道徳を
もっているわけではないでつ。それに、社会集団は変化するものだし、
われわれは家族、学校、地域など異なる複数の社会に同時に属しているです。
ある社会では道徳で、ある社会ではそうじゃないっていうのはありえにゃい。
2ちゃんだから、という言い分に対しても、今はマズーなことするとログ取られたり、
ディルがタイーホされたり。実社会との関連が無いような気になるだけで
ほんとはあるです。個人的に、現在の哲板の道徳意識が、生活板のそれより劣る
ような気がするのですが、独我論的な考えを捨てきれない、社会と向き合えない
ひとが増えたからじゃないかしらんと思ってみたり。暴論です。ごめんなさい(´Д`;)
でも、どうかしらん?
- 236 :考える名無しさん:04/02/29 16:29
- 235、暴論まではいきませんが、
>社会と向き合えない
ネット依存をこの理由にするには二次的だと思います。ネットが二次的な要因
かもしれません。
>独我論的な考えを捨てきれない
これはごく少数の周りの返答や指摘から自論を疑えない人、
もしくは、自己を何か特別な存在だと主張しなければならない必要性の有る人、
等でしょう。ここでもごく少数の人でしょう。(立証できませんが。)
>人は生まれながらに道徳をもっているわけではないでつ
中には人の本能の中にもその要素はあるかも。(怪我をしたふりをして子供を
守る親鳥みたいな本能)
おそらく、社会の道徳はある共通の論理によって導かれたものでしょう。
その論理を深く追求して新しい意味を見つけたり、論理が衝突する部分について
違う論理を合わせてみたりする事が道徳を知る事になるかもしれません、どうでしょう?
- 237 :二酉:04/03/01 01:07
- >>236
ネットが二次要因っていうのは同意です。
個人的に、道徳の初歩?となるような具体的な行動(悪口をいわない、
暴力をふるわないなど)の規範意識って、じぶんがされてイヤだったときに
一番強くなると思うです。
でも、今って子どものうちにそうした経験をさせないんですよね。
現場の先生の実践報告を聞くと非常にそう思うんですが、例えば
悪口を言ったとすると言われた相手よりも先生が先に反応するです。
「なんでそんなこというの?」って。何でって聞かれても子ども困っちゃいますよね。
瞬間的な感情の高まりがそうさせました、とか開き直れないでしょうし(笑)
んでここで「自分のしたことは誤りだったんだ」と気づく→謝罪する、んで
相手が許してくれたらはい元通り、こうしたことを徹底してるのでうちのクラスは
みんな相手を思いやれる子たちばっかりです、っていう先生多いです。
- 238 :二酉:04/03/01 01:13
- でも、考えてみたらそれって「何でいけないのか」の説明が全く無いんですよね。
その場の行動が修正される、その修正が大人に疑いを抱かない、思春期
くらいまでは持続するっていうのは教化効果が一応あるってことです。
子どもの頃は誰でもこうしていい子になれます。でも、自分なりの価値基準を
形成しなくちゃならない中高生にも同じ方法でいくわけです。
どこに道徳の形成される余地があるんでしょう。子どもの頃のように
行動を抑制してくれる絶対的な監視者はもういません。
やろうと思えばその監視者を殺せるくらい体も心も発達しています。
こういう人たちに、何が抑制を働かせるのか?と思うと
自分は子どもの頃に培われた嫌な経験・悲しい思い出なのではないかと思うのです。
- 239 :二酉:04/03/01 01:25
- でも、子ども達は守られすぎていて傷つく機会を失っています。
走って転んですりむく、ということにしてもいつだって大人が見守ってるもんですから
そしてその大人は、子どもが傷つかないよう細心の注意をはらっているもんですから
まず血を流す、自分の命を垣間見る、という幼児期の経験が非常に少なくなります。
ペットブームとかあって「自分以外の小さな命」に触れる機会はありますが
そういうのって大抵元気でしょうし、失う悲しみを味わうのはまだまだあとです。
祖父母とも離れて暮らす人が増え、おじいちゃん、おばあちゃんをとっても大事に
思える機会が減りますた。大事じゃないひとがしんじゃっても、あんまり悲しくないです。
- 240 :二酉:04/03/01 01:36
