5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【幕末の】水戸天狗党【悲劇】

1 :日本@名無史さん:04/03/22 13:10
幕末歴史ロマンー水戸天狗党の悲劇
−明治維新を待てなかった人々−
http://member.nifty.ne.jp/sasanuma/historio/tengu-to.html

明治維新も目前となった1865年,北陸の港町敦賀で,はるばる水戸からやってきた
武士や農民ら350人余りの大量処刑が行われた。「天狗党」とよばれた彼らは,
なぜ敦賀に来たのか。そして,なぜ処刑されなければならなかったのか。



2 :日本@名無史さん:04/03/22 13:24
永井玄蕃頭が2get

3 :日本@名無史さん:04/03/22 16:36
尊王思想の源流が水戸学にあると聞いたが、なぜ、明治維新では水戸藩士が
でてこないのか、不思議だったが、この騒動で主要な人間がねこそぎ処刑され
たからだそうですね。


4 :日本@名無史さん:04/03/22 19:38
藤村の「夜明け前」にも結構詳しく出てるね。
小説の舞台となった木曽や美濃、伊那には平田学派の知識人が多くいたので
シンパシーがあったようだ。

5 :日本@名無史さん:04/03/22 21:32
武田一派は目算もなしに慶喜に会いに行ったんだろうか
結局、慶喜は頼りにならなかったわけだが

6 :日本@名無史さん:04/03/22 22:35
>>5
元治元年明けに慶喜は武田に水戸藩兵を率いて上洛するよう要請していた。
禁裏守衛総督に就任する為の直属部隊として配属させるつもりだったのかもしれない。



7 :日本@名無史さん:04/03/23 03:39
>>6
なんと、そうですか。
ますます悲劇ですね。


8 :日本@名無史さん:04/03/23 04:40
その恨みは息子の金次郎クンが果たしました。

9 :日本@名無史さん:04/03/23 04:47
この頃の攘夷という思想と今の嫌韓・反米みたいなNEO国粋主義とは
やっぱり違うものなのだろうか?

10 :日本@名無史さん:04/03/23 06:50
>>9
単純ではないよ。イデオロギー的には根底は同じかもしれないが


11 :  :04/03/23 07:26
ニシン倉に褌もない素裸で250人くらい押し込まれていたんでしょ。

12 :日本@名無史さん:04/03/23 07:58
>>11
福井に入ってからの行軍と処刑の悲惨さはここに詳しい
http://homepage1.nifty.com/saizou/tengu1.htm


13 :日本@名無史さん:04/03/23 08:26
漏れは小学生の時、親父に連れられて敦賀の
ニシン倉見に行ったよ。当時はガキでいまいちよく
分かってなかったが。
その後、彦根城も行ったなあ。

14 :日本@名無史さん:04/03/23 08:33
新撰組の局長の一人だった芹沢鴨も水戸天狗等の出身

15 :日本@名無史さん:04/03/23 08:53
>14
どうして勤王派の天狗党から佐幕派の新撰組になっちゃったの
だれか教えて

16 :日本@名無史さん:04/03/23 09:38
新撰組が明確に佐幕になるのは近藤一派が芹沢派を粛清した後。
しかも天狗党自体が尊皇敬幕論で攘夷は言っても倒幕ではなかった。


17 :日本@名無史さん:04/03/23 10:46
>>16
どうも。
うーん、知らなかった( ;´Д`)

18 :日本@名無史さん:04/03/23 11:09
>>3
たしかに貴重な人材を多く失った。しかし‥‥、
国学は維新の思想的軸の一方を成したが、維新後は体制内から外れてゆくコースをたどる。
実際、弱肉強食の国際社会の中で生きて行かなければならない複雑な近代国家の機構を運用するための
実際的な理論を、純朴な社会像しか持たない国学は提供し得なかった。
したがって、明治体制から外れてゆくのは必然だったともいえる。
明治体制に有用な地位を占められなかつたことは、国学的理想主義の純粋性を証している。
>>4の主人公青山半蔵の失望もそこにあった。

19 :日本@名無史さん:04/03/23 11:19
オートコアフュルヴォーグの渡辺真由さん、かわいい。

20 :日本@名無史さん:04/03/23 17:35
天狗党に参加した横田祈綱、元綱親子は、和田峠の戦いで元綱が銃弾を受け死んだ。
この時元綱18歳。
父は息子の首を行軍しながら中仙道中津川宿まで持ってきたが、土地の人に頼んで埋葬してもらった。
現在、岐阜県中津川市内のR19線沿いに元綱の墓があり、今も地元の人に大切に祭られている。
昨年、通りがかった際見てきたけど、立派な墓だった。

