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足利将軍ってなんで15代まで続いたの?

1 :ヘタレ:04/02/05 00:10
足利将軍も関東公方もそのほとんどがショボイ面子ばっか。
特に将軍はなんで15代まで続いたのか、俺にはわかんね!(T▽T)
いくら天皇から任命されたっていってもよ、ありゃないだろ。
もし俺が戦国武将だったらあんなショボイのすぐに潰してたね!
ってか、なんで?

2 :2:04/02/05 00:12
2DAIME

3 :日本@名無史さん:04/02/05 00:13
周王はもっと続いてますが・・・

4 :日本@名無史さん:04/02/05 00:15
義教が殺されなかったら、どういう風に展開していったのかしら?
強権政治はいずれどのみち破綻したかしら?

5 :日本@名無史さん:04/02/05 00:36
初代ー尊氏
二代ー義詮
三代ー義満

序盤の三代と

一三代-義輝
一四代-義栄
一五代-義昭

終盤の三代
一三代〜一五代セコっ!w
けっけけけけけけ〜

6 :日本@名無史さん:04/02/05 04:38
義輝も義昭も結構頑張ったと思うが。

7 :日本@名無史さん:04/02/05 10:52
等持院くらいは行っとけよ。少しは感じ方変わるよ。

8 :日本@名無史さん:04/02/05 11:01
ばっかだなあ、しょぼいから残す価値あるんじゃねえか。
俺が大名なら、義教みたいなウザい将軍こそ真っ先に殺すね。


9 :日本@名無史さん:04/02/05 22:13
>>8
そういうお前も殺されるわけだが。

10 :日本@名無史さん:04/02/06 00:04
今川義元が桶狭間で討たれなかったら、そのまま尾張を平定して
頃合を見て上洛敢行!そしたら足利義元が誕生し
幕府の権威も少しはまともになったかもよ

11 :日本@名無史さん:04/02/06 00:08
やっぱ将軍位継ぐときは足利に改名するの?

12 :日本@名無史さん:04/02/06 00:15
足利持氏、赤松満祐、山名宗全、織田信長は偉い!!

13 :日本@名無史さん:04/02/06 00:17
>>12
どういう選定基準よ?

14 :日本@名無史さん:04/02/06 00:20
>>13
武士か公家か判らん、お歯黒将軍に楯突いた武士の中の武士!!

15 :日本@名無史さん:04/02/06 00:23
お歯黒大名(・∀・)イイ!

16 :日本@名無史さん:04/02/06 00:25
今川義元はお歯黒大名。

17 :日本@名無史さん:04/02/06 00:25
本当にお歯黒なんてしてたのか?
まさかノブヤボで「高家」になってるから、>>14が勘違いして…

18 :日本@名無史さん:04/02/06 00:28
お歯黒って、婦人がするのでは?

19 :日本@名無史さん:04/02/06 00:29
大内義隆もお歯黒してたのかな?

20 :日本@名無史さん:04/02/06 00:42
ノブヤボでの束帯大名キャラの代表は
今川家、京極家、足利家ぐらいか?
細川家や畠山家は束帯キャラじゃない。一色家、山名家、赤松家もそう。斯波家も束帯キャラでなかったような。
どこで決めてるんだろ

21 :日本@名無史さん:04/02/06 00:51
束帯キャラって誰もができるものじゃあなかったんでしょ?
だから家格が決めてたんじゃない?

22 :日本@名無史さん:04/02/06 00:55
一応、源氏とか天皇の流れを継いでいる家柄でないと束帯はできなかったのかね。でもそれなら武田は出来るな

23 :日本@名無史さん:04/02/06 15:27
じゃあ松永久秀も偉い?

24 :日本@名無史さん:04/02/06 21:15
何故初代は自分の土地を確保出来なかったのか?
直属の軍隊を養えなければ没落するのが見えなかったのか?

25 :宇和島人:04/02/06 21:24
>21
家格は
足利本家>吉良>今川>斯波>>>>細川、畠山>一色、京極、山名、赤松、六角だろ。
京極よりは斯波が上だ。

26 :日本@名無史さん:04/02/06 21:28
>>21
>>22
それは光栄に問い合わせればわかるだろw
板違いだな。


27 :日本@名無史さん:04/02/07 00:23
>>25
吉良ってそんなに家格高いの?

