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始皇帝の遺産

1 :始皇帝陵の番人:03/11/27 17:01 ID:h3MqIT68
兵馬俑、万里の長城、始皇帝陵。
考古学的見地による「始皇帝の遺産」を語って下さい。

2 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/11/27 17:10 ID:GyXySHX3
一等自営業阻止(違

考古学的見地ということは、真に凄い全国規格統一の偉業は語れまへんな(´・ω・`)

3 :出土地不明:03/11/27 18:12 ID:EpdH08y/
生まれながらにして2ゲッターとしての素質を持っている親父にとって
俺はたんなるお荷物だったのかもしれない。

とうとう親父が生きているうちに2をゲットすることができなかった。

病院でいつ事切れるかも解らない親父のそばで
必死にF5キーを連打していたあの日から5年。
今ではF5キーも2キーも磨り減ってしまっている。

親父が天に召された後、偶然書斎で日記を見つける。
そこで俺は親父と血が繋がっていない事を知った。

もう2をゲットする必要すら無くなった 
そう、俺は元々2ゲッターの素質なんて無かったのだ。

しかし俺はこうしてまた2をゲットしようとしている。
血が繋がってなくとも、俺の親父はあの人しかいない

今日は親父の命日だ。
墓には一人前の俺の姿と花を供えよう。

今、天国にいる親父と一緒に宣言する

「2」


4 :出土地不明:03/11/27 22:00 ID:E9aC1ElT
「万里の長城」の軍事的価値は無に等しかったとよく言われる。
ところが先日ディスカバリーチャンネルの特集を見ていたら、
初めから軍事的防御線の意味など無く、純粋に呪術的目的で建造
されたものと説明していた。
つまり西方から押し寄せる「目に見えないもの」を防ぐために、あんな
巨大な代物を作ったという事だが、欧米ではあれが定説なのだろうか。
地下軍団は始皇帝らが死後の世界の実在を確信していたからこそ作られた
のだろう。まだ納得できる。
だが「呪術目的の万里の長城」というのはどうにもピンと来ない。
この点いかがか。



5 :出土地不明:03/11/27 22:22 ID:LX66jCHj
呪いのためだけにあんなにでかいのつくって、
そのせいで反乱起きて滅亡かあ。

でもあんなのを匈奴の羊やらは越えられるの?
馬は大丈夫だとしても。
それとも匈奴ってのは羊飼ってないのかなあ。

6 :番人:03/11/29 08:33 ID:NEjhEgn0
(読売朝刊より)うおおっ、ついに始皇帝陵地下宮殿確認か。
史記の記述を信じれば、墓室には奇器奇物が充満し、永久機関(?)に
よって水銀の百川・江河・大海が循環しており、人魚の膏の蝋燭が
灯っているはずである。スコープを挿入しろ。はよ掘れ。罠が生きてて
何人か死ぬかもしれんが尊い犠牲だ。構わんやれ。

7 :出土地不明:03/11/29 10:04 ID:MF4r0qpJ
>>6
興奮しすぎでつよ。

まぁもっと準備に時間をかけて調査した方がいいと思う。
言うまでもないことだが、調査ってのは破壊だからな。
ましてや、人命が失われても良いなどということは無い。

8 :出土地不明:03/11/29 10:37 ID:LL6Ht0GD
>>6
項羽に盗掘されてなかったっけ
でも、水銀は確認されたみたいですね

9 :出土地不明:03/11/29 11:36 ID:WjNqNdOB
日本書紀の600年以上前に書かれたものを鵜呑みにできるとは
おめでたいヤツだな

10 :番人:03/11/29 12:02 ID:R1VbiI2l
すみません。つい取り乱しました。
水銀については81年に蒸発したものが陵墓の土から検出されていた
そうですが、今回の「物理学的探査」というのは具体的にはどういう
ものかしら?
盗掘は確かに心配でつね。この点は罠が生きている事を心から願います(w
貝塚先生の「古代殷帝国」読んでたら、大墓の発掘が盗掘団との競争で、
めぼしいのはあらかた持ってかれたなんて書いてありましたし。
理想は馬王堆漢墓ですね。生けるが如き始皇帝の姿が・・・駄目だ、
腐り果てて塩漬け魚、車に積んでごまかしてたんだ。

11 :出土地不明:03/11/29 12:52 ID:+nhc/bjU
今の万里の長城、それもよく本なんかに載っているのは始皇帝の時代の物でなく、
後の明時代の物でしょう。
もしかしたら始皇帝時代の長城ってもっと簡単なものだったんじゃないの。
実際西方の砂漠地帯の長城は泥とかで作った簡単な物だから。地元の人は交通の邪魔
になるので一部壊して道路にしているし。
万里の長城で騎馬民族の侵入を完全に塞ぐのは無理でしょう。
長城を築くことにより、騎馬民族の行軍のスピードを遅くしたり、彼らに心理的プレッ
シャーをあたえるのが真の目的だったんじゃないかと思っています。


12 :出土地不明:03/11/29 14:49 ID:yZCrZb8N
>>11
「万里の長城」というと北京市郊外の観光用に整備されたものを普通考える
けど、始皇帝時代の「泥で作られた簡単な長城」というのはイメージしにくい。
それこそが「呪術用」兼「匈奴との国境線」だったのかもしれない。
始皇帝時代の砂漠に埋まった長城についての調査はどうなのだろう。





13 :出土地不明:03/11/29 16:02 ID:vVUgq+N9
やっと卜学会が解散に追い込まれるのですね

14 :出土地不明:03/11/29 17:01 ID:aKCupuKs
>>12
泥って…
「版築」で検索してごらん。

15 :出土地不明:03/11/29 17:56 ID:UbA/o36V
>>14
黄土つき固めると煉瓦より堅くなるんですよね。
兵馬俑もこれで作られている。
従って「泥」とはいえない。
そういう事で、よろしいですか?

