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【加増取立】 秀吉の作った大名達 【転封取潰】

1 :日本@名無史さん:04/05/06 22:48
今まで弱肉強食で下克上の戦国時代を生き抜いて勢力を拡大していたのに

秀吉のおかげで領土を戻されてしまったり復活したり・・・

競争原理の働かない処遇を受けた大名達について語りましょう。


2 :日本@名無史さん:04/05/06 23:05
2desu

3 :日本@名無史さん:04/05/06 23:07
大友吉統とか?

4 :日本@名無史さん:04/05/06 23:22
蒲生氏郷



5 :日本@名無史さん:04/05/06 23:31
長曽我部は見事に巻き戻されたね?

6 :日本@名無史さん:04/05/06 23:33
津軽為信、安国寺恵けい

7 :日本@名無史さん:04/05/06 23:34
確かに千石秀久などなんで出世させちゃったのか判らない例も多いな
身を滅ぼした奴も居たし。

8 :日本@名無史さん:04/05/06 23:35
前田と徳川、毛利は同盟に近いから加藤・池田・福島・山内あたりが
パッと浮かぶが。もっとも関が原では東軍についたのも多いが。

9 :日本@名無史さん:04/05/06 23:39
伊達も地元は米沢や会津だったのに知らん土地に飛ばされた

10 :日本@名無史さん:04/05/07 06:28
確かに身分不相応な禄を受けて身を持ち崩した大名がたくさんいたよな

11 :日本@名無史さん:04/05/07 06:54
佐々とか?

12 :日本@名無史さん:04/05/07 09:22
毛利は本家以外に一門でどれだけ封土を持っていたのやら

13 :日本@名無史さん:04/05/07 09:41
隆景は独立大名だけど秀元や秀包も?

14 :日本@名無史さん:04/05/07 10:49
>>11
佐々はもともと先輩格でしょ。肥後は治難の地ということをわかってて
押し付けられた。案の定一揆が起きて切腹。秀吉の思うツボ。

15 :日本@名無史さん:04/05/07 11:39
加藤・福島は元々秀吉の家臣だからねえ。

>>13
秀包は隆景の養子という形だから、独立した領土を与えられたんじゃないかな。10万石くらいのはず。秀元は輝元の養子になったから
独立した大名ではないよね。

16 :日本@名無史さん:04/05/07 11:50
>7
仙石秀久をイメージだけでわかったような気になっているな。
実際勇猛だしけっこういい奴だったという逸話も多い

17 :日本@名無史さん:04/05/07 13:29
佐々は失敗したけど加藤と小西は成功した?

18 :日本@名無史さん:04/05/07 13:30
佐々がきれいに掃除してくてた後だからね

19 :日本@名無史さん:04/05/07 19:56
なんといっても木村吉清だろ

20 :日本@名無史さん:04/05/07 20:12
木村吉清は秀吉の子飼いでしょ?
佐々と同じように追い込むために大崎・葛西領を与えたのかな?
えろい人知ってたら教えて。

21 :日本@名無史さん:04/05/07 20:19
そうでしょ
いくらなんでも三万石から三十万石への加増、
家臣もいないし一揆起してくれと言っているようなもん

22 :日本@名無史さん:04/05/07 20:54
佐々の場合は、その経験を買っての起用といえるだろう
しかし、木村父子は一体・・・これほどの抜擢は他になかなか無いんじゃないだろか

23 :日本@名無史さん:04/05/07 21:26
しかも木村は秀吉子飼いじゃない
明智光秀の旧臣

24 :日本@名無史さん:04/05/07 21:27
>>20
独立した大名ではなく、秀吉の家臣ではあるが子飼いじゃない。
もともとは明智光秀の旗本。

あくまでも仮説ではあるが、どう見ても異常な抜擢であることから歴史家や小説家は
秀吉が最初から木村吉清が失敗することを狙って起用したという説がよく言われている。

『もともと奥州は一揆なども多く中央政権とは対立してきた歴史もある土地で、秀吉の
大勢力を前におとなしくはしているものの、「井の中の蛙」で中央政権の威光に
完全に服してはいない田舎大名も多い。
特に木村の与えられた土地は、問題児・伊達政宗の影響下にある土豪・地侍も多く、
ほかの大名を入れても騒動がいずれは起こる可能性が高い。
それなら、今のうちにあえて騒動を起こさせて叛乱分子を集めておいて一気に叩き
潰して、奥州人たちを屈服させ将来の叛乱の芽を積んでしまおうとした。』

というもので、そういう意味では「叛覆常ない小大名・土豪を一掃させるついでに
憎い相手の処分を狙ったといわれる、佐々に治難の地・肥後を押し付けた」という説と
同じやり方を取ったという見方が一般的。
佐々と木村の場合で違うのは、起用した武将が「失敗させたい憎悪の対象(佐々)」か
「必ず失敗して『ゴミ』の一掃作戦に使いやすい武将(木村)」かというところ。