21 :日本@名無史さん:04/03/23 20:36
水戸天狗党って、水戸なっ党とは関係ありますか

22 :日本@名無史さん:04/03/23 20:40
>>21
寒いから。

23 :21:04/03/23 20:43
>>22
gomen

24 :日本@名無史さん:04/03/23 21:00
幕末の親幕派と倒幕派の血で血を争う陰惨な内訌も、天狗党に勝るとも劣らない
悲劇ですね。

25 :日本@名無史さん:04/03/23 21:01
なんでカモは処刑されずにすんだの?

26 :日本@名無史さん:04/03/23 21:28
>>25
中学校でクラスの権力を掌握しているDQNにセンコーが注意しねーの
と同じようなもんだよ。

27 :日本@名無史さん:04/03/23 21:37
天狗党の大量処刑を見て、長州は一挙に恭順論を捨てて、必死の覚悟を決めたという。


28 :日本@名無史さん:04/03/23 23:37
1865年(慶応1)1月27日に浪士は幕府の役人に引き渡されて、にわか造りの獄舎とされた
船町のにしん蔵に収容された。にしん蔵の窓は釘付けにされ、中央に便所がつくられ、
左の足には足かせをはめられ、うす暗いなかで、自由に行動ができないようにされていた。
また食事も握り飯1つとぬるま湯だけという粗末なものだった。
2月になると、幕府役人は永覚寺に仮の白洲をつくり、浪士たちをよび、形式的な調べをして、
つぎつぎと来迎寺に設けられた刑場で処刑した。首謀者の武田耕雲斎も2月8日に処刑された。
処刑された人数は、353名にのぼった。

29 :日本@名無史さん:04/03/24 00:43
>28その恨みを慶応4年、遺児武田金次郎が主唱し、越後、水戸、会津戦線で諸生党を殲滅した。
囚われた者は頭首市川三佐衛門の磔や、ひどい者では耳目鼻、頭の皮を削がれた。
その陰惨さのおかげで、戊辰戦争史において、水戸の話はオミットされている。

30 :日本@名無史さん:04/03/24 00:59
会津降伏後、長岡・諸生残党が一緒に水戸に攻めてきたが、
天狗党は鮎沢伊太夫ら要人が多数戦死するが、なんとか撃退した。
諸生・長岡側も二百人以上の遺棄死体を出し敗走した。


31 :日本@名無史さん:04/03/24 06:11
天狗党挙兵は桂小五郎黒幕説があるけど、本当?

32 :日本@名無史さん:04/03/24 07:33
小説だと、
「魔群の通過」山田風太郎
「天狗争乱」吉村昭
あたりか。
吉村の方は、金次郎の復讐は書いてないようだ。

33 :日本@名無史さん:04/03/24 18:49
田中真理子/松本直子「水戸天狗党」が天狗党・慶喜・幕閣の政治的背景に踏みこんでいる。
薩長VS会津の御決まりパターンとは違う視点で幕末の政争を捉えていて一見の価値はあるかも。




34 :日本@名無史さん:04/03/24 19:14
天狗党一行は諏訪から伊那、飯田を過ぎ、清内路峠を越えて木曽・馬籠へ向かった。
その長野県清内路村に以下のような記録が残っている。
11月25日、宿舎にあてられた某家では、浪士と聞いて戦々恐々として向かえた。
その家に入った浪士は、仏壇の場所を聞き、位牌にひざまずいて自分の氏名、目的を
述べ「今宵は図らずも奇縁をもってご厄介になるが何分よろしく」と生きている人に言う
ように拝礼し、その後、「ご主人は?」と言って同様に丁重な挨拶をしたので、恐怖は吹っ
飛び、やがて信頼、敬愛の念に変わり、心から歓待したという。
この清内路村に泊まった浪士らは884人と記録に残る。
(歴史の道百選ガイドブック「幕末の往来」より)

