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信長はイエズス会により謀殺された bySNSI

1 :日本@名無史さん:04/02/08 13:55
織田信長は実は南蛮勢力(イエズス会)と内通していたという事実を暴いた著作とそれを紹介したSNSIサイトを転載します。

「副島隆彦(そえじま・たかひこ)の学問道場」
http://www.soejima.to/

”今日のぼやき” 「530」信長研究本について
http://www.soejima.to/boyaki/diary.cgi

信長殺し、光秀ではない 作品社
八切 止夫 (著)
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4878934794/ref=lm_lb_4/250-3506675-2220235

信長と十字架―「天下布武」の真実を追う 集英社新書
立花 京子 (著)
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087202259/250-3506675-2220235


2 :日本@名無史さん:04/02/08 14:04
(引用開始)
副島隆彦著『決然たる政治学への道』第8章(186ページ〜)

 キリシタン弾圧と鎖国をした理由−イエズス会の野望

 もう一つ、日本が国際社会で置かれていた位置が、如実に観察される歴史上の場面がある。それは、キリシタン伝来である。1543年に、種子島にポルトガル船が漂着して鉄砲を隻た、ということは日本人なら習って知っている。

しかし、この「鉄砲伝来」とは、実は、ヨーロッパ(当時は、「キリスト教圏」と言った)から見るならば、ヨーロッパによる「日本発見一ということであったのだ。このポルトガル船(実は、中国のジャンク船であったという最近の
新説もあるが)によって、このとき、日本は「発見された」のであった。

この「日本発見」というコトバを甘く考えてはいけない。日本が「発見された」ということは、日本がその時、誰か(どこかの国)の所有物になったということだ。ローマ法以来のヨーロッパ法学の原理に従うならば、「先取特権」に依り
、「誰の所有物でもないものは、初めに見つけた者の物になる(無主物先占という)」という法原理のひとつに従う。

だからこの時、日本を初めて見つけたヨーロッパ人が、それをヨーロッパの国王に献上したら、その国のものになる。ということに国際法理論上なっていたのだ。ジェノバ人であったコロンブスが、スペイン国王のためにアメリカ
(西インド諸島)を「発見」したように。

しかしアジア諸国の場合は、すでに存在そのものは知られていたから、誰かが、実際にその地に上陸して、探査して実効支配してからでないと、その地の領有を主張できなかった。だから、その六年後の1549年に、フランシスコ・ザビエル
(あるいはシャビエル)が九州、鹿児島に上陸して来たのだ。彼はスペイン人(カタルニヤ人)で、イエズス会( Jesuit ジェズーイット)という鉄の規律を持つ修道士会の、創設メンバーの重要人物である。


3 :日本@名無史さん:04/02/08 14:05
彼は、当時のヨーロッパにおける最強のプロパガンディスト(伝道者)の一人であった。彼が日本(鹿児島)に上陸したとき、彼は、日本をこの時期以降、「神の国にする」、すなわち、「ローマン・カソリックの教皇(法皇)に献上する」
という重要な役目をもっていたのである。

何と、日本という国は、ローマ教会に献上された国だったのである。その献上の文書がローマのヴァチカン(法皇庁、教皇庁)に今でも残っているという。イエズス会は、日本という国を、キリスト教国に変えて、民衆を改宗していく作業に
敢然と取り掛かったのである。「イエズス会」というのはローマ・カトリック教会内部では、少し独立した立場にある。フランスのモンマルトルの丘で結成され隆盛していったイエズス会は、宗教改革の嵐に対して反撃するための鉄の軍団である。

イエズス会 Jesuit には、当時のヨーロッパの秀れた頭脳を持った知識人層が俗世の欲望を捨てて、修道士として結集した。彼らはヨーロッパ以外の野蛮世界の布教活動のために、命を賭けた人々であり、まさしく鉄の規律を持った、
「反宗教改革」(カウンター・リフォーメイション the Counter Reformation )の集団であった。

