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八甲田山「雪中行軍隊」の悲劇について語る

1 :日本@名無史さん:03/08/06 18:45
まさに雪地獄。

558 :日本@名無史さん:04/03/03 15:01
実際に帝政ロシアと戦争になり津軽海峡を海上封鎖されてから無理矢理「八甲田
山系縦断」なんてせざるを得なくなれば一個師団全滅なんてこにもなりかねない
わけで、そのための試験的行軍で犠牲者がでてもそれは仕方のないことで、その
結果をもとに遭難しない対策をたてるとか、消耗が大きすぎるので二度とそんな
真似はしないとかなるわけですが、そんなことは軍機も軍機、ロシアに遭難の事
実が伝われば「冬季に青森の海岸線させ抑えれば後方支援は有り得ないのでここ
に橋頭堡を築ける」なんて思わせてはいけないわけで、隠すのは当然の然。

そもそも軍人が戦争で死のうが訓練で死のうが構わないというか、「死んでも仕
方ないから作戦を遂行する」のが任務なわけで、その結果あまりにも消耗が激し
ければ作戦の効率上再考せざるを得ない事態に追い込まれるわけでして、一般人
の登山とは目的が違うから「なんでこんな無茶を・・・・」と言われても、平和
に生きる市民から見れば軍隊のやることなんて全て非常識なわけだ。

私言わせれば「いもしない敵を想定して、銃やら、大砲やら、ミサイルやらの発
射訓練をするなんてちょ〜非常識、つか、税金の無駄遣い」って感じ。

559 :日本@名無史さん:04/03/03 23:19
>>558
私言わせれば最後の2行はちょ〜非常識だけどな。
銃の訓練を非常識と呼ぶ思考が全く理解できんですわ。

560 :558:04/03/04 14:25
>>559
そうですねちょっと極端ですね。軍隊の存在自体認めてないみたいですものね。

認めてないんですけどね。

じゃあ、こんな感じで、

攻撃用ヘリを最高速に近い速度で飛ばしながら訓練生が操縦する2機が交互に
追い越しし合うような演習をするのはどう考えても非常識。
一般人の常識で言うなら「相手を視認した時点で回避行動をするべき」状況で
事故が起こり操縦士2名が亡くなっても軍隊としては普通のことなので、原因
も対策(そんな訓練はしないって以外に対策なんてないけど)公表しないのと
一緒の事だ。

561 :sage:04/03/06 06:00
okkiiは、このスレを見放した。

562 :日本@名無史さん:04/03/06 08:49
いいんでないの。本人もネタ切れだって言ってたし。無理に変なこと書くよりね。

漏れは現在「露軍により陸奥湾一帯が封鎖された場合の連絡路の確保」ってやつの
現実度を検討中。むしろ軍事板向きかな。

563 :日本@名無史さん:04/03/08 01:04
http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN4-7872-3224-X.html

564 :日本@名無史さん:04/03/08 06:12
極寒の猛吹雪の中で、当時の装備で大部隊の移動なんて出来るはずないじゃないか
3,000人いたら3,000人死んでるよ。戦争以前だよ。
軍隊なんだから死んで当然なんてことがあるものか。
問題は、まずは少人数で行うべき研究を、大部隊の訓練にして得点を稼ごうとした
大ばかものの上司が同行したこと。これに尽きる。
また、日露戦争前なら隠蔽はしかたないかも知れんが、その後も歴史の闇にしてし
まおうとしているもっと大ばかもの達がいて、それを、ちゃんと残そうとして来た
ものたちの歴史がある。これもまた歴史だよ。
そして、今日でも冬山で、あるいは冬道路で、遭難や事故は続いている。
八甲田山は貴重な教訓として、いったい何人の命を救ったかわからない。
その遭難の研究は、歴史学の偉大な業績として讃えられるべきだと思う。

565 :日本@名無史さん:04/03/08 12:20
>>564
熱くなってるとこ悪いが後生の人間が真実を知ろうとすることは誰も否定して
いない。
なぜいきなり大部隊をつっこんだのかいまいち不明だが、数名程度なら天候次
第で踏破可能なことは最初から分かっている(地元のひとは往来できているの
だし、案内人の手配もつけようと思えばつけたのだから)。

566 :日本@名無史さん:04/03/08 18:34
>>564
泣かせるねえ・・・・・・・。

567 :日本@名無史さん:04/03/08 20:20
当時はスキー板はなかったのかい


568 :日本@名無史さん:04/03/09 10:21
>>564
たたえられるべきねえ。それは否定できまいよ。
でもそれはokkiiのやってることとは何も関係ないぞ。

569 :日本@名無史さん:04/03/09 15:54
>>564
小説の話ですか?

