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◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART5

1 :日本@名無史さん:04/04/28 08:35
邪馬台国は何処? 大和朝廷との関係は??


3世紀日本列島の状況とは如何なるものか?
西日本に統一政権はあったか? 高地性集落の実像とは?
倭国大乱の実体、そして狗奴国はどこだ??

倭人伝の信憑性や如何に?
記紀伝承はどこまで真実を伝えているのか??

最新の発掘状況と資料解釈を元に、古代王権の正体を推理する!!

過去スレ
PART 4 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1078618831/
PART 3 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1077874356/
PART 2 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1076418632/
PART 1 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1045719732/

現時点では絶対と言って良いほど結論が出ないネタですので
荒らし、粘着否定厨、罵倒一行スレはご勘弁下さい。
そーゆー香具師が出現したら無視よろしこ。マターリ進行希望。


2 :名無し:04/04/28 08:36


3 :日本@名無史さん:04/04/28 08:58
乙。
罵倒や論破が目的ではない(つーか不可能)な邪馬台国ネタだから
マターリ頼みますよ、みなさん。
突っ込みも、ある程度言葉を選ぶようにしましょうよ。
どの説もある程度しか根拠が無いつーか、示しようが無いのだから。

それでも明らかにおかしな香具師は、シカトの方向で。

4 :世界@名無史さん:04/04/28 11:21
昔、恩師が
「このテの話は決め手になる資料が無いから専門家でも答えが出せないし
逆に資料が少ないがゆえに素人でもガンガン参加できるから盛り上がる」
みたいなこと言ってたよ。ホントそうだね。

5 :日本@名無史さん:04/04/28 13:24
5年前の1999年にココの邪馬台国スレ参加してたけど
レベル低下はまあ良いとして、畿内厨の思想化?主義?には辟易するよ
畿内説を一つ一つ矛盾や虚偽や間違いを指摘していったら
レッテルを貼ることで議論を拒絶し自作自演に走りトンデモ畿内説に頼ってる
今、確かに九州説の方が説得力が有り自然に考えると邪馬台国は九州となる
まともな畿内説は逃げないで出てきて欲しい。


6 :日本@名無史さん:04/04/28 13:41
出てきて欲しい。と書いたが
纒向を土台に虚偽と妄想で邪馬台国を騙る畿内厨はもう出てくるなよ。

嘘の例(己の都合の良いように数値操作)
「畿内には○○が沢山出てくるが九州には○○が全く無い」

妄想の例(文献からも古跡からも陰謀や交易権などわからない)
「畿内が東海吉備出雲と手を組み陰謀を駆使し交易権利をちらつかせ九州制覇」

7 :日本@名無史さん:04/04/28 14:26
>>纒向を土台に虚偽と妄想で邪馬台国を騙る畿内厨はもう出てくるなよ。

九州を土台に虚偽と妄想で邪馬台国を騙る九州厨は出てもいいのか。


8 :日本@名無史さん:04/04/28 15:30
素朴な疑問なんだけど、神武東征っていうのは、単なるつくり話なの?
畿内説のエロイ人教えて?

9 :日本@名無史さん:04/04/28 15:42
>>8
九州の民を慰撫するため物語上そうしたとしか考えられん
記紀で九州を持上げて畿内は名より実を取ったというところ
むしろ考古学上
神武西征の跡しか出てこないんだよ。


10 :日本@名無史さん:04/04/28 15:53
>>9
もともと大和(畿内)にあった(畿内を故郷とする)政権が、なぜよりによって、
九州起源にする作為が必要だったのか?九州の民を慰撫するといっても、そこまで
やるもんでしょうか?実を取るために、そこまで名を捨てなければならないのはなぜ
でしょうか?
あと考古学上の征西というのは具体的に・・?

11 :日本@名無史さん:04/04/28 16:01
>>10
九州が鉄交易ルートなど戦略上重要拠点だったから作為したんだと思う。
それから、具体的には高地性集落の分布など。

12 :日本@名無史さん:04/04/28 18:14
神話では高千穂が起原。宮崎県の高千穂峡谷か鹿児島の高千穂山かは
別として、北九州が起原などとは、神話はいっていない。

13 :日本@名無史さん:04/04/28 19:01
神武サーガというのはある時代のある地方(宮崎から三重)
の各種の物語の総集編のようなもので、非常に重要なもの
だと思う。他にもオオクニヌシの話などがあるがこれとは
地理的に重なりがない。オオクニヌシの話との接点は
スクナヒコナという言葉であるが、これは籠神社の海部氏
系図に出てくる倭宿禰、神武に出てくるシイネツヒコ(これは
シキという言葉がなまっているようだ)、これが要するに
奈良県知事ではなかったんじゃなかろうか。いずれにせよ
神武の話は極めて大事なものには間違いない。和歌山県
でのシャーマネス殺しは統一の過程で巫女王殺人が広く
行われていたことを物語っている。リストラだね。

14 :日本@名無史さん:04/04/28 22:37
>>5-7
いきなりマターリしてない粘着レスの応酬ですか・・・。
考古学サイドでは畿内説有利(すくなくともここ5,6年ほどは)なのは
散々既出だし、かと言って(発掘結果が)倭人伝の記述に必ずとも一致していないというのも
これまた散々既出なのは誰もが十分認識していることでしょう?
論敵を罵倒することで自己を正当化する卑しさにはもう辟易しているので
その辺で終わりにしないかい?
「いや、相手がしつこいんだ」と言うのなら、無視すれば良い。

15 :日本@名無史さん:04/04/28 22:50
2世紀末に畿内に広範囲な交易圏(王権とはあえて言わないが)が
発生した事実をつきとめたのは、考古学の大きな成果なのだが
仮に邪馬台国が九州にあったとして、この勢力との関係や影響
また後の大和朝廷との関連を推理するのが、当スレの主旨。

そこで倭人伝だけではなく記紀や隋書、宋書などの古代文献の手掛かり
を検証する作業(@捜査で言うなら供述調書の洗い直し)と
九州、近畿のみに限定しない各遺跡の発掘結果
(A広範囲にわたる物的証拠の提示)それと
当時の国情や経済状態から推測する国家の成り立ち(B動機の確定)が
必要になるわけだ。

仮説提示には、少なくともこの3点が必要だろう。

16 :日本@名無史さん:04/04/28 23:19
>>10
邪馬台国もそうだけど、もともと連合政権なのだから
大王(首長代表)はたびたび入れ替わっていると考えるのが自然。
倭人伝でも卑弥呼の後、男王が政権奪取に失敗した様が記されている。
最終的に九州の首長が連合を制したせいで、それが神話体系に反映したのではないか。
出雲神話の異様なウェイトにしても、先行支配していた首長および部族以上の
正当性を主張するために必要だったのかもしれない。

17 :日本@名無史さん:04/04/28 23:23
八重山の先、カレンの山中、タラコ渓谷は高千穂を大きくしたようなものだし、
台湾の南のランユイ島には出雲の加賀の潜戸の洞窟のような愛人洞とか
いうのがあり、縁結び(出雲の鳥居様)のような役目をしているようだ。
神武は燧灘で頭に鳥の毛をつけた人の乗ったボートに遭遇しているが
こんな恰好をしてカレンで若い衆がいまだにドル稼ぎで踊っている。神武さん
もなんだか都会人であらせられたような感じだなー。しかし、それらの台湾人は
アミ族というから、昔は天孫なんてゴロゴロいたんじゃないかって気がするんだ。


18 :日本@名無史さん:04/04/28 23:27
しかし神武さんが和歌山で女酋を誅されたあと熊が仄かに出てきて
全軍がばったり倒れるというのは限りなく見事にアイヌ、北東アジア
各地に残された熊シャーマネスの実体を表しており、神武記は
実に見事な古代史だと思う。

19 :日本@名無史さん:04/04/28 23:29
>>10
西征と言い切るにはまだ資料不足だが
例えば唐子・鍵遺跡、池上・曽根遺跡、妻木晩田遺跡、
吉野ヶ里遺跡、平塚遺跡、原の辻遺跡など
西日本の弥生中期を代表する環濠集落が期せずして3世紀初めから中頃にかけて
環濠の埋設や人口減少、墳墓の貧素化、果ては集落放棄などの事態にみまわれている。
これらのことから、少なくともこの時期に
何らかの大変革が西日本一帯に起こったことは容易に推測される。


20 :日本@名無史さん:04/04/29 00:13
>2世紀末に畿内に広範囲な交易圏(王権とはあえて言わないが)が

交易なら縄文時代から黒曜石など盛んに交易されていたことはわかっている
2世紀末に始まったわけではない。

21 :日本@名無史さん:04/04/29 00:31
>19
後漢の衰弱により、半島鉄をめぐって極東諸国の独立が
始まったのが3世紀。極東諸国の軍国主義時代のはじまりだ。
当然倭人の国も「のどかな海洋国」ではいられない。
鉄器が国の領土・戦争・生産を左右し始めたのだ。

22 :日本@名無史さん:04/04/29 00:35
>10
権威は九州邪馬台国にあったから、貴人の系譜を自慢して当たり前。
神武も天武もニニギの系譜を高らかにうたっている。

23 :日本@名無史さん:04/04/29 01:01
>19環濠の埋設や人口減少、墳墓の貧素化、果ては集落放棄などの事態にみまわれている。

西征の結果だとしたら征服者が堀を埋め民衆を追い散らし集落を放棄させ大量殺戮を行ったということになる
堀を埋めるのが殺戮の痕跡とでもいうのか?考えられないね。
九州が政治的に統合され環濠の必要性がなくなったと考えるのが自然だよ。

24 :19:04/04/29 01:36
>>23
いや俺も西征だとは思っていない。
あまり強固に否定するのもなんなので、こういう表現になった。

>征服者が堀を埋め民衆を追い散らし集落を放棄させ大量殺戮を行った

御指摘のとおりそのような痕跡はどこの集落遺跡からも見受けられない。
どうも「遺跡から謀略や統合の証明は出来ない」と繰り返し発言する香具師がいるが
戦乱の跡がないにも拘らず、同時期に衰退化する遺跡がこぞって現れるのは
軍事力以外の要因、つまり経済格差や謀略といった
政治的要因としか考えられないだろうというための前振りだった。
>>21のいう半島情勢の混迷化も主要因だろうが
列島がそれに直接巻き込まれた形跡は、今のところ北部九州にさえない。

25 :19:04/04/29 01:52
更に言うなら、北部九州にとって半島の混迷は隣の火事どころでは無かっただろう。
なぜなら倭人伝に言う狗邪韓国も北部九州連合の一員だった可能性が極めて高く
火の粉を受けるどころか、半島&大陸ルートを断たれたに等しい一大事だったろう。

通商先進地域として永らく倭国のオピニオンリーダーだった北九州が
生き残りをかけて畿内連合に接近し統合したのか
また逆に畿内連合の傘下に下ったのか
どちらに主導権があったかは多数の議論があるとしても
恐らくこういう過程を経て西日本の主要部族が連合したのだろう。
ここからが倭人伝にいう邪馬台国の時代になる。


26 :日本@名無史さん:04/04/29 02:28
まあ連合政権による政治的統合らしきもの、という点では一致してるわけだ
九州説は九州内の統合、畿内説は日本全体の統合 と規模は違うが


27 :日本@名無史さん:04/04/29 02:30
>24-25
3世紀の半島の動きに伴い、邪馬台国は北九州から有明海に都を移転する。
半島からの直撃を避けたかと思う。有明海を軍事港と見込んでのことだ。
これで半島西岸を急襲する作戦を好んだのではないか。
当然新羅とは縁遠く、畿内政権は親新羅、邪馬台国は親百済となっていく。

28 :日本@名無史さん:04/04/29 02:46
>26
>畿内説は日本全体の統合

畿内は狭域しか支配しておらず、今の都府県程度。
九州邪馬台国は極東で「将軍」号を狙う領地があった。

「また「日本書紀」には、わが朝の仏法は敏達天皇のとき
播磨から伝わったのが初めだと明記されている。
これはその時点(六世紀後半期)においてこの大和の王権が、
いまだ播磨をも領有せず別国(あるいは隣国)とする一地域権力で
あったことの、正直な告白でなくて何か。」
http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/book/furuta/note.htm

29 :19:04/04/29 03:24
>>26
そうだね。
九州内統合(山口県辺りも視野に入れて)と畿内統合が並立していたのか
それとも西日本のほとんどが連合化していたのか。
邪馬台国の位置所在が重要項目なのは、これを明らかにする為だものね。
>>27
当時半島進行を見込めるほどの戦力が北九州にあったかどうかは
まだまだ熟考の余地がある。
同様に半島各国も然り。半島からの大量帰化説(騎馬民族説も含む)が
下火になったのは、大量戦力を確実に輸送できるほどの船舶技術と
基になるはずの経済基盤の脆弱さを指摘されたからだよ。
>>28
リンク先読みましたが・・・ノーコメントで勘弁してください。

30 :日本@名無史さん:04/04/29 04:12
高句麗好太王碑で戦っている倭人の存在を否定して歴史を語るのもおかしい。
九州邪馬台国はそういう国だったと見るべきだろう。

31 :日本@名無史さん:04/04/29 04:41
>>30
倭人そのものの概念が現在でも不明なのは知ってる?
少なくとも日本列島のみに限定されるものではない。
北は朝鮮半島中部から
南は下手すると台湾やフィリピンに至る東南アジア在住民まで
一緒くたにして倭人と呼ばれていた事が
後漢書や魏志、隋書に至るまで記載されている。
また好太王碑が伝えるところの倭人は、侵攻や渡海などの派遣を思わせる
記述が無く、領地争いに終始しているところから
半島在住の倭人(倭種)であるとの見方が主流です。

32 :日本@名無史さん:04/04/29 05:39
>>31
その見方に一部賛成。
倭軍は新羅で敗れると「任那加羅」(すなわち金官)の城に逃げ込む。なぜか?
しかも高句麗はその後、その城を落とす。
つまり金官は倭と一体になって戦っている。
そのくせ「任那加羅」は地名として一回出るだけで、交戦主体としての金官加羅
の記述はない。
倭の同盟軍と思われる安羅軍は何回も出てくるのに。
これは金官加羅=倭であったと考えるのが最も妥当である。

33 :日本@名無史さん:04/04/29 11:19
割り込んで失礼。
神武45才の時の東遷宣言は主人公の言葉ではなく作者の
言葉であろう。そこまでニギハヤヒのことなど知っているというのは
おかしい。倭直の祖椎根津彦がワザワザ豊予海峡までで迎えに
行くのはナクサトベ、ニシキトベ等を虐殺し、天下に声望を失った
邪馬台国男王(ホケノ山被葬者)がその犯罪を神武天皇の業績とし
、もってその子孫の邪馬台国における統治に支障のないようにする
政治的トリックである気がしてならない。神武とは男王の禊の身代わりと
なる架空の人物で、神武軍団の実体は戦死する兄五瀬の尊、虐殺される
実子タギシミミなど住吉系海人族の傭兵たちであったんじゃないかな。

34 :世界@名無史さん:04/04/29 11:28
>>31
わしらは学校で、半島には任那日本府っちゅ日本の直轄地があったって
習ったもんなんですが、半島在住の倭人ちゅうのはその事をさしとるんですか?