だから、イギリス、オランダ、ドイツで起こったルター派、カルヴァン派(=ピューリタン、清教徒)ら、プロテスタントの叛乱に対して、心底から復古主義の闘いを挑んだ人々だ。『清貧と貞潔( 財産を持たず、性欲を棄てた)の誓い』
をした鉄の思想的戦闘隊の、思想的な強さは、当時世界最強クラスであった。一六世紀の日本での布教活動は、このイエズス会宣教師(ジェズーイット・プリースト)たちによって、以後数十年の間押し進められた。そして当時の日本は
まさに戦国時代の末期であった。

 織田信長はイエズス会の宣教師たちの布教活動を大いに認めた。彼は、当時すでに腐敗しきっていた仏教各派の僧侶集団(戒律に違反して、陰にかくれて妻帯、子持ちが比叡山の僧侶にもたくさんいた)や、当時日本国内で最も激しい
民衆叛乱を引き起こしていた浄土宗(本願寺)の坊主たちとの思想闘争上も、イエズス会の宣教師の意見すなわち、(A)世界普遍価値を聞いた。

4 :日本@名無史さん:04/02/08 14:07
キリシタン最大の庇護者ころしてどうすんだ。

5 :日本@名無史さん:04/02/08 14:08
信長は、宣教師(バテレン)たちに拝謁を許して、世界の実情をたくさん知ったはずだ。地球儀ももらっている。当時の日本人のうち、
信長だけは、世界の大きさということが分かっただろう。信長は、宣教師が献上したズボンをはき、トラの皮をまとい、マントをひるがえしていたという。


この織田信長が共謀(コンスピラシー)によって打倒され、豊臣秀吉の時代になると、そろそろイエズス会の本性が少しずつ日本人に分かるようになってきた。
豊臣秀吉自身も、この頃は朝鮮侵略を行い、やがては明の国にまで攻め入ろうとするくらいの旺盛な軍事力を築き上げた時期の日本の権力者であった。例えば、
フイリピン(マニラ)侵寇計画を、豊臣秀吉は企てていた。

このとき、攻撃されるべき相手として秀吉からの「降伏要求」の手紙をもらった相手は、ルソン(マニラ)にいたスペイン人の現地最高司令官(総督)であった。
この時代に、フィリピンは、すでに、完全に、スペイン帝国の植民地になっていたということだ。

以後、四百年間、一八九八年の米西(アメリカ・スペイン)戦争まで、ずっとフイリピンの支配階級はスペイン人である。実は、今日でも、フィリピンの支配階級は、
この時のスペイン人たちの子孫である。現地人と混血しないように今でも若妻をスペインから迎えるという。

ところがなんと、秀吉からのこの手紙を持っていった人物が、スペイン人総督に日本の内情を伝えており、秀吉の意図は、十分に向うに見抜かれていたのである。
遅れた国の王は、簡単に構造的にだまされるのだ。



6 :日本@名無史さん:04/02/08 14:09
ちょうどその同じ年、一六〇〇年に、豊後(今の大分県)水道の沖に漂着した一隻の船があった。リーフデ号である。これに乗っていた
ウィリアム・アダムズ(イギリス人)とヤン・ヨーステン(オランダ人)の二人が、やがて徳川家康に仕えるようになった。彼らは、直参か
旗本の武士待遇を与えられた。ウィリアム・アダムズは神奈川県の三浦半島に住んで、二百五十石の領地をもらって徳川家康の外交顧問
(通訳、解説者)のような任務を勤めた。ヤン・ヨーステンは、今の東京駅の八重洲(ヤエス)口のあたりに住んだ。

このウィリアム・アダムズが、徳川家康に真実をちくったのである。その内容は、「今の状態で、日本がイエズス会の宣教師たちの布教活動を
許しているならば、やがて日本は、完全にローマン・カソリックとスペイン帝国の属国にされてしまうであろう」というものであった。

すでに、この頃にはイエズス会だけでなくフランチェスコ会やドミニコ会の宣教師たちも、京都や堺や長崎で、教会を建てて布教を行いキリスト教の
信者が激増していた。信者は、豪商たちや大名たちにまで及んだ。彼らキリシタン大名が結集してその資金力と、ヨーロッパの先端技術を導入した武力を
動かせば、徳川将軍家だって打倒されるであろうと、アダムズは家康に進言したのだ。

