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人生最大の発見

1 :考える名無しさん:03/02/09 20:22
人生最大の発見は「原則」である。

個人のみならず、人類にとっても最大の発見であるだろう。
あと何十年もすれば、一般的にも認知されているのではないかと思う。

ひとまずここにスレを立ててみようと思う。

201 ::03/05/01 15:38
真摯な反応まことにありがたい。しかし、正直なところ、自意識と無意識の
成長殺戮温泉でぬくもって来た現役病人としては、壱殿のソクラティックヘ
ルスに脱帽するばかりだ。質問意見をまとめようと読み返しているのだが、今
日は33で力尽きた。べつに壱殿に読む義務は無いが、その気が御座るなら
待っていただきたい。メールなりこの場なりで送りたいと思う。
 そこで、大雑把な質問なのだが、「原則」の目的とは何だろう。真善美を通
じた成長か。成長を通じた真善美か。もしくは、古典的目的を超えた何かなの
か。もし、「全ての確認」がその目的であるなら病人としてはうんざりする。
健康であれば喜びと驚きが付き添うのであろうが。天使が悪魔の愚行にスポッ
トライトを当てあざ笑う感がしてならない。愚かなエンターテイメントに
見えてしまう。
 しかし、壱殿のいう「原則」らしきものを、相手の力を奪う方向に行使する
能力者がまだまだ多い気がする。健康で以って相手を病人にしてそのまま
成長しろと命じるのは、ローマ病の観がする。努力と工夫をそれを奪う方向に
駆使する姿にはうんざりするばかりだ。アメリカの負の側面などを見ると
つくづくそう思う。もちろん日本においても。壱殿の予測される変化には
まだまだ自意識の邪魔が入るのではなかろうか。
 つたない文章でいろいろ難癖付けるが、ホームページを心待ちにしている。
しかし支配に忙しさは欠かせないものかな。余裕が欲しいものだ。欲しがらず
にすむそれが。

202 :フッセル:03/05/01 18:03
平均的なIQって65位だったんだ

203 :考える名無しさん:03/05/01 18:30
おまえらはな

204 : :03/05/01 18:32
とりあえず読もうと思ったが
長すぎ...

よくわからんがそれで何かできるんなら
とりあえずなんか行動せえよ


205 :考える名無しさん:03/05/01 18:35
今日は義父にいってきたがなにか

206 ::03/05/01 20:17
>>204
たしかにな。何かであることや何かになることだけを考えてるやつには
うんざりする。それ以上の行動はせんからな。成長を必要とする地位の
癖にふんぞりかえるのが目的のやつにはうんざりだ。自分勝手にその
地位にいながら他人のせいにして他人に成長を強要する。そんなのは
願い下げ。他にもっと向いた職業があるだろうにな。適材適所も原則
だろう。残念ながら、自然のほうが上手だ。というか返事待ち。でも
結局、健康第一だな。

207 :考える名無しさん:03/05/01 23:26
ちょっと場違いかもしれんけど、俺の場合は、松浪健四郎著作の
「もっと「ワル」になれ」および、「ハンパに生きるな」
を一字残さず読破したら、すごいグレイトな教養になったよ。この2冊は皆にもお勧め!!!

208 :考える名無しさん:03/05/01 23:28
同感です(^^) 今でこそ細かな使い勝手では定評の・・・・

209 :考える名無しさん:03/05/01 23:33
>>207
有益な情報をどうもありがとう。
早速アマゾンで買うことにしたよ。

210 :1:03/05/03 23:23
>201
>質問意見をまとめようと読み返しているのだが、今日は33で力尽きた。べつに壱殿に読む義務は
>無いが、その気が御座るなら待っていただきたい。メールなりこの場なりで送りたいと思う。

私はこの掲示板を見に来ますので、
本さんの都合が悪くなければ、ここの掲示板でやりとりができればと思います。
私の返事は遅くなるかもしれませんが、質問などは気長に待っていますよ。

>そこで、大雑把な質問なのだが、「原則」の目的とは何だろう。真善美を通
>じた成長か。成長を通じた真善美か。もしくは、古典的目的を超えた何かなのか。

なるほど。やはりこれもなのですが、誰にとってかによっても「原則」の目的は違うと思われます。

ちなみに、「成長・能力の獲得(手段)」と「真善美・コントロールした成果(目的)」があるとすれば、
手段と目的とは一体のもの、つまり同時にバランスよく追求するように考えるのが原則的であると思います。
また、手段は目的になり、その目的がまた手段になったりと繰り返しになったりもするのです。

これは私も断言はできませんが、「原則」の本来の意図とは、
『宇宙に存在するあらゆる全てである自分自身(原則)を、理想的な状態に向けて変化させ続けていくこと』
とも言えるのではないかと思います。これは人間の意思ではありません。
では何故そうなるのか?と言えば、それが原則だからです。

211 :1:03/05/03 23:23
人間が自由意志を持って的確に世の中を動かしていかなければならない理由は、
人間を超えたものによる何か(原則)なのではないかとも思えます。

今は宇宙へ進出するための研究もされ始めていますが、将来的には果てしない宇宙に向かって人間が進出し、
それらも都合の良いようにコントロールしていくことになるような気もしないではありません。
まだまだ改善の余地だらけではありますが、最近ようやく地球が統合されてきた感もあります。
しかし、将来的には宇宙までもを人間は支配するかもしれないのです。

しかしながら、地球人がそこまでたどり着くことができるかどうかは、原則は保証してはいないのです。
原則的に言うなら、宇宙に存在する数ある知的生命体のうちの一つでも支配してくれればいいのです。
彼らが強大な支配力を持つのであれば、地球の危機も救ってくれるかもしれないのです。
(こういう考え方が原則的です。)

これは人に置き換えることもできますが、
環境的に有利な環境と、不利な環境があることは明らかです。
しかし、まわりの環境がどうであったとしても、
その環境の中で最大限の利益を追求していこうという考え方が原則的であるのです。
恵まれた環境にいる人より、原則に従っている不利な環境にいる人の方が幸福であることも当然あり得るのです。

そういうわけで、地球というそのまわりをも含めた環境が、
宇宙の中において、どれだけ恵まれているのかということは、今はまだ分かっていないのです。
隕石一つで地球は滅びてしまうかもしれませんが、技術によってその危機を回避できるかもしれないのです。

今は現実的な話ではないかもしれませんが、宇宙人とも出会える日もいつか来るかもしれません。
原則的には彼らとも共存するべきであるのかもしれませんが、
場合によっては侵略されてしまう可能性も否定はできないので、
負けないよう地球人も技術の進歩を促していくべきでもあるのです。
技術は間違って使わなければ善であり、幸福のための手段にもなり得るのです。

212 :1:03/05/03 23:23
物事の進歩というものは、限界が来れば自ずとそこにいる人間には感知できるものなのです。
結局のところは原則を超えることはできないわけです。

現状の技術という観点では、まだ限界点にはたどり着いてはいない模様です。
しかし、最近になってようやく限界点が見え隠れし始めてきているのです。
井の中の蛙が大海を知るようになったとも言えるのではないかと思います。

しかしまだ、世の中にあるすべての物質や生物の仕組み、またその応用範囲など、
あらゆるジャンルにおいて、未知なことは限りなく多いのです。

将来的には、各ジャンルにおいての限界点が見えてくるようになるのではないのでしょうか。
これからは一つずつの限界点を探っていき、進歩の飽和を目指していくことになるのではないかと思います。

そして、すべての人や組織の営みにバランスよく資源が分散されていくのではないかと思います。
それと言うのは、全体的に世の中が次第に原則的な動きをし始めることによって、自然とそうなっていくのです。

世の中、二極分化するという説もありますが、それは原則的ではありません。
少なくとも、世の中の人が同時にお金の原則を適用しても、同時にお金持ちになれるはずがありません。
しかし、同時に幸福になることは可能なのです。

もちろん個人や組織の支配にあるものには、意図的にバランスよく営むことも必要です。
いや、支配しているというよりは、その上に位置している存在という認識が正しいのではないかと思います。
そして、その下にあるものを、最大限の効果を引き出せるように意図していくのです。
そのようにして、すべてのものは矛盾なく行動することができるようになるのです。

現状では、障壁とも思われるものが多く存在しているものと思います。
そしてその障壁というのは、多くの場合人間自身が生み出しているのです。
何故なら障壁があってもそれを崩していければ、障壁でもなんでもなくなるからです。

原則というものは基本的に障壁ではなく、ガイドラインという位置づけになるのではないかと思います。
原則が分からないのであれば、大きな可能性が残されているということです。

213 :1:03/05/03 23:24
>201
>もしくは、古典的目的を超えた何かなのか。
>もし、「全ての確認」がその目的であるなら病人としてはうんざりする。
>健康であれば喜びと驚きが付き添うのであろうが。

そういうわけで、「全ての確認」が原則の目的であることはないと思われます。
少なくともそれは人間自身の目的の一部でもある。
本来、原則の目的は人間が考えるまでもなく、『原則自身が目的を持っていた』ということである。

個人や組織で見れば、定型的な目的はないとも言える。
原則的に言うなら、原則自身の目的の達成のために死力を尽くすことによって満足を得られるのである。
つまり、人や組織による差が大きいのである。

大きく影響力を持つものであれば、世の中を的確に動かしていくべきであり、
影響力の小さいものであれば、自分自身を満足させるために努力をするべきなのである。
それは健康のための努力なのかもしれないし、身近な人の世話をすることなのかもしれない。

人間は、本当に心の底からその目的を信じているのであれば、死をも恐れない生き物なのである。
ある生命体にとっての目的は、自身のみの目的から生まれるのではなく、
全体的(原則的)な目的があって初めて、自身の目的が生まれるともいえるだろう。
それらは自分勝手に決めた目的なのではなく、探し求めることのできた結果である目的なのである。

