5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

蝦夷とはなに?

1 :世界@名無史さん:2001/04/23(月) 10:23
蝦夷とはいったいなんでしょうね。
大和朝廷に従わなかった、
まつろわぬ民と言われる人たち。

戦前の歴史観などでは彼らはあくまで、同じ大和民族だというような説明がされてますが、
そもそも「大和民族」というもの自体が否定されかかっています。

最近ではアイヌ=蝦夷説も復活しつつありますね。
東北関東はおろかにし日本にもアイヌ語の痕跡がありますし。
高知の四万十川とかもそうですね。

2 :世界@名無史さん:2001/04/23(月) 10:24
やはり、天皇などの一族は大陸からわたってきた。
侵略者なのでしょうか?

3 :天之御名無主:2001/04/23(月) 16:41
>>2
天皇などの一族は大陸から渡ってきましたが
ほかの人たちも大陸から渡ってきました


4 :天之御名無主:2001/04/24(火) 10:25
えっと専門ではないのでウロ憶え。
日本に最初に「文明もどき」を作った縄文人の一部が、自らを「カイ」と自称していた。
そのカイに弥生人、のちの倭人が文字を当てて「蝦夷」となった。
一方縄文人の一部は自らを「勇者」エンチュウ、エムチュウとか呼んでいて、
それを倭人が「エミシ」と聞き、「蝦夷」をエミシと読んだのではないじゃろか。

縄文人は侵略と、自主的変化によって「倭人化」し、現在の東日本人となった。
一方自らの文化を守るために北方へ転戦したのが、現在のアイヌ人。
アイヌ人と東日本人の分化は、13、4世紀頃からと思う。

5 :名無しさん@1周年:2001/04/24(火) 22:20
農業(米作)を生活の拠り所とするのが倭人。
狩猟、採集(縄文文化)を生活の拠り所とするのが蝦夷。
大雑把だけどね。

山人も蝦夷に入るのでは?

6 :うーん??:2001/04/24(火) 22:30
>>5
うーん。日本海沿岸から広がった川筋系山民もいますよね。
例えば、沿岸の潟から諏訪湖の方に入植してった人々などの系統。
諏訪湖は山人センターのひとつと思われますよね。
ずっと後まで歩き巫女の拠点だったたし。
木曽のソマ師なんかともつながるはずだし。

サンカとかマタギに限るならエミシ系って気もしますけど。
どうなんでしょうねぇ。

7 :サンカすることに意義がある:2001/04/25(水) 16:11
別んとこにも書いたけど、最近は
「サンカ幕末発生説」に傾きつつある。三角説には、サンカの古代起源説が出てくるけど
「河原巻物」みたいなもんじゃないかな。
幕藩体制や近代化からはじき出された人々が、山中で共同生活を送る上で独特の社会を形成した。
そう古いことじゃないと思う。
マタギ言葉がアイヌ語なのは理解出来るけど、サンカ文字は信じがたい。

8 :しっつもーん:2001/04/25(水) 16:33
>>7
幕末発生説だと、伝えられる言語の不通は
どのように説明されているのでしょうか?

三角説を無視した型の柳田なんかが示唆してますよね、
言語が通じないって。

それとも三角のサンカと柳田の山人は別概念とみなされるのでしょうか?

9 :天之御名無主:2001/04/25(水) 18:05
2=3=電波

10 :天之御名無主:2001/04/26(木) 22:32
>6
かなり大雑把な分類だけど、倭人以外=蝦夷という図式は成り立つのかな?って思ったんだけど。


11 :=6:2001/04/26(木) 22:55
時期によると思います。
倭人は中国社会から観られた他称からスタートしたわけで。
倭国の頃には当事者が採用したと考えるのが自然と思いますが。

倭の領域とヤマト朝廷の領域は重なり合うかもしれないけど
一致するとも思えないわけで。

例えば、>>6 に挙げた、日本海沿岸文化の主体は四隅突出噴で
特徴づけられるのですが。
私見では、これを出雲系と一括してしまうことには慎重になった
方がよいと思っています。

出雲王国の成立以前から日本海沿岸沿いの移住した可能性はあるので
出雲系って一括で歴史のイメージが狂わせられる可能性もある。

で、この四隅突出噴で特徴づけられる人々。
魏書倭人ノ条にあるような文身をしたりする倭人だったか、というと、
これまた疑問が持たれると思います。

12 :天之御名無主:2001/05/03(木) 18:56
蝦夷ってのは、縄文人が日本人とアイヌ人に枝分かれする過程で中間に取り残された縄文人の末裔。
だからアイヌ説と日本辺民説との対立は解消されつつあるのであって、
1のいうような「戦前は大和民族説だったが、現在はアイヌ説が復活しつつある」なんていうのはデタラメ。


13 :天之御名無主:2001/05/06(日) 16:34
倭人ってのは日本人だろ。
日本人以外にも倭ってのがいろいろいたようにいう説もあるが、一部の例外を過大にとりあげた議論に思える。
あんまりいろいろなものを無秩序に倭とよんでいたのでは「記号」としての意味をなさないし、
中国の歴史書の実態ともあわない。

14 :リリス:2001/05/06(日) 17:06
2000年前の中国人は、大雑把に東の海上にある島に
住んでいて、朝貢する連中を倭人と捉えていたようで
あんまり厳密に考えていなかったんじゃないかと思う。
地図だっていいかげんだし。

15 :天之御名無主:2001/05/06(日) 19:24
>>13
ヨーロッパ人のいう、「アジア」や「オリエント」同様
古代中国人の言う「倭」も歴史とともに推移しています。
これは、中国の歴史書で確認されている事柄です。

倭人=日本人ではありません。

16 :天之御名無主:2001/05/06(日) 20:59
世界史板「『倭』国の定義とはいかに?」からコピペ

91 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/05/06(日) 20:10

いいかげんに、っていうか。
例の、南蛮・東夷・西戎・北狄のそれぞれにはあきらかに
中華文明が共有したイメージがあるよね。
狄は遊牧騎馬民だし、戎は内陸アジア系の遊牧民。

倭は古代中国人によって東南夷の一派と認識されていたと思われる。
やはり水民の一派って認識だろうね。

>>14
「あまり厳密に考えてない」のはあなた。
古代中国人には古代中国人なりの世界のイメーヂがあったわけ。

17 :天之御名無主:2001/05/07(月) 11:47
戎=蝦夷じゃないのかな?
最初の発音の”え”が”い”に
転訛して、あるいは英語でいうところの
"I"と"E"の中間の音があって、伊豆や伊勢等に。
ここらは朝廷が防人として異民族を
住まわせた地域って聞いたことがある。

18 :天之御名無主:2001/05/07(月) 11:57
「倭人⊂東南夷」ってのは、魏書の内(倭人条以外の個所)にあったはず。
(ちょっと調べ直さないと、どこだったかはすぐ出てこないが)

「戎=蝦夷」ってのは?
典拠キボンヌ。
あ、もしかして「朝廷が防人として異民族を住まわせた」って
大和朝廷の史書の記述とか??


