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神秘の国・出雲

1 :日本@名無史さん:02/12/24 19:42
神秘の国・出雲についてかたろう!

2 :日本@名無史さん:02/12/24 19:44
出雲大社周辺では自縛霊や浮遊霊が一切見られない
出雲大社は日本有数の霊場だと思う

3 :日本@名無史さん:02/12/24 19:59
見られないのになぜ令嬢

4 :日本@名無史さん:02/12/24 20:16
千家元麿は大宮司を務めた男爵・尊福(タカトミ)の長男(庶子)、
母は閨秀画家の小川豊子。

5 :日本@名無史さん:02/12/24 20:29
スサノオのまつえ?

6 :日本@名無史さん:02/12/24 20:31
神魂神社

7 :日本@名無史さん:02/12/24 20:33
↑何が有名?

8 :日本@名無史さん:02/12/24 21:50
オナレェェ!
キョロキョロo(゚д゚o≡o゚д゚)oキョロキョロ
http://hkwr.com/

9 :日本@名無史さん:02/12/24 22:02
西日本にあってなぜか蕎麦がうまい
出雲弁もどちらかというと東日本の言葉に近い
神秘じゃー

10 :日本@名無史さん:02/12/24 22:02
>3 ちょっとだけ面白い。確かに。

11 :日本@名無史さん:02/12/24 22:04
良かったら、『公家・廷臣・門跡』スレにも来てチョ!

12 :日本@名無史さん:02/12/24 22:04
出雲風土記の丘

13 :日本@名無史さん:02/12/24 22:06
八雲立つ

14 :日本@名無史さん:02/12/24 22:09
絶好の死に場所があるんだが、中配の鉄塔が立ってるんだよな。

15 :日本@名無史さん:02/12/24 22:14
八雲立つ (漫画)で『かんなぎは鍛冶師に勝てない』

何故?

16 :日本@名無史さん:02/12/25 16:59
となりどうしだったような

17 :α:02/12/25 20:05
出雲大社の宮司を事実上世襲している出雲国造(南北朝時代に「千家」家・「北島」家に分裂)だが
家柄の正当性から考えると北島に軍配があがってもいいはず何だが
何故千家の方が目立ち、北島が地味になってしまったのだろうか
やっぱ千家尊福(法相・東京市長・貴族院議員・唱歌「一月一日」作詞・明治天皇に借金申し込む・大社教創始その他諸々)
が目立ちすぎたのかな
どっちにしろ両国造家が地上では天皇家より古い格式高い(ていうか弟家?)家柄なのは変わらんが


18 :日本@名無史さん:02/12/26 02:28
どれくらい古いの?

19 :日本@名無史さん:02/12/27 20:26
>>17
出雲国造はのっとり側(天皇のパシリ)だから、天皇家よりも歴史が浅いはず。


20 :日本@名無史さん:02/12/28 09:08
天照大神の次男の子孫・・・ってことになってるんだろ?

21 :日本@名無史さん:02/12/29 02:17
なぜのっとり?

22 :日本@名無史さん:02/12/29 02:53
>>21
もともと日本をおさめていた出雲に対して、
今で言うところの天皇家が大国主命を殺して滅ぼしたわけ。

とはいえ、天皇家としては、祟りがこわいので、
1系統は出雲に残って出雲大社を築いて今の出雲国造になった。
1系統は大和にはいって天皇家となった。



23 :日本@名無史さん:02/12/29 06:43
つまらん

24 :日本@名無史さん:02/12/29 10:21
そんなことない
22に失礼だ

25 :日本@名無史さん:02/12/29 12:50
荒神谷付近の山をもっと掘る計画ないの。
すごいものが出てきそうな予感がするんだけど。

26 :日本@名無史さん:02/12/29 13:38
>>25
公共事業が凍結されたら発見されるものもなくなるんだろうなあ
荒神谷も加茂岩倉も道路工事の最中の発見だったし

27 :日本@名無史さん:02/12/29 14:02
>>9
出雲弁ってズーズー弁になるらしい

28 :日本@名無史さん:03/01/08 00:09
言語的にズーズーになるのは他の地域も含めて、系統が違うってこと?

29 :日本@名無史さん:03/01/08 02:24
砂の器ですな。

30 :日本@名無史さん:03/01/10 14:27
ほんとにズーズーなのか?検証が必要だろう。
もっとも、江戸時代の西回り航路の影響も考えられるがね。

個人的には、島根出身、参院のドン青木のなまりは、北陸三県のそれに似ている気がするんだが。

31 :日本@名無史さん:03/01/10 14:45
>>30
出雲弁はずーずー弁だよ。
少なくとも山陰の人はずーずー弁だと自認している。

32 :日本@名無史さん:03/01/10 17:57
わたしは石川県人ですが、島根でもBAKAじゃなくて、「だら」っていうってほんとですか?


33 :日本@名無史さん:03/01/10 21:50
>>32
本当ですが使う人と使わない人がいます。高卒まで松江に住んでましたが私は使いません。
個人的な感想だと「だらず」「だら」の二通りあって、年配になればなるほど「ず」を含む気がします。
「だら」を使わない人々の馬鹿とアホの使用比率は半々ぐらいでしょうか?人によって違いますが・・・
北陸三県と山陰は日本海に面していて、京都を軸にして同じような距離に有ることから思わぬ所で方言が似ていたりして驚きです。

34 :日本@名無史さん:03/01/10 23:15
出雲の国引き神話にあるように、新羅と出雲と北陸は相当な近縁関係にあるようですよ。
四隅突出形方丘墓は出雲と北陸だけに見られる墓制だし、出雲と北陸は朝鮮半島系のHLA保有者が突出して多いことも明らかになってます。

まあ、言語面は、京都中心同心円の分布によるのかもしれませんが。

35 :日本@名無史さん:03/01/10 23:38
>>33
石川県ではまず、若い連中でも「ダラ」を使う。富山も言ってる。福井は言ってないような気がするが。
「ダラズ」ってのは、聞いた事ないな?
はっきりいって変だ。

36 :日本@名無史さん:03/01/10 23:44
>>34
そういえば、探偵ナイトスクープでやっていた「あほ・ばか分布図」も、
京都中心の同心円になっていた。

あと、海水を舐めたときに言う言葉もそれぞれの土地によって違う事もやっていたような ・ ・ ・
辛い・塩辛い・しょっぱい・ってな感じで ・ ・ ・

37 :日本@名無史さん:03/01/11 00:33
出雲系の神社ってのも面白い。
武蔵は出雲系が多く、毛野の国は天孫族系が多い。
大和の中心三輪神社の祭神もオオナムチが入ってたろ確か。
北陸はもちろん出雲系。古い神社はスサノヲとかオオナムチとか大国主ばっか。

38 :日本@名無史さん:03/01/11 00:36
通常の大河と両立できるのか?

39 :日本@名無史さん:03/01/11 01:13
出雲のお国って、春も売ったとか聞いたことあるけど、ほんと?

40 :日本@名無史さん:03/01/11 01:13
>>35
変だと言われても・・・
正式には出雲弁では「だらず」だと記憶している。「だら」はその短縮形だと思っていたけど・・・語調によって「だ〜ら」も有り。「だらず」は音が伸びることはない。
京都から西に言葉が流れた課程で「ず」が語尾についたのかも知れないし、もともと「だらず」なのが東に流れた時に「ず」が省かれたかもしれない。


41 :日本@名無史さん:03/01/11 01:38
 

42 :日本@名無史さん:03/01/11 13:28
>>40 「だ〜ら」というのは石川でも言うけど。
 てっきり「ダラブツ」とか「アホンダラ」の略かと、思ってたよ。

43 :山崎渉:03/01/11 16:35
(^^)

44 :日本@名無史さん:03/01/11 16:54
>>40
「だら」はバカ
「だらず」(「だ〜ず」)はバカ者の意です

45 : :03/01/12 09:10
>>34
三國史記を読むと、新羅は ( もっともその当時は辰韓の一小国に過ぎないわけだが )
倭の侵攻を何度も受けている。しかも「東辺」から。東辺とは出雲ではないのか。

スサノオが高天原から出雲に放逐されたという話の異説のなかに半島にもよったとする
話が日本書紀にあるが、それなど出雲の新羅攻略の英雄神話がスサノオの出雲への放逐
の話にくっついたものではないかと想像する。


46 :日本@名無史さん:03/01/12 10:22
神無月この国だけが神有り月

47 :日本@名無史さん:03/01/12 22:03
歴史があるのはわかるけど神秘はいいすぎ。

48 :日本@名無史さん:03/01/12 22:12
>>47
出雲は歴史的な部分より神話的な部分が強いからいいんじゃない?

