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【濃姫】織田信長の正室って?【帰蝶姫】

1 :日本@名無史さん:03/03/25 21:28
織田信長の正室は斎藤道三の娘、濃姫と言われてるけど、
いつ、どこで、どのようにして死んだの?離縁された?
その辺がすごく曖昧。


498 :日本@名無史さん:04/01/13 23:47
>>496
無条件に捏造と決め付けていいのは、藤村氏の原人と伊達遠江守家中の思い込みだけでつ。

499 :日本@名無史さん:04/01/15 00:41
 信長の生駒氏寵愛説は生駒家の子孫が後々に創作したって聞いたことがある。生駒氏
が死んだときワンワン泣いたとか。でも三人も子供生んでるから本当に寵愛してたのかな〜?
それとも子供ができやすいだけなのか?NHKみたいな生駒氏事実上の正室ってのも嘘くさい・・・
生駒氏の話になっちゃったけど・・・
 

500 :日本@名無史さん:04/01/15 01:12
今なら年子で3人って聞くと、繁殖力の強すぎるDQNかと思っちゃうよ。

501 :日本@名無史さん:04/01/15 15:11
>>497
織れも、以前から何となく興味があったので、図書館に逝って調べてみた
織田信長総合事典では、断定的には書いてなく、
「信長子息【織田信正】?」 ←の見出しがあり
本文の最後には「良質の史料に所伝がなく真偽は不明」とあり、
生年と死没にも?マークがあったよ
この本を書いたやつも半信半疑じゃないのかなー

502 :日本@名無史さん:04/01/24 20:50
http://ime.nu/www.johokan.net/history/Rekishi/KagomeMystery/akechi.html
のページにある「帰蝶姫はどこの寺からも埋葬を拒否されている」って部分

ホムペの主は帰蝶姫が怪しいって言ってるけれども秀吉の贔屓にしている
大徳寺に入ってもらうため寺の住職が遠慮して断ったとも考えられないだろうか
そもそもこの記録が事実ならば、帰蝶姫は秀吉が嫌いだったってことになる。
どこで読んだか忘れたけれども「信長正妻、信長の一周忌を内々に開く」って
記録が残っている寺があるらしい。

503 :日本@名無史さん:04/01/25 12:36
>>502
そのページには「帰蝶姫」とは書いてないぞ、「濃姫」と記しているぞ、
かってに造語したら困りますねー(笑

いずれにしても、「どこの寺からも埋葬を拒否されている」資料は無いと思うけれどね
誰かが、根拠もなく言い出したことだよ、きっと

504 :日本@名無史さん:04/01/25 15:46
>>502
そのページ自体がデムパだよ。

505 :日本@名無史さん:04/01/25 17:44
>>503
鋭い突っ込みですね。引用元のホームページを誤って閉じてしまったので
自分で思い出して書いちゃいました。すみません。

話は変わりますが、このスレの人はあまりにも嘘か真かの判断基準が厳しすぎます。
今回の引用元はともかく、大徳寺の墓まで疑ってる人がいるじゃないですか。


506 :日本@名無史さん:04/01/26 07:30
>>505
歴史学は、疑うことから始まるんだわ。
もっとも、ここの板では時として疑う側の出典が『信長の野望ハンドブック』だったりするのが問題だが。

507 :日本@名無史さん:04/01/26 13:25
>>505
大徳寺の墓は、信じていいんじゃないかな?