- なんか話が脱線してますが何が言いたいかってーと、
社会のある共通の論理、ていったらやっぱり人に戻ってくるわけで
でも、その人のなかで道徳が形成される機会が、昔(たとえば戦前)より減っているとしたら
要因は何なのか、それを補うためにはどうしたらいいだろう?と思ったのです。
組み合わせの相手としては、自分は功利主義くらいしか思いつかないですが
これに代替しうるものって他に何がありますかね?長々とスマソ(´Д`;)
- 241 :☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/01 01:48
-
≧(´▽`)≦アハハハ
- 242 :236:04/03/01 17:16
- >なんか話が脱線してますが
脱線しています。
>人のなかで道徳が形成される機会が、昔(たとえば戦前)より減っているとしたら
過去と今を比べる事には限界があるでしょう。何故なら、社会背景そのものが
違っていますから。また、戦前の道徳観を良しとも出来ないでしょう。何故なら
戦争を確実に肯定できるとは思えませんから。
>組み合わせの相手としては、自分は功利主義くらいしか思いつかないですが
おそらく、主義に合わせて社会が成り立ったとしてもそこから生まれる道徳が
必ずしも正しいとは言い切れないと思います。
個人の道徳観が社会の状況によって決定されるとして、
もし、道徳を深く理解する態度が生まれるような思想があるとすれば
探求心主義?みたいなものでしょうか? 道理の筋道がはっきり照らされるような
方向性が無いと道徳の道の部分が分からなくなりますから。
- 243 :二酉:04/03/02 17:01
- 脱線鳥はおいしいらしいです。どうでもいいでつね('∀`)'`,、'`
自分が道徳観と一緒にあわせて考えてたのは自由(とくに思想的な)です。
明治・大正・と100年近くかけて、文学の世界では封建遺制を暴き続けてきますた。
家制度や国民の意識を変える手段はほかになかったと言ってもいいと思う。
ここで国語改革とかの話をするとまた脱線するんでやめときますが(笑)
家と個人の、国家と個人の軋轢に苦しむ人は沢山いたと思います。
戦争を肯定した、とういうのも、生き残るための適応的選好であったのではないかと。
ところで、242見て思ったのですが、自分は道徳を「モラル」にほぼ該当するもの
としてとらえているのですが236さまは老子的なものを想定してらっしゃいますか?
だとしたら、道ってなんでしょう?ずっと考えてたんですけどどうにもあいまいなのです。
その、道はどんな社会、どんな人間にも共通のものなのでしょうか。
- 244 :236:04/03/04 15:23
- その人にとっての道でしょう。
どんな人にも共通な道を明確にできれば恐らくは誰も道に迷わないと思う。
何らかの配剤で自分で見つけないと道に立てないように工夫されているのでしょう。
- 245 :二酉:04/03/05 01:57
- ということは、道はその人とは別個に存在するってことでつかね?
それに、仮に自分で道をみつけられたとして、どうしたら「道をみつけたぞー!」と
確信をもてるのでしょうか?
また、その人にとっての道ということは、相対的なものですよね。
老子は道は絶対的なものであると説きましたが、>>244に従うと
道徳は現象界のもの同様相対的ってことになるです。
そこらへんの兼ね合いはどうなんでしょう?
- 246 :考える名無しさん:04/03/05 02:46
- 二酉の文章は読みやすいね。学生さん?
- 247 :二酉:04/03/05 03:06
- でへへ(´w`)ゞ 今月で卒業ですが現時点ではまだ学生でつ。
あっというまの四年間ですたよー。
- 248 :考える名無しさん:04/03/05 04:57
- おそらくは別個に存在してはいないと思う。別個に存在していたら
道に立つ事もできないかもしれない。
そのレスの相対的の意味と違うかもしれませんが、道徳は変化するかもしれないです。
老子の言う絶対的な道はその人のどの場合にも適応する事で、それを突き詰めて
いくとどこかで誰にでも通じる何かがあるのでしょう?現象界?で。
老子の大きい小さいの話ではその差は比較から生まれ、その比較も無限に可能
な事から絶対に大きいものはなく絶対に小さいものもないそうです。この話ですか?