25 :日本@名無史さん:04/05/07 21:27
豊臣時代の廃絶大名
http://wolfpac.press.ne.jp/haizetsu00.html

26 :20:04/05/07 21:37
レスありがとうございます。
木村吉清も可愛そうでつね。そういえば蒲生氏郷や加藤光秦も子の代
には減封されていますね。他の豊臣大名、特に織田家の家臣だった者
は危なかったかもしれませんね。

27 :日本@名無史さん:04/05/07 21:54
織田系の大物の二代目で潰されたり減封されてないのは堀秀治くらいか

28 :日本@名無史さん:04/05/07 22:53
池田や森吉成は?

29 :日本@名無史さん:04/05/07 23:46
子飼い武将って七本槍以外はあまりいい待遇受けてないね。
無能でももっと大切に扱っておけばああもあっけなく崩壊しなかったかも

30 :日本@名無史さん:04/05/07 23:51
親族が一番振り回されたよな

秀勝、秀次、秀保の兄弟とか

31 :日本@名無史さん:04/05/08 00:03
木村吉清は改易された後また小禄で復活してるんだな。
関ヶ原で西軍についてまた没収されてるけど。

で、息子は浪人して大坂の陣で豊臣方になって戦死か。
波乱万丈だな。

32 :日本@名無史さん:04/05/08 06:25
立花宗茂も大友は以下から独立している。

小早川とかと同じ?

33 :日本@名無史さん:04/05/08 10:18
急造大名の哀れな末路

34 :日本@名無史さん:04/05/08 12:23
御子田正治は哀れな最期だな

35 :日本@名無史さん:04/05/08 12:38
>21
石高の上がり方で言うと、加藤清正も極端な上がり方をしてる。

>32
立花は、大友が自ら秀吉に推薦して、独立した大名になったと言われてるよね。

36 :日本@名無史さん:04/05/08 12:40
秀吉取り立て大名で身を持ち崩した最たる者は小早川秀秋だね。
兄貴の家系は木下家として幕末まで残ってるのに、なまじ大大名になったばかりに。

ところで小早川秀秋の死って自然死でいいの?

37 :日本@名無史さん:04/05/08 13:30
子飼いじゃないが建部寿徳のように秀吉に重宝されながらも
大名として幕末まで生き延びた奴もいる。秀吉に取り立てら
れた大名でも小藩は結構生き延びているよ。

38 :日本@名無史さん:04/05/08 15:10
>>34
尾藤知宣と双璧だな。
一族郎党込みなら前野家もなかなかのもんだが。

39 :日本@名無史さん:04/05/08 20:04
木下とか小出とか
秀吉の縁者でも明治まで残ってるしな

40 :日本@名無史さん:04/05/08 20:22
秀次事件に連座した連中も悲惨

41 :日本@名無史さん:04/05/08 20:43
全体的に見ればもともと秀吉の直臣自体少ないところに秀次事件でさらに減少。
足りない手駒を転封で繰り回しつつ秀吉の領土を運営するも基盤が安定しない
うちに関ヶ原とその後の大名廃絶政策で大物がすべて消滅。残ったのは
何の害もない小物ばかりにというあたりか。
古参中の古参ながら相当の石高で生き残った蜂須賀家は奇跡のようなもの。

42 :日本@名無史さん:04/05/08 22:23
>>41
蜂須賀家は早いタイミングで世代交代したからね。
田舎の四国で中央政界のややこしい駆け引きに首をつっこまなかったのも
幸いしたと思う。

43 :日本@名無史さん:04/05/08 22:39
>>41
>古参中の古参ながら相当の石高で生き残った蜂須賀家は奇跡のようなもの。

それは間違ってる。
蜂須賀なんて小六の子孫なんて早いうちに絶えて、徳川親藩などから養子を
もらいまくって、譜代・親藩扱い。
織田・豊臣系で幕末まで残っている藩の多くが、徳川氏やその親藩・譜代との
婚姻か養子で、ほとんど外様じゃなくなってる。

養子もらってない織田・豊臣系の大物大名なんて浅野ぐらいじゃないかなぁ?



44 :日本@名無史さん:04/05/08 23:09
>>43
(他家からの)養子をもらってない織豊系大大名、ってことでいえば
細川・藤堂・山内あたりか

45 :日本@名無史さん:04/05/08 23:28
>>43
無嗣断絶でお取り潰しになるよりは主君の血統が絶えても
養子を取ったほうが幕府へも媚びを売れるからプラス、というのが
当時の生き残り策だったのかね?

