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アイヌ語地名の北限は?

1 :RAZ:02/10/31 09:27 ID:HpYstn0v
茨城県北の「瓜連」までと言うがどうだろう?

我孫子の老人の話ではアビコはアイヌ語起源だとか・・・

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/31 09:37 ID:x/hFVUDn
南限だろ?

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/31 09:56 ID:+TLlQeL3
北限はカムチャツカ半島南部

4 :瓜連町民:02/10/31 10:15 ID:KeMMUUMR
「水戸」もアイヌ語で解釈した説があったな。どういうのだったか覚えてないが。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/31 11:40 ID:waas3FUX
江戸⇒みさき
四万十もそうだって聞いた。

6 :鯖チーニ:02/10/31 12:03 ID:mEvEp9ym
筑波山もツクバってのは、尖ったって意味になるらしい。
富士山のフジも絶えず火の出ている山みたいな意味があるという話を聞いたが・・・
もちろん仮説


7 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/31 12:40 ID:eEaZ1Mhc
その勢いで南アフリカの地名も説明できそうだ

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/31 15:39 ID:MeAqZHgV
>>1
樺太北端のガオト岬。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/01 15:32 ID:cEdemGmk
阿蘇

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/01 19:06 ID:XTnQ4fYJ
北海道アイヌの古老と樺太アイヌの古老は言葉が通じる?

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/01 19:19 ID:ll9Ls14B
いくらアイヌの生活に川が重要だったとはいっても、
「ペッ」と「ナイ」で終わる地名が多すぎませんか。
というか、全体的にボキャブラリーが少ない。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/01 20:40 ID:Oi5Bim0I
>10
通じないことは無いが難しいでしょう。かなり差があるし。
ていうか、今現在日常的な樺太アイヌ会話が出来る人間は居ないはずです。
>11
アイヌにとって川は重要な食料採集地であり、同時に交通路だったので
とにかく重要だったのです。
しかし地名のボキャブラリーが少ないという意見は禿胴。
よく、「北海道の地名を全てアイヌ語に戻してカタカナ表記すべき」などと
のたまう人間がいますが、それが実現されれば同名地名が頻出し、
郵政業務に多大な支障をきたすのは必至。


13 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/01 21:48 ID:LGRXUInm
>>6
富士の語源をアイヌ語の「フチ(火)」だとする説が、いまだにかなり広まって
いる。しかし、アイヌ語の「フチ」には、「おばあさん」という意味はあっても、
「火」などという意味はない。この説を唱えたのは、明治に北海道にいた宣教師
バチェラーであるが、このバチェラーこそ、知里真志保が真っ先に槍玉に挙げて
いる人物である。火を意味するアイヌ語は「アペ」であり、日高山脈南端の山ア
ポイ岳(←アペ・オイ 火のある所)などの地名がある。「エカシ(おじいさ
ん)」と並ぶ基本的なアイヌ語である「フチ」をなぜバチェラーは「火」の意味
にとったのか? 「アペフチカムイ(火のおばあさんの神)という神名の解釈を
誤ったのだろうとも言われている。
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/timei.htm


14 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/01 21:58 ID:Oi5Bim0I
富士は、マレー語の「プシ」美しい、が元だという説もある。

また「フジ」には坂道、急峻な斜面という意味があり、富士の山容を
しめした命名、という話もある。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/02 00:14 ID:PWyjidaL
>>14
「急峻」のイメージが違うのかもしれないが、
富士山には、例えば近くの南アルプスの山並みと比べて見ると
さほど鋭角的な稜線ではないよ。
どちらかと言えば「なだらか」とも言えるが・・・

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/02 04:03 ID:S3BjhQgQ
んで、このスレタイトルは北限で合ってるのか?
南限じゃないのか?

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/06 18:05 ID:q9J5c0He
保全

18 :RAZ :02/11/06 19:25 ID:HBawor3c
ごめんなさい、南限というべきでした。

でも、北も南も、調べてみると面白そうですよね。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/07 07:25 ID:2Uo39dY6
マガダンとかは?

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/09 23:45 ID:wb9MLwy8
カムチャツカ半島南部のウシキ(Usiki)湖もアイヌ語地名の北限かも。
アイヌのものとおぼしき遺跡も出土しているし。さらに北はどうだろうか?

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/10 22:44 ID:SqIhsMUd
 浅間山、阿蘇山はどちらも語源がアイヌ語と聞いたことがあるが、本当だろうか。
アサマとアソはなんとなく似ているが。
 
 三重県にも朝熊と書いてアサマ山が存在する。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/02 05:05 ID:3VAyxTpB
離れているところでバイカル湖なんてのがあったんば。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/02 10:20 ID:xC1HIRy0
アイヌ語paikar=春

24 :名無し野電車区:02/12/02 19:46 ID:2g0epHKo
四万十川はシ=マントルからきているとかなんとか

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/02 20:18 ID:qjormtBt
シ=マムト(甚だ・美しい)由来説をよく聞くが。

それよりこのスレは北限を探るんではなかったの?
今分かる限りでは、
カムチャツカ半島南部のウシキ湖一帯〜
樺太北部〜
沿海州のアムール河口域、で合ってるかな?