49 :日本@名無史さん:03/01/12 22:15
出雲で「神在月」というのは「神無月」という迷信が広まってから出来た言葉。
もともと神嘗祭(かんなめさい)を行う月だったので「かんな月」といったのに
当て字しただけなんだから、出雲だろうがどこだろうが「神無月」で正しい。

50 :日本@名無史さん:03/01/12 22:17
>>49
オレは酒を醸造する「醸成し(かもなし)月」からだって聞いた
しかし迷信を常識化した出雲はすごい

51 :日本@名無史さん:03/01/12 22:23
出雲大社は「縁結び」で飯くってたんだから宣伝広報にも力入れたってだけ。
全国から八百万の神々が集まってこないと「縁結び」の説得力が・・・・

52 :日本@名無史さん:03/01/12 22:29
出雲人の祖先は一体どこから来たのであろうか?正確には答え難い。
何世紀にもわたって様々な人たちが渡来しているからである。
ただ朝鮮からの渡来人が多かったということははっきりしている。
そして朝鮮を抜きにしては出雲を理解し難いことも事実である。
出雲は新羅から船を迎日湾に浮かべると海流によってたどり着くことの出きる場所である。
出雲は古代朝鮮とも異なる独自の文化を築いたと私は考えるが、その下地は
明らかに朝鮮、特に新羅からの影響を受けている。新羅の前身である弁・
辰韓にふれた「魏志東夷伝」に「国から鉄が出、倭などみな随ってこれを
取る」という記述がある。この事は当時から古代朝鮮に製鉄技術があり、
それを日本の前身である倭からも取りに来るものがあったということである。
このことはスサノオノミコトが鉄を目指して朝鮮から日本にやって来たこと
との関係もあり興味深い。前述の通り出雲では砂鉄が取れることで知られて
おり、縄文時代の中期頃からすでに素朴な鉄生産が行われていたという記述
もある。倭から弁・辰韓に鉄を取りに行った人々の情報の中に出雲の鉄の
ことが含まれていたとしてもあながち妄想ではなかろう。

53 :日本@名無史さん:03/01/12 22:34
出雲は縄文から弥生にかけて地理的な利点を持っていた。出雲は日本海に
面しており、大陸からの文化を吸収する玄関口として北九州とならんで
重要な拠点であった。特に朝鮮東部から船で日本海に漕ぎ出でると、
海流のおかげで漂流した場合でも出雲方面に流れ着くといわれている。
玄界灘の潮の流れの激しさを考えると、距離は遠いが出雲の方が朝鮮から
容易に渡ってこれたともいえるのである。今では裏日本と呼ばれる日本海側
であるが, その当時は最も文明世界に近い場所であり日本の表舞台だったの
である。そして出雲がその最たるものの一つであったことは間違いなかろう。
朝鮮東南部にはかって朝鮮を統一した新羅の都、慶州がある。この場所は
地形的に見て最も航海技術が発展しそうな場所である。
朝鮮と日本の間は対馬海流が走っている。そして朝鮮半島西部は黄海がぶつかる
場所である。それに比べてこの東南部は海流の真空地帯のような場所ができ
航海技術が発展するのにもってこいの場所なのである。そしてきわめつけに
良質の迎日湾が存在する。
遣唐使の時代、日本の航海技術及び造船技術は遅れており(もちろんこれは
技術の断絶がもたらされた結果である)、よく航海に堪えない船なので帰路は
新羅の船を頼ったそうである。それほど新羅の航海技術及び造船技術は進んで
いたということである。
そして出雲である。
新羅、すなわち現在の慶州から流れている兄山江は迎日湾に繋がっている。

54 : :03/01/13 04:13
>>53

言っている事がおかしいだろう。半島に鉄を取りに行っているのは倭で有り、
半島南部に拘邪韓国という領土まで領有している。そして、逆に半島から出雲に鉄を取りに来てい
るとする記述は何処にもない。

そもそも新羅は航海術に優れているとするが三國史記には
「(295年)新羅は海戦になれておらず海を渡って危険を冒すべきではない」とする記述がある。
http://honyaku.naver.co.jp/ktj.cgi?css_url=http://www.koreandb.net/Sam/bon/samkuk/04_020_7000229.htm
そして、倭が半島に進行した歴史は三國史記だけでも山ほどあるが、その逆はただの一つもない。

何度も海を渡って攻め込んでいるのは倭であり、航海術が新羅の方が進んでいた
とする根拠が希薄ですね。

それにそもそも三国時代(3世紀)においてはもとよりその前においても新羅という国はありません。
辰韓12カ国の一つである斯盧國であるに過ぎません。
そして、その規模は三国志によれば邪馬台国が戸数7万戸と書いてあるのに対しせいぜい戸数4000〜5000の国というよりも
邑に近い規模に過ぎません。


55 :日本@名無史さん:03/01/13 04:25
>>54
52,53はみてすぐわかるように明らかにチョンのヒガミ電波説。
荒らしと同じだから無視すべき。いちいちまともに相手にする気が知れない。

56 :日本@名無史さん:03/01/13 04:29
>>55
わかってはいますが、嘘をみると腹が立ちます。

57 :55:03/01/13 04:34
うーん、確かにそうなんだよなぁ。
漏れもよく意図的なトンデモ野郎みるとブチ切れて暴れるし(w
反省、反省。

58 :日本@名無史さん:03/01/13 08:12
よく、日本人の先祖は韓国人と言うが、その昔日本列島が大陸にくっついてたら十分有り得るのだが
肝心の現在でいう朝鮮に住んでいた奴らは色々な民族にボコられて民族自体が入れ替わったりしてるんだよな。
だからキムチ理論だと韓国人の先祖はモンゴル人とか中国人となってしまう。
現に2chでそこそこ張られている血液のDNAマップだと日本はシベリア系、朝鮮は北中国と類似してるし。

59 :日本@名無史さん:03/01/13 11:30
>>52-53ってどこか読んだことがある気がする。癖のある文体だし。
たぶん孫引きだろうから、コピペした人間からの反論は期待できないとおもうよ。

60 :日本@名無史さん:03/01/13 16:39
東部出雲の人の姓を電話帳で調べ、最も多い姓を次の3群に分けた。

@ 新井・荒木などの[アラ]グループ
A 足立・安達などの[アダ] 〃
B 有田・有馬などの[アリ] 〃

 その結果、鹿島町や玉湯町などでは上記3グループの姓が全世帯の70−90%もあり、この
傾向は東部出雲で顕著であった。この3つの姓は、朝鮮半島の安羅伽耶から来た証拠という。す
なわち@とBは安羅そのもので、Aは「安羅+ダル(地・国の意味)」で「アラダル」が縮小し
たものと説明する。出雲弁の「少し」を「チョンボシ」というのは朝鮮の慶尚方言の「チョム」
が訛ったものだそうである。

61 :日本@名無史さん:03/01/13 19:53
>>49
神嘗祭はもともと旧暦9月に行うものだけどね。
新暦10月に行うようになったのは明治以降だよん。

62 :日本@名無史さん:03/01/14 08:40
>>60
東部出雲って出雲市東部の事?

姓って明治以降に作られたから偶然では?