46 :日本@名無史さん:04/05/08 23:44
>>45
蜂須賀の場合、養子を取りだしたのは江戸中期以降だから
初期における無嗣断絶の嵐を乗り越えたのは評価できるのでは

末期養子の禁が解かれてからは無嗣断絶はほとんど無かったような
将軍家や御家門譜代から養子を貰ってくるのは当然御家安泰&家格上昇などのためでしょう

47 :日本@名無史さん:04/05/09 07:14
もう少し時間があれば身内から五十万石級の有力大名が出せたろうに

外様が政権運営しているんだから

48 :日本@名無史さん:04/05/09 08:50
太閤創作の大名で大藩を明治まで維持できたのは
  広島42万石 浅野家 
  福岡52万石 黒田家 
  徳島25万石 蜂須賀家
  


49 :日本@名無史さん:04/05/09 09:24
里見。
小田原参陣に遅れてきたって理由で上総召し上げられ、安房一国に戻された。
里見より遅れてきて沙汰なしの大名は多数いたのに。

50 :日本@名無史さん:04/05/09 11:04
上の3家の石高にあげたのは家康じゃん

51 :日本@名無史さん:04/05/09 11:12
ここの連中、国持大名の地位が分かってない奴大杉。
レベル低いスレだね。


52 :日本@名無史さん:04/05/09 15:59
九州もほっときゃ島津に潰されていたような大名がたくさん生き残ったな

53 :日本@名無史さん:04/05/09 17:43
東北もね

54 :日本@名無史さん:04/05/09 19:03
四国も長宗我部が統一しかかっていたけど土佐に戻されちゃったよね?
他の三国は誰のもの?

55 :日本@名無史さん:04/05/09 19:15
>>54
四国征伐後の国割りは

讃岐・・・仙石秀久、三好存保
阿波・・・蜂須賀家政
伊予・・・小早川隆景

だったと思うが、讃岐と伊予は小大名がいたような気がする
誰か補完よろピク

56 :日本@名無史さん:04/05/09 19:17
>>55
伊予は加藤嘉明

57 :日本@名無史さん:04/05/09 19:41
河野とかもね

58 :日本@名無史さん:04/05/09 19:44
仙石秀久=チンカス

59 :日本@名無史さん:04/05/09 20:12
しかし石田三成が加藤清正や福島正則ともう少し上手くやってりゃ政権取れたのにな。

あのとき三成と家康はちょうど信長死亡時の秀吉と柴田勝家の位置にあったのに。
もっとも上手くやれなかったあたりがこの男の能力の限界だったわけだが。
ポスト秀吉のことなど考えなかったのだろうか?

60 :日本@名無史さん:04/05/09 23:18
>>59
三成は武功がないのが決定的。武断派からみれば口先だけで
成り上がったおべっか野郎としか見えない。

61 :日本@名無史さん:04/05/09 23:41
>>56
加藤嘉明が伊予に領地を貰ったのはもっと後だろ

>>57
河野は取りつぶされたろ

62 :日本@名無史さん:04/05/10 02:34
>>55
秀吉の四国征伐直後は、小早川隆景が伊予一国すべて知行している。
その後、小早川を筑前・筑後へ移し、伊予は複数の大名に分割された。
ちなみに、隆景死後の小早川領は、筑前を秀秋、筑後を秀包が知行する形になって関ヶ原に至る。


63 :日本@名無史さん:04/05/10 02:35
>>44
岡山池田家も初期の血筋を幕末まで維持しているのでは?

64 :日本@名無史さん:04/05/10 16:06
三成は朝鮮で武功を挙げたのでは?

65 :日本@名無史さん:04/05/10 19:37
奉行として参加した。
ので、直接戦ったわけではない。

66 :日本@名無史さん:04/05/10 20:28
直接戦っている。負傷もしている。

67 :日本@名無史さん:04/05/10 20:53
3合戦に参加

68 :日本@名無史さん:04/05/10 21:23
いきなり大禄を貰っても家臣はどうしてたんだ

地元で雇う?

69 :日本@名無史さん:04/05/10 21:40
>>66-67
教えてチャンで済まぬが
教えて(汗

三成の戦って忍城で姫に翻弄された戦いと関ヶ原ぐらいしか思い浮かばない

70 :日本@名無史さん:04/05/10 22:16
>>62
伊予は来島だけ安堵されてるみたいね
阿波には赤松則房が小禄ながらも食い込んでる模様
つーわけで、四国征伐後の国割りは

讃岐・・・仙石秀久、三好存保
阿波・・・蜂須賀家政、赤松則房
伊予・・・小早川隆景、来島通総

>>63
茂政は水戸家の出だが、次の章政が支藩からの養子ですか
なるほど


71 :日本@名無史さん:04/05/10 22:23
>>68
三成は、蒲生浪人や秀次遺臣などを採用したようだが

72 :日本@名無史さん:04/05/11 00:14
>>68
以下のスレは、江戸期の大藩の家老についてのものだが、戦国〜織豊期に成り上がった家も結構あるので、多少参考になるかも。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1083691712/l50

73 :日本@名無史さん:04/05/11 06:47
加藤嘉明も藩の拡大に家臣の拡大が追い付かずに身を持ち崩した構図?