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/02 22:45 ID:C/cD0ib7
ロシア

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/03 00:25 ID:7v6YET2v
>>1を見ると、南限と間違えたように思う。

茨城が怒るど。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/03 00:35 ID:ne9NDRXR
25の人が真実に近いでしょう。
樺太アイヌと蝦夷(北海道アイヌ)はもともと同じなので、かなり違う単語
があっても意思疎通は可能であったでしょう。
そうでなければ北からの元の侵略を撃退できなかったはずです。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/03 00:52 ID:kC9xOWHY
サハリン北端の都市オハも確かアイヌ語だった気が。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/03 00:58 ID:ne9NDRXR
正解です。オハは廃村の意味です。
松浦武四郎の調査によると、樺太は全地名がアイヌ語由来なので
北蝦夷つまり樺太は日本領だとまっとうなことを述べています。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/03 02:01 ID:lg+VAU8m
>25,27
>>18でスレ立て本人がスレタイについて言及してます。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/04 03:10 ID:481yyG+9
武四郎樺太の北端まで行ってないでしょ。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/04 11:30 ID:DcrU2qpi
武四郎は北緯50度付近しか行ってないけど、現地人から聞いた調査だろう。
彼はアイヌの住んでいるところは日本領土と明確に述べており、ロシアも
当時アイヌの居住区域を日本の領土としていた。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/20 05:54 ID:Bynj2Frh
アイヌ語なのは千島からカムチャッカ方面で北端はカムチャッカの南部。
カラフトの北端はアイヌはあまり住んでなかったはず。

>>22>>23は語呂合わせとして
オハやガオト等アムール川方面それ以北はアイヌ語というよりもともとニブヒなど周辺民族が呼んでいた地名。
それだけ広い範囲の交易や土地に関する共通認識があったと言うべきでは?


35 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/25 17:21 ID:Eg4GSAIC
種子島に行った時、郷土資料館で、「アイヌ語の長いと言う言葉、タンネが
由来と言う説もある」と言っていました。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/25 20:09 ID:ZEMCzpj2
>>34
樺太北端までアイヌが住んでいたかは定かではないが、間宮海峡の
一番狭くなっている北緯52度付近のラッカ、ノテトはアイヌの
集落があった。
1808年6月間宮林蔵は国禁の鎖国を破り大陸に渡るが、
黒竜江河口にシルン・アイノ(島のアイヌ)キムン・アイノ(山中の
アイヌ)が部落をなしていることを報告している。
オホーツク村のスタロドゥプスコエ遺跡では、南サハリン新石器時代早期
の住居とカマド付きのアイヌの住居が確認されている。
(A.Aヴァシリフスキー『サハリン島の新石器文化』

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/25 23:58 ID:2gxDHf3Z
アイヌ語が縄文語ならいいな〜

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/26 19:21 ID:eD9eKvaZ
国立民族博物館では「縄文語」を推定し公開してますが、アイヌ語を
基に作られています。

39 :まじ:02/12/26 20:15 ID:XdFDeFtJ
長嶋はアイヌ。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/26 20:55 ID:3P55uFox
「ナンガツィマ・バ・アイヌ」てな感じだったっけか?

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 04:03 ID:mc/OrwS4
春日部ってアイヌ語で「歩いて渡れる川」っていう説を聞いたことがあるんだけど。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 04:07 ID:9X6MKBFt
春日部は春日部氏っていう豪族が支配してた土地なんだけど
その春日部氏はアイヌ系だったてことかね。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 04:26 ID:wzloMj7L
>>36
スタロドゥプスコエって栄浜のことだよ??
確かにあの辺にはアイヌの遺跡があるはず。
オホーツク村って何じゃ。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 04:32 ID:wzloMj7L
>>36
基本的なことだけど、アイヌ語でアイヌは「人」という意味。
シルンアイノは島の人の意味でカラフトアイヌのこと、
キムンアイノは「山住人」の意味で対岸のウデヘのこと。
これはアムール流域のツングース系民族の語彙と矛盾しない。
間宮林蔵は同義の民族でキャッカラ、ピオーを報告している。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 04:50 ID:UWVZRJsv
カラフトアイヌはサハリン北部にいた「山丹人」と敵対関係にあったから
普通に考えて北部にはアイヌ集落はなかったはず。

間宮林蔵の旅行記でもウショロあたりで
「是より北は悉く満洲付属の夷域」って書いてあるし
アイヌの案内役でさえ「これ以上北は危険だから同行出来ない」と引き返してる。

>>36
>北緯52度付近のラッカ、ノテトはアイヌの集落があった。

間宮の報告ではラッカとノテトにあったのはアイヌじゃなくてスメレンクルの集落じゃなかったっけ?


46 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 05:27 ID:UWVZRJsv
アイヌ語地名の北限と、アイヌの居住地の北限は違うという前提で、
アイヌ語地名の北限は「カムサスカ」では?

「イギリス」が日本語地名なのと同じ理屈だけど。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 05:29 ID:UWVZRJsv
イギリスは単に日本なまりだから例が悪かったっす。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 13:33 ID:4O6YoOcE
>>45
一般的に樺太北部がギリヤーク、中部がオロッコ、南部がアイヌとされるが、
時代により北樺太は異なる。
ギリヤークはもともとアムール下流にいた民族で樺太渡来は比較的新しい。
ノテト(アイヌ語で岬の意)にはアイヌ集落があった。
幕府が日露の国境線にしようとしたアイヌの北の主要集落ポロ・コタン(大きな
村)は北緯50度よりやや北であった。和名・幌渓、現在ロシア名・ピレオ。
あと、オトクツトウや北緯51度のドゥエもアイヌ語名。
ノテト、ラッカ、ナツコあたりにアイヌがいたはずだが、ギリヤークの進出で
南下したと思う。オハはあまりに自然状況が厳しかったのかまさに廃村という
意である。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 17:52 ID:qZoHfWb5
>>48
確かにノテトはアイヌ語です。
常々疑問なのですがオハが廃村ていう説はどこから来たのでしょうか。
アイヌ語で他に全くオハという地名は見当たらないし、
ツングース系の「悪所」という説のほうがしっくりきますが。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 17:57 ID:qZoHfWb5
>>44
シルンアイノはその通り「島の人」の意味でカラフトアイヌだけでなく
オロッコ、スメレンクルも指す言葉。

アイヌがカラフトアイヌを指す言葉は「エンチウ」。
間宮林蔵の旅行記ではノテトの集落の首長はニブヒ。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 18:00 ID:qZoHfWb5
ちなみにスメレンクル=ギリヤーク=ニブヒ
オロッコ=ウイルタ=オルグジ

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/28 04:43 ID:xTgrutfS
>>48
>ギリヤークはもともとアムール下流にいた民族で樺太渡来は比較的新しい。

これは初耳です。比較的新しいとはいつごろですか?