16 :11:03/11/29 19:28 ID:+nhc/bjU
「泥」って簡単に書いちゃった者だけど・・・
確か土と植物の茎(?)を交互に積んで固めたんじゃなかったかな。
それでも煉瓦つくりの壁よりも強度は下だと思っていたけど、煉瓦より
硬くなるとは知らなかった。
なんかの本で長城に穴を掘って暮らしていたり、(前にも書いたように)
一部を壊して道路作ったりしている写真を見たんだよね。
それで「泥とかで作った簡単な物」なんて表現をしてしまったんです。
失礼しました。

17 :出土地不明:03/11/29 23:12 ID:ZD0pI0W5
阿房宮は東大寺大仏殿よりはるかに大きかったわけだが

18 :出土地不明:03/11/29 23:41 ID:lNNdfTTX
>>17
だから「阿呆宮」なんです。
親父は阿呆で息子は馬鹿。
まるで北・・おっと、考古学板でした(w

19 :出土地不明:03/11/30 00:10 ID:H3Lbx1e/
日干し煉瓦はいつから用いられたんですか?
西端の嘉峪関のほうの長城も日干し煉瓦だった気がするんですが。
そのレンガに名前刻んだヤツがお土産になっちゃってて破壊が進んでるとか。

>>12
当方高3で来年あたり大学で外国考古学を勉強したいと思ってるんですが、
将来そういう調査に挑戦してみたいと考えています。

世界のいわゆる「長城」というか防御璧というか、
そういうのは基本的に何で出来てるんかなあ。
ちと気になったので調べてみたいかも。

20 :12:03/11/30 00:24 ID:SvsCIpSX
>>19
頑張って下さい。
当方もう年なので、とても自分で調べる体力も気力もありません。
またロケット打ち上げ失敗でがっくりしてたけど、まだまだ日本も捨てた
ものではありません。

21 :番人:03/11/30 15:48 ID:j22sG4LW
やはり始皇帝陵の本格的な発掘は半世紀くらい先の話になるようですね。
兵馬俑みたく一般公開なんて、あっても多分来世紀でしょう。
兵馬俑坑の発掘も三十年近くやってて、まだ終わらない。これをひと通り堀り
出してから、おもむろに始皇帝陵・・・漢民族の気の長さにはとてもつきあい
きれないものを感じます。
こうなったら最後の手段。欽明天皇陵石室盗撮の前例にならい、実績ある毎日
考古学取材チームを極秘裏に潜入させ、地下宮殿内部を盗撮スクープ・・・
申し訳ありません。また取り乱しました。しばらく逝ってきます。


22 :出土地不明:03/11/30 17:25 ID:olf9yjXh
>>19 日干しレンガは、長江流域には紀元前5000以前からありました

23 :出土地不明:03/11/30 19:21 ID:kSMyBbg9
>>21
>欽明天皇陵石室盗撮の前例にならい

見瀬丸山古墳なら、蘇我稲目の墓です。
欽明天皇陵は「桧隈坂合陵」なんだから、現在の平田梅山古墳で
矛盾しません。

24 :出土地不明:03/12/01 01:10 ID:IcOcYsvD
>>19
がんばってね、受験。2chやってたら厳しいぞ(泣。
>>23
様、それを言い出すときりがないから別でやってくださいな。

おいらは見瀬丸山が欽明陵だと思うんだけど・・・

25 :出土地不明:03/12/01 21:05 ID:572Wf/Pj
>>20
頑張ってみます。
日本もまだまだ捨てたものじゃないですよね。
第二の松浦事務局長や井上靖さんみたいな人になりたいです。

>>21
その一般公開まで生きていられたらいいなあ。
さすがに漢民族は気が長いですね。
始皇帝関係も興味関心大なのですが、
どちらかというと敦煌や西域関係のほうに興味を持ってます。
そっちのほうもきっと今の混乱が落ち着いてからになるんでしょうけど。

>>22
それは「防御壁」として使われてたんでしょうか。
気になるなあ。雨じゃなきゃ図書館行って調べられたのに・・・欝。

>>24
大学のほうは推薦で第一志望に受かりました。


26 :19:03/12/01 21:11 ID:572Wf/Pj
上のは19です

27 :番人:03/12/01 23:35 ID:MKLrgSto
>>25
こらっ。
追い込みだっつーのに2ちゃんなんかやっててどーすんだ。
・・・と言おうと思ったら第一志望受かったのね。
おめでとう。



28 :24:03/12/04 10:19 ID:O4YhjnH3
>>25
おお、それはおめでとう。がんばって勉強してくださいな。


29 :出土地不明:03/12/04 20:06 ID:TX/RCPas
>>25
合格オメ。大学スレのほうに書いてた人かな。まぁガンバッテね。

30 :番人:03/12/04 20:43 ID:P93+xXXa
さて、25君も合格した事だし、安心して次は兵馬俑ですね。
説明によればあれは皆実物大・等身大とされていて、実際見た時は、ははあ、
当時の秦の軍兵はやたらでかくて皆短足だなあと素朴に感心していたのですが、
あんなのデフォルメに決まってますね(w
足の短いのは重心を取るためで、実際あんな短足じゃ走れませんわな。
顔と髪型については現実の兵士達の姿を忠実に再現したものと見ていいようです。
とにかくあの写実性の凄さはギリシャ美術にもひけを取らない。
あれだけの技術を獲得するのには相当のノウハウの蓄積が必要と思えるのに、
「秦の美術品」として印象に残るのはこれだけというのも不思議です。
まあ地下軍団は美術品ではなく、始皇帝にとってはあくまで「実用品」でした
から。
この技術は秦の滅亡とともに消滅し、二千年以上地中に埋もれていた訳です。

31 :25:03/12/04 22:47 ID:JoBBbetv
皆さんどうもありがとうございます。
考古学の本読んだり歴史関係の調べごとしたりっていうのは、受験勉強よかずっと楽しくてハマりそうです。
学校じゃ居場所なくてちとツラいけど。

すごい見当違いなんですけど、
紀元前4世紀ごろにギリシャ文化が中国に伝播したって可能性はないんでしょうか。
夏ごろのニュースで、ギリシャ人の末裔の村が発見されたっていうようなローカルニュースを耳にしたんですが。
グレコバクトリアちっくなことが起こっても不思議はないんじゃないか、とか
アレクサンドロスの残留兵かなんかが、西方の秦の領域に入っていたんじゃないか、とか
そんな夢のようなことを考えてるんですが。
これも文明の道の影響かな。でもNスペで一番はシルクロードだい。


32 :番人:03/12/04 23:29 ID:OImwuSmq
>31
ううむ、可能性としてはあるかもしれない。
つまりヒントとして、あちらでは人間そのものを造形するのが流行ってますよ
ーっていう感じの。
日本の縄文だってあれだけの技術を持っていた訳で。殷の青銅器造形技術を
過去のものとした中国の職人連中が、ほほー。それは面白い。
目に見えない神だの怪獣だのばっかりデザインしてきたものだから。
生身の軍団に殉死を強いて来た為政者が、それは効率的だ。
軍事力は維持できて、親父の墓にはまがいものを埋めればOK。
究極が兵馬俑。
やりすぎ。
それで国が潰れる。
いやー続けましょう。面白い。



33 :25:03/12/06 23:01 ID:MUHiiqOi
>>生身の軍団に殉死を強いて来た為政者が、それは効率的だ。
孝公なり政なりの性格を考えたら、それも不思議じゃないですよね。

ローカルニュースはギリシャ人じゃなくてローマ人でした。
前漢の話になってしまうんですけど。
甘粛の来寨村ってのが前漢時代におかれた「驪けん」県だっていう話でした。
兵馬傭とはちと離れてしまいますね。