570 :折角のすれなのに残念:04/03/22 12:25
吹雪の惨劇の小笠原資料については、本人が生前十和田市に資料館建設
を条件に寄贈を申しいれましたが、当時十和田市には、その余裕なく、断りました
怒った孤酒さん、県内の全マスコミに電話して、所持資料をすべて焼却、現在
資料は一点も残っていません。

ちなみに行軍ルート現在の様子は
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CTO-75-16&PCN=C3&IDX=12

画面左端中央やや下が遭難者銅像のある馬立場。
その下のU字カーブが鳴沢。半径800メートルを三日かけていったりきたり。
まさに彷徨。

571 :日本@名無史さん:04/03/22 20:18


572 :隠蔽とか軍機って?:04/03/23 10:29
東京朝日新聞明治三十五年一月三十日
弘前聯隊兵の雪中行軍  二十九日青森特報
 廿六日三本木を發せる歩兵第三十一聯隊雪中行軍隊三十八名の一昨日山中に露營
し昨日八甲田山巓に上り無事本日午後七時当地に着せり明日浪岡に一泊弘前に歸る
筈八甲田山巓にて歩兵第五聯隊の凍死者二名を見たる由

東京朝日新聞号外明治三十五年一月三十一日
凍死大隊事件公電
弘前第三十一聯隊の一部三本木より田代に行軍中二十八日道を失ひしも無事田代田
茂木野に着せり其途中二名の死者を発見せり

と三十日には陸軍省が31連隊が五連隊の死者を発見していることを報道機関に
公電している。高木さんはこれを知っていて、読者は新聞の原典をよまんだろう
とたかをくくってるんだよん。福島大尉が遭難者を見ていることは秘密でも軍事
機密でもないよん。



573 :おまけ:04/03/23 10:30
ついでに明治三十五年三月十五日付け児玉源太郎陸軍大臣發桂太郎内閣総理大臣
宛「歩兵第五聯隊第二大隊雪中行軍遭難顛末書」(国立公文書館蔵)による行軍
の目的は、
「雪中青森ヨリ田代ヲ經テ三本木平野ニ進出シ得ルヤ否ヤ判斷スル為田代ニ向ケ
一泊行軍ヲ実施シ其實驗ニ基キ戰時編成歩兵一大隊ヲ以テ青森屯營ヨリ三本木ニ
至ル行軍計畫並ニ大小行李特別編成案ヲ立ツルニ在リ」
だから、田代まで行って24日青森に帰ってきて、其の結果に基づいて十和田市
(三本木)にいく計画を立てようってとこで遭難しちゃった。やはり明治二十五
年の歩五による「十輪田黒石地方雪中行軍の記録」(偕行社記事 第九八号 
明治二十五年七月刊)で冬季の八甲田越えは十年前に無理と結論されていたわけ
で、無理なものをどうしたらできるようにするか研究するのが五聯隊としての
テーマだったと思う。特に陸軍は無理偏に拳骨らしいから。
それよりも「♪零度をく〜だる18度」の中で米を研いで、ご飯を炊いた
(半熟飯にせよ)というほうが驚き。結局帝国陸軍はインパールでも、ガダル
カナルでも米を持っていって、水で米とぎするという作業をえんえんやらかす。
被服の問題よりこっちのほうは・・・・(以下自主規制)

>>517現在の処置法
okkiiさん、ぬるま湯治癒という現在の凍傷の処置法が731部隊吉村寿人班長
の研究成果により確定されたことは公然の秘密です。現在氏の論文は国立公文書
館で公開されていますが、さすがに研究者にとって都合のいい症例数が豊富です。

574 :日本@名無史さん:04/03/24 08:48
>>572
軍機というより報道規制みたいなものでは

米のほかお餅や缶詰などもあった
餅は凍り付いて歯が立たず、缶詰は持ってると凍傷、銃剣か何かでこじ開けよう
としたが開けることはできなかった。

このような状況では水分の少ない食料が適しているのでしょうね

米は一応パンに比べ栄養価が高く保存に適し輸送にも便利で調理が簡単
なので決して劣っているわけではないのですが、まあ糧食は環境や状況に合わせて
選択すべきということでしょう

575 :日本@名無史さん:04/03/24 10:00
>>574
> 米は一応パンに比べ栄養価が高く保存に適し輸送にも便利で調理が簡単
> なので決して劣っているわけではないのですが

と言いつつ、米常食民族で軍隊を大遠征させたことのある国は日本くらいなんだが。

576 :岩手県民だから:04/03/24 10:10
生存者阿部卯吉の証言では餅は、アワ餅だったと。岩手県って戦後まで米は
作れなかったはず。明治に軍隊に入って初めて米を食べたんだね。
ちなみに缶詰は牛缶だね。伝説の大倉組製のかしら?

