5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【みんな大好き】家老・一門スレッド【うきうき】

1 :長大隈守:04/05/05 02:28
家老と君主の一門について語るスレッドです。
個人的には大藩の大身家老に興味あります。

2 :長谷部タイ子:04/05/05 08:37
導尿カテーテル2げと

3 :日本@名無史さん:04/05/05 21:34
浅野 忠純(男爵・広島藩家老) 浅野家一門 備後三原3万石
浅野 守夫(男爵・広島藩家老) 浅野家一門 備後東城1万石
荒尾 之茂(男爵・鳥取藩家老) 伯耆米子1万5000石
荒尾 嘉就(男爵・鳥取藩家老)  伯耆倉吉1万2000石
有吉 立礼(男爵・熊本藩家老) 1万8000石
安藤 直行(男爵・和歌山藩  ) <諸侯>三家付家老 紀伊田辺 38,800石
伊賀 氏広(男爵・高知藩家老) 土佐宿毛6800石
伊木 忠愛(男爵・岡山藩家老) 備前虫明3万3000石
池田 政和(男爵・岡山藩家老) 3万石
池田 博愛(男爵・岡山藩家老) 1万石
池田 長準(男爵・岡山藩家老) 2万5000石
諌早 家崇(男爵・佐賀藩家老) 肥前諌早2万2500石
石川    (  ・仙台藩   ) 陸奥角田
石河 光熙(男爵・名古屋藩家老) 美濃駒塚1万石
稲田 邦稙(男爵・徳島藩家老) 淡路洲本1万4500石
今枝 直規(男爵・金沢藩家老) 1万2000石
上田 亀次郎(男爵・広島藩家老) 安芸小方2万石
奥村 栄滋(男爵・金沢藩家老) 1万7000石
奥村 則英(男爵・金沢藩家老) 1万2000石


4 :日本@名無史さん:04/05/05 21:35
賀島 政一(男爵・徳島藩家老) 阿波牛岐1万石
片倉 景光(男爵・仙台藩家老) 陸奥白石3万石
吉川 経健(子爵・山口藩   ) <諸侯>周防岩国 60,000石
木俣 畏三(男爵・彦根藩家老) 1万石 
国司 直行(男爵・山口藩家老)
久野    (  ・和歌山藩  ) 伊勢田丸
黒田 一義(男爵・福岡藩家老) 筑前三奈木1万6000石
小松 帯刀(伯爵・鹿児島藩家老)
米田 虎雄(男爵・熊本藩家老) 3万石
佐竹 義雄(男爵・       ) 秋田佐竹家一門
佐竹 義尚(男爵・       ) 秋田佐竹家一門 出羽角館1万石
佐竹 義準(男爵・       ) 秋田佐竹家一門 
佐竹 義遵(男爵・       ) 秋田佐竹家一門 出羽大館7200石
沢村 重(男爵・熊本藩家老) 1万1000石
宍戸 乙彦(男爵・山口藩家老) 周防三丘1万5000石
斯波 蕃(男爵・金沢藩家老) 1万石
島津 珍彦(男爵・鹿児島藩)  島津家一門 薩摩重富1万4060石
島津 隼彦(男爵・鹿児島藩)  島津家一門 薩摩出水1万5000石
島津 久賢(男爵・鹿児島藩)  島津家一門 大隈加治木1万石
島津 久明(男爵・鹿児島藩)  島津家一門 薩摩日置7700石
島津 貴暢(男爵・鹿児島藩)  島津家一門 大隈垂水1万8000石
島津 長丸(男爵・鹿児島藩)  島津家一門 薩摩宮之城1万7000石
島津 久家(男爵・鹿児島藩)  島津家一門 日向都城3万9617石
清水 資治(男爵・山口藩)    2600石


5 :日本@名無史さん:04/05/05 21:38
多久 乾一郎(男爵・佐賀藩家老) 肥前多久1万石
竹腰 正己(男爵・名古屋藩)  <諸侯>三家付家老 美濃今尾 30,000石
伊達 正人(男爵・仙台藩家老) 陸奥岩出山1万4600石
伊達 邦成(男爵・仙台藩家老) 陸奥亘理3万石
種子島 守時(男爵・鹿児島藩家老) 1万石
長 克連(男爵・金沢藩家老) 3万3000石
藤堂 高成(男爵・安濃津藩)  藤堂家一門 伊賀名張1万5000石
土倉 光三郎(男爵・岡山藩家老) 1万石
中山 信実(男爵・水戸藩)    <諸侯>三家付家老 常陸松岡 25,000石
鍋島 直明(男爵・佐賀藩家老)  鍋島家一門 2万石
鍋島 茂昌(男爵・佐賀藩家老) 肥前武雄2万1600石
成瀬 正肥(子爵・名古屋藩)   <諸侯>三家付家老 尾張犬山 35,000石
南部 行義(男爵・盛岡藩家老)  南部家一門 陸奥遠野1万石
日置 健太郎(男爵・岡山藩家老)
深尾 重孝(男爵・高知藩家老) 土佐佐川1万石
福原 俊丸(男爵・山口藩家老) 長門宇部1万1314石
細川 忠穀(男爵・熊本藩)    細川家一門 6000石
細川 興増(男爵・熊本藩)    細川家一門 1万石
本多 副元(男爵・福井藩家老) 越前府中2万石
本多 政以(男爵・金沢藩家老) 5万石


