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流動的言語観を知らない奴は馬鹿

1 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/02 19:39
その前に、流転的言語観って知ってる?

何か新しい説でも最近でたの?

これ知らない奴は馬鹿w

16 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/02 20:36
●418●野矢茂樹『同一性・変化・時間』(哲学書房:2002.9.15)

 人物の同一性(identity)ってなんだろう、と野矢さんはまず考えた。この「人
物」が「私」の場合と「他人」の場合とでは、問題の意味、存在論的意味とでも言
えるものが違ってくるのだろうけれども、野矢さんは、「私」という語はそれを発
言した人物を指示するのだと割り切る。(このあたり、野矢さんは永井均さんのこ
とを気にしながら議論を進めていて、232頁と252頁に永井さんの名が二度出てくる。
)そして、この「人物」をたとえば「船」に置き換えたとしても変わらない、問題
の「構造」そのものを問題にする。つまり、なぜ同じものが同じものでありながら
「変化する」と言われるのだろう、質的な同一性ではなく数的な同一性(numerical
identity)を考えるかぎり、同一性の概念と変化の概念は折り合わないんじゃない


17 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/02 20:36
 だから、野矢さんが書いている「存在論が異なるならば、その言葉は異なる」(
流転的言語観)とか「言語がなければ同一性はない」「同一性がなければ変化はな
い」したがって「言語がなければ時間は流れない」等々の命題は、それだけを取り
あげて云々してみたところでどうしようもないのであって、ましてやそれを同一性
と変化と時間をめぐる野矢さんの哲学的思考の結論だなどと了解してしまうと、本
書が世に出たことの意味のおおかたが打ち消されてしまう。語りえないもの、ある
いは語りきれないもの(変化)については、沈黙するのではなくて語り続けること、
いや実況中継しつづけること。それこそがまた、一回性をもった出来事に対する、
つまりは歴史に対する態度でなければならないのだと思う。

 いま、「語りきれないものは、語り続けねばならない」と書いたのは、同じ哲学
書房から出ている野矢さんの『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』を
念頭においたもので、この「二○○二年春、ついにウィトゲンシュタインが理解さ
れた」というとんでもない謳い文句でもって世に出された本は、「最近出た哲学者
の中ではピカイチ」の野矢さんの代表作になるのではないか。(さっそく買ってこ
なければ。)

 それにしてもこの本は、ずいぶんとたくさんの人々の思考や書物にリンクが張ら
れている。ウィトゲンシュタインや永井均をはじめ、大森荘蔵、田島正樹(『スピ
ノザという暗号』)、信原幸弘といった面々、それから第T部が第二回養老孟司シ
ンポジウムでの発表と討議の記録であることから、このシンポジウムに関係した面
々、とりわけ「差異と同一性」の章をもつ養老さんの『人間科学』、それから養老
さんからの連想もあって保坂和志さん、その他言及された数人の哲学者たち。

18 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/02 20:37
>>1
検索したら、こんなのがあったがダメか?
http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/NIKKI2/132.html

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