577 :日本@名無史さん:04/03/24 19:13
>>575
君の思い込みや想像を聞いてるんじゃないよ

578 :日本@名無史さん:04/03/24 22:27
やれやれ、また始まったか。

579 :日本@名無史さん:04/03/25 09:22
まあベトナムやインドネシア中国があるからなあ思い込みや想像といわれても
仕方が無い

580 :チベットは解放?:04/03/25 09:31
>>579

ベトナムやインドネシア中国は国内問題といえなくも無い?・・・・

581 :日本@名無史さん:04/03/26 09:41
>>572
ってことは、あなたの言いたいのは、
okkiiが最初に「軍による隠蔽はけしからん」って騒いでたこと自体が
アホだった、ということか。

582 :日本@名無史さん:04/03/26 10:12
>>579
なるほど。ベトナム軍やインドネシア軍がモンゴルや約60年前の日本同様に海外へ大規模
な遠征軍を送った史実があったんですね。
東南アジアの歴史に疎いので存じませんでした。
それから、中国は中学校の地理で揚子江以南が米作地帯でそれより北では小麦粉が主で
あると教わったのですが、それも教科書会社か教員の単なる思い込みや想像に基づいて
いたようですね。
それはともかく、それらの事実を無知な私にぜひ教えていただけないでしょうか。

583 :>>572:04/03/26 10:59
軍による隠蔽って言ってるのは高木さん。記事の回収だとか、緘口令がしかれた、とか、記者が立ち退きされた
などとありもしない作り話を書いていたわけです。それをパクリの専門家、川口氏が受け売りして書いたわけで、
別にOKKIIを口撃しとるんじゃないよん。川口の他人の仮説までパクリってのは目に余るなって事ですな。
それでも3刷りとは、ますます天狗になるわけだ。
OKKIIには返ってきて欲しいから、情報提供ってことで。

(ノ・◇・)ノ
すれ違いだが、オレは絶対アンナちゃんはヤンキーだと思う。
http://www.police.pref.aomori.jp/syo/mutu/


584 :日本@名無史さん:04/03/26 14:39
>>582
中国は長江流域の国もたくさんあります。中国は現在のように黄河長江両方を
統一してる国もありますがそうでない時期も多々あります。

三国時代の呉や西晋以後の南朝、モンゴルと争った南宋、明の初期など
東南アジアでもアユタヤ朝や玩朝、シュリーヴィガヤ朝など

ちょっとぐぐれば見つかると思うので正確なことが知りたければ調べてみては
また南宋や南朝の板は世界史板にあったと思うのでそちらで聞いてみては
いかがでしょうか10万クラスの遠征軍の記録が見つかると思います。

これ以上は一応スレ違いになりそうなので

ただ近代以前は現地調達、遠征地に近い土地を策源地とするので稲作地帯に
遠征する軍は米が糧食になるんですけどね

585 :日本@名無史さん:04/03/26 17:38
>>581
>>583
・・・つまりokkiiはパクリのパクリだってことになるのか?
それとも>>532のokkiiによる隠蔽説はokkii独自の説なのか?

583がこのスレの流れの中で何が言いたいのかわからない・・・。

586 :日本@名無史さん:04/03/27 02:38
>>584
例として挙げられた国々も、日本軍みたいに不毛のジャングルや米飯が凍る冬の八甲田よ
り高緯度のシベリアのような場所へは遠征してないようですね。
いくら距離が長くても、同質の食糧が現地で確保できるところなら問題ないのでしょう。
また、米作民族は北アフリカみたいに水の少ないところへ遠征するのも難しそうですね。
飲み水以外に炊飯用の水が必要になるというのはパン食に比べると不利だと思うんです。

> ただ近代以前は現地調達、遠征地に近い土地を策源地とするので稲作地帯に
> 遠征する軍は米が糧食になるんですけどね

日本軍も、南支・仏印・タイ・ビルマ位で止めておけば問題はなかったのにね。


587 :日本@名無史さん:04/03/28 14:12
>>586
いや不毛のジャングルへはかな〜り遠征しまくっているぞ
不毛のジャングルという言葉が具体的にどこを表しているかは分からないけど