彼らの背後には、マニラに駐屯していたスペイン艦隊(ガリオン船、重武装商船隊)がいる。あれが、内乱に乗じて、日本まで侵略してきたら、大変なことになる。
事実。豪商や戦国大名の多くがキリシタンになっており、徳川家康の息子の一人や、なんと有力大名の伊達政宗までキリシタンであったと言われる。
これらの「鎖国」に至る、歴史の事実は、中公文庫『日本の歴史』(一四巻「鎖国」岩生成一著)を読むとよく分かる。

家康は、このアダムズの意見を聞き入れて徐々に鎖国を断行するに至った。初めのうちは、家康は、南蛮貿易を独占することによって得られる巨利を捨てが
たかったのだが、やがてそれどころではなくなった。いくら禁止しても、宣教師たちがどんどん密入国して来て、いよいよ危険な情勢になってきたからだ。

『決然たる政治学への道』第8章(186ページ〜)


7 :日本史@名無し:04/02/08 14:25
つまり、信長→だまされた→アホ 家康→正しいことした→マンセー て筆者は言いたいの?

8 :日本@名無史さん:04/02/08 19:23
家康の鎖国政策がイスパニアの日本乗っ取りを防いだのは事実だろう。


9 :日本@名無史さん:04/02/08 21:23
信長は手紙で自称「第六天魔王」と名乗っており、その行動も寺を焼き討ちにしたり
安土城に天皇の住居を天守(自分の住居)の下に造らせており、
石を自分の化身とし、今度からこれを拝むようにさせたり、

その行動はまさに神仏権威を恐れないものだったことは確か。

でも信長はキリスト教には手を出さなかった。

逆に日本古来の神仏系の人にはかなり恨まれただろう。(例・一向宗、朝廷)
殺すとすれば、これらの人しか考えられない。通説どおり、明智光秀が公家(秀吉も?)と語らって
殺したんだろう。その後、秀吉や家康がキリシタン追放したのを見れば
日本国内の復古主義者らが(オランダと組んで)キリスト教(カトリック系のスペイン・ポルトガル)追放を画策したのは明らか。

10 :日本@名無史さん:04/02/08 21:27
信長は密かにイスラム商人とも通じており、キリスト教徒の暴虐ぶりを聞かされていた。
これを察知したイエズス会は信長の心変わりを恐れ、先手をうったのである。


11 :日本@名無史さん:04/02/08 21:40
先手を打つには次の大将をキリシタンに近いやつにしておかないとだめだろ。
その計画も立ててないのに実行しないよ。

明智光秀がキリシタンに近いとは思えないし、
他のキリシタン大名らが集まっても日本を統べれるほど勢力ないし。

キリシタン大名の高山右近、細川忠興らが朝廷と近いから
朝廷とキリシタンの共謀があったというならありうるかも。

12 :日本@名無史さん:04/02/09 00:41
関係者の中で怪しいのは、黒田官兵衛だろう。官兵衛が秀吉を操り、信長をおびき出し、イエズス会→ガラシャ経由で光秀へ信長暗殺をけしかけた。後に秀吉が、彼に対し恐れを抱いていたのは、このからくりに気付いたから。

13 :日本@名無史さん:04/02/09 01:01
>12 の絵は中々興味深い。

ところで、全く関係ない話だが秀吉もキリスト教禁教令を出してる。
イエズス会の作戦はけっかとしてかなり片手落ちだとおもうが

14 :日本@名無史さん:04/02/09 01:30
信長がイスラム教を公認する危険を感じたイエズス会が殺った。


15 :12 :04/02/09 01:49
>>13 私は、あなたの指摘は重要だと思う。>>1の説によると、信長を殺し、植民地にすることが、目的のはずなのだから、秀吉が禁教令を、出した時点で、何かしらの手をうつ…まさか、秀吉に毒盛ったとか?

