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【山伏】山岳信仰について語ろう【修験】

1 :日本@名無史さん:04/02/04 01:41
仏教・神道に次ぐ「第三の信仰」と云われた修験道
その発生から、明治の廃止、戦後の復活について語る
祈祷宗教全般についても可

2 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/04 01:43
金峰山、白山、立山、大山、・・・地方の古い霊場といえば他には?

3 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/04 01:48
平安以降は、英彦山・求菩提山・宝満山・脊振霊仙寺・六郷満山…
池辺寺とかも入るかな?

4 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/04 01:48
ところで山岳修行をしていた僧侶の「山伏」は入るのでしょうか?
役行者はどうです?

5 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/04 01:56
英彦山の学問僧は「清僧」として、僧侶の位置付けだったと思います。
まあ、近世以降は普通の坊さん。
古い時代はどうなんでしょう?


6 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/04 01:57
とりあえず『梁塵秘抄』から

聖の住所はどこどこぞ 箕面よ勝尾よ 播磨なる書写の山
出雲の鰐淵や 日の御崎 南は熊野の那智とかや

聖の住所はどこどこぞ 大峰葛城石の槌 箕面よ勝尾よ
播磨の書写の山 南は熊野の那智新宮

聖の好むもの 木の節鹿角鹿の皮 蓑笠錫杖 木蓮子 火打笥岩屋の苔の衣

似たような情報は往生伝からも得られますね。

7 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/04 02:05
なるほど〈聖〉ですか…

「書写の山」とは何を表すのでしょうか?

8 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/04 02:09
>>7
性空上人や『峰相記』で有名な播磨の書写山のことですよ。

9 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/04 02:21
>>8
ああ、どうもありがとうございます(汗

やはり、〈山伏〉という固定化したイメージは近世以降のものかと思います。
各地で〈講〉が成立した後の…

10 :日本@名無史さん:04/02/05 22:00
明治元年「神仏分離令」
明治五年「修験道禁止令」
・・・宮司さんや禰宜さんに、当時のことを訊いてまわると、相当激しかったらしい。
  宝物の隠蔽、放火、離散・・・

11 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/05 23:42
走湯権現あげ

12 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/06 11:40
>>10
お寺に鳥居が建ってるチョット不思議なところは、調べてみると江戸時代に
修験系寺院だったものが多いですね。宿坊だったり。
〈お寺〉に成っちゃったところは、修験と縁が切れたところが多いみたいです。

話は変わりますが、前に古典落語に出てくる幽霊話を調べたところ、出てくる
江戸時代の「お坊様」は、ほとんど〈法印さん〉みたいですね。
明治以降の祈祷宗教の主体は、何に移行したんでしょうね?
〈拝み屋〉さんは?

13 :日本@名無史さん:04/02/06 21:37
よく知りませんが、明治政府は修験者の加持祈祷・薬剤処方などをずいぶん嫌ったようですね。

14 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/07 00:03
>>13
「修験道禁止令」によって、〈宗教者〉として生き残った修験者は、僧侶に
組み入れられたようです。
修験道の他に、陰陽道系(?)の土御門神道も明治政府に敵視され、壊滅し
たようですね。
廃仏毀釈による仏教排斥の他に、明治政府は〈祈祷宗教〉というか、〈拝み
屋〉に弾圧を加えたようです。
この辺が、後の〈新宗教〉発生の素地になったのでしょうか?

15 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/07 00:17
土御門家は江戸中期から神道色を強め、認可を出していた陰陽師らに葬送など
の死に関る仕事は引き受けないように命じていましたね。
修験とは商売敵のようなかたちで対立する事が多く、明和七年(一七七〇)に
は江戸の陰陽師が「ここ百年ほどの間に江戸の陰陽師は激減しており、このま
までは断絶の可能性すらある。その上修験は各所で占いをしているにも関らず
土御門家の認可を受けずに営業しているので差し止めて頂きたい」と訴えてい
ます。なおそれに対する当山派修験の回答は「こちらの占いは弘法大師依頼の
ものであり、土御門家に関るものではない」というもの。
結局寺社奉行は「陰陽師側の権益を侵すことになるから、修験は礼金を受け取
ってはならない」という判断を下しました。
村で同じようなことがあった場合にも江戸の役所まで訴えたそうです。
但し村落の「陰陽師」というのは臨時に占いや祓いを行い、更に寺子屋の師匠
もやれば医者もやるという村の知識人といったもので陰陽師が「本職」という訳
では無かったらしい。
村で年中行事として行われた祭祀にも特別に関与するということは無かった。

16 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/07 00:23
ただ陰陽師が廃止されたのは明治三年に出された天社神道禁止令による
ものでしたが、そこで問題とされたのはあくまでも江戸幕府の認可を受
けた土御門家配下が帯刀し絵符を立てて関所を通過するような旧時代の
権威を背負っていたことであって、宗教的な問題ではありませんでした。
事実明治六年には陰陽師公認案も出されましたが、残念ながら反対され
て立ち消えになってしまっています。

17 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/07 00:56
>>15-16 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYMさん
いつも御教示、ありがとうございます。