19 :天之御名無主:2001/05/07(月) 12:35
>>18
ごめん。うろ覚えなんで。
とにかく、”え”という言葉が
朝廷から見て異民族らしい
ということでした。

20 :天之御名無主:2001/05/07(月) 14:01
ききかじり程度の知識でいいかげんなレスばかり。もうやめたら?

21 :天之御名無主:2001/05/07(月) 14:22
>20
こういう話もあるよって程度の雑談もいけないんでしょうか?

22 :≠20:2001/05/07(月) 18:13
>>21
「あまり確かな話でないけど」とかなんとか、
はっきり、きちんと書いてあればいいんでないかい?

アバウトな話が広まるるのは、よくないからね。
話題によっては危険なこともあるのはわかるよね。
その辺の配慮があるなら雑談もありと思うな。

23 :17:2001/05/07(月) 18:34
>>22
そうですよね。だから、僕も「聞いたことがある」
って書いたんですけど、心意が伝わらなかったみたいです。
結局、いろんな説があって、それをどう受け止めるかは本人の
洞察力ってことになりますよね?歴史をリアルタイムで見た人
は別として。だから、雑談の中で色々なことを頭の中で構築
することは肯定こそされ、否定されることではないと思います。

24 :=22:2001/05/07(月) 19:39
>>23
まぁ、漏れの個人的意見だから、参考程度に聞いてくれ。
漏れも「聞いたことがある」程度じゃ弱いと思うな。

話題によるけどな。
やっぱ「あまり確かな話でないけど」程度は、はっきり
書いた方が、アバウトな話が一人歩きしないと思う。

噂は尾鰭がつくしな。

それから、「聞いた話」に突っ込まれて「心意が伝わらなかった」
ってーのはBBSではあまり感心しないな。

文字でしかやり取りしないんだから。心意なんて伝わらない、ぐらい
に思って慎重に書いた方がよかべー。

>雑談の中で色々なことを頭の中で構築することは肯定こそされ

話題によるな。
差別とか、政治とかに関るような話題だとそうも言ってらんめー。
これは、17には関係ない話だろうけど、一応。

まー、気に障ったかもしんねーけど。漏れの個人的意見だ。
参考になったらいいけどな。

25 :17:2001/05/07(月) 21:05
なるほど!
差別に関してはその人によりますよね?
いくら事実であっても言っていけないことはいけない
ですからね。
心して取り組みます。

26 :天之御名無主:2001/05/07(月) 23:58
あのう、ここまで読んで思ったんだけど、文献から名前の由来についての話ばかりで、そんなことより蝦夷って一つの文化形態を指す言葉だと思うんだけど、その辺の話ってないのかなあ。

27 :原住民:2001/05/08(火) 02:37
蝦夷について客観的に語っている様で、そうじゃない様な気がする。
たとえば近畿・中国でも京都、奈良、岡山、島根これらは、それこそ
神話・民俗、各々大きく異なる。中央政権は倭人が安定的に継承して
きた訳ではないでしょう?古代朝鮮も谷ごとに小国が分立していた。
東北も詳しく見れば県でもくくれません。

特徴的な地域を三っつほど記します。
1、津軽=常に中央を意識する精神と整った顔立ちは、おそらく古い
    タイプの倭人と権力の近くにいた渡来系が多数流入している
    様に思われる。
2、岩手中南部=独立心の強さと頑強な体躯、特徴的な顔立ちは
       東欧の人々を連想させる。
3、秋田山間部=女子校高生平均身長、日本一。色白の顔と母系遺伝の
       疾病等、中央アジア遊牧系の混血を想像させる。



28 :日本@名無史さん:2001/05/08(火) 17:50
蝦夷っていぼがえるのことでしょ?
帰化人にとって原日本人て見た目が変だったんじゃないの?
だから、きっちりした分け目がないように気がする。

29 :天之御名無主:2001/05/08(火) 19:27
それは言えるかも
江戸時代の欧米人を描いた浮世絵なんか笑えるもんね
アジアン・エスニックど真ん中の帰化人にとっちゃ
原日本人は中世人にとっての南蛮人どころじゃないかもね
そういえば南蛮人も蔑称じゃなかった?

30 :天之御名無主:2001/05/09(水) 17:17
中国人を信じると
倭人=チンチクリン
となると
原日本人=鬼
となる
白人=赤鬼(南蛮人)
みたいにね


31 :天之御名無主:2001/05/09(水) 18:00
大和民族そのものの存在の否定か。
自虐もここまで来ると病気だ。

32 :天之御名無主:2001/05/09(水) 21:52
>>31
きみも病気。なんでも自虐と思える
自虐妄想症候群(ワラ

33 :天之御名無主:2001/05/10(木) 00:54
差別スレ読んでたら日付がかわったぜ。とにかく多い!
意図からして関西在住の誰かだろうけど????
自虐的といったら、こんなスレたてる事自体そうなんじゃないか?
俺みたいな門外漢でも関西人の起源みたいなものがスッキリ見えて
きたよ。差別への反論の方が具体的で説得力あったぜ!!!!

34 :天之御名無主:2001/05/10(木) 03:19
>>31
気持ち悪い

35 :天之御名無主:2001/05/10(木) 03:19
>>32
気持ち悪い

36 :天之御名無主 :2001/05/10(木) 21:53
>>27
へぇ、そうなんだぁ。
私も父方の祖母が秋田の方なんだけど
すごく背が大きくてはっきりした顔立ちだったな。
私の肩と腰が異常に張ってんのはその辺に由来するのかな??

37 :名無し象は鼻がウナギだ!:2001/05/11(金) 00:19
age

38 :天之御名無主:2001/05/11(金) 14:22
征夷大将軍ってあるでしょ?これは蝦夷を征伐する大将。
天皇にみとめられなければいけない。あと、松平家の子孫であること。
ちなみに徳川は松平家の子孫ではないけどね。

39 :天之御名無主:2001/05/11(金) 16:49
最初の征夷大将軍は、ヤマト朝廷の坂上田村麻呂だよん。
松平氏云々は、ずっと後代の事なのねん。

40 :天之御名無主:2001/05/11(金) 21:09
そうだよ!征夷大将軍は歴史ある称号(役職)だよ。
まず紀古佐美という将軍は蝦夷との戦いで十分の一の蝦夷軍に大敗し
あわてた朝廷は公家ではなく帰化人の坂上田村麻呂(父が朝鮮人)を
将軍につけたんだ。田村麻呂は蝦夷の首領アテルイを降伏させた。
しかし、朝廷は田村麻呂の願いを無視してアテルイの首をはねた。
征夷大将軍は、こんな歴史の運命からか、朝廷にまつろわぬ者達
武士階級の統領の称号になっていくんだ。