一般的にはオロッコ(ウイルタ)ギリヤーク(ニクブン)は10世紀の民族移動で南下したと考えられてますよね。
ギリヤークはいわゆるオホーツク文化の後裔との説もありますが、
それだと石器文化時代ですでに北海道沿岸まで下りて来ていた可能性があります。


53 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/28 05:15 ID:r6rY/1SH
http://digikei.kir.jp/

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/28 07:14 ID:vpKuCacf
樺太では大抵の集落に、アイヌ語とニヴフ語両方の呼称があったようです。
他民族の集落でもお互い自分の言語で勝手に呼んでたらしい(今はロシア
語使ってますが)。ユジノあたりもニヴフ語による呼称があります。
松浦や間宮はアイヌ人の案内に頼ったから、アイヌ語の呼称を多く採録
したんでしょう(間宮はニヴフ語呼称も少し記録してる)。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/28 09:42 ID:FsJKdHiw
相手のいちばん僻地の集落を「廃村」とか呼んでたんならお国自慢板状態だな。

56 :山崎渉:03/01/08 17:27 ID:QPcYI0vM
(^^)

57 ::03/02/01 03:38 ID:fWvDJyzx
あきる野

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/02/01 09:41 ID:IR80t53k
>>52
オホーツク文化は4世紀から13世紀です。たしかに北海道オホーツク
海沿岸にはアイヌではない人骨が出ています。数は少なくて一時的
滞在でしょうが。
樺太南端の新石器文化であるアニワ文化、およびBC6千年紀末から
5千年紀末の南サハリン文化の担い手は縄文人およびアイヌによる
ものとの指摘がロシア科学アカデミーにより発表されてます。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/02/02 16:38 ID:hlZbO0Kw
俺はパラオもそうだと思うんだけど。
太平洋の島々から縄文土器見つかってるし

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/24 11:55 ID:1rV7FrsL
樺太、北海道北部、千島で独立、アイヌ共和国の建国を!

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/24 12:42 ID:iPhL3/hC
国 号:アイヌモシリ共和国
公用語:アイヌ語道央方言
自治体:オタンネモシリ(樺太島とその属島)
    ルトムモシリ (千島列島)
    サマンペモシリ(北海道とその属島)
    ウシキモシリ (カムチャツカ半島南端部)
    ヤウンモシリ (本州北端・下北半島など)
首 都:ニプタニ(北海道二風谷村)

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/28 22:33 ID:zcuxGxV8
>61
何だ道央方言って?
しかも首都なのに
沙流方言が公用語に
ならないのはなぜ?

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/29 00:22 ID:+M0mTv2t
沙流流域がアイヌの都などと言って他の地域のアイヌが快く思うか。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/29 07:13 ID:NaHigWbj
群馬県の伊香保ってアイヌ語だった気がする。
別のサイトには伊良湖、牟婁、比婆、那須もアイヌ語源
だとあったが・・・

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/29 10:52 ID:f1RsfWN3
沙流川で思い出したが、アイヌの神話で
アイヌ民族発祥の地とされる場所というのは伝わっていますっけ?
たしか大雪山だったか・・・
北海道アイヌだから北海道発祥となるのかな。
千島アイヌには「出自は北海道、徐々に北上した」との伝承が残っていたというが。

66 :62:03/03/29 18:37 ID:dvCvRIPU
文化の源たるオイナカムイは天から下ったと伝えられる。
創世の際のコタンカラカムイの足取りは全道に散らばる。
後は各地の家系に源流に関する伝承が伝わる。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/05 20:50 ID:2eND/MiJ
稚内とサハリンの距離ってどのくらいですか?
アイヌが頻繁に往来や交流できる距離ですか


68 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/05 22:50 ID:S5jJ3LJA
およそ40kmです。冬季はアイヌのカヌーでは厳しかったけど、
頻繁に往来してました。清朝の官服であった蝦夷錦は満州〜
山丹人〜樺太アイヌ〜北海道アイヌを経て遠く京都まで運ばれた。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/05 23:26 ID:ZNmbqzo8
アイヌ民族の北限はカムチャツカ半島南部まででしたよね。
そこから北の先のイテリメン人や、あるいは東のアレウト人方面との交易は
あったとも聞きましたが、どんなだったのでしょうか?


70 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/06 02:34 ID:GLzSehvZ
五反田=コタンは強引だよね。

71 :あぼーん:03/04/06 02:42 ID:5t+QFUGy
   ______________
 /:\.____\
 |: ̄\(∩´∀`) \  <先生!こんなのがありました!
 |:在  |: ̄ ̄ U ̄:|
http://saitama.gasuki.com/aomori/

72 : :03/04/06 12:27 ID:9XuakInb
カムチャッカ半島=クルムセ(アイヌ語)
アイヌ人の居住地域は、我が国の領土である。
したがって、樺太も千島列島もカムチャッカ半島も我が国の領土だ!
大日本帝国の領土である。

73 :山崎渉:03/04/17 09:43 ID:atdrDVrp
(^^)

74 :山崎渉:03/04/20 04:52 ID:wPXt++G4
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/09 23:00 ID:zLY4orGr
http://www.yoshikawa-k.co.jp/shinkan0109.htm

千島アイヌとアメリカ大陸との接点があった?