6 :日本@名無史さん:04/05/05 21:39
前田 直行(男爵・金沢藩)   前田家一門 1万1000石
前田 孝(男爵・金沢藩)    前田家一門 1万8000石
益田 精祥(男爵・山口藩家老) 1万2000石
松井 敏之(男爵・熊本藩家老)
三浦 権五郎(男爵・和歌山藩家老) 1万5000石
水野 忠幹(男爵・和歌山藩)   <諸侯>三家付家老 紀伊新宮 35,000石
村井 長八郎(男爵・金沢藩家老) 1万9500石
村田    (   ・佐賀藩)
毛利 祥久(男爵・山口藩)  毛利家一門 周防右田1万6000石
毛利 重輔(男爵・山口藩)  毛利家一門 周防吉敷1万1000石
茂庭    
山内 豊積(男爵・高知藩)  山内家一門 1500石
山野辺   (   ・水戸藩)  1万石
横山 隆平(男爵・金沢藩家老) 3万石
留守    (   ・仙台藩)  陸奥水沢
渡辺 半蔵(男爵・名古屋藩家老) 三河寺部1万石

金沢前田家、鹿児島島津家、仙台伊達家、尾張家、紀伊家、水戸家、肥後細川家、福
岡黒田家、広島浅野家、山口毛利家、佐賀鍋島家、安濃津藤堂家、彦根井伊家、福井
松平家、岡山・鳥取池田家、徳島蜂須賀家、高知山内家、秋田佐竹家、会津松平家、
盛岡南部家、米沢上杉家・・・などなどの家中、まだまだいろいろ転がってるはず

7 :日本@名無史さん:04/05/05 23:20
長 克連(男爵・金沢藩家老) 3万3000石

これって信長の野望に出てくる能登の長氏の子孫ですか?

8 :日本@名無史さん:04/05/06 01:02
>>3-6
力作ですね。大垣藩家老 小原男爵家(750石)も仲間に入れてあげてね。

9 :日本@名無史さん:04/05/06 04:42
>>7
正解です。
長氏は能登畠山氏没落後、前田利家に仕えて子孫は加賀藩の家老となりました。

10 :日本@名無史さん:04/05/06 04:47
これらの家は基本的に陪臣だが、石高1万石を超えることを理由に華族に列せられた。
但し、他の諸侯とは区別されて1ランク低い男爵となった。
ちなみに、小松伯爵家と吉川子爵家の爵位は、家格の他に勲功が考慮されたもの。

11 :日本@名無史さん:04/05/06 21:38
>補足
池田 政和(男爵・岡山藩家老) 備前天城3万2000石
池田 博愛(男爵・岡山藩家老) 備前津高郡市場1万石
池田 長準(男爵・岡山藩家老) 備前周匝2万5000石
土倉 光三郎(男爵・岡山藩家老) 備前磐梨郡市場1万石
日置 健太郎(男爵・岡山藩家老) 備前国金川1万4000石
松井 敏之(男爵・熊本藩家老) 肥後八代3万石



12 :日本@名無史さん:04/05/06 21:43
>補足
石川 (伊達家家老) 陸奥角田2万1000石
伊達晴宗−石川昭光−義宗−宗敬−宗弘=宗恒−村弘−村満−村俊−
村文−村任=宗光−義光−邦光

久野 (和歌山藩家老) 伊勢田丸1万石
久野宗成−宗晴−宗俊−○−○−輝純−○−純固
初8500石。輝純のとき、10000石に加増。

西郷 (会津藩家老) 1700石
保科正俊−正勝−正近−正長−西郷近房−近方−(略)−近思−保科近悳(西郷頼
母)−四郎
西郷四郎は柔道家で、小説「姿三四郎」のモデル。

伊達 (伊達家一門) 陸奥涌谷2万2000石
亘理重宗−伊達定宗−宗重−宗元−村元−村定−村盛−村胤=村倫=村常−
村清−義基−邦隆−亘理胤元−胤正−正彦−和彦

伊達 (伊達家一門) 陸奥寺池2万石
伊達稙宗−梁川宗清−白石宗直−伊達宗貞=宗倫=村直=村永=村倫=村良−村幸=
宗充−斉邦=邦寧





13 :日本@名無史さん:04/05/06 21:46
>補足
長岡 (熊本藩) 2万5000石
興孝−興之−興知−興章−興行−興彭−興真−興礼−興泰−興昌−興増