35 :日本@名無史さん:04/04/29 11:37
ヒミコの死後崇神が
(1)元首的巫女王 トヨスキイリヒメ
(2)譜代というか旧邪馬台国担当巫女王 ヌナキイリヒメ(過労死1号)
(3)ヒミコの本来の職の後継者 オオタタネコ
という新しいアドミニストレーションで出直しを開始したが、このオオタタネコ
というのが河内の人であるが、和歌山とも関係が深いようだ。
これは崇神の時代と神武の時代は直接的といっていいくらいつながっていて
和歌山県に対する政治配慮が相当あったのではないかと思うんだけど。
祟りじゃー。祟りじゃー。の時代だったんじゃないかね。

36 :日本@名無史さん:04/04/29 12:05
簡単に「東征」とかいうけどさ

@畿内「首長」に婿入りした人物
A大阪で畿内勢力と交戦(敗北?)した人物
B熊野に勢力を持っていた人物
C畿内勢力を滅ぼした人物
D畿内に王権を確立した人物
E九州からやって来たとされる人物

これみんな同じ人か? 二つ以上あてはまるひとなら
ニギハヤヒ、神武、応神、継体、天智、天武、・・・

37 :日本@名無史さん:04/04/29 12:10
ひどいスレだな

38 :日本@名無史さん:04/04/29 14:37
>31
倭人は、半島倭も列島倭もいたことは常識。
双方が民族的一体感を持っていたから
ある程度政治的にも、一体と捉えるべきだろう。
また中国側からみても、倭国伝とは表現できず、
倭人伝とせざるを得なかったほど弾力的存在だった。
首長国連邦のような、部族集団国家で
国家としての概念では実態が掴めなかったのかもしれない。

39 :日本@名無史さん:04/04/29 16:49
倭人はイレズミ者のことだろ?

40 :日本@名無史さん:04/04/29 17:55
倭面土国ってのがあったな。
異面人というのも。

倭と異は読みが同じ。
つまり顔に刺青をしたのが倭人。
顔に刺青した久目族、阿曇族は九州だから倭人がいた倭国というのは九州にあったことは間違いないな。


41 :日本@名無史さん:04/04/29 18:12
降臨神話というのは異民族がどこかからやってきて先住民を支配した事を示す話。
尚且つその際に多少でも争い、対立が描かれていれば間違いない。


42 :日本@名無史さん:04/04/29 18:59
高句麗好太王碑に「倭が海を渡って云々」とあるから、
倭人の主体は列島にいると認識されていたと思うが。
半島内に倭人がいたのは確かだと思うが。

43 :日本@名無史さん:04/04/29 19:54
(1)筑紫から物部を率いて近畿に入植したニギハヤヒ、ウマシマデ、ナガスネヒコ
  これが先住民(ここれ以前、大阪、奈良は海だった)。
(2)丹波から南下してナガスネヒコ、ナクサトベ、ニシキトベ等紀伊半島周辺を攻撃
  した倭の宿禰、ウズ彦等のアズミ族。
(3)九州南部、出雲の勢力と共にアズミ族に巻き返しに出た吉備、ヒミコ。
(4)アズミ族の崇神の倭国中興。
次第にこういう線が出てくる気がするんだがね。

44 :日本@名無史さん:04/04/29 20:00
しかし今では「新羅以爲臣民」の主語は高句麗で倭ではないと言うのが常識となっている。
「臣民」という言葉を敵の民に使う筈はない。高句麗の民だからこそ「臣民」なのだそうだ。

そしてその前後の情勢を見ると新羅は確かに高句麗の属国になり、百済は倭と結んで高句麗と対抗している。

判読不能の文字を勝手にでっち上げる事は改竄と同じだから気をつけよう。

45 :日本@名無史さん:04/04/29 20:07
>>43
かってに妄想を膨らませるのはどうかな。
考古学的裏付けが必要だ。
四隅突出墓とか積石塚とか前方後円墳、前方後方墳、土器、鏡の分布などから何が推測できるか。

みんなで考えよう。

46 :日本@名無史さん:04/04/29 21:38
>>44
>しかし今では「新羅以爲臣民」の主語は高句麗で倭ではないと言うのが常識となっている。

漢文の流れ、碑文全体の主旨からは決してそうならない。
現に中国人の学者でそんな解釈をする人はいない。
それに現在の判読は碑文の原状よりも、石灰塗布以前の古い拓本に基づいている。

47 :日本@名無史さん:04/04/29 21:55
>>44
漢文読めない半島人の妄想。
「倭渡海」とあるので、倭が主語に決まってるだろう?
文法めちゃくちゃな読み方だ。


48 :日本@名無史さん:04/04/29 22:05
正確に書くと、

而倭以辛卯年来渡海、破百残○○新羅、以為臣民

而して、倭は辛卯年以来、海を渡り、百残(百済)、○○、新羅を以って臣民と為す。



49 :日本@名無史さん:04/04/29 22:15
その文章の前から読むと、

百残新羅、旧是属民、由来朝貢、

百済・新羅は旧より属民であり、由来、朝貢す。しかるに…

と続くわけだ。>>48のように読まないと意味が通じないだろうが。


50 :日本@名無史さん:04/04/29 22:19
>>48
訂正

而して、倭は辛卯年以来、海を渡り、百残(百済)、○○、新羅を破り、以って臣民と為す。


51 :日本@名無史さん:04/04/29 22:20
>>40
余談だけど、台湾の原住民とかアイヌも、つい前々世紀まで
顔に刺青をしていたな。
顔に刺青する民はかなり広範囲い存在する。

52 :日本@名無史さん:04/04/29 22:34
高句麗好太王碑では、「倭」と「倭人」が使い分けられていると思う。
「倭」は列島倭で「倭人」は半島倭ではないのか?


53 :日本@名無史さん:04/04/29 23:00
今の考古学的状況からすると、半島倭の主力は百済にいたと思うんですよね。
とすると、「任那日本府」というのは、伽耶地方の「一大率」のようなものだったと
思うんです。

54 :日本@名無史さん:04/04/29 23:09
ムー大陸にあるんだよ

55 :日本@名無史さん:04/04/29 23:41
いや別に、めちゃくちゃな事を言っているわけではないです。
>>53
これの根拠は、韓国内で見つかっている前方後円墳はほとんど百済南部
とされているところにあるからです。つまり、3世紀に金官・伽耶地方にあった
「狗邪韓国」は、扶余の残党の侵入等によって、小国分立状態になり、倭人の
主力は、百済南部に移動したんじゃないかと。


56 :日本@名無史さん:04/04/29 23:50
基本に戻って
おまえらちょっと福岡市の地図を逆さまに見てみろ
右足が志賀島、左足が糸島半島、福岡市がマンコ、能古島が赤ん坊に見えないか?
このように地政学的に多角面から考察すると福岡が日本の発祥という結論が導き出される。

57 :日本@名無史さん:04/04/30 00:03
>>55
>倭人の主力は、百済南部に移動した

この背景としては、やはり、倭の五王による朝鮮侵略・百済の属国化
があるんじゃないかと思います。


58 :日本@名無史さん:04/04/30 00:20
>57
黄巾の乱以後、楽浪・帯方は無政府地帯と化し、
しかも山陰地方で砂鉄たたらが生まれる前だったので、
鉄資源を求めて半島の覇権争いが始まった。

4世紀中ごろから、極東300年戦争がこれだ。
つまり倭の5王の時代、都は博多湾から有明海沿岸へ。
さらに7世紀初頭に大宰府へ遷都。


59 :日本@名無史さん:04/04/30 02:05
前スレの>990
>日本人が発した国名を中国側が
>「の」は音写して奴、「くに」は意訳して国と書き取ったとすると
>邪馬台国は邪馬台奴国となりそうだが

倭人は国を当時の中国語の発音で呼んでいたのでは?
「国」の当時の発音は分からないが、彌奴國姐奴國蘇奴國鬼奴國烏奴國狗奴國(華奴蘇奴國)
これらを倭人は○なコク 「な」は連体助詞の「な」
今でも一文字の国を言う時は「○のくに」となる(きのくに、ひのくに、漢の倭の奴の国王)

邪馬台国は「やまとコク」の音写ではないでしょうか?

60 :日本@名無史さん:04/04/30 02:25
前スレの>967
>963
>当時の倭人が「かのくに」など言わない、直接敵対している国の名前くらいある
>クマ国(熊襲国)と敵対していると言っていたのを狗という当て字を使ったのです。

現代日本人(一部の嫌韓厨)も直接敵対している国の名前を書かずに「彼の国、かの国」と2ちゃんに書いている
例 かの国の法則、彼の国の法則=韓国の法則

61 :日本@名無史さん:04/04/30 03:01
>>13
「巫女王殺人」かどうかはわかんないんだけど、書記には山門の女首長殺しの
話もあるよね。

62 :61:04/04/30 03:02
書記→書紀

63 :日本@名無史さん:04/04/30 03:58
>>60
口に出したくもないほど敵対していたのか?
口にも出したくないほど嫌いだったのか?

64 :日本@名無史さん:04/04/30 04:04
>>63
相手にするな、頭逝ってるみたいだから。

65 :日本@名無史さん:04/04/30 17:52
百済、倭、高句麗これはよく似たもの。すると、純粋に韓国的なものって、
つまり、新羅的なものって言うのは何なんだあろう。ワイバクなんていう
やつなのかな。

66 :日本@名無史さん:04/04/30 21:15
>>51
>余談だけど、台湾の原住民とかアイヌも、つい前々世紀まで顔に刺青をしていたな。
>顔に刺青する民はかなり広範囲い存在する。

台湾やアイヌの刺青と倭人の刺青は意味合いが違うだろ。
倭人の刺青は海でサメに襲われないためのおまじないだ。
台湾やアイヌの刺青は主に女が結婚適齢期になった事を示すためのものだ。
結婚適齢期になった事を示す刺青は沖縄にもあった。
顔ではないがな。

ところで倭人は男が刺青をして海に潜っていた。
伊勢の海女とは違う。

佐賀県では今でも男が海に潜って漁をしている。海士というんだ。
1800年前の漁方を今でもやっているのだ。

面白いだろ。


67 :日本@名無史さん:04/04/30 22:37
佐賀県というのは兵庫県と立地条件が非常に似てるなー。

68 :教授:04/04/30 23:18
「邪馬台国論争は考古学ではなく文献学」とどこかのスレで言ってたやつに
まず1票。

各自、熱くならずにおもいっきり妄想を語れば良い。


69 :日本@名無史さん:04/05/01 00:22
>>68
でも論破されたら考古学的権威云々言い出す香具師が出て来るんだよな

70 :日本@名無史さん:04/05/01 00:24
畿内説信者の一部は、考古学妄想なので、文献学をちゃっかり軽視

71 :日本@名無史さん:04/05/01 00:44
北九州説信者の多くは、たんなる妄想なので、考古学と文献学の両方をちゃっかり軽視

72 :日本@名無史さん:04/05/01 00:59
>>66
南洋とかに刺青する部族ってよくいないっけ?

73 :日本@名無史さん:04/05/01 01:24
橿原関係者と西都君、誰かが呼んでるよ>70-71

74 :日本@名無史さん:04/05/01 01:36
>>70-71
畿内説信者の多くと北九州説信者の一部は、
妄想ではなく、考古学と文献学の両方をしっかり重視

75 :日本@名無史さん:04/05/01 01:39
>>65
こちらでどうぞ

高句麗・百済・新羅・任那って、同一民族なの?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1000047879/l50

76 :日本@名無史さん:04/05/01 02:33
邪馬台国は漢籍学
大和朝廷は国内文献学と考古学

同列ではないわな

77 :日本@名無史さん:04/05/01 02:35
古来、朝鮮族は戦乱を逃れて畿内に住み着き中心部纒向に自らの都市を建設した
纒向は銅鐸を祭る朝鮮族の首都
しかし源日本人の血が濃い南九州の天皇家に纒向は滅ぼされたが
朝鮮人の血と気質は関西に染み付いたとさ

78 :日本@名無史さん:04/05/01 02:38
朝鮮民族が形成されたのは、ずっと遅いのでチョト違う

79 :日本@名無史さん:04/05/01 08:56
纒向は漢鏡の配布と国産鏡サイズの管理、前方後円墳の許認可なと
後世の許認可、家元のような概念を持っていたようだ。現代でいえば
ファーストフード業界のフランチャイズ制のようなものだったのかな。
周辺国で当時こんなことをやれるのは安定した漢王朝のようなところだろう。
こうした金儲け主義は縄文人、朝鮮人のものではなく、どちらかといえば
現代の華僑系、失礼だが、キョウホ系のような感じがするんだけどね。
やはり楽浪郡経由でやってきた何者かなのかな。

80 :日本@名無史さん:04/05/01 10:00
しかし、根っからの列島人でなくては全国規模の古墳、鏡制度の受入れは
できなかったであろう。又、鏡などの輸入品にかぶれるというのはそれを受
け入れたのはワカタケル型の大王もふくめて根っからの列島人であり、大陸
との交渉、進出は青銅製品、鉄素材の確保のためであったのかもしれない。

81 :日本@名無史さん:04/05/02 03:16
>>80
「根っからの列島人」が縄文人を指すのなら?だが
3世紀の交易文化圏を形成したのが渡来人主体の国家ではないという説なら同意。
半島から先進の知識や技術を伴ってやってきた渡来人が
国家形成に大きな役割を果たしたのは事実だろうが
主体となるほどの多人数が一挙に押し寄せたというのはありえない。
文献どころか各遺跡にもその痕跡は一切ない。



82 :日本@名無史さん:04/05/02 05:20
>>81
>主体となるほどの多人数が一挙に押し寄せたというのはありえない。

それはゲルマンの大移動のような民族移動を想定しているかも知れないが、
例えばノルマン人がイギリスを征服してその「主体」となったり、
マケドニア人の一派がエジプトを征服してその「主体」となったり、
モンゴルの一派がインドを征服してその「主体」となったりしたのは、
一握りの集団によって行われている。
「主体」となるのは多人数であるとは限らない。
古代の国家とは一つの「家」であり、領土や人民はその所有物であるからだ。

83 :日本@名無史さん:04/05/02 05:26
いやさ「東征」とか「滅ぼされた」とか
皆さん勇ましいこと書かれてますが
3世紀以降の遺跡から戦乱の痕跡が一切出ないと言う事実は
(鏃跡や刀傷の跡が見られる遺体は、2世紀後半まで)
どう説明されますか?