28 :日本@名無史さん:04/02/07 01:23
>>27
足利将軍家で跡継ぎがいない時は、吉良か今川から養子を取って
継がせるとか、真しやかに言われていたらしい。
ほんとにそんな決まりになってたかどうかは知らん。

29 :日本@名無史さん:04/02/07 11:55
この15人の中で、将軍としての能力的に最も優秀だった人物は
義昭だな、次いで義満。最下位は義栄。
尊氏は初代というだけで人物は凡庸
義教に関しては糞

30 :日本@名無史さん:04/02/07 12:00
一応、吉良、渋川、石橋の三家は「殿」付けで一門扱いだった。

31 :日本@名無史さん:04/02/07 13:14
三好、松永は将軍義輝を討ったが、その後すぐに将軍義栄を立てた。北条氏康も上杉と和睦後、古河公方足利義氏を立て自らを関東管領と名乗ったというが。
わざわざ新たな将軍とか公方を立てるんだったら
自分がトップになればよかったじゃねーか

32 :日本@名無史さん:04/02/07 13:53
室町・戦国期の吉良家の歴代当主は、官位がなくて官途名を私称してるだけ。
名門というわりには、どこで何をしていたかもよくわからない。


33 :日本@名無史さん:04/02/08 01:06
元々吉良家なんて高家じゃなかったんだろ

34 :日本@名無史さん:04/02/08 01:09
安室奈美恵とオマンコしたいね。

35 :日本@名無史さん:04/02/08 01:29
忠臣蔵に出てくる、糞爺で有名な吉良匠乃守も家格がよかったのけ?

36 :日本@名無史さん:04/02/08 11:02
というか義栄ってほんとに将軍になったのかよ。

37 :日本@名無史さん:04/02/08 13:38
>>36
朝廷が征夷大将軍の辞令を出しているのは間違いない。

38 :日本@名無史さん:04/02/08 15:49
吉良家は観応の擾乱で直義方について衰退したんだっけ?

39 :日本@名無史さん:04/02/08 16:02
力がないことを幕府が自覚してたから続いたんじゃないかな。お家騒動は大体
勝つ方に味方していったし。そもそも尊氏は異常なぐらいに御家人に大判振舞
いした将軍だった。まさに大器(またはあほ?)。力で抑えず、権威として存
在していたから。長く続いた平安時代の貴族と同じ構造がそこにあったと思う。

40 :日本@名無史さん:04/02/08 16:24
>35
吉良は23歳で従四位上。

41 :日本@名無史さん:04/02/08 16:28
>33
15代目の義弥(上野介の祖父)の時


42 :日本@名無史さん:04/02/08 16:34
ちなみに吉良の娘と
浅野の嫁は同じ名前
(字は違うが。)
吉良の娘は阿久里
浅野の嫁は阿久利

43 :日本@名無史さん:04/02/08 19:23
>>31
日本史における「貴種」の概念が分かってないな。
どこの馬の骨ともわからん香具師が突然公方になったって、
誰も認める訳無い。どうしても将軍とか公方とか
なりたかったら、家康みたいに系図を偽造するしか無い。
そんな面倒くさいことしなくとも、傀儡立てりゃ十分
だったんだろ。


44 :日本@名無史さん:04/02/08 21:17
五代:義量
十四代:義栄

このふたりだけ画像・木像が一切伝わってないらしいね。

45 :日本@名無史さん:04/02/08 21:22
義輝サマかっこよすぎ

46 :日本@名無史さん:04/02/08 23:32
義栄って朝廷に任命された訳じゃなく、三好と松永が自分達で勝手に作った、なんちゃって将軍だったんだろ?
んなもんでも14代将軍様になっちゃうのか?
そこんとこどうなんだお前ら!!


47 :日本@名無史さん:04/02/08 23:39
三好が勝手に作ったとしても最終的に天皇が叙任したから将軍なんでないの?


48 :日本@名無史さん:04/02/08 23:50
義輝は剣豪将軍といわれているが
それは単に、剣の腕前がおっそろしいほど達っただけであって
戦場で2〜3万騎の軍配を振るわせたら大したことないんだろうな。

49 :日本@名無史さん:04/02/08 23:55
>>42
おぉ、反対だと思ってた。
>吉良の娘は阿久里
>浅野の嫁は阿久利

50 :日本@名無史さん:04/02/10 01:25
つか、義輝の時にいた三好長慶って当時正式な管領だったのけ?

51 :日本@名無史さん:04/02/10 01:29
三好自体が細川の家宰だろうが。

52 :日本@名無史さん:04/02/10 01:32
えええ!!そうだったのか!!!知らなかった…
んではその細川さんはなにやってたの?

53 :日本@名無史さん:04/02/10 01:37
そうす
http://www15.cds.ne.jp/~eagle/moto/1564mysngys.html


54 :日本@名無史さん:04/02/10 01:59
>>10
義元上洛説はちょいと無理っぽいでしょう。
上洛したとしても足利義輝が将軍なのに分流の義元が将軍にはなれないよ。

>>29
義昭が能力があったのは認めるが、義栄が最下位というのは・・・。
単に早死にしただけだし。

>>44
義栄の木像は出身地の阿波に残ってる。
怒っているような顔でイメージと全然違った。

ちなみに「高家」とはもともとは家柄が高いという意味で
「公家」とも書かれていたが、
江戸時代になって寛永時代頃から役職の名称として使われだした。
それ以前にも大沢基宿や吉良義弥らが高家のような役をしているので、
大沢基宿が徳川家康から儀式作法の指導役に
命じられたのが高家の始まりとなっている。


55 :日本@名無史さん:04/02/10 02:03
今川の場合、義輝を廃嫡して自分が将軍になることはできる血筋だけどね・・・
人気を考えると厳しいかな


56 :日本@名無史さん:04/02/10 02:04
しかしまたダラダラと二百十数年もの間、みんなで幕府を維持し続けたもんだ。信長がいなかったらこの状態が後100年は続いたんじゃねぇのか?