松江と玉湯に詳しいが、少なくとも玉湯で7割超はあり得ない。
ただ、傾向として○○の地域は鈴木さんが多いとか、そう言うのはあったがこれは姓を名乗るときに
坊さんが有る程度の地域を一括して名付けるとかしてるのでその影響だと思う。



63 :日本@名無史さん:03/01/15 03:57
>>62
出雲地方東部のことだろう

>>60
地名からみるならまだしも
大半が明治以降に作られた姓を結びつけようとするとはナンセンスw

関係ないが勝部という苗字は島根が一番多いと聞いた
なにか由来知ってる?

64 :日本@名無史さん:03/01/15 06:49
>> @ 新井・荒木などの[アラ]グループ
>> A 足立・安達などの[アダ] 〃
>> B 有田・有馬などの[アリ] 〃
>>
>>  その結果、鹿島町や玉湯町などでは上記3グループの姓が全世帯の70−90%もあり、この
>> 傾向は東部出雲で顕著であった。この3つの姓は、朝鮮半島の安羅伽耶から来た証拠という。す
>> なわち@とBは安羅そのもので、Aは「安羅+ダル(地・国の意味)」で「アラダル」が縮小し
>> たものと説明する。出雲弁の「少し」を「チョンボシ」というのは朝鮮の慶尚方言の「チョム」
>> が訛ったものだそうである。

根拠の希薄な願望の入り混じった憶測を前提に話を進めるなよ。
こじ付けばかりするのが韓国人の特徴だな。

伝聞なら、その伝聞元を提示してみなよ。

65 :日本@名無史さん:03/01/15 09:17
>>63
戦争関係に秀でた部族=常勝=勝つ
これに部を加えたとかw
単純な発想ですまん。。。

66 :日本@名無史さん:03/01/15 15:30
>>49,61
神無月は正解。 ただし「神嘗祭」ってのはどうなんだろ?
それはお伊勢さんの間違いじゃない?

大社で行われるのは「古伝新嘗祭」。旧暦十月の晦日に行われる。
(新暦だと11月、勤労感謝の日あたりだな)
神在月というのは祭祀上、「神迎祭」「神在祭」という形で現在も行われてはいるけどもね。

67 :日本@名無史さん:03/01/15 16:57
出雲はチョンなのか。

68 :日本@名無史さん:03/01/15 19:57
>>49-51 >>61 >>66
神嘗祭から神無月というのは考えづらいように思える。
神嘗祭は、新穀で作った神酒と神饌を天皇から伊勢神宮(天照大神)に
奉納されるお祭りだから。また、鹿島神宮など縁のお社でも神嘗祭当日
祭りが行われている。
神嘗祭は、奈良時代に神祇令で季秋(旧暦9月)の祭祀として定められ
ているし、新暦10月になったのは明治二十二年以来のこと。神無(在)
月(出雲の神在祭など)はいまでも旧暦10月に行われている。

>>50
十月の異称「神無月」の語源については諸説あり、一般的に知られて
いるのは、藤原清輔(きよすけ)の「奥義抄(おうぎしょう)」に依る、十月は
全国各地の神さまが出雲大社に集まって不在になるところから「神無月」
とするもの。
ほか、江戸時代の国学者荷田春満(かだのあずままろ)の十月は雷の鳴
らなくなる月であることから「雷なし月」の意味だとする説や、神無月の「無」
を「の」と解して「神の月」、つまり神祭りの月の意味だとする説。 そして
翌月に行われる新嘗祭(にいなめさい)の準備として、新米で酒を醸(かも)す
月、つまり「醸成月(かみなしづき)」の意味だとする説などがある。

>>66
そうそう、もともとは旧祝祭日として11月23日に新嘗祭が行われていたん
だよね。
第二次大戦後、11月23日は勤労感謝の日に変化してしまったけれど。

69 :日本@名無史さん:03/01/16 00:00
出雲地方でのチョン率って高いのか?
通名使われてたら解らないがモロチョン名は聴いたことがない。

70 :山崎渉:03/01/16 08:44
(^^)

71 :日本@名無史さん:03/01/16 13:48
>>63
このあたりが関係しているんですかね。>勝部

出雲では、出雲国造家の一族は出雲臣・勝部臣・日置部臣(これらはともに、のち宿祢姓)や
品治部臣・蝮部臣・日下部臣・刑部臣・財部臣(以上は御名代関係)、語臣・額田部臣・吉備
部臣・物部臣(職掌関係)などがあげられ、臣か宿祢の姓を持っていたことが分かる。
出雲一円には、雀部君・蝮部君や日置部君・勝部君・語部君などの君姓の諸氏も見られ、出雲
国造家と何らかの同族ではないか(天照大神の子・天津彦根命を同祖とするも、早くに分かれ
たものか)、と推されるが、それらの具体的な系譜は不明である。

ttp://shushen.hp.infoseek.co.jp/hitori/sasakikou.htm

72 :日本@名無史さん:03/01/18 20:40
チョン国と一番近いんだからしかたない。

73 :日本@名無史さん:03/01/19 01:50
出雲の皇女が済州島へ嫁いだのは本当ですかね?

74 :日本@名無史さん:03/01/19 02:41
↑そもそも皇女なんておかたは出雲くんだりにはいませんが何か(w

75 :日本@名無史さん:03/01/19 08:20
チョン話をすると荒れるが,まあ環日本海文化圏ってことだな.

古事記がつたえるヤチホコ神の求婚旅行の歌にみられるように
出雲と高志の間では日本海ルートの交流があったわけだが
間を飛ばされた若狭や丹波や但馬は文化交流のメインストリームから
外れていたわけだ.反面,海をへだてた先と密接な交流関係があったりも
しよう.

76 :日本@名無史さん:03/01/19 13:22
ヤチホコ神の求婚旅行の歌の一件だけで
>若狭や丹波や但馬は文化交流のメインストリームから外れていた
なんて決めつけられるのか?ずいぶん大胆でつね(w

むしろ但馬・丹後あたりの方が日本海文化圏の中心っぽいけど。

77 :日本@名無史さん:03/01/20 23:29
そういや出雲と越の交流はヤチホコ神の求婚譚や四隅突出型墳丘墓の分布などから
うかがい知ることができるが、但馬・丹後との交流はあまりみられない気がする
丹後に有力な勢力があったことは確かだが、他の環日本海地域との関わりはどうなんだろう?


78 :日本@名無史さん:03/01/20 23:50
>>77
『播磨国風土記』に天日槍命とオオナムチとの争いの描写や、日槍の移動説話の
なかには播磨、若狭、但馬などの地名も出てくるのだが、交流があったことの
残滓とは思えないだろうか?

79 :日本@名無史さん:03/01/20 23:58
>>78
播磨においてオオナムチ信仰と天日槍命信仰が存在したことはうかがえるが
環日本海の直接的な交流とは見難いかも
但馬・丹後ではないが、崇神紀六十年条で丹波の氷香戸辺が伝えた、出雲の鏡に関する歌とかは?