214 :1:03/05/03 23:26
>201
>しかし、壱殿のいう「原則」らしきものを、相手の力を奪う方向に行使する
>能力者がまだまだ多い気がする。健康で以って相手を病人にしてそのまま
>成長しろと命じるのは、ローマ病の観がする。努力と工夫をそれを奪う方向に
>駆使する姿にはうんざりするばかりだ。アメリカの負の側面などを見ると
>つくづくそう思う。もちろん日本においても。壱殿の予測される変化には
>まだまだ自意識の邪魔が入るのではなかろうか。

確かに、まだすぐには原則的な動きはしないことだろうと思われる。
しかしながら確実に、徐々にではあるが原則的な動きに向かっていくものと思われる。

原則というものが真実であるなら、すべての物事の根元に位置するものである。
たとえ、今は世の中で数人しか原則を認識できないでいたとしても、
真実は消えることなく必ず広く認知されて来るものであり、それがまた原則でもある。

どんなに反対する者が現れて来ようが、真実を歪めることはできないのである。
原則を認識している者にとっては、異を唱える者の言動は犬の遠吠え程度にしか聞こえないのである。
また、原則を否定するには簡単で、反例を一つだけ示すことができればいいのである。

215 :1:03/05/03 23:27
ところで『正義は勝つ』というのをご存知だろうか。
まんざらでたらめなことではなく、原則がわかれば自ずとその理由を知ることができる。

そして、原則という考え方が広まれば広まるほど、周りの環境は原則的な要素をより多く持つようになる。
そもそも原則という考え方自体が、一人ではなく他のものと同時に幸福を追求するという考え方なのである。

また、原則に従っている者は周りの環境に関係なく幸福であることができるが、
原則的でなければ、その幸福は周りの環境に大きく左右されることになる。

ここで一つ言っておきたいことがある。
実際のところ、「原則」というものは本来存在していないとも言える。
しかし、「原則」というものをそこに置いて考えてみると、一貫してうまい説明がつくようになるのである。
そしてまた、あらゆるものは「原則」という軸の周辺に位置していることからも「原則」が浮き上がってくる。

それゆえに「原則」があると言っているのであるが、
結局のところ、原則を利用するかどうかは各個人の意志に任されているのである。

216 :1:03/05/03 23:27
ホームページについては、大したものにするつもりはありませんが、
そろそろ適当なところでまとめてみるかもしれません。

少なくとも、ここで書いていたことは原則の中でも骨組みに位置するところです。
あまりに書きすぎてしまうのもつまらないかもしれませんし、
余計なことを書いても陳腐なものになってしまうだけなので、
気が向けばホームページの方で書いていくかもしれません。

世の中には興味深いことや、意外な事実は多く存在していると思いますが、
原則が分かれば、自ずと様々なことが分かってくるものと思います。

何か要望なり質問なり、話題を提供したいのであれば、
遠慮なくこのスレでも、ホームページを作るなりするのも良いと思います。


とりあえずもう少し続きます。

217 :186:03/05/04 02:28
ぁ…当たり前すぎる…

>つまりいくら原則が分かっている超一流の人であっても、
>他のジャンルへ行けば素人になってしまうということです。


どんな分野だろうと、その一流にどうやってなるかが重要なんじゃないんですか??
それじゃあ新しい分野において原則が分かってる人と分かってない人の差ってなんになるんですか?
あなたに言わせれば私は原則が分かってないそうですから、私は原則を知らない人だとしましょう。
そこで、森羅万象には必ず何らかの因果があることを知ってる私と、原則を知ってるアナタが、
二人ともまったく知らない新しいジャンルをこれから制しようとするときの差。
どの辺にどんな風にそれがあります?
その上で原則を知らない私がそいつを知ることはどんな役に立つんだ?と。

218 :186:03/05/04 02:29
私なら、とにかくまず学び、経験した上で、あれこれ試して何をやるとどうなるのかを見極めようとします。
しかし中々法則らしきものが見つからなかったり、見つかっても自分にそれを実現できる能力(身体的、精神的)
がなかったり、他の理由から何度も試すことすらもできないのが常です。
人間関係から、スポーツ、学問、芸術、オカネなどなど、「やりたい」という意欲と、「法則があるはずだ」
という信念だけでは、生きてる間に達成不可能な事柄というのは人生の上であまりに多くないですか?
サッカーがどうやったら上手くなるのかにも原則があるはずだと思ってみたところで、
実際にアナタが上手くなれるかどうかは別問題でしょう?
別れた彼女をこの手に取り戻す方法にも原則があったところで、できるかどうかはわかんない。
それはその原則を発見することこそがもっとも難題であるからですよね。
つまりはhow toの最善策などが分かればそれにこしたことはないですが、
「最善策があるはずだ」だけでは一歩も動けないと思います。どうやって見つけるかが問題でしょ。
みんなそこんとこで悩み生きてるんだと思いますけど??

確かに世の中には全く考えずに闇雲に問題に突っ込んでいく人も少なからずいるかもしれませんが、
人間っていう生き物は「どうも上手くいかない」という壁にぶつかると
どうやったらそれを超えられるのか試行錯誤するもんでしょ?
そういった類の人たちの存在が確かにあることは世界史の教科書でも開いてください。
それがそーいうこと考えてるのがアナタだけじゃないことの証明です。
ゃ、ネットが存在し、2ちゃんが存在して、あなたがPCの前に座ってること自体が証明です。
そして当然、因果関係から法則のようなものの存在を考えるときだってある。
少なくとも私自身に関して言えば、原則を分かってない人間としてそうだと言い切れます。


219 :考える名無しさん:03/05/04 02:53
相対論と不確定性原理、ツイスター理論、ゲーテルの不完全性定理でも
読んで下さい。


220 :考える名無しさん:03/05/04 02:54
1にはスカラー波の研究の方がいいかも。

221 :考える名無しさん:03/05/04 02:55
同感!

222 :考える名無しさん:03/05/04 03:08
西田、田辺、木田、浅田、鷲田、池田
なんで田のつくヤツがこんなに多いんだ?


223 :考える名無しさん:03/05/04 03:09
原則とは戦略ってこと?

戦略的に必ずじゃんけんで勝つのであれば、
相手の癖やパターンの情報を得ていてすでに勝つことが確定している状態。
戦術的要素で勝とうとするのは後出ししたりして勝つということかな。
って、実際にちゃんとグーチョキパーを出せる用兵術というのも必要だけど。
まぁ、どんなに素晴らしい戦略(=原則)を持っていたとしても、
それを実行する機会と実行できる能力と意思がなかったらダメだけどね。

そうそう野球でいうなら野球の戦略・戦術(=原則)に気付いて選手としてではなくて、
指導者として活躍している人もいるしね。西武の伊原監督とか。

224 :考える名無しさん:03/05/04 03:36
>>222 日本人には田のつく名字が多いという単純な事実もある。
http://tsuyama-web.hp.infoseek.co.jp/myou/za1.htm
田のつく名字は1位〜50位までには 10個。
       1位〜100位までに 23個。 

西田 216位
田辺  93位
木田 903位
浅田 566位
鷲田5008位
池田  27位








225 :考える名無しさん:03/05/04 03:38
原則を厳密に定義しようとすると無限集合の連鎖に陥りますよ。
だからコンピュータはアルゴリズムのある問題しか取り扱えないともいえます。
私の人生最大の発見は、「人間は当てはめるべき原則を断定できない場合も、
一歩を踏み出せる」ですね。
コンピュータが偉大なる痴呆ならば、人間は愚劣なる思索家なのでは?

226 :考える名無しさん:03/05/04 03:51
言い換えるならば、人間は中身が実は何だかよく分からない抽象的な観念という
ブラックボックスを操作できるのが特徴です。我々は自動車のメカニズムを全て
網羅していなくても運転できます。また、1さんは「原則」のという言葉を厳密
に定義できなくても使えます。

227 :考える名無しさん:03/05/04 03:52
これらは人間がアナログな存在だからともいえます。

228 :考える名無しさん:03/05/04 04:08
>>224
アリガト

229 ::03/05/04 13:25
当たり前のことほど不思議なことは無い。
その間プログラムとして、ちょいと動いてみるか。
自意識はデジタルだぜ。気をつけろ。

230 ::03/05/04 13:30
でも成長の幼児性に関しては、納得したわけじゃない。
エロスはいつまでもガキだそうだ。

231 ::03/05/04 13:32
とりあえず聞いておくこと。
とりあえず言っておくこと。
収支はその次。

232 ::03/05/04 18:48
とはいえ、俺だけが知っているからえらいなんて誰か言ったか?>>218

233 :うんこくえ:03/05/04 19:10
>>227 :考える名無しさん :03/05/04 03:52
これらは人間がアナログな存在だからともいえます。


234 :ももえ:03/05/04 19:12
オススメ!カワイイ娘厳選の無料Hサイト☆! 〜良心的です〜
http://www.yahoo2003.com/moe/linkvp.html

235 :考える名無しさん:03/05/04 20:45
非常に大雑把に語られることで何にでも妥当するように感じられることってありますよね。

新興宗教でよく使われる手口だけど。

236 :考える名無しさん:03/05/04 20:47
新興宗教の勧誘、ね。

237 :考えるサル:03/05/07 12:39
毎回、丁寧な返事をありがとうございます。
「指標となる『価値』」とは、つまり、
求められている基準をどれだけ満たしているかをはかる「ものさし」
ということですね。
例えば、おいしいりんごを食べたいと思う人にとっては、
「どれだけおいしいか」が「指標となる価値」である、と。

>人間はありとあらゆるものを普遍的な基準によって価値判断(評価)することができるのです(できるようになる)
>>170)とおっしゃっていますが、
原則を理解すれば、原則に則った基準によって、あらゆるものを価値判断(評価)できるということですか。