74 :日本@名無史さん:04/05/11 11:54
小早川隆景ってえらい高評価だったようだけどそんなに
人物が優れていたの?

75 :日本@名無史さん:04/05/11 14:38
秀吉のカウンターパートだから親近感があったんじゃない?

76 :日本@名無史さん:04/05/11 20:58
猿吉は人の家来をたらしこむのが大好きだからな。

77 :日本@名無史さん:04/05/11 21:50
離間策と言えるのか?

石川数正、小早川隆景、立花宗茂・・・

78 :日本@名無史さん:04/05/11 22:25
直江兼続
佐竹義久

79 :日本@名無史さん:04/05/11 22:28
伊集院に鍋島
溝口に村上

80 :日本@名無史さん:04/05/12 13:06
直江に対しては離間策というのは、あるかもしれないよね。いくらなんでも、30万石も
やれってのは異常だからね。

鍋島は違うでしょう。鍋島が竜造寺家を仕切るということは、秀吉に関係なく、竜造寺家の総意としてきまったわけだから。

81 :日本@名無史さん:04/05/12 16:32
急造大名の家老はどこから来ている傾向が強いのかな?

秀秋の家老の平岡は隆景時代からの家臣?

82 :日本@名無史さん:04/05/12 16:51
>>80
井沢元彦が鍋島簒奪説を小説でぶちあげたのは電波?

83 :日本@名無史さん:04/05/12 16:53
たしか、葉隠三百年の陰謀
という奴だな。

84 :日本@名無史さん:04/05/12 18:26
島津も分割されているんだよな
すぐ統一されたんだけど

85 :日本@名無史さん:04/05/12 20:31
電波っつうか小説家だから

86 :日本@名無史さん:04/05/12 21:25
平岡から秀吉からの派遣でつ。

鍋島も家臣の総意以上に秀吉の意向が働いたはずです。鍋島の知行地
は秀吉の直接指示でしたし、鍋島が下克上すれば政家だけでなく一族
も本音では納得できないはずです。

87 :日本@名無史さん:04/05/12 21:51
小早川隆景の格が異様に高いのは西日本に徳川家康と対抗できる
大名が必要だったが、毛利輝元だけではやや力量不足だったからでは
ないのかな?

88 :日本@名無史さん:04/05/13 03:14
>>87
豊臣政権下の吉川・小早川は独立大名扱いでしょ。

89 :日本@名無史さん:04/05/13 07:01
紀伊は誰の封土だっけ?

90 :日本@名無史さん:04/05/13 07:21
丹羽長重

1585 140万石(越前・若狭・加賀)

同年 12万石(若狭)

1587 4万石(加賀松任)

1595 12万石(加賀小松)

1600 領地没収

1603 1万石(常陸古渡)

1619 2万石(常陸江戸崎)

1622 6万石(陸奥棚倉)

1627 10万石(陸奥白河)

91 :日本@名無史さん:04/05/13 12:27
立花と丹羽はだいたい似たような経過で復活してますね。立花も最初棚倉で1万石?もらったし。
二人とも御伽衆?だっけ。

棚倉ってひどいところだったらしいね。よく懲罰的な転封先に使われてる。

92 :日本@名無史さん:04/05/13 12:33
棚倉出身ですが何か?

まあ確かに今も財政難だが。

93 :日本@名無史さん:04/05/13 20:16
>>90
140万石は大杉ではなかろうか
加賀も一国支配ではなかったし

94 :日本@名無史さん:04/05/13 20:33
123万石らしい

95 :日本@名無史さん:04/05/13 20:36
北陸って土地が豊かなんだねー

96 :日本@名無史さん:04/05/13 20:52
加賀120万石というくらいだからな

97 :日本@名無史さん:04/05/13 22:08
まぁ、太閤検地鵜呑みにすると能登加賀越中三国足しても百万いくかいかないかなんですけどね。

98 :日本@名無史さん:04/05/13 22:29
>>90
見事に二次関数の曲線を描いてるな。

99 :日本@名無史さん:04/05/13 22:42
秀長の百万石もどこから出ているの?

100 :日本@名無史さん:04/05/14 00:08
(^ー^)/ 100!(このネタだとこの辺が折り返し地点?)