でも、でもでも
セレウコス朝からパルティアとグレコバクトリアが自立したのがBC250年頃で、
BC246年に政が即位してて・・・
その100年後には月氏が移動して、張騫が西域行って帰ってきて・・・
あー、なんだか分からなくなってきた。
そもそもパミールって壁があるんだよな。

始皇帝が地下宮殿にサカの黄金製品なんかを埋めてたりしませんかね。
それもギリシャの色が濃いやつとか。

それにしても匈奴の遺した遺跡とかはないんでしょうか。
遊牧民だからあんまり気にしなかったんかなあ。

34 :出土地不明 :03/12/07 00:23 ID:pTB1yK8/
> 始皇帝の「阿房宮」は炎上せず、発掘調査で判明
ttp://www.yomiuri.co.jp/main/news/20031206i513.htm


35 :番人:03/12/07 07:58 ID:LI2gx5LK
朝刊読んだ。ほんとだ。えーびっくり。
とすると自然に朽ち果てたという事ですか。
始皇帝陵の周辺構造物は焼き払われ、兵馬俑にも火災に遭った痕跡があると
いう。陵が盗掘されたかどうかは掘らないと判らないが、こちらは焼かれた
事は間違いない。
「阿房宮劫火」がフィクションだったというのは、何を意味するのだろう。
少なくとも史記の「項羽は秦の宮室を焼いた。火は三月の間消えなかった」と
いう記述は考古学的に否定されたという訳である。
しかし「馬鹿」の二世皇帝は、先帝の後宮の女性で子供のないのは皆殉死させ
たそうだから(これも史記の記述だが)、焼かずに取っておく必要があったか
どうか。
訳が判らなくなってきました。

36 :番人:03/12/08 12:36 ID:WJXhQrzS
うーんこのスレを起こしてから偶然始皇帝陵地下宮殿確認とか阿房宮炎上せず
とか大発見が続いたのに、あんまりレスが伸びないのはやっぱ過疎板だからで
すか(泣
世界史板では「始皇帝は名君か、暴君か」というスレで、かなりレベルの高い
書き込みも見受けられます。こういった人達にも加わって頂ければ、議論も
活発になると思います。
そこで>>2で他スレではおなじみの屯田兵氏から鋭い突っ込みを頂いたように、
これ以降は「全国規格統一の偉業」を含めて、「遺物」にこだわらず、始皇帝
とその周辺について自由に論じて頂けたらと思います。
当初は「考古学板」という事で「考古学的見地」にこだわりすぎました。
考古学は科学と歴史学にまたがる複雑な学問です。一方にこだわると一方が
見えにくくなる。もっと間口を広げて行きたいと思いますので、よろしくお願
いします。



37 :出土地不明:03/12/08 17:12 ID:l2lMMzBN
阿房宮は咸陽宮が手狭になったから建設されて、その途中に項羽に燃やされた・・・
ってのが史記の記述ですよね。
とりあえず項羽は2000年以上の間濡れ衣を着せられていたというわけか。

火災にあった痕跡ってのはどうやって分かるものなんですか??

38 :出土地不明:03/12/08 18:35 ID:8WZK5dgA
>>37
「約一年間にわたって、20万平方メートル以上を調べたが、大量の灰や焼けた
土など火災があった痕跡は発見されなかったという」(読売新聞)

始皇帝陵の周辺建築物(殿堂・官舎等)の破壊と炎上が「阿房宮劫火」にすり変
わったというのは?


39 :出土地不明:03/12/08 19:58 ID:IkVZA6xt
おいらは世界史板の「項羽と劉邦」ってスレで「史記に項羽が阿房宮自体を
焼いたという記述はない」と主張してるんだけど、よかったら読んでみて
こっちで意見をおくれ。あそこは変なのが暴れてたりするから。

始皇帝陵では焼け焦げた木材が出土してますね。今年の二月ぐらいに発見され
た始皇帝陵の水鳥坑にもはっきりと焼けた痕跡がありますな。兵馬俑博物館の
サイトで見られます。

40 :番人:03/12/08 23:23 ID:cyE1FIYR
>>39
世界史板から帰って来たところです。
なるほど。あれではまともな議論になりませんね。辟易されたのも判ります。
ここでは項羽が冤罪で劉邦が犯罪者だったなどという議論(ましてや中国共産党
がどうたらこうたら)は無しで、「実際のところはどうだったのか」という点を
客観的に検証するようにしていきたいと考えています。この問題だけではなく、
すべての点について。
間口を広げるとは言いましたが、ここはあくまで考古学板ですから。
さて確かに史記の記述は、秦始皇本紀も項羽本紀も「咸陽の宮室を焼き」とは
あっても「阿房宮を焼き」とはありません。
この点は>>35で引用しながらも気になっていたところです。
阿房宮未完成の間に始皇帝がどこを宮室にしていたかといえば、まず間違い
なく咸陽城内でしょうから。
したがって今回の調査発表によって明らかにされたのは、項羽の冤罪でも司馬
遷の誤りでもなく、むしろ逆に、項羽が焼いたのは「咸陽の宮室」であり、司
馬遷の慎重な記述こそ正しかったという事ではないでしょうか。
「項羽が阿房宮を焼き払った」というのは、「宮室=阿房宮」という後世の誤読
に過ぎず、少なくとも始皇帝陵を焼き討ちした事は事実なのですから。

41 :出土地不明:03/12/09 13:48 ID:onXaPG4a
小型ロボ投入とはいえ、保護する手がないからといって発掘やめてしまうなんて、、、
盗掘されたらどうするんだか。


42 :出土地不明:03/12/09 14:01 ID:mtLD8jfB
>>41
周辺2キロ以内を管理区域とし、安全対策を強化するとしています。
軍事施設並みに固めてもらいましょう。
まあ映像で中を見られさえすればいいじゃないですか。
やはり地下に留めておくのが最善の保存法です。
しかし小型ロボってどういうのでしょうね。
カメラしょったアイボみたいなのが降ろされるんでしょうか(w


43 :出土地不明:03/12/09 15:13 ID:hehYA4/a
>>39
阿房宮を焼いたと言う記述もないけど、阿房宮は焼かれていない
という記述もない。
普通に解釈すれば阿房宮も焼かれたと解釈すると思うんだけど…

>>40
高祖本紀中の「屠焼咸陽秦宮室」だと思うんだけれど、これは咸陽の
宮室ではなく、咸陽と秦の宮室と解釈してもいいじゃないかな。

咸陽の宮室としても、阿房宮は充分咸陽の宮室に入るような立地
だと思うなあ。


44 :出土地不明:03/12/09 17:45 ID:/5KvcNf3
>>43
誰もが「項羽は秦の宮室を焼いた」というのは「阿房宮を焼いた」事と信じて
いた。
だけど発掘調査してみたらそれは違っていた。
それで「司馬遷は嘘を書いた」と騒ぐ香具師が出て来て、読み返してみたら
「阿房宮」という単語はどこにも無い。
「普通に解釈」それが間違っていた。それだけの事。
なぜ咸陽城と始皇帝陵を焼き討ちして阿房宮を残したのか。そんな事は項羽に
訊かなきゃわかりません。
ただし咸陽城跡地は渭水の河床移動によって流されてしまい、調べようがない
ようです。