16 :日本@名無史さん:04/02/09 01:55
秀吉が毒殺された可能性は実は結構ある。
死の直前の状況は水銀中毒の可能性もあるし。
(これはどちらかというと皇室関係の医師による「治療」の結果ともいえるが)

ただ、それだとすると結果的に家康が天下をとってしまっているので弱い。
そこまでするなら官兵衛はもう少し天下が取れそうな絵を書けていた筈。



17 :12=15:04/02/09 02:07
いや、関ヶ原の官兵衛の行動を見ると……うーん、官兵衛黒幕説には、限界が(w      >>1が、信長暗殺のくだりの共謀について、ネタをふってくれるとありがたいんですが。  

18 :日本@名無史さん:04/02/09 06:26
>>1のネタ元のネタ元は

信長と十字架―「天下布武」の真実を追う 集英社新書
立花 京子 (著)
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087202259/250-3506675-2220235

↑これだから
読めば分かる。内容はキリシタン大名で朝廷ともつながりが深い細川藤孝が
ポルトガル・スペイン(宣教師が多く、カトリック)と朝廷の橋渡し役をして信長を殺すように明智を仕向けたという説。

しかし、その後オランダ(宣教師は乗せず貿易が主。プロテスタント)と組んだ秀吉、家康らによって封じ込められたというわけ。


19 :日本@名無史さん:04/02/09 07:55
そう言えばもう少し時代は下るが大久保長安がスペイン等と内通してて
倒幕を目論んでたと言う文書がバチカンにあるというのは事実なのかな。

20 :日本@名無史さん:04/02/09 08:04
>>18

立花京子については「博士号を持っている在野の学者」らしいね。
ところで、禅宗一派臨済宗の妙心寺塔頭大心院は、
細川政元が景覚和尚を開山として創建、細川藤孝(幽斎)が中興したとされている。
公家の繋がりはともかく、何故彼がキリシタン大名にされているかが分からない。
他にも、

>フロイスの日本史や書簡などに、
>特定の事件が「デウスがなしたもうた」と書いてあるからって、
>そのままイエズス会の意向って深読みするのはどうなのかね。

>永禄元年に「勅書」を受け取ったとしながら、
>翌2年に上洛したおりに朝廷との接触の記録が
>無いのはなぜでしょう。

こんな突っ込みをみた。
「日本の有力者を無理矢理キリシタン認定して信長と関連づけている。」
って評判がなければ読むよ。

21 :日本@名無史さん:04/02/09 08:06
む? 18 から貼ってしまったか、続けてすまん。

>>12

>官兵衛が秀吉を操り、信長をおびき出し、(ここまでOK)
>イエズス会→ガラシャ経由で光秀へ信長暗殺をけしかけた。(厳しい)
>後に秀吉が、彼に対し恐れを抱いていたのは、このからくりに気付いたから。

ガラシャが初めて教会にいったのは1587年九州征伐の頃。
洗礼を受けた侍女や、利休の弟子の繋がりで感化されたと考えられるのは、
光秀が謀叛を起こして幽閉された前後。
夫の細川忠興は嫉妬深いうえにアンチキリシタン、その父である幽斎は禅宗の人間。
1587年以後なら、侍女を通した教会の繋がりはあったと思うが、
本能寺の変前後の彼女が、イエズス会の協力を受けられるほどの、
繋がりがあったとは思えない。

1.黒田官兵衛が誰を通して(あるいは自分で?)
  イエズス会の如何なる者と連絡をとったか、その文書はあるか。

2.イエズス会の誰がガラシャ(あるいは説得者)と連絡を取ったか。
  その説得者はイエズス会・光秀とどのような関係にあるのか、その文書はあるか。

3.イエズス会が関与しているならば、計画に関する報告書は存在するのか。

これが説明できなければ、>>17 の関ヶ原以前に限界がある。

22 :日本@名無史さん:04/02/09 08:27
少なくとも、フロイスは「日本史」で、
明智光秀の事をボロクソに言っている。
到底、イエズス会と明智光秀が協調したとは思えない。

周到な準備によって本能寺の変が行われたならば、
信長横死直後の畿内の無政府状態の中で、
何故イエズス会の宣教師たちは、
略奪に遭わなければいけなかったのか?

電波の出しすぎだな、>>1よ。
つか、>>1は電波を楽しんでるんだろ(w?
所詮は、短命のネタスレなんだろ(w?