最近の主流説が軒並み政治的理由とか連合(東遷もそのひとつ)を
提唱しているのは、まさにこの為なのですが。
(小規模精鋭部隊による、ゲリラ的暗殺&乗っ取りという説もあることはあるが)

84 :日本@名無史さん:04/05/02 05:31
>>82
しかしそれらは文献記録も残っており
なおかつ発掘によって裏付けられたものじゃない?
邪馬台国でも大和朝廷でも、はたまた銅鐸文化族でもいいけど
仮に文献からは意図的に抹殺したとしても
一切それを匂わせる出土品が出ないと言う事がありうるのかな?

85 :日本@名無史さん:04/05/02 06:34
前方後円墳てさ、高麗尺っていう尺度で作られているんだって。

少なくとも高麗人が全国の前方後円墳を設計指導していた事は間違いないと思われ。

高麗人が各地に出張してその地の首長の注文を受けて前方後円墳を設計指導していたんじゃないか?


86 :日本@名無史さん:04/05/02 07:09
どうして高麗に前方後円墳が無いんだ?
朝鮮半島の前方後円墳は、建設当時は倭人勢力圏内だった半島南部に限られてるんだろ?


87 :日本@名無史さん:04/05/02 09:16
>>81 >>82 >>83 古代、万景峰号はなかったとすることに賛成(w
>>84 文献記録の作者が白村江の戦い以後の倭国人で唐の
漢籍知識を売り物にしていたものたちなだからなー。倭国古代の
実像など眼中になくもっぱら史記等漢籍の記述をよりどころと
していたものと思う。上っ面の恰好いい官僚たちが必死で古来からの
語り部の伝統を伝えてきた弱者を踏みにじって出世する。そんな時代
であったのだろう。
>>85 動いたのは棒っきれの尺であり人じゃない。メートル法が入って
きたのはフランス人が移住してきたことではない。
>>86 宋がワカタケル倭王武の上奏文を正式に認めたということは
半島南部が安東大将軍の版図であったことを認めたことであり、
そこの住民がワカタケルの許可する墓制に服するのは当然。

88 :日本@名無史さん:04/05/02 11:28
>>85
高麗尺って後から付けた名前だろ
どこの誰が使い始めたのかはわからん
銅剣が大正時代の命名であるように
後から作った言葉でモノの実態を測るのは
大いに危険なのだよ

89 :日本@名無史さん:04/05/02 12:02
>79
岡山県の古墳のほうが立派だったりするので
許認可説は破綻している。

90 :日本@名無史さん:04/05/02 12:28
>>89
許認可制かどうかは別にして
吉備は前方後円墳文化形成のの重要な担い手であることは間違いない。
なにしろ初期型前方後円墳で使用された特殊器台が
吉備型のデザインなのだから。

91 :日本@名無史さん:04/05/02 13:34
>>89 「キビ」しい処を突かれた。キビは箸墓の建設者であった可能性があり
親の親というステータスと考える。

92 :日本@名無史さん:04/05/02 16:27
>>84
>仮に文献からは意図的に抹殺したとしても
>一切それを匂わせる出土品が出ないと言う事がありうるのかな?

この時代に、それが常に期待できるかどうかということもある。
例えばイワイの乱などはたしかにそれらしいものが残っているが、
景行仲哀の九州親征とか、神功皇后の新羅征伐とか、「文献」に
残っている事件について、「それを匂わせる出土品」が出ているのか?



93 :日本@名無史さん:04/05/02 17:18
そういうこと言い出したら日本中の地面を邪馬台国当時
まで掘り下げるしか証明しようがなくなるなw
まあ、東〜北日本はおいといても今じゃ大都市になっている
所は大規模な発掘は望むべくもないじゃん。
結局遺跡が見つかるような所って、今ド田舎で単に発掘
調査しやすいような所か、後世のしっかりした記述がある所
だけみたいだな。

94 :日本@名無史さん:04/05/02 17:44
>>93
考古学なんてそんなもん
三内丸山は野球場を作ろうとしてた所だし
荒神谷は道路工事やってた所
吉野ガ里も工業団地のために整地してたんだよね
対馬で坂遺跡っての見たことあるけど
民家が建て直すんで家を壊して下を掘ったら出てきた
もし隣の家が建て直そうとしてたら隣が遺跡になる
ほとんどマグレの世界だからな

95 :日本@名無史さん:04/05/02 17:48
http://diary.jp.aol.com/ykbsrgqscmdb/
今は亡き彼について語りましょう
コメントよろしくおながいします


96 :日本@名無史さん:04/05/02 20:19
>>83
「東征」が1〜2世紀にあったなら何の矛盾も無いが。


97 :日本@名無史さん:04/05/02 23:43
>>93
その通り。
だから「遺跡が出ないからその事件はなかった」とは言えないのだ。

98 :日本@名無史さん:04/05/03 05:11
>>93
ホケノ山古墳の木郭が楽浪郡と関係があるという説については
どう思う?

99 :日本@名無史さん:04/05/03 11:15
横から失礼。倭には木郭なしとか、南北に長しとかは後漢時代の
データを参照して、時代考証を無視した倭人伝を作ったのではな
いかとの感がするなー。記紀の編者たちと余り変わらないんじゃ
ないかな。

100 :日本@名無史さん:04/05/03 11:28
楽浪海中に倭人ありというのは倭の海人族が楽浪の群島を
支配下においていた。そしてその末裔の一部が出身地の瀬戸内海
沿岸に漢、遼寧の影響を受けた墓制を持ち帰ったとも考えら
れる。

101 :日本@名無史さん:04/05/03 12:25
中国の歴史書執筆に関する執念を知らないのか?
司馬遷みてみ、

102 :日本@名無史さん:04/05/03 13:11
>99
倭は甕棺式だから木郭なしが今日的にも正確。
太平洋岸の中国人による調査がなかったこととや
倭人が里程や方位による地理把握をしていなかったため、
南北に長しとの記述は後世まで続いた。

べつに記紀のような歴史改ざんの作為があったわけではないだろう。

103 :日本@名無史さん:04/05/03 15:24
>>100
ホケノ山古墳は支配者の墓と考えられる。
纏向の支配者は海人族の末裔だったのかな。

104 :日本@名無史さん:04/05/03 16:30
ホケノ山古墳がウズで名高い鳴門、萩原1号墳と楽浪出土の
鏡を分け合っているウズ彦の別名が椎根津彦というが、海部
系図などにいう倭宿禰であろうとおもわれる。2つの名前は
別人でその間柄は神武-五瀬命の関係であろう(神武記で脚色
があったのか)。ホケノ山古墳からは山口県の壷が出るが被葬者
出身地を表しているとの説あり。壱岐-伊都ー奴ルートから
対馬-沖ノ島-関門ルートに変わる時代瀬戸内海人族も、出雲など
のアズミ系同様台頭していったのではないか。いずれにせよ倭人伝は
男王は長続きせず女王になったと伝えるし、事実吉備の文化の流入
また大量の東海からの土器(アズミ系か)流入があり、邪馬台国が
成立して行く。


105 :日本@名無史さん:04/05/03 20:49
邪馬台国がそのまま大和朝廷になったんなら
親魏倭王の金印が、先祖伝来の大切な宝物として扱ってると思うんだけどな。

106 :日本@名無史さん:04/05/03 21:54
邪馬台国がそのまま大和朝廷になったんなら
三国志〜新唐書の国交を、列島の立場からありのまま記載すれば
立派な日本国史となる。卑弥呼がもらった百枚の鏡も国宝として保管。


107 :日本@名無史さん:04/05/03 22:34
漢倭奴国王金印は志賀島の聖域ではなく人目に触れないところに
秘匿された。つまり神社が保管していたが何時の時代か中央の
目の届くのをはばかり、秘匿したのだろう。親魏倭王の金印の場合
未だ三輪神社はできていなかった。古そうなものとしては七枝刀
等の出てくる石上神社あたりが臭い。古墳に埋蔵したり、三種の神器の
ようにそれを持っていたら大王の地位が保証されるなどといった
ものではなかっただろうと思う。

108 :日本@名無史さん:04/05/03 22:41
ヤタノカガミだって平安時代の火事で何度も消失してるのに
各地に配った卑弥呼の鏡なんて残ってなくて当然だろ

109 :日本@名無史さん:04/05/03 22:47
一回の船積みで同型のものが10枚セットで来たんじゃないか
という専門家の説があり。多分ほとんどは宮内庁の管轄下の
有名古墳にあるのかも。

110 :日本@名無史さん:04/05/03 23:53
>108
金印インチキ説か。
鏡を配った証拠も知りたいところ。

111 :日本@名無史さん:04/05/04 00:02
>>105
卑弥呼が死んだらまた国が乱れたといった状態だったのでは、
金印なども無事保管してられなかっただろう・・・

112 :日本@名無史さん:04/05/04 01:11
いまの法隆寺が建ってから
国が乱れたことは一度もないと・・・

113 :日本@名無史さん:04/05/04 02:12
>>112
東大寺大仏殿だって何度も焼けてるぐらいだから、
法隆寺が原型を留めているのはむしろ運が良い。

114 :デマスキー:04/05/04 16:14
鎌倉の大仏殿なんて津波で流されたんだろ、たしか。
立地によっては日本のことだから、地震・台風・洪水・津波・火事でなくなってても不思議じゃないな

115 :日本@名無史さん:04/05/04 20:09
>>105
親魏倭王の金印は「仮授」されたので、卑弥呼が死んだときに魏に返したのでは?

116 :日本@名無史さん:04/05/04 21:38
「仮授」ってのは正式に授けたということ。
べつに現代語の「仮りに」という意味ではない。

117 :日本@名無史さん:04/05/04 21:51
仮節なんてのも「かりに」じゃないけどなぁ・・・・

けどこういうのって本来temporaryの意味がそのうち変質してったんじゃないのか?
「仮授」の場合、『「仮りに」という意味ではない』と断言できるのか?

正直、おれはよくわからん。

118 :日本@名無史さん:04/05/04 21:54
本来ならば当事者間、皇帝-女王間で直接に受け渡し
すべきところを遠路のために第3者を経由して渡すというように
勝手に解釈していたが、どうかな。

119 :日本@名無史さん:04/05/04 22:27
漢の四年、韓信が斉平定後、劉邦に斉の仮王にしてくれと申し出て、
劉邦は激怒したが、子房他の諌めを受けて、「仮王とは何事か!真の王となれ」と
いってその場を取り繕ったという話があるけれど、
このときの「仮」は、やっぱりtemporary=一時的なという意味だろ。

で、「仮授」っていうのはどういう意味なのかってのが長いことわからない。
「一時的に授ける」なのか、「正式に授ける」なのか。どっち?

時代による用法の変遷などもあげて、議論してくれるとありがたい。


120 :日本@名無史さん:04/05/04 23:16
金印が「仮だから要返却」なら
難升米の「假銀印青綬」も返却しなくてはならない。

「今以汝爲親魏倭王、假金印紫綬、裝封付帶方太守假授汝。
其綏撫種人、勉爲孝順。汝來使難升米、牛利渉遠、道路勤勞、
今以難升米爲率善中郎將、牛利爲率善校尉、假銀印青綬、引見勞賜遣還。」

121 :日本@名無史さん:04/05/04 23:47
正式でも要返却なんだろ。本来は。
通交が途絶えたとか、中国本土が混乱の極みになって返せなくなってしまったとかはあるだろうけど。
だから、返した返さないは無意味だろ、議論として。

とりあえず、

>「仮授」ってのは正式に授けたということ。

が正しいかどうかに絞って議論してほしいな。


122 :日本@名無史さん:04/05/05 00:08
「仮授」っていう単語が、実は使用されていな点もポイント

123 :日本@名無史さん:04/05/05 00:15
字源を引けば簡単にわかることだが
「仮」には「くれてやる」の意味がある。
目上の者から目下の者に物を GIVE すること。
「授」も物を与えることだが「手渡す」の意味を含む。
だから「仮授」は皇帝が直々に卑弥呼に(の名代の難升米を通して)
金印を与えたことを指すと思う。

124 :日本@名無史さん:04/05/05 16:48
>>123
辞書っていうのは、長年の用例の集積だから、あとで転化した使い方っていうのは
辞書にはのってても、古い時期には使われていないってことはあるよね。

それに、同じ辞書でも、藤堂では『一時だけかし与える』になってるから、
『与える』という意味ではあるけど、“一時的に貸す”というニュアンスが付いている。

史記を検索すると、どうも“与える”意味で假(仮)を使っている例はなさそうだ。
漢書もなさそう。

数が多いし漢文読めないから、見落としてるかも知れないけど。

ところが三国志になると幾つかある。たとえば、魏志武帝紀にはこんなのがある。

太祖遂至洛陽,京都,暹遁走.天子假太祖節鉞,録尚書事.

これは董卓誅殺後の混乱の後に、曹操が天子と洛陽で面会した時のようだけれど、
曹操に節鉞が假されている。
節は軍事上の懲罰権の象徴、鉞は軍事統帥権の象徴だったと思うけど、
これは危機に臨んでの一時的な付与とみたほうがいいんじゃないかな?

仮節なんてのも、これは軍事懲罰権に使持節・持節・仮節の三段階あるなかの一番下で、
“仮節”っていうのはもともと緊急時に臨時に設けられていたものがそのまま恒久化したような気がするんだよね。
証拠はないけど。

で、こっから先が問題なんだけど、拜とか假とか授で検索すると膨大な量が引っかかってしまうから、
なかなかこうだって詰め切れない。

用例的にはどうなんだろう。
“かす”とか“一時的に”とかいうニュアンスを含まない純粋なgiveの意味ってあるのかな?