鍋島 (佐賀藩) 肥前白石2万石
直弘−直尭−直愈−直右−直昭−直賢−直章−直喬−直晟

鍋島(神代) (佐賀藩) 肥前川久保1万2000石
家良−常親−常利−常宣−直長−直利−茂真−直堅−直方−直恭−直賢−直興−
直珍−賢在−利郷

三浦 (和歌山藩) 紀伊貴志1万5000石
正木頼忠−三浦為春−為時−為隆=為恭=為脩−為積−
為章−権五郎(為質)=英太郎−修−孝昭



14 :日本@名無史さん:04/05/06 21:49
>補足
村田 (佐賀藩) 肥前久保田1万1000石
竜造寺政家−安良−氏久−景利−政辰−政盛−政順−政弐−政賢−政致−政敏−
政恒−政矩−政匡

茂庭 (仙台藩家老) 陸奥松山1万3000石
鬼庭良直−茂庭綱元−良元−定元−姓元−嵩元=元明−苞元−善元−有元−徳元
=升元−敬元−孝元−邦元−宣元

留守(伊達) (仙台藩家老) 陸奥水沢1万6000石
留守政景−伊達宗利−宗直−宗景=村任=村景−村利−村儀−村福−
村衛−邦命=邦寧

山野辺 (水戸藩家老) 10000石
最上義光−山野辺義忠−義堅=義清−義逵=義胤=義風=義質−義観−
義正=義芸−義禮−義智−義卿−嘉久−義達





15 :日本@名無史さん:04/05/06 22:17
すげーよおまいら

16 :日本@名無史さん:04/05/07 00:02
ほとんど他所のスレのコピペだよ

17 :日本@名無史さん:04/05/07 00:10
系図とかは他所のスレにでてたね。

18 :日本@名無史さん:04/05/07 00:19
>>1-17
1万石いってないのに華族になっている人が
何人かいますがそれは維新の功績という理由ですか?
薩長土肥以外の大名家の家老も結構いますね。

19 :日本@名無史さん:04/05/07 00:36
>>18
そもそも上に書かれてる石高はかなりいい加減だからまに受けないほうがいいよ

20 :日本@名無史さん:04/05/07 07:06
>>18
1万石以上かどうか、というよりは富裕であることが条件。万石以上でも
華族になれなかった家(紀伊:久野氏、尾張:志水氏など)もあれば、
その逆もいる。

21 :日本@名無史さん:04/05/07 07:54
>>18
華族の叙爵基準になった石高は、版籍奉還時点での実高です。
藩によっては、太閤検地期に定められた表向きの石高とはかなり違っているところもあります。
それ以外の基準で特別に華族になっているのは、武家華族では南朝の遺臣の子孫くらい。(新田岩松、菊池、名和など)


22 :日本@名無史さん:04/05/07 09:43
紀伊の家老の久野というのは遠州出身の久野氏か
長氏といい結構戦国の生き残りがあるな。

23 :日本@名無史さん:04/05/07 12:09
>>20
家老華族の受爵条件が裕福であるのが条件ってのは不正確だよ。
>>21
版籍奉還時に実高が万石に満たなかった家も受爵してるんです。

24 :日本@名無史さん:04/05/07 13:53
>>23
だからそれは特殊例。
もしくは勲功華族としての叙爵じゃないの?

25 :日本@名無史さん:04/05/07 14:29
>>24
じゃないのって・・・
家老華族の受爵過程を知ってる人なのかしらん

26 :日本@名無史さん:04/05/07 14:31
一般向けの本ですが「華族たちの近代」(浅見雅男著:NTT出版)が
一番わかりやすく解説されていると思います。
まず越前家の付家老の本多家が猛烈な運動の結果、
御三家の付家老に準じて特旨を持って華族に列っせられました。
理由は、幕府選任の家老、大名並みの石高、柳間詰の3点です。

しかしそうなると、幕府の制度のある付家老に新政府がとらわれる必要はない、
大藩の家老は華族にせよという意見がますます強まります。
ちなみに1万石以上の家老は67家とされています。

そしてその圧力に押し切られる形で下記の要件をみたす家老は家族とすることになります。
 門地(華族戸主の血族)、功労(維新前後に功労のあった者)、
 財産(華族の資格を維持できる財産をもつもの)
当初はこの条件を厳格に守っていたのですが、
島津家のごり押しなどで徐々になし崩しになり、
結局は財産さえあればよいということになりました。

なお山内容堂の弟等要件を満たせば1500石で華族になったものも有り、
逆に財産が足らずに華族になれなかった家が万石以上でも15家あります。
つまり一万石以上かどうかは要件にはなっていません。