>>99
日本

101 :日本@名無史さん:04/05/14 03:30
>>99
大和・和泉・紀伊で110万石

102 :日本@名無史さん:04/05/14 06:54
七本槍の加増減は?

103 :日本@名無史さん:04/05/14 07:24
>>93 >>94
実際は越前一国程度で50万石ほど。

104 :日本@名無史さん:04/05/14 08:39
>>103
とすると 
丹羽長重 1585 140万石(越前・若狭・加賀)
というのは、丹羽家の「むかしは 140万石も もらっていたのにぃぃぃ!
今 0だなんて やりすぎだと思いませんか? ねぇ みなさん」

という プロパガンダなのかもしれない

105 :日本@名無史さん:04/05/15 04:36
49.9+8.5+35.5

106 :105:04/05/15 04:38
ミスった
とりあえず、越前+若狭+加賀全土併せても93,9万石、と書こうとしてた。

107 :日本@名無史さん:04/05/15 08:58
急拡大した大名は直心を家老に格上げしているのでしょうか?

108 :日本@名無史さん:04/05/15 09:48
んじゃ前田の加賀120万石も嘘か?

109 :日本@名無史さん:04/05/15 11:45
蒲生は何万石から何万石?

110 :日本@名無史さん:04/05/15 12:26
伊達政宗が丹羽のような目にあったら何ていうかなぁ…

111 :日本@名無史さん:04/05/15 12:30
丹羽のどの段階のこと?
政宗も秀吉にかなり取り上げられたけど

112 :日本@名無史さん:04/05/15 13:19
>>111
>>90参照

113 :日本@名無史さん:04/05/15 14:21
>>110
あと20年はやく生まれてたら…

と泣き言

114 :日本@名無史さん:04/05/15 16:55
伊達は縮小されたんだっけ?

115 :日本@名無史さん:04/05/15 17:15
>>114
奥州仕置で会津領他を召し上げられている
それと、岩出山転封は事実上減封だろう

116 :日本@名無史さん:04/05/15 18:46
>>115
さらにもう一段減封して、津軽家並みにしておけば秀吉も家康ももっと安心して暮らせたの
にね。

117 :日本@名無史さん:04/05/15 20:17
あるいは本家を削って家臣を独立させるとか

118 :日本@名無史さん:04/05/16 03:21
>>117
大友みたいに?
但し、大友の場合、本家は改易、独立した家臣も関ヶ原でほとんどアボーン。
のちに立花のみ大名で復活。

119 :日本@名無史さん:04/05/16 11:21
維持に失敗した大名は何人ぐらい?

120 :日本@名無史さん:04/05/16 14:30
たくさん

121 :日本@名無史さん:04/05/16 15:01
毛利秀元ってどんな感じ?

秀吉が長生きしていたら独立大名になりそうな感じだけど。

122 :日本@名無史さん:04/05/16 15:51
>>116
秀吉も家康も伊達を「ヤンチャ小僧」程度にしか考えてませんよ。

>>121
秀元の所領については、直江と同じく秀吉が口を出しているから、独立させるほどには
干渉しないでしょ。

123 :日本@名無史さん:04/05/16 18:16
所領を細切れにしちゃった国は何か意味あるんでしょうか?

信濃とか美濃とか

124 :日本@名無史さん:04/05/16 19:36
>>123
意味があるのかというよりも、そうせざるを得ない。
何故ならば元々が山深くて集落は離れ交流が薄い。だからそれぞれの勢力は
お互いに一国の共同体という認識も薄い。そしてこれらの地方は武田や斎藤
(織田)、豊後の大友もそうだが、統一勢力が既にアポーンしてしまっている。
統一勢力の歴史自体も浅い。

そんなところに余所者の統一勢力を置ける訳がない。
要所でそれなりの石高を持っている地域に人を細々配置するのが精々。

125 :日本@名無史さん:04/05/16 20:01
信濃は一つの国とされていることが不自然だよなぁ。
地域的なまとまりで言えば3〜4国に分けた方がしっくりくる。
王朝時代の信濃国司はきちんと全地を掌握できたんだろうか?

126 :日本@名無史さん:04/05/16 20:13
古代中国の斉みたいなものか

127 :日本@名無史さん:04/05/16 20:19
むかしは諏訪国があった

128 :日本@名無史さん:04/05/16 20:23
>>124
織田にしても武田にしても、「余所者の統一勢力」だったが無難に治めてたじゃん。
何で豊臣の治世になると駄目になっちゃうんだ?

129 :日本@名無史さん:04/05/16 20:27
>>128
ほんの2〜30年でしょ。長い目で見ると。

130 :日本@名無史さん:04/05/16 20:36
>>129
2〜30年も無難に統治されていたという歴史があるのに、
豊臣の治世になるとなんで統一勢力をおくことが出来なくなるんだろう??