45 :出土地不明:03/12/09 18:40 ID:vgHswNuI
>>44
>誰もが「項羽は秦の宮室を焼いた」というのは「阿房宮を焼いた」事と信じていた。

またこんなウソをいう。「阿房宮も焼いた」でしょ。
咸陽宮が焼かれたのを疑ってる香具師はいないと思うよ。
実際焼け跡が調査で出てるらしいしね。

>「普通に解釈」それが間違っていた。

どうして?
司馬遷が阿房宮が焼けたと思っていなかったとどうしてわかるの。
司馬遷の時代にはすでに項羽残暴は常識化してたかもしれないし、
三ヶ月萌え続けたなんて書いてある所からみれば、
既に話に尾鰭がついてたことは確かなんじゃない?

今回の調査結果で阿房宮が萌えていないことだけが確定したワケで、
司馬遷の真意を確認することができない今となっては、

1 これまでの読み方が間違っていた
2 司馬遷本人が間違っていた

のどちらかである、ということしかいえないでしょ。


46 :番人:03/12/09 21:59 ID:8aOc0Azx
>>45
世界史板で39さんとやり合ってた方ですか?
繰り返しになっちゃいますね(w
「司馬遷は自身でも確信が持てず、あえてこのような曖昧な表現にした」
40のレスで文脈に合わず、考えてカットした文章でしたが、これを加えて
おけば良かったですか?
39さんのご意見も聞きたいですね。
やっぱ繰り返しになっちゃうかな(w



47 :出土地不明:03/12/09 22:42 ID:95NAJ3Ro
>>小型ロボ
先行者みたいのだったり。
つーか始皇帝稜が周辺2キロよりでかかったらどうするんだろ。
まあ本当に罠もあるかもしれないし、遺跡は触れないのがベストな保存方法ですしね。

司馬遷が生きたのは武帝の時代でしょ。
司馬遷にとって楚漢戦争は約100年前の時代の歴史、前漢の始まりの歴史ってこと考えると
武帝はどっちかっていうと祖先である劉邦というより項羽よりだったんじゃないんでしょうか。
武帝は儒教信者だったら祖先マンセーってことになるとは思うんだけど、彼は道教だし。
もう7代も経って歴史的な事実も色々分かる中、長年悩んできた匈奴との問題も解決してきて。
そういった中で劉邦はもちろんだけど項羽も認めてる、武帝はそういうキャラだったと思うんです。
積極的な対外政策やプライドの高さからみても。
そんな武帝に宦官とはいえ目をかけてもらってた司馬遷だから、
武帝が読んで不快に思うような歴史書は書かないんじゃないんでしょうか。
別に史記の正当性を否定しているわけじゃないんですけど。
私なりに色々考えてみました。
司馬遷は個人的に好きな歴史上の人物の一人です。
ほんとわけわかんなくてゴメンナサイです

48 :出土地不明:03/12/10 17:35 ID:MVDT0MvI
1974年春。
臨潼県晏賽人民公社の西揚村の人民は、干ばつから村を救うべく、村の南の
柿林の一角で、黙々と井戸掘りにいそしんでいた。
深さ四メートル程掘り下げたところ、人民は次々と現れる土で作られた人形の
頭部や胴体に困惑した。
地表にかつぎ出されたそれら武士俑は野ざらしにされ、子供達は石をぶつけ、
あるいは畑に立たせて藁帽子をかぶせ、かかしとして使われるといった、
考古学者が目にしたら発狂するようなのどかな情景が、照りつける中華の
太陽のもとでくりひろげられていたそうな。
ちゃんちゃん。


49 :番人:03/12/10 17:53 ID:QoxNY08v
えー間口を広げたせいかどうかは判りませんが、レスも順調に伸びて来たので
ここでこれまで挙がった論点を整理してみたいと思います。

(1)万里の長城における「呪術的防壁」の論拠
(2)始皇帝陵地下宮殿確認の意義
(3)兵馬俑の写実性における西方文化伝播の可能性
(4)「阿房宮劫火伝説」の虚偽とその意味

といったところですか。
これらに自由に私見を述べて頂くか、あるいは新しい論点を提示して、さらに
議論を深めていくかで、有意義にやっていきたいと思います。
よろしくお願いします。



50 :出土地不明:03/12/10 20:25 ID:aj0t30/J
>>45
おいらは>>39だけど>>44とは別人ですよ。

例えばこんな史料があったりする。

漢書東方朔列伝: 「挙籍阿城以南」

顔師古の注: 「挙計其数而為簿籍也。阿城、本秦阿房宮也、以其牆壁崇広、
故俗呼為阿城」

つうわけで建元年間には牆壁は残っていたということらしい。

「阿房宮が項羽によって焼かれた」という記述が明確にある文献て
なんだろうか?杜牧の阿房宮賦には記述があるけど、これは文学作
品だし。


51 :出土地不明:03/12/11 00:20 ID:OHsJxcg0
えー論点の提唱をおひとつと。
始皇帝の文字と車軌と度量衡の全国統一は最大の偉業とされています。
ただ映画「英雄」(考証面でいろいろ言う人もいると思うが漏れは非常に楽し
んで観てた)において、趙国の書家の老師匠が決死の弟子たち共々、降り注ぐ
矢の雨の中で一心に「趙国の書」を書き続けるシーンがありました。
かように始皇帝の「統一事業」は同時に地方文化の抹殺と言う側面がある訳
ですが、この視点から意見のある方はいらっしゃいますか?
まあ「全国規格統一の偉業」の無い始皇帝なんて、本当にただの暴君ですけど(w




52 :出土地不明:03/12/11 00:26 ID:e+HQ6g/q
焚書もある意味、文字統一の一環でしょうか。

53 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/12/11 00:44 ID:aMHbiRwA
>>52
メインは思想弾圧だが、文字統一の意味合いもかなり濃い。

54 :出土地不明:03/12/11 01:17 ID:dKFR5PcO
>>50
なぜそんなに固有名詞にこだわるのか、理解に苦しむ。

仮に、

「秀吉の築いた大坂城は、徳川方によりことごとく破壊された」

という史料だけが残されていたとしたとき、

「大坂城の天守閣が破壊された」とは書かれていないから、
この文を「天守閣も徳川方に破壊された」と読むのは誤読だ、
天守閣は徳川方によって破壊されてはいないと読むべきだ

という香具師がいたら、そいつはちょっとおかしいだろ。


>つうわけで建元年間には牆壁は残っていたということらしい。

これがわからん。間違ってたら訂正してくれ。

唐の顔師古は、漢書に「阿城」という地名の由来について、

「阿城は、もとは秦の阿房宮である。その牆壁が崇広であったがゆえに、俗に阿城と呼ばれた」

という注をつけたのであって、「阿城」という名の由来が唐代まで何らかの形で残っていた、
ということ以上のことはわからないと思うのだが。

どうして「建元年間には牆壁は残っていた」という結論になるんだ?