125 :日本@名無史さん:04/05/05 18:05
藤堂は中共におもねるところ多大だったように
学者としてはDQNだと思う
一時期上古音と中古音の中間の失われた音韻を再構築したと自慢したが
邪馬臺國=ヤマト国から発想して
「臺」を「ト」と読むのを基礎にしてたんだからお話にならない
古田が三国志では邪馬壹国だと指摘してから言わなくなった

126 :日本@名無史さん:04/05/05 22:55
『一時だけかし与える』というのは常識的におかしい。
しかし、貰った方とすれば呉れた国が滅びたら意味ない。
却って中国みたいな国は反動で今までおべっか言ってたのは
敵だ、なんてことになる可能性があるし、そこに来て日本の馬鹿が
その尻馬を担いで騒ぐこともあろう。志賀島で秘匿されても
当たり前じゃないか。

127 :日本@名無史さん:04/05/05 23:00
一時的ではないでしょ。
「本来なら『王』は中華の国にだけいるんだけど、我々が特別に王を称するのを許してあげるよ。
だから謹んでありがたく受け取り、我々を敬いなさいよ」
って意味でしょ。


128 :日本@名無史さん:04/05/06 00:02
>>127
だから、その用例があるかどうか聞いてるでしょ。
用例がなけりゃ、そんなこと言えないじゃない。

129 :日本@名無史さん:04/05/06 21:38
「正式に与える」と「仮に与える」の区別などない。
どんな権限でも本来は天子(=中華皇帝)のものなんだから。
正式に与えられた権限であっても、本来は天子のものなのが
「仮に」与えられているわけ。

130 :日本@名無史さん:04/05/07 00:36
>>129

でも、後漢書では、「倭奴國王印」を「仮授」するとは言っていない。

倭奴國奉貢朝賀、使人自稱大夫、倭國之極南界也。光武賜以印綬。


131 :日本@名無史さん:04/05/07 00:52
>>129

『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳全体でも、「仮授」と言っているのは、倭人の条だけだ。


132 :日本@名無史さん:04/05/07 11:02
手元の魏志倭人伝の原文によると

今以汝為 親魏倭王 假 金印紫綬 装封付帯方太守 假授 汝其綏撫種人勉・・・

金印紫綬を「假し」、装封して帯方太守に付し「假授」せしむ・・・

一応正確なところをかいときます。
岩波「新訂魏志倭人伝他三篇」。

133 :日本@名無史さん:04/05/07 11:02
倭人の側が受け取ったかどうか不明で、中国が一方的に授けたからじゃないの?

134 :132:04/05/07 11:03
う、がいしゅつか・・・

135 :日本@名無史さん:04/05/07 11:50
最新の鈴木説が主流


136 :日本@名無史さん:04/05/07 16:34
>>131
三国志全体では他に幾つかある罠

>>131 >>132
假が問題なんだから、いいじゃない。細かいことは。
假す、という行為がどういう意味を持つかってことでしょ。本題は。

>>129
だから、金印も本来は皇帝のもので、形式上は一時貸与ってことかな。

けど、假の使い方がかわるのは晋書ぐらいからって話もあるよね。
もう少し、具体的な史料をあげてほしいな。
このままじゃ、私(=129)を信じなさいっていう信仰の世界だもの。

わたしゃ宗教者じゃないから、悪いけど信用できないのね。証拠がないと。
いろいろあって学習したからね、証拠をあげずに結論だけを連呼するヤツは信じるなって。


137 :日本@名無史さん:04/05/07 20:59
水槽のタコでも赤い皿に電気ショックを与えると青い皿の餌にしか
寄ってこなくなるそうだが。
「羹にこりて膾をふく」という諺はタコのためにあるのだろうな

138 :日本@名無史さん:04/05/07 22:23
最近の考古学の成果を見るに、想像以上に百済と倭の結びつきが強いことが分かった。
九州の豪族の多くが、百済に渡ったのではないか?


139 :日本@名無史さん:04/05/07 22:27
>>138
スレ違い。スマソ

140 :日本@名無史さん:04/05/07 22:47
逃げましたな

141 :日本@名無史さん:04/05/07 23:24
丹波の出身者が新羅脱解王になったとの伝説の
ある一方で浦島太郎は帰国したような話でもある。
同様に楽浪方面に進出していた倭奴(朝鮮人は日
本人を軽蔑してウェーヌと呼ぶという話を読んだ)
倭人であるが、最終的には百済共々日本に引き
上げたのではないかという気がする。要するに
倭奴というのは日本ではオニ、ワニ、韓国では
ウェヌと呼ばれていたが海人族ということでは
とおもう。ただし、オニ以外の海人族もいたような
気がする。狗奴国が臭いのだ。

142 :日本@名無史さん:04/05/08 05:48
倭奴というのは漢籍からとった名前だから
韓国人が日本人を倭奴とよぶようなことが始まったのは
ずっと新しい時代のことだよ
韓国人の支配層に漢文教養は定着してから。


143 :日本@名無史さん:04/05/08 07:09
>>142
どの漢籍?

144 :日本@名無史さん:04/05/08 07:58
飛躍ばかりで失礼だが、金印の委奴、これって、伊都と読ませるのは
奴は「の」又は「ぬ」という倭国語に当てはまっているので無理がある。
「わの」と読ませるのは余りにも倭国的すぎておかしい。「倭奴」という
言葉に倭国の総称の意味をもたせたものとすると「倭奴」という古代
国際語の存在が出てくる。かの大英帝国ももともとは海賊の国、ましてや
倭国には高地性集落、吉野ヶ里、桃太郎の鬼が島、九鬼を初めとする水軍
、大江山伝説、ねぶた、ネプタ祭り、なまはげ、倭寇等、(論理にかけるが)
感覚的には海賊を思わせるものが多い。その子孫とおぼしきもので秀吉に
によって差別扱いを受けてものと重なる点もおかしい。

145 :日本@名無史さん:04/05/08 08:14
縄文時代から黒曜石、ヒスイを交易する海人族はいたはずで
精神的にも弥生の「一所懸命」、「村八分」等の概念と対立し、
経済的には米作りを生業とせず、食生活においては狩猟、漁労
を生業としたものがあった。それは佐賀、島原、天草、薩摩の線、
伊予から吉備にかけての瀬戸内、紀州から北陸に至る(信長と
戦った浄土宗)等の深層心理に残っていたんじゃないか。

146 :日本@名無史さん:04/05/08 10:33
古代中国には津波が大河を逆流して山を崩したという伝説があるが
今から6300年前喜界が島カルデラは地球規模の噴火を起こし、北海道
東北を除く日本列島は深い灰に埋もれた。倭人とはこの時世界各地に
離散した縄文人のことであり、そのうち、東シナ海、東部シベリアから
故土に向かって帰巣するものがでてくる。そうした流れの最後のものが
今から3000年前の弥生文化であるという仮説はどうかな。

147 :日本@名無史さん:04/05/08 21:40
>>105-106
どういう立場での発言なのか真意を測りかねるが
邪馬台国がそのまますんなり大和朝廷になったと考えている香具師は
畿内説論者でもごくごく少数派です。

むしろ記紀編纂時までのいずれかの時代に王権が交代した可能性が高いとの
仮説を提唱される方がほとんどです。
(これは水野氏の三王朝交代説とはまた別のものであり
 その時期や規模、内情については諸説あり)
最近では九州出身の部族が最終的に王権を確立したとの見方が多いようです。


148 :日本@名無史さん:04/05/08 22:23
“そのまま”という文言が何をさしているかを詰めないと
すれちがいの議論になる罠

そうそう。
大和朝廷の定義もきちんとしておいたほうがよいな、きっと。

149 :日本@名無史さん:04/05/09 00:06
>>148
>大和朝廷の定義
これまた難しい問題だなあ
なにせ成立時期が諸説プンプンだし、このスレ自体がそれを探ってるようなものだし
最近では卑弥呼の邪馬台国と台与のそれとは別物だと主張する大和岩雄みたいなのもいるし

記紀編纂時の大和朝廷(天武帝)と邪馬台国との関係を問うともなれば
すべてにおいて仮説の域を出ない(しかもそのすべてに反論可能)になるし

今更だけどホントに難しい問題なのね、大和朝廷って。


150 :日本@名無史さん:04/05/09 01:04
>>148
>大和朝廷の定義もきちんとしておいたほうがよい・・・・
いつも拝聴だけのROMなので、生意気な提案ですが、
歴史をうしろから削って遡り、ぎりぎり残った治世を大和朝廷と定義できないでしょうか?
さすれば邪馬台国はこう違うと言えませんか、大和の地であろうがなかろうが・・・・
生意気言ってスミマセン。

151 :日本@名無史さん:04/05/09 01:28
>>150
いやいや建設的な意見ありがとう。
しかし>>149 の言うとおり難問であることは確かだわな。
文献史学的に言えば、数少ない資料であるにもかかわらず
記紀と中国側の史書とで記述が一致していない点が多々あるとか
6、7世紀の古墳にしても被葬者が確定できないとか
挙句の果てには唯一の手掛かりのはずの天皇陵が調査すら出来ないとか
問題だらけだよな。
更にややこしいのは、発掘結果がこれまた記紀と一致しないなんてざらにあることだし。

現段階では継体天皇までくらいしか遡れないようにも思う。
その継体もご存知のとおり陵墓指定が間違っていたしね。


152 :日本@名無史さん:04/05/09 01:42
多少強引だがスレタイに沿って定義するならば

魏志倭人伝に言う「邪馬台国」はその後・・・
@大和朝廷に発展していった。支配者(天皇)は記紀の語るとおり
 連綿と続いていった。
A大和朝廷に発展していったが、支配者(天皇)は幾度かの交代を経ており
 記紀の内容そのままで発展したのではない。
B邪馬台国は滅んだ(または元々傍流だった)。大和朝廷は邪馬台国とは
 別の勢力である。
Cもともと邪馬台国という勢力そのものが列島には存在していなかった。
 故に明らかに大和朝廷とは別物。

今ではAとBが有力だが、その中にも九州説や畿内説があるわけだ。
自説を述べる際にどういうスタンスかも一緒に書いてくれるとわかりやすいのだが。

ちなみに俺は「今の段階ではなんとも言えない」との卑怯な立場です。

153 :日本@名無史さん:04/05/09 01:57
いつまで経っても決着しない邪馬台国。
もう、いい加減にしてホスイ。

154 :日本@名無史さん:04/05/09 06:12
いや殆ど畿内で決着はついている。
民間の研究者や畑違いの言いたがり学者や小説家が頑なにそれを認めないだけ。
確かに100%とは言いがたいが、それを言うなら
義経がジンギスカンになった可能性や
関が原以降の家康が実は影武者だった可能性とかが
0%ではないといった程度のもの。


155 :日本@名無史さん:04/05/09 08:20
畿内の銅鐸が破壊されている説明もできなくて畿内?
阿蘇山があった国が畿内?
金印をもらったのに出てこない畿内?
吉野ヶ里遺跡や大宰府は何?


156 :日本@名無史さん:04/05/09 08:39
著作者、出版社にとっては決着がついては困る。学者というものは
弁護士や検事であって裁判官ではなく、本来大学の先生のような
人が多いんだがなにか主張を始めると引っ込みがつかない。
横綱のようなもので引退しかない。だから先生は、常識のある人の場合、
邪馬台国は決着などとは絶対にいえない。みんな政治家なんだ。
ところが2チャンネルではこんな金の亡者、蛆虫はいないんだね。
ころころ、なんでもいえる。これがいいとこなんだね。のびのびやろうぜ。

157 :日本@名無史さん:04/05/09 08:42
阿蘇山なんて中国人が来るようになったのは最近のことだろ。
なんかあるんか。

158 :日本@名無史さん:04/05/09 13:25
>>154
逆だろう、ほとんど九州で決着はついている
今の問題は九州の邪馬台国と後の奈良の大和朝廷への移行過程や関係など


159 :日本@名無史さん:04/05/09 13:59
決着はついてないんとちゃう? 
どの論にも確実な証拠がそろってないでしょう?反論の余地があるんだもん。

どの説を支持している学者が多いか少ないかの多数決で決着が付くというん
なら決着はつくんだろうけど、多数決取ったからって真実とは言えないでしょー。

ここでは、唱えている人の数をどうこう言うのではなく、あくまで論理が成り立って
るかどうかを見た方が実際的なんじゃないのかな?

160 :日本@名無史さん:04/05/09 15:58
皆様。日食警報です。
スルーでよろしく!

161 :日本@名無史さん:04/05/09 16:14
ある意味では国家の連合体だったんじゃないのか?
交代で議長国を務める連合体。EUとかアセアンみたいなもの。
だから首都なんかなかったというか、常に議長国みたいなところ
がそうなってたんじゃないのか。

162 :デマスキー:04/05/09 16:54
邪馬台国が畿内にあったなら、卑弥呼が神政をしたであろう場所を教えとくれ。
九州にあったなら、行程表の矛盾を説明しとくれ。
魏書の著者は日本に行っていないし、記載情報は又聞きだ。
もしも決定的証拠があるなら、たらたらやってないで、出しちゃぇばええやん。
学術に虎の子はきかんで

163 :デマスキー:04/05/09 17:10
学問板なんだからさ、明らかな場合以外は厨だとか警報だとか言わずにしといたれ。
ハン板じゃあるまいし

164 :日本@名無史さん:04/05/09 17:14
九州だ、近畿だというのは碁や将棋にある無限小数というのか
堂々巡りだ。みんながもう、いい加減にしてホスイなんていうのもわkる。
九州の邪馬台国と後の奈良の大和朝廷への移行過程や関係などが
ポイントというのもわかる。ところで記紀を読んでもあれが統一国家だ
朝廷だというのは変だ。古墳でも2つ続く親子型は珍しい。大体、女系社会
であり、誰の子か母親もよくしらないというのが実際のところだろう。こういう状態が
平安時代まで続いているではないか。足利、藤原、曽我、物部なんていう実力者の
歴史といった方が早い。




165 :日本@名無史さん:04/05/09 18:57
北九州には縄文時代から女王がいたのね。

その伝統が邪馬台国の卑弥呼につながったと考えられる。

畿内には縄文時代の女王はいたのかなあ?



166 :日本@名無史さん:04/05/09 19:03
>162
九州説の里程論
http://www.b-net.kcv.jp/~ryhei/1-1yamaikoku.htm


167 :日本@名無史さん:04/05/09 19:08
邪馬台国は畿内と九州、両方にあったんです。
畿内説も九州説も間違い。


168 :日本@名無史さん:04/05/09 20:39
邪馬台国はやはり連合体でたまたま議長国だったと推測する方が
無難じゃないのか。議長国が邪馬台国を名乗る。だからEUやアセアン
みたいなもの。それが次第に統一して国家としての構造に発展した。
また九州と奈良を結ぶのは瀬戸内海。海運を通じて同盟強調関係
を結んでそういった段階まで発展した。そういうほうが理に適う。

そういう意味ではギリシアやローマが地中海を通じて広がったの
と似ている。

169 :日本@名無史さん:04/05/09 20:54
>>168
そういうのを妄想って言うんだよ。

170 :日本@名無史さん:04/05/09 21:00
>>169
今のところなんの証拠もない。

171 :日本@名無史さん:04/05/09 21:37
話変わるんだけどさ、伊都国は糸島半島近辺で確定なの?
なんか「伊都国」って書いてある遺物とか出たんだっけ?