「一般的な原則を分かっている人が個別の原則を身につけていく過程で」(>>196
「一般的な原則」と「個別の原則」とは、「原則」とは異なるものなのですか。

最初の方で、1さんはこうおっしゃっています。

>「原則」とはあらゆるものの根本原理である。
>自然の摂理といった方がわかりやすいだろうか。(>>28

>そして私の言いたいことは、自然の摂理という「原則」が存在するということだ。(>>29

>その摂理に則った思考を、「原則」に則った思考と呼んでいるのである。(>>29

「原則」と「自然の摂理」とは等しいものなのですか。
それとも、似て非なるものではあるが、限りなく等しいものなのですか。
あるいは、「自然の摂理」も「原則」の一つの解釈にすぎないということですか。

1さんの書き込みを読めば読むほど分からなくなってきます。
できれば、誰にでもわかりやすい例を多く入れながら、
書いていただけると非常にありがたいです。

238 :考えるサル:03/05/07 12:42
すいません、訂正です。

>人間はありとあらゆるものを普遍的な基準によって価値判断(評価)することができるのです(できるようになる)
>>170)とおっしゃっていますが、
原則を理解すれば、原則に則った基準によって、あらゆるものを普遍的に価値判断(評価)できるということですか。

です。

239 :1:03/05/12 23:40
今、最後のまとめにとりかかっているところですが、
多少分量が増えそうなので、もうしばらくお待ちください。
質問などの返信もそのときに致します。

それとですが、このスレについての感想や、
何か一言コメントや質問などがあればお願いします。

240 :考える名無しさん:03/05/15 21:56
質問

例えば司法試験の勉強で『原則が分かっている』と思われる
勉強方法は具体的にどのような方法ですか?


241 :考える名無しさん:03/05/16 17:33
とりあえず全部読みました。                                        なんとなく1さんがおっしゃっている「原則」が漠然と                         わかってきたような気がします。
んで、早速質問なんですけど僕らのように「原則」を
理解していない人々が「原則」を理解するためには
具体的にどういった行動を起こせばいいんでしょうか?
やはり、あるひとつのジャンルにおいて理解を深めることが
最短の道なんでしょうか?  
                                             


242 :241:03/05/16 17:37
なんかミスってるし(w

243 :1:03/05/19 22:22
>217 >218
なるほど、おっしゃっていることはよく分かります。

世間の人は原則を知らないので、悩んだり、原因が分からずに苦しむこともあるのだと思います。
原因の分からない不都合ほど不快なものはありません。
しかし、原則が分かっていれば悩むことは全くないのです。

物事に取り込むときの『原則的なアプローチ方法』というのは、そういう見方とは正反対のものです。
原則的なアプローチというのは、法則や、how to的なアプローチを嫌います。
多くの場合、ある問題に対して即効性のあるハウツー的な手段はその問題にしか使うことができません。

原則的とは、常に自分の知らないことがあれば、ジャンルを問わず貪欲に物事を学んでいこうとするのです。
また、常に何故なのか?何故そうなるのか?ということを繰り返し問いただしていくのです。

もちろん、法則やハウツーものの情報も知るにこしたことはありません。
しかしそれらも鵜呑みにするのではなく、
その法則が成り立つのは何故なのか?、ということを常に考え続けていくのです。
そうやって進めていくと、人間の知力というものは制限なく増していくのです。

ある問題が起こったときにだけ、その問題に対処しようという考え方では、
その時々の人間の知力の範囲内でしか対処することができないのです。

また、それらのアプローチ方法は難解なことではないのです。
どんなに高い山であったとしても、簡単に登れるところから一つずつ登っていければいいのです。

おそらく誰でも原則を知ろうという意志さえ持てば、
原則的なアプローチ方法をとることができるものだと思います。

そうすると、登っていかなくてはならない場所が必ず見つかるはずなのです。
もしも、その道が見つからないのであれば(すぐにはできないほどの遠回りの道は存在する)、
その問題に対しては原則的な行動をとることはできず、失敗をしてしまうこともあり得るわけです。

244 :1:03/05/19 22:23
原則を分かっている人は、原則的なアプローチ方法のみが、この世の中に存在しているすべての問題を、
完全 かつ 完璧に、解くための唯一の道であることを知っています。

一見気の遠くなる作業に感じるかもしれませんが、
進めば進んだだけ達成感があり、進むのが楽になっていく道でもあるのです。

ちなみに一例ですが、その道を見つけようとしたら、
目的が物理の勉強であったのに、数学の勉強から始めなければならない場合もあるのです。

余談ですが、一般的に問題を解くための手段(能力)は、
イメージ的に『だるま落としの積み木』のように考えることができると思います(だるまが問題とする)。
一番下にある積み木が「原則」であり、
下から順に一般的なものから、問題であるだるまに向かって専門的な要素の強い領域になり、
それらが統合されて初めて問題が解けるようになるのです。

問題とする分野が徐々に変わるにつれて、
積み木の下の方ほど変わりは少なく、上の方ほどよく変わっていくものと思います。

また、分野や問題によっては、それぞれの積み木の重要度は変わってきます。
そして、一番下にある「原則」という積み木は、どこの問題にあっても共通の要素なのです。
結局のところ、ある個人は必要になるいくつものジャンルに対してそれなりの能力を身につけるものであり、
それらを考慮し、バランス良くそれぞれの積み木の能力を獲得していくべきなのではないかと思います。

結局、原則が分かっている人といない人の差というのは、想像がつくと思いますが、
天と地ほどの差が現れるジャンルもあれば(原則的でなければ、制することのできないジャンルもある)、
ほとんど変わらないジャンルもあるわけです。
間接的に >217 >218 の答えになっていると思います。

もちろん原則が分かっていれば、
そのことを念頭においた上で、いくらでも法則的なものを使用してもかまわないと思います。
ただ原則が分かっている人は、ある人が原則が分からずに法則を使っていると、すぐに気がついてしまいます。

245 :1:03/05/19 22:23
>219
>相対論と不確定性原理、ツイスター理論、ゲーテルの不完全性定理でも読んで下さい。

それらは、原則とは矛盾せずに成り立っているものですね。


>223
>原則とは戦略ってこと?

いや、原則とは戦略ではありません。
物事の戦略を練るときは、それらの物事の成り行きを原則的に考えるのです。

もちろん一人ではなく、多くの人間で考えていく場合もあり得ます。
原則的な思考が身に付いている人には当たり前かもしれませんが、
同じように多人数で原則的な思考をする方法、つまり理想的な「ブレーンストーミング」を行うのです。

そこにいるすべての人の持つ「情報」と「思考能力」を、
相乗効果的に最大限引き出すことができれば理想的です。
その後、考え出てきたこれ以上ないもっとも良いと思われる作戦・計画を戦略として使うのです。

当然のことですが、大なり小なりあらゆる一つ一つの物事全てが影響してくるので、
関係しているもの全てをひっくるめて判断するのです。

もちろん一人で考えて、最適な戦略がすぐに思い浮かぶ場合もあります。
慣れれば難しくはありませんが、絵を描くときにする思考や、
将棋の棋士は瞬間的に何万手と考えることができるらしいのですが、そういう思考をするのです。

そのようにして出てきた戦略なら、原則と言ってもいいかもしれません。

 「ブレーン‐ストーミング【brainstorming】(広辞苑より)
  創造性を開発するための集団的思考の技法。会議のメンバーが、
  自由に意見や考えを出し合って、すぐれた発想を引き出す方法。」

246 :1:03/05/19 22:24
ちなみにものを考えていくとき、原則的であれば最善のアイディアというのは必ず出てくるものなのです。
そしてまた、必ず最善の道というのを常に見つけていくことができるのです。

原則的とは、一歩ずつ確実に常に進み続けることでもあるのです。

「情報(点のような存在)」と「考え方(ベクトルのような存在)」を、
正しい方向に向けて増やし続けていければ、必ず行き詰まることなく進み続けることができるのです。


余談ですが、
この世の中の科学技術が発達してきた過程も、全て原則的なアプローチであったと言えると思います。
生物の進化の過程も同じです。
ゾウリムシが、少し変わった性質を持つゾウリムシに変化することはあり得ても、
ゾウリムシがいきなり哺乳類に突然変異することなどはないのです。
しかしながら、そういう原始的な生物が徐々に進化することによって人間が生まれてきたのです。


ついでに、戦略を考えたり、ものを作るときにする思考というのは、
目には見えないだけで、建築物を作り上げていくことと同じようなことをしていくのです。

人の頭の中に眠っている全ての「情報」という材料を、
必要なものを掘り起こして、頭の中で練り上げ、組み立てていくのです。

組み立てたイメージ類は頭の中に残っていき(一見忘れているようであるが思い出せる)、
そうやってイメージを完成させていくのです。

慣れてしまえば、難しいことではないと思います。

247 :1:03/05/19 22:24
>226
なるほど定義ですか。
「原則」は言葉ではなく、「存在しているもの」なので定義しようとは思っていませんでした。

『原則:この世の中の摂理』
『原則的:自然の摂理が反映されている様子』
『原則的なアプローチ:個人や組織が、原則的な筋道に沿って進んでいくこと』
『原則的な思考:個人(集団)が、原則的な方針(方向)を探るために行う思考』
『原則的な行動(動き):個人や組織が原則に従って行動しているさま』
 (「原則的に行動している」とは、原則的な思考やアプローチによって動いている様子。)

と、定義しておきます。

>237
>「指標となる『価値』」とは、つまり、
>求められている基準をどれだけ満たしているかをはかる「ものさし」ということですね。

その通りですね。

ただ気になる点は、「ものさし」とは解釈した結果でしょうか?解釈をした結果であってはいけません。
「ものさし」というと、そのものの尺度として捉えるイメージですが、
例えば将棋のある局面を評価するときに、その基準は「ものさし」という言葉のイメージではない気もします。