27 :23:04/05/07 14:37
>>26
その本面白いですよね。原敬が受爵を嫌がった話なんかも載ってましたね。

28 :日本@名無史さん:04/05/07 22:28
>>4
>黒田 一義(男爵・福岡藩家老) 筑前三奈木1万6000石

板東英二夫人の実家ね。


29 :日本@名無史さん:04/05/09 00:20
渋江 (佐竹家家老) 2500石
政光−宣光=光久=隆光=処光=格光−峯光−局光=明光−敦光=和光−厚光

北(南部) (南部家家老) 陸奥太湯2760石
信愛−直継−宣継−可継−恭継=可継(再承)=節継=継達(継武)=南部継隆−
継熈=継処=継昌=継序(済民)−済揖−北斉大−南部済謙・・・

中野(南部) (南部家家老) 陸奥花輪3370石
中野(九戸)直康−直正−元康−直保−永州−光康−康貞=康敬=
康房−南部康孝−済愛(済徳)−康彊=康直=康保・・・






30 :日本@名無史さん:04/05/09 01:18
>>29
盛岡藩主一門も教えて

31 :日本@名無史さん:04/05/09 09:42
志水 (名古屋藩家老) 尾張大高1万石
志水宗清−忠宗−忠政・・・忠継・・・(略)・・・忠賢−忠平
志水宗清はお亀の方(徳川義直の生母)の父。志水忠平は明治維新後、第二代名古屋
市長。

>29、30
南部 (南部家一門) 陸奥遠野1万2700石
直義−義長−義倫=利戡=信有−信彦=義顔−怡顔=義尭−
義茂=義普(済賢)−義敦=行義・・・

遠野南部家、北家、中野家はいずれも南部家より分かれた家のようで、一門といえば
そうなるかな。
他の一門については、現在調査中。







32 :日本@名無史さん:04/05/09 10:32
上杉家家老 直江兼継 30万石
家老で30万石ってすげえぜ。

33 :日本@名無史さん:04/05/09 12:18
簗品盛時   信濃佐久1万石
釣島実美   越前巻背4千石
殿尾輔露   陸奥中野1万2千石

34 :日本@名無史さん:04/05/09 12:50
色部 (米沢藩家老) 1666石
勝長―顕長=長真―光長―利長―清長=安長―隆長―政長―照長―
至長―致長―篤長―久長―康長―清長―正長

千坂 (米沢藩家老) 1565石
景親−高治−高房・・・高敦・・・高明−高雅


35 :日本@名無史さん:04/05/09 13:23
>>32
米沢城主時代の30万石説って本当なのかしらん。

36 :日本@名無史さん:04/05/09 14:41
>>35
6万石という説が有力らしい
直接知行としてはこのくらいが妥当ではなかろうか

37 :日本@名無史さん:04/05/09 17:29
>補足
小松(薩摩藩家老) 薩摩吉利2600石
禰寝重張−重政−福寿丸=重永−清雄−清純−清方−小松清香−
安千代=清行−清穆−清猷=清廉−清直−帯刀=重春=従志−晃道−道夫

島津(島津家一門) 薩摩重富1万4000石
忠紀−忠救−忠寛−忠公−久光−珍彦

島津(島津家一門) 薩摩加治木1万7000石
島津忠朗−久薫−久季−久連=久季(再承)−久門−久徴−久照−
久徳−久長−久宝=久賢

島津(島津家一門) 薩摩垂水1万8000石
島津久信−久敏−忠紀−久治−忠直−貴儔−貴澄−貴品−貴柄−貴典−貴敦











38 :日本@名無史さん:04/05/09 17:30
>補足
島津(島津家一門) 薩摩今和泉1万3000石
忠卿−忠温−忠厚−忠喬−忠剛−忠冬−忠敬

島津(島津家一門) 薩摩日置9000石
島津歳久−忠隣−常久−久慶−忠朝−忠竹−久健−久林−久甫−
久暢−久知−久風−久徴−久明

島津(島津家一門) 薩摩宮之城1万5000石
島津尚久−忠長−久元−久通−久竹−久洪−久方−久倫−久亮−
久濃−久郷−久儔−久中−久宝−久治−長丸

島津(島津家一門) 日向都城3万9000石
時久−忠虎−忠能−翁久−忠亮−久直−久定−忠長−久理−久竜−
久茂−久般−久倫−久統−久本−久静−久寛−久家

種子島(鹿児島藩家老) 大隅種子島1万1000石
時堯−時次−久時−忠時−久時−久基−久達−久芳−久照−久道−
久珍−久尚









39 :日本@名無史さん:04/05/09 17:37
>>36
当時の相場や家老職務遂行上の必要性から見ても、そんなもんだろうね。

それでも戦国以来の大大名の家臣って石高が多いね。
ほぼ同じ石高の岡山藩31万石と鳥取藩32万石の両池田家くらべると、
輝政以来の岡山藩は、やたら高禄の家が多い(万石以上は6家もある)が、
徳川準家門として成立した鳥取藩はそれほどでもないね(同2家のみ)。