41 :天之御名無主:2001/05/11(金) 22:32
>>40
>征夷大将軍は、こんな歴史の運命からか、朝廷にまつろわぬ者達
>武士階級の統領の称号になっていくんだ。

ちょっと無理あるよん。
素直に読めば「夷ヲ征スル大将軍=征夷大将軍」なんだし。

42 :日本@名無史さん:2001/05/11(金) 23:19
すまん!
>運命からか、朝廷にまつろわぬ者達

>運命からか、?朝廷にまつろわぬ者達
にしてくれ

しかし、武家政権樹立以降、奥州征伐を実行したのは初代・頼朝
だけだからなあ・・将軍は戦国以降の〇〇守と五十歩百歩だろう
足利期の北畠は奥州勢というより南朝だしなあ・・



43 :天之御名無主:2001/05/12(土) 01:27
田村麻呂はペルシア系でしょ。

44 :天之御名無主:2001/05/12(土) 02:14
なにそれ・・・小林恵子流?

45 :天之御名無主:2001/05/12(土) 07:36
>>39
最初の征夷大将軍は、大伴弟麻呂
http://www.din.or.jp/~wildrice/jake/ROD/Topic01_2.html

46 :名無しさんといつまでも一緒:2001/05/12(土) 23:46
>>39
ここのサイト将軍は源氏の子孫でなければみたいなこと
書いてあるけど、平家ではないの?

47 :名無しさんといつまでも一緒:2001/05/13(日) 00:05
あげぞう

48 :名無しさんといつまでも一緒:2001/05/14(月) 22:28
age

49 :名無しさんといつまでも一緒:2001/05/14(月) 23:02
ade

50 :名無しさんの主張:2001/05/14(月) 23:12
井上ひさしの「四千万歩の男」を読んだ。
あまりにも大和民族のアイヌ民族に対する行為が悪く書かれすぎていたので
途中で嫌になって読むのをやめた。
本当に、この本に書かれているような事を、日本人はアイヌに対して行った
のだろうか。
事実であれば真摯に受け止めるが、捏造ということはないのか。
誰か教えてください。

51 :天之御名無主:01/08/28 23:07 ID:lgycXSi2
age

52 :天之御名無主:01/10/01 16:34
age

53 :天之御名無主:01/10/02 15:02
>50
井上ひさしの話は知らんけど、漏れの出身青森には、いつの時代の話か知らんが
武士階級の男とアイヌの娘の悲恋物語って伝わってるぞ。あ、そういう話じゃない?

54 :名無しの役:01/10/06 21:08
いつの時代にも敵対する両軍の悲恋物語は存在するし、
それが何かしらの暗示を与えていることも否定できない。
現地の女性を娶ることで同化していったと考えることも出来る。
前九年の役で、蝦夷の末裔と言われた安倍一族の敗戦も、
地元では一族の女性が源氏の武将と通じた(騙された?)ことが
原因だと語り伝えられている。

55 :天之御名無主:02/03/06 20:24
あげ

56 :天之御名無主:02/03/06 21:08
エミシとは「人間」をあらわすエンチウ乃至エムチウ。
足が長くて彫が深くて目が二重で大きくて、眉毛がくっきりしていると言う
実に腹立たしい人たち。

57 :天之御名無主:02/03/06 22:57
>>56
金田一説ですね。
古代において、エミシ<*emciw
中世において、エゾ<エンジュ<enciw<*emciw
という借用を想定した。*emciwが全くの推定形
であり、enciwという語がサハリンでしか確認さ
れていない、というのが問題ですが。

58 :天之御名無主:02/03/07 00:49
>>56
足の長さ以外は俺と同じだ・・・


59 :nagami@アイヌの血族:02/03/07 09:53
順わぬ者をひっくるめて蝦夷と言う場合と、東北にいた異民族
(と言っても大和朝廷から見た時に異民族なだけなのだけど)
を指す場合があるようです。
東北のそれは大雑把にみてアイヌだと思って良いんでしょうが、
蝦夷より更に北上した地域には「粛慎(みしはせ)」と言うのも
いたようだから、ちょっと疑問。

阿倍比羅夫や坂上田村麻呂の東征の際に捕虜(囚虜)として
捕らえられ、各地で強制労働させられたようです。所謂『俘囚』ね。
これに関して言えば、蝦夷に限らず他の異民族も捕らえられたでしょうが。

星野之宜の漫画辺りが蝦夷に造詣が深いですよ。

あ、あと、各地にアイヌ語の地名が残ってるって言うのは賛同ですが、
翻訳が間違っているものが多くあります。北海道からして「札幌」が
「サッポロぺツ」で「大きな乾いた湖」ですか?そんな意味はこの
アイヌ語には無いそうです。
詳しく調べたいなら、ちょっと高いですがアイヌ語辞典を購入する事を
お勧めします。…一万円くらいかな…。

60 :57:02/03/08 20:38
>>1>>12を読みかえしてみた。時々誤解されるが「縄文人」
は民族名称ではない。「縄文語」は言語学用語ではない。
「エミシ」がアイヌ人か日本人(大和民族)かという問い
かけが「何語を話したか?」という問題なら、まだ片付い
ていない。「日本語とアイヌ語の中間言語」などというもの
はまともな仮説としてすら提出されていないのだし。

61 :毛人とは:02/03/08 22:31
ホモで人殺しで冷酷なエスパー皇子の
無二の親友でクソ真面目なボンボン。

と言って若い人にどこまで通じるか。ウツだ。

62 :天之御名無主:02/03/09 00:12
>>59
サッポロ
干上がった、大きな
あとは、前後の詞の省略が何だったかだ。

63 :天之御名無主:02/03/09 17:00
英語のHP見た感じではアイヌってことになってる場合が多いね。

64 :天之御名無主:02/03/09 17:01
足が長くて彫が深くて目が二重で大きくて、
眉毛がくっきりしていると言う

=ナガスネヒコ

65 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/03/09 17:54
以前人権板に書き込んだコピーですが(蝦夷えみし 高橋崇 中公新書)
蝦はエビ(海老)のことであり、エビは長いヒゲをもち腰の曲った醜いものとみなし、
蝦夷は「醜い野蛮人」の意となり、国家が東北住民に対し、憎しみをこめて与えた
蔑称だとする解釈が幅をきかせている。    夷も造語で弓を操る人。

日本には海岸に流れついた奇妙なものを神としてまつる習慣がある。
そうゆうものはエビスと呼ばれた。
夷と書いて見知らぬ土地の見知らぬものを表わす概念。

66 :恵美子:02/03/10 15:24
縄文人の一部を吸収、弥生人の作った「朝廷」が
東国へ進出、勢力拡大するにあたり、無抵抗で従った人は
(二流国民扱いながらも)東国良民、抵抗した人たちへの蔑称が
「エミシ」なのでしょうね。
俘囚、夷俘、蝦夷と呼ばれた人達も時とともに「編戸の民」となったわけですから。
蝦夷とは民族名称と言うより、たぶんに政治的な名称のような気が。