ただシベリアに米持って遠征は・・・
中国の明あたりなら米をある程度持っていっているとは思うがどんな資料を使って
調べればいいのか見当もつかん

日本軍は現地調達ではなく本国から輸送だから、何処へ遠征しようと基本は
米食だぞ、現在はともかく

兵站を現地調達に頼るのはナポレオンあたりまでだと思うぞ

588 :日本@名無史さん:04/03/28 17:32
福島大尉は日露戦争の黒溝台の戦いで戦死。
八甲田山の雪中行軍の成果があったと言えるのだろうか?

589 :日本@名無史さん:04/03/29 02:26
>>587
> 兵站を現地調達に頼るのはナポレオンあたりまでだと思うぞ

いや、牟田口が最後だと思われ。(w

590 :日本@名無史さん:04/03/29 06:35
>>588
>八甲田山の雪中行軍の成果があったと言えるのだろうか?
そこが謎だ、気温→凍傷→凍死で考えた場合だが
遭難時が−20度ならば奉天や黒溝台会戦の頃も同程度の気温
その状況でも極寒に慣れたロシア軍と互角以上に戦闘をしてる
そこで考えなければならないのが

1)遭難事故から4年程度で装備改変が出来たのか?
これは旅順攻略に青銅砲まで持ち出さねばならず
服装の改変が決定したいたにも関わらず、予算その他の問題で
そこ至らなかった日本が出来たとは全く思えない
2)両会戦には日本全国の将兵が参加してる
温暖な気候で育った者が寒冷地出身者と同等の装備で済むはずがない
とするなら1)の装備基準を温暖地方の者でも耐えられる
工夫をしていなければならない事になる

そこで考察するにあたり
1)遭難時の装備でも体力を維持出来る環境なら死にはしなかった
2)会戦時に問題になる程の凍傷、凍死は発生しなかった
3)恐らく装備改変は出来なかったと思われる
4)服装等工夫をした記述はあるが、それは遭難の教訓に
  寄与されなくても行ったのでは

以上の事より、悲しい事だが直接的には無駄であったのではないかと
ただ、ハンニバルは温暖地出身だから別にしても
ナポレオン ヒットラーと同じ過ちを日本軍が繰り返していれば
日露戦争は日本のボロ負けになっていたはず
ならばこの事故により寒冷に対する上層部の意識改革は出来たのでは
と思いたいものである

591 :日本@名無史さん:04/03/29 10:10
雪中行軍の經驗
弘前の第八師團は寒地にあることとて該師團設置以來縷々雪中に於ける
行軍演習を試み同冬以來も幾度か之を擧行し殊に昨日頃よりは第五第
三十一兩聯隊の歩砲輜重兵聯合して對抗演習を始めたる筈にて既に種種
有益なる經驗を積みたる由なるか 雪中の戰鬪は北清地方に於て經驗な
きにあらさるも同地方は寒氣殊に○しくして地上の雪積殆と全く氷結せ
るため行軍其他に左迄の困難を見さりしも青森縣下は北清地方に比すれ
は寒氣稍緩くして積雪容易に氷結せす 一歩一歩脛を没する有様なれは
却て甚しき困難を感する由にて膝頭まで雪中に没するときは容易に行進
するを得す 現にこ種小部隊の對抗演習をなしたるとき一軍は敵の陣地
に向け散兵行進を行ひたるに其距離僅かに千五百米突なるも目的地に達
する迄に二時間を費したりといふ 此事若し實戰の場合なりしならは全
軍の将士悉く敵のために狙撃せれるべく此經驗よりするも右の如き雪中
にては到底戰鬪を開始し得へからさることを確めたりと云ふ

(○字判読不能)
青森の雪の経験が満州で役に立ったかはとっても疑問。

592 :↑は時事新報明治三十三年二月廿ニ日号:04/03/29 10:13
明治35年2月2日陸軍少将中岡黙を長とする歩兵第五聯隊遭難
ニ關スル取調委員會が設置され、4月20日その報告が陸軍大臣に
提出されている。