131 :日本@名無史さん:04/05/16 21:02
あえてそんな大勢力をおく必要があるのかよ。

132 :日本@名無史さん:04/05/16 21:18
あえておく必要はないがおかない理由にもならない
ってか平地がそんなに散ってる国って信濃くらいだろ。



133 :日本@名無史さん:04/05/16 21:59
陸奥国は?

134 :日本@名無史さん:04/05/16 22:37
武田や大友は決して無難に治めていた訳じゃないし、
戦国時代は無茶できるけど、豊臣の時代になってからは
失政を咎めらるんじゃない?

135 :日本@名無史さん:04/05/16 22:51
徳川時代は治まってたんじゃないの。

136 :日本@名無史さん:04/05/16 22:52
>>135
徳川勢力圏は南信濃のみ。

137 :日本@名無史さん:04/05/17 06:23
美濃は平坦だけど分割
すでに分割は豊臣時代から?

138 :日本@名無史さん:04/05/17 12:18
京都と江戸の連絡路だからあんま大勢力置きたくなかったんじゃない?

139 :日本@名無史さん:04/05/17 14:40
>>134
>武田や大友は決して無難に治めていた訳じゃないし、

彼らの時代は伝統的な有力豪族が残ってたからでしょ。

140 :日本@名無史さん:04/05/17 20:47
っていうか、基本的に無難に治めてたんじゃないか?武田も大友も。
反乱、内通が起きたのはヤバくなってからだし。
少なくとも

>何故ならば元々が山深くて集落は離れ交流が薄い。だからそれぞれの勢力は
>お互いに一国の共同体という認識も薄い。

こういう理由ではないだろう。

141 :日本@名無史さん:04/05/17 22:25
信濃や美濃のように小領主が分立していたところは分かるんだが
なぜに豊後は大友改易後、細切れに小大名が封じられたのだろうか

142 :日本@名無史さん:04/05/18 00:11

土地が空いたから小身者の新造大名を詰め込んでみた、ってだけじゃないの?

143 :日本@名無史さん:04/05/18 00:14
>>141
地理的に分割しやすいとか、東北のような貧しい土地と異なり豊かだから細切れにしてもなんとかなるとか
大友の中心地を細切れにすることで豪族の分断を図ったとか、逆に地付きの豪族の勢力が弱いとか
(肥後のような土地で小さい所領だと土豪が一斉蜂起したときに負ける恐れがある)考えられる理由は
いくらでもある。
でも、そんなに深い理由はないんじゃないかな。

豪族連合だった常陸を佐竹に与え、それらの豪族を集めて皆殺しを許して常陸統一をさせたのは、
家康や伊達などに対抗する勢力を作り出しバランスを取るためだけど、逆に九州西部や東部に
小〜中規模の大名を置いたのは、土地が豊かなので自分に近い者たちにそこそこの土地を与えて
沢山大名を作ることが目的なんじゃない?

144 :日本@名無史さん:04/05/18 07:36
大友の跡地は恩賞用だからつぶがちいさくなったんでしよ

145 :日本@名無史さん:04/05/18 20:28
そか

146 :日本@名無史さん:04/05/18 22:18
信濃は、よそから入国した勢力で、1国1大名じゃ治めるのは無理でしょう。
まあ、地元の勢力で信濃1国を統一しているような大名がいれば話はべつだったかも知れないが。

147 :日本@名無史さん:04/05/18 23:26
平地が分散してるだけだから治めれんことはないだろう。
小国を数ヶ国与えられたようなもの。

148 :日本@名無史さん:04/05/19 06:42
一盆地一大名制

149 :日本@名無史さん:04/05/19 06:49
>>147
>小国を数ヶ国与えられたようなもの。

小国でもいいから数カ国を与えられている大名が、織豊政権下で何人いるんだよ。
普通の感覚ならこんなもんだろ。
1ヶ国をすべて領知・・・かなり大大名
2ヶ国以上領知・・・超有力大名


150 :日本@名無史さん:04/05/19 08:27
大坂を首都にした豊臣政権としては
美濃尾張に大身の親藩を置きたいところだか
人材がいないな清正か

151 :日本@名無史さん:04/05/19 12:06
>>149
「国」という単位に拘っても仕方ないとおもわれ。
石高は全く違うが志摩一国も陸奥一国でも同じく国なんだから。


152 :日本@名無史さん:04/05/19 22:45
>>150
福島は…

153 :日本@名無史さん:04/05/19 22:55
福島でもいいがてなづけられるからな

154 :日本@名無史さん:04/05/19 22:56
秀吉の登用で大大名でも経緯できそうな人材は?

加藤、石田、大谷ぐらいかな?