そのことが分かっていれば問題ないのですが、
そうでなければ、ある基準に沿った『現状の総合的な評価』という方がわかりやすいかもしれません。

>>人間はありとあらゆるものを普遍的な基準によって価値判断することができるのです(できるようになる)
>(>>170)とおっしゃっていますが、
>原則を理解すれば、原則に則った基準によって、あらゆるものを普遍的に価値判断できるということですか。

その通りです。

248 :1:03/05/19 22:24
>237
>「原則」と「自然の摂理」とは等しいものなのですか。
>それとも、似て非なるものではあるが、限りなく等しいものなのですか。
>あるいは、「自然の摂理」も「原則」の一つの解釈にすぎないということですか。

とりあえず上に定義を書いてみました。
「原則」というのは、世の中に存在している「自然の摂理」のことを指しています。
あとは便宜的に説明するために、
「一般的な原則」、「個別の原則」、「原則」、「自然の摂理」などの言葉を適宜使っていたのです。

まず『(各種の)原則があることを知っている』ことと『(各種の)原則が身に付いている』ことは違うことです。
『「一般的な原則」が身に付いている』というのは、『適宜「自然の摂理」を利用できる状態』のことです。

(もしかしたら、原則の意味が理解できれば、適宜「自然の摂理」を利用できる状態になるのかもしれません。
それに加え、世の中に存在する全ての「もの、こと、ジャンル」・「人間、組織」・「地球、宇宙」などにも
同じ原則が適用されていることに気がついたときが、「人生最大の発見」なのかもしれません。)

また、あらゆるジャンルにおいて原則があります。
それは、「自然の摂理」が存在していることによって、
そのジャンル、または個別の問題や、その瞬間において、適切に振る舞うべき行動が生まれるからです。

つまり、どんなに原則が分かっていたとしても、新たなジャンルへ行けば素人であるので、
その新しいジャンルにおいては原則的に振る舞うことはできません。
なので、そういうものを「個別の原則」というようにしてみました。

そのジャンルに対し、原則的なアプローチによって、その「個別の原則」を身につけるまでの過程を、
便宜的に原則的な行動としたのです。そのためには、繰り返し様々なものから学んだり、
試行錯誤したり、経験したり、実験してみたりする必要があるのです。

最終的にひらめいて、「個別の原則」を身につけることができたなら、
変幻自在に姿を変えてくる自然に対して、縦横無尽に適切な行動がとれるようになるのです。

249 :1:03/05/19 22:25
>240
>例えば司法試験の勉強で『原則が分かっている』と思われる
>勉強方法は具体的にどのような方法ですか?

質問ありがとうございます。
答えになっているか分かりませんが、とりあえず答えてみます。

とりあえず原則が分かっている人にとっては、
ほぼ間違いなく司法試験を受かるための能力を身につけることは可能だと思います。

これは原則の基本で >192 あたりのところに書いたことと同じことですが、
まず、原則的な『司法試験を受かるために必要な能力』というのがあると思います。

最も基本になる考え方というのは、
その『必要な能力』と『現時点での自分の能力』との差を埋めていこうという考えです。
当たり前のことですが、この方針が常に判断の基準になるわけです。

質問にはいろんな角度から答えることができるので難しいのですが、
とりあえず、その時々の合格者で、
周りから見ていると、それほど格別には勉強しているように見えないのに、
スマートにそれとなく合格していった人の勉強の仕方見てみれば、
大体は原則的な方法で勉強をしていたと思います。

一般的に、原則的な動きというのは全く目立っていないのに、いつの間にかに偉大な業績を残すものです。
当たり前のことを当たり前に実行するので、目立っているようには全く見えないのです。

250 :1:03/05/19 22:25
>240
また、彼らの勉強方法を調べてみても、表面的には様々な勉強の仕方があるかもしれません。
予備校に重きを置いていた人もいるかもしれませんし、独学に重きをおいていた人もいるかもしれません。
しかし、変わっていない点も見つかると思います。

それというのは、原則的な基準で見て、
確実に、的確な手順で能力を身につけていったことを伺い知ることができると思います。

また、それらの勉強方法を最終的に判断したのは、本人自身だったのではないかと思います。
予備校に通っていた場合でも、
本人が自らの戦略(計画)の元で予備校を利用するというレールを敷いたわけです。
『予備校に頼っていれば安心』という、予備校の敷いたレールで進んでいたわけではないと思います。
(もちろん、勉強の手順が確立している場合というのは、そのレールに乗っかるだけでも間に合うこともある)

結局、当たり前のことを当たり前にやっていれば、自ずとそれなりの能力は身に付くわけです。
今まで遊んでいた人は、すぐにツケを取り戻そうとしても時間はかかるかもしれませんが。

251 :1:03/05/19 22:26
>241
>んで、早速質問なんですけど僕らのように「原則」を
>理解していない人々が「原則」を理解するためには
>具体的にどういった行動を起こせばいいんでしょうか?
>やはり、あるひとつのジャンルにおいて理解を深めることが最短の道なんでしょうか?  

とりあえず言うこととしては、「原則」というのは理解する必要があるわけではありません。
その人にとって、理解したいと思った場合だけが、理解しようとすれば良いのではないかと思います。
理解する度合いも、その人が理解したいだけすれば良いと思います。

質問の場合というのは、『「原則」がハッキリ認識できるためにはどうすれば良いのか?』
という質問であると捉えてみます。

とりあえず思うことは、
この世の中の全てを理解するつもりで、あらゆるジャンルに対して学んでいこうとしていけば、
そのうち理解に至るのではないかと思います。その手段はいろいろ考えられると思いますが。

途方もなく思われるかもしれませんが、
その時々の時点で、自分が世の中を最も効率よく学ぶための行動をしていくことができれば、
加速度的にその理解度は上昇していくものではないかと思います。
それというのも、世の中には類似の出来事が非常に多いので、
物事を理解していけば行くほど、新しい物事にも取りかかりやすくなっていくからです。

もう一つ言えることは、ある一つのジャンルに対して原則を極めることができたとしても、
一般的な原則は理解できないかもしれません。また逆に、何かのジャンルを深めることなく、
広く浅くだけで世の中を理解して行っても原則は分からないかもしれません。

しかしながら、どう進んで行けば良いのか?というのは難しいことではないと思います。
その時々において、『こうだろう?』と思った行動をし続けて行けば、それが答えな場合が多いです。
後で「原則」が分かった時に振り返ってみて初めて、
『今までのたどってきた道のりが、原則的な道だったんだな』と、思うことになると思います。
また、一人一人においても、その道というのは違ったものになると思います。

252 :考える名無しさん:03/05/19 23:55
240です。

私が予想していた答えとほぼ同じです。
実は私もあなたの言う原則を分かっています。
(あなたと「ほぼ」同じ定義です)
私も世の中が何かの法則に従っている感じを持っていたのでそういう類の書籍を
手当たり次第に読んで解明(?)しました。

ホームページ楽しみにしてます(・∀・)

253 :241:03/05/21 22:10
>251
なるほど。全てを理解するように、ですか。
つまり「そんなもの別に理解しなくても生きていけるよ。専門家でもないんだし。」
なんて思ってたら、まだまだ原則を会得?するには程遠いぜってことなんですね。
ただ

>途方もなく思われるかもしれませんが、
>その時々の時点で、自分が世の中を最も効率よく学ぶための行動をしていくことができれば、
>加速度的にその理解度は上昇していくものではないかと思います。

ここですが、
確かにその「世の中を最も効率よく学ぶための行動」ができるならいいんですけども、
まず、何をもって「世の中を最も効率よく学ぶための行動」と
判断すればいいかが分からないんです。
もうすこし、このあたりを詳しく聞かせてください。
あと、

>しかしながら、どう進んで行けば良いのか?というのは難しいことではないと思います。
>その時々において、『こうだろう?』と思った行動をし続けて行けば、それが答えな場合が多い>です。
>後で「原則」が分かった時に振り返ってみて初めて、
>『今までのたどってきた道のりが、原則的な道だったんだな』と、思うことになると思います。

とりあえず端的に言えば、不安この上ないってことです。(w
なんか「ゴールがどこか分からない持久走」みたいで、、、。
せめて大体の目安が分かればいいんですけど。何年ぐらいでその領域に
たどり着けるかみたいな、、、。
「甘えてんじゃないYO、甘えてんじゃないYO。」
って言われるかもしれませんが、、、。


254 :山崎渉:03/05/22 00:57
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

255 :1:03/05/27 02:31
>252
嬉しい感想をありがとうございます。
曲がりなりにも、ホームページを完成させるところまでは行きたいと思います。


>253
>なるほど。全てを理解するように、ですか。
>つまり「そんなもの別に理解しなくても生きていけるよ。専門家でもないんだし。」
>なんて思ってたら、まだまだ原則を会得?するには程遠いぜってことなんですね。

その通りです。それが意外に大事な心得かもしれませんね。

>確かにその「世の中を最も効率よく学ぶための行動」ができるならいいんですけども、
>まず、何をもって「世の中を最も効率よく学ぶための行動」と
>判断すればいいかが分からないんです。
>もうすこし、このあたりを詳しく聞かせてください。

なるほど、とりあえず「世の中を最も効率よく学ぶための行動」ということに
それほどこだわる必要はないかもしれません。

何かを勉強したときに(勉強でなくてもいいのですが)、
充実感が「ある」ときと「無い」ときの差というのは感じることができますか?
その、「充実感が多く得られる行動」というのを基準にしても構わないのではないかと思います。