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/09 23:23 ID:iK4yNl8v
>>72
アイヌ民族をほぼ絶滅させておいて(同化とも言うけど)、それを堂々と
言うのはどうにも気がひける…。
(これを見ているアイヌの方いるのかな?)

77 :山崎渉:03/05/21 22:14 ID:6jdbwySb
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

78 :カラフト・ハーン国:03/05/21 22:20 ID:bFOcLVfT
モンゴルと戦ったみたいだけど
征服されて国作ってもらったほうがよかったんじゃないの?
スラブの国家体制整ってなかった部族も進入により国家を持てたみたいだし。


79 :山崎渉:03/05/28 15:35 ID:kHw7bMKi
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/10 23:27 ID:AwkRuZ28
今も昔も、一般に日本人は朝鮮・中国・モンゴルなどに関心はあっても、
北方の諸民族(アイヌなど)については関心はおろか存在さえ知らぬ。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/11 00:08 ID:p1HaQh4c
>>78
ユーカリとかに、結構アイヌ人同士で遠征して殺し合っている記述がある
から、民族として団結するのはよっぽどのことがないと無理なんじゃない
のかなぁ。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/11 02:15 ID:2R3DnwNA
>>75
北千島アイヌはカムチャツカ半島南部にも住んでおり、
半島中部のイテリメン人と経済交流や通婚関係も盛んだった。
さらにはアリューシャン列島のウナンガン(アレウト)人との
交易・文化交流もあったものと考えられているそうな。
(籠を編む「テンキ草のコイル編み」技法の共通、
 北海道アイヌと異なる海獣猟主体の生業+衣食住、
 夫婦両族同居の大家族制=アラスカに多く分布、などなど)

けど、千島アイヌの社会についてはほとんど調査されずに終わって
しまい、今となっては出土品に頼るしかないのよね・・・鬱

83 :無料動画直リン:03/06/11 02:20 ID:/IphUPvQ
http://homepage.mac.com/norika27/

84 :トルコ:03/06/11 22:23 ID:vWUvJ/Sa
78に同意
征服されて国持ったほうが良かったはず
戦えばいいというもんでもない


85 :_:03/06/11 22:37 ID:gymxfrkX
http://homepage.mac.com/hiroyuki44/jaz04.html

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/12 00:30 ID:MN71hNhs
>>84
樺太アイヌ(北海道アイヌの支援もあったはず)の果敢な戦いがなかった
ら元が北から日本制圧を行道に移ったたのは確実。

87 :トルコ:03/06/12 00:55 ID:vd+zXT5Q
日本にとってはでなく
アイヌにとってはという意味よ
最近になるまで国家も文字ももてなかったのは惨め過ぎるからさ

88 :トルコ:03/06/12 01:32 ID:vd+zXT5Q
万年属国の朝鮮人も惨めだが
それでも国を持ってるだけイイと思うよ
作封体制で属国といってもね
征服というのは悪いことばかりじゃないしな
フランスだってローマの侵攻によって文明化されたわけだし


89 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/12 05:17 ID:FeBXNRAe
>>87
アムールから北と東には「無文字文化圏」とでもいうようなものが
広がっていたんじゃないでしょうか。そしてそこには行政組織が
なかった。ある時期にはそのほうが有利だったんじゃないかな。
たまたま、ここ二、三百年は国家や文字があるほうが便利なだけで。


90 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/12 12:16 ID:vSriIoHR
>>82

アメリカ大陸って意外と近いじゃないか、と思えてきたよ。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/09 05:48 ID:mTIajt+W
>>81
ユーカリじゃあないでしょ。コアラじゃあるまいし。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 23:19 ID:+OP9ZrL+
次どうぞ

93 :ゴルビー皿うどん:03/08/30 04:00 ID:JzDfJFsE
兵庫県北部に蛍の名所で「米地」(めじ)という地名がありますが、これはアイヌ語のpetとは何か関連あったりしないでしょうか?


94 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/06 21:08 ID:RK0KaOTZ
日本語での由来はわからんのですか。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/11 14:36 ID:twnTAkSP
あげ

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/02 13:01 ID:5BmYMHPc
アイヌ語併記の地名表示板が登場/旭川
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news02.asp?kiji=5983

地名や川の名前などの語源になっているアイヌ語をもっと身近に感じてもらおうと、
旭川市内の2カ所にアイヌ語を併記した地名表示板が登場した
市のアイヌ文化振興基本計画の一環で、市教委は今後も10カ所ほどに設置を予定している。

同市緑町の近文(チカブミ)小学校の校門近くには
「チカプニ Cikap(鳥)−un(いる)−i(所) 近文」、

忠別川に近い神楽岡公園には
「チゥペッ Ciw(波)−pet(川) 忠別川」

と書かれた掲示板が立てられた。

それぞれ、「大きな鳥がいたという伝承があり、そこから石狩川右岸は広くチカプニと呼ばれるようになった」
「波立つ川、急流の意味」など、アイヌ語の意味や由来も書かれている。