末盧国を松浦半島にすると、糸島半島あたりまでの道が見あたらないんですわ。
方角も魏志と合わないし。
松浦半島から内陸は難所だし。最初から壱岐から糸島に向かえばいいじゃんと思っちゃうくらい。


172 :171:04/05/09 21:43
ちと、スレ違ったみたい。
失礼。

173 :日本@名無史さん:04/05/09 23:08
>>171
>最初から壱岐から糸島に向かえばいいじゃんと思っちゃうくらい。

その突っ込み畿内信仰の馬鹿と古田宗教の阿保には通じないよ。

「伊都国」は方角に従えば吉野ヶ里だ。

174 :日本@名無史さん:04/05/10 05:16
>>171
>松浦半島
どっちの松浦半島?
伊万里の北にあるのが東松浦半島(唐津、呼子)
伊万里の西にあるのが北松浦半島(松浦、佐世保)



175 :日本@名無史さん:04/05/10 06:15
九州がなぜ近畿より早く王権が始まるかというと青銅器の到来が
近畿より先だからなんだ。そこで伊都国、奴国といった大きな国が
初めて近隣の国々に君臨する「高天原」てきなものができるんだ。
しかし、伊都国にせよ、奴国にせよ、はたまた後背地の甘木朝倉
方面を全て合わせても成長力において台頭する奈良、大阪地方、
それを何重にも支える列島中心地としての地理的条件には及ば
なかった。とはいえ重要なことは、伊都国、奴国ではじめて国々
のつながりの動きができたことで、このパターンが東遷するのだと
思う。しかしこの青銅器時代で既に九州と近畿は武器型と銅鐸型
といった風に分かれており、古墳時代は近畿から始まる。その時に
魏との通交があったのだ。

176 :日本@名無史さん:04/05/10 07:01
冷静に考えて魏が当時地方王権の一つに過ぎない畿内をそこまで詳しく知る必要性は無い
やっぱり畿内は「海を越えて東に倭種有り」だったんだよ

177 :日本@名無史さん:04/05/10 07:20
鋭い視点だなー。その時、そこに何があったのか。公孫に
続き、三韓も魏の奇襲を受けている。この影響で九州に三韓の
逃亡者を隠す必要が出てきたのかもしれない。列島は二面外交
策をとり、奈良県を「ネオ山門」として取り繕ったのかも判らない。
これとは別に東瀬戸内海(讃岐、阿波、吉備、播磨)辺りが沖ノ島
経由の新ルートを開発したということもありえる。いずれにせよ
九州代表のような物部、久米、大伴等更には甘木、朝倉を始めと
する地名が近畿入りする。非常に複雑であり、ブラジリア建都の
ようなものがあったのかねー。

178 :日本@名無史さん:04/05/10 07:34
和歌山県の伊都、那賀なんていうのは九州を真似たような感じだけど
飛騨と日田が似ているのは逆に九州に進出した縄文人例えば板付
に進出した雀居の東北の亀ヶ岡文化人(弥生初期)のようなものが
いたんじゃないかと思う。縄文の中心は東北だからね。鹿児島の
上野原に行くとよくわかる。

179 :デマスキー:04/05/10 12:15
縄文は一極集住しないから、中心地とかはないだろ。
50000〜100000規模の都市がどこかにあれば、話は別だろうけど。
関東とか旧来から大都市の地域は遺蹟の損壊が多いし。
その関連で以外と関東や近畿に中心があったとしてもおかしくない。
記紀に言うニギハヤヒは縄文勢力の化身的存在ともいうし

180 :デマスキー:04/05/10 12:17
縄文は一極集住しないから、中心地とかはないだろ。
50000〜100000規模の都市がどこかにあれば、話は別だろうけど。
関東とか旧来から大都市の地域は遺蹟の損壊が多いし。
その関連で以外と関東や近畿に中心があったとしてもおかしくない。
記紀に言うニギハヤヒは縄文勢力の化身的存在ともいうし

181 :171:04/05/10 12:19
>>174
唐津、呼子の方。
壱岐から近い方ね。

>>173
たしかに、唐津当たりから方位と距離あわせると鳥栖あたりになるよね。
でも海に出られる不弥国がよくわかんなくなる

182 :日本@名無史さん:04/05/10 12:57
>>181
それは簡単だよ。有明海は当時もっと内陸まであったから。

183 :181:04/05/10 13:20
>>182
いや、ほら、不弥国って、奴国から東に100里でしょ?
内陸に進んでまた西(海の方)に戻るってヘンなのかなと思ったモンで。
一度船に乗ってしまえば、南には下れるのだろうけど、奴国から乗ればいい
じゃんと思って。

カシミール3Dって言うソフト使ってんだけど、海進があった場合の海岸線が
ある程度イメージできるんですよ。
そうすると、吉野ヶ里あたりも海に近くなってたもんで。
磐井の岩戸山古墳と吉野ヶ里の当たりに、大きな入り江ができてる感じに
なってました。

184 :183:04/05/10 13:35
>磐井の岩戸山古墳と吉野ヶ里の当たりに、大きな入江が・・・
→岩戸山古墳と吉野ヶ里の間に、大きな入江が・・・

185 :日本@名無史さん:04/05/10 13:46
エー、次は「八女台国」、「八女台国」。最近かさの
忘れ物が多いので気をつけてください。・・・当時の
車掌さん(もう赤字路線はヤメタイなー)。

186 :日本@名無史さん:04/05/11 10:19
邪馬台国東遷説は正しいの?
神武天皇はヤマタイの王だったの?

教えてキモいオタ

187 :日本@名無史さん:04/05/11 12:45
>>186悔しいの?必死なの?


188 :日本@名無史さん:04/05/11 12:51
あれは邪馬台国より2-3世代前じゃないかな。相当古い、神代(弥生)の
時代のようだ。メドレーの話を地理的に東遷に結びつけたのは
大和に進出した物部のニギハヤヒ等の伝承と一致させたものだと思う。
ニギハヤヒ等は東進したのは事実としても神武記にあるように
侵略したのではなくスカウトされたんじゃないかな。(神武を海賊と
考えるとそれも捨てられないけど。)
神武のときのように別府の辺りまでスカウト団がお出迎えに
出たのかもしれない。甘木、朝倉辺りにあったプロトヤマタイ国から
お出ましになったんだと思うんだがね。

189 :日本@名無史さん:04/05/11 13:04
いずれにせよ最初男王を立てたがうまく行かず女王にしたというのだから、
夫婦なんてない時代のこと、イスケヨリヒメが初代の女王かも知れない。


190 :日本@名無史さん:04/05/11 13:31
九州から大和に来て一番キモイのは銅鐸だったので、というのは、
九州は銅剣銅矛だったので、銅鐸は邪宗であるとして禁じ、その
代りに九州と共通である鏡の宗教は奨励。この辺に対する反発が
狗奴国などの反乱だったんだろう。ハニヤスなんていうのはセラミック
会社の社長みたいなもので販売禁止命令とか所払いで持って処分されたもの
だから、反旗を翻し、東方に新天地を求めたのかも。老女をシャーマンとする
関門、金海近辺の習慣も持ち込まれたのかも。

191 :日本@名無史さん:04/05/11 14:44
その姫が依り代となった伊助さんって誰?

192 :日本@名無史さん:04/05/11 15:09
これって神武の奥さん。系統的には摂津に勢力を伸ばしていた
近江のワニ族出身みたいだね。依り代の「イスケ」ってのは
斎宮(イツキノミヤ)なんかにもあるんだけど、個人的見解は
鋳鈴樹依媛、つまり、銅鐸を樹にぶら下げて御託を並べてい
たんじゃないかと。ワニ>倭奴>ウェヌ>オニ>海賊・・・
これは弥生末期でその昔はカムイの親衛隊海人族で
鯱をトーテムとし、楽浪海中では徐福(ヒボコ、ホト)を悩まし、
始皇帝に鮫に悩まされと報告させたもの。平戸、佐渡で鳴らす
オニ太鼓のリズムに当時の戦闘のシーンが残っている気がして
いる。

193 :日本@名無史さん:04/05/13 12:52
この前読んだトンデモではアマテラスが卑弥呼だって
アマテラス=オオヒルメから

194 :日本@名無史さん:04/05/13 15:04
アカルヒメ、シタデルヒメ等等の女神、火明命等の男神等ある時期
太陽崇拝ブームがあったみたいだが、ちょうど、銅鏡の輸入の時期に
ソフトウェアとしてなんらかの類似する教理を持つ新興宗教があり、
ちょうど国家統一のときだから統一して味気のない国選のアマテラス
を作ったが、既成宗教も多い中でなかなか受け入れてもらえず、遂には
現在に至るまで皇祖神であり、顔がなく、伊勢神社に鎮座する始末と
なったんじゃないかな。統計的な神様で下品なところがなく、庶民には
好かれなかったのかも。弁天様のように女性自身を強調する訳には行
かなかったのでご利益が薄れたのかもね。一応崇神が持ち込んだという
話になってはいるけど。しかし、スサノオとペアーを組む、北東アジアの
熊シャーマネスと弟の形式を継承しているものとも考えられる。神様には
違いなく、卑弥呼との関係は薄いと思うんだけど。

195 :日本@名無史さん:04/05/13 15:16
しかしアマテラスとスサノオに仮託して日本海方面と近畿
瀬戸内方面の対立とか、日本海方面の宗教指導者の新生
邪馬台国における処遇問題などに触れている感じがあり、
ある程度の史実も入っているのかも判らない。スサノオは
裏日本から東国の独立国王(狗奴国のようなものか)の
承認を要求したが、逆に邪馬に任ずるとの高天原政府の
命令を受け出身地に帰れずに号泣したといいうこともあろう。

196 :日本@名無史さん:04/05/13 15:18
スサノオは邪馬台国官僚の海運大臣を命じるといわれたのだろう。

197 :日本@名無史さん:04/05/13 17:56
神話説によるにも、
アマテラス=卑弥呼、とすると、日向三代を兄弟にしないと、
神武から開化までの格代の在位年数が二、三年になるという弱点がある。
また、イザナギが行った、化け物のいるヨミは、邪馬台国で、何らかの理由でイザナミがとらわれの身になった、という大和側の記述とする説もある

198 :日本@名無史さん:04/05/14 04:44
神話だろ、神話w


199 :日本@名無史さん:04/05/14 09:07
最近は、神話を神話と断言できないこともあるのでは、という考えが出始めた。
欠史八代が創作なら、そんなに在位期間をのばすのでなくて、人数を増やせば良かったし、
創作なら、あんな小豪族から后をださず、中臣とかからにしててもいいはずだ。

そう考えると、不自然といえば不自然

200 :日本@名無史さん:04/05/14 09:13
オオヒルメ=アマテラスって朝鮮半島出身。
朝鮮語で「日」は「イル」=「ヒル」

卑弥呼はオオヒルメなのか?

スサノオは新羅出身だしアマテラスも新羅だろう。


201 :日本@名無史さん:04/05/14 09:29
馬鹿か?
ヒルメは大日靈女貴のこと。
靈の字の通り、巫に通じるのはわかる。ここからヒミコと読めるだろう。
ヒルメと読んだうえに、靈と女を合体させた字に置き換えたのは、作為的行為だろう、
また、古代は靈を、現代の霊の意味で使っていないのも注意すべき。

202 :日本@名無史さん:04/05/14 10:42
イザナギ神話の黄泉の国がギリシャ神話のオルフェウスからの借用であるとすると
物理的接点としてはイザナギ活動地域の丹後の首長(又は妻木晩田古墳の首長
あたりか)が107年の帥升使節団に随行又は主席として引率し、後漢鏡を得た際に、
後漢の外交筋又は大月氏代表から仕入れた一連のギリシャ神話(ヤマタのオロチを
含め)を基にしている可能性があると思われる。いずれにせよ、神話の時代的編年は
イザナギ→オオクニヌシ→神武→スサノヲのような感じがするんだが。
参考 http://db.gakken.co.jp/jiten/ka/109150.htm

203 :日本@名無史さん:04/05/14 11:04
神代、丹後塩土翁が粉河で天女と結婚し、酒造りを商売としていたという。
塩土とは英国から洛陽まで続く硬水又は塩分の強い地域のことであろう。
粉河、粉酒は現在西安(洛陽)の銘酒で白酒のようなもの、60°程度あり、
紛河、紛酒として有名である。こうした伝説が丹後に残ることと、内行花文鏡、
イザナギの活動地域を考えると107年の帥升使節団の線が出てくる。この鏡は
ホケノ山からも出てくるという。


204 :日本@名無史さん:04/05/14 12:06
こんなんあるぜ。神代記は輸入物っぽいといっている。

http://book.asahi.com/review/index.php?info=d&no=5456

---------------
『古事記の真実』 二宮陸雄さん(74歳)
サンスクリット語で解読
・・・
 本書は興味深い新説に満ちている。たとえば『古事記』独特の表記法
として、漢字ばかりの神名や地名に、「上」など謎の「小字」が添えられ
ているが、これは日本語にないサンスクリット母音の発音を示している
のだという。神々や歴代天皇の和名も、古代インドのヴェーダーンタ哲
学思想をもとに、明快に解釈される。伊邪那岐命(いざなきのみこと)が
生み出した12神が、実は黄道12宮の星座であると解明されるところな
どは、読者も思わず息をのむ壮麗なシーンだ。

 「ただし、全文をサンスクリット語で解読できるのは、天照大御神(あま
てらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、須佐之男命(すさのお
のみこと)の誕生のところまでです。そこまでは特殊な人々によって口
伝されてきたのではないでしょうか」


205 :日本@名無史さん:04/05/14 12:57
そんな電波だすなよ。
サンスクリットで書く必要性がないし、書いても国書にゃしないだろ。

現実的に上代日本語として読んで、編纂時に入った中臣氏の操作について考えな

206 :204:04/05/15 00:02
サンスクリットで書いてないじゃん、古事記は。見りゃわかる通り漢字で書いてるじゃん。
梵語のことよく知らないけど、サンスクリット語文化圏の神話と共通しているって可能性
があるということじゃないの?
8世紀当時の口伝か何かで残っていたものに梵語の影響が残っていたってことは考え
られないの?

もちろん、中臣氏の操作も否定しない。中臣氏の操作があったから梵語の影響が否定
できるって論理はよくわからん。

207 :日本@名無史さん:04/05/15 01:06
つまりアマテラスとかスサノオの伝承は仏教が伝来したころに作られたもの。

と言う事だね。スサノオの牛頭天王なんぞ仏教そのものだ。

208 :日本@名無史さん:04/05/15 09:01
牛頭でなくて、午頭でなかったか?