ちなみに、検索した限りにおいては漢書には「阿城」という名前があるのはこの1ヶ所だけであるので、
顔師古としてもここ以外には注のつけようがなかったのであり、
これと建元三年とは何の関係もないのではないかな?

>これは文学作品だし。

ある意味、史記モナー


55 :出土地不明:03/12/11 12:13 ID:ljDOPWwM
>>54
固有名詞にこだわるのは当然でしょう。宮殿が複数存在したんだから。

> この文を「天守閣も徳川方に破壊された」と読むのは誤読だ、

「誤読」とはどこでも主張してませんよ。あなたが世界史板の人
かどうかは知らんが、「直接言及してない」ということをどうし
て認めようとしないのかわからない。現に解釈に幅があるからこ
そ議論になってるんだと思うんだけど。

> 唐の顔師古は、漢書に「阿城」という地名の由来について、
>
> 「阿城は、もとは秦の阿房宮である。その牆壁が崇広であったがゆえに、俗に阿城と呼ばれた」
>
> という注をつけたのであって、「阿城」という名の由来が唐代まで何らかの形で残っていた、
> ということ以上のことはわからないと思うのだが。

まあ、これは史料を提示したまでなので、こちらの解釈もいろいろ。
結論は一つの解釈。ただし漢代に阿城という地名が残っていたこと
を示してはいる。

> >これは文学作品だし。
>
> ある意味、史記モナー

他に名差しで阿房宮が項羽によって焼かれたという文献を知っていれば
教えて欲しい。


56 :出土地不明:03/12/11 12:41 ID:omLtz5Rv
えー普通の意味でのネタの提供をおひとつと。
「兵馬俑坑焼き討ちについても項羽は冤罪?」ってやつでして。
こいつを世界史板の方で出しちゃうと、また「それみろ。やはり劉邦の陰謀だ」
「司馬遷嘘ついた。司馬遷嘘ついた」と騒ぐ御仁がいっぱいって訳でして。
それでこちらでと思いましてね。
なにね。兵馬俑の火災と破壊の痕跡について、あちらの学者さん達の間でも
異論があって、一応「公式発表」とされているのが「項羽の焼き討ち説」
なんでして。
では諸説を簡単に。

1)メタンガス爆発説

これはそういう地質的要因が存在しないという事で、否定されてる模様です。

2)葬儀の焼き払い説

始皇帝の遺体埋葬の際、殷・周以来の「祭天燔柴」なる副葬品を焼く儀式に
倣い、天上に昇る主人に供えたというもの。

3)「牧童の火事」説

漢書曰く「牧児羊を亡くし、羊其の鑿に入りて、牧者火を持ちて照らして羊を
求め、火を失して其の蔵椁を焼く」
これは始皇帝陵の内部が迷い込んだ羊を探していた牧童によって誤って焼かれ
てしまったという民間伝承を取り入れたものですが、これが実は地下の兵馬俑
坑の事だったのではないかという訳です。

かように諸説入り乱れ、どの説も一長一短、装備品の武器類が明らかに略奪さ
れているのをどう説明する、それなら俑坑の底の部分にある14層もの雨水に
よる沈澱層は何だ、項羽が焼き討ちしたんなら天井の覆い土が崩れてそんな物
溜まる暇があるかと侃々諤々の模様です。
ただしどの先生方も「始皇帝陵地上施設に対する項羽の焼き討ち」は否定され
ておられないようです。御愁傷様。





57 :出土地不明:03/12/11 15:45 ID:ljDOPWwM
>>55に付け足し。

考古学板なので遺跡の話を。

http://www.sach.gov.cn/PublishCenter/wenbo/zlzs/wwdw/one/1951.htm

阿房宮遺跡が公的に確認されたのは1956年のことで、周囲310メートル、
高さ20メートルの版築による城壁を確認したから。地元民は「始皇上天台」
と呼んでたとのこと。

というわけで、漢代どころか一部は現代まで残っていたというのが事実。

58 :出土地不明:03/12/11 16:59 ID:OkzQ3FHe
>>55
>固有名詞にこだわるのは当然でしょう。

だから、当然ではない、
こだわる必要がないケースもあるということを例示したのだが。

>宮殿が複数存在したんだから。

大坂城にも建物はたくさんありましたな。

あんたは、54の例で天守閣が破壊されてない可能性を考える人か?

>「誤読」とはどこでも主張してませんよ。

「あんたが誤読と主張しとる」とは54の何処にも書いとらんぞ。
誤読だという香具師が現実におるので、それを意識して例を作ったまで。
被害妄想にならないように。

>「直接言及してない」ということをどうして認めようとしないのかわからない。

「全て」という指定は、直接指定の一形態だと思っとるのだが。
ここで話が食い違うのなら、「直接」とは固有名詞による指定に限定してもよいぞ。

>まあ、これは史料を提示したまでなので、

これはウソだな。
史料を提示した上に、そこから何らかの過程によって導かれる所の

>つうわけで建元年間には牆壁は残っていたということらしい。

という結論を書いている。

>こちらの解釈もいろいろ。

解釈でいいから、どこをどう読んだら「建元年間には牆壁は残っていた」となるのか、
結論に至る道筋を責任をもって明確に示してほしい。

>>57
結論が大事なのではない。
結論があっていればなんでもよいというなら、
どんな電波説でも許容されてしまう。
結論ではなく、結論に至る道筋こそが大事。

今の場合、東方朔伝とその注を持ち出すことが阿房宮の牆壁が
建元年間まで残っていたことの挙証となるかどうか。


59 :出土地不明:03/12/11 16:59 ID:3hK0ewcC
阿房宮と咸陽宮は幅数キロの渭水をはさんで十キロ弱の隔たりがある。
項羽としては咸陽宮の略奪と破壊、恨み重なる始皇帝の陵墓襲撃(陵墓の中を
荒らすまでには至らなかったらしい)で手一杯となり、阿房宮まで気が回らな
かったというのが真相だと思う。

60 :出土地不明:03/12/11 16:59 ID:OkzQ3FHe
>>56
始皇帝陵焼き討ち説、この間から探しているのだが、
こちらは出どこが分からない。

今のところ、史記では高祖本紀(漢書高帝紀も同じ)で漢王が項羽を詰問する中に
罪四として始皇帝の冢を掘ったとあるのがみつかっただけ。


61 :出土地不明:03/12/11 17:21 ID:ljDOPWwM
>>58

> 大坂城にも建物はたくさんありましたな。

「大阪城」が固有名詞でないと?