計畫及準備
大隊長ノ爲セシ計画ハ適當ニシテ雪國ニ衛戍スル軍隊ニ於ケル至
當ノ処置ナリトス 其準備ニ就テモ概ネ完全ナリシ 即屯營ヨリ
田代ニ達スル距離ハ五里強ノ熟慮地ナリシニモ拘ハラス先ツ予行
行軍ヲ試シ其安全ヲ保シ又途中不虞ノ災害ヲ顧慮シ露營ノ心算ヲ
立チ 薪炭及其設備ニ要スル駄載器具ヲ携行セル 精米ノ外携帶
口糧及餅ヲ携行セル 寒地着隊ヲ編成シ踏雪ノ準備ヲナセル等之
ナリ 其他防寒並ニ衞生上ノ注意周到ナリシモ尚完備ヲ求ムレハ
次ノ欠点アルヲ指摘セサルヲ得ス 即チ兵卆ニ小倉服ヲ着用セシ
メタルコト並ニ該地方雪中ノ状況ニ慣熟シタル嚮導ヲ使用セサル
ニアリ 然レトモ大隊長ハ正當ナル理由ヲ以テ処置 茲ニ出テシ
ヤ計ルヘカラサルモ 死亡者ノ遺稿並ニ生存将校ノ言ニ依リ判斷
スルトキハ或ハ正當ノ理由ニ非サルヤノ感ナキ能ハス

593 :津川聯隊長の責任については:04/03/29 10:14
嚮導ヲ携行セサリシヲ黙認セルハ不注意ナルコト
此事項ニ關シテハ聯隊長ハ左ノ如ク言ヘリ
 嚮導ノコト平常ハ必要ナキモ 雪中ハ時々甚シキ地形ノ變化ヲ
見ルヲ以テ完全ヲ言ヘハ幸畑若クハ田茂木野ヨリ若干ノ地方人ヲ
携行スルハ利益アリシナランカ 然レトモ生存将校ノ言ニ依レハ
既ニ其議モアリタレトモ 如何ニ状況變化スルモ小峠田代間ハ三
里ニ足ラヌ地域ニシテ殊ニ熟地ナルヲ以テ其要ハナカルヘシトノ
自信力ヨリ携行セサルニ決セリト 是レ其當時ニ在テハ敢テ理由
ナシトハ斷定スルヲ得ス 好シ嚮導ヲ携行シタリトスルモ其當時
ノ状況上必スシモ安全ナリシカ否亦斷定スル能ハス 現ニ最モ山
ニ精通セル幸畑村ノ焼炭夫三名カ自分ノ鼻先キナル炭小屋往復ニ
於テ行衛ヲ失ヒタル 尚横内村ノ猟夫カ田代ノ歸途鳴澤ニ於テ惨
死セル如ヲ以テ之ヲ証スルニ足ル 唯尚爲スヘキ処置ノ存セリト
云フニ過キサルカ如シ

594 :津川聯隊長の責任については:04/03/29 10:15
行軍隊の當然歸營スヘキ日ヨリ三日間ヲ徒費シテ救護隊ヲ編成シ
其実施ハ二十八日ニシテ四日間ヲ費セリ 此間糧食ノ欠耗セルコ
トハ分明ナルニ拘ハラス適當ナル消息ヲ通スル救護ヲ爲スノ措置
ヲ採ラス 專ラ下級将校ニ救護ノ事業ヲ委シ置キタルハ緩怠ト云
ハサルヲ得ス 若シ一歩ヲ進メ其処置迅速ナラシメハ幾分カ此災
害ヲ輕減シ最大極度ニ達セシメス 若干ノ生存者ヲ得タリシヤモ
側ルヘカラス 惜ムヘシ其時期ヲ失シ緩慢ニ流レタリ

595 :結局:04/03/29 10:18
行軍ノ計畫準備及実施ニ至テハ多少批難アルヲ免カレサルモ 
之カ爲直接此遭難ニ利害ノ感及セシモノト認メ難ク且ツ主ト
シテ大隊長ノ責任ニ属スヘキヲ以テ聯隊長ノ責任ヲ問フヘキ
モノニアラストスルモ善後処分ハ緩慢ニ失シ爲ニ或ル災害ヲ
増大ニセシメタルニ非サルヤハ聯隊長其責ヲ免カル能ハサル
モノト判定ス 仍チ此項ニ對シテハ相當ノ処分相成リ然ルヘ
キモノトス


注意
雪中行軍ナルモノヲ平時ニ於テ研究シ置クコトハ我國軍隊ノ
最モ必要ナル所ニシテ將來益々奨励セサル可ラサルモ其計畫
準備及実施ヲ輕忽ニシテ擧行スルトキハ不測ノ禍害ニ罹ルコ
トハ今囘ノ事ヲ以テ後者ノ鑑誡ト爲スニ足ルヘシ 爾來雪中
行軍ニアリテハ其用意慎重周密ヲ要セサル可カラス