209 :日本@名無史さん:04/05/15 10:46
>>206
だから、天照・ソサノヲ・ツクヨミまでは、サンスクリットで解読できる、って書いてあるじゃん。
それをわざわざ漢字化してまで、国書に残す必要がないだろ。
サンスクリットで読める!って説はたいてい電波。
普通に考えたら、そのときに、サンスクリットを読める人間がいたなら、仏教教典も原文で読めたはずだが。
なんで漢文訳を音読みなんてしてるんだ?
それは日本にサンスクリットできるのがいなかったからだろ

210 :大和朝廷(ウソ):04/05/15 19:44
大和朝廷ってさあ〜何してたの?いつに生まれたの??教えて〜!!

211 :日本@名無史さん:04/05/15 19:49
http://www.asahi.com/culture/update/0515/002.html
「魏志倭人伝」には、邪馬台国の女王・卑弥呼が三国時代の239年、魏王朝に使いを送り、その返礼で金印と「銅
鏡百枚」を与えられたとの記述がある。三角縁神獣鏡には239年にあたる魏の年号が記されたものがあり、古代中国
の思想を題材にした文様などから中国製が多いと考える学者が主流だ。

一方、三角縁神獣鏡が国内の3〜5世紀の古墳などから500枚以上も見つかっているのに中国では1枚も出土して
いないことなどから、日本製と見る説も根強く、論争が続いている。

広川守・学芸員は「断定するには鏡をもっと多数分析する必要があるが、材質からは三角縁神獣鏡の一部が中
国産である可能性が高まったのではないか」と話している。

212 :日本@名無史さん:04/05/15 20:53
私の研究では、日本で出土するレシプロエンジンの材質はほとんど
オーストラリア産のボーキサイトが原料であることが明らかになった。

これってオーストラリア製エンジンなのか?
日本産のボーキサイトが原料でないと日本製でないのか?

213 :日本@名無史さん:04/05/15 22:00
和同開珎は、国内産の銅を使ったから和銅とづけらけた。
大仏の鋳造も、そのころ初めて国内で産出された銅を使ったと言う。
北摂の一蔵ダムの近くの知明山(ともあけやま)には、
大仏の為に国内ではじめて銅を掘り出したと言う説が残っている。

214 :日本@名無史さん:04/05/15 22:12
材料としての銅はすぐに腐るから長距離の運搬には向かない。
中国産の銅で作られている以上、中国で製造された可能性が高い。

215 :日本@名無史さん:04/05/15 22:17
半製品なら長距離OK

216 :日本@名無史さん:04/05/15 22:37
鉱石のまま遠距離を船も使って運ぶなんて、よっぽどオツムが弱い人間だな

217 :日本@名無史さん:04/05/15 22:39
大航海時代のイスパニアの船は、船底に鉛のバラストを積んで出港し、
中南米でバラストの鉛を下ろして砲弾に加工し、帰りは黄金をバラストにして本国に帰った。

218 :日本@名無史さん:04/05/15 22:44
銅鉱石のメインはやっぱ黄銅鉱?

219 :日本@名無史さん:04/05/15 23:27
オツムの悪そうなことを言ってみる。。。
リサイクルならどうする?
くだらない中国製の銅製品を再利用したら中国産で日本製だな

220 :日本@名無史さん:04/05/15 23:49
昨日日本史の先生が「畿内にあった有力集団がその場に残ったのが
大和朝廷、九州に移転したのが邪馬台国」とか言ってた。
クラスの歴史ヲタと授業中に討論してた。

これは有りえない説なんですか?

221 :世界@名無史さん:04/05/16 00:07
>>220
あーイイなぁ
おれも学生時代に戻って先生とそんな話したいよ

222 :日本@名無史さん:04/05/16 00:11
>>220
九州にあった有力集団がその場に残ったのが
邪馬台国、畿内に移転したのが大和朝廷

こっちの方が可能性が高いと思う

畿内にあった有力集団がその場に残ったのが本家の大和朝廷、
九州に移転した分家の邪馬台国から軍をを率いて本家を乗っ取ったのが
神武(祟神、応神)かもよ

223 :日本@名無史さん:04/05/16 00:17
崇神は畿内の本家の家長
応神は九州の分家の家長

224 :日本@名無史さん:04/05/16 00:27
というかさ、おまえらの頭単純化してるよ
卑弥呼の時代から大化の改新まで400年以上経過してるんだよ
大和朝廷がそのまま穏やかに発展とはいかないよ
挙句の果てに蘇我氏が所蔵していた歴史書である天皇記国記の焚書
焚書したからには当時の支配層天皇家にとって都合の悪い隠したい真実の歴史が書いてあったんだろう


225 :日本@名無史さん:04/05/16 01:00
 九州         畿内 
 邪馬台国       大和

卑弥呼=天岩戸前の天照   

台与=天岩戸後の天照 祟神天皇        同世代の人物
  l         l
天之忍穂耳命     垂仁天皇          同上
  l         l
 瓊瓊杵命      景行天皇          同上
  l         l
日子穂穂手見命    日本武尊          同上
  l         l
鵜葺草葺不合命    仲哀天皇          同上
  l          
神武天皇    →  応神天皇         同一人物

神武=応神説は?

瓊瓊杵命の可愛の山稜が前方後円墳なのは
瓊瓊杵命が景行天皇と同世代の人物だから

>>197にある神話説の無理を解決

卑弥呼=天照   卑弥弓呼=素戔鳴尊 出雲(狗奴国)の王

台与の代に狗奴国は大和(祟神)に攻められ弱体化

226 :日本@名無史さん:04/05/16 05:25
>>224
天皇記・国記は焚書したわけではなくて事故で焼失したんだよ。
国記はその時は助かったけど。

227 :日本@名無史さん:04/05/16 05:35
>>224
天皇になった蘇我は自分の正当性を主張するために天皇記を作った?
天皇になった天武は自分の正当性を主張するために日本紀を作った?

228 :日本@名無史さん:04/05/16 10:55
古代にそういった軽い、不真面目な人間は生きられなかったのであろうか
一人も描かれていない。今の世でも不真面目なものはいずれその付けが回ってくる。

229 :日本@名無史さん:04/05/16 11:35
帝記・旧辞ってホントにあったのか?
あったなら何で書かれたんだ? 漢文? 万葉仮名?

230 :日本@名無史さん:04/05/16 18:42
サンスクリ(ry

231 :日本@名無史さん:04/05/16 19:08
>>224
「天皇に都合の悪い事=事実」とは限らんわけだが。

「蘇我氏が所蔵していた歴史書である天皇記国記」がでたらめだから焼かれた可能性もある。

232 :日本@名無史さん:04/05/17 00:32
>>229
あったんなら、はじめて漢字で書くことの苦労を
太安麿が序文でくどくど説明する必要がない。
あくまで語り部の口伝として存在していた、とでも考えるほかない。

233 :日本@名無史さん:04/05/17 08:07
なら焚書はできないな。口伝だもの、関係者を大虐殺しないと抹殺できない。
なら、おそらくそれ以外でかかれた、というのが妥当だろうな

234 :日本@名無史さん:04/05/17 10:19
中臣だかが漢字以前から文字を使っていた、
とどこかで読んだ事があるが・・・・

235 :日本@名無史さん:04/05/17 10:39
記紀は「ある書に言う」を連呼→それ以前の資料を使用→しかし日本書紀は初めて漢字で記した苦労を説く→それ以前の資料は漢字以外?→神代文字か?→神代文字はデッチアゲ→だからある書なんてない。

うちの知り合いの史学者の論理。メチャ歪曲論。

236 :日本@名無史さん:04/05/17 15:33
http://inoues.net/yamataikoku/mystery/3kakubuchi.html
上記URLの「3.三角縁神獣鏡の出土数」の表を参照し、
三角縁神獣鏡の出土数を邪馬台国高天原の議席数だとすると、
現在宮内庁によって発掘が禁じられている箸墓などの発掘に
よっては奈良県が0ではなくなる可能性もあろうが、大勢は
変わらず邪馬台国時代高天原は筑前出身議員の単独政党支配
であったといえる。
これは古墳時代に入っても続き、筑前は全国一であり、近畿、
中国の周辺がその後を追っている。ニギハヤヒの東遷を物語
るのだろう。要するに筑前が日本を作ったのだよ。
日向などがようやく出てくるのは古墳時代に入ってからである
から、神武の話は邪馬台国時代とは関係なくそれ以前のこととなろう。

237 :薬丸:04/05/17 15:50
一生邪馬台国と大和朝廷の間がわからないのかな?
それだったらさびしい

238 :日本@名無史さん:04/05/17 16:05
大和の方としては筑紫の反乱が怖かったので懐柔のために優先的に三角縁神獣鏡を配布したとか、
筑紫が伝統的貿易権を主張し、法外な100-1000%もの通行税を課したということもありえよう。しかし、
邪馬台国時代の筑紫は決して制圧されたような状態ではなく強権であったのではなかろうか。やがて
筑紫は増長し、次第に大和の足を引くようになる。これが景行、仲哀時代のことだろうか。


239 :日本@名無史さん:04/05/17 16:10
筑紫は、今も叛乱をしているぞ! 電波を飛ばして半島の手先となっているじゃないか!
筑紫は昔から、大和朝廷の敵であったのだな。

240 :日本@名無史さん:04/05/17 16:16
>>239
おまえ馬鹿だろう

241 :日本@名無史さん:04/05/17 16:24
筑紫は奴国のすぐ東のフミから東は大和朝廷の味方であったようだ。
その辺から東海岸を大隈半島までが残余の列島と同じで、問題は
この西の薩摩半島から伊都国に至る地方が東シナ海文化に入ること
だ。だけど半島の手先というのは北朝鮮のことだろうと思うが、これは
高句麗のことじゃないかな。

242 :日本@名無史さん:04/05/17 17:27
邪馬台国って存在しないんだろ?

243 :日本@名無史さん:04/05/17 18:10
>筑紫は奴国のすぐ東のフミから東は大和朝廷の味方であったようだ。

ありえませんというか意味不明、大和朝廷=筑紫なのに。。。頭大丈夫?
朝廷の中核は筑紫出身を忘れてるよ、君はもう一度妄想練り直しだ。

244 :日本@名無史さん:04/05/17 18:42
↑自説を主張するのに自説を根拠とするバカ

245 :日本@名無史さん:04/05/17 22:01
>>241、〜あったようだ。

根拠は思いつき?ヒラメキ?


246 :日本@名無史さん:04/05/18 02:00
素朴な疑問です。
魏志倭人伝の「魏」という国は、最近の
中国語の辞書によると”Wei”という発音です。なぜ日本では
”gi”と発音するようになったのでしょうか? 呉音ですか? 

そもそも卑弥呼の時代には、魏に朝貢していたのだから、向こうの音に
従って、”Wei”と呼び始めるべきではないでしょうか?
もともと、それ以前の日本には「魏」という漢字はないのだし。
「ギ」という音は、どこから出てきたのか?
誰か判ります?

247 :日本@名無史さん:04/05/18 04:00
>>246
おいおい、現代の中国語(北京語)の発音は、複数の北方民族によって
1500年間ものあいだ、めちゃくちゃに変質させられてしまった発音なのは常識。

人種的にも、少なくとも中国の北部は、魏の時代と異なるというのも常識。
例えば、いまでいう北京の付近が、魏のあと、どういう民族に
次々と支配されていったかを、基本事項として勉強しましょう。

加えて、現代においても、北京語以外での中国語の発音を認識しましょう。
文章はほぼ同じ漢字の文字列であっても、まるで違う言葉だとわかります。

248 :日本@名無史さん:04/05/18 04:11
>>247は>>>246の質問の答えになってないじゃん。

249 :日本@名無史さん:04/05/18 04:42
>>246が全く関係のないWeiを持ち出してきているのがアホ。
この場合は北方中古音と日本語の発音を比較するならまだ意味がある。

250 :日本@名無史さん:04/05/18 07:12
>>249
では北方中古音では魏をどう発音したん?
知っているなら、そこまで書いてくれると助かるのだが。

251 :日本@名無史さん:04/05/18 07:49
倭と魏はヒトとオニの差だから人任せの国、鬼任せの国という意味か。
いずれにせよ字がよくないね。偉くなると年金も人任せ、北朝鮮は鬼任せ
これも無責任だなー(w


252 :日本@名無史さん:04/05/18 08:05
今日の新聞に載ってたけど、三角面神獣鏡は中国産で決まりなんだって?

253 :日本@名無史さん:04/05/18 08:20
あの時代は全部輸入物だから国産はないし、朝鮮産は後漢より前の
古い時代のものだろう。いまさら何をかいわんや。

254 :日本@名無史さん:04/05/18 08:33
>>249
三国時代の魏の発音は中古音ではあり得ない
魏の後の西晋が滅びて北方の異民族が大挙して華北に入ってくる
南北朝時代の北魏あたりから漢字にも異体字が増えてきて
発音も変わってきたと思われる
それが中古音で隋唐から元代までの発音
日本では「漢音」と呼ばれる一般的な漢字の読み方
三国時代の魏の発音は確定していない
中国の音韻学で上古音と中古音の間が再現できていないから
しかしおそらく東晋以後の江南で使われた「呉音」だろう
仏典の読み方がこれで日本の漢字の読みにもかなり残っている

255 :日本@名無史さん:04/05/18 09:46
>>253
そうだけど、九州説論者はずいぶんと銅鏡国産説を叫んでたじゃん。

256 :日本@名無史さん:04/05/18 09:59
 家の近所に天皇陵がイパーイ有るようなところに住んでいる為か
正直なところ某ゴッドハンド氏のような捏造とかは抜きにしても、
邪馬台国から古墳時代の変遷には興味がある。 

ただしアホみたいに起源を追いかけるよりはそれによって生じた社会的な変遷とかを
考察するほうがより面白いような… 

(夏場は蚊が多いが、御陵さんの近くは堀部を伝ってくる風のせいで涼しい。)

257 :日本@名無史さん:04/05/18 13:03
>>246
なんか、アホが乱入して見苦しい展開になってるようだけど・・・・

>そもそも卑弥呼の時代には、魏に朝貢していたのだから、向こうの音に
>従って、”Wei”と呼び始めるべきではないでしょうか?

ご説ごもっともだけど、多数のコンセンサスが得られないと混乱の元になるだけだから、
もしどうしてもというなら、あなたが学界なり各研究者になり働きかけてそうなるように運動しないと難しいね。

それにこれは魏だけの問題じゃないでしょ。
他も全部、現代中国音にかえないといけなくなる。
めんどくさいぞ。中国史にかかわる語意全部・・・・気が遠くなるな・・・・・・

>「ギ」という音は、どこから出てきたのか?

中国語の辞書じゃなくて漢和引かないと。
手元の漢和だとギは漢音。

>>254
>三国時代の魏の発音は中古音ではあり得ない

またみてきたようにこんなこと言ってるヤツもいるし。
森博達は後漢初頭には中古音の体系に移行したと書いてたりするんだけどね。
確か、森の研究というよりは中国の誰ぞの研究を引用してたような気がするけど。

258 :世界@名無史さん:04/05/18 13:22
しつもーん

コンセンサスってなんれすか?