35 :21:04/03/24 19:37
>>25
芹沢は、文久二年(1862)、藤田小四郎の依頼で天狗党の資金作りに奔走し、俵屋孫兵衛から融通を受けて
その約束を果たしたにもかかわらず、天狗党幹部登竜門から外されて不満を抱き、袂を分ったともいわれて
います。 その翌年、のちの新撰組である幕府浪士隊に参加します。
したがって、天狗党の筑波挙兵(1864)、処刑(1865)時はすでに脱退していました。
でも、結局、新撰組内で粛清されてしまったのですがね。

36 :日本@名無史さん:04/03/25 10:11
>>31
資金援助したんじゃなかったかなあ

37 :日本@名無史さん:04/03/25 15:26
各所でいろんなエピソードが残ってるんだな。
悲惨な最期だっただけに庶民の間には同情が集まったんだろうな。


38 :日本@名無史さん:04/03/25 22:46
この事件は幕閣が望んだように慶喜を失脚に追い込むまでに至らなかったものの、
衰え加減だった慶喜の人望を致命的なほどに奪い去った。


39 :日本@名無史さん:04/03/26 14:15
>>37
天狗党は、今の敦賀市郊外で万事休すと追討役の加賀藩に投降したが
加賀藩は同情的で、酒やご馳走を与えたり、助命嘆願をしてくれたりした。
しかし、幕府側に引き渡されるやいなや、庶民の同情が高まるのを恐れて
一気に処刑してしまった。


40 :日本@名無史さん:04/03/27 10:39
天狗age

41 :日本@名無史さん:04/03/27 10:45
加賀藩は、義士の世話をするのは、赤穂浪士以来みたいな事を
言っていたようだね。
結末も似たようなものだが、天狗の方が悲惨だね。
氏に方もそうだし、その後、戊辰戦争期の旧天狗側からの
徹底報復も含めてね。

42 :日本@名無史さん:04/03/27 22:16
奥州棚倉にも天狗党処刑の地があるな。
一帯は、「天狗平」とも呼ばれる。

43 :日本@名無史さん:04/03/28 00:00
天狗党絡みだと、松平大炊頭(頼徳)とか…。

44 :日本@名無史さん:04/03/28 04:53
この騒動は一般的にはあまり知られてないけど、
維新史の中ではどういう位置づけなの。
藩内の内輪もめに過ぎなかったの。


45 :日本@名無史さん:04/03/28 15:15
質問ですが天狗党の乱の後、水戸藩領内の郷村でも諸生党派と天狗党派との
対立が深刻化して所謂「逐電」や「闇討ち」などのかなりドロドロした話が
伝わっています。ほんとですか?また「自分のじーさんの家にこんな話が
伝わってるよ」と言う方カキコしてください。

46 :日本@名無史さん:04/03/28 18:52
会津降伏後、長岡残兵が水戸へ諸生残党と一緒に攻めたのも天狗党事件の遺恨がらみなのか。
老中牧野忠恭は天狗党大量処刑で朝廷の譴責を受け、辞任に追い込まれている。


47 :日本@名無史さん:04/03/28 19:41
>>3
もし池田屋事件が無かったら、明治維新は一年早く起こってた、
と言うのと同じ感じですかね。

48 :日本@名無史さん:04/03/29 00:57
下仁田の戦いで、敵軍の前橋藩士と戦って片腕を斬り落とされた野村丑之助(13)
おそらく、天狗党のメンバー中、戦いに参加した者の中では最年少での戦死者かも。

…にしても、幕府軍総大将の田沼意尊の陰険さは相当なモンですよな…

49 :日本@名無史さん:04/03/29 01:07
所詮、田沼ですから。

50 :日本@名無史さん:04/03/29 04:04
日本史の雑誌(名前忘れた)市川党と天狗党の二元対立だけじゃなく天狗激系 天狗鎮系鎮系ながら立場的市川系とかいてすごい複雑だったとか・・・。中立系も両派から板挟みに疑いをかけられ狙われたとか・・・。