市教委は「二つの公用語を持つ国の看板をイメージした。
特に子どもたちが、アイヌ語に関心を持つきっかけになれば」としている。

写真http://mytown.asahi.com/hokkaido/images/pic1_5983_247.jpg

97 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

98 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/30 00:34 ID:Fnn28qHW
大学の卒論で、「アイヌ語地名の南限」をテーマにしてみた。自分が日本全国の
地名を調べたところ、北海道のアイヌ語地名と類似した地名が、数は少ないが西
日本や沖縄にまで存在していることが分かった。
たとえば、「ピナイ」という地名です。北海道では、札比内(さっぴない)、ポ
ロピナイ、檜内沢(ひないさわ)など多数あります。これはアイヌ語で、pi.nay
(小石・川)あるいはpin.nay(えぐれた・川)の意味らしいです(山田秀三
氏の「アイヌ語地名の研究」より)。本州でも東北痴呆を中心に点在してます。
有名なのが秋田県の「比内」ですが、岩手にも点在してます。これより南では、
三重県藤原町の「日内」(ひない)があります。この近くに「石川」という地名
がありますし、地形がアイヌ語で解釈しうる形となっています。さらに沖縄県の
与那国島の「髭川」(ぴない)ですが、なんと「川」を「ナイ」と読んでいます。
「ナイ」はアイヌ語では「川」を意味しますが、単なる偶然でしょうか。こういう
例は他にもありますが、きりがないのでこのあたりでやめときます。
今後のアイヌ語地名研究で問題となるのは、今述べたことのように、東北以南での
アイヌ語地名存在の証明でしょう。早急に結論がでる問題ではないので、こつこつ
と研究を重ねていく必要があります。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 19:11 ID:y/EWH3fD
>>11-12
アイヌ語地名は生活に密着した状況説明的地名なので仕方無いのだと思います。
早い話が「栗林」「蓬沢」「鱒の渕」なのです。
それと生活の中心からみた「手前の川」「奥の川」とか。

また>>12氏が曰う如く、郵政業務の根源となる様な統一権力なぞ無かったからそれで問題無かったのです。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/09 01:34 ID:gB2dg8FI
age

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/09 01:38 ID:pAEtbkpN
別府や阿蘇はアイヌ語起源だと聞いたが

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/09 06:17 ID:gXCHBpB/
エドが「岬」と言う意味、
と読んだけど、そうなの?


104 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/12 15:34 ID:gkPHDwqM
エトゥなら岬の意もある

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/13 13:47 ID:EpjfSPF0
登呂遺跡のトロもアイヌ語源だと聞いた

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/15 07:53 ID:cL/IXPsV
谷を(ya)と読ます地名はアイヌ語からくるって
何かの本で読んだ事ある。西に行くにつれて(tani)
と発音する地名が増えてくるとか。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/15 17:02 ID:nJMtfIHr
>>1我孫子は百済語起源です。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/15 17:51 ID:13ydXfcj
四国の四万十川がシ・マルトというアイヌ語起源とか。
やはり北限は樺太のオハ(廃村)でしょう。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/16 19:51 ID:Ng6VgJuA
>>108
オハがアイヌ語って右翼系の人達が良く引き合いに出すけど誰の説なんだ?

北海道にもオハって地名がありそうだけど無いのはなんで?

110 :ぴー:04/01/16 21:08 ID:VCihJ17X
島根に、十六島(うっぷるい)ってとこがある。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/07 00:21 ID:IxR52auM
>>104
etuはもともと「鼻」の意味で、「岬」の意味にも使われるようになった
ようです。
三重県尾鷲市に「江戸鼻」という小さな岬がありますが、これと関係あるか?

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/07 00:31 ID:IxR52auM
>>108
アイヌ語で、「廃村」を意味する言葉に、「オハ」というのは存在しません。
tu.kotan(廃・村)と発音します。
>>109
少なくとも「北海道アイヌ語」ではないと思います。というか、そもそも
アイヌ語でないから、北海道に無かったと思われます。

113 :111=112:04/02/07 01:31 ID:IxR52auM
>>110
「打ち振るう」という意味らしいことを、どっかの本で読んだことがある。
「十六島」の東方に、恵曇(えども)という地名があるが、アイヌ語かも
知れないという説がある。この地名は、アイヌ語地名研究で名高い金田一
京助氏や山田秀三氏も注目している。北海道の室蘭にも、絵鞆(えども)
というよく似た地名がある。これはenrum(岬)の訛りから来たらしい。
地形も発音も良く似ているが、近くにアイヌ語風な地名がほとんどない
ことから、証明は困難のようです。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/07 01:56 ID:bDYukiht
北樺太・北緯52度あたりのノテト(岬)が北限では・・・。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/07 04:39 ID:moFbXxNJ
>>112
「おは」は「空になる」だな

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/20 04:54 ID:hexR7fpQ
スレがないので一言。
東北線では瓦屋根の北限は(民家の場合)一ノ関付近でした。
羽越線では、山形県まで瓦屋根の民家がありました。
そこを境に、がらっと屋根がカラフルになりました。

ちなみに、函館、大館、館山、下館、いわゆる館の地名は”館”あったところでしょうか?
館はアイヌ勢力に対する備えだと聞いた事がありますが、
だとすると関東までアイヌ勢力は来ていたのでしょうか・・・、まさか・・。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/21 01:13 ID:k91N5X57
館はアイヌ勢力に対する備えだと!

118 :116:04/02/21 14:20 ID:1DA3mLml
>>117
タテは城のようなものだとも、聞いてはいますが。
志海苔館のような地名も函館近郊にはあるし、あのへんでは
アイヌ勢力に対するものだとも学生時代に習いましたが・・、違った?