259 :日本@名無史さん:04/05/18 14:42
>>257
禿げしくコンセンサス

260 :日本@名無史さん:04/05/18 15:44
筑紫はミノーで降板しますた。

261 :日本@名無史さん:04/05/18 15:48
なんかえらそうに講釈タレてる奴が居るが、結局
畿内なのか九州なのか、それとも瀬戸内や出雲なのかどこなんだ

まだ妄想にせよ自分の仮説立ててる奴のほうが笑えるだけましだ
スレ住人からコンセントを得られるようになるまですくつにでも帰ってろ

262 :日本@名無史さん:04/05/18 16:38
畿内か九州かとかいう大ざっぱな問題はどうでもいいので、
もっと個別の重要事項について突っ込んだ議論を重ねましょう。

>>254
つまり、六朝文化とともにやってきた音という理解でよろしいですか?

邪馬台国の後継あるいはプレ大和朝廷にとって、
最も近くで、かつ、魏などがあった中国北部の地域が、
あのように胡や北狄など異民族の支配下にはいってしまっていた時代に、
倭としては自分たちの位置付けをどのように意識して変化させたのか、
そのこのところにすごく大きなポイントがあると考えています。

263 :日本@名無史さん:04/05/18 16:54
「魏」の音
上古音[giued]中古音[giuei]近世音[uei]現代北京音[wei]

[g]は普通のギではなくてng、つまり鼻濁音のギ。

264 :日本@名無史さん:04/05/18 18:30
上古音でも中古音でも、ほとんど変わらないてことやね。

しかし北京音って、北方民族におかされ続けて変質しまくってるね。
なんでも、日本の方が古い時代の音をよく残しているとか。

日本こそが、古代中国の正当継承者という意識があったという説もあったね。

265 :世界@名無史さん:04/05/18 18:34
>>264
おー
この場合たしかにそうだね

266 :世界@名無史さん:04/05/18 18:51
文化の中心地よりも、その周辺地域に古い文化が保存されているというのは
よくあることだが・・・

267 :世界@名無史さん:04/05/18 18:56
今の日本の音読みが古代中国での読みのまんまだったら笑うなぁ

268 :日本@名無史さん:04/05/18 19:04
実際かなりそれに近いだろ

269 :日本@名無史さん:04/05/18 19:06
呉服だって日本が古風を保持してるわけで
ごぼうの栽培も中国では絶えてしまった

270 :世界@名無史さん:04/05/18 19:10
>>268
へーそうなんだ。すごいなぁ。
いつの時代のどのアタリの読みを色濃く反映してるとかってのは分かるの?

271 :日本@名無史さん:04/05/18 20:23
>>270
かなり詳しくわかってるよ
呉音(=百済音)は中古音の初期、漢音は中古音の中期を反映してる。
推古朝遺文などには「倭音」とよばれる呉音以前の仮名遣いがあり、
これは上古音を色濃く反映している。

272 :日本@名無史さん:04/05/18 20:40
>>268
めちゃくちゃ似てるけど、日本語は必ず母音で終わるから、
今の北京語にはないけど昔はあった入声音には、余分に母音が付いてたりするね。

>>271
呉音以前の上古音を反映した「倭音」については、めっちゃ重要だけど、
古くからの大和言葉と思われている言葉にも、上古音から導けるものが多々あり、
とはいえ崩れたり訛ったりしているものも多くて厳密な判定が難しい。

一番幅広く解釈を取り入れると、大和言葉は大陸からの借用語が多い、となる。
とはいえ、聖徳太子の時代よりさらに1000年前とかだから判定微妙。

273 :日本@名無史さん:04/05/18 21:13
>>272
>大和言葉と思われている言葉にも、上古音から導けるものが多々あり、

多々はないだろw

>崩れたり訛ったりしているものも多くて厳密な判定が難しい。

だったら「多々ある」なんて判定できないだろ?

>一番幅広く解釈を取り入れると、大和言葉は大陸からの借用語が多い、となる。

そんな結論にはならんな。
一部の借用語の存在を理由に「多い」とはいえない。

>聖徳太子の時代よりさらに1000年前とかだから判定微妙。

藻前は何をいいたいわけ?大和言葉なんてないっていう雰囲気作りか?


274 :日本@名無史さん:04/05/18 21:31
広義の大和言葉は、狭義の大和言葉を中心に、加えて、
列島へ渡ってきた人々が齎した言葉からの借用などによって構成された。

ってところが、公平な見方であろう。
大和言葉はなかった、とか、すべての大和言葉が独自に昔からあった、
っていう両極端の見方からはそろそろ目覚めたほうがいい。

275 :日本@名無史さん:04/05/19 00:15
>>274
度合いの問題だろうが。両極端なことは272も273も逝ってない。

276 :日本@名無史さん:04/05/19 01:52
馬(うま)←上古音mag
麦(むぎ)←上古音mog
丘(くが)←上古音kug
竿(さを)←上古音sau
針(はり)←上古音par
釘(くぎ)←上古音kug(鉤)
鍵(かぎ)←上古音kug(鉤)
顔(かほ)←上古音kep(頬)
胸(むな)←上古音mua(肓)
関(せき)←上古音sek(塞)

277 :日本@名無史さん:04/05/19 02:06
竿(さを)←上古音sau
針(はり)←上古音par
胸(むな)←上古音mua(肓)

↑これは違うだろ

278 :日本@名無史さん:04/05/19 02:13
針は現在「はり」だけど、どうせ、p→f→hと変遷してきたんだろうね。

すると、古代では「ぱり」ってことになるけど、「par」と妙に合うね。

279 :日本@名無史さん:04/05/19 02:24
そうじゃなくて「針」の上古音はparじゃないでそ

280 :日本@名無史さん:04/05/19 02:28
銭(ぜに)←上古音dzien
牧(まき)←上古音muek

281 :日本@名無史さん:04/05/19 03:57
上古音というと、周から春秋戦国時代にかけての発音ですね。
卑弥呼の時代より1000年以上前の大陸音が大和言葉の一部に封印されているとは。

282 :日本@名無史さん:04/05/19 05:24
>>281
弥生時代の始まりが500年繰り上がる説が正しければ
そのころの中国からの渡来人がもたらした言葉が大和言葉(倭国の共通語)になったのかな?
イタリア半島には8つ?の言語があったらしいから、
西日本もかなりの数の言語があっただろうし

283 :日本@名無史さん:04/05/19 05:48
越人や呉人が戦国を避けて列島へ移住したという説ともすごく整合性が合う

284 :世界@名無史さん:04/05/19 07:27
馬なんて最初列島にはいなかったんだろ。
そりゃ大陸の言葉を借りるわな。

285 :日本@名無史さん:04/05/19 09:54
言語の借用と移住とは同じじゃないということか。が、生産性の高い
稲作農耕民族系がその子孫を増やす率がより高かったであろうことも
考えられる。が、基本的言語、文法などに影響はなかったということか。
しかし、近畿を中心とした関西弁は基本的なイントネーション、アクセント
を逸脱しているように見えるがこれなどは外国の影響ではないか。

286 :日本@名無史さん:04/05/19 10:02
つまり、移住してきたものが日本語のアクセント、イントネーション取得することに
難があり、なまっていたことがそのまま方言となって残ったんじゃないか。


287 :日本@名無史さん:04/05/19 10:45
方言の部分だけは間違い。

まずは、どっから来たかの部族ごとに異なる言語がある状態がスタート。
(もちろん、同じ系統の似た言語同士という関係などもありうる。)

民族というのは、人種とは直交する概念で、言語を中心とした文化などを
共有する集団を指すわけで、まずは、徐々に大きな共同体となっていくなかで、
日本列島(の正確には西側かつ半島南部含むと思われ)内で倭語が生まれる。

もちろん、言語・文化の共有化が遅れた地域は、その意味で別民族となり、
例えば、隼人とか蝦夷とか、自分たちと異なる存在となっていく。

注目すべき点は、琉球語が、日本語の(極度な)方言として解明されていること。
つまり、統一された倭語の存在のあとに、琉球へ移住したということ。
(先住民がいたかもしれないが、少なくとも倭語勢力が主となっていった。)

288 :通行人:04/05/19 11:49
うまい言い方がわからんですが
訓読みだと思ってたモノが実は遡れば音読みじゃ〜ん
っつ〜のは驚きですた はい

289 :日本@名無史さん:04/05/19 14:45
>>276-288
言語学板に逝った方が詳しい人イパーイいるよ

290 :日本@名無史さん:04/05/19 17:00
言語学もまた、いにしえの民族移動を示す史料になるわけだ。
その意味では、言語学でも、文法系に日本は力を入れたほうがいい。
日本語は、極度の省略癖があり、「可愛い!」という中に主語・動詞が存在しない。
これは、古典にも共通する。「あなにえし〜」もそうだろうし。
問題が、文法体系が甘い民族は、たいていいにしえの時の文献が残っていて、口伝でない、という特徴がある。
ラテン語も省略癖が激しいのが特徴だが、文献も多い。
中華も同じく。
その体系でいくと、何らかの文献がいにしえにあった(それが帝紀・旧辞だろうが)であろう。

どうだろうか……?

291 :日本@名無史さん:04/05/19 17:33
>>287
精神が半島してますぜ。


292 :日本@名無史さん:04/05/19 19:26
大和言葉の話、なんとなく勉強になったような気がしるのだが・・・・・

これって、よくある発音が似た言葉を並べただけの○○起源説とか、
タミル語起源説とかよりも信憑性がある話なの?

293 :日本@名無史さん:04/05/19 21:22
語彙を増やすにあたって、逆に言えば、
新たな文化・技術・概念・物との遭遇において、
もたらした人が用いていた呼び方を取り入れるは自然だと思う。

とはいえ、例えば大陸から大量同時移住などは現実的でなく、
一挙に押し寄せたというより少しずつしかも漂流先の各地に、でしょうね。

したがって、もとからあった基本語彙や文法その他などは、
影響を受けずに保持され続けたという見方は正しいことでしょう。

294 :日本@名無史さん:04/05/19 22:03
馬とか銭とかは有名だけど、丘・顔・胸なんていう基礎語彙はちがうだろ

295 :日本@名無史さん:04/05/20 04:44
馬とか銭とかが大和言葉に組み込まれたのはいつ頃ですか?

どこから来たどういう人たちによってもたらされましたか?

296 :日本@名無史さん:04/05/20 05:42
馬と銭では時代がちがうだろ

297 :日本@名無史さん:04/05/20 12:07
>>293

縄文時代の終わりの人口はおよそ10万人といわれています。
一方、古墳時代の終わり頃の人口は500万人ほどだったことがわかっています。
国際日本文化研究センターの埴原和郎の推計によると、この間100万人規模の渡来民がやってこないと
この急激な人口の増加を説明できないということです。
前3世紀から7世紀頃までの1000年で100万人。
もちろん、人口増加率の予測などから、もっと少数だったとする研究者もいます。
(少なめの試算がどのくらいかは、スミマセンが把握しておりません)

大量同時移入というのがどの程度のこととお考えですか?

イヤな言い方になっていたらスミマセン。他意はないのです。
私も基本語彙はけっこう保存されると思うのですが、その具合を
定量的に把握したいと思ったもので…。

298 :日本@名無史さん:04/05/20 12:41
願望としては、縄文時代のどこか途中で日本列島において源大和言葉が完成し、
その後の新たな文化とともに渡ってきた語彙を増やして大和言葉が成立。

しかし現実を考えると、隼人や蝦夷をはじめとして、記紀などにも
言葉が異なる民族がごろごろたくさん出てきている。
つまり、日本列島において、西日本に限っても、言語統一は未だなかった。

とはいえ、ある程度の大きな集団が広域で言語を同じくしていたというのは
ありえるとともに、それが日本語の母体になった蓋然性はありうる。
しかし、その時期や規模を明確にしようにも現状では無理というもの。

299 :290:04/05/20 13:09
縄文人口は35万だろ? 東日本が20万、西日本が15万。西日本は人口集中地に縄文時代にも街があったとみられ、まだこれでも少ないとか。

300 :日本@名無史さん:04/05/20 13:23
日本語が完全な開音節語だというのは大きな特徴で、大野晋はこれをポリネシアに
くっつけて南方要素だと言っていたが、果たしてそうだろうか。
ラテン語は子音の語尾を多く持つ閉音節語だが、その直系の子孫であるはずの
イタリヤ語は日本語に次いで二番目くらいの完全さで開音節語だ。
思うに、これはローマ帝国が異民族に開放された帝国であったために
多くの異民族がラテン語を共通語として話し、その過程でラテン語がピジン化した
のではないか?
もしそうであれば同じような現象が日本語に起こった、つまりピジン化の
一つの現れとして開音節化が起こったのではないか?
と言うことも考えられる。

301 :日本@名無史さん:04/05/20 15:06
ラテン語が本当は開音節語だったのに
文字表記上、閉音節語として表記しただけじゃないの?
ヘブライ語には母音表記が無かったでしょう。

302 :日本@名無史さん:04/05/20 15:19
そんなことはどうでもいいからさー
邪馬台国は近畿でFA?FA?近畿だ。

303 :日本@名無史さん:04/05/20 15:36
邪馬台国は、火山が関係するものの、近畿に火山がない。

304 :通行人:04/05/20 15:46
>>302
せっかく面白く読んでたのに本道に戻さんでくれ

305 :297:04/05/20 16:20
>>299
そうでしたか。すみません。
資料が古かったか(2001年)。

306 :日本@名無史さん:04/05/20 17:19
>>300
日本語がピジンてゆっかクレオール言語だと想定すると、
ピジンというのは二種類以上の母語を持つ人々が接触し、
かつ、それらの集団の間に言語的支配を持つほどの関係がなく、
しかし、両者の間の交流がそこそこあって交流のための言葉が必要とされ、
どちらの母語でもなく簡略かつ混成されたものがピジンなので、
日本においてもそういう関係が生じている必要がある。

さらに、ピジンがクレオール言語として発達成立するには、
子供たちがそのピジンを母語とするようになる環境が加えて必要となる。

例えば、なんらかな強力な政権のようなものが成立後では、
上述のようなことは生じないので、少なくともそうなる前にしか可能性がない。

307 :日本@名無史さん:04/05/20 20:57
要は横浜の中華街だの、大阪の東成区だっけ、そういった中国、
半島系ゲットーの大きなものでもない限りおかしいって事か。
飛鳥にも帰化人系の古墳の多いところがあったりするようだが
そういうのは大勢に影響はしなかったであろうということか。