155 :日本@名無史さん:04/05/19 23:55
浅野幸長なんかもっと加増していたなぁ

156 :日本@名無史さん:04/05/20 08:18
宮部継潤なんかただの糞坊主だぜ

157 :日本@名無史さん:04/05/20 08:41
豊臣は人材が少ないよな

158 :日本@名無史さん:04/05/20 12:20
豊臣は、譜代の家臣がいないからねえ。七本槍でさえ、まともに登用されたのは、加藤・福島だけなんだから。
そう言う意味で、徳川みたいな政治組織を作ること自体が無理だったよね。

159 :日本@名無史さん:04/05/20 12:54
>>158
例え外から色々人材を引き抜いても、そこから先、つまり人材の間での
連携や上下関係を彼らの力で自然に形成させるのは困難。例え業績を
上げてもお互いに足を引っ張り合ったりする。結局、関係を用意して組織
に纏め上げるのはトップに一任させられてしまいワンマン体制に。また、
トップがヘタを打ったり死んだりすれば、あっという間にバラバラになって
しまう。譜代が多かったら、お互いの家格や実力が認知されているから
トップからあれこれしなくても纏まる面があるのだが。

このことだけでも、恒久的な政治組織を形成をすることは秀吉には無理
だったろうね。

160 :日本@名無史さん:04/05/20 14:07
>>158
五奉行がもう少しちゃんと人望と権限持ってればと思うんだが。

161 :日本@名無史さん:04/05/20 15:24
五奉行の上に五大老を置いたのは結果的にはまずかったのでは

162 :日本@名無史さん:04/05/20 19:59
しっかりとした後継者がいて、スムーズにバトンタッチできていれば
また違った展開にもなっていたんだろうけど

163 :日本@名無史さん:04/05/20 20:20
>七本槍でさえ、まともに登用されたのは、加藤・福島だけなんだから
万石取りにまで抜擢されてるんだから、まともに登用されてると思うんだけど
両加藤や福島が異例すぎるほど出世したからそう見えるのでは?

164 :日本@名無史さん:04/05/20 21:11
>162
それはいえる。

165 :日本@名無史さん:04/05/20 21:59
秀次…

166 :日本@名無史さん:04/05/21 06:00
逆に秀吉の個性の凄味を感じるな

167 :日本@名無史さん:04/05/21 08:15
>163
秀吉のやり方を見ると、気に入った者にはどんどん知行をやってるんだから、
数万石っていうのは一応大名にしてやったって程度だと思うけど。かといって家康のように自分の側近として
政治的な仕事をさせたわけでもないし。ほんのちょっとしかいない子飼いなのに、外様のその他大勢とあまり変わらない扱いのように思うけどねえ。

168 :日本@名無史さん:04/05/21 14:44
黒田や細川は身内といっていいのだろうか?

169 :日本@名無史さん:04/05/21 15:28
>>167
家康だって子飼いの出世には遠慮しながらやってたでしょ。
外様を巻き込んで政権を維持してるので、どっちかを我慢させるとなると子飼いの
方が言いやすいんだよ。

徳川は家康の以降も政権を維持できたので、数百年がかりでも約束通り後々には子
飼いを優遇してあげることも出来たけど豊臣はその前に勢力を失っただけ。

逆に徳川にとっては外様となった豊臣子飼いの中に異常出世者が一時期だけ台頭し
た。

170 :日本@名無史さん:04/05/21 17:24
だから、石高だけじゃなくて、幕閣で登用されたりって意味。石高は少ないけど、命令する側として外様の上に君臨したわけでしょ。
もちろん、将軍の側近としてって形だけど、結局小大名の老中たちに頭が上がらないわけだから。

徳川にせよ豊臣にせよ、子飼いで最初から石高が多いのは、戦闘要員。戦闘が起こったときの抑えの意味でそれなりの兵力を預けられたっていうことだと思う。




171 :日本@名無史さん:04/05/21 17:30
秀吉政権の場合は外様で維持というより政権に参加させている。

172 :日本@名無史さん:04/05/21 19:34
友達も少ない

173 :日本@名無史さん:04/05/21 21:31
秀次の処罰をうまくやれば政権維持できたかな?
子供も居たよね?

174 :日本@名無史さん:04/05/22 00:19
>>170
それはあくまで将軍の名前での命令。
石高だけでなく官位で考えても、譜代大名は外様の大大名よりも下。

175 :日本@名無史さん:04/05/22 00:23
>>161
三中老はどうよ?

176 :日本@名無史さん:04/05/22 00:47
三中老の制度って本当にあったの?
なかったという説もあるけど。

177 :日本@名無史さん:04/05/22 01:44
三中老って誰と誰と誰?
なんで教科書に載ってないの?

178 :日本@名無史さん:04/05/22 02:07
>>177
>>176

179 :日本@名無史さん:04/05/22 02:28
三老中?
秀吉政権にも老中がいたんですか?