508 :日本@名無史さん:04/01/28 22:25
大徳寺の墓石は写真でしかみたことないのですが
たとえ生前に城の名前で呼ばれていたとしても墓石に「帰蝶」という名前
が入ってないって事も不思議ですよね。「帰蝶」ってとてもいい名前だから
回りも気を利かせて刻んでもおかしくなさそうなんですが。

もし安土殿=帰蝶だとして信長のメインの城の名前で呼ばれる程、贔屓にされていたとしたら
もっと、ゆかりの品(肖像画とか)がごろごろあってもよさそうですな。





509 :日本@名無史さん:04/01/29 01:14
>>508
信長の墓石にに、「吉法師」 と書いてるのなら、
おっしゃるとおりかもしれませんでつね。

510 :日本@名無史さん:04/01/30 00:15
509さんに一票投票します

508は理解が浅いですなー

511 :日本@名無史さん:04/01/30 02:05
いや、508 の言うように、
墓石に幼名から全部書いておいてくれれば、
信長の正室の名前がどうとか、
いつ、どこで死んだとか、我々がすったもんだしないですむのにねえ。

512 :日本@名無史さん:04/01/30 03:25
女の本名は公にしない傾向があるからね。

513 :日本@名無史さん:04/01/30 10:29
まず「帰蝶」からして確証のある名前じゃないのだから・・・

514 :日本@名無史さん:04/01/30 16:59
>>508
うるせ−
>>511
別にかばわなくったっていいよ。

消えてみえなくなってるだけかもしれないけど
信長公御台と安土殿じゃ寂しいよ。もし信長のこと嫌いだったりしたら哀れ。

515 :日本@名無史さん:04/02/06 15:22
信長の、15〜18歳くらいの「うつけぶり」は、
うつけを装っていたのは確かだと思うけど、
その目的は何だったんですか?

敵を増やした、という意味では逆効果だった気がするのだが、
どうなんだろう?

516 :日本@名無史さん:04/02/06 15:30
>>515
いや、実際にそんなもんだったんじゃないの。

そんぐらいの年齢で跳ねる奴なんて一杯いるじゃない。

「才能を隠して」なんて見方は年齢を重ねてからの功績にふさわしく誰かかが
伝記的物語として面白おかしく後付したんでしょ。

517 :日本@名無史さん:04/02/07 01:17
若い時分には誰でも俺って世の中で一番すげーんじゃないかって
思う時があるもんだ。
大抵の奴はそれが思い込みに過ぎなかったと思い知らされて終わるんだが、
信長は若い頃のその感覚を一生涯持ち続けていたってことだよ。
自分が世の中で一番すげー人間だと思ってる奴にとっては、
礼儀だの形式だの作法だのは、クソみたいなもんだ。
周囲の人間にとっては困った事に、信長は生まれた時から跡継ぎと
定められて城丸ごともらっちゃうような奴だったから、誰も逆らえない。
そういう環境で育ち大人になったから、信長という男は死ぬまでずっと、
俺は一番すげー人間だと信じていた。だから誰に対しても本心では
見下していたんだ。
ま、それが仇となって死んだのかもしれないけどね。

518 :日本@名無史さん:04/02/07 02:00
>>515
武田信玄も、父・信虎に殺される危険を感じてうつけの振りをしたと言われてるね。
これはアフォーの真似をして、才能と野心を隠そうとしたんだろう。

信長の場合は、他人の評価を気にせずに、
自分のやりたいようにやっていただけじゃないかな?
目的としては、自分のストレス発散と領内視察ってところかな。
領主としての仕事はきちんとこなしていたようだし、(午前中)
午後は気晴らしを兼ねてぱっと出かけるって感じじゃなかったのかな。

浴衣に半袴、腰には水筒代わりの瓢箪と火薬袋、
彼なりに機動性と合理性を考えた結果。
冬は虎革のズボンをはいていたらしいね。

519 :日本@名無史さん:04/02/14 18:55
あげ

520 :日本@名無史さん:04/02/21 03:33
>>518
人の肩にぶら下がって歩いたり…
やりたいようにというよりも、
わざと「うつけ」に見えるようにやっているとしか思えない

521 :日本@名無史さん:04/02/22 01:14
>>520
それは単なる情緒不安定では?

522 :日本@名無史さん:04/02/22 14:28
>>521
>>わざと「うつけ」に見えるようにやっている
てことは、
何らかの意図・目的があってやったことではないかと思うのだが?