私は覚者ではないのでこれ以上はわかりません。
徳については見当もつきません。
- 249 :考える名無しさん:04/03/25 00:27
- 道ってなに?
- 250 :じゆん ◆DxrYYrrJjQ :04/03/25 02:40
- >>249
>道ってなに?
ベルクソンの純粋持続なんではないかなあとふと思った。
- 251 :考える名無しさん:04/03/25 12:54
- ベルクソンの純粋持続ってなに?
- 252 :考える名無しさん:04/03/25 12:56
- 社会性と倫理観を備え持った大人には背徳の行為と認識されるように
なってしまったが、よく幼児期の何者にも染まっていない頃のことを
思い出していただきたい。
あの頃の僕たち私達は、同じ年頃の友達の便所での排便行為を便所の
下の隙間から覗き見て、歓喜の声を上げてよく騒ぎ立てたものでは
なかっただろうか?それは男女問わず、すべての人間が持ち合わせる
うんこ欲を顕著に示しているのである。
そして人は成長し大人になるに従って、特に男は女の排便シーンを
見てみたい、女はこの姿を男に見られたいとういう、新たなうんこ欲に
変化を遂げるのである。
動物のそれにも見られるように、うんこ欲とは生物が生きて行くのに
かかせない、男女を引き寄せる強力なエネルギーなのである。
すべての生物は共通にうんこエネルギーが根底に流れているのである。
- 253 :じゆん ◆DxrYYrrJjQ :04/03/25 13:27
- >>252
排泄欲を語るのはエーリッヒフロムでしたっけ。
「悪について」
……ちらっと読んでみると、フロムよりも前にフロイトが
提唱したモノののようですね。(フロイトは1909年に「性格と肛門愛」を発表した。)
そしてリビドー理論によれば、性愛と肛門の関係はあるのだそうです。
- 254 :二酉:04/04/11 21:57
- なんか久しぶりに見たらどんな話の流れだか忘れてる自分がいた(´Д`;)
>>248
ということは、ある人にはある人の道があるってことですかね。
だとしたら、その道を定めたのはいったい何なんでしょう?
んと、>>244で、道はその人にとっての道であって、自分でみつけないと
道に立てないって書いてらっしゃったので、236さまの考える道っていうのは
人の数だけある=相対的なもの、なのかなーと思ったのです。
また道徳は変化する、というのはどういう事かもちょっと説明きぼん。
「道徳」をどういうものと想定しているのか、それがどういう条件で変化すると考えるのかお聞かせください。
もしまだこのスレ見ててくださったらですが(´Д`;) 超亀レスでスマソ。
>>250 じゆんさま。
ベルクソンの純粋持続って何でつか?(・∀・)
- 255 :くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/04/11 22:00
- はははは必死必死w
- 256 :二酉:04/04/11 22:14
- >>252
うんこエネルギーって言われるとすごくネタっぽく感じるけど
そういうシチュエーションには心当たりが凄くあるです。
恋人さん、自分がトイレ入ってなかなか出てこないと鍵こじあけようとしたり
ドアの前で架空実況中継したりするんでつよ。
今じゃあんまり抵抗なくなってきた自分が鬱・・・。_| ̄|○
でもこれって逆に、いい大人はそういうことをしないもんだって意識があってこその
仲間内のあそびのような気がする。排泄についての話が普通にできるようになったら
その相手とは相当親しいか、そうでなくともこれからかなり長くやっていけそうな気がする。
自分の中で話題のタブー最有力候補が排泄なんですが、他の方はどうなんでしょう。
- 257 :二酉:04/04/11 22:25
- 排泄といえば確かウケモチの神が口とかから食べ物を出してもてなしたら
ツクヨミが「汚い!謝罪汁!」って怒って殺しちゃうんですよね。オホゲツヒメのパターンも同じだったかな。
出てくるのがたとえ本当の食べ物でも、きたにゃいものはきたにゃい。
それが生きるうえで必要なことだとしても、きたにゃい。そう思う人がいる。
ならばせめて話題に取り上げないようにしようっていうのが大人の分別であって良識ってやつですか。
なんか全然関係ない上にとりとめない文ですね。スマソ。
- 258 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/04/11 22:52
-
ベルクソンの純粋持続とはつまり「空間化された時間概念」と言う意味です。
これは認識の対象と対象の変化における時間的契機の連続性によって、