ちなみに、具体的にどういう行動をしたら良いのか?というのは、あえて挙げないことにします。
それというのは、人によっても違いますし、
その範疇も広いので、特にこれといったものがないからです
(それでもある程度は示すことができますが、行動できるのであれば自分で考えた方が良いと思うからです)。
それとですが、このスレに書いてあることも一つの目安になるのではないかと思います。

256 :1:03/05/27 02:31
>253
>とりあえず端的に言えば、不安この上ないってことです。(w
>なんか「ゴールがどこか分からない持久走」みたいで、、、。
>せめて大体の目安が分かればいいんですけど。何年ぐらいでその領域に
>たどり着けるかみたいな、、、。

これも人によって全く違うとは思いますが、
とりあえず不安なのは動き出す前までなのではないかと思います。
それと言うのも、動き出せばすぐにでも、
間違いなくプラスになっていることが、自分で感じ取ることができるようになるからです。

とりあえず1年くらいすれば、全然違った見方ができるようになるのではないのでしょうか。
そのころでは、様々なことが理解できるようになってくるので、
周りに比べれば、かなり賢くなったことを実感するのではないかと思います。
しかしそのときでは、全く天井というのは見えず、
原則というものは、まだ理解するには至らないのではないかと思います。

3年くらい(?)すれば、原則の元になるものはつかめるのかもしれません。
「原則を超えることは不可能なのだ」と感じるようになるのは、そのまた後のことだと思います。

かなり曖昧なものではありますが、大体こんな感じではないのでしょうか。
後になって様々な人の情報が集まってくれば、より詳しく分かるとは思います。

ちなみに原則が分かるまでは、その人の基準は定まっていなく(定まっている人もいる)、
原則を求めて行けば行くほど、その基準は原則に近づいてくるものと思います。
そのとき考え方が変わってくると感じるかもしれません(正しくは「成長」している)。
そして、原則というのが分かって初めて、「原則」という不動の基準を持つことができるようになるのです。
「人生最大の発見」というのは、その時なのかもしれません。

257 :考える名無しさん:03/05/27 04:25
ホームページ(・∀・)ワクワク

258 :山崎渉:03/05/28 15:04
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

259 :考える名無しさん:03/05/28 17:11
age

260 :241:03/05/30 17:22
>.255
>何かを勉強したときに(勉強でなくてもいいのですが)、
>充実感が「ある」ときと「無い」ときの差というのは感じることができますか?
>その、「充実感が多く得られる行動」というのを基準にしても構わないのではないかと思います。

なるほど。充実感ですか。それなら分かります。

>ちなみに、具体的にどういう行動をしたら良いのか?というのは、あえて挙げないことにします>。
>それというのは、人によっても違いますし、
>その範疇も広いので、特にこれといったものがないからです
>(それでもある程度は示すことができますが、行動できるのであれば自分で考えた方が良いと>思うからです)。
>それとですが、このスレに書いてあることも一つの目安になるのではないかと思います。

自分で考えて判断するのはとても大事なことなんですね。
思い出せば今まで、僕は思いっきり流されて生きてきましたからね。
高校を決める時も、友達も行ってるし、じゃあここでいいやって感じで決めましたから。
流されっっぱなしの人生ですよ(w
そういった意味では原則を会得?するにはかなりの努力が必要ですね。
まずは、すぐ他者に依存しようとする癖を直さないといけませんね。



261 :241:03/05/30 18:12
>256
>それと言うのも、動き出せばすぐにでも、
>間違いなくプラスになっていることが、自分で感じ取ることができるようになるからです。

逆を言えばプラスになっているのが感じなければ
まだ動き出してもない状態なんだよと言っても過言ではないんですね。

>とりあえず1年くらいすれば、全然違った見方ができるようになるのではないのでしょうか。
>そのころでは、様々なことが理解できるようになってくるので、
>周りに比べれば、かなり賢くなったことを実感するのではないかと思います。
>しかしそのときでは、全く天井というのは見えず、
>原則というものは、まだ理解するには至らないのではないかと思います。
>3年くらい(?)すれば、原則の元になるものはつかめるのかもしれません。
>「原則を超えることは不可能なのだ」と感じるようになるのは、そのまた後のことだと思います。

なるほど。大体そんな感じですか。
なんか、心のモヤモヤがとれた感じです。すっきりしました。
色々な芸にも同じような事が言えるでしょうね。でも原則の方が色々な事に応用できて
お得?ですぜって事ですね。



262 :241:03/05/30 19:06
>256
>ちなみに原則が分かるまでは、その人の基準は定まっていなく(定まっている人もいる)、
>原則を求めて行けば行くほど、その基準は原則に近づいてくるものと思います。
>そのとき考え方が変わってくると感じるかもしれません(正しくは「成長」している)。
>そして、原則というのが分かって初めて、「原則」という不動の基準を持つことができるようにな>るのです。
>「人生最大の発見」というのは、その時なのかもしれません。

なるほど。いいですね。人生最大の発見したいですね。
とりあえず家にある書物を読み漁る事から始めようと思ってます。
知識を得ることで充実感を感じるんで、、、。
それとホームページの件、毎日楽しみに待っています。1さんの行動力には本当に
頭が下がる思いです。
僕も頑張らねば!
ではでは。

263 :217、218:03/06/02 01:11
だから結局、私が言いたいのは
「それは当たり前だ」なんですよ。
つまらないことでだらだらと反論してすみません。ホントに。

物理学を勉強していて「これはどうやら数学の知識がもっと必要だ」と気づいたときに
どうして「じゃあ数学をしよう」と思わない人がいるでしょうか?
…まぁ、もちろんそんな人は絶対いないとは言い切れないですけども。。

上げてくださった一例をただそれだけ批判してもどうにもならないかもしれませんね。

では、あなたがおっしゃりたいのはたぶん、
「ある問題の理解にはその分野に限らずに広く学べ」のような感じだと思うんです。
そしてそれは「世間一般の多くの人は知らない」ことになってると思うんですね、あなたの中では。

「how to」という表現がよくなかったのかもしれませんが、
別に僕は「特定の問題はその分野に限ってしか解決できない」とは到底思ってません。
現実、田中さんは化学専攻ではないし、SONYにだって入れなかった人じゃないですか。
詳しくは知らないですけどね。

回りくどかったようなので、もう一度聞きますが、
「森羅万象には必ず因果がある」と「原則」とは一緒だろう?
というのが僕の前回の主旨ですが、その辺は違うんですか?
もっと言えば「私は原則を理解していますか?」です。してないとしたらどこだ?と。

とにもかくにもどれだけ原則に精通してようとも、
一番重要なのは果たしてあなたが生きてる間に実績をあげることができるのかどうか?でしょう。
確かに、原則的に言えば千年、万年かければ確実に業績を上げられるのでしょうけどね。
もちろんそれはあなただけでなく、私も、みんなも悩むトコであるわけですが。


264 :1:03/06/04 03:14
>259
ageてくださってありがとうございます。
またdat落ちしそうになったらよろしくお願いしますね。


>241さん
正しい認識ができているみたいですね。
手始めにする行動も正しいように思います。

ホームページについては、すぐに完成するには至らないかもしれませんが、
長い時間をかけながら、少しずつ製作・改良していこうかと思っています。
他の人の考えや情報なども参考にしていきたいところですね。

また何か質問や、報告などあればカキコしてもらえたらと思います。

265 :1:03/06/04 03:14
>263
>では、あなたがおっしゃりたいのはたぶん、
>「ある問題の理解にはその分野に限らずに広く学べ」のような感じだと思うんです。

確かに。しかしそれはその限りではありませんね。
私は直接的に「ある問題の理解にはその分野に限らずに広く学べ」と言っているわけではありません。
原則が分かっていれば、必ずしもそうする必要はないのです。
原則が分かっていない人が、そうする必要があるのです。

その理由はきちんとあります。
前にも書きましたが、原則が分かっていない人というのは、
本人が全く気がついていないうちに、様々なものを無視してしまったり、
思考の仕方なども、その人がいた環境などによって知らずのうちに縛られてしまうのです。

また、原則が分かっていれば物事を知らずのうちに無視することはなく、思考に縛られることもなく、
必要なときに、必要十分である最適な量の情報だけを得ながら的確に進んでいくことができるのです。

また、時に壮大かつダイナミックなスケールで大胆に思考することもありますし、
時に、完全かつ完璧である「究極の芸術」を目指すために緻密な思考をすることもあるのです。
自らの生み出した流れによって、その環境に変化を与えることはなんと刺激的なことなのか!とも思います。
それらは自由自在に行うことができ、なんとも爽快なことだと思います。

『人によって物事のとらえ方が全く違う』ということは分かりますよね。
それと言うのは、
『何らかの物の見方』が欠けてしまうことによって起こってしまうのです(他の理由もありますが)。
しかし当の本人の主観によっては、直接その事態を観察することができない厄介な代物でもあるのです。

266 :1:03/06/04 03:14
>263
人生において、原則的な「発見」という意味が分かりますか?
それは、その人の世界観(パラダイム)が変わることを意味しています。

何かの情報を得たことによって、
その人の持つ世界観が、変わらざるを得なくなった場合に起こりやすいことだと思います。
今までの世界観では、その新しい事実とは矛盾してしまうので、自ずと新しい世界観に変化したのです
(その時の感覚をご存じの方も多いのではないか?と思います)。

「広く学ぶこと」というのは、
今まで自分が気がつかなかったことを認知(発見)するために必要なことなのです。
つまりは、今まで欠けていた『物の見方』を補完するために必要なのです。

ニュートン力学の世界が覆されてしまったのも、パラダイム転換の一つの例だと思います。
また、小さい子供が何らかのきっかけによって、
サンタクロースがいないことを悟ったときの出来事なども、一つのパラダイム転換と言えると思います。

人生というのは、大なり小なりそういうことの繰り返しなのかもしれません。
子供の時と、大人になった時とで同じ世界観を持ち続けている人というのは滅多にいないと思います。


186さんは、「自分の持つ世界観は全く正しいものであり、死ぬまで変わることはない」と思っていますか?
分かりませんが、将来的には全く違った世界観を持っている可能性もあるのではないかと思います。

しかしながら、「原則」があると仮定した場合(おそらく「存在している」とできると思われる)、
「原則」というものが分かれば、「原則」という普遍の基準を判断に持つことができるようになるのです。
それは、過去にも未来にも、この世の中に存在している全てのジャンルにおいても一貫している原則です。

そして、この世の中でそれを認知することができるのは、人間だけなのです。
人間だけが、この世の中の真実という果実を味わうことができるのです。

267 :1:03/06/04 03:14
>263
>「森羅万象には必ず因果がある」と「原則」とは一緒だろう?
>というのが僕の前回の主旨ですが、その辺は違うんですか?