57 :日本@名無史さん:04/02/14 02:02
>>1
お前さんは現代人的感覚に染まり過ぎ。
マックス・ウェーバーの「支配の3類型」でも勉強してみるといいさ。
10分もかからないからよ。

58 :日本@名無史さん:04/02/28 17:11
なんで足利って京都にいすわったのかな。
基本的に関東にいればこんな大反乱にならなかったのと違う?

59 :日本@名無史さん:04/02/28 18:30
京都近郊が不安定だから離れられなかったんでしょうに

京都にいなかったら南朝の勢力が京都押さえてるよ。


60 :日本@名無史さん:04/03/02 11:40
>>58

>>59にプラスしておくけど、
京都は将軍家が支配し、関東には鎌倉府をおいていた。

61 :日本@名無史さん:04/03/03 18:54
>>59
南朝は義満のときに滅亡してるじゃん


義満以降はどういうこと?

62 :日本@名無史さん:04/03/03 23:01
後南朝。


63 :日本@名無史さん:04/03/03 23:14
京の都に居座ることがそんなに変かね?
定石だと思うがね。

64 :日本@名無史さん:04/03/04 02:59
北の将軍ってなんで2代まで続いたの?

65 :日本@名無史さん:04/03/04 20:05
後南朝なんて取るに足らない存在だろ

66 :日本@名無史さん:04/03/04 21:23
だからと言って無視して幕府を遷す必要な無いわな

67 :日本@名無史さん:04/03/04 21:26
>>65
そうでもない。
どさくさに紛れて御所から神器を奪ったり、
応仁の乱でも西陣南帝が出てくる。

68 :日本@名無史さん:04/03/07 06:05
有力守護が西国にもたくさんいて、離れられなかったってことは無い?
鎌倉幕府は、地方政権から出発してるけど、足利は南朝だの直義だのとがっぷり四つになって全国展開したから、今更地方に引きこもるわけにもいかなかったのでは?

69 :日本@名無史さん:04/03/09 05:34
鎌倉幕府と足利政権は、機構が似てるだけで規模も深度も別モノだよね。
まさに全国展開というのが言い得て妙。

鎌倉幕府は元冦で全国展開しようとして潰れたようなもんだ。

70 :日本@名無史さん:04/03/09 07:06
実質的権力は保持してなかったが
利用されてたから。

71 :日本@名無史さん:04/03/09 13:40
問題はなぜ15代も利用価値があったかだ。

72 :日本@名無史さん:04/03/09 15:15
そりゃまぁ、鎌倉将軍が九代まで続いたのと似たような理由ではないの?

73 :日本@名無史さん:04/03/09 16:32
鎌倉は140年。
室町幕府は240年。


74 :日本@名無史さん:04/03/09 17:09
個人の才能に頼っている組織というのは、そもそも健全ではないわけで…
信長個人に頼っていた織田政権は彼の死後、武田の最後並に惨めな形で
あっという間に空中分解したでしょ?

ショボイ将軍でも維持できたんだから、組織としてはある意味完成されていたのでは?
徳川だってショボイ将軍多いし。

問題は、個人の才覚を振るおうとした将軍は、義教を筆頭にみんな回りから
あぼーんされちゃう点だな。ショボイ奴でも務まるが、傑物も輩出されない…

75 :日本@名無史さん:04/03/09 19:18
15代はずっと花の御所にいたの?

76 :日本@名無史さん:04/03/09 19:27
流れ公方
はぐれ公方
メタル公方

77 :日本@名無史さん:04/03/09 20:06
>>75
いや、花の御所(室町御所)に拠点を構えたのは
三代・足利義満から。
室町に居を移した事と
南朝と北朝を一つにまとめて正式に将軍となった事から、
学者の間では義満を初代将軍としている人もいる。

後に足利義晴とかの代になると将軍が京都から逃れる事も多く、
義輝の時の花の御所は現在の平安女学院の辺りにあった



78 :日本@名無史さん:04/03/09 20:20
現代日本ってなんで88代も続いているの?