51 :日本@名無史さん:04/03/30 07:03
浪士一行は関ヶ原付近まで来たが大垣藩、彦根藩と対決を避けるため、美濃・根尾村から豪雪の蠅帽子峠を
苦労の末越えて越前・大野へ入った。
窮地に立った大野藩が選んだ作戦は住民を犠牲にした焦土作戦だった。
浪士に先行して藩内に潜入していた松崎らをとらえた後、藩では、宿泊や食糧調達ができないよう、
大野に下りてくる道筋に当たる集落を焼き払うことを決めた。
上秋生や下秋生、中島、上笹又、下笹又と点在する旧西谷村の民家約200軒が藩士によって焼き払われた。
真冬の強行に山の人たちは家を失ってしまった。中でも峠に近い上秋生、下秋生は浪士勢の通過後に
放火され、村人の怒りをかき立てた。大野藩の役人の一人が村人によって殺され、自殺扱いにされたらしい。
西谷の人々には藩からわずかな見舞金が出ただけで、まさに焼かれ損だった。
西谷村は1965年の風水害で集中豪雨の大きな被害を受け、全体が水害対策のダムに水没することになり
村そのものが大野市と合併することで消滅、村人は大野や福井市などへ離散したが、火事については
「浪人(西谷)焼け」として、語り継がれ、今でも土井家を称える大野の祭りには参加しないという。


52 :日本@名無史さん:04/03/30 08:28
浪士一行が越前今庄宿へ入ったとき、町はもぬけの殻で
一人残らず逃げ去っていた。
各家は雨戸を締め切り、土蔵は封印してあったが、
家の前には食糧が置いてあり、「火の用心頼む」との
張り紙がしてあった、という。

53 :日本@名無史さん:04/03/30 23:55
幕末の水戸藩の内訌をまとめた本で、いい本はないですか?

54 :日本@名無史さん:04/03/31 00:37
山川菊栄「幕末の水戸藩」

55 :日本@名無史さん:04/03/31 06:57
薩摩は中村を遣わして天狗に真っ直ぐ上洛するよう薦めたが、慶喜を窮地に追い込む為の工作だったと思われる。
藩士を追討に動員されている諸藩へ遊説させ、慶喜は天狗に理解を示しており、天狗を討つことは慶喜の意に反すると
吹きまわった為、慶喜は保身の為天狗を見捨てるか、無く夫への反逆覚悟で天狗を救うかの二者択一という状況に立たされた。


56 :日本@名無史さん:04/04/10 22:57
天狗党=アルカイーダ

57 :日本@名無史さん:04/04/11 00:53
56=諸生・長岡残党必死だなw


58 :日本@名無史さん:04/04/11 10:58
水戸天狗党壊滅の地には出るって話だ。
そりゃ、うかばれんわなぁ〜。

59 :日本@名無史さん:04/04/28 02:26
芹沢鴨

60 :日本@名無史さん:04/04/28 14:24
天狗党とか映画化された秩父事件とか、
あまり知られてない事件があったんだなあ。

61 :日本@名無史さん:04/04/28 23:27
芹沢鴨の諱は、平光基(たいら・の・みつもと)。

62 :日本@名無史さん:04/05/03 23:53
>>61
平家か

63 :日本@名無史さん:04/05/05 18:56
天狗党大量処刑で一番打撃を受けたのは案外慶喜だと思う。
幕閣からしてみれば慶喜が人材を失い人望もがた落ちになってざま見ろといった感じだったらしい。


64 :日本@名無史さん:04/05/13 00:41
>>63
悲しい。(p_q)シクシクage

65 :名無しさん@恐縮です:04/05/13 15:45
天狗党はたんなる火付け強盗集団なんだけどな〜


66 :日本@名無史さん:04/05/13 17:46
大体の経過が知りたければ吉村昭の『天狗争乱』を読むと宜しい。
ただし話は大量処刑までで終わっている。

67 :日本@名無史さん:04/05/13 18:15
武田金次郎の諸生党皆殺しは無いんですね。
ここが一番面白いのに。

68 :日本@名無史さん:04/05/13 21:42
単なる火付け強盗集団であれば処刑は首謀者だけで済んだだろうが、
慶喜が絡んでいた為、かえって大量処刑をすることで慶喜の名望を落そうとする手段に利用された。


69 :日本@名無史さん:04/05/14 02:10
なんていうか、天狗党にレイプされた町の人間はいないのか
書物小説ドラマの知識だけか?
うちの墓地には諸生党の首塚があるぞ

70 :日本@名無史さん:04/05/14 21:57
オレは岐阜県中津川市の者だが、近くに天狗党浪士熊谷三郎の墓がある。
浪士達は馬籠宿と落合宿とに分宿したが、その折り党規違反で処刑されたらしい。
他にも2人の墓が市内にあるらしい。



71 :日本@名無史さん:04/05/15 02:41
漏れのご先祖様は水戸領内で苗字帯刀御免の網元で土蔵を3つも持ってたのに
天狗党に乗っ取られて東京に出てきたって伝承があるんだが,
ホントかなぁ?