119 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/27 18:49 ID:vzPONSHD
サハリンやベーリング海に思いを馳せれるこのスレサイコー

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 16:13 ID:kbUAma34
樺太ノテト岬対岸の沿海州キジ湖北方のカマオタ(kama ohta 海あるいは湖を渡る場所)
kama 〜を跨ぐ、越える  ohta(北海道アイヌ語方言では otta )〜で、〜する場所

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 16:56 ID:kbUAma34
カムチャッカ半島西岸ゴルギアナ川北方の北緯52度強のオパラ川(o-para河口の広がってる川)o 河口 para幅広い
あるいは、イチャ川(産卵穴のある川 場所はオパラ川より北、もしかしたらこれが最北カムチャッカ川付近らしいが
詳細不明)ican 鮭鱒の産卵穴
以上ロシア最初のカムチャッカ到達者アトラーソフの記録にあり。『北千島アイヌ語(吉川弘文館)』村山七郎

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 17:24 ID:kbUAma34
カマオタはあるいは単純に(kama ota 海を渡る海岸)
kama 〜を跨ぐ、越える  ota 砂、海岸の解釈もあるかも。
イチャ川は現在の地図ではカムチャッカ半島西岸で北緯55度強。
オパラ川、イチャ川間はほぼ平坦でオパラ川クリル湖近辺のアイヌが
鮭鱒の漁期に出向いた可能性はあると思います。但しイテリメンとの
闘争伝説もあるので内耳土器や先頭離脱銛(キテ)でも出土すれば、
定住の可能性も考えられます。
ロシア人到達まではアイヌの方が本土からいろんな物資を入手できた点で
優位に立っていたと思われますので。




123 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/04 21:38 ID:WH6fH+/K
アムール川河口付近のウリチ族にはアイヌを出自とするクイサリ氏族
(kui sari  kui アイヌ sari<san-i 〜の子孫)がいます。1930年代
までは蝦夷刀の鍔を帯飾りにした民族衣装が伝来してました。
千島アイヌに見られるような広範囲な交易活動を考えるとアムール川右岸
のみならず、かつてのアムールニブヒの居住地であったと考えられる現在の
シャンタル諸島沿岸にももしかしたらあるかも知れません。スタノボイ山脈を
越えて樺太にやって来たキーレン(北方ツングースのエベンキ族 ピウスツキ
採録の樺太アイヌのウチャシクマにキーレンに関する民話があり)の移動経路を
考えると、この辺りもアムール川と並んで主要な交通路になっていたのでは?


124 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 11:49 ID:MnCmKvid
ひと口にアイヌ語地名って言うけど、
東北からカムチャッカまでなんてすごい距離だよ。
カムチャッカ南端は千島アイヌの中でもほんとのほんとに北の端のグループ。

勿論それ以上に行き来はあったと思うけど、
徒歩民族の生活圏としては南は東北、
北はカラフトあたりまでが限界と考えるのが自然だろう。

123がほんとにアイヌだとしたら
ほんとの少数派のそのまた例外みたいな例だろうね。
舟で移動してたと思うからそういうグループがいても不思議ではないが。



125 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 14:33 ID:CNXVK/v/
千島アイヌはシュムシュ島パラムシル島オンネコタン島を本拠地とするアイヌで、
エトロフ島以南の南千島在住のアイヌは言語学的に北海道アイヌの亜種のよう
です。北方民族の活動領域は我々の考える以上に広域です。オンネコタン島から
直接厚岸までkaya(帆)を備えた準構造船で交易に来た例もありますからね。
マガダン近辺で宋銭が出土したり、知床、奥尻島(?)では大陸製の銀製品が
出土したりとか先入観による過少評価は禁物かも知れません。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 17:55 ID:kxxngi2y
「亜種」って…言語学では使わない用語ですけどね。
確かに、いわゆる「ラソワ人」以北は「北千島方言」地域
で文化・政治的にも「南千島」とはだいぶ違っていたので
しょうね。因みに>>124の「徒歩民族」ってのも聞いた事
のない言い方ですね。アイヌ人の行動範囲は非常に広かった
と考えられています。東北のアイヌ人がカムチャツカまで
行っていたという意味ではありませんが。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 21:14 ID:CNXVK/v/
南千島の言語資料は北海道開拓記念館民族調査報告書等にわずかにあるだけで
詳しいことはわかりません。ただ、浅井亨氏の方言分類やイナウシロシ、itokpa
などの民俗資料でそう考えられてるわけです。本当に斜里や根室(加賀屋文書)を
含む道東方言のバリアント(亜種)なのかあるいは宗谷方言やタライカ方言のように
独立の集団を構成するのか今となってはわかりません。
その点樺太に関しては墓標(kuwa)の類型や方言類型で亜庭湾周辺、西海岸、東海岸、
北部(樫保以北タライカ、散江半島を含む)のような地域集団があったようです。
ちなみに千島アイヌが文化的には別として政治的にエトロフ以南と異なるというのは
ロシア人到達以降の事と思われます。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/12 21:31 ID:5aKnMpbv
オハがオハコタンに由来するとの説に関して、前の方でそういう地名は無く
付会に過ぎないとの見解がありますが、@オハコタン(oha kotan  oha空 
kotan村)は鈴木重尚『甲寅唐太日記』、松浦武四郎『北蝦夷余話』によれば
樺太栄浜郡内に箱田(オハコタン)、また名好郡名好村内にもあり。Aまた
ノテト以北の間宮海峡最狭部付近のワゲ(wa-ke wa渡渉 ke所)、ワカセイ
(wa-kasu-i wa渡渉 kasu過ぎる i場所 よく渡る場所) 『北蝦夷図説』が
アイヌ語の地名と考えられること。Bさらにアムールニブフ出身のタクサーミ
博士の著書КТО ВЫ айны?の中では北樺太のノグリキやアレクサンドロフ
サハリンスキー在住のニブフから聞いた話として昔はアイヌがこの付近にも
いたとの記述。C現在樺太アイヌとアムールニブフとの間に楔のように居住
しているウィルタの樺太到来はそれ程古くはないと考えられる点(ウィルタ語は
北のワール川方言と南のタラン川流域の方言との分化が近隣のニブフ語やアイヌ語
と比較して大きくはない)からすれば、もちろんアムールニブフとの混住でしょうが
アイヌ語地名の可能性はすて切れないと思われます。



129 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/17 01:15 ID:BsiZTokx
>>1の言おうとしているのは、アイヌ語地名の南限のことでは?