40 :日本@名無史さん:04/05/09 17:56
>28
黒田(福岡藩家老) 筑前三奈木1万6000石
加藤重徳−黒田一成−一任−一貫−一春−一利−一誠−一興−
隆庸−清定−一葦(溥整)−一美−一義−一弘−稔−一夫



41 :日本@名無史さん:04/05/09 17:58
宍戸(山口藩家老) 周防三丘1万1000石
宍戸元続−広匡−就尚−就附−就延−広隆−広周−就年−親朝−元礼−親基

福原(山口藩家老) 長門宇部1万1000石
福原広俊−元俊−広俊−広頼−広泰−元貞−広門−就清−房純−煕貴(継承せず)−
親俊−元|(福原越後)−芳山−俊丸

益田(山口藩家老) 長門須佐1万2000石
益田元祥−広兼(継承せず)−元堯−就宣−兼長−久之允−就恒−就賢−
元道−広堯−就祥−就恭−房清−元宣−親施(益田右衛門介)−親祥−精祥



















42 :日本@名無史さん:04/05/09 17:59
毛利(毛利家一門) 周防右田1万6000石
元就−元政(元就の七男)−元法−就信−広政−広信−広定−就任−
房良−房顕−元統−親信=祥久

毛利(毛利家一門) 長門吉敷1万石
元就−小早川秀包(元就の九男。小早川隆景の養子)−毛利元鎮−元包−就直−
広包−元直−就将−就兼−房直−包詮−房裕−房謙−元一−親直=重輔



















43 :日本@名無史さん:04/05/09 19:59
系図か居てるやつ、なに見て書いてんの?実子か養子かの記述がいいかげん。

44 :日本@名無史さん:04/05/09 20:18
鳥取池田家の家老米子、倉吉の両荒尾(家格No1.2)のほか分家二家も家老。
着座(家老)10家のうち4家が荒尾、
しかもNo3の和田家も3代目から養子で血統上は荒尾家。
一時は兄弟3人が最上位家老に並び立つ(当時の倉吉荒尾も米子からの養子)状態。
池田一族二家(遠縁)は家老としては家格が低い。
実は11家めも池田だが、罪があって免ぜられ幕末に復活というていたらく。
着座に継ぐ家格の大寄合3家の内1家も荒尾の分家。
池田一族ががっちり政権を握る岡山池田に比べると、事実上は荒尾政権か?

米子荒尾>倉吉荒尾>>和田>>>>津田>鵜殿>>乾(以上6家)>超えられない壁>その他の4家(下4家)
といったところでしょうか。

45 :日本@名無史さん:04/05/10 21:34
その荒尾一族ってどういう出自なんですか?譜代なら伊木氏みたいに岡山に
仕えるでしょうし、どうしてそんなに優遇されたのでしょうか?

46 :日本@名無史さん:04/05/10 23:05
>>43
それよりも、文末の空白が多すぎる方が気になって気になって。

47 :日本@名無史さん:04/05/11 14:36
>>45 荒尾家の出自
 池田家実質初代の信輝(この名に異論はあるようですが一般的なこの名を使います)の
妻(元織田信行(これも異論有り)の妻、以後の池田氏は彼女の血筋)の実家です。
 つまり岡山鳥取両池田家にとって姻戚と言うことになります。
 ちなみに信輝の長男(嫡男)之助の四男由之は後に鳥取池田家の家老、小牧長久手の戦
いで之助が父信輝と共に戦死しなければ、こっちが嫡流で次男輝政の子孫である岡山鳥取
両池田家は家老だったりして。
 家譜によれば織田家の家臣であったが、信輝に上述の姻戚関係で仕えることになり以後
輝政、その次男忠継(母は家康の娘)に仕える
 さらに忠継の早逝により、跡を継ぐことになった三男忠雄(忠継の同母弟)にも家老と
して仕えることになり、後の鳥取池田家の筆頭家老となります。
 その本家である米子荒尾家は常に上席家老とされました。
 倉吉荒尾はその弟の系統、さらに各々の分家が家老に列しています。
 もっとも血統上は全部米子荒尾の子孫ですが。
 大寄合は後に家老の分家が取り立てられたもので、幕府で言うと高家のような存在だそ
うです。
 家格は高いですが石高はさほど多くなく、権力も無いようです。

 和田家は信輝の客分から輝政の家臣となり、忠継・忠雄以降家老として仕えます。
 津田家は関ヶ原後に荒尾家の斡旋で輝政に仕え、以後忠継・忠雄、光仲(忠雄の子、鳥
取藩藩祖)と続き元禄5年以降家老。
 鵜殿家は忠継・忠雄の生母良正院の母(家康の側室)の実家、輝政の死後良正院に叔父
長次が招かれ忠継・忠雄、光仲と仕えていくこととなります。
 乾家は信輝以降仕え、忠雄が淡路藩主になった時に守役となって以降の家老です。
 鵜殿家のみ明確に鳥取池田の姻戚ですが、他は岡山池田に仕えても違和感ないかも?