80 :66:03/01/21 01:53
>>78  私は同意ですね。

風土記の中でも特に出雲、播磨のものは重要かと。
日矛の移動経路を考慮すれば、但馬はもちろん、海路なら丹後・若狭、
また内陸へも、丹波や播磨の一部にまで入って来ていたかと考えられます。
(日本海から円山川・由良川をたどれば、以外と内部まで入れちゃうんだよね)
和歌でも由良を読んだ歌はそこそこあるのでは。(紀伊の由良を指す場合もあるけどね)

あと遅レスになるけど>>9の蕎麦ね(w
日矛ゆかりの地、出石の蕎麦はうまいよー
出雲蕎麦は麺のコシが決め手なんだけど、出石蕎麦は麦の風味が格別にうまい。
あれは絶対食す価値ありですよ。

81 :日本@名無史さん:03/01/21 10:21
あぁ、Izumo。もうすぐDVD発売ですね。

82 :日本@名無史さん:03/01/22 00:07
「タニハ」は出雲と越に「四隅突出方墓」が出現する2世紀末〜3世紀ごろ巨大な墳丘墓が出現し、大量の鉄が出土します。
大和盆地と朝鮮半島の仲介を日本海側で行ってたことと、大和とは墳丘の形式がぜんぜん違うことから、強い独立性があったことが考古学的にはいえます。


83 :日本@名無史さん:03/01/22 01:08
丹波にしても山陰にしても、考古史料が出そろっているというわけでもない
ものなあ。
今後まだまだ見つかる可能性はあるとしても、宅地や公道の造成の過程で
でもなければ難しいのだろうけど。
牽強付会ながら、すこし挙げておこうか。

日本海側で第二の規模といわれる兵庫県丹後町の「神明山古墳」(全長193m)と、
鳥取県東郷町の「北山一号墳」(全長107m)はともに5世紀の作例といわれ、
前方後円墳としての墳形に相関関係が指摘されているという。

それから、出雲の西谷三号墓の墓穴の上から出た土器に、地元出雲の土器に
混じって、吉備地方で墓の祭りに使われる大形の器台と壷や、丹後地方から
北陸地方にかけての特徴を持つ土器が出土しているらしい。

84 :日本@名無史さん:03/01/22 02:37
お。
いよいよ今度は野見宿禰の登場ですか?
出雲系キャラで一番好きだな。(イメージでだけど)

85 :日本@名無史さん:03/01/22 16:38
野見宿禰といえば角力の元祖と言われるが
書紀を見る限りありゃ相撲じゃなくてK−1だな

関係ないが貴乃花お疲れさん

86 :日本@名無史さん:03/01/23 01:15
ボクも言っとこ。おつかれさま。

そうそう、宿禰こそ倭国の初代格闘チャンピオンなのだー(w
あと埴輪をつくったありがたーいお方。

87 :日本@名無史さん:03/01/23 20:38
>>83 参考になりました。

88 :日本@名無史さん:03/01/26 04:05
>>86
殉死の代わりに埴輪を作らせたとはいうけど
実際考古学的には円筒埴輪→形象埴輪だから
最初に人型の埴輪を作ったというのは・・・だね

89 :日本@名無史さん:03/01/26 04:10
     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<先生!http://homepage3.nifty.com/digikei/ten.html
 _ / /   /   \___________
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\
 ||\        \
 ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
ココ重いけど久しぶりにGood

90 :日本@名無史さん:03/01/31 00:59
>>88 うん。
宿禰のエライところはちゃんと上層部にむかって進言したところだよ。
そういう風習は改めましょうよー、って。
時の権力に向かってああいう進言するのって、とても勇気がいることだと思うなあ。
体力的にだけじゃなくて、勇気というか、こころの意味でも強い人だったんだーって。
ホントの智勇兼備の将って感じがするなあ。

91 :日本@名無史さん:03/02/07 20:56
出雲国造

92 :日本@名無史さん:03/02/14 21:45
天皇家子孫以外で出雲で続いてる家ないの?

93 :日本@名無史さん:03/02/19 00:06
>>85
夢枕獏に小説書かせてみたいな。

94 :日本@名無史さん:03/02/26 18:08
2003年02月26日(水) 共同通信

銅鐸片は副葬品か 女性人骨と出土、
全国初=差替

島根県出雲市の青木遺跡で見つかった弥生時代後期の近畿式銅鐸(どうた
く)片は、女性の人骨とともに副葬品として墓に埋めた可能性が高いことが
分かり、同県埋蔵文化財調査センターが26日、発表した。同センターによ
ると、銅鐸は祭祀(さいし)に使う集団の宝として扱われ、墓から出土した
例はなかった。しかし今回の銅鐸片は若い女性とみられる人骨の頭のすぐ横
で見つかり、同センターの卜部吉博副所長は「銅鐸の性質を考え直す議論が
起きる可能性がある。銅鐸研究に一石を投じる発見」と話している。出土し
た銅鐸片は、高さ60―70センチある銅鐸のつり手についていた渦巻き状
「飾り耳」とみられ、幅約6センチ、高さ約3・5センチで厚さ3―4ミ
リ。周辺の調査で出土場所が墓の中と判明した。人骨は弥生後期で20代後
半の女性とみられる。銅鐸をペンダントのように加工していた例はあり、銅
鐸片が女性の装飾品だった可能性もあるという。ほぼ同じ場所で、弥生後期
とみられる四隅突出墓の突出部分(長さ約4メートル、幅約2メートル)も
確認。銅鐸片と人骨が突出墓の埋葬部にあった可能性も考えられ、同センタ
ーは埋納状況をさらに詳しく調べている。現地説明会は3月2日午前10時
から。当日は銅鐸片も公開する。


95 :日本@名無史さん:03/02/26 18:18
出雲は渡来人に国を売り渡した売国奴。
なーにが神秘だ。死ね。

96 :日本@名無史さん:03/02/26 18:34
同じ島根県でも出雲と石見はあまり仲がよくないよ。
考えてみたら大田市を境に渡来人の遺跡が急に少なくなるからね。

97 :日本@名無史さん:03/02/26 20:17
>>95=神話を丸飲みするアホ

98 :日本@名無史さん:03/02/26 20:19
>>96
文化・習慣的にもだいぶ違うようだけど、なんでだろ?
出雲・石見の境ってそんなに隔たってる?

99 :日本@名無史さん:03/02/26 20:29
>>98
方言はかなりの違いがありますよ。
出雲は東北と区別が付かないずーずー弁で、
石見は広島・山口と同じ「〜じゃけん」の山陽弁です。
私は石見出身。

100 :日本@名無史さん:03/02/27 03:23
私も石見出身ですよ。

101 :日本@名無史さん:03/02/27 05:15
邪馬台国出雲説は消えましたか?(w

102 :日本@名無史さん:03/02/28 03:21
まだまだ

103 :日本@名無史さん:03/03/01 08:25
出雲人と石見人は性格も違います。
出雲人は陰険・陰湿で、裏表がある。
石見人はからりとした陽性型。
両方に住んだことがある私としては当然石見の方が好きです。

104 :日本@名無史さん:03/03/01 11:09
島根は横に長いからね。おれは石見人だと自覚をしている。
石見神楽はいいね。出雲神話から取材した演目も数ある。

105 :日本@名無史さん:03/03/01 21:45
>>93
夢枕獏はすでに宿禰VS蹴速の小説書いてるよ。
『本朝無双格闘家列伝』(新潮社)をご覧あれ。

106 :日本@名無史さん:03/03/01 22:18
>>出雲人は陰険・陰湿 竹下登、青木幹雄・・・・なるほど。

石見人は?どんな人がいますか?
正直、西周とか津和野藩以外の人は知らんなあ。

107 :日本@名無史さん:03/03/02 01:38
オレ

108 :日本@名無史さん:03/03/03 19:22
>>98
ワシの実家は米子だが、松江から嫁に来た、もしくは行った人は
まま見るが、同じ県内の鳥取に行ったり、来た人はあまり聞かないな。

109 :日本@名無史さん:03/03/03 20:03
>>104
出雲神楽・石見神楽・隠岐神楽と三種類あるが、
どう違うんだろう?

110 :日本@名無史さん:03/03/03 20:04
出雲は東北弁にそっくりだというが、どのくらい似ているの?

111 :日本@名無史さん:03/03/03 20:55
>>110
オレ出雲人だが、東北の言葉は聞き取れんぞ
出雲の年寄りの言葉は一応聞き取れる
ズーズー弁といっても、出雲と東北じゃだいぶ違うと思う

112 :日本@名無史さん:03/03/03 22:19
ダラズーズー弁。米子も「ダラ」というのかいな?

113 :日本@名無史さん:03/03/03 23:03
>>110-111
出雲でも限られた地域だけともいうよ。
いや松本清張のウケウリだけどさ。「砂の器」だったかな?