180 :日本@名無史さん:04/05/22 04:36
堀尾中村生駒だっけ?
三家とも江戸時代に徳川に潰されてますね。
生駒は旗本になったけど。

181 :日本@名無史さん:04/05/22 07:27
調整機関だからなぁ。。。

182 :日本@名無史さん:04/05/22 08:31
豊臣本家の財力だけでナントカなると思ってたんじゃないか?

183 :日本@名無史さん:04/05/22 08:56
豊臣家に一人でも前途有望な若者がいたらなぁ・・・殺されていたか?

184 :日本@名無史さん:04/05/22 09:17
>>183
豊臣家の最期は結局後継者問題をうまく乗り切れなかったというところに
行き着くんだよね。

185 :日本@名無史さん:04/05/22 09:23
秀次が生きていたらどれだけの親豊臣系の人材が支えてくれていたろうか・・・

186 :日本@名無史さん:04/05/22 10:49
随分処刑したもんなー

187 :日本@名無史さん:04/05/22 11:11
秀次処分しないと、秀次vs秀頼になったと思う。


188 :日本@名無史さん:04/05/22 11:56
>>180
潰されたといっても、堀尾中村は無嗣断絶だからなぁ

189 :日本@名無史さん:04/05/22 12:24
豊臣の大名で、ほんとに幕府の陰謀の形で潰されたのは、福島、加藤くらいじゃない?

190 :日本@名無史さん:04/05/22 12:27
無嗣断絶も陰謀のようなものだけどねえ

191 :日本@名無史さん:04/05/22 15:41
親豊臣勢力の確立に失敗したというより、ただ単に内紛で潰れただけじゃん

192 :日本@名無史さん:04/05/22 17:40
親戚は?

193 :日本@名無史さん:04/05/22 19:01
>>189
秀秋はかなり怪しいと思う

194 :日本@名無史さん:04/05/22 20:18
>>192
・秀吉の身内
秀次兄弟→自滅
・秀吉の親戚
福島、加藤(清正) →徳川に潰される
・北政所の親戚
浅野→存続
 幸長の死後、弟の長晟が継ぐ。当時、後家だった家康の娘38歳に嫡子を産ませた。
 (年増相手に頑張った)ことで存続。
木下2家→存続
秀秋→毒殺?

親戚はこれくらいかな?


195 :日本@名無史さん:04/05/22 20:44
青木は?

196 :日本@名無史さん:04/05/22 21:47
青木?親戚なのか?

197 :日本@名無史さん:04/05/22 21:50
これか。
微妙だな。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/aoki_2k.html

198 :日本@名無史さん:04/05/22 21:58
木下でも良いから取り立てていれば

199 :日本@名無史さん:04/05/22 22:10

ttp://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihu/aoki/aokiitizoku1.htm

これによると松平氏や蒲生氏とも縁戚関係があるようだねえ。 >>青木氏

200 :日本@名無史さん:04/05/22 22:52
たしか、青木家と小出毛は秀吉の遠戚のはず。
私は、秀次は愚者じゃなかった、という考えです。近江八幡の城下町作りの評価しかり。
文に通じてた説しかり。恐らく殺生の話の殆どは捏造でしょう。
しかし、稀に見る天才的武将だった秀吉が、のち、武将としての(軍事力としての)
資質では、決定的に薄い秀次が、子宝に恵まれ、いずれ自分が築いた全てを継承し、関白秀次家に取られていく事へ
の、どうしようもない嫉妬、これが全てと思います。
長い豊臣政権の先駆者として、「ごくろうさん」。これでは、我慢ならなかったのでは?

201 :日本@名無史さん:04/05/22 23:10
秀頼さえ生まれなければ・・・

202 :日本@名無史さん:04/05/22 23:20
秀吉の一門で、もっとも有能なのは、やはり秀長か。 その次は秀次でしょう。
?なのは、血を残した(小吉)秀勝。 忙殺されたらしい、秀保。これらは、一様に言われるように凡人だったのか?
まあ、小早川秀秋(木下秀俊)は、愚物だろうが。

203 :日本@名無史さん:04/05/22 23:35
>>202
秀次兄弟は所詮 百姓の子として育ったわけで・・・
急に大名になっても無理でしょ。

204 :日本@名無史さん:04/05/22 23:44
秀吉は、百姓の出、気性も趣味も確かに百姓。
しかし、秀次兄弟が、物心つく頃、秀吉は、信長の一方面司令官たる部将です。
と言う事は、譜代の教育係がない事、清正ら子飼いも俄かざむらいだった事の方が
大きいカモシレナイ。が、武家羽柴家の一門として、実際に、育ちは百姓ではない。

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