 米子荒尾13000石→15000石、倉吉荒尾12000石、和田5500石、津田7000石、鵜殿5000
石、池田(通称山池、上述の由之系)2200石、荒尾(倉吉分家)3000石、池田(通称下
池、輝政の十男利政の次男知利が祖)3000石、荒尾(米子分家)2300石

48 :日本@名無史さん:04/05/11 14:38
 岡山池田の家老(寛永10年1642年)
 伊木長門守33000石、池田出羽守32000石、池田河内守22000石、日置若狭守16000石、
池田下総守14000石、池田信濃守10000石、合計138000石
 後1650年前後に絶えたのか万石以下になったのか良く知りませんが、とにかく一家減
ったのでその後幕末までは6家。
 なお岡山藩の表高315000石、実高40〜41万石(初期)、直高(藩内の軍役高、姫路
時代の表高に近い数字)51万石で上記石高は直高で算定。
 藩士の総禄高は直高の約6割、家老分だけで28%、つまり家臣の禄高の合計は30万
石強。
 家臣の禄高が仮に表高立だとすると、なんと殿様の直轄地がほとんど無い言う悲惨なこ
とになります。
 つまり岡山藩士の禄高を表高立に当てはめてみると概ね6かけ、池田河内以上の3家が
まあ本当の万石以上となるのでしょう。
 それでも外には全部万石以上で通用しちゃいますけどね。
 明治初期に政府が調べたときも6家で報告してますし。

49 :日本@名無史さん:04/05/11 15:24
>>47
後で読み返すと誤解を招く表現かも。
5〜7行目は余談で8行目からまた荒尾家の話です。
紛らわしくてすいません。
補足、両荒尾と和田家は藩内では万石以上の家と称されたようです。

50 :日本@名無史さん:04/05/11 17:27
荒尾すげえな。
ところで伊木家って大坂の陣で戦死した豊臣方の伊木遠雄と関係あるのかな。

51 :日本@名無史さん:04/05/11 18:46
>>49
和田氏が「万石以上」というのは、分家とか合算してってことでつか?
それとも検地が行き届かず、どうみても万石以上の田畑をひそかに持っていると
思われるからなのでしょうか?

52 :日本@名無史さん:04/05/11 19:42
>>51
御存知のとおり鳥取池田は岡山からの転封大名なので、
少なくとも移転当初は隠田などはないはずです。
まあその後密かに新田開発をしていた可能性はありますが。
和田家はあくまで5500石で、万石以上というのは、
両荒尾に准ずるということでそう称されただけのようです。
つまり待遇が高いことを意味するだけのはずです。
上六家の中でも両荒尾と和田の3家は他の3家とは別格だったわけです。

53 :日本@名無史さん:04/05/12 00:40
島原藩松平家家老本多家

54 :日本@名無史さん:04/05/12 23:36
>>53
名前あげるだけでなくて、何かコメントしてくろ。
何石取りだったの?

55 :あなどりがたし・・:04/05/13 17:45
なんとなれば、柳川・立花家って(宗茂)
加賀・前田家の”家老に”(単に家臣!?)って話もあったでしょ!?。


・・・しかも”十万石”で。

56 :日本@名無史さん:04/05/13 20:32
曽根(柳沢)(大和郡山藩家老) 3000石
曽根貞刻(柳沢保格)−柳沢里恭・・・柳沢権太夫
里恭は別名柳沢淇園、画人、風流人として知られる。

木俣(彦根藩家老) 1万石
守勝−守安−守明−守長−守盈−守貞−守将−守前−守易−
清閑−幹−畏三(守迪)−守一−光彦

渡辺(名古屋藩家老) 三河寺部1万4000石
守綱−重綱−張綱−宣綱=定綱−直綱=綱保−綱通=綱光=規綱−
寧綱−綱倫−半蔵(綱聡)−修司−明綱−忠綱

池田(岡山藩家老) 備前周匝2万5000石
長政−長明−長久−長喬−長処−長仍−長玄−長紀−長貞−長常−長準



57 :日本@名無史さん:04/05/13 20:36
深尾(高知藩家老) 土佐佐川1万石
重良−重昌−重照−重方−繁峰−茂澄−繁寛−重世−重敬−
重先−重愛−重孝−隆太郎−重光−重興

山内(伊賀)(高知藩家老) 土佐宿毛6300石
可氏−定氏−節氏−倫氏−晴氏−氏興−氏篤−保氏−
氏睦−氏固−氏理−伊賀氏成(陽太郎)=氏広−氏英
可氏は山内一豊の姉の子。氏広は山内豊信(容堂)の弟。

浅野(広島藩家老) 備後東城1万石
堀田高勝−浅野高英−高次−高尚−高方−俊峰−高明−道寧−
高景−高通−高平−道博−道興−道敏

宮本(小倉藩家老) 3000石
玄信(武蔵)=貞次(伊織)・・・信男(13代目)
宮本伊織は宮本武蔵の兄・田原久光の子で、武蔵の養子。小笠原忠真に仕え、
以降代々小笠原家家老。


58 :ぼく大沢:04/05/14 12:15
<清水 資治(男爵・山口藩)    2600石
<細川 忠穀(男爵・熊本藩)    細川家一門 6000石
<山内 豊積(男爵・高知藩)  山内家一門 1500石
なんだこれは!!
こいつらがよくて、何で元高家の余がだめなのじゃ?
わざわざ水増しまでしたというに。

ところで、島津家の本田って重臣について知ってる人いる?