とりあえず、「原則」についての概念は捉えていないみたいですね。
まず言えることは、「森羅万象には必ず因果がある」ということは、「原則」の片鱗に過ぎません。

「原則」というのは、『何者にも変えることのできないこの世の中の掟』、
または、『この世の中の万物をつかさどっている摂理』などと言う方が分かりやすいかもしれません。

このスレにも様々に、「原則」のイメージを持つ人がカキコしていますが、
同じ「原則」という言葉を使っていても、様々な捉え方をされているように私には思えます。
分かりやすく、正しく「原則」を認識してそうな発言をしているのは >114 の「原則」ではないでしょうか。

とりあえず、このスレには「原則」を知る手がかりはあると思います。
もう一度探ってみると良いのではないかとも思います。

ちなみに「原則」が分かったとしても、
仮に、今直面している問題があったとすれば、その問題に対してすぐに役立つ物ではないかもしれません。

268 :1:03/06/04 03:15
話は変わりますが、原則という観点から見れば、
「この世の中の出来事全てが当たり前の出来事である」と言えるのです。
この世の中の誰もが知らない出来事でも、原則の観点から見れば「当たり前の出来事」なのです。
人間は、その「当たり前の出来事」が分かっていないだけなのです。

また逆に、
万事が分かっている人がいるとすれば、その人にとっては「万事が当たり前の出来事」なのであり、
何も分かっていない人がいるとすれば、その人にとっては「万事が新鮮な出来事」なのである。
つまり、同じ出来事に対し、「当たり前」と思っている人もいれば、
「当たり前でない」と思っている人もいるのである。


上の事実について、「その通りである」と納得しているでしょうか。
それとも、「そんなことは当たり前だよ」といって軽視していますでしょうか。

後者の場合は、「原則」ではなく、「主観」に近い世界観の持ち主かもしれません。

原則が分かっている人は、どんな物事に対しても「軽視」することはないと思います。
ただし「無関係の物を無視すること」や「重要度の低い物を低いレベルで扱うこと」とは意味が違うことです。

269 :1:03/06/04 03:15
>263
>とにもかくにもどれだけ原則に精通してようとも、
>一番重要なのは果たしてあなたが生きてる間に実績をあげることができるのかどうか?でしょう。
>確かに、原則的に言えば千年、万年かければ確実に業績を上げられるのでしょうけどね。

なるほど。とりあえず私が一番重要にしていることは、そのようなことではありません。

人間、どんなに天才であったとしても、この世の中から見ればちっぽけなものです。
原則的に、この世の中が究極かつ本当の豊かさを手に入れる方法というのは、すでに決まっているのです。

その為には、例え100万人の天才がこの世の中に現れても成し遂げることはできないのです。
少なくとも、どんな天才であっても原則を超えることは不可能なのです。
仮に世界が原則的に動いているとすれば、
それは「天才が100万人いる世界」を遙かに超える業績を上げていることは間違いないのです。

極言すれば、この世の中が原則的に動き出さない限りは、
如何なる国策や経済政策を行っても、本当の豊かさを手にすることは永遠にできないのです。

とりあえずそのための第一歩としては、地道に原則という考え方が
この世の中に根付いていくという道を歩んでいかなければならなく、それが唯一無二の方法なのです。
また、即座にそうならないまでも、現実的にそういう動きになっていくというのは必然的であると思われます。
それには100年、200年とかかるかもしれませんが、難しいことではないと思います。

実は実際に、表面的にはそういう動きになってきているのを私は感じています。
そしてまた、原則という考え方が一人一人に知れ渡っていくという、本質的な動きも始まるものと思います。
今のところは、その動きはまだ全く世の中には起こっていないようですが。。

結局のところ、この世の中を究極的に良くするためには、
国が頑張っても不可能であり、ある会社が頑張っても不可能であり、
あるところが教育熱心であっても不可能であり、天才が何人いても不可能なのです。
やはりそれは、原則的には一人一人にゆだねられているということになるのだと思います。
ちなみに、国民が賢くなってくれば、自ずと国家も賢くなっていくものと思われます。

270 :1:03/06/04 03:16
>263
仮にもそれが本当だとして、自分の実績というのは2の次、3の次であるというのが本音なところです。
自分の実績よりも、私の場合は世の中の自然の醍醐味を味わっていたいと思います。
放っておいても、世の中というのは良くなって行くわけですから、無理して頑張る必要はないのです。

何故、実績を一番重要なものと考えるのでしょうか?
私の場合は、したいことが自由にできることを第一にしたいと考えます(そのために画策するのです)。
まわりからの賞賛や、お金などを得たいのであれば、実績を第一に考えても良いと思いますが、
一般的には、好きだったり、やりたい仕事などを選んでやっていければいいのではないかと思います
(もちろん、したいことの一つに「実績を残すこと」もあるわけですが)。

少なくとも、この世の中が本当にそうなっていくのかどうか、
この地球上でたった一回だけ可能な壮大な実験であるとも言えるかもしれません。
長い年月がかかるかもしれませんが、私はその結果、またはその動向が知りたいわけです。
私自身は、その実験に関わろう、または傍観してくれる人が少しでも増えてくれることを願っているわけです。

271 :1:03/06/04 03:17
ところで何故、原則というものをネットで書いていこうと思ったのか?という理由はいくつもあります。
私がそういうものを書いたところで、世の中にとってはほんのわずかなきっかけの一つに過ぎません。

しかし、私の見た限りにおいては、全てのものが原則通りに世の中が動いているのです。
そしてまた、自らのまわりをそういう動きに変えていけることも確信しています。
ある意味、私にとっての人生の探求は終わってしまったのではないかとも思ったのです。
後は何をやるにしても、私にとっては娯楽になってしまうわけです
(全てが原則通りなので、なかなか面白いのです)。

そういうわけで、もはや自分の力だけでは原則を超えることはできなく、
それ以上、世の中に対して貢献することができないことを知ったのです。

私自身が利用するために原則を探していたわけですが、
すでに原則のうまみを味わい尽くしてしまったがゆえに、原則を世の中に出してみたいと考えたわけです。
とりあえず私自身では、すでに実証済みであるので間違いないと思っているわけですが、
世の中に出さない限りは、それが間違いなのかどうかさえ、それ以上に確かめることはできなかったのです。
また、後にどのような反応があるのかも個人的には知りたいところでした
(感想などがあれば、カキコしてもらえればと思います)。

これまでに書いてきたことは、かなり大げさになってしまった感もありますが、
「それもまた良し」というところでしょうか。好きに書かせてくださいと。
しかし全てに嘘偽りはなく、私が事実と思う物のみを書いてきたつもりです
(たまに意見も入っていると思いますが)。

実は、まだ書きためているものはあったりするのですが、
あとはホームページの方にしようかと思っている節もあります。
多少時間は空くかもしれませんが、とりあえずまた後ほどカキコしにきたいと思います。

272 :考える名無しさん:03/06/04 12:09
とりあえずあなたの言う「原則」を何か具体的な例を使って
言語化してください。
そうしないと私にはあなたの言う原則が全然分かりません。
老子のいう「道」のようなものなんですか?
それともパレートの法則のことですか?
もっと具体的に書いて下さい。お願いします。

273 :217、218:03/06/05 02:57
長々と解説していただいき頭の下がる想いです。
なるほど、「万象にはそれぞれ完全形が存在し、個々はそれらへと収束すべきものである」と、
そのような考え方であるわけですね。(またはすべてがすべて唯一の形へ?)
そして「原則」が分かっている人間は一種の「完全形」であるわけだ。あなたの考えではね。

とりあえず、多忙なもんなので不明点だけ2,3質問したいのですがよろしいでしょうか

「森羅万象には因果がある」だから『何者にも変えることのできないこの世の中の掟』があるとみなせる。
また、「森羅万象には因果がある」だから、何らかの『この世の中の万物をつかさどっている摂理』があるとみなせる。

という解釈をしていたんですが、やっぱり違いますかね?

また、「軽視すること」≠「重要度の低い物を低いレベルで扱うこと」の理由をお聞かせ願えませんか?

ないとは思いますが、「侮蔑の意味を有するか否か」ということでしょうか?
そうであるならば当然、僕はそのような感情をいだかずに「そんなことは当たり前だ」と思いましたが。

「原則が世の中を『良く』して行く」
そんな感じの表現を時々使われるようですが、あくまで「良い」というのは
主体あっての「良い」であるわけですよね。それで、この場合における「良い」の主体はなんですか?
あなたですか?人類ですか?それとも万象が完全形へと近づくということを、
たまたま主観的な価値表現「良い」で置き換えてみたというだけなんでしょうか?