> これはウソだな。

わざわざ「解釈の一つを提示」したと断っているのに、どうして
こんな噛みつきかたをするのかねえ。


> 結論に至る道筋を責任をもって明確に示してほしい。

責任ねえ。

「阿城」という呼称が漢代に使われていた。「城」というからには
城壁の存在を示唆する。


> 結論が大事なのではない。

どうやら、私とは認識が異なるようです。

> 他に名差しで阿房宮が項羽によって焼かれたという文献を知っていれば
> 教えて欲しい。

という質問にも答えて貰えないようなので、私はもうあなたと議論する
気にはなれません。

62 :出土地不明:03/12/11 17:42 ID:Kc6tjhN4
>>61
>「大阪城」が固有名詞でないと?

今の場合、大阪城内の個々の建物を特定することが問題だと理解できませんかねぇ。

>こんな噛みつきかたをするのかねえ。

ウソをついてるから。

>私はもうあなたと議論する気にはなれません。

じゃあ、レスしないでね。

63 :番人:03/12/11 17:45 ID:lMS945Xb
一日でずいぶん盛り上がっているようなので大変嬉しく思います。
>>53
屯田兵様。よくお越し下さいました。歓迎致します。
さっそくですが、「焚書坑儒」については始皇帝の暴政の象徴としてその残虐
ぶりが強調されてきた訳ですけど(大映映画「秦・始皇帝」で最も印象的なの
がこのシーンでした)、「焚書」については思想弾圧の面とは別に、秦の統一
文字「小篆文字」を旧六国に強引に定着させるべく取られた手段と解釈してよ
ろしいでしょうか。
>>57 >>58
世界史板では居酒屋でテーブルに飛び乗った酔っ払い同士が怒鳴り合う中、
テーブル下で必死に論じ合ってたお二人とお見受けします。
ここで納得いくまで議論して下さい。
「結論に至る道筋こそ大事」というのは道理であります。
ただし喧嘩はいけませんよ。段々熱くなってきてるみたいなので。
>>60
漢書の「楚元王列伝」に「項羽が凾谷関に入り、始皇帝陵を発し、三十万人を
以て三十日物を運んで窮せず」とあります。
今後始皇帝陵の調査が進めば、阿房宮同様記述の真偽が問われる事になるでし
ょう。



64 :番人:03/12/11 17:49 ID:+G5ztReL
>>61 >>62
うーん。ちょっとの間で喧嘩別れしちゃいましたか。残念。

65 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/12/11 18:50 ID:9eI06Jrl
>>63
文字そのものは、列国のものも採用して、合理的に整えている。
書道をすると、「楚帛書」や「鳥虫体」でも現代の活字に書き直せる字があるし、
逆に秦の大篆「石鼓文」にも活字に変換できない字が出てくる。
始皇帝が統一を目指したのは、やはり「字義」や「文法」ではないだろうか。

66 :出土地不明:03/12/11 20:10 ID:beBJJ/KH
>>62
>>こんな噛みつきかたをするのかねえ。
>ウソをついてるから。

ちょっと書きすぎた。あやまる。

>>63
>漢書の「楚元王列伝」に・・・・

ありがとう。
といいたい所だけど、まだみつからない・・・・
探し方が悪いんだろうな。

その代わり、その「楚元王列伝」に

項籍燔其宮室營宇,往者咸見發掘.

っていうのを見付けた。
前段は項籍(項羽)がその(始皇帝陵)のうわものを焼いたということでよさそうだけど、
後段はよくわからない。

史記はまだみつからない。
史記には焼いたという記録はないのかな?

67 :出土地不明:03/12/11 20:21 ID:7X74WkGz
ニュース板で「地下宮殿確認」が話題になった際、
「早く生き埋めになった人たちを助けてあげなきゃ」という、まあ本気か
冗談かよくわからん書き込みがあったけど、「臨潼史話」なる著によれば、
始皇帝埋葬の際、地下宮殿の秘密を知る工匠達は全員地下に閉じ込められた
が、自分が修築した排水道の道筋を知る一人の若い工匠が、かろうじて脱出
に成功したそうな。
全員逃れる事ができたのならもっといいが、何せ真っ暗闇の中、長時間潜水
しなきゃならない訳だし、しかも排水道は狭い。あきらめてしまうか、途中
で溺れ死ぬかのいずれかだったに違いない。
まあ「せめてこうあって欲しい」という民間伝承なんだろうけど。

68 :番人:03/12/11 21:02 ID:+Dx9VXLa
>>65
レスありがとうございます。
文字そのものは秦を主体に各地のそれを取り入れ、再構成したという訳ですね。
外国の文字をいきなり押し付けても使えるはずはないので、これは合理的です。
「字義」や「文法」までいくとちょっと専門的すぎますね(w
>>66
すいません。原著が手元にないものですから、引用書で偉そうな事を言っちゃ
いました。
それは>>56で引用されていた、牧児による始皇帝陵(?)失火説の前段の部分で
すね。
私の手元の引用本では「従者・・・」のところは「共に行く者、ことごとく
その後を発掘す」とあります。
いずれにせよ、班固の記述は司馬遷より遥かに疑わしいというのがあちらの
学者の一致した見解のようです。
「三十万人云々」は漢書の記述を下敷きにした北魏の「水経注」という著の
記述を引用者が「漢書」と誤って引用し、それを私が未確認のまま引用して
しまったという訳です。
申し訳ありませんでした。


69 :出土地不明:03/12/11 23:23 ID:dKFR5PcO
>>68
>北魏の「水経注」という著の記述を引用者が「漢書」と誤って引用し・・・・

あ、そうでしたか。わかりました。

>私の手元の引用本では「従者・・・」のところは・・・

「従」ですか・・・・
それならまだわかりますが・・・・校勘記にも何も書かれてないんですよね。
ここに付いてる師古の注「言至其墓所者發掘之而求財物也」からしてみても
「往」でいいような気がするし・・・「見」もわからない・・・すなおに「発掘を見る」?・・・

これで、漢王がなじったように項羽が墓を掘らせて財物を私したことになるのかどうか・・・

ともかく、ありがとうございました。
もうちょっと自分で調べます。


70 :出土地不明:03/12/12 06:00 ID:EpdJ0I2A
始皇帝陵の地下宮殿って法螺話だとばっかり思ってました。
プロレス板的に表現すると、「秦だけはガチ」ですね。

71 :出土地不明:03/12/12 13:01 ID:fqU/T1dX
>>4
「呪術目的の万里の長城」ってのが気になって、本屋や図書館でいろいろ
調べてみたけど、どこにもそんな事書いてない。
ネットももちろん検索したけど、観光案内や「逝ってきたどー」つう自慢の
HPばっかで挫折した(あ、論文だと思って読んでみたら、支那を長城内に封じ
込めろなんていう変な政治結社のアジだったりした。泣)
ディスカバリーチャンネルのあんな通り一遍の決めつけじゃとても納得いかな
い。
詳しい文献や論文がありましたら御教示願います。

72 :出土地不明:03/12/12 13:35 ID:CmDri+6j
> 往者咸見發掘.