67 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/03/10 16:08
景行紀に日本武尊が捕虜とした蝦夷を伊勢神宮に献じたが、彼らは喧嘩ばかりして
騒がしいので追放され、朝廷が御諸山(奈良県三輪山)のそばに移したところ、神山の木は倒す、
近隣の人々をおどすやらした。そこで彼らを播磨、壱岐、伊予、安芸、阿波五ヵ国に移した。
これらが五ヵ国の「佐伯部」の祖先になったという伝承です。
宮廷や官庁の警護にあったとされており、後の北面の武士に似た性格を持っています。

参考までに
h ttp://www.e-obs.com/top/heo/heodata/n300.htm

68 :ううむ:02/03/10 19:01
関東の俘囚や、「キミコベ」なんかが独立武装農民化し、
武士の母体になってたのかなあ、とか思ってた。
平凡社の喜田貞吉著作集見てたら、同じように考えていて驚いた。

69 :天之御名無主:02/03/11 13:24
エミシが武士になったんじゃないのかな。
武士の絵って鬼みたいなつらしたのが多いし。

70 :天之御名無主:02/03/11 13:26
縄文人とアイヌ人が倭人と呼ばれた人たちより遺伝的に近かったのは間違いないかと。

71 :天之御名無主:02/03/11 13:27
青森の「ねぷた」のモチーフとかカラーリング。蝦夷っぽいですね。

72 :天之御名無主:02/03/12 05:20
北海道のなんとか郷土館で見た、アイヌの「晴れ着」なんか「江戸好み」
みたいにしぶくて素敵だった。
歌舞伎の隈取も「ゲイ面」を彷彿させるし。

73 :天之御名無主:02/03/22 04:11
蝦夷と言う、多分朝廷側文人が作った文字には、確かに
侮蔑的な意味が含まれる。

でももともと縄文人の一派に「クイ」「カイ」と自称する一派があって
それに文字をあてて、かつ「エミシ」と言う読みを与えた……
スマソ、うろおぼえ。

つまりカイもエミシも決してそれ自体は蔑称じゃない。
日本人の半分をしめる縄文系の人たちが、かつて自分自身を呼んでいた言葉では?

たとえば「ロシヤ人は」「ルスキー」と自称するけど、それに
「露助」と言う漢字あてると、まあ蔑視だわなあ。

74 :朝の一言:02/04/07 02:36
>39
ちょっと違います。最初の征夷大将軍は田村麻呂ではありません。彼はその時
副将軍でした。『日本紀略』をお読みあれ。

75 :天之御名無主:02/04/07 08:29
蝦夷は元々は毛人との字を当てられていました。(夷とも)

日本書紀によれば、蝦夷には
ツガル・アラエミシ・ニギエミシの三種がおり、元々一様な集団ではない。
したがって蝦夷は○○である、と言う表現は余り正しく無い。
ただし、大和朝廷に服属していなかったと言う共通項はあるみたいだが。

エミシと言う言葉は元々は雄々しい者、勇敢なる者と言う意味である。
従って古代においては人名にも良く使われた。
有名な所では蘇我蝦夷など。

時期を追うに従って蝦夷は東方の人間を指す言葉となっていくのである。


76 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/04/07 15:04
396 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/04/01 00:14 ID:crn5nCAG
使い出した当時は蔑視用語でしょ。
公文書のたぐいに初めて登場したのが曽我蝦夷とされてるらしいけど
曽我氏は蝦夷の帰化人?そんなこと書いてある歴史書見たことない。
継体天皇の系列から聖徳太子に連なるけど出自は不明・・・。

アイヌは自らアイヌといって認知される。

77 :天之御名無主:02/04/08 19:57
アイヌ、エムチウはやはり東日本人(縄文系)の自称だと思う。
エムチウの「関西なまり」である「エミシ」は
決して悪い言葉じゃない。

78 :天之御名無主:02/04/09 00:24
>75
高橋富雄さんの『古代蝦夷について考える』を読んでみて。
それと『東北学』第4号に載っていた論文も。

79 :天之御名無主:02/04/22 05:50
エミシじゃなくてエビスだよー

80 :天之御名無主:02/04/22 06:11
読み方と意味がいくつかあるらしいよ。
詳しいことわからないけど。

81 :?¬?o`:02/04/22 07:19
>>73

『でももともと縄文人の一派に「クイ」「カイ」と
自称する一派があって…』

甲斐の国とは関係があるんですか?

http://www.intacc.ne.jp/HP/oma/sakaoriguu.htm

上記のページの歌のやり取りが大和朝廷への
屈服を示すそうです。『記紀に見る甲斐酒折王朝』
犬飼和雄(レタ−ボックス社)






82 :天之御名無主:02/04/25 01:12
>73
縄文人の一派に「カイ」とかがあったって、それ誰の説ですかいな?
あたしゃ「カイ」は中国産と思っておりまっさね。


83 :朝の一言:02/04/27 18:58
>66
「エミシ」は今の奈良県の宇陀地方の人と考えないと、
話しがめちゃくちゃになりますよ。「エミシ」(「蝦夷」ではない)の
基準となる最初の出典は神武紀の久米歌以外ありません。

そして「蝦夷」の方は、最初の確実な出典を、斉明紀の博徳書に
置くしかないはずです。82が言うように、中国産か、国産でも中国向けの
言葉のはずです。私と少し見解は違いますが、阿部義平の『蝦夷と倭人』
青木書房をみて少し考えてからレスして下さい。


84 ::02/04/27 19:44
国旗君が代問題のころ

蝦夷が最初に日の丸を使った

と言う毎日新聞の記事を何年か前に見たのですが本当ですか?