空間があると感じる人間の認識のことを言っているわけです。星の「〜光年」
という距離の単位は「空間化された時間概念」そのものですしね。
まあその認識の奥にある連続性をベルクソンは「純粋持続」と言っているようです。
まあ、ここで空間という概念にとくに固定しなくても、こんなものも純粋持続なので
ご紹介します。「時間と自由」のどっかに書いてあったものです。
例えば譜面を見て音符と音符の記号を読んで、それをドとかファとか読み取れた
だけでは純粋持続とはならない。この譜面でもって音楽をイメージできたら純粋
持続があると言える。人はその音と音の繋がりをメロディーとして認識する。そのように
音ではなく、音楽性を味わえる能力が純粋持続なのである。また単音のみでも、純粋
持続は発見できる、獅子脅しのカコーンという音を聞いて静謐な空間の広がりをイメージ
できたのならそれは純粋持続以外なにものでもないだろう。そういう身体にある時間的
規範が誤作動を起こすように、我を忘れる感覚、でも時間概念が消滅したわけではなく
認識対象内部に時間概念を預けてしまった感覚が「純粋持続」なのである。
道を「純粋持続」としたのは、「時間概念の不可逆性」と、「変化しても消滅しない時間概念」
が老子の道に似ているかなあ、と思ったからです。
おもきし長文ですね。よろ。
- 259 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/04/11 22:55
- あと肛門性格ってどうやら貯蔵性格と同一のようで、お金、財産、汚物、さらには不要物に
執着を見せる人のことです。つまり肉体から分離された不要なもの、つまり生のない姿に
魅力を覚える人としてエーリヒフロムは書いていますね。うーんなんだか当てずっぽうだ
なあと思われますが、こういった妄想(こういうのは絶対妄想ですよね?)から精神分析が
発達したのだしなあ。なんとも言えんです。
- 260 :考える名無しさん:04/04/12 01:09
- 現状はよくわからないが、確にレスに行き過ぎがあったようだ。しかしある種の問題意識があってそれを示したいという気持ちがあったことを理解してほしい。どちらにしてもいさぎよくこの場からは卒業しよう。いろいろな面からそれがいいだろう。
- 261 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/04/12 01:44
- >>260
誰に対して語っているのですか?
で誰?
- 262 :二酉:04/04/13 01:27
- >>260
ど、どうしたのー?急に。思いつめるとよくないことをしでかすですよ。
>>258 じゆんさま。
えーと。純粋持続のこと自体はなんとなく分かったです。でも、自分が
老子よりも孔子が好きで、老子イヤーっていう偏見があることを差し引いても
その純粋持続と老子の言う道が似ている、というのがいまいちわかりまてん。
じゆんさまが、道をどういうものと捉えていて、それがどういった点で
純粋持続と似ていると思ったのか教えていただけると嬉しいです(・∀・)
- 263 :じゆん ◆bYRNL78mlE :04/04/13 09:53
- >>262
純粋持続と道は似ているか?
うーんどうやら似ていないみたいですね。たはは。
今、調べてみて理解しました。違うぽいな。持続的感覚を道(way)を重ね合わせた
だけのようですね。
まことににあいすいませんでした。まあ、スルーしたってください。
老子の道を説明してみようと思うたのですが、知ったかはもうやめまする。
でも老子の道って西田幾多郎の純粋経験とそっくりですねww
>老子よりも孔子が好きで、老子イヤーっていう偏見があることを差し引いても
ほえ、そうですか、まあなんとなくわかりますけどね。老子の真理探究スタイルって
言ったらいいのかな、そういう人生哲学的なものに抵抗感は持ちやすいものと思います。
まあ、こういった自分の視点もアバウト且つ偏見に満ちてますが。
まあ好きになれる思想家、哲学者がいるって言うだけで偉いなと思います。
孔子がどんな人でどんなことを言ったのか私にはさっぱりですが、
きっとすげえ人物だったんでしょうね。孔子のどんなところがお好きなのですか?
もしよろしければ。
- 264 :考える名無しさん:04/04/16 17:53
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- 265 :考える名無しさん:04/04/30 15:37
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