114 :日本@名無史さん:03/03/05 02:50
東北弁といっても、本当に聞き取りにくいのは青森弁。
完全に訛り切ってるからね。

115 :日本@名無史さん:03/03/05 05:40
いやあ、神奈川から東、北はすべてズーズーだよ。
「行ぐべー。んだんだ」つってる。神奈川でも。埼玉、茨城だと何言ってるかさっぱりわからん。マジで。

俺は米子、松江、太田を一度ふらふら行ったことはあるが、言葉は西日本系。東日本のそれとは全然違う。
山口、石見、広島、岡山とは違うんだろうけど、広い意味では西日本系だよ。

116 :日本@名無史さん:03/03/05 05:41
>>108 倉吉はどうなんだろう。米子、松江のほうなのか、鳥取のほうなのか。
おしえてほしい。

117 :日本@名無史さん:03/03/05 12:05
>>115
西日本系の言葉を東北系の発音で話すといったところか

118 :108:03/03/06 06:17
>>116
私の弟は倉吉の子と結婚しました。
その姉は、鳥取に嫁ぎました。
私は、はあ、してません。

119 :日本@名無史さん:03/03/07 04:02
>>106 今の政治家で?
シズカのウルサイの〜ってここの人じゃなかったっけ。
歴史上の人で?
出身の人物はあまり聞かないが・・・没した人、ここをステップアップにしていった
人はそこそこいるかと。
古代だと宇摩志麻治や柿本人麻呂、大内弘世はここの守護を兼務していたし、銀山の
初代奉行は確か大久保長安のはず。

120 :日本@名無史さん:03/03/08 02:19
>>シズカのウルサイの〜ってだれ?

柿本人麻呂は意外だが、パーソナリティー、性格がわからんやん。
性格がわかる人はおれへんでしょうか?

121 :人麻呂:03/03/08 11:17
>>120
万葉集にあれほど歌を残してきたのに、パーソナリティー、
性格が判らんとは、どういうことじゃ??

122 :日本@名無史さん:03/03/08 12:36
>>106
石見選出は亀井久興だったかな
亀井慈矩の子孫
>>119
亀井静香は広島

123 :それは失礼致した・・:03/03/08 22:14
>>122 そうだったのか。てっきり亀井だから同じ筋だと・・

ところで、「はーひふへほー」(ばいきんまんじゃないゾ)は東北ではどう発音するの?
サ行が入ると聞いたような気が・・ (例:「人」を「しと」っぽく発音しない?)

124 :日本@名無史さん:03/03/08 23:34
出雲スレを東北人が覗くかな?

125 :日本@名無史さん:03/03/09 13:41
>>106
津和野は森鴎外の出身地でもあるね。

>>122-123
亀井慈矩は出雲出身だね。因幡の鹿野城主だった時代もあるし。

126 :日本@名無史さん:03/03/09 19:09
>>125
佐々木京極、尼子系といいますな。

127 :日本@名無史さん:03/03/09 21:15
>>123
>「人」を「しと」っぽく発音しない?

江戸っ子?

128 :日本@名無史さん:03/03/09 22:47
しかし光秀は、どうしてこの2国を取りにいかなかったのかねえ。
結構いい領地だと思うのだがな。(取った後の話だけど。)

戦に疲れたのか、よほど信長に腹を立てていたのか。
あと都から遠いからだとか?
2国について、あまり知らなかったのだろうか。

129 :日本@名無史さん:03/03/09 23:42
出雲弁の起源て…
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/gengo/997013877/

130 :日本@名無史さん:03/03/10 00:30
戦国時代の出雲って領地としての価値はどんなぐあいだったんだろう?
石高とか商業発展度とか

131 :日本@名無史さん:03/03/10 22:25
とあるasahi-net系のHPを参考にさせて頂きました、、、

慶長三年時石高
出雲:18万6千石、石見:11万1千石
対して
丹波:26万3千石、

出雲石見はここに日本有数の鉱山資源や水産資源が付いてくるかな。
もちろん丹波は京に近いという利点があるが。

132 :日本@名無史さん:03/03/19 01:13
歴史群像シリーズ関ヶ原で慶長五年時吉川広家が
月山富田で12万石
歴史読本で堀尾吉晴が関ヶ原後
出雲・隠岐24万石
寛永11年に京極忠高が
26万4200石
石見は古田重勝が関ヶ原後
浜田5万5千石
亀井が
津和野3万8千石
+石見銀山の天領だが
大体広島・岡山が50万石とすると30万石という感じで
雪も多く交通の便も良くないので左遷感は否めない
出雲も陰湿だが石見も荒れてたな
漫画家くらもちふさこさんの故郷としてイメージは良いようだが
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/5228/kura.html

133 :日本@名無史さん:03/03/22 22:56
age

134 :日本@名無史さん:03/03/22 23:21
現代の島根のライバル、因幡・伯耆や土佐と比べたらどうだろう?

135 :日本@名無史さん:03/04/04 17:47
age



136 :日本@名無史さん:03/04/08 21:03
いまさら確認なんですが、
東山天皇から次ぎ、すなわち、
中御門、桜町、桃園、後桜町(女帝)、後桃園、光格、仁孝、孝明、明治の各天皇の男系の子孫は、
天皇となっている者は除いては、1人も存在しない、ということでよろしいのですか?

137 :因幡 うさぎ:03/04/08 22:15
岩倉遺跡を観て、
神話が事実を伝えていることを思い知らされました
まさに「八千鉾の神 だいこくさん」
つまり「非常に多くの武器を持つ男」

出雲は飛鳥や斑鳩と並んで、
発掘記録への興味が尽きない。

138 :だんだん ◆j9mCFXQPxs :03/04/08 22:24
加茂岩倉のあたりはまだまだ金属反応があるらしいよ
盗掘されたら困るから発表されてないけど・・

139 :日本@名無史さん:03/04/15 00:51
天皇家が自分の傍系を出雲国造として護りに就かせたわけで。


140 :山崎渉:03/04/17 13:24
(^^)

141 :日本@名無史さん:03/04/18 02:50
出雲国造は今も続いているところが恐ろしい

142 :山崎渉:03/04/20 01:57
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

143 :日本@名無史さん:03/04/24 23:52
石見出身だけど「ダラズ」は使うな、家族は。
「ダラ」は聞いた事がない。

人麻呂は京都からの左遷人事で来たんじゃなかったっけ?

144 :日本@名無史さん:03/05/01 08:40
人麻呂の謎、って、信じていいんですか?

145 :にゃんちゅー:03/05/01 21:04
質問!「八雲立つ出雲」ってどう言う意味が有るのですか?
辞典などで調べてみたけど解らなかったので、知ってる方
居りましたら教えて下さい。お願いします。

146 :日本@名無史さん:03/05/01 21:31
「八雲立つ」は出雲の枕詞
意味は「雲がたくさん沸き立つ」といったところか
しかし「出雲」はそもそも当て字であり、「イヅモ」の語源は本来「雲」とは関係ないものだと言われる
とすれば枕詞も元々「八雲立つ」ではなく、古事記のヤマトタケル段にある「やつめさす」が原型かと

147 :にゃんちゅー:03/05/02 00:13
>>146
教えて頂き有難う御座います。
では、「やつめさす」には、
どんな意味が有るのですか?

148 :146:03/05/02 00:32
>>147
正確なところはわからないのだけど。
「イヅモ」の語源には多説あって、その中の一つが水野祐氏の「厳藻」説
出雲の地域には藻(水草・海草)を神聖視する習慣があって、そこから「イツモ」と呼ばれ、訛って「イヅモ→出雲」となったというもの
「やつめさす」は「多くの藻が生い茂っている」の意であるという

149 :にゃんちゅー:03/05/03 13:41
>>148
教えて頂き有難う御座います。
「雲」は「藻」ですか・・・
僕は、「雲」は「光(日の光)」の事じゃないかと思うんですけど。
多説有る中に「光(日の光)」と言う説は無いのですか?