79 :日本@名無史さん:04/03/09 20:57
流れメタル

80 :日本@名無史さん:04/03/10 00:12
それどころか義昭は信長に追放されたあともずっと征夷大将軍で呼ばれている。
秀吉政権下でも将軍は義昭だった訳だから(幕府じゃないけど)将軍家そのものは260年近い。
正式に将軍辞職したのは天文に入ってからじゃ無かったっけ。


81 :日本@名無史さん:04/03/10 00:17
室町将軍家って軍事力そのものは大したことないから過小評価されがちだけど
存在感としては相当なもんがあったんじゃないのかね。

信長は義昭の命令で消されたって説もあるくらいだ。

82 :日本@名無史さん:04/03/10 10:50
>>80
秀吉が関白になるまでは、義昭は天下に号令する夢を
ずっと持ってたんだよね。
たとえ権力は失っても一番地位が高いのは将軍である自分だし。
でもその後秀吉が関白になってしまって、自分より上の地位に就く武士
が現われてしまって、最後の望みも消えてしまったんだね。

83 :日本@名無史さん:04/03/10 13:14
>82
ちょっと違うね。秀吉は足利家への養子入りを熱望したが、義昭はこれを許さず、
秀吉は近衛家の養子になってる。近衛家の人間では将軍になれないので関白の地位を望んだ。
「関白」というのは手に入らない「将軍」の地位の代わりだったようだ。
誇り高き足利の血は時の権力者と言えども氏素性に問題のあった秀吉を迎える事は出来なかったんだろうね。
もちろん官位・役職としては関白のほうが上なんだけどね・・。

84 :日本@名無史さん:04/03/10 13:37
信長の最期や秀吉の関白就任もそうだが、この時期の政治的な謎とされてたものも
足利将軍家の影響力が考えられてるより遥かに大きかったと
考えれば案外しっくりくるものがいっぱいあるよね。

85 :日本@名無史さん:04/03/10 15:29
ショボくても125代続いているところもありますが。

86 :日本@名無史さん:04/03/10 16:03
>>85
ありゃショボくない。日本人の宗教観に根を張っている。
寄生しているという言い方のほうが正しいが。

87 :日本@名無史さん:04/03/11 03:30
>83
それもおかしいだろ。
義昭が将軍職を辞さない限り、誰も征夷大将軍にはなれない。
だから関白だと考えた方が合理的。

源氏長者と藤原長者じゃどっちが重たいかなんて明白。

源氏長者なんて天皇・藤家から見れば血としては地下人だろ。


88 :日本@名無史さん:04/03/11 05:24
>83
>近衛家の人間では将軍になれないので関白の地位を望んだ。
これもちょっと違うんじゃないか?征夷大将軍は令外の官で、一部の例外を除いては
従4位下か従3位下位。近衛府でいえば近衛中将位の官位のものが任命されているから
5摂家筆頭の近衛家が将軍を出しても官位的には全く問題ないと思われる。
ただ、黙っていても摂関になれるのにわざわざ下の官職に志願して粗暴な武士を束ねる物好きもいないだけの話じゃないのか?
それに、秀吉が先に近衛ではなく凋落した義昭の養子になりたいといったのは、武家の後継者を目指したというより
「官位打ち」を恐れたのではないのだろうか?秀吉自身百姓の出を隠しておらず、
とうていムリとは思っていても、頼朝や実朝、更に自分の主の信長までもがスピード出世でろくな死に方をしてないのを
みて、実力はともかく金で何とかなる公家の養子は避けたかったのではないだろうか?
実際畳の上で死ねたものの、事実上彼一代で豊臣は潰れたし。
たいした肩書きがなくても力さえあればどうにでもなることは信長が証明しているのだから
適当な官位で箔がついたらそれでよかったんじゃないかと思うが違うかな?
どっちにしてもスレ違いすまそ