>陰陽師が「本職」という訳では無かったらしい。
>村で年中行事として行われた祭祀にも特別に関与するということは無かった。

とても興味深いお話です。
同じ〈祈祷宗教家〉であっても「村の陰陽師」は、地域に根付いた「講」に基づく「里山
伏」とはまた異なる存在であったわけですね。
「占い」で利害が衝突したにせよ、本来は棲み分けていたのでしょうね。
「村の陰陽師」も世襲が原則であったのでしょうか…


18 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/07 00:57
世襲であったようですね。ただ世代により得手不得手はあったようです。

19 :日本@名無史さん:04/02/07 01:05
三徳山三仏寺とか三木の伽耶院とかもかね。

20 :日本@名無史さん:04/02/07 01:37
山形(鳥海・出羽三山)は今でも修験が生きている風情なのに、
大都市圏だと江戸後期にはサービス業になってしまう感じがします。

21 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/02/10 11:29
>>20
近世に入ると「国の先達」→「里山伏」になってサービス産業化したみたい。
御山の山伏も宿坊単位に編成されて、各地の〈講〉を通じた檀家(?)も
相続の対象になってたようですね(もとから半俗ですが…)。
英彦山も構成だと、文献を見てみると、清僧(学問僧)、一般山伏、修行山伏、
神道系山伏(?)に分類できるみたいですけど…

22 :日本@名無史さん:04/02/29 00:18
下がり過ぎたので、ageます。

23 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/29 00:23
『大日本国法華経験記』や『今昔物語集』に登場する立山地獄に関する説話
がもっと多く残っていれば楽しめたのですが。

24 :日本@名無史さん:04/03/22 12:38
下がり過ぎたので、ageます。

25 :日本@名無史さん:04/03/24 16:46
>>21
いわゆる「霊術」といわれる病気治療と失業した山伏の関係を
調べているのですが、サービス産業というと具体的にはどんなもの
に従事していたのでしょうか。


26 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/03/24 21:55
>>25
>サービス産業
近世も中頃以降では、各地で修験霊山に参るための〈講〉が大きく発達していきます。
中世段階では「国の先達」であったものが近世では「里山伏」となり、〈講〉のツアー
コンダクターのような役目を果たしていったようです。

27 :25:04/03/26 10:23
ご回答ありがとうございました。またまた甘えて
質問しちゃいますが、
「国の先達」とはどういう意味でしょうか。

28 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/03/26 12:48
>>27
>国の先達

簡単にいうと、山岳修行の高度な指導を行える者が、拠点づくりとか維持のために平地にいる、
というような意味合いでしょうかね…

中世山伏達は自らの超人性を維持するために、激しい山岳修行を行っていたようです。
半世襲となって定住し、通過儀礼的な修行のみを行った近世山伏とはそこが違うみたいで、
呼び方も異なったようです。


29 :日本@名無史さん:04/03/26 16:06
先達ってもともとはどのようにして発生したモノなんでしょうか?

30 :日本@名無史さん:04/03/26 17:25
答えになっておりませんが
最大ですと3種の分業に発展することがあったそうです。

1:講を組織する現地駐在員=先達
2:講を聖地まで誘導する係=?
3:講を宿泊させ、現地案内する係=御師・先導師

今日の姿は良く知りませんが、私の知っている範囲で申します。
3はもっとも現地密着していますから今でもよく残っています。
1もきっとまだあるのでしょう。
2は少ないようです。滅んだかもしれません。
先達は1も2もやったというのが、一般的だと思います。

31 :age:04/04/12 13:34
落ちそうなのでageておきます。

32 :日本@名無史さん:04/04/12 13:43
>>30

それってニーズが増えた時に分業してただけでは??

33 :日本@名無史さん:04/04/12 21:27
ありがたいスレです。早速ですが質問させてください。
里山伏が何をしていたか知るのに、どんな文献があるでしょうか。

34 :日本@名無史さん:04/04/13 23:43
サンカって山の民となんか関係あるの?

35 :日本@名無史さん:04/04/30 09:24
下がりすぎ、age

36 :日本@名無史さん:04/05/01 14:27
この前、奈良の吉野に行ってきたんだけど、
西行庵(奥千本)のあたり(ほとんど頂上)に昔は大規模な寺院があったっていうんだけど、
食料はあの辺では作れないだろうし、食べ物はどうしてたんだろう?
誰か教えて!

37 :日本@名無史さん:04/05/01 17:53
そりゃー君、脱落者を(ry

38 :万年救護大本尊の朴蓮     :04/05/18 22:09
デムパを飛ばしたかったのだけれども
あまりに真面目過ぎる議論にここは黙ってage

39 :岩屋山亜式 ◆CAT9FZUkUk :04/05/19 08:56
>>38
絵に描いたような過疎スレに
ようこそ、いらっしゃって下さいました。

次は混ざって下さいね…

40 :日本@名無史さん:04/05/19 09:43
>36 山岳寺院の経営は、僧侶の何十倍という行人とか堂衆とか
いわれる下働きの人達でささえられていたそうです。
高野山が典型。そのへんは伊藤正敏さんなんかどうぞ。
吉野山の経営を調べるだけで、博士号とれまっせ。

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