150 :日本@名無史さん:03/05/07 14:08
>>130
今更だけど
安土桃山時代の出雲は18万石強で、ここより石高少ない国は多数ある。
田舎としては中クラスぐらいの感じ。石見は11万石程度で下位クラスの田舎だが、
銀山分のプラスアルファがあるので、最下位グループよりは少し上。
出雲の尼子の活躍も石高を考えれば納得できる。

151 :日本@名無史さん:03/05/17 21:29
出雲って、ウラジオストックから大陸人が渡ってきて、始まったんだよね

152 :日本@名無史さん:03/05/17 22:36
>>151
うらじおではない。ではどこ?

153 :山崎渉:03/05/22 03:08
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

154 :日本@名無史さん:03/05/23 20:54
裏塩

155 :日本@名無史さん:03/05/25 02:59
日向系も出雲系も、時代を異にして、
この楽浪の海中「日本列島」に渡ってきた。

156 :山崎渉:03/05/28 11:00
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

157 :日本@名無史さん:03/05/28 17:30

天皇家が自分の傍系を出雲国造として護りに就かせた

158 :日本@名無史さん:03/06/07 07:32
岩倉遺跡を観て、神話が事実を伝えていることを思い知らされました
まさに「八千鉾の神 だいこくさん」

159 :日本@名無史さん:03/06/07 09:04
出雲人は半島へ殖民して、新羅を建国したんだろ。
世界史板のスレでそういう説が議論されていた。
間違い無いだろう、この説は。

160 :日本@名無史さん:03/06/07 09:42
んなアホな

161 :日本@名無史さん:03/06/18 23:32
出雲から新羅王がでていますな。

162 :日本@名無史さん:03/07/03 00:50
金官も出雲出身なのか?

163 :日本@名無史さん:03/07/03 05:08
ガンダムのキャラクターデザイナー
安彦良和氏の「ナムジ」は大国主が主人公で
何らかの騎馬民族らしき勢力が出雲にいて大和に対抗した
という展開だった記憶が有る。

とすると例の騎馬民族学説というか、海から引き上げられた
仏像が894年一畑薬師という神社になったりすることもあるから
何らかの交流が大陸とは海流で行われたのかもしれないが
その辺りは時勢が微妙なので置いておいた方がいいだろう。
考古学上は騎馬民族学説のような大規模な事は考え難いらしい。

斐伊川沿いに始めの出雲国はあり其の後八重垣神社辺りに
本拠地を移した?その辺りバイトした時聞いた記憶が有る。

164 :荒神谷の騎士 ◆14B9dHaVM2 :03/07/03 23:40
出雲の神々の命を受け参上!!

まちBBSと心と宗教板より来ました。
こんなスレがあったんですね。

165 :日本@名無史さん:03/07/04 18:03
荒神谷の騎士さんとやら、えらい元気がいいな!!

ところでなんか話題ある??

166 :日本@名無史さん:03/07/12 04:57
国造の本当の祖先をしりたい

167 :山崎 渉:03/07/12 11:24

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

168 :日本@名無史さん:03/07/12 21:53
金官はヤマト系と想像。
出雲、高志は考古学的に辰韓との交易が盛んだと判明しているからね。
そっち系かと。

だから、「天孫族 対 出雲」なのさ〜。ナムジはDQN。

169 :山崎 渉:03/07/15 11:44

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

170 :日本@名無史さん:03/07/18 05:54
>>168
金官は倭人だとはおもうけど、
裏切って新羅と同盟しやがったのが‥

171 :日本@名無史さん:03/07/18 06:13
http://www.shitamachi.net/ranking/cgi05/ranklink/ranklink.cgi?id=05mercur

172 :日本@名無史さん:03/07/26 20:59
新羅がまぢに強くなり始めたのは、金官との連合後。

173 :日本@名無史さん:03/08/01 22:56
金官は神話では海から来たそうだが出雲なのか?

174 :v:03/08/01 22:57
◎無修正画像をご覧下さい◎無料パスワードをゲットすれば、もっと凄い画像とムービーがご覧頂けます◎
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175 :山崎 渉:03/08/02 01:03
(^^)

176 :日本@名無史さん:03/08/02 01:33
金官は大和(但し、東遷前の九州北部を中心とする勢力)、新羅は出雲系かな。
そこいらへんの事情は脱解が当初金官に行くも入れなかったという神話
が示しているのではないかと推量。

倭から鉄を求めて大きく二つの勢力が半島南部を目指していたと思われ。

177 :日本@名無史さん:03/08/02 07:42
>>146
>意味は「雲がたくさん沸き立つ」といったところか
kumo(クモ)→kuma(クマ)→kamo(カモ)、出雲には沸き立つ程ある。
誤解しないで欲しいが、原音はkom(コム)ではなく、kunu(狗奴)とみている。
そして、狗奴=国津と読んでる。(ウチナーグチでは国=kuninというらしい)
>>148
投馬国=出雲説マンセーじゃないが、「イヅモ」は「イヅマ」が怪しいと思ってる。
この場合の「ヅマ」は「爪先」のツマ。「吾妻=明(ア)妻」と同じ感覚で捉えた命名。

他、金官を出雲と関連させているのはさすが。
>>176
詳しくは書かないが、金はkin=kim=倭語kane=鉄。
ここから、出雲を連想できるものが多い、タタラカネ、タガネ、鉄剣の出土。

なるべく、隔離空想スレから出ないようにしていたが、昨日書いたネタがあったので
出張スマソ。<住所、ハン板 w


178 :日本@名無史さん:03/08/02 13:26
>>17 詳しいことは知らんがどっちも旧男爵家として
今も地元民から崇敬されているね。
明治時代に千家=大宮司 北島=小宮司ということになり、さらに
当主北島脩孝(ナガノリ)が政府から吉備津神社への転出を命じられ
怒って辞表を叩きつけ、独自に出雲教を創始したと聞いたな。

179 :日本@名無史さん:03/08/09 22:41
古代史の上では、日本で鉄製武器を使った勢力が最初の統一国家を建設したと考えられているが、しかしこのような鉄製品が日本で生産
され始めた5世紀を前後して、金官伽耶の王達の墓が金海から消えてしまう点が指摘されている。大きな戦いの記録も無いく、金官伽耶の
滅亡と、北九州地方、山陰地方(特に出雲を中心とした地方)への突然の製鉄技術の移入。何かぼんやりと大きな流れが見えてくる。
4世紀末、伽耶は百済と同盟して高句麗と戦っている。また洛東江流域では台頭する新羅による緊張感が諸国を支配していた。このような
状況で、5世紀には日本で須恵器と鉄が生産され始め、同時に金海では王たちの墓が消えてしまう。
韓半島南部の多くの地方で支配者達の墳墓が営まれ、伽耶の滅亡も明確な歴史的事実となっているのに、金海地域には、王墓と見られる
支配者層の墓群が確認されないのである。

【韓国学界の定説では、伽耶人の日本移住は組織的な大規模集団移住ではなく、個人的な移動であるとされている。】

180 :これは本当だ:03/08/10 01:16
伽耶人の日本移住は組織的な大規模集団移住だよ。
埼玉県北部、群馬県中西部は伽耶人の大規模集団開拓地だよ。
邑楽郡、幡羅郡(現大里郡)、甘楽郡等の地名があるし、
多古碑という、確固たる証拠がある。
埼玉県北部の中心都市の「ふかや」「くまがや」は
かや人が開いた土地から来た名前だ。

181 :日本@名無史さん:03/08/10 01:31
>>180
多古碑のなにが証拠になるんだ?
それから地名はこじつけともどうとでもなる。

182 :日本@名無史さん:03/08/10 01:39
新撰姓氏録中任那は9氏か10氏だな。ずいぶん少ないな。
それから、多古碑については
http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/ture/hituji.htm

183 :これは本当だ:03/08/10 02:42
>181
上記地名は、郡名の由来が朝廷の記録にも残っているんだよ。
当時、郡名の承認は朝廷の太政大臣の決済事項だからね。
同じく、多古碑の文面と符合する記録も残されている。
渡来人の入植の記録も残されているよ。
その記録により、羊は渡来人の中心人物とほぼ断定されている。