130 :126:04/03/17 05:01 ID:Qe9unjEj
>>128
(1)「オハコタン」ならアイヌ語地名だが、「オハ」だけの例は無いはず。
さらにワゲ、ワカスイのアイヌ語解釈はおかしい。百歩譲って当時の
アイヌ人がそう考えていたとしても整合性はない。
(2)タクサミ氏と同じくらい私も知っているが、彼の聞いた「東海岸北部
のアイヌ人」は20世紀の話だし、現地情報からだけなら、西海岸に間宮
林蔵の記述以上の居住可能性はない。
と、まあ批判は(2ちゃんだし)このへんにして。樺太北部の地名について、
言語学的に精緻な研究は全くない。そこの「アイヌ語地名」とくると
なおさらだ。北海道における「オホーツク文化圏の非アイヌ語地名研究」
なみの雲を掴むような話なんだな、これが。夢のない話でごめん。
「関東のアイヌ語地名」程度の可能性はあるだろうと思うけどね。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/17 10:46 ID:/1zE1Ag5
>>130
ワゲ、ワカスイのアイヌ語解釈はどうおかしいの?
何とどう整合性がないの?
タクサミ氏と同じくらい私も知っているとは??
間宮林蔵による居住記述はアイヌが清朝支配下の
山丹人に交易上の負債を負ったり、オロッコが攻撃
した後の居住範囲が狭くなった後の記述じゃないの?





132 :126:04/03/17 13:42 ID:jyLPJE0U
>>131
wa-keと解釈するならwaは名詞「岸」で地形を表わす普通名詞。
「地名」ではなかろう。またwa-kasu-iは「ワカセイ」のkaseを
勝手にkasuと解釈しているが、その根拠がない。北海道ではアイヌ
語だという前提があるから多少の語形の違いは無視する慣例があるが、
他地域でそれはちょっとまずい。ちなみにその場合でも解は「岸」
とすべき。要するに「地名」の基準とアイヌ語解がどちらも不十分だ
といいたかったのです。

133 :126:04/03/17 14:10 ID:jyLPJE0U
>>131
「同じくらい」というのはまさにそのまま文字通りです。
同じソースにあたったというだけ。
つぎ、間宮以前については、確かにアイヌ人がより北方にも
居住していた可能性があります。例えば「シルンアイヌ」は
ニヴフ化したアイヌ人だった可能性がある。間宮が行った頃に
まだその記憶(婚姻関係)が残っていたのかもしれません。
間宮の記述からアイヌ人の居住域(混住域)がかつて広かった
ことを読み取るのは当然でしょう。
でも、それ以上の居住を伺わせる情報は現在では得られない。
以下は余談ですが、それ以前は二ヴフ人の居住域がもっと南下
していた可能性があります。「タラン」「−ポ」地名の分布は
サハリンに特徴的な地名ですが、それこそニヴフ語っぽい。
「−ポ」は北海道のオホーツク文化地域にも見られます。この
文化の担い手が二ヴフ人だという説がある。そう考えるとアイヌ人
のサハリン北部への進出が極めて限定的だった可能性が高いと思
います。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/18 01:00 ID:V9/kUwAq
茨城県水戸市「木葉下」町なんか絶対そうでしょ?
「アボッケ」と読みます。

135 :ウエネウサラ会員TH:04/03/18 10:56 ID:yuPqk6yC
126こと中川先生
恐らく田村辞典知里辞典の「名詞」のみにとらわれてそのあとの
「名詞的語根」について深く考察されたことがないのでは?
waは本来wakka 水、wa渡渉、 wawa 渡渉、wor 水、watara海中の岩?など
名詞や動詞の語根としての機能を果たしている可能性があると思われる。
すなわち名詞、動詞の価値中立的語根として。アイヌ語においてwで始まる語が
少なくwenを除いて殆んどが水に関する語であることがこの考えを強くする。
たとえば田村論文でも語根?重複形は意味を強めるとしか解釈されて来なかったが、
むしろ(価値中立的)語根の重複は、より動詞的性質を取得させる性質を有すると
考えるべきなのでは?知里以後語根分析が等閑にされて来たきらいがある。
明確にアイヌ語地名圏の東海岸南部の輪荒や長浜郡の和愛湖(ワワイト)などのwaは
この種のwaではなかろうか?
また、傍証としてノテト近辺は樺太アイヌが大陸に赴く際のルート上であり、
自ら目印に名付ける可能性が高く、国会図書館蔵窮北日誌p103和牙ワゲは
岬頂(岬の先端?)の地名としており、渡海点と解するには地形的に問題ないと
思われる。
ワカセイに関してはkasuであるかは疑問なしとはしない。kasuの伝来の誤りか
あるいは積年の慣用と見たが他に成案はない。
ただ、上記地名に関してニブフ語アムール方言で解釈できるのなら、固執するつもりは
ない。waは指摘したようにアイヌ語においてwで始まる語が少なく解釈における恣意性が
比較的少ないと思われるので、例外的にそう解した。