そのコラムには、たしか船の周りに日の丸が描かれていた絵が載っていた。
それが絵に描かれた最初の日の丸だと書いていた。

85 :天之御名無主:02/04/29 03:45
蝦夷

86 :天之御名無主:02/04/29 23:08
鈴木えみ・・・エミチィ


87 :天之御名無主:02/05/01 04:25
>84
「蝦夷が最初に日の丸を使った」? 
エビス? エミシ? エゾ?
「日の本将軍」あたりの話し?
「日の本=東北」説は高橋富雄さんの説ですね。

88 :57:02/05/01 22:52
>>83
なるほど。「エミシ」は初出が奈良県あたり
の集団を指す、というのは忘れてはいけない
わけですね。しかし、>>59で指摘があるよう
に東北地方の「エミシ」と区別しうる、とは
思います(思わない、という立場もあるでしょ
うが)。個人的には「東北エミシ」という語
はいまいちですがそれしかないかな。


89 :朝の一言:02/05/02 01:15
>88
「東北蝦夷」は一応可能だと思いますが(「東北」という地域名も
斉明紀の博徳書が初出です)、それが「エミシ」と呼ばれたという根拠は
どこにあるのでしょう。確かに『釈日本紀』『日本書紀私記』などの注釈書
には、「エミシ」という訓みが出ていますが。しかし『書紀』や『続紀』
に出てくる「蝦夷」は、もともとは「カイ」と、そしてほぼ同時に意味をとって
「エビス」と訓まれていたと考えられます。平安期の注釈書を見ていると
平安期に「エビス」「エミシ」の訓みがが混合されてゆくように思いますが、
それをいつごろからと考えたらよいのでしょうか?その強さが実感された時
とすれば、それは古佐美の頃と考えられるかもしれません。

90 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/05/05 20:36
エビのようなヒゲをたくわえた弓を操る人。

91 :天之御名無主:02/05/07 02:32
『私記』に「蝦夷」の訓として「江美須」と出てきますが、これはどう訓みますか?
「えみす」か「えびす」か。

92 :57:02/05/07 20:37
>89
それもそうですね。エミシというのは平安期以降に確立
する呼称だから「蝦夷(エミシ)」はそれ以前には成
りたたない。では割と簡単で、少なくとも東北地方を
問題にする限り「東北蝦夷」もしくは「エミシ」でよ
さそうだ、と個人的には納得です。資料が少ない分や
やこしいですねえ。

93 :朝の一言:02/05/08 01:39
『斉明紀』のあたりで、「北の蝦夷」「東の蝦夷」という表現が出てきます。「北」
は、出羽方面を、「東」は陸奥方面を指していると考えられます。平安時代には
陸奥・出羽の一体性が高まって行きますから、「東北蝦夷」という言い方は可能だと
思いますが、やはりできれば「陸奥蝦夷」「出羽蝦夷」と多少とも区別して
言っておいた方が正確な話になると思います。やはり地域差はかなりあるので。

94 :天之御名無主:02/05/17 02:21
古いアイヌ語でアイヌ人のことを「カイ」と言っていたというけど、
この「カイ」というのは何なのだろう?

95 :天之御名無主:02/05/18 15:50
>>61
「日出処天子」ですな。ナツカスイ…

96 :天之御名無主:02/05/19 02:31
>>94
「カイ」ではなくて「カイノー」ではないでしょうか。
どっちにしても不明確な話ですが(アイヌ語の古い資料
なんてたかがしれてるので)。

97 :天之御名無主:02/05/19 12:18
>93
「カイノー」って、何の本に出ているのですか?


98 :天之御名無主:02/05/20 13:36


140 :?t???I :02/05/17 12:58 ID:???
>123 死ぬほど既出と思いますが・・
大化の改新で、蘇我一族は粛清され(テロ+一族お取りつぶし)
記録の一切が、イルカとか馬子とか人間以外の侮蔑的な名前に書き換えられたんです。
毛人、蝦夷ていうのは、当時の北日本の住民(アイヌ民族)のこと。
毛人の当て字は文字通り毛深さをさしている。レイシズムばりばりな呼称

これってはじめて知ったんだけど、「馬子」や「入鹿」も蔑称なの?

99 :天之御名無主:02/05/20 20:53
>98
通説は蘇我豊浦大臣の対「蝦夷」政策によるというのが今日では通説では
ないでしょうか。高橋富雄『古代蝦夷について考える』必読。


100 :96:02/05/20 22:01
>97
松浦武四郎の記述にあったはずだけれど、確実なところ
では知里真志保の辞書で樺太方言としてkayno, kaynuと
いう語形が記載されている。ほかでも確認されている語
だとは思いますが。一方「カイ」という語形は武四郎に
はあったかもしれないが、それ以降は確認できないので
はないでしょうか。

101 :天之御名無主:02/05/21 01:32
>>98
日本古代人名辞典(全7巻)吉川弘文館には 金石文から天応年間に
至るすべての人名が載っています。 馬子や入鹿といった名前は蔑称
ではありません。 そういった動物と関係した人名の時代別分布に
ついて統計をとったことがあるのですが 当時としてはおかしくは
ありません。 

102 :天之御名無主:02/05/21 13:38
>>98
時代はずっと下がるけど 悪源太(源義平)という名前は褒め言葉で
あって 貶したのではない。 現代人の語感や気持ちで 古代や中世
の名前をとらえると 引用文のような電波になる。 

103 :天之御名無主:02/05/21 15:51
ttp://www.ohotuku26.or.jp/kitami/sisi/nupunkesi4.htm
カイノー、アイノーがアイヌ。
カイが蝦夷、甲斐になったってことなんですかね。
北海道は北加伊道が元で加伊(カイ)に意味があるとは思わなかった。
確かに蝦夷→エミシの方が読めないですね。朝の一言さんの蝦夷→カイの話はいい勉強でした。

「馬子」や「入鹿」が蔑称だは驚きですね。
称徳天皇の話から来たのかな?
輔治能真人清麻呂(ふじのまひときよまろ。後の和気朝臣清麻呂)→別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)
黄文王(きふみおう) → 久奈多夫礼(くなたぶれ)
道祖王(ふなとおう) → 麻度比(まどひ)
賀茂角足(かものつのたり) → 乃呂志(のろし)
不破内親王(ふわのひめみこ) → 厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ)
県犬養大宿禰姉女(あがたいぬかいのおおすくねあねめ) → 犬部姉女(いぬべのあねめ)
県犬養→ 犬部がかろうじて近いかな。

氷上川継が氷上志計志麻呂(しけし:穢れ)だって話もあるし
蔑称 ってのは”穢れた、惑い、鈍し”みたいな形容か、身分が悪い
(犬部も名前じゃないし)見たいな表現ですね。
称徳天皇だから一般論でもないか。

104 :96:02/05/21 18:29
「アイヌ」に比べて「カイノ」が古形である、という
根拠はないわけなんですけどね。

105 :97:02/05/22 00:05
>100
有難うございます。少し勉強してみます。


106 :98:02/05/23 12:41
情報サンクス。
コピーの出典が少女まんが板なんで、嘘くさいな〜と思っていたのですが。

107 :あの:02/05/23 23:56
蝦夷とはなにか、という疑問は、具体的な民族へのアプローチと
倭人から見た「蝦夷」観とに分けて話し合うべきだと思います。

個人的な意見として、ここで誰が言ってるのかも分からない
あいまいな情報を聞くよりも、自分で調べたほうが早いですよ。
匿名性のせいか、裏を取ってないことでも平気で書き込んでいるように
みえます。



108 :天之御名無主:02/05/24 04:06
>107
具体的に言ってほしい。

109 :天之御名無主:02/05/25 18:10
 あてるいって蝦夷だっけ?