59 :日本@名無史さん:04/05/15 23:12
>>57
浅野(広島藩家老)備後東城1万石って>>3の浅野守夫男爵の家ですよね。
この系図だと守夫の代までは入ってないのでしょうか?

60 :日本@名無史さん:04/05/15 23:56
>59
道興の功績により、守夫が受爵してるということだそうなので、系譜を
『昭和新修華族家系大成』(か『平成新修旧華族家系大成』)で確認する必要がありました。


61 :日本@名無史さん:04/05/16 00:30
竹腰(名古屋藩家老) 美濃国今尾3万石
正信−正晴−友正−正映−正武=勝起−睦群−正定(正ィ)−
正富(正美)=正旧−正己−正文−正夫
正信は徳川義直の異父兄弟。

成瀬(名古屋藩家老) 尾張国犬山3万5000石
正成−正虎−正親−正幸−正泰−正典−正壽−正住=正肥−正雄−正勝−正俊

中山(水戸藩家老) 常陸国松岡2万5000石
信吉−信正=信治−信行=信成=信敏(信成弟)=信順=信昌−政信=
信敬−信情=信守−信宝=信徴−信実−信常−信敏


62 :日本@名無史さん:04/05/16 00:31
安藤(和歌山藩家老) 紀伊国田辺3万8000石
直次−直治−義門−直清−直名−陳武−陳定−雄能−次由−寛長−次猷−
道紀−直與−道則−直馨−直裕−直行−直裕(再承)

水野(和歌山藩家老) 紀伊国新宮3万5000石
重央−重良−重上=重孟=重期=忠昭−忠興=忠実−範明−忠啓−
忠央−忠幹−重吉−忠武−誠

吉川(山口藩) 周防国岩国6万石
広家−広正−広嘉−広紀−広逵−経永−経倫−経忠−経賢−
経礼−経章−経幹−経健


63 :日本@名無史さん:04/05/16 00:35
血統スレのもろパクリじゃんw

64 :日本@名無史さん:04/05/16 00:41
津軽藩家老 杉山吉成(石田三成の孫)

65 :日本@名無史さん:04/05/16 04:53
>>50
一応無関係。
名字の地は同じだけど。

66 :日本@名無史さん:04/05/16 13:18
岡山藩の伊奈氏や長州藩の吉川氏は藩の表高の1割を超える高禄をもらってるね(実高
ではもっと下がるでしょうか)。大藩ではなく、中小藩でこのような例があれば教えて
ください。小生が知るところでは、豊後の岡藩(中川家7万石、実高約10万石)の
世襲家老の中川氏は7千石クラス、ってとこかな。

67 :日本@名無史さん:04/05/16 14:13
名前や続柄、知行高、知行地で結構間違ってるけど、系図書いてる人何見て書いてるの?出所ぐらいちゃんと書けば良いのに。
知行地、知行高なんかもその代によって変動があるよ。分地、加増、減封もあるから初代の知行高がそのまま受け継がれるわけじゃない。

68 :日本@名無史さん:04/05/16 15:19
>>67
> 系図書いてる人何見て書いてるの?出所ぐらいちゃんと書けば良いのに。

出所=脳内。
ネタにマジレスカコワルイ。

69 :日本@名無史さん:04/05/16 21:09
系図書きじゃないですが、確かに出典を書くべきかも。
鳥取池田家については河手龍海著「鳥取池田家の殿様」、「鳥取県史」、「鳥取藩史」
岡山池田家については「日本の近世3支配のしくみ」中央公論社、藤井譲治著

それと訂正とお詫びです。
>伊木長門守33000石、池田出羽守32000石、池田河内守22000石、日置若狭守16000石、
池田下総守14000石、池田信濃守10000石、合計138000石
 よく見たら六家しかないです。土倉淡路守11000石が抜けていました。申し訳ありません。

70 :日本@名無史さん:04/05/17 08:05
そいや、小倉・小笠原家んとこの家老・宮本家(伊織)3000石(予)て
少なすぎとちゃいます!?