プッ

23 :日本@名無史さん:04/02/09 12:01
>>22
http://www.soejima.to/boyaki/diary.cgi
の530全文読め。

<中略>
と、疑惑が持てるのは、ウイジ・タードル(印度派密使)の資格をもって、
天正七年七月にマカオから日本へ来朝したアレッサンドロ・ワリニヤノは、
翌天正八年十月に、豊後府内の教会堂において、天主教の神父達を集め、
スド・コンスルタ(九州協議会)を開き、続いて安土の天主堂で
スエ・コンスルタ(中央協議会)。そして天正九年十二月には、長崎の
トドス・サントス会堂で密議がもたれた。そして、これを最後にして
正式の会合は姿を消し、翌天正十年の六月二日に、京都四条の三階建の
天主堂から一町もない至近距離の本能寺で、いきなり突如として信長殺しは
起きたのである。
 もし、当時の十字軍遠征用に考案されていた折畳み分解式のイサベラ砲を、
この天主堂の三階へ運び上げていて、一階建の眼下の本能寺の客殿へ撃ち込むか、
もし、それでは人目を引くものならば、その火薬を本能寺の境内へ持ち込んで導火させてしまえば、
ドカンと一発。それで、容易にかたのつく事である。

・・・とある。俺としてはイエズス会が信徒(手先)使って殺させたんだろうと疑ってる。


24 ::04/02/09 12:48
↑八切の妄想です。

25 :日本@名無史さん:04/02/09 13:07


イエズス会より一向宗のほうが怖いんだよ
明治になって最も弾圧してた薩摩に
坊主がなだれ込んだ
それまで何百年も門徒は隠れて坊主を待っていた



26 :17:04/02/09 13:35
>>21氏のおっしゃるとうりです。粗悪な燃料でしたねw。ガラシャの洗礼の時期まで考えてませんでした。

27 :日本@名無史さん:04/02/09 18:59
そえじいあげ

28 :日本@名無史さん:04/02/09 22:05
従来の学説を覆す戦国日本衝撃の事実・・・

29 :日本@名無史さん:04/02/09 22:24
上智大学に通報しますた。

30 :日本@名無史さん:04/02/10 05:38
http://www.media-k.co.jp/jiten/imgbbs/img-box/img20031225190315.jpg

31 :日本@名無史さん:04/02/22 12:33
織田信長が神も仏も信じず、延暦寺や一向一揆を始めとした寺社勢力を厳しく
弾圧したと思っている人は多いのではないでしょうか。しかし実際は、安全を
保証され領地や諸権利を認められた寺社の方が遥かに多かったことはあまり
知られていません。
南蛮スタイルに身を固め、宣教師と談笑する信長の姿も、キリスト教側の史料に
見られる話がほとんどで、同時代の確実な史料はあまり残されていないのが実態です。
信長とそれぞれの宗教勢力は、実際はどういう関係にあったのでしょうか。
また、両者の関係はT・P・Oや信長の権力発展段階によって変わっていく
のでしょうか。
キリスト教や一向一揆、法華宗寺院そして神社 … 。展覧会では、それぞれと
の関係性や信長の感情を示す資料を紐解きながら、考えてみたいと思います。

滋賀県立安土城考古博物館 平成15年度秋季特別展
信長と宗教勢力―保護・弾圧そして支配へ―

                     より。

32 :日本@名無史さん:04/03/29 23:49
>1意味不明
>2=3納得。
信長はキリシタンの庇護者だよな。
明智とかは神道と仏教の庇護者
つまり対立してた。