普通に「さきにみな発掘せらる」じゃないの?

「往者」は副詞で「以前、既に」、訓は「さきに」。
名詞で「過去」(論語の狂接輿の歌に用例)。
「咸」は「みな」。
「見」は受動の助辞(現代普通話でも使う)、訓は「る/らる」。


73 :出土地不明:03/12/12 19:13 ID:CmDri+6j
訂正。

> 「見」は受動の助辞(現代普通話でも使う)

現代普通話では通常は「被」だね。「見」は完全な文言とはいわなくても
文語表現。



74 :出土地不明:03/12/13 02:30 ID:JuknzuWC
>>71
少なくとも学術論文でそんな事言っているのは見たことない。


75 :出土地不明:03/12/13 09:09 ID:VdmJyCi5
>>74
やっぱり。欧米の学者は本気であんな説を唱えているのだろうか。
「神々の指紋」並のトンデモ説がディスカバリーチャンネルで
流されたって事だわな。
抗議するべきかな。

76 :番人:03/12/13 14:40 ID:MzxuEK0I
うーん。いい本だと思って文献からの引用部分を孫引きしたら、文献名どころ
か字句まで間違っていたとは。
もちろん原典に当たっての確認を怠った当方の責任ですが、以後このような事
が二度とないよう自戒してかかりたいと思います。

77 :出土地不明:03/12/13 19:25 ID:THYyn/el
>>72
どうも

>「往者」は副詞で「以前、既に」、訓は「さきに」。

なるほど。これなら受け身でも意味が通るなぁ・・・

けど、往者って直近の過去でもいいんだろうか?
咸の指す具体的な内容(=地下の財物)が直前にないというのも気になる。

でも、それしか読み方はなさそうなんで、
寝かせて置くとそのうち腑に落ちてくるかも・・・・

78 :出土地不明:03/12/14 11:15 ID:H/JpXXTS
古本屋で兵馬俑展示会のプログラムを二冊買った。
一冊は83年の「中国秦・兵馬俑」。祝辞が天安門事件で失脚した趙紫陽(泣
発掘からまだ十年にならないせいか、展示される兵馬俑はまだまだ汚れが
目立ち、その分印象が生々しい。
二冊目は94年の「秦の始皇帝とその時代展」。展示物も質量共に充実しており、
十年間の発掘と研究の進歩のあとが良く判る。
自分が実物を目にできたのは「中国歴史博物館名品展」(96)と「中国国宝展」
(2000)の二度だけで、しかも兵馬俑は展示物の一部。
あれはやはり現地に行って、数千体並んでいるのを眺めないと、本当の凄さは
判らないだろう。
生きてるうちに一回は行きたいが、西安事件の記憶があるうちは駄目だな(泣


79 :出土地不明:03/12/14 23:29 ID:jQJ4R7PR
確か早稲田か学習院のどっちかに兵馬俑の一人(匹?)がいましたよね。
学校見学で見て、デカさにビビりました。つーかなんであるんだと。

始皇帝が蓬莱島や徐福などの件で、何かと東に目を向けていたってのは
長城と何か関係ありますかね?


80 :出土地不明:03/12/15 00:07 ID:wR2vGWbu
西を万里の長城でがっちりと固め、さぁこれからは東だ海だと燃えてたところ
でおっチんだという話もありますな。
まあ内陸育ちの始皇帝が生まれて初めて海を見て感激し、外界への想いをたぎ
らせた時に寿命が尽きたというのも天命というものでしょう。

81 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/12/15 00:20 ID:Ekscb4qu
東へのロマンチシズムてのが、やはり始皇帝の言行の端々に見られる。
また書道からのアプローチになるが、
始皇帝は行幸した各地の要衝に顕彰碑を残している(その筆頭が泰山刻石)。
山東半島先端の之罘にも当然ながら之罘刻石を残したわけだが
ほぼ同じ場所に「東観刻石」を置いている。
これはどう見ても海の向こうのまだ見ぬ東方向けてのメッセージだわな。

82 :番人:03/12/17 00:53 ID:qGbXNn8C
鶴間和幸学習院大教授によれば、地下宮殿以外で始皇帝関係の大発見があると
すれば次の三つらしいです。

(1)砂漠に埋もれた「秦の長城」
(2)碣石刻石
(3)泗水の底に沈む周の鼎

(1)はいつの日か25君が発見してくれるでしょう。始皇帝が作ったはずの版築
による長城で、砂の中に埋もれてしまった部分は未だ手つかずのままです。
(2)は屯田兵氏が最も関心あるところでありましょう。史記の中に文章は記録
されている「碣石刻石」。渤海沿岸の岩礁にあったとされる顕彰碑。その痕跡
は果たして残されているのか否か。
(3)は始皇帝第二回巡幸の際、彭城の泗水において失われたはずの「周の九鼎」
(夏王朝以来の権力継続の象徴)を発見、人夫千人を動員して引き上げさせよう
としたが結果は失敗したというもの。
「泗水の底には実際に埋もれている可能性もないわけではない」(鶴間教授)
これらを一番欲しがるのは考古学者以上に、現中国共産党の為政者達でしょう
けれど(w


83 :略)屯田兵@携帯:03/12/17 19:12 ID:1goQiC33
>>82
ご指名なれどアクセス規制中ナリ(泣
泰山刻石ですら10字も残ってない現状では、発見だけでも奇跡かと。
なまじ史記に原文があるだけに、会稽刻石の如き似て非なる復刻がないことを祈るばかり。
李斯の書かどうかは別として、泰山刻石の書きぶりに迫って欲しいもの。

84 :番人:03/12/18 00:13 ID:ztlp/tup
NHKスペシャル「始皇帝」はもう九年前の放映で、資料としては古くなって
しまったせいか、DVD化はされていませんが、映像・音楽のインパクトは
今もって強烈で、何度か見返しています。
「泰山刻石」の映像は鳥肌ものでしたね。あれが李斯の直筆と思うと心底
ぞっとします。兵馬俑坑の底から悔恨と苦渋に満ちた表情の李斯の亡霊が
語りかけてくるという演出も、この「鳥肌気分」に拍車をかけて効果的で
した(役者と吹き替えがまた渋い)。
李斯も趙高も胡亥も、始皇帝という暗い太陽を中心に回る惑星でしたが、
太陽の消滅とともに栄華の極みから無惨な最期へと瞬く間に転落して行く
過程は凄絶です。
ちょっと板違いの感想でした。すみません。