136 :ウエネウサラ会員TH:04/03/18 10:58 ID:yuPqk6yC
敷香郡の多蘭タランはサハリン東南部方言の存在を考えると古くからポロナイ川流域に
ニブフが居住していた可能性が高くニブフ語の可能性は考えられる。ただ、北知床半島や
北緯50度線付近のウエンナイ(村松川遠内川、ウエンコタン)は純然たるアイヌ語地名
であり、西海岸と比較して自然的障害がないのに北知床半島や散江付近を迂回して
ポロナイ川下流域にニブフが存在するのは、すなわちタライカ付近で樺太アイヌを分断
する形なのはニブフの後世の拡大によるものでは?タライカ方言が他の樺太方言の改新
から取り残され独自性を有するのも、もしかしたらニブフによる分断が原因かも。
オホーツク文化人イコールニブフというのも可能性の一つに過ぎず、むしろ短頭型の
樺太アイヌの逆流の可能性もありえる。もしオホーツク文化人イコールニブフなら
オホーツク文化の遺跡が南樺太より本来の居住地である北樺太やアムール河口に
より多く分布していなくてはならないはず。オロチの基層にニブフがあるとするなら
ニブフ北上説は採りがたい。擦文文化人の動物崇拝の受容はオホーツク文化人イコール
ニブフと考えるより樺太アイヌと考える方が精神的葛藤がないのでは。今のところ北海道
オホーツク海沿岸にアイヌ語的解釈を困難にする地名が少ないのもこれを補強するのでは。


137 :ウエネウサラ会員TH:04/03/18 11:09 ID:yuPqk6yC
追加 鮭鱒海獣の猟に大きなウエイト持っていたニブフが北知床付近を避けて相対的に
不利な内陸に居住してるのがどうも解せない。

138 :ウエネウサラ会員TH:04/03/18 17:28 ID:yuPqk6yC
尊敬する山田先生が結論を保留されていた北海道の輪西もこの種のwaなのかもしれない。

北海道のオホーツク文化地域に見られる「−ポ」とは具体的に何処なのか教えて頂きたい。
家にあるニブフ語ロシア語辞典で調べてみたいと思います。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/20 09:24 ID:GRrXVZ+l
蝦夷アイヌ説が氏郷記、津軽藩文書、南部藩雑書やアイヌ語地名の存在にもかかわらず慎重なのに
比較して、オホーツク文化人ニブフ説、果ては韓国語ニブフ基層説(金芳漢)まであったりするのは
何とも不可思議な現象です。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/21 14:55 ID:rQ4I9F50
ウィルタ語では多蘭川はNaiputu n∂∂ni (Naiputu多蘭n∂∂ni川、河口) 
Naiputu<nay川―putu河口 アイヌ語
多来加川はkuuji n∂∂ni ( kuujiアイヌ)池上二良 ウィルタ語辞典 
またNaiputuは氏族名(Naiputun neeni)ともなってます。
Naiputun neeniは南樺太で一番古いショークト(Sθθktθ)氏族の一支流であり、
そのショークト氏族の一つがアイヌ語地名を自らの氏族名としているのは、
いかにアイヌが古くからタライカ付近に居住していたかを物語るものと言えます。
そうなると藤山ハルさんがucaskumaの中でRayciska kotanを禁忌のために
Tara-kotanと呼んでいたように、やはり多蘭はアイヌ語のtara -(an)-kotanに由来
する可能性の方が大きいのかも。


141 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/21 19:16 ID:rLK88UEE
>いくらアイヌの生活に川が重要だったとはいっても、
>「ペッ」と「ナイ」で終わる地名が多すぎませんか。
>というか、全体的にボキャブラリーが少ない。

文字もなかったしな。西洋の国だってボキャブラリー少ないよ。
日本が多すぎるだけ。


142 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/21 19:19 ID:rLK88UEE
関東の地名もボキャブラリー少ないよ。
狛江とか高麗とか駒沢とかさ。www

利根川はアイヌ語の長いという(タンネ)がなまったものらしいね。
確かに長いけど。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/21 19:21 ID:rLK88UEE
たしかに四万十川って四国なのに
なんとなく北海道の地名みたいだよな。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/26 20:44 ID:V1FM6OYC
松田傳十郎は西海岸のポロコタンでシルンウタレに出会い彼らの居住地は北方の
モシリヤ方面であるとの情報を得ているが、このシルンウタレ(シルンウタレまたは
シルングル松田傳十郎「北夷談」、シルンアイノ間宮林蔵「北蝦夷図説」)に関して
北大の池上二良教授は北方文化研究の中でrをtに発音するアイヌ語集団すなわち
北部のタライカ方言の話者ではとの見解を示しています。この見解に従えば、地名
のみならず実際のアイヌの居住範囲が樺太西海岸のかなり北まで伸びていた事に
なります。
オホーツク文化人樺太アイヌ説に関して、明初14C末の苦兀について開原新志に
ミイラ作成を思わせる『親死刳腸胃曝乾』との記述や遼東志にも同じ趣旨の記述が
あり、間宮も樺太アイヌのミイラ作成に関する記述を残しています。
仮にオホーツク文化の獣骨の屋内集積、動物彫像の作成、偶像化の延長上に、もし
ミイラ作成があるとするなら、時間的には多少の間隔はあるが、繋がる可能性がない
とは言い切れない事にもなります。


145 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/11 21:18 ID:Aj3Ebj4g
オホーツク文化の地名まだ?

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/23 18:59 ID:Uky4/b3d
>>116
遅レスですが、下館は平将門の乱の時藤原秀郷が上館中館下館の三館を築いたことに
由来しています

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/04 10:42 ID:x8uRfZ1b
あげ

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/04 13:44 ID:yXQRt25s
札幌  

アイヌ語で「サツポヌツベ〜曲がりくねった川のある草原〜」を意味する。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/16 16:59 ID:2qXpK/iF

実況スレ

NHKアーカイブス ◆ 森と老人 チロンヌップの詩
http://live10.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1084692109/

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/16 22:53 ID:38mbDGja

実況スレ

NHKアーカイブス ◆ 森と老人 チロンヌップの詩
http://live10.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1084692109/

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