72 :日本@名無史さん :04/05/15 10:26
諸政党と天狗党の最後の戦いの地では、天狗党による
拉致監禁金品強奪、放火が行なわれた。
水戸に帰った連中はその道程の町々でも金品強奪や放火
をしながら帰った。

73 :日本@名無史さん:04/05/15 21:19
家茂の死によって慶喜が徳川家を継ぐと慶喜は市川派の専制を制限する為に
水戸藩御用掛を置き、諸生派を激高させた。
一方で朝廷の圧力もあり天狗および尊攘派に対する制裁を緩和し、
諸藩預かりで監禁されていた藩士を一部解放した。
王政復古後、迅速に尊攘派復権が出来たのは慶喜のこの施策も大きかった。


74 :日本@名無史さん:04/05/17 06:01
地元民です。生粋の水戸っぽ。幼い頃よく保和苑で遊んだ。
殉難志士(天狗党)の墓のある常磐共有墓地の方は入っちゃいけないといわれてたけど
そっちの方は子供心にもなんか恐くて近寄りがたかった。
墓地の隣りに回天神社と平成元年に常磐神社から移築された鰊蔵がある。
噂で聞いたけど敦賀に残ってた↑はもう無いって本当?

天狗関連小説では「魔群の通過」が好き。
山川菊栄「武家の女性」も「子年のお騒ぎ」の章に詳しい。
しかし当時の女子供にとっては幕末の一連の騒動はいったい何が起こっているのか?
まったくわからなかった、ただ親兄弟、知人が亡くなっていった…と言うのも悲惨だなあ。
赤沼牢獄跡地の、武田耕雲斉妻の辞世の句が痛々しい。
3歳の子供まで一族皆殺し、という残酷な処刑だった…金次郎の復讐劇の残虐さも納得。

75 :日本@名無史さん:04/05/19 20:29
憎しみからは憎しみしか残らない。
イラクもパレスティナも、早くそれを学んで欲しい。
水戸の人間は、身近にこんな例があるのだから、
よく学んでまたーりするべし。
小中学校の教材として是非取り上げて欲しい。

76 :日本@名無史さん:04/05/19 22:11
規模は違うから怒られるかも知れないけど、水戸幕末の悲劇は
東欧やボスニアにたとえればいいだろう。
会津のような他藩・他国からの侵略ではなく、隣人同士、同郷の志が
イデオロギーの対立で血で血を洗う戦いをしてた。

そしてその事実の多くは忌まわしい歴史の暗部として封印された。



77 :日本@名無史さん:04/05/20 00:20
降伏すれば相応に取り計らえという勅命を敢えて無視して大量処刑を断行した背景には
幕威復権と慶喜失墜の目的があったが、前者は加賀だけでなく越前など親藩も処刑執行を拒否するなど
かえって幕府の威令の衰えをさらけ出した。後者は薩摩の工作もあって見事に達成された。
この段階では幕閣と薩摩の利害が慶喜追い落としという点で一致していたのも皮肉である。


78 :日本@名無史さん:04/05/21 20:55
天狗党って、なんか悲哀を誘うよね。
純真な田舎侍が、頭のいい人たちの権謀術策にさんざん利用されて、
ゴミのように捨てられる。
ある意味新撰組と似てるね。
でも、最後の最後に鬼になった金次郎が一番哀れかもしれない。

79 :日本@名無史さん:04/05/21 22:00
土方は天狗の結末を嘲笑気味に記していたが、同じ人間に自分も同じような目に遭わされるのも皮肉である。


80 :日本@名無史さん:04/05/22 00:11
>>77
そう考えると天狗党も一橋派VS南紀派の犠牲者なんだよなぁ
派閥抗争繰り広げているうちに
気が付いたら長州に負け薩摩に負け幕府あじゃぱーでトホホ

抗争を激化させた井伊の罪は本当に重いよな

81 :日本@名無史さん:04/05/22 12:09
「水戸藩の戊辰戦争」って本昔読んだけどそこそこ詳しく書いてあったよ。
それで、おれが住んでる市が水戸領じゃなくて藩だったことを知った。

18 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)