ところでどこかで既に述べられたかとも思うのですが、とっても基本的なことを教えてください。
「原則」を自ら唱えるアナタは必然的に「原則」を完璧に理解した、「完全」な思考の持ち主であり、
もはやどのような概念にも縛られない、啓発したりもしない存在なんですね?
仮に完全にそうだとすれば、あなたは微小な感情レベルの変化でさえももはや不感である
ということになるんじゃないか?とも思うのですが。
つまりは原則を真に知ったなら、色々な物事に対して
「原則どおりじゃん!すっげー!」とは間違っても思わないと。

ついで言うと「114さんが近い」というのは全く理解できませんでした。

274 :217、218:03/06/05 03:08
ぁ、「啓発されたり」ですね。

あと少しだけ、言わせてもらえば、
「今後の人生で、決して誰からも何からも啓発されることがない」というのは
正直、つまらんとは思いませんか?


…個人的なことを言わせてもらえば、僕は、
すべては収束してゆくという考え方は、それこそが一面的であって、
つまり、収束や拡散というのはあくまで現象という「変化」であるに過ぎないんじゃないのか。
って思うんです。もっともあなたのような素晴らしい根拠はないですけどね。

275 :考える名無しさん:03/06/05 06:45
1さんへの意見
>>12
>もしも、人生とは『迷路とは知らされずに、迷路に放り込まされた人の生き様』と例えるなら、
>「原則」を探そうとして生きることは、ゴールを探しながら進んでいくことであるとも言えるだろう。
>迷路の中で、ゴールを見つけようとせず、お店屋さんをして生きるんだ!という人がいれば、
>それもまた、その人なりの一つの人生ではある。
>ちなみにこの場合、「原則」とは迷路の世界のルールである。

「原則」を探そうとして見出したところの「原則(迷路の世界のルール)」が
「真の原則」であることをどうやって証明するのか?
例えば、「原則(迷路の世界のルール)」が最高の価値と定める迷路のゴールはここであると示したとして、
その迷路の世界に放り込まれた人間が、そのゴールを目指し辿り着いたとする。
しかしゴールの先にはさらに別の迷路が在り、「別の原則」に支配されていたとしたら、
もし今までの迷路の結果を引きずるような迷路の世界だったとしたらどうなるか。
次の迷路の世界には先の迷路の結果のみが引き継がれる。
先の迷路で最高の価値であるとしたものが、
次の迷路世界では最低の価値を生み出す原因になる可能性がある。

あなたが「原則」という言葉で表現しようとしているところのものは、この問題を解決するものなのか?

もっと具体的に言うならば、人間が死んだ後の問題について語る能力があるのかどうか。
人間が死んだ後の問題を解決しつつ現在の生き方を示すことができるのかどうか?

1さんは、一つの迷路世界しか考えなくて良いという考え方なんですか?
人間は死ねば主観が消えるからその先は考える必要は無いと。

話がそれているような感がありますが、根本問題はそこであり
「原則」を語るならその問題を解決しなければならないと思います。

276 :考える名無しさん:03/06/10 21:30
なんとなくage

277 :考える名無しさん:03/06/11 01:03
原則とは神をとらえようとして言葉を変えて出現した物かもね
ポスト神みたいな

278 :考える名無しさん:03/06/11 09:06
原則というか、そういうものはありそうだな。

279 :_:03/06/11 09:07
http://homepage.mac.com/hiroyuki44/hankaku06.html

280 :ドクサ:03/06/11 10:22
いくら疲れていても、職場から家に帰るには、ある一定の手順を
踏まねばならない。「ああ、瞬間移動能力があったらいいのに」
などと、夢みたいなこといくら考えても無駄で、じぶんの足で歩
いたり、電車やタクシーを利用したりして帰るしかない。まあ、
タクシーを使えば、その分疲れないとは言えるが、その代わり、
それなりの金がかかる・・。わたしが、原則論的アプローチという
このスレのテーマについて感じた第一印象は、以上のようなこと
です。的はずれかな。人間の欲望はとほうもないファンタジーを
描きがちだが、原則とはそうしたファンタジーを無効なものとして
退ける、という事です。




281 :考える名無しさん:03/06/12 23:08
>>1 今日全部読みました。それで質問なのですが、
1さんは原則をすべて分かっていらっしゃるのですか?
またその範囲は?



282 :考える名無しさん:03/06/13 00:17
アワビと熟女

283 :考える名無しさん:03/06/13 00:20
フットボールと少女

284 :ドクサ:03/06/13 00:54
ええと、以上のように原則は人間のファンタジーを無効
なものとして退けるが、一方そのファンタジーが原動力
となって新しい原則が創り出されることも考えられる。
原則は固定したものではなく、創り出されたり消滅したり
もする。この点、法との類似が考えられる・・・。


285 :考える名無しさん:03/06/13 12:25
ファンタジー小説も原則によって書かれる。
ということでも、原則の隠蔽が好きですが。
たとえそう捉えるとしても。怠け者が読むのはご愛嬌ですので。
苦労は必要なんですな。捉える隙間がないほどの苦労が。
好きがあるなら隙はないのですが。
余裕が欲しいにしても窮屈なので。
その好きがないわけなのですよ。
支配されているかどうかは知られるものかしら。では。

286 :考える名無しさん:03/06/13 21:50
構造とどう違うの?

287 :ドクサ:03/06/14 02:07

動物ほど原則に忠実な者はいない・・。したがって、人間は原則の裏切り者
なんです。しかしそのおかげで、動物には決してなしえない「原則の創造」と
いう事を人間はやりはじめることとなった・・。これが人間の歴史だと思います。
(創造された原則ももともと原則にはちがいないが、いわば顕在化されていなか
ったと考えられます。)


288 :考える名無しさん:03/06/15 04:03
創造ではなく原則の認識だろ

289 :考える名無しさん:03/06/15 04:58
うむ

290 :1:03/06/15 20:12
久しぶりに掲示板にやってきた感じがしますね。
ちなみに私自身は、現実世界では原則とは無縁とも言えるような生活ですからね。

とりあえず「原則」というものが、どういったものなのかが分かる人には、
「原則がある」という、その一言以外には何もいらないわけです。

しかし実際には、その一言だけではなかなか「原則」自体を伝えることができないので、
なんとか伝えようとしてきました。

とりあえず言えることは、
この世の中がそういう仕組みであるのは、ある意味当たり前のことだと言うことです。
ただ、人間自体がそのことを全く分かっていないということだと思うわけです。

私には、このご時世にあって、多くの人が勘違いをしているようにも思えます。
会話のすれ違いなども多々あるのではないのでしょうか。

そもそも人間の思考の仕方でさえ、まったく共通の認識というのが無いわけですし、
それゆえに多くの思考法などが闇雲に提案されているのだとも思います。

もしも「原則」が分かっているのであれば、
他のことは一切忘れていても全く問題ないことに加え、それがまた最善の思考なのです。

もっとも「原則」が分からなければ、
他のことを忘れてしまえば思考することさえできなくなるわけですが。

実は、人が真実に対してゆがんだ思考をしているというのは、ある意味当たり前のことでもあるのです。
脳に隔たりのない情報を持っていなければ、何が普遍の基準になっているのかが分からなくて当然なのです。
自然の法則も同じです。大量の実験データがあって初めて法則が導かれるのです。

291 :1:03/06/15 20:12
ちなみに「原則がある」とすれば、次のようになるだろう。

・あらゆる思考法は「原則」の範囲内にあるものである
・あらゆる物事は「原則」の範囲内に存在し、「原則」の観点から説明可能である
・この世の中の人間全てが、真実を通じた同一の世界観を持つこと(互いに認識し合えること)が可能である
・人間は「原則」を認識可能であり、それによって自然体になることができる(これは仮定とする)

今の世の中、一人一人の世界観は違ったものであり、お互い認識し合えていない場合も多い。
また、何かを正しいと思いつつ、人生尽きるまでそれが間違いだと気がつかずに過ごしていた例も数知れない。

しかし私が思うに、この世の中を一貫したものの見方によって正しく認識することが可能であり、
多くの人が互いに誤った認識をしている場合もあるが、
それらも全て「原則」の観点から説明可能な出来事なのだと思える。

全てを説明するには、「原則」という一つの真実を通じてのみに可能になるのである。
そしてそれは都合の良いことに、「原則」を通じれば全ての物事が説明可能になるのであり、
「原則」を通じない限りは、この世の中の人間が共通の世界観を持つことも、
すべての世界を一貫して説明することもできないのである。

つまり、「原則があるのかどうか?」と言うのを言い換えれば、
「そのようなことがあり得るのかどうか?」ということなのである。

292 :1:03/06/15 20:12
また、「原則」が身に付いている人は、そんなものは存在していないようにも思えるのである。

しかし、今の世の中には一見矛盾が多いようにも思える。
仮にそれらを個別に説明できたところで、次から次へと現れる矛盾の処理には途方に暮れてしまうことだろう。

実は、「原則」を用いる方法がそれらを全て説明するためには最も簡単な方法なのであり、
「原則」というものが全ての橋渡しを行ってくれるのである。

「原則」が全く分かっていないと言うのであれば、
その発言自体が、今のところは共通の世界観には身を置いていないということを物語っているのである。


とりあえずここまでに書いてきたことで、
「原則」の核になる部分(主に基本的な思考の仕方など)のほとんどは
言い尽くしたとも言えるのではないのでしょうか。
逆に言えば、核である部分しか書いていないということでもあります。
ホームページには、それ以外のものを適当に書いていくのも良いだろうと思っているところです。

また、これらは私が勝手に作り上げてきたものではなく、
この世の中から私が拾ってきたものなのです。
おそらく誰もが「原則」を探求していけば、同じような結論に至るのではないかと思います。

293 :1:03/06/15 20:13
>272
>とりあえずあなたの言う「原則」を何か具体的な例を使って
>言語化してください。
>そうしないと私にはあなたの言う原則が全然分かりません。
>老子のいう「道」のようなものなんですか?
>それともパレートの法則のことですか?
>もっと具体的に書いて下さい。お願いします。