85 :出土地不明:03/12/21 17:03 ID:QRI8Sv2c
漫画板に逝けと言われそうだけど、横山光輝版「史記」について少々。
今まで「漫画で読むなんとか」の典型の上、オリジナルの描けなくなった「元
巨匠」の産物と思っていたのだが、このスレをきっかけに読んでみた。
「始皇帝」の巻は文庫版の第五巻にあたる。全体に誇張した表現を避け、淡々
と原作を年代順になぞっていく構成だが、もとが凄いだけにこの「淡々」が、
へたな劇画調よりも異常な迫力を生んでいる。それは「始皇帝」の巻でも変わ
らない。
驚いたのは作者(この場合は描き手)が始皇帝という人物をいかに的確に把握し、
それを簡潔に表現しているかという点である。
韓より秦の国力を消耗させる目的で送り込まれた、灌漑工事の水利技術者・鄭
国が、韓のスパイと判明し、処刑されようとする場面。
灌漑工事は最終的に秦の利益になるという鄭国の正論に、始皇帝(この時はま
だ秦王)は処刑を中止し、工事の続行を命じる。その時のセリフ。
「工事が完成すれば荒地も肥沃の土地と化す。わしは義理人情の話はきらいだ
が、合理的な話は認める」
このセリフはオリジナルにはない。始皇帝の人間性と思考の方法がこの短いセ
リフに凝縮されている。
やはり横山光輝とは巨匠であった。

86 :出土地不明:03/12/21 18:22 ID:xG/oe5EG
いd


87 :出土地不明:03/12/24 15:16 ID:OBVDtIwv
ネタ切れか…

里耶秦簡だけど、『文物』での報告以後何も発表ないのかな?
例の九九の表だけど、里耶秦簡の発見以前は敦煌のスタイン文書
のものが最古だったの?

88 :出土地不明:03/12/28 14:30 ID:74+Gsvnr
ディスカバリーチャンネルの「万里の長城呪術目的説」についてだが、春秋戦
国や秦代はとにかく、漢代については出土した木簡資料等によって、長城を中
心とした対匈奴防衛システムと、兵士の日常生活の詳細が判明しており、そこ
には「呪術目的」などという、あたかも殷代の戦闘の延長を見るような間延び
した要素は皆無である。
つまり「長城呪術説」とは、兵馬俑の現実界における極端な「無意味さ」を、
万里の長城にも強引に当てはめようとした、欧米の学者の浅薄な発想による妄
説にすぎない。当時の中国人はそんな悠長なものを作っている程暇ではなかっ
たはずである。
随所に中国人を馬鹿にした発言が見られ、仲の悪い身内の悪口を赤の他人から
聞かされているような、実に不愉快な番組だった。


89 :出土地不明:04/01/01 00:49 ID:QBpqkM+d
考古学からは少し外れるけれど、昔話では
「一里築くごとに一人生き埋めにすれば、末永く敵に攻め落とされない」
って、迷信が出てくる箇所がある。それを西欧学者が聞いて、
「万里の長城呪術目的説」発想に一役買っているのかも。

90 :出土地不明:04/01/01 14:53 ID:0Mb0h4wD
孟姜女伝説ですな。
大映映画「秦・始皇帝」では若尾文子が演じておりました。
長城の人柱にされてしまった夫の川口浩を求めて、嘆き悲しむ若尾姜女の声に
天地が鳴動、沸き起こる伊福部音楽と共に長城崩壊のスペクタクル(結構リアル)。
瓦礫の山のはざまから白骨化した川口浩が出土する。
「あなた、あなた」羌女は死骸のあばらに取りすがり、自らの腕を切ってその
血を骨の上に注ぐ。うーんやっぱり感覚違う罠(演じているのは日本人だけど)。
あの血を注ぐ意味がいまいち不明だったのだが、オリジナルに接して氷解した。
つまり人柱があまりに大杉でどの骨が夫か判らず、自分の血を片端からたらし
ていったら、中のひとつがすうっとその血を吸い込んで夫と判ったというのだ
から、いかにもシナ的というか何というか。


91 :出土地不明:04/01/12 02:45 ID:AaJEkriX
【海南】跪いて謝罪する「東条英機像」を製作(写真)
ttp://www.people.ne.jp/2004/01/10/jp20040110_35732.html

海南省のあるホテルに8日午前、日本のA級戦犯である東条英機が中国の人々に
跪いて謝罪する彫刻が登場し、市民の注目を集めている。

彫刻は、ホテル側が「現代の若者が歴史を忘れず、中華民族の再興という使命を
担っていくように」との願いを込めて特注したものという。(編集UM) 

「人民網日本語版」2004年1月10日


92 :番人:04/02/01 09:12 ID:3N5uGcSI
どうやら文字通りのお墓スレになってしまった(泣
誰かお参りに来て。

93 :出土地不明:04/02/19 23:24 ID:buMYwHVc
この板では、どれくらいの頻度で書き込まなければ落ちるのでしょう?
と言いつつ保守のつもり。

94 :出土地不明:04/02/27 22:02 ID:AMA00O3r
徐福伝説を知っているだろう?
おれは真実だ。
弥生文化を生んだのがそれなんだよ。

95 :出土地不明:04/02/28 04:07 ID:hl/YWy6u
>>94
あなたが真実なのですか?

96 :出土地不明:04/02/29 05:36 ID:ecBan1TD
>>94
あなたが‘まさみ’なのですか?

97 :出土地不明:04/02/29 10:48 ID:KZApzUwu
>>96
秦実

98 :出土地不明:04/03/03 22:32 ID:cIvirR9T
まみちゃん>>94

99 :出土地不明:04/03/14 22:59 ID:2FvapHLH
657 :無名武将@お腹せっぷく :04/03/12 23:01
その時歴史が動いた

「シリーズ始皇帝」
「シリーズ項羽と劉邦」
4夜連続で再放送
3月15日(月)〜18日(木)
総合テレビ夜11時より、昨年秋に放送してご好評をいただいた「古代中国シリーズ・始皇帝」「同 項羽と劉邦」を4夜連続で再放送いたします。
放送予定は下記のようになっております。

15日(月)
始皇帝 前編 希代のカリスマ・中国に立つ
〜秦王朝 天下統一の時〜

16日(火)
始皇帝 後編 崩壊は絶頂の中から始まった
〜秦王朝 滅亡の時〜

17日(水) 項羽と劉邦
〜天下を分けた運命の宴 鴻門の会〜

18日(水) 項羽と劉邦
〜勝利への60万人の大合唱 四面楚歌〜

うしゆうろしぃやぁぁーーー!


100 : :04/03/25 14:38 ID:/HG2waML
100

101 :出土地不明:04/04/27 22:09 ID:g3oeI04f
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|(・∀・)ボ凡付漁業組合認定ステッカー_| ̄|○ |
|____________________|

102 :出土地不明:04/05/08 23:51 ID:hGMmjczi
デアゴスティーニの週刊100人 歴史は彼らによってつくられた
48号は始皇帝だったけど、考古学的資料はさっぱり。残念…

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