110 :天之御名無主:02/06/12 07:04
民俗板ってレベルが低いのか?

111 :天之御名無主:02/06/30 01:09
JR東日本が出している「トランヴェール」という雑誌の6月号に、
『続日本紀』延暦八年の「いわゆる胆沢は水陸万頃にして蝦虜存生」
を説明して、「水陸万頃にして〜」の言葉は、「期せずして、広々と肥沃な
胆沢の大地への賞賛とそこに暮らす蝦夷への思いが滲み出ている」(P.25)と
書かれている。こんな風に延暦八年紀の記事を、胆沢の大地への「賞賛」と
して解釈するのは新しい解釈ではないのだろうか。最近どこかで読んだ気も
するのだけれど、知っているやつがいたら教えてくれ。


112 :天之御名無主:02/07/31 02:29
『東北学』第4号の『「えみし」小考』のインターネット・ヴァージョンです。
ご参考に。

http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/tohoku/emisi.htm

113 :天之御名無主:02/08/12 13:02
このスレ読んで、なんとなく気になって、
東北のお祭り装束をいろいろ見てみた。
結構綺麗だね。

http://kari.to/upload/source/3713.jpg

これが異民族ってかんじなのかなあ。
他の地域のお祭りもこんな感じの衣装
なのでしょうか?

114 : :02/08/12 14:12
うんこ板に遊びに来てくださいです。。
http://jbbs.shitaraba.com/news/532/unkounko.html

115 :ストーム・フクロウル:02/12/18 13:56
漠然と北の勇猛な人々を指した名称では

116 :天之御名無主:03/01/01 08:31
アラハバキ神とはいったいなんですか?蘇我氏に敗れて東北に逃れた物部氏が
もたらした信仰だ、と聞いたことがあるんですが。詳しく教えてください。

117 :116:03/01/01 08:49
つづき
物部氏の存在があったからこそアテルイ(悪路王)をリーダーとする蝦夷は
何十年も大和朝廷と互角に戦う事ができた、とも聞きました。アテルイの弟
の息子の名は人首丸です。今も人首小学校と言うのが岩手県米里あたりにあ
ります。

118 :マジレスカコワルイ:03/01/01 13:37
ずばり、朝廷に同化されることを拒んだ縄文人。
同化されたのが東日本人。
東日本人とアイヌが、明確に別の文化を作り出したのは
鎌倉以降。

119 :天之御名無主:03/01/01 17:03
悪路王(アテルイ)は宮沢賢治の詩にちょっと出てるね。

原体剣舞連て詩なんだけど。


120 :天之御名無主:03/01/02 00:31
◆毎年約1万人も韓国・朝鮮人が大量に帰化しているというのに、
在日の数がほとんど減っていないっ!(ニューカマー含む人口)

        1998年   1999年  2000年
在日人口   638,828   636,548  635,269 人

その約1万人のうち日韓・日朝結婚が年間約8500組。
混血も相当数産まれており、ハーフだけで既に20万人近くも。
これではいつまでも韓国・朝鮮人の日本人汚染が続く。
1952年から累計約27万人も帰化し、売国奴もどんどん増えていく。

また、不法滞在の韓国人は56000人で外国人で最も多い!

◎外国人帰化数
http://www.moj.go.jp/TOUKEI/t_minj03.html

121 :天之御名無主:03/01/02 07:43
アラハバキについて。
某「三郡誌」で決定的にケチついたけど、
もともとは古来の「客神」

「白鳥伝説」およみくらはい。

122 :天之御名無主:03/01/02 09:32
客神てなに?
客人(マレビト)神のこと?

つーことは沖縄の
キンマモン神みたいに
海のかなたニライカナイから
毎年一回やって来るとか?

あ、ナマハゲもそうか。マレビトか。

きっとくる〜♪
きっとくる〜♪
貞子くる〜♪


123 :宮崎駿:03/01/02 11:13
司馬さんとの出会いが私を変えました。

124 :山崎渉:03/01/11 03:06
(^^)

125 :天之御名無主:03/01/17 11:51
                

126 :天之御名無主:03/02/19 22:56
北海道「ほっカイどう」の「カイ」は松浦武四郎が「蝦夷」から採用した
のではなかったっけ。いつのまにか「海」だとおもいこんでるけれど。
松浦武四郎は「ホッカイドウ」の名付け親だよね。

127 :天之御名無主:03/02/20 18:10
>>126
北海道は国割されました。
東海道
西海道
南海道
なんかと合わせました。



128 :天之御名無主:03/02/20 22:42
>>127
はんかくさいんでないかい

129 :天之御名無主:03/02/21 06:31
私が以前読んだ本では蝦夷の「蝦」は上代の大和言葉ではヘビ、エビ両方に対して使われており、
ヘビを祀り大和にまつろわぬ人々=「蝦夷」と名付けられたということでした。
神社のご神体にヘビを祀っているところがありながらも、
出雲風土記でも記紀でもヘビは神ではなく敵として記載されている。
ここから出せる推論としては結構妥当なものではないでしょうか。<蝦夷=ヘビ信仰説

130 :赤い雲:03/02/21 09:27
1869年に、蝦夷開拓御用掛開拓大主典だった松浦武四郎が、北海道島
の道・郡・国の名前を命名することになったの。それ以前の「蝦夷地」
が「北海道」と改称されたわけ。この新しい名前は、松浦武四郎が政
府に提出した原案−−日高見【3字ルビ・ひたかみ】道、北加伊【3
字ルビ・ほくかい】道、海北【2字ルビ・かいほく】道、海島【2字
ルビ・かいとう】道、東北【2字ルビ・とうほく】道、千島【2字ル
ビ・ちしま】道−−の中から「北加伊道」と「海北道」の二つをたし
て二で割った形で決定されたものなのよ。これには、アイヌたちが自
分たちの国を「カイ」と呼び、お互いのことを「カイナー」と呼びあ
っていたという背景があって、武四郎が名づけた「北加伊道」には
「北のアイヌの国」の意味があったのだが、そうやって足して二で割
ると、そして明治国家の征服的価値観のもとで、そうした背景もきれ
いに消えうせてしまったんだな、これが。
「カイ」というのは「ネイティブの大地」を意味し、「ナー」もしく
は「ノー」は敬語を意味するのだという。

131 :天之御名無主:03/03/13 10:17
東北ってなにか文化が違うよね。
ただただ素朴。向上心がないし、それでいてすぐ卑屈になる。
すべて平等みたいな、、、
部落(差別)がないのと関係があるのかな。

132 :山崎渉:03/03/13 12:41
(^^)

133 :天之御名無主:03/03/13 12:47
ぶっちゃけ、東北とか九州自体が被差別部落みたいなものだろ。
いわゆる中央からみた田舎とか地方と呼ばれる差別。
そこに東北・九州人が気がつかないように
田舎者同士を争わせたりして漁夫の利を得てきた中央や都会の人間に田舎の何がわかるというのだろう?