89 :日本@名無史さん:04/03/11 05:59
いろんな推測があったほうが面白いからage。

90 :日本@名無史さん:04/03/11 06:06
プランタン銀座の荒井直美さん、かわいい。

91 :日本@名無史さん:04/03/11 06:17
>>83
実際九条家からは将軍出てるよ。


92 :日本@名無史さん:04/03/11 14:19
>87 10代以降は誰1人辞職し(ry

93 :日本@名無史さん:04/03/11 22:01
>>91
九条家の場合は源頼朝の姪が嫁いでおり、一応、源氏の血が繋がっていた。

94 :日本@名無史さん:04/03/12 01:14
>88
それは違うよ。当時、例え五摂家筆頭だろうと従一位だろうと清和源氏の嫡流でなければ将軍には任じられなかった。
だから83さんの書いてることのほうが正しいよ。
後に家康が新田の系図を手に入れ、必死で源氏の嫡流になりすましたのを知らないですか?
当時、藤原の公家ではどんな身分でも任官されなかった・・・。
もう藤原氏の時代じゃなくなってたからね。
だから関白なんて何の実質権力も持ってないし、実質は将軍を下回る力しかなかった。
当時の関白、近衛前久がその実情を嘆いているじゃないか・・。
それに秀吉は武家の棟梁という地位こそ政治的に必要だと求めていたのであって、
関白という地位じゃ当時の戦国大名は誰も崇めてくれない事はわかってたようだ。
秀吉は当時最高の実質権力者だったから関白として権限を振るう事が出来たんだけど、
決して関白だから諸大名に命令出来たわけじゃないよね。
現に、秀吉前後の関白はただの名誉職に成り下がっているよ。
87さんが言ってるような藤原家の威光が復権するのは明治になってからだよね。
余談だけど江戸時代、九条家は源氏一門でもあり、
また、将軍を輩出していたから家康は特別領として3000石を与えてる。
これは当時の公家としては異例の高禄になってるよね。
余談ついでに書くと、江戸時代、500石しかなかった交代寄合の新田家には引け目があったのか、
10万石の格式を与えているよね。
まあ、新田家は間違いなく名門だからそういう理由からの特別待遇じゃないと思うけどね。


95 :日本@名無史さん:04/03/12 03:11
>>94
確かにその通りかも、、信長の後ろ盾があったとはいえ近衛前久は将軍足利義昭に関白を罷免されてる歴史的事実があるなあ。
公家の世の中だった平安時代では考えられん事件だよね。
これはあきらかにその頃の関白の実情を象徴してるんだろうね。
スレ違いだが徳川家康は一応武家だったんでごまかしの偽系図を引っ張り出せたんだろなあ。
出自があきらかな秀吉にはできん芸当だよね。

96 :88:04/03/12 18:28
>>94
それは逆だと思う、当時源平交代論とも言うべき考え方があったとあなたが認めるという前提で話を進めるが、
「征夷大将軍(以下将軍と略)が源氏の出身に限る」としたのはその家康本人でしょう。
 力があれば肩書きは何でもいいと言う点では大筋で私とあなたとで同じ認識だと思うけど、
>当時、例え五摂家筆頭だろうと従一位だろうと清和源氏の嫡流でなければ将軍には任じられなかった。
>当時、藤原の公家ではどんな身分でも任官されなかった・・・。

というのはどこから出てきた結論なのかが分からない。そういう規定を記した文章を見た事がないし、
実際「政権を担当した」将軍は確かに殆んどが源氏の一門だが、北条政権下では公家2代、宮様4代と、
源氏ではない人間が就任している、要は「当時は」武力を持たない公家に任命したところで武士を抑えられるわけもなく、
適当な人材を武士の中から選ぶしかなかったということで、
南北朝のどさくさでは何人もの宮将軍が誕生し武士を従えて暴れている。逆にあなたの言う通り秀吉や清盛は関白太政大臣で
ありながらやってたことは将軍そのものだ。12世紀から17世紀の間に任官規定に改定でもあったんでしょうか?
 足利幕府もその経緯を見れば、慣例というか成り行きで成立したようなもので、一つ間違えれば将軍が足利氏でなくても、
あるいは尊氏は将軍でなくてもよかった可能性は否定できないと思う。
もう一つ、揚げ足取りのようで悪いが、あなたの言う「源氏の嫡流」が、
「摂津清和源氏義家流頼朝家」のことを指すなら実朝で滅んでしまっており、足利、新田氏は義家流だが傍系である。もちろん他の御家人に比べれば格段に血筋はいいから特に足利氏は北条政権下でも特待扱いされていた。だからといって「源氏」だから将軍になった。
とは断言できないのでは?  (つづく)

97 :88:04/03/12 18:31
 (つづき)
 とにかく、清盛を武家政治の開祖と見るなら、
平家→源氏→北条(平家)→足利(源氏)と来ているから次は平家という発想が出ても不自然ではなく、信長も将軍職の打診を蹴ったにも拘らず平信長と署名したりしているし、
後を継いだ秀吉も「最初に」自分の主が叩き潰して帽子の役にも立たなくなった将軍家の養子を望んだのは「平家の次は源氏」という発想がなければ理解できない。
将軍家の威光は後ろ盾になる大名の力があってこそだということは嫌と言うほど知っているはずだから今更将軍になったところで諸大名がひれ伏すとはボケた晩年でも考えなかったろう。
 家康が新田流の系図を妄想したのは、最初から織田(平氏)の後釜を狙ってなのか、足利と並ぶ名門新田家が滅んで系図があやふやになっていたから取り敢えず箔付けに名乗ったのか分からないが、
とにかく「源氏」の家康が3度目の幕府を開いたことで将軍=源氏という認識が完成したのではないんだろうか?
(徳川が、その後歴代の当主に家の字を使ったのは、自分達が義家の流れを汲む家柄だと強調したかったからだという説もあり、家康が意識的に将軍=義家流にしたかったのは確かなようだ。
それまでの松平家は信忠ー清康ー広忠ー家康(元信、元康)ー信康、秀康、秀忠と、康と忠をほぼ交互に使っている)
もし、信長が将軍職を請け、秀信位まで続くか、秀吉が目出度く足利16代におさまるかしていたら歴史はともかく将軍に対する認識は大分違っていたと思う。
 ついでに言っておくと、後年家綱が死んだ時、後継を綱吉にするか綱豊にするかで揉めた際、酒井忠清が宮将軍擁立を計画し、水戸までも動いたという話が残っているのは、真偽のほどはともかく、
必ずしも将軍=源氏という考えが固定していなかった傍証にならないだろうか?