そうですね。
老子についてそれなりに調べてみたのですが、
「道」自体は、「原則」自体と全く同じと言ってもいいと思います。
老子の教えは、一人がまとめたものではないらしいのですが、原則にも通じるものでしたね。

ちなみに、「道」というのは言葉では説明できないものとされていました。
「道」というものは存在しているものであり、言葉では説明できないのであると。
「原則」についても全く同じだと思います。

ついでに「パレートの法則」とは、「原則」の側面的な作用と言えるものだと思います。

話は全く変わりますが、
例えば、「象」なども言葉で説明するのは不可能なのではないのだろうか。
「象」を全く知らない人に言葉だけで説明して、それを伝えることはできるのだろうか?
私たちは、言葉というものを、何かの象徴(概念)として捉えているのだと思います。

例えば「象というのは、鼻が長い生き物である」と言えば、
ピノキオ(生き物と言えないかもしれないが)を見て「象」と思ってしまう人もいるかもしれない。
また、「象」は哺乳類であったり、足が4本あるなどの特徴や、
その生態など、すべてを含めて「象」という言葉で表しているのではないのだろうか。

つまり、私たちのほとんどは、それほど「象」について知っている訳ではなく、
知っているのは、他の動物たちとの外見の違いくらいであり、
専門家に聞けば、私たちの知らない「象」の側面の多くを語ってくれることになるのだろう。

294 :1:03/06/15 20:13
>273
>なるほど、「万象にはそれぞれ完全形が存在し、個々はそれらへと収束すべきものである」と、
>そのような考え方であるわけですね。(またはすべてがすべて唯一の形へ?)

そのようには言ってはいなかったと思います。
それに原則というのは考え方ではありません(原則がある場合の「考え方」というのは考えられるわけですが)。

「革命」とは、いったん収束したものが、土台が崩れることによって起こる現象でもあるわけです。
ちなみに全体的に捉えれば、物事というのは、宇宙のように拡散していくものだと思います。

しかし、ただ闇雲に拡散していくのではなく、
「数学」や「物理学」などと総括して考えられるように、でたらめには拡散しないのです。
「数学」というように収束されている学問の中で、新たに細分化のように拡散していくものだと思います。

まあ、それも一面的なものかもしれませんが。

295 :1:03/06/15 20:14
>273
>「森羅万象には因果がある」だから『何者にも変えることのできないこの世の中の掟』があるとみなせる。
>また、「森羅万象には因果がある」だから、
>何らかの『この世の中の万物をつかさどっている摂理』があるとみなせる。
>
>という解釈をしていたんですが、やっぱり違いますかね?

違いますね。
少なくとも解釈をしている間は、「原則」を知ることはできないと思います。

>また、「軽視すること」≠「重要度の低い物を低いレベルで扱うこと」の理由をお聞かせ願えませんか?
>ないとは思いますが、「侮蔑の意味を有するか否か」ということでしょうか?
>そうであるならば当然、僕はそのような感情をいだかずに「そんなことは当たり前だ」と思いましたが。

とりあえず「感情」については全く関係のないことです。

とりあえず「軽視」の意味ですが、例えば、
A:「〜するのは、〜だからやめた方がいいよ!」
B:「全然平気だって!」
・・・Bは事故に遭ってしまう。
という状況があった場合の、Bの態度についてです。
「本来重要な事実であるのに、知ってか知らずか、それを気にかけることなく考えてしまうこと」です。

先ほど挙げた例ですが、
「原則」が分かっている人には最も大事とも思える事実だったのではないかと思います。
いろんなところで応用も利くものだと思ったのですが、
186さんにとっては、考える意味もないことだったというわけですね。

296 :1:03/06/15 20:15
>273
>「原則が世の中を『良く』して行く」
>そんな感じの表現を時々使われるようですが、あくまで「良い」というのは
>主体あっての「良い」であるわけですよね。それで、この場合における「良い」の主体はなんですか?

それは「原則」自体と考えるのが筋なのですが、
それは人類でもありますし、他の生物でもあるのです。
つまり、この世の中全体というわけです。

>ところでどこかで既に述べられたかとも思うのですが、とっても基本的なことを教えてください。
>「原則」を自ら唱えるアナタは必然的に「原則」を完璧に理解した、「完全」な思考の持ち主であり、
>もはやどのような概念にも縛られない、啓発されたりもしない存在なんですね?

何を「啓発」とするかは置いておくとして、
思考の根底となるものが変わることはないと思います。
また、新しい知識や考え方などは増やしていくことができます。

>仮に完全にそうだとすれば、あなたは微小な感情レベルの変化でさえももはや不感である
>ということになるんじゃないか?とも思うのですが。
>つまりは原則を真に知ったなら、色々な物事に対して
>「原則どおりじゃん!すっげー!」とは間違っても思わないと。

それは多少違いますね。
確かに「原則」が分かったばかりの時は「すっげー!」と感じるかもしれませんが、
それが身に付けば、そういう感動から醍醐味(趣味によって得られる満足のようなもの)に変わるわけです。

仮にギャンブルなどで予想が当たったときなど、かなりの満足が得られると思いますが、
そこまではいかないまでも、「全てが原則通り」というのは爽快でもあるのです。

もっとも、今はこの世の中のほとんどの人はそれを知らないんですよね。

297 :1:03/06/15 20:16
>275
>「原則」を探そうとして見出したところの「原則(迷路の世界のルール)」が
>「真の原則」であることをどうやって証明するのか?

証明についてですが、
仮に「原則」があるとし、それを認識可能だとして、
この世の中の人間全てがそれを認識し、原則通りに物事が動き始めたとしても、
それは「原則」を証明するものではありません
(それで証明されるとするならば、2人以上の人間が原則を認識すれば成り立つと言えるかもしれませんが)。

「原則」を証明できるかどうかはわからないわけです。
便宜的に違う角度から「原則」を定義し、それを満たす説明をすることはできるかもしれませんが。

>例えば、「原則(迷路の世界のルール)」が最高の価値と定める迷路のゴールはここであると示したとして、
>その迷路の世界に放り込まれた人間が、そのゴールを目指し辿り着いたとする。
>しかしゴールの先にはさらに別の迷路が在り、「別の原則」に支配されていたとしたら、
>もし今までの迷路の結果を引きずるような迷路の世界だったとしたらどうなるか。
>次の迷路の世界には先の迷路の結果のみが引き継がれる。
>先の迷路で最高の価値であるとしたものが、
>次の迷路世界では最低の価値を生み出す原因になる可能性がある。
>
>あなたが「原則」という言葉で表現しようとしているところのものは、この問題を解決するものなのか?
>もっと具体的に言うならば、人間が死んだ後の問題について語る能力があるのかどうか。
>人間が死んだ後の問題を解決しつつ現在の生き方を示すことができるのかどうか?

そのことについての問題はないことだと思われます。
仮に死後の世界があるとして、それが現実世界と何か関係しているという事実が無い限りは、
二つの世界は独立して成り立っている(または死後の世界が現実世界を包含している)とも考えられるわけです。
少なくとも現実世界の原則があるとすれば、死後の世界に関係なく、それが現実世界のルールになるわけです。

ついでに言えば、「原則」というのは死後の世界について語る能力は全くありません。
もっとも、現実世界のルールと、死後の世界のルールとでは全く違うかもしれませんけどね。

298 :1:03/06/15 20:16
>281
>>>1 今日全部読みました。それで質問なのですが、
>1さんは原則をすべて分かっていらっしゃるのですか?
>またその範囲は?

私の言う「原則」が、
仮にこの世の中に「原則」があるとした場合に、それと同じものであると前提しておきます。

私はといえば、「原則」があることを知っていて、
一般的にどういう性質であるかを知っているのではと思います。

そして、この世の中の全てに同じ「原則」が関与していることを知っていますので、
「原則」という一つの真実しか知らないと言えるかもしれませんし、
その範囲は無限とも言えるかもしれません。

299 :1:03/06/15 20:26
ちなみに思ったことですが、
動物が原則に忠実であると思えるのは、
忠実でない動物は全て息絶えてしまったからです。

この世の中には、観測できなかった種類の生き物の方が遙かに多いわけです。
遺伝子の突然変異のほとんどは悪影響を及ぼすわけですが、それらはすぐに息絶え、
万一より良いものが現れれば、それが覇権を握ることになるわけです。

ダーウィンの言葉を借りれば、
『この世の中で生き残るものは、
 「強いもの」でも「賢いもの」でもなく、「環境に適応できたもの」』なのである。

仮に、ライオンと同じ生態を持ちながら、若干弱い生き物Aがいるとします。
すると、そのAという生き物は、この世の中では生き残っていられないのです。

なぜなら、Aという生き物はライオンと同じ生態ゆえに争うことになるので、
ライオンより若干弱いAは、次第に数が減っていって、ついには絶滅するといったことになるからです。

確かにAという生き物は、ダチョウなどよりも強いかもしれませんが、
実はダチョウとAとは、直接争うことはなく、棲み分けができているのです。
つまり、同じ生態にあるもの同士は棲み分けができず、より強い(または賢い)ものだけが生き残るのです。

弱いものであれば、また別の環境を求めることこそが生き残る道となるのです。
それが「環境に適応できたもの」ということです。

人間社会的に言えば、その能力を最大限に発揮できそうなところへ行くべきであるということです。
当たり前だったかもしれませんが。

300 :考える名無しさん:03/06/15 23:37
伝道の書 第9章11節

わたしはまた日の下を見たが、
必ずしも速い者が競争に勝つのではなく、
強い者が戦いに勝つのでもない。
また賢い者がパンを得るのでもなく、
さとき者が富みを得るのでもない。
また知識ある者が恵みを得るのでもない。
しかし時と災難はすべての人に臨む。



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