信長にとってはキリシタンも数ある
武器のひとつに過ぎなかったことだろう。

とにかくキリシタンはすごい。
どんな苦しみも神の試練ぐらいにしか
思ってないから日本まで命も顧みず
やってくる。
超狂信者集団だからほんとにてにおえない。


33 :日本@名無史さん:04/03/30 02:44
日本の一向宗もキリシタンもそうだよね。

34 :日本@名無史さん:04/04/10 23:26
いずれ信長もキリシタン弾圧に乗り出したと思うんだが

35 :日本@名無史さん:04/04/11 01:56
武田・織田家が430年ぶり和睦、遺恨越えて握手
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20040410i514.htm
戦国時代に覇を競った甲斐・武田信玄と尾張・織田信長の流れをくむ宗家の当主が10日、信玄公をまつる甲府市の武田神社をそろって参拝、
武田家滅亡のきっかけになった長篠の合戦から約430年後に“和睦(わぼく)”を果たした。
参拝したのは、武田家16代当主で会社員の武田邦信さん(55)(東京都世田谷区)と、織田信長の宗家の12代当主、織田信成さん(82)
(神奈川県相模原市)、埼玉県庁職員信和さん(57)(東京都港区)の親子。
両家は2001年7月、長篠の合戦をしのぶ「設楽原決戦場まつり」(愛知県新城市)で対面し、「仲直りの機運が高まった」という。
今回、武田神社の仲介で、信玄公の命日(12日)に合わせて開かれている「信玄公祭り」を織田家の親子が訪れることになった。
3人は武田神社の社殿に玉ぐしを奉納した後、宝物殿の壁に飾られた「風林火山」で知られる孫子の旗の前でがっちり握手。
武田さんは「旧来の遺恨を乗り越えて末永くおつきあいしたい」と話し、信和さんも「400年以上たった現代では、平和的な付き合いが
望まれます」と笑顔で話していた。
長篠の合戦は1575年(天正3)、織田信長・徳川家康連合軍の鉄砲隊が、三河設楽原で、信玄の四男、勝頼が率いる騎馬隊を撃破、
武田家は7年後に滅亡した。


36 :日本@名無史さん:04/04/13 08:35
副島は何でもかんでも陰謀ロスチャイルド等で解説するからね

ちなみに日本はアメリカの属国だと最初に言い出したのは
自分だそうで、他の人間が日本は属国と言うと剽窃になるそうですw
ほほえましいかたです


37 :日本@名無史さん:04/04/13 09:05
信長は宗教に関しては超党派。
敵対する勢力は宗派関係なしに容赦なく叩き潰し
応援してくれる勢力は宗派関係なしに手厚く庇護した。


強いて一つの宗派に限定するなら
熱 田 明 神 信 者。

38 :日本@名無史さん:04/04/13 13:55
>>37
要するに信長には宗教団体は単に一つの世俗的集団にしか
見えなかったというだけでしょ。まあそれ自体が常人の感覚
とは懸け離れているけどね。だから邪魔をすれば潰すし協力
するなら保護し、邪魔をしないなら放置ってのが宗教団体に
対する基本的スタンスだよね。だからそもそもどこかの宗派
を禁教にするということをしたことがないわな。いや、たった
一度いうことを聞かないと禁教にすると脅した宗派があったな。
それは何とキリスト教。荒木村重が反乱を起こした時に荒木
の部将だった高山右近一族を切り崩す工作をする時。切り崩し
に失敗したらキリスト教を禁止し国外退去させると脅したん
だったなwこれがイエズス会と手を組んだ人間のすることとは
とても思えんがwwww

39 :日本@名無史さん:04/04/13 14:32
信長なら、創価も潰してくれた!

40 :日本@名無史さん:04/04/13 14:40
>>39
現に京都で凄い勢力を持っていた日蓮宗に対して、
浄土宗との宗論に負けたことを理由に相当規制を
加えているね。ただ、面白いのがその前後を通じ
て京都での宿舎はほぼ一貫して日蓮宗の寺院だった
こと。だから本人にしてみれば宗教弾圧をした感覚
はなく単に世俗団体としてのやり過ぎにお灸をすえ
たという感覚しかなかったんだろうねw

41 :日本@名無史さん:04/04/13 14:42
まぁ宗教なんて信じてなかったんだろ。

自分の代わりとして石を安土城において家臣らに拝ませてたんだから。

42 :日本@名無史さん:04/04/22 15:02
それはさておき、
副島隆彦が信仰しているのは、小室直樹と岡田英弘のようだが、
どっちからも無視されまくりw

神様はデムパに対しては冷淡だなw

43 :日本@名無史さん:04/05/19 22:46
かつては鹿島昇にも騙されていたね、副島隆彦ってw
立花京子さんの次はだれに騙されるのかちょっと楽しみw

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