長文重ね重ねスマソ

98 :日本@名無史さん:04/03/12 18:50
いろんな説あって(・∀・)イイヨー


99 :日本@名無史さん:04/03/12 18:59
「右近衛大将」という位が幕府の象徴だったという説(1191年鎌倉開府説の根拠)というものがありますが、その関連についてどなたか解説して頂けませんか?

100 :日本@名無史さん:04/03/12 19:00
>>96
「征夷大将軍が源氏の出身に限る」としたのは家康本人て本当?
源平交代論が戦国以降の説ってのは考えてみればすぐわかるけど。

101 :日本@名無史さん:04/03/12 19:12
>>97
源平交代説って少なくとも数代にわたって武家社会を統治したような政権を想定
したものでは?信長は西日本すら押さえて無いし一代ちょろっと統治して
しかもその配下で明らかに源平でもない秀吉が源平交代っていうのは考え難くないですか?

それにそういう神話的な発想があるなら近衛→関白ではなく最期まで源氏路線を突き通さないとおかしくないですか?

一見無意味な足利将軍家や官位にまだまだ見えない力があったと考えた方が自然な気がします。

102 :日本@名無史さん:04/03/12 19:38
すみません一つだけ突っ込み。
九条家が3000石になったのは江戸後期(忘れたけど何か幕府に対する功績があって)で、
家康の時ではないですよ。

103 :日本@名無史さん:04/03/12 22:37
近衛家 2860石
鷹司家 1500石
九条家 3043石
二条家 1708石
一条家 2044石

だから、九条家だけずば抜けているわけでもないんじゃないの。
五摂家筆頭の近衛家より多いのはあれだけど。

104 :日本@名無史さん:04/03/12 23:04
>>99
「右近衛大将」に源頼朝が任官したメリットは三位がもらえたこと。
で、三位になると政所(家政機関ね)を開けるのよ。
さらに、朝廷としても「右近衛大将」は公卿じゃないので都合が良かったんじゃないの。

105 :日本@名無史さん:04/03/12 23:25
>103
清華家では今出川家が突出して1355石と摂家に肉薄。
秀吉を近衛家に斡旋して関白に就任させた春季の功績が効いているのか?

106 :88:04/03/13 01:44
>>100
すいません、家康はそんなこと言ってません。>>97の後半で書いたけど、
源氏でなければ将軍になれないという意見に対して、家康が源氏として開幕したことで
将軍=源氏が慣例化した。と言いたかったのが筆が滑りました。
>>101
ご指摘ありがとうございます。幕府云々がレスの主旨だったので織豊時代はうろ覚えで
書いてしまいました。よく考えたらその天正13年の養子の申し込み自体が議論されてる
状態でした。交代論と、あなたの言われる将軍家の見えない力等を頭に入れて
出直してきます。って、もともとスレ違いだけどw


107 :日本@名無史さん:04/03/13 09:38
足利将軍家が持ってた見えない力って、
やっぱり「南朝」なんじゃないでしょうかね。


108 :日本@名無史さん:04/03/13 12:41
>104
ありがとうございます!

109 :日本@名無史さん:04/03/13 12:45
後南朝といえば、戦後すぐに「後南朝の末裔」と称する者(熊田天皇?)が皇位継承権を求めて裁判を起こした事件がありました。

110 :竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/03/13 12:53

天皇ってなんで125代まで続いているの?


111 :日本@名無史さん:04/03/13 13:21
>>110
異民族に征服されなかったから(スレ違い)

112 :日本@名無史さん:04/03/13 13:26
>>103
どうでもいいけど摂家って二条が地味なイメージ。いつも忘れる。
近衛・・・わりとみんな知ってる。語感も名家っぽいし
鷹司・・・名前にインパクトあり。響きも公家っぽいし
一条、九条・・・○条は名家のイメージの代表。○○小路、○○院みたいな連中と同じ
二条・・・同じ○条なのに数が中途半端で地味。誰?って感じになってしまう。
     なんとなく数字が近いせいか一条のパチモンのようなイメージが抜けきれない。
ってかんじだ。
>>105
でも今出川はほかの清華から結構蔑視されてたんじゃなかった?氏素性の卑しい親秀吉だったせいで

113 :日本@名無史さん:04/03/13 16:45
二条家の始祖良実は一条家の始祖実経の兄なのに石高は低いのか
足利・徳川将軍家から諱をもらってるくらいだから
もっと貰っても良さそうなのに

114 :日本@名無史さん:04/03/13 17:29
江戸時代みたいなものだったの?