71 :日本@名無史さん:04/05/17 22:00
15万石の家老ならそんなもんじゃないの

72 :日本@名無史さん:04/05/17 22:17
久留米藩有馬家21万石の筆頭家老ってどのくらいの規模なのかな。1万石未満
のようだけど、それに近い石高があったのかな。

73 :日本@名無史さん:04/05/18 18:06
うろ覚えですけど会津の筆頭家老も三千石か四千石くらいじゃなかったですっけ?
やはり後から出来たり、急激に拡大した大名は重臣の禄高が押えてある?
まあうるさい一門や本来同格だった外様系重臣なんかいないですからね。

74 :日本@名無史さん:04/05/18 19:26
>>73
>・・・本来同格だった外様系重臣・・

いわゆる”親藩”系ではないかもね。

毛利・蜂須賀・黒田・島津等・・の”外様”あたりだとかなり含まれるか!?

75 :日本@名無史さん:04/05/19 15:50
>>73
二千石くらいだったはず。

76 :日本@名無史さん:04/05/19 16:14
>小倉・小笠原家んとこの家老・宮本家(伊織)3000石
武蔵の家系(養子)ですな。

77 :日本@名無史さん:04/05/21 21:14
清末藩って確か支藩の支藩ですよね。
他にそんな例はあったんですか?
それと支藩の定義ってなんでしょう、
人事・財政的に独立していれば分家でも支藩じゃないのでしょうか?
それとも分知なのか幕府から領地をもらったかが問題なのでしょうか?

78 :日本@名無史さん:04/05/22 11:40
>>77
当時は「支藩」などと呼ばなかったのでは。
現在では支藩は他の諸侯を宗家にもつ諸侯といった意味です。
しかし、大身の家老で領地をもつものを支藩とよぶ本もあります。

財政基盤は、1.領地を独自で所有、2.領地をもつが宗藩の石高と重複、
3.蔵米支給、のいずれか、または組み合わせで成り立っています。

また、幕府から拝領する以外にも、宗家からもらう場合や宗家の先代当主
の隠居料を相続、などの場合もあります。

人事・財政的な独立性は、支藩の要件とは無関係でしょう。独立性のない
「○○新田藩」もありますので。

79 :日本@名無史さん:04/05/22 11:52
支藩の定義ってムツカシイですね
越前松平の各分家も支藩と呼んで差し支えないんでしょうか?
もっとも、越前家と津山家で宗家を争ったこともあるようですが

80 :日本@名無史さん:04/05/22 13:27
>>77
>清末藩って確か支藩の支藩ですよね。
>他にそんな例はあったんですか?

・大聖寺新田藩(加賀藩の支藩である、大聖寺藩の支藩。刃傷事件を起こして除封)
・広瀬藩、母里藩(いずれも越前松平系の松江藩の支藩。ただし松江藩が自分のこと
 を支藩と考えていたかどうかは疑問)
・吉田藩(仙台藩の分家である宇和島藩の支藩)

81 :日本@名無史さん:04/05/22 13:41
>>80
宇和島は仙台の分家かどうかでもめ、仙台が幕府に取り潰しを願い出たような間柄
支藩どころか、分家でもない。別家。
吉田と同じ関係では、岡山池田別家の鳥取の支藩がある。

82 :日本@名無史さん:04/05/22 14:08
実質的には分家のようでも、実際は別家で支藩という例もあるね。毛利と吉川、伊達と田村、佐竹と岩城みたいな。


83 :日本@名無史さん:04/05/22 14:29
仙台伊達の支藩は、
岩沼藩→一関藩の田村家
一関藩の伊達家(断絶・配流)
伊達村和領(通称:水沢藩・中津山藩)の伊達家(断絶・降臣)
の三家だが、他に伊達政宗三男の伊達宗泰が一時的に3万石(一説に5万石)の諸侯に列してる。「断家譜」に載ってないので、支藩大名ではないと言う事でしょうか?
他にも将軍家直参にも関わらず大名(若しくは旗本)扱いされなかった人っているの?

84 :日本@名無史さん:04/05/22 14:34
 とりあえず、本家から領地を分けてもらったわけじゃなくて、幕府から直接
領地を宛がわれた場合は分家ではあっても支藩ではないと思う。
 相続の際に幕命で分割されたような時も支藩とはいえないと思う。
 ○○新田藩(収入はあるけど領地がないやつ)は、完全に本藩の統制下に
あるから明らかに支藩。
 本藩の領地を分け与えら得た場合は微妙ですね。
 吉田藩は当初それなりに独立性が高かったけど、三代目くらいから宇和島藩
の完全な支配下におかれたんでしたっけ?
 本家分家は、血統上の本家が必ずしも本家と認識されていないところが、
いろいろと難しいですね。

85 :日本@名無史さん:04/05/22 20:04
>>84
伊達は、幕末でも、仙台=賊軍 宇和島=官軍 吉田=賊軍 と
別家同士が別行動だったよ。

86 :日本@名無史さん:04/05/23 02:40
本家=分家のある嫡流家のこと
分家=分家から知行を「分けて」もらった家
宗家=親戚関係にある中の嫡流家
別家=本家からではなく、幕府から知行をもらった家

33 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)