田舎の人は素朴で人柄がいいとかなんとか
おだてて陰では舌を出してる。


134 :山崎渉:03/04/17 09:45
(^^)

135 :山崎渉:03/04/20 04:41
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

136 :山崎渉:03/05/21 22:26
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

137 :天之御名無主:03/05/25 19:15
江戸が「蝦土」、とか「穢奴」のこと
とか言ってたのは、八切止夫だったっけ。

138 :山崎渉:03/05/28 15:12
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

139 :山崎 渉:03/07/15 12:45

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

140 :天之御名無主:03/08/09 12:52
>>81
『風の谷のナウシカ』で鳥馬が「かい」と「くい」って名前だけど、
宮崎駿はそれを知っててなづけたのかな。

141 :天之御名無主:03/08/12 20:16
アテルイage

142 :天之御名無主:03/08/13 01:50
えぞーん

143 :abc:03/08/13 16:54
画像集!
http://www.sexpixbox.com/pleasant/dx/index.html


144 :3:03/08/13 17:18
ブルマ姿の可愛らしいロリ少女が体育倉庫でなにやら怪しい動き!
物凄くでかいオッパイをぷるんぷるんに揺らしながらハゲオヤジにバックから突かれます。
最後のオナシーンではなんととうもろこし挿入!ブツブツで気持ちいいんでしょうね。
悶絶のエロアニメ!
無料、無修正ムービーをどうぞ
http://www.pinkfriend.com/


145 :天之御名無主:03/08/13 17:28
静岡県には愛鷹山って山があるがこれも蝦夷に由来する名でつか?

146 :つんく:03/08/14 19:20
http://elife.fam.cx/a011/




147 :山崎 渉:03/08/15 18:12
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

148 :天之御名無主:03/10/03 20:31
エミシの有名人アテルイ公は、大墓公という苗字?もってるけど
あれは朝廷側が勝手につけた苗字?なのかな? モレ公も持ってたよね。
知ってる人がいたら教えてたもれ(´人`)

149 :天之御名無主:03/10/07 14:23
>>145
 愛鷹山(あしたかやま)の名のいわれには諸説ありますが、「愛鷹」の字を
あてたのは徳川時代中期以降のようです。
 それ以前は、足高(アシタカ)葦高(アシタカ)などと書かれていました。

 鎌倉時代の「吾妻鏡」には 波志多山(ハシタやま)・鉢田山(ハチタやま)とも
書かれ、さらに天平時代の万葉集の中では愛鷹山を 師迫山(シハセやま)
師歯迫山(シハセやま)と呼んだともされています。

 アシタカの名の由来は、富士山の足元に聳える高い山である、との意味の
端高(ハシタカ)から転じたとの説や、小さな山の割には頂(いただき)が多いため、
鉢(頭蓋の事や兜の頭を覆う部分を指す)が多い、としての鉢多山(ハチタやま)が
転じたなどの説があります。

150 :天之御名無主:03/10/07 14:27
>>148
タモ(大墓)もイワグも地名からと考えられているのじゃなかったかな?
「公」はその集落の長で、村長とかの意味らしい。

151 :天之御名無主:03/10/07 15:29
>>150
そうか〜
天皇の臣下じゃないのに何故姓らしきものが
あるのか不思議だったのです。
回答、ありがとう(・∀・)

152 :天之御名無主:03/12/31 12:14
>>84
そー言えば昔何か(新聞?書籍?)で読んだんだが
明治のアイヌ同化政策で和名での戸籍登録を強制した時に、
道東(根室だったかなぁ)の由緒有る一族が
アイヌ語姓を直訳した「日の本」だか「日本」で登録しようとして揉めたとか何だとか・・。

道新だったかなぁ・・・

153 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

154 :天之御名無主:04/03/23 03:44
大和人じゃない人たち

155 :天之御名無主:04/03/26 16:42
>>71
東北の人って素朴と思いきや、特に東北北部の人って
すっごいド派手な衣装とか好きだよね。

156 :天之御名無主:04/03/30 00:30
奥州藤原三代って
末代になるに従い
顔が和人かするんだと
つまり縄文人が
3代かけて混血していったわけ。
しかし、結局頼朝に滅ぼされる運命に

源頼朝は名実ともに
征夷大将軍だった最後の将軍
位自体は征伐後だけどね。

157 :天之御名無主:04/03/30 00:31
会津=甲斐=蝦夷=カイ=アイヌ

158 :天之御名無主:04/03/30 00:32
蝦夷=エンチュウ=エッタ

159 :天之御名無主:04/03/30 00:36
>ずばり、朝廷に同化されることを拒んだ縄文人。
>同化されたのが東日本人。
>東日本人とアイヌが、明確に別の文化を作り出したのは
>鎌倉以降。


少数の倭人+高麗人+アイヌ=鎌倉期の板東人(関東人)

武士もこの系列から来たものと思われる。
平将門などは高麗人の子孫が現地化して朝廷に
従うことを拒んだものたちをつれて
反乱を起こしたのではないか。




160 :天之御名無主:04/03/30 00:54
>井上ひさしの「四千万歩の男」を読んだ。
>あまりにも大和民族のアイヌ民族に対する行為が悪く書かれすぎていたので
>途中で嫌になって読むのをやめた。
>本当に、この本に書かれているような事を、日本人はアイヌに対して行った
>のだろうか。
>事実であれば真摯に受け止めるが、捏造ということはないのか。
>誰か教えてください。

ある程度はたぶんアイヌ差別と殺戮はあったでしょう。
なにしろ生活習慣と顔形、言語すべて違ったわけですから。

必要最低限の戦争であったのは間違いない。
日本列島の北限まで追い詰めたのは明治になってからだし。
倭人が日本列島にやってきて少なく見積もっても1500年
長く見積もると2500年近くはたつのだろう。

沖縄人や明治の薩摩人、東北人など縄文人の血を色濃く受け継ぐ
者たちが現代まで生き続けてる。

そして現実として受け止めなければならないのは
近代に入り北海道にもロシアの手が伸びていたことを考えると
遅かれ早かれどこかの民族に吸収される運命ではあった。

日本という国は土着の民族と大陸からの避難民で成り立っている
国家であり古代からその影響を受け続けている。
だから移民による国家の痛みを和らげるために全国民を天照大神の子孫
ということにしたのだ。本当の出時にかんしては誰も語らない。