115 :日本@名無史さん:04/03/13 19:02
>>88
従3位下何ていう位階はないぞw

>>103
九条家は幕末に九条尚忠の功労によって千石加増されたんだっけ?
近衛家の石高は表向きには2860石だが、実際は一万石取れてたとか何かで読んだことがある。

116 :日本@名無史さん:04/03/13 20:25
近衛家は酒どころの灘に領地があって、元禄以降酒の消費量が増えるにしたがって
領地からの上がりが激増して結構ウハウハだったとか。
また、領地から良質の酒が献上されるので帝より良質の酒を常日頃飲めたらしい。

117 :日本@名無史さん:04/03/13 21:57
二条は二条城で有名


118 :日本@名無史さん:04/03/13 22:14
>>115
島津が代官として薩摩にある近衛家の領地を管理していたから、
島津からの貢ぎ物とかはあったと思う。

でも、明治の近衛家では当主・篤麿の妻が加賀100万石前田家の娘で、
近衛家の貧乏な食事で栄養不足になり、文麿出産後、病没している。
(ちなみにその後、その妻の妹が篤麿と結婚している)


119 :日本@名無史さん:04/03/14 22:58
尊氏"やい、おまいら!!幕府ができますた。室町に集合しる!
後村上"詳細キボンヌ
義満"1392は南北朝合一ですが、何か?
後小松"南北朝合一キターーーーーーーーー
後亀山"キターーーーーーーーーー
後醍醐"南北朝合一程度で騒ぐ厨は逝ってヨシ
尊氏"オマエモナー
義持"--------勘合貿易終了-------
義教"--------勘合貿易再開-------
富子"再開すなDQNが!それより息子うぷキボンヌ
赤松"嘉吉の乱うp
義教"↑誤爆?
義昭"将軍age
義政"ほらよ息子うぷ>富子
↑の弟"息子?降臨!!
義昭"将軍age
義輝"15第将軍ageんな!sageろ
義昭"将軍age
義輝"将軍age厨uzeeeeeeeeeeee!!
朝倉"ageっていれればあがると思ってる香具師はDQN!
細川&三好&松永"弱い将軍がいるのはこの幕府ですか?
義晴"氏ね
義栄"むしろ生きさせて
義昭"将軍age
義輝"義昭必死だな(w


120 :日本@名無史さん:04/03/14 23:16
>>119
禿ワラ
>>109
熊田ではなく、熊沢


121 :日本@名無しさん:04/03/15 12:17
15代義昭が信長に追放されてからも将軍を称したのは確かだが、
信長は彼をなぜ殺さなかったのか?また、彼の辞職を朝廷に強要しなかった
のはなぜか?この辺がすごく疑問だ・・・・・
足利将軍家ってそんなに信奉者が多かったんだろうか?

122 :日本@名無史さん:04/03/15 12:42
包囲網に露骨な大義をあたえちゃうからじゃね?

123 :日本@名無史さん:04/03/15 13:13
>>121
義昭の息子、義尋を自分の傀儡とするため。

124 :日本@名無史さん:04/03/15 13:20
俺の大学の傍にここの将軍様が並んでる寺がある
あ、大学ばれてまうわ

125 :日本@名無史さん:04/03/15 14:16
>>124
RIT'Sの学生ハケーソ

126 :日本@名無史さん:04/03/15 17:10
誰も突っ込まないが、足利将軍は16代まで、だよ

127 :日本@名無史さん:04/03/15 19:22
将軍の出先基地が幕府なんだから、義昭は毛利の庇護の下に鞆幕府を
開けば格好よかったのに。
なんの実権もないが。

128 :日本@名無しさん:04/03/15 19:59
>>122
だったら、少なくとも本願寺との講和、大坂退去以後には
将軍職を剥奪させるはずじゃないかな。
俺は正直、信長はさっさと辞職させていて、
義昭はただの「自称」将軍だったんじゃないかと思っているんだが。
ただ、辞職させたという公文書が現存していないだけではないかと。

129 :日本@名無史さん:04/03/15 20:31
>>127
毛利が許すはずない。

130 :日本@名無史さん:04/03/16 02:59
立命がおおっぴらに言えるような大学になったんだな・・・
感慨深い

131 :日本@名無史さん:04/03/17 11:17
将軍age

132 :日本@名無史さん:04/03/17 11:21
>>127
鞆幕府は実際あったよ。後世の問題にされてないけど。
しかし、ほんとインパクト薄かったんだな。なんかヒサンだな。w

>>129
毛利は鞆幕府の副将軍だよ。

133 :日本@名無史さん:04/03/17 11:27
>>121
それってじゃあ次の将軍はだれかってことになるから
むしろ何故信長は将軍にならなかったのか?と同じ問いでは?