184 :日本@名無史さん:03/08/10 02:56
>>183
だから、>>182のURLよんだか?
「 羊大夫帰化人説もあるが、これは近代日本を支へた群馬県富岡地方の紡績産業・
養蚕業の姿を、古代に投影したものではないかと見ざるを得ない。群馬大学名誉教授・
尾崎喜左雄氏は<帰化人が多かったはずなのに吉井町付近にはそれを思はせる大き
な古墳がないのは不思議だ>と述べてゐる。吉井町から高崎市山名にかけて同時代
の上野三碑があり、これは全国的にも珍しいもので、古墳文化とは別の文化が栄えた
のかもしれない。あるいは羊神社のある安中市南部から富岡市北部にかけては、貫前
神社を始め、磯部、丹生、鷺宮などの物部氏ゆかりの地名が多いことを考慮すると、
「ひつじ」の名は物部氏の祖神の名である経津主(ふつぬし)の転であり、一部の物部氏
の零落した姿が羊太夫であるとも想像できるのだが、詳細はわからない。」

それから、記録にも残っているというのであれば、あとでみるから
どこに書いてあるのか( 内容までは要求しないが )書いてみなさい。

185 :これは本当だ :03/08/10 03:45
おいおい、少しは自分で調べろよ。
当時の公文書の記録と言えばわかるだろう。
また、町史やこの地方の歴史について書いた書物のほとんどに引用されている。
おまえの為に、文献をひっくり返す気にはなれないから、自分で探せよ。
少し探せばいくらでも出て来るよ。
それから上記183の説は支離滅裂で、まったく相手にされていないよ。
どうして帰化人説が明治以後の紡績産業の投影だか意味不明。
常識的な解説はここに書いてあるよ。
http://www.ne.jp/asahi/rekisi-neko/index/tago.html

186 :日本@名無史さん:03/08/10 03:50
>>185
自分で調べろはないだろ。
公文書と記録が分かっているのならあげればいいだけだろ。
記録があるでは話にならない。
どこにあるのかいう義務がある。

187 :日本@名無史さん:03/08/10 03:58
全部推測記事ではないか。どこに>>180にある「確たる証拠」になるんだよ。
しかも戸数300で仮にそれを前提とした場合でもどうしてそれが>>180
「伽耶人の日本移住は組織的な大規模集団移住だよ。」になるんだよ。


188 :日本@名無史さん:03/08/10 04:08
http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/ture/hituji.htm
にある地元の伝承よんでも 願望が先立った根拠が希薄な
話でしかない。


189 :これは本当だ:03/08/10 04:11
>186
おいおい、当時の朝廷の公文書と言えば「続日本紀」に決まっているだろう。
そんなことも知らないのかよ。
>187
当時の1戸が何人だかしっている?
それから、これは一例に過ぎず、埼玉県の西部から北部、
群馬県西部にかけて、同様の例がいくらでもあるよ。
1年ぐらい前にも、埼玉県深谷市(旧幡羅郡)で、
渡来系集団の郡役所が発掘されて話題になっている。

190 :日本@名無史さん:03/08/10 04:18
>>189
URL上でしか今は見れないが、
続日本記のどこに郡名の由来が書いてあるんだ?
すくなくともそんなことはURLからは読めないのだが
http://www.ne.jp/asahi/rekisi-neko/index/tago.html
「おそらく、甘楽郡の 「甘楽(から)」 も、韓国(からくに) や韓人(からひと) の 「韓(から)」 からつけられた地名だったのでしょう。」

これのことか?

191 :日本@名無史さん:03/08/10 04:21
「多胡碑がつくられた約半世紀のちの766年(天平神護2年) には、上野国の新羅人 ・ 子午足(こうまたり) など193名に 吉井連(よしいのむらじ) の姓が与えられたことが、続日本紀に記録されています。」
これのことなら
「羊 と 吉井連 がどのようにつながるのかは、よくわかっていませんが」
と先のURLにある通り。

192 :これは本当だ:03/08/10 04:21
>188 地元の伝承は根拠が希薄な話でしかない。
根拠が希薄どころか、まったくの作り話だとすぐわかるだろう。
そんなスーパーマンが居るわけないだろう。
これは渡来人とはまったく関係ない挿話だと、
常識的に考えればわかるだろう。


193 :日本@名無史さん:03/08/10 04:24
あのね。風土記みても渡来に関する伝承は別に隠してないんだよ。
伝承に尾ひれがついて誇大になるのはよくあること。
問題はどこにも渡来を思わせる記事などないこと。

194 :これは本当だ:03/08/10 04:32
>191
だから、それは一例なの。
そのこと以外にも、日本書紀には
渡来人のことが、満載されているんだよ。
例えば今の埼玉県入間郡の渡来系の開拓地のから、
年貢かいくら納められたとかね。
それから、当時の我が国における郡名が
どのような慣例にしたがってつけられていたか、よく調べてみなさいよ。


195 :日本@名無史さん:03/08/10 04:34
あらま、話かえるわけ?
>>190>>191
とせっかくだから答えてよ。

196 :これは本当だ:03/08/10 04:41
>193
だからね。これはずっと後代に作られた伝承なんだよ。
風土記に載るような古い話じゃないんだよ。
今しているのは6世紀の話、
○○大夫なんて呼び方が広まったのはずっと後代だろう。
多分、江戸時代だよ。


197 :日本@名無史さん:03/08/10 04:50
地元が伝えている伝承なんだよ。
その点忘れないように。

198 :これは本当だ:03/08/10 04:52
>195
おいおい、断定してないだけで、
充分、読み取れるだろう。
連姓が与えられると言うことはどうゆう事か、わかっているの?



199 :日本@名無史さん:03/08/10 04:55
>>198
だから続日本紀にどうかいてあるのよ。

200 :これは本当だ:03/08/10 04:59
>197
だからね、この話しが出来る1000年以上前の話しをしているんだよ。
おまえがすんでいるところの1300年前の伝承なんてある?

201 :日本@名無史さん:03/08/10 05:04
二つの話を併行して話すのか。
疲れるな。
地元が伝えているんだぞ。そもそも1000年以上前とするのはあなたの説ではないか。
かってに自説を前提にしてもらってもこまる。
それと、その伝承中には「八束脛」という古めかしい名前もありますな。

202 :日本@名無史さん:03/08/10 05:05
そろそろ寝ます。

203 :これは本当だ:03/08/10 05:05
>199
だから、自分で読めよ。
どうせ、俺がなにを書いても信じないだろうから、
そんな無駄なことはしたくないよ。
ここで、今までの俺言った事を自分で検証して見ろよ。
それから、集団移住はなっかたと言える根拠を示せよ。

204 :日本@名無史さん:03/08/10 05:07
「ある」というほうに立証責任があるとするのはネットでのお約束。
根拠示せなかったないし、希薄であったほうが悪い。

205 :これは本当だ:03/08/10 05:16
やれやれ、
小学生に相対性理論を説明するような徒労をしてしまったな。
今思うとばかばかしい。

206 :日本@名無史さん:03/08/10 05:22
>>205
自分の無能恥じろよ。

207 :これは本当だ:03/08/10 05:23
ネットでのお約束なんて、関係無いよ。
真実への探求心がおまえに少しでもあるなら、自分の足と頭を使えよ。
おれが知りたいのは信頼できる情報。
その意味で、おまえとのやり取りは不毛だったよ。

208 :日本@名無史さん:03/08/10 05:25
あげてみろよ。
証拠は自分で調べれば分かるでは話にならないんだよ。

書けばいいだけなんだぞ。

209 :これは本当だ:03/08/10 05:29
書いてるだろう。
おまえが信じてないだけだろう。
その前に、論点に対するおまえの見解を示せよ。

210 :日本@名無史さん:03/08/10 06:29
>>209
なんだ。上に書いてある以上のことはないのか?
ならわるいが信用性に足りません。


211 :これは本当だ:03/08/10 06:43
だから、そうゆうことが、続日本紀や町史に書いてあるといってるだろう。
それを信じないなら、
おまえが、自分の目で、確認するしかないだろうが。
それ意外に、おまえが納得できる方法はあるのかよ。
それに、おまえの見解を示せと言っているだろうが、
それを見て、議論する価値があるやつだとわかれば、
今から、文献をひっくり返して、書きこんでやるよ。



