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頼朝の作った征夷大将軍とは何か?

1 :日本@名無史さん:04/05/02 01:30
単なる武官名が、日本国王の名前になりました。
日本国総地頭、総追捕使、源氏氏の長者等々、アウグストゥス的な
計算でしょうか?
その後の後継者達は、単に征夷大将軍になれば、自動的に同様の権利を
手にすることが出来るようになりました。

天皇と同じくらい不思議です。

2 :日本@名無史さん:04/05/02 01:34
天子と一緒にするなよw

3 :日本@名無史さん:04/05/02 01:39
右大将家
右大将家
右大将家
右大将家
右大将家
右大将家
右大将家
右大将家
右大将家
右大将家

4 :日本@名無史さん:04/05/02 02:15
鎌倉殿と呼ばれていたのですかね?

5 :日本@名無史さん:04/05/02 02:20
>>1
何が不思議なのかいまいち不明瞭なのですが。

頼朝が、征夷大将軍という官職(令外官)を、支配者としての世襲制度化する
明確な意思を持っていたか否かということでしょうか。

6 :日本@名無史さん:04/05/02 02:33
5>その点が一つ。もう一つは、足利将軍・徳川将軍が征夷大将軍になると、
自動的に封建制度の王になるわけで、「征夷大将軍」という官職が頼朝に
よって、それまでとは意味が変わりますよね。そこまでの考えがあったの
でしょうか。
GeneralからTycoonへの変容という意味で。

7 :竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/05/02 02:37

北朝鮮の共産党書記が何故か「偉大なる領袖・将軍様」になって
世襲化されるのと同じくらい不思議ですな

8 :日本@名無史さん:04/05/05 09:42
征夷大将軍が関白、太政大臣と同じ権力の役職になったのは確かに不思議。

9 :日本@名無史さん:04/05/05 09:49
そりゃ、ケンカが強いからさ

10 :日本@名無史さん:04/05/05 10:37
>征夷大将軍になると、自動的に封建制度の王になる
むしろ封建制度の王となったものが名乗る(形式的には任命されて)のだと思いますが。

それと頼朝の段階では武家の支配者にふさわしい職ではあっても、
それでなくては駄目だと言うものでもなかったように思います。
尊氏以降は鎌倉の先例に倣っただけのような。

11 :日本@名無史さん:04/05/05 11:33
>>1
それぞれ違う時代のことをいっしょくたにして論じても混乱するだけだよ。

12 :日本@名無史さん:04/05/05 11:53
テレビで「将軍様」と言うとあのことと思ってしまう。早く何とかしないと
いけないですな。

13 :日本@名無史さん:04/05/05 11:56
>>1
>単なる武官名が、日本国王の名前になりました。
全然不思議じゃない。
征夷大将軍は、幕府を開いて武士の棟梁として彼らを治める権限は当然の制度。
武士が事実上の地主であり、各地方の支配者である以上、その武士の支配者である
征夷大将軍が日本国王的役割になるのは自明の理。
古代中国の制度でも大将軍や車騎将軍などは自分の政治機関(幕府)を持つことが
出来るとされているし、大将軍が政府だった実例はいくらでもある。


14 :日本@名無史さん:04/05/05 12:21
頼朝の作った征夷大将軍

15 :日本@名無史さん:04/05/05 12:24
大伴弟麻呂や坂上田村麻呂や文屋綿麻呂とか頼朝以前は無視ですか?
文屋綿麻呂好きなんだけどなぁ。

16 :15:04/05/05 12:26
そもそもアゥグストゥス的って何よ?
東洋の幕制が、ローマ元首制と同じかよw
将軍は人気商売か?

17 :日本@名無史さん:04/05/05 12:53
執権時代の将軍は?

18 :日本@名無史さん:04/05/05 17:54
これ読んでみ。
岡野友彦『源氏と日本国王』(講談社現代新書 2003年11月)

なんで源氏の棟梁が源氏長者で征夷大将軍で日本国王なのかが、
なんとなく素人でもつながってきます。

19 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/05 18:45
>18
鵜呑みにするのも怖い本ですが。
なお「鎌倉幕府」の勢力が西国にまで及んだのは承久の乱以降ですが、逆に
言えば頼朝生存時の幕府は未だ単なる一権門に過ぎず、中央からの独立性と
いう面から言えば奥州藤原氏以下であったと見做す研究者もいます。
もっとも奥州藤原氏の「東北独自」と見做されていた文化も実は中央寄りの
傾向を示したものであったという研究結果も出ているのですが。

20 :日本@名無史さん:04/05/05 23:27
>>1
は権門って知っているのでしょうか?頼朝の時代は関東の武家よる土地支配を
狙っていたことはわかると思いますが、それは寺門や公家。西国にはとても
及んでいないと思われますが。で、

>自動的に同様の権利を手にすることが出来るようになりました。
どういうことでしょう「自動的に」とは!?
泰時、信長、家康の足跡を知らないのでしょうか?さらにですが、

>GeneralからTycoonへの変容という意味で。
スレタイに副えば、頼朝より前の武官将軍と比較検討すべきなのでは?

21 :日本@名無史さん:04/05/06 19:52
歴史評論の5月号(No.649)で「日本中世王権論の世界」っていう特集してるんだが
これが参考になるんじゃないか?

清盛から織豊期まで取り上げてるし

22 :日本@名無史さん:04/05/12 05:18
1>>単なる武官名が、日本国王の名前になりました。
 初めは小さなものの名称が大きなものを表すようになった例は
 けっこうある。
 
門→御門→帝    戦場の本営→幕府→政治の中心の場の意に変化


23 :日本@名無史さん:04/05/12 12:21
>>22
御屋(みや)[りっぱな建物]→宮(みや)→立派な建物に住んでる人、即ち「皇族」の意味
なんてのもあるね。

24 :日本@名無史さん:04/05/12 17:17
どうせなら征夷大将軍以外の「将軍」も一つ語ってください。

>>19 残念ながら平泉に行った事無いんですが、鎌倉や平泉は
どう考えても京の模倣だと思います。

25 :鎮守府将軍 蝦夷守:04/05/12 19:31
鎮守府将軍 陸奥守 源頼義
鎮守府大将軍 陸奥大介 北畠顕家

とかは、いわゆる”将軍”らしくて好きだが、>1とは全く関係なくなるな。

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