523 :日本@名無史さん:04/02/22 20:07
>>522
母親にまで愛想を尽かさせる意図?
単なる「癇癖」というやつではないですかね?

524 :日本@名無史さん:04/02/23 01:16
「癇癖」てなに?完璧のこと?

525 :日本@名無史さん:04/02/23 01:32
>>524
何か答えが欲しい?

526 :日本@名無史さん:04/02/28 01:54
ほしゅ

527 :日本@名無史さん:04/02/28 15:13
癇癖=過度に怒りっぽい性質。
癇癪って言えば一般的で分かりやすいじゃん。
十代の奇行は自己顕示欲だったんじゃ。
道三との会見に行く時の格好はいつもの格好に
腕に芋縄の「腕輪」してたって・・。現代人かコイツ・・?
そのセンス戦国とは思えん・・。

528 :日本@名無史さん:04/02/29 01:18
>>527
なうい

529 :日本@名無史さん:04/02/29 04:45
>>528
チョベリグッ!

530 :日本@名無史さん:04/03/16 15:25
あげ

531 :日本@名無史さん:04/03/16 15:38
蘭癖

532 :日本@名無史さん:04/03/20 02:43
斎藤道三が、信長の才能を認め、支援したという話は、
どれくらい根拠があるんですか?

たしかに、道三がバックについているために、尾張の反信長派がうかつに手を出せない状況はあったと思うけど、
基本的に、道三が好きなのは、尾張を統一しきれないで苦労している信長だったと、俺は思うんだ。
道三が脅威を感じていたのは、東にいる今川義元、当時30代後半。
それで、信長には、東の防波堤としての役割を期待していた程度じゃあなかったのかな?

533 :日本@名無史さん:04/03/23 21:03
age

534 :日本@名無史さん:04/03/29 13:16
age

535 :日本@名無史さん:04/04/03 15:04
あげ

536 :日本@名無史さん:04/04/03 19:36
濃姫は山崎の合戦の後、本能寺の変を手引きした黒幕として、
安土城といっしょに焼き殺されました。

537 :日本@名無史さん:04/04/06 19:33
うそこけ


538 :日本@名無史さん:04/04/07 23:14
ふげ

539 :日本@名無史さん:04/04/09 23:27
ひょっとして濃姫ってブスだったんじゃないの

540 :日本@名無史さん:04/04/10 11:06
そのブス説ありだね。道三死ぬほどブッサイクだし。信長は周り美人だらけだったから
帰蝶はおおよそ好みではなかったと。でも正室は大切にしてた説支持。
津島の祭り一緒に観にいったという記録もあるし。

541 :日本@名無史さん:04/04/10 11:08
>>540
道三若いころは美男子といわれてなかったっけ?

542 :日本@名無史さん:04/04/10 18:35
>>541
母親、小見の方も評判の美女だす。
だから帰蝶は不細工に生まれる可能性は小さい。

魅力的な女でないと同盟の道具として使えない。

543 :日本@名無史さん:04/04/25 11:07
ブス説の可能性が濃厚だけどな
美女なんてそうざらにおらんよ
今の女を見ても判るだろう

544 :日本@名無史さん:04/04/25 13:10
岐阜出身の熊チャソを見ると帰蝶ってこんな感じだったのかな、と想像している。

545 :日本@名無史さん:04/04/26 15:39
>>536
八切止夫の説ですよね。もっと、知られても良いと思いますけれど。
因みに、帰蝶は奇蝶と書いて、この奇を使った名は、道三の息子にもいます。
信忠の幼名、奇妙は正室である奇蝶が養った為その奇をとってなずけられたそうです。

546 :あぼーん:04/04/26 16:23
菊池桃子はタイプなんだがなあ。

547 :日本@名無史さん:04/04/30 16:01
どちらかというと南野陽子タイプでは、、、

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