まだ全然全国の大名制圧してないから無理ある。

134 :日本@名無史さん:04/03/17 11:56
将軍ageはかなり名言。

135 :日本@名無しさん:04/03/17 11:58
>>128
実は俺もそう思う。
何かの古文書で天正年間(しかも信長の生前)に
義昭のことを「前公方」と呼んでいるのを見た記憶がある。
だとすれば、信長が奏請して朝廷に将軍職を罷免させたの
ではないだろうか。

136 :日本@名無史さん:04/03/19 15:36
>>1
無能な政府は潰すより利用した方が便利なんじゃなかろーかと思った人がたくさんいたからでは無いの?


137 :日本@名無史さん:04/03/19 17:42
「無能な政府は俺が助けてやらないとだめなのです」が戦国大名の常套文句‥



138 :日本@名無史さん:04/03/21 20:28
>>128
>辞職させたという公文書が現存していないだけではないかと。

確かにそういう文書は存在しないが、天正16年まで現役将軍だったことは
「公卿補任」に書いてあるぞ。

139 :日本@名無史さん:04/03/21 22:15
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/yomo19.html

140 :日本@名無史さん:04/03/22 07:43
明快に足利幕府にとって代わろうという勢力が現れなかったから?
それとも、義昭に対して信長が手を焼いたように、新しい勢力が台頭しても足を引っ張るとか。

141 :日本@名無史さん:04/03/22 18:10
15代続いたと言うより、一所懸命だった御家人が淘汰され戦国大名になり、
「日本」というレベルで物を考えることのできる武将が登場するまで240年余かかった。
と考えた方が自然なんでは?

142 :日本@名無史さん:04/03/23 17:56
>141
やはり鉄砲の普及ではないでしょうか?
勝負の決着が飛躍的に早くなったことが影響していると思う。

143 :日本@名無史さん:04/03/23 18:19
>141
「日本」というレベルで物を考えることのできる武将って誰のこと?
信長も秀吉も、今までの領土拡大の手順を繰り返していただけだし。
家康は出来上がった枠組みを引き継いで改良しただけだし。

144 :日本@名無史さん:04/03/26 01:06
>>1
おまえは朝敵だな。

145 :日本@名無史さん:04/03/26 08:00
>143
南蛮人の来航によって、「世界の中の日本」という意識ぐらいはあったのでは?

146 :日本@名無史さん:04/03/27 17:56
>>143
>今までの領土拡大の手順を繰り返していただけだし。
今の民主主義国家と比較してるのかもしれないけど当時他にどういう手法があったのか
聞いてみたい。
>>145のいうように実際に天下を狙ったかはともかくとして、信長、家康、大友、ちょっと
時代はズレるが伊達辺りは意識していたと思う。大内、毛利、島津、秀吉は?だけど。

147 :日本@名無史さん:04/04/10 15:36
担ぎ上げるのが好きな民族性ゆえんだろう

148 :日本@名無史さん:04/04/22 14:06
うちの近くに義輝の長子が住職になったという
寺があるな


149 :日本@名無史さん:04/04/25 11:44
15代まで続いたのがほとんど奇跡です

150 :バウ:04/04/25 17:08
へへへ

151 :赤いミニタイト:04/05/21 20:24
足利義稙は義材と名乗った時と義稙と名乗った時にも将軍となっている。天皇が重祚するときは代数を換算するのに将軍が復職すると代数に換算しないのは解せない。どこの誰が決めたのか?はっきりセよ。足利は十六代と考えている。


152 :日本@名無史さん:04/05/22 23:54
じゃあ、なんで初代だけ名前に「義」が付かないの?

153 :日本@名無史さん:04/05/23 00:34
>>152
尊氏のこと?
尊氏までの足利家は将来当主となる嫡子は時の権力者 執権の北条氏から偏諱(一字拝領)を受けていた。
尊氏の場合、北条高時だったので、「高」をもらって、代々の通字の「氏」で、「高氏」と名乗った。
このあと恩賞としてか、後醍醐天皇の諱の「尊治」から「尊」をもらって、「尊氏」とした。

2代目以降は足利家が権力者となったので、他氏から名前をつけてもらうことはなくなった。
そして足利将軍家は「義」が通字となっていった。


154 :日本@名無史さん:04/05/23 00:38
>>153
じゃあ、なんで「氏」が通字じゃないの?

155 :日本@名無史さん:04/05/23 00:44
初代って尊氏のこと? 平家とも言われる北条氏の天下で、ぼく源氏です、って
源氏の忌名の義は使えないでしょう。尊氏の前の高氏も、北条高時からの一字だし。
2代目になって、晴れて源氏を前面に出すわけ。
徳川家康も秀吉亡き後、子供に義直だの頼宣だの、源氏を意識した名をこれ見よがしに付けてる。
頼は、秀頼を尊んだんじゃないんだな。

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