212 :山崎 渉:03/08/15 13:32
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

213 :日本@名無史さん:03/08/17 13:42
国造の本当の祖先をしりたい

214 :日本@名無史さん:03/08/18 01:01
天穂日命




ではなさそうだ

215 :日本@名無史さん:03/08/18 01:53
>太政大臣の決済事項だからね。
>年貢かいくら納められたとかね。

こおゆうアフォの相手は最初からしないことです。
時間の無駄です。

216 :日本@名無史さん:03/08/18 04:32
神秘は言い過ぎ。 どちらかと言うと血生臭い地域でしょ。 祭りごとがある所はそれが当たり前。

217 :日本@名無史さん:03/08/18 04:53
天穂日命以来歴代が判明している珍しい家

218 :日本@名無史さん:03/08/30 22:40
金官は倭人

219 :日本@名無史さん:03/08/30 22:47
出雲大社に近い日御碕神社の宮司・小野家にも
スサノオ以来の系図があるらしいね。

220 :日本@名無史さん:03/09/23 15:28
昔懐かしいスレだ

221 :日本@名無史さん:03/09/23 15:41
はいはい。

222 :日本@名無史さん:03/09/26 13:45
だいたいスサノオってだれよ?

223 :日本@名無史さん:03/09/26 18:51
スサノオはスサノオだ

224 :日本@名無史さん:03/09/26 21:41
きのこの仲間?

225 :日本@名無史さん:03/09/26 23:27
断じて、スガシカオではない!!

226 :日本@名無史さん:03/10/29 23:11
出雲王国のボス素戔鳴尊の本名が布都斯(ふつし)で九州に遠征し、天照大神様が
卑弥呼女王で、饒速日尊が北九州を統治して居たと言うのは本当か?

227 :日本@名無史さん:03/10/29 23:20
大和の三輪山の近くにも、出雲って町があるよね。これとの関連性は
考えられないのかな?

228 :日本@名無史さん:03/10/30 00:05
三輪山と出雲のつながりはかなり深そうだな

229 :日本@名無史さん:03/11/05 01:19
>>266は本当か?

230 :日本@名無史さん:03/11/05 20:14
現在出雲大社に八百万の神々がお集まり中です

231 :日本@名無史さん:03/11/18 00:58
まったくだ

232 :日本@名無史さん:03/11/18 01:30
神無月

233 :日本@名無史さん:03/12/05 06:43
出雲は鳥取あたりなのになぜ大和の王権がその神話を多く採用するなど
気を使ったのでしょうか。これを考えるといつも眠れません。

234 :日本@名無史さん:03/12/05 19:29
大和朝廷による日本列島制圧の過程で、出雲族は戦わずに降参したんじゃないの?


235 :日本@名無史さん:03/12/06 00:31
>233
大和朝廷は(自称)神武の王統と天照の血統の系譜だが、
それに先行した出雲国の神話をゆりかごにして勃興したアマ族の血を引いている。
天地開闢以来の史書を書くには、出雲の神話を持ち出さざるを得ない。
ローマの歴史をエーゲ文明とギリシャ文明抜きで書くわけには行かないだろう。

236 :233:03/12/06 05:54
>235ありがとうございます。

出雲族(仮称)の一部の、今で言う鳥取あたりから大和への
移動があったということなのでしょうか?
出雲の勢力が大和にまで達していたとも思えず混乱してしま
います。


237 :日本@名無史さん:03/12/06 07:18
古代も「工業団地」あった 小松・月津台地、新たに渡来人の「オンドル」
 小松市南部にある矢田野遺跡の古代の竪穴式住居跡で、大陸特有の床暖房施設「オンドル」の
遺構二基が十五日までに、県埋蔵文化財センターの調査で確認された。同遺跡のある月津台地の
額見町遺跡からは、既に同じ様式のオンドル状遺構が見つかっており、陶片や製鉄かすが多数出
土している同台地は渡来人たちの職住近接の「工業団地」だったと専門家はみている。
 月津台地は木場潟、今江潟干拓地、柴山潟に囲まれた小高い丘陵で、現在は住宅地やコマツ粟
津工場、日野車体工業本社・小松工場が立地する南部工業団地がある。
 矢田野遺跡で出土したオンドル状遺構は、竪穴式住居の壁ぎわのほぼ中央に石組みのかまどを
作り、壁に沿って煙道を粘土で形成、戸外に煙突を設けて住居内を温める構造となっている。県埋
蔵文化財センターによると、煙道の長さは三―四メートル、幅五十センチで、同市埋蔵文化財調査
室が調べた額見町遺跡の遺構と酷似しているという。
 月津台地の複数の遺跡からオンドル状遺構が発掘されたことで、七世紀前半の飛鳥時代に、同台
地には渡来人の製陶や製鉄の手工業集落が点在していたと同センターなどは考えている。
 小嶋芳孝県埋蔵文化財センター調査部長は「渡来人は自発的に来たか、政府の要請で入植した
かで、伝来の技法で陶器や鉄を作っていたのだろう」と説明する。望月精司小松市埋蔵文化財調査
室学芸員は「粘土や鉱物、薪(まき)にする樹木など豊富な資源のもとに立地したと考えられる。現代
に通じる、工業に適した立地性を持つ地域だ」と話している。
 オンドル 放射熱による床暖房の一種。中国や北朝鮮の民家では現在も使われている。床下に燃
焼気体を通すことで床の全体または一部を温める。中国式は寝台や腰掛けだけを温めるのに対し、
朝鮮半島式は床全体を温める。発掘されたオンドル状遺構は、中国式に近い。


238 :日本@名無史さん:03/12/06 07:19
風巻4号墳から出土の鏡を復元 「3世紀前後の中国製」−−清水町教委 /福井

 清水町教委はこのほど、同町風巻の古墳時代前期(3世紀中ごろ)の方墳「風巻4号墳」から
01年に出土した「神人龍虎画象鏡」の破砕鏡を復元したと発表した。1、2日に同町風巻の町立
郷土資料館で、他の副葬品などとともに展示。また、両日午後3時から同館で発掘状況や副葬
品の解説などがある。
 破砕鏡は、副葬品として故意に割られていたと考えられ、出土時は数百片に分かれていたが、
奈良県立橿原考古学研究所でクリーニングや樹脂をしみこませるなどの処置をし、うち20〜30
片をつなぎ合わせて復元した。
 鏡の直径は14・5センチで青銅製。時計回りに「□□作竟真大工 上有東王父西王母 長宜子
孫大吉兮」(□は不明)の七言の吉祥句を基調した銘文がある。古代中国の神話に登場する神
「東王父」「西王母」や、仙人がまたがった「青龍」「百虎」の文様が描かれている。また、縁の断
面が正三角形になっているのも特徴的という。
 これらのことから町教委は「鏡が2世紀末〜3世紀初めに中国作られたものであるとほぼ特定
できた」とし、同古墳の年代について、「鏡を副葬した古墳では北陸地方最古であり、最も古い畿
内的要素を持った古墳であると言える」としている。
 【樋口岳大】(毎日新聞)



239 :日本@名無史さん:03/12/06 13:37
>>233
出雲=島根県

240 :日本@名無史さん:03/12/08 17:35
>236
イギリス人と米国人の関係に近い
出雲の主要な部族でなく、近隣部族のひとつのアマ族(天族・・・対馬在住)が
九州に進出して倭人と呼ばれる部族国家群を作るとともに、出雲の国に挑んだ(ボストン茶会事件)。
鉄の入手を輸入に依存した出雲は負け、引っ越したわけでなく、武装解除させられた。
そのとき出雲王室は公家化され、出雲大社を建設し、「まつりごと」のみをするようになった。


241 :日本@名無史さん:03/12/28 09:05
風土記みても渡来に関する伝承は別に隠してない

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