161 :天之御名無主:04/03/31 01:13
「(前略)インディアンの歴史はヨーロッパからの開拓者達による侵略の歴史である。
開拓者達は初めのうちは原住民であるインディアン達とも毛皮の交渉や現地のガイドとして使うなどを通してうまく付き合っていたが、敬虔なクリスチャンから見ると
彼等の行う呪術や儀式は不可解を通り越して奇異なもの、異様なものとして恐れられ、嫌われていくようになり、ついに彼等の土地で金が発見されると
開拓者達はインディアン達との協定を破り、彼等の土地を勝手に荒らしまわるようになった。
一部の部族と争いが始まるとそれは全米各地に広がっていき、白人とインディアンの間で多くの血が流れることになった。
現在彼等のほとんどは今でも点在するインディアンリザベーション(居留地)と呼ばれる国によって保護された区域に住んでいるが
そこは大体において辺境の地にあり,残念ながらその中での生活は非常に貧しいものとなっている。
どの部族にもあてはまるのがその根底に自然崇拝があるということ。(後略)
http://littlewolffilm.at.infoseek.co.jp/natural_at.html 」

ちょっと調べ物でネイティブアメリカンのページを見ていたらあった文なんだけど
蝦夷もこんな感じだったんじゃないかと、容易に想像できたんだが・・

162 :天之御名無主:04/03/31 12:39
実際見たことがないからどうか分からないけれど
似たような状況にあったことは否めないでしょうね。。

163 :天之御名無主:04/04/01 17:52
>161
まず蝦夷と倭人との戦力差がインディアンと白人ほど差があったとは考えにくい。
はじめ倭人が日本列島にはある程度の戦力差があったが
西日本一帯と東日本の一部を倭人が占領した時点で
稲作に適した土地をすべて奪ったのでとりあえず満足する。
その後、東北の蝦夷と交易があり関東や東北の蝦夷のほうも蕨手刀などを
開発して応戦している。

蝦夷と呼ばれるものを放逐するまで実質1000年以上を要していることからも
蝦夷と倭人の関係は、イギリスのケルトとアングロサクソンの関係に近い。

164 :出典:フリー百科事典ウィキペディア:04/04/01 18:49
ケルト人は、インド・ヨーロッパ語族のケルト語派に属する言語を話す民族
である。

もともと先史時代のヨーロッパに広く住んでいたが、ローマ人やゲルマン人
に圧迫されて西方に移動した。

現在その子孫は、アイルランドやフランスのブルターニュ地方、イギリスの
ウェールズ地方やスコットランドに住む。

その宗教は自然崇拝の多神教であり、ドルイドと呼ばれる僧侶がそれを
司っていた。


--

たしかに、ネイティブアメリカンよりはケルト人の歴史に近そうだな。

165 :出典:フリー百科事典ウィキペディア:04/04/01 18:49
そもそも蝦夷の子孫て絶滅してないの?

166 :天之御名無主:04/04/03 16:33
北東北の海沿いとかに明治以前から住んでるのは、
多分殆ど蝦夷の末裔。稲作に適さない土地の。


167 :天之御名無主:04/04/08 12:32
>165
蝦夷の文化を受け継いでいるものは絶滅してますが。
日本人自体には蝦夷の血が流れてます。
少なくとも他の東洋人に比べたら
日本人は体毛が濃く、くせ毛の
人も多い。

日本人の身体的特徴に顕著に現れてます。

168 :天之御名無主:04/04/09 11:22
実家は先祖代々北の果てで百姓やってて、
祖父は毛が背中まで生えてて、母親や親戚は
掘りが深いというか白人くさい顔してて、
自分はくせっ毛で毛が濃くて・・

これが先祖還りなのでしょうか(w

169 :天之御名無主:04/04/10 12:44
見事な先祖がえりだ。w

170 :天之御名無主:04/05/11 00:51
「蝦夷の地」に争乱の世紀 鉄やじり、縛られた人骨出土
http://www.asahi.com/culture/update/0505/002.html
------------------------------------------------------------------------------
青森県八戸市の平安時代後期の集落跡・林ノ前遺跡(10〜11世紀)から、
前例のない数の鉄のやじりと縛られた人骨などが出土した。激しい戦いの跡と見られる。
蝦夷(えみし)の地とされた北東北から北海道南部の集落は、近年の発掘でこの時期
百数十年にわたり、平地を避けて山頂や環濠(かんごう)の中に作られていたことが判明しており、
今回の発見でこの特異な集落形態は敵の襲撃に備えたものだったことが確定的になった。
吉野ケ里遺跡で知られる倭国(わこく)大乱や戦国時代に匹敵する長期の争乱社会が見えてきた。
                                       (アサヒ・ドット・コム 04/05/05)

171 :天之御名無主:04/05/11 00:52
(つづき)
発掘は青森県埋蔵文化財調査センターが03年まで4年間行った。やじりは約200点、
遺跡全域でまんべんなく見つかった。戦後回収される貴重品だったやじりの出土例と
しては空前の規模。人骨は10体見つかったが、埋葬されたものはなかった。両手・両足を
縛られた全身骨1体と、頭骨だけが3個も見つかった住居もあった。同センターは襲撃を受け、
激しい戦いの末に放棄された集落と見ている。

172 :天之御名無主:04/05/11 00:53
(さらにつづき)
朝廷は馬や砂金などを産する東北地方を支配しようと8〜9世紀に武力進出を繰り返すが、
盛岡市付近で停滞。10世紀になると、直接支配でなく朝貢を求める政策に転じる。
従来の通説は、この政策転換後、秋田、岩手で前九年合戦(1051〜62)が起こるまで、
この地域は平和が続いたとしてきた。防御性集落は政策転換後の10世紀後半に登場し、
奥州藤原氏の支配が及ぶようになる12世紀に姿を消す。

調査終了後、県道が開通し、遺跡は周辺の一部を除いて残っていない。

173 :天之御名無主:04/05/11 01:03
(これでおしまい)

〈工藤雅樹・東北歴史博物館長(考古学)の話〉
  無防備では危険で生活ができず、防御性集落を営まざるをえない社会があったことを
  実証する初の発見だ。この時代の蝦夷の地は平和だったと考えられてきたが、朝廷が
  歴史の編纂(へんさん)をやめたために記録が残っていないだけだ。大軍を差し向ける
  代わりに、朝廷は「夷(い)をもって夷を征する」政策をとった時代で、武器や食料の援助を
  めぐる朝廷側とのパイプの奪い合い、交易の富の争奪などが原因となり蝦夷内部の戦いが
  続いたのだろう。林ノ前での戦いは、前九年より少し早い11世紀の前半、集落の連合体同士
  といった規模が考えられる。
------------------------------------------------------------------------------


一部省略しましたが、実に興味深い新事実ですね。
学説論争に決着をつけるのは、いつだって状況証拠ではなく、物的証拠といういい例でもあります。
このスレにおける議論にもいくつかの論点整理になったのではないでしょうか?

 1. 蝦夷の生活圏: 元は平地民だったが、和人により山間部へと追いやられた
 2. 和人との混血: ある時期を境に、和人への朝貢等、積極的にすり寄った部族もある
 3. アイヌとの関係: 北東北から南北海道という居住域、山間生活習慣など共通点が多い

49 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)