で、訓導ノ道ヲ失フ科  輕謹慎四日

596 :591訂正:04/03/29 10:19
現にこ種→現に此の種   

597 :日本@名無史さん:04/03/29 12:08
あんま雪ふらないもんな、満州は
八甲田もただ寒いだけで雪降らなければ遭難なんてしないだろうし

598 :そうねー:04/03/31 10:04
明治33年制軍衣のあとは明治38年制軍衣。
日露開戦は2がつだから、満洲は春。
陸軍の冬用黒服でいったものだから、黄土地帯では目立ちすぎた。
で、夏服は白服だから益々目立つって事でカーキ色になっただけのはず。
防寒外套は明治38年制で、毛布製毛皮襟プラスメリヤス製覆面になった。
明治37年の冬は防寒外套が間に合わず、長じゅばんの上から黒冬服、
夏用カーキ軍服、外套で戦っているので、八甲田の戦訓から服装の改善が
行われたという事ではないような気がする。

むしろ八甲田の戦訓で冬は戦闘せず冬営するものと(ロシアも)思い込んだ
陸軍が、黒溝台でミシチェンコの奇襲に会って壊乱寸前になったので、
悪影響の方が強かったのでは?


599 :日本@名無史さん:04/04/05 12:37
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2004/0404/nto0404_14.asp

600 :日本@名無史さん:04/04/05 12:41
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::::::::::::::::::::;;;;::::::    \;:;\  |:::::::/;/   /;:;:;:.:_,- " / /\    0  お
::::::::::::::::::::::;;;;;;:::    、. \;:;\ l::/;/   / ̄/ / /  /   0   前
:::::::::::::::::::::::::;;;;;;;;../ ̄ ー\ ;:;:;:/   // /  / /<     ゲ   ら
::::::::::::::::::::::::::::;;/      ゙''ー 、_ /  / / / / /      ト 

601 :ぷろじぇくと八甲田山・死の彷徨:04/04/08 09:33
昭和50年12月映画八甲田山撮影班はかつて五聯隊が遭難した
その場所にいた。
撮影は徳島隊から始まり、翌51年1月神田隊も八甲田に突入した。
210人による行軍の撮影はまさに70年前の再現といってよかった。
役者たちは唯ひたすら監督の指示を、そして吹雪を待ちつづけた。
その日雪は降らなかった。
撮影は中止となり、昼食となった。
「こんなものが食えるか」
昼食として地元の温泉旅館から届けられた弁当はすべて凍っていた。
「一食くらい抜いたほうが酒がうまい」
「今夜は温泉に入ってゆっくりだからな」
まだ笑いもでる余裕だった。

事件は翌朝おこった。
「脱走兵だー。脱走兵が出たぞー」
助監督が走った。

602 :ぷろじぇくと八甲田山・死の彷徨2:04/04/08 09:34
朝6時。点呼をとると数人足りない。
本物の遭難か。スタッフは騒然となった。
雪中の一軒の宿。フロントは出ていったものはいないと言う。
逃げるべき場所はなかった。
宿のすべてが捜索された。
昼前、大広間の座布団置き場に高いびきで寝込んでいたエキストラが見つかった。
撮影監督木村大作の鉄拳が飛んだ。
木村は俳優たちからカメラの位置がよくわかるようにと赤のヤッケに、赤のスキーズボン。
そして赤のキャップをかぶっていた。以後、赤のキャップは彼のシンボルとなった。

人々はだれいうともなく噂した。

冬の八甲田には赤鬼がいる。
八甲田の赤鬼は雪より怖い。と。
♪風の中のス〜バル。砂の中の銀河〜♪

つづく?

603 :日本@名無史さん:04/04/18 20:58
保守

604 :日本@名無史さん:04/04/26 09:33
保全


605 :日本@名無史さん:04/05/01 14:50
http://www.geocities.jp/studio_chappu/


606 :日本@名無史さん:04/05/08 00:14
連休に八甲田に行ってきました。
まだ雪が残ってたよ。
雪原を歩いて伍長の像へ。
ここで大量遭難が有ったのかと思うとガクブルです。
ふもとの資料館がまた凄い。
当時の装備の貧弱なこと。。。
機会があったらぜひ行ってみてください。

607 :日本@名無史さん:04/05/16 22:56
保守

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