308 :日本@名無史さん:04/05/20 20:59
ピジン化について言えば、異質な言語を持った多数派の文法と
少数派だけど地位の高い少数派の単語がちゃんぽんになるわけだ。

この2派が征服・被征服であっても、交易における客と商人であってもよい。
強力な権力があるとは限らない。

309 :日本@名無史さん:04/05/20 21:20
世界で日本語ほど膠着語多い言語ってほかにあるのか
おれはそれが気にかかるんだが

310 :日本@名無史さん:04/05/20 21:35
さて、話は変わるが、平原1号墓、西谷3号墓、楯築墳丘墓、ホケノ山古墳などで古墳建設の
ノウハウ儀式を研究して纒向で箸墓古墳が建設されるのだが、こうした技術移動に
なんらかのトップクラスの、いわば大名行列のような、移動、まー、首長弔問外交
ともいうべきか、そういうものと、オリンピック、国体並のそういう関係者を収容する
迎賓館のようなものはどうなっていたのか気になる。

311 :日本@名無史さん:04/05/20 21:57
中国人で日本語を学ぶ人は韓国人が日本語の「は」、「が」の
使い分けを覚えるのが早いのに感心しているが、日本人として
これを印欧語で説明するとなると簡単ではない。「黒海」の出た
グルジア、スペイン独立派のバスクなどに「能格」というのがあるが
これは単に他動詞の場合の主格の代理のようなものだが、以後の
発言を限定する意味では日本語の「は」、「が」と似たところがある。
シュメール、タミール、ウラル語などに膠着性が強いらしい。非常に
古い時代に農業が中東から一極的に伝播した際の名残かもしれない。

312 :日本@名無史さん:04/05/20 21:57
>>309
言語の分類として、屈折語、孤立語、膠着語があるのはご承知の通りだが、
膠着語はなぜか中国を囲むように分布している。

東アジアはもともとは膠着語圏だったが、
そこに孤立語を話す集団が中華の名のもとに勢力を拡げ、
人種的には周辺民族を巻き込み混血しまくった漢民族になったという説が有力。

313 :日本@名無史さん:04/05/20 22:02
>>311
やっぱ日本のルーツはシュメール文明だね。
スメラミコトって言うからね。

314 :日本@名無史さん:04/05/20 22:05
出雲大社には」八百万の客神の休憩所のような建物があり、
楯築古墳には環状列石がある。いまでも近所の神社の柱は
氏子の寄進者の名前を刻む。古墳を囲う特殊器台もこうした
ものだったのかな、それとも殉死してものの首級を載せたの
かな。なぞがなぞを呼ぶ。

315 :日本@名無史さん:04/05/20 22:12
スメラミコトに座布団3枚。

316 :日本@名無史さん:04/05/20 22:16
漢字の発明が却って足枷となり、孤立語が膠着語に成長するのを妨げた、
乃至は、退化させたということも考えられよう。四声が表音表記を妨げるように。

317 :日本@名無史さん:04/05/20 22:16
石川九楊氏のとなえている『二重言語国家・日本』の説では、
膠着語とは漢字の圧力によって変形された言語だと断言している。

さらに、中国語とその周辺の言語が孤立語的形態をとったのは、
漢字の特性ゆえだという。

318 :日本@名無史さん:04/05/20 22:20
初期天皇の皇居に、師木水垣宮とか玉垣宮とか、
今の瑞垣・玉垣の結界を思わせるね。

319 :日本@名無史さん:04/05/20 22:30
>>317
石川九楊は100%デンパ。『二重言語国家・日本』も駄本。
膠着語は朝鮮語と日本語しかないと思ってるらしい。

320 :グッドさん ◆WsgaasEZnc :04/05/20 22:51
すまんが日本の建国って野は紀元前660年ってのが通説なの?

日本史プロパーの人どうよ?

http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/ja.html

↑CIAのサイトではBC660 神武天皇 ってことになってる

321 :日本@名無史さん:04/05/20 23:19
>>320
そんなこと日本書紀の編者に聞いてくれ。

322 :日本@名無史さん:04/05/21 03:29
>>320
肯定することも否定することもできない
BC660は縄文時代だからありえないと言われていたが、弥生時代が500年繰り上がり
BC660に何らか事実が含まれていることも考えられる
神武は弥生文化の王、長すね彦は縄文人王朝の王かもなー

323 :日本@名無史さん:04/05/21 04:24
神武も長脛彦も饒速日も、同じ言語を使っていたんだよね。

少なくとも西日本の広範囲においては相当前から同じ言語圏を構成ってかんじ?
もちろん、部分的には異言語集落もあったんだろうけど。土蜘蛛とか?

324 :日本@名無史さん:04/05/21 05:12
畿内説はいまどう扱われているのか?
年輪年代法(怪しい)で弥生時代中期が百年遡り、畿内説が完全にペケ、と言うわけでもないらしいのだが(記事を信じれば)。
週間読売2000.1.23号の記事より一部抜粋。
「今では考古学者の大半が、邪馬台国畿内説を取っていますよ」
(明治大学名誉教授・大塚初重)
わたしの経験から言って
この手の自信たっぷりの引用の為された記事は
非常に
胡 散 臭 い
(笑)

古墳時代と邪馬台国時代がリンクすれば九州説は成立せず、箸墓規模の古墳は卑弥呼か台代の墓と言うのがこの説の骨子のようだが…。

325 :日本@名無史さん:04/05/21 07:12
>>323
>神武も長脛彦も饒速日も、同じ言語を使っていたんだよね。
ソースは?

326 :日本@名無史さん:04/05/21 08:21
ホケノ山古墳出土の壷が山口県産で被葬者の出身地を物語る
というが、神武東遷と一寸引っかかる。神武を豊予水道まで出
迎える椎根津彦を山口県出身と仮定するとホケノ山被葬者に持
ってきてもよさそうだ。というか神武は血統書のようなもので実質
この一行は宗教的な集団であったのかもしれない。
神武が筑紫の岡(岡田)の水門に出向いているという辺りも何か
あるようだ。これは平原1号墓の葬儀に参列したと読み、次に
吉備で楯築古墳建設に参加し、イザナギ文化圏ともいうべき
東瀬戸内地方の古墳建設に影響を及ぼす。
この神武グループを山陽線とすると山陰線を同様に動いたのが
オオクニヌシで椎根津彦(倭宿禰=スクナヒコナ)と兄弟格、で
兄貴分と見る。その圏内の出雲の西谷3号墓の葬儀には吉備から
特殊器台が出ているからスクナヒコナも出席したかもしれない。


327 :日本@名無史さん:04/05/21 09:02
「最初に男王を立てたがうまく行かず、女王を立てた」ということは神武遠征隊が
大和に入ったが保守的な土地柄で旧態然とした女系社会が残っており手がつけ
られなかった。「ヒミコ」という神がかり的存在の下に昔ながらの氏子のような共同体が
存在する環境に各地から派遣された代表者が武家屋敷のような集落を構えた。
いわばスカートの下の政治体制であったのではないか。

328 :290:04/05/21 09:32
オオヒルメなる女性は、イワレヒコと同時代の人間、というせつがある。
直系継承を語る系図が嘘で、オシホミミ・ニニギ・ヒホコデミは、履中・反正・允恭みたいな兄弟間継承だとしる。
また、オオヒルメがフキアエズのころまで生きていたというのも、あるから、だいたいこうだろう。
また、イワレヒコはフキアエズの従兄であるという話を言うのも聞くんで、あるかも。

329 :日本@名無史さん:04/05/21 09:42
フィリッピンでは「呼び込み屋」のことをバークマン、吠える人というらしいが
薩摩隼人の隼人はバークマン(吠える人)らしい。古代にはキャバレーなどはなく
よく似てはいるが、熊だの、狼だのがうようよしていた。だから、吠える意味が
脅かすということで勧誘するという意味ではない点が一寸違うが、さて、ニニギ
の命のために多分島津が建てたのだと思うが可愛山陵という古墳のようなものがある。
これは古代薩摩のどこかにあったが大和朝廷によって破壊されたものを復元したの
ではないかとみられるが、神武時代にニギというと熊襲の連中を手なずけるのには
恰好の系図であったのであろう。現在は伊勢神宮のように宮内庁の警備員のような人が
たっているが、地元のガードマンなのかな。

330 :日本@名無史さん:04/05/21 09:55
オオヒルメを平原1号墓被葬者、平原の女王とすると、神武がその葬儀に
立ち会うのは当然というか、葬儀委員長の立場であったかもしれない。
オシホミミだけどオシホというのは「噴火」の意味で「脱穀」ではないと思うが。
「噴火」とすると薩摩、肥の国とはうまくあうが、「ミミ」を首長という意味だとすると
「オシホノクニノミミ」が短くなったのかなーなんて考える。

331 :290:04/05/21 11:06
寝呆け頭でかいたら間違えた。ヒホコデミでなくてヒコホホデミだったヨ。
ホホデミを穂穂出見とすると農業的だが、火火出見とすると、突然火山的になる。
史学では記紀をとって穂穂出見らしいが、正直いうと火火出見かもしれない。
すると、やはり九州だろうか。
あとは、ウガヤなるものの植生がどうだったか、とかだろう。
邇邇杵も別字があるのだが、携帯からなので、手書き入力できない……

神代の名前は漢字は確実に当て字なので、操作ができる点、ややこしい。
音で判断するか、別字を全部調べあげて、選び出すかしないと無理かもしれない。


332 :日本@名無史さん:04/05/21 11:09
官はイキマ、次はミマシ、次はミマカキ、次はナカテというが:
イキマ(国防大臣、ナガスネヒコのポストでトミヤマ近辺の
生駒山に監視通信センタをおいた)
ミマシ(観松彦、孝昭>(ミマ<宮廷の)+津>通商産業大臣)
ミマカキ(ミマ<宮廷の)+垣)(近衛師団長)
ナカテ(農地国税大臣)。
後世のミマキイリヒコとは宮廷のイリヒコ=大王。
相当外れてるだろうなー。

333 :日本@名無史さん:04/05/21 11:35
日穂出見(峰から登る太陽の方角を読んで農業暦を述べ、
凶作を占い、好天豊作を祈るシャーマン)ということで、
本来ヒホデミの字面であるはずが、母音調和でホホデミ
となるんじゃないかとも思えるんだがね。

334 :290:04/05/21 12:18
ことば遊びが流行ってるみたいなので、も一ついきます。
巫をカンナギと読みますが、巫女は後世のよみで、カンナミかもしれない。
なぜなら、イザナギ・イザナミと似てるから。
たぶん、イザナギも、イサナギで、諫+ナギ(男性を示す接尾語)かもしれない。
だとすると、イザナミ・イザナギは荒れ狂う神を諫める最高神官だったかもしれない。

335 :日本@名無史さん:04/05/21 13:11
KAN-NA-GI ->KAN-NA-NGI ->KAN-NA-MI
IZA-NA-GI ->IZA-NA-NGI ->IZA-NA-MI
ナギ、ネギ、ニギ・・・これらはカンナギと同じナギでシャーマン、
ハヤヒ、ハヘ、ハヤ、ホエ・・・音声によるシャーマン、
イタコ、アタゴ、イタキ・・・託宣によるシャーマン、
カミメ、カンメ、カメ(熊女の意があるかも)・・・女性シャーマン、
カグ、カゴ・・・竹に関連するシャーマン。
イザ、イソ、イゾ、イセ、・・・アイヌ語、現代日本語の「えさ」等にも残るようだが
狩猟、漁労、農耕の獲得物。
こういう風に考えると古代はまさに八百万のシャーマン時代か。


336 :日本@名無史さん:04/05/21 14:22
上まあ、言葉は言霊、を地でいってますね。

>>316
 基本的に北京官語は四声であっているんだが、南方中国語や呉松(上海)語
等にはそれ以上のものも存在するけどね。 近代以降の外来語の怒涛の如き
進入にもめげず、中国語はいまだ根幹が変化しないのはさすがというべき
なのか… 

アレキサンドリアの図書館みたいなのが敦煌の様に中国の片隅にでも存在していて
そこにミッシングリングを埋めるものでもない限りこの話題は
永久ループしそうだが。

337 :290:04/05/21 20:30
言語が神であるのは、日本の特徴。
言霊信仰は今も続く。。。
言葉狩りは言霊信仰がある証拠。

338 :日本@名無史さん:04/05/22 09:09
イザナミは檀君天皇の子孫ニダ。
偉大なる大百済帝國が倭人を植民地に拘留するために派遣したニダ。
今こうやって万世一系の檀君朝が日本を統べているニダ。
皇國史観は天皇が檀君の子孫であることを隠すための情報操作ニダ。

さあ 檀君の末裔なる天皇に叩頭平伏するニダ!

339 :日本@名無史さん:04/05/22 16:27
歴史的に民族の通り道というのが現代の南北朝鮮だね。それでいて何とか
国体を維持しているのはえらい。さて、神武を徐福の末裔とする神武の東遷
ルートを作ったのは多分秦氏の子孫の学者であろうと思う。御先祖は三韓から
佐賀県南部に招聘された半島系工人だろう。その後応神朝に夕月の君が来日する
がこれが徐福の中核であり、彼らは半島に約6世紀住み着いていたんだろう。
ということは徐福は難破で漂流し日本に流れ着くものも多少あったにせよ
日本には直接来ていない。徐福が身ぐるみをはがされ、平原広沢を得たのは
朝鮮半島だと思う。で、なぜ神武が東遷したかと言うと漢の拡張主義を見抜き
北九州に首都を置くことに危険を感じたのだと思う。当時の倭国は連帯していた
と思うんだ。

340 :日本@名無史さん:04/05/22 18:17
「シキシマの大和心を人問わば銅鐸の鈍き響きかな」・・
・倭人というのはメンタリティーとして銅鐸が象徴する複雑で
温和なものであったが、神武と共に入ってきたのは銅剣・
銅矛「うちてしやまむ」の好戦的精神であったが、このバック
ボーンは兵主神信仰でこれは吉野ヶ里で激しい戦闘を繰り
広げた渡来系部族が持ち込んだのだと思う。しかし、古墳時代
という土木建設、窯業、冶金等の新しい時代を建設したのも、
又、4世紀に入り半島に侵攻し、前方後円墳体制を持ち込んだ
のも彼らが主役ではなかったのではなかろうか。仲哀天皇こそ
倭人であり、オキナガタラシヒメを担いで独走したタケシウチ
グループは渡来系の感じがする。彼らにはウリナラ(我らが祖国)
を高句麗から防衛する使命があったのではないかと思う。

341 :日本@名無史さん:04/05/22 23:34
三角縁神獣鏡には安岳3号墳の壁画
http://homepage1.nifty.com/uraisan/yakata/d64